蟻を彷彿させる形恰好をもち、真紅の目をぎらつかせるキラーアントが、一人の少女を囲むようにして蟻集する。四本の足は忙しなく動かされ、剛柔よろしきを得ていることがうかがい知れる。二本の手は痩せさらばえているが、敏捷性に富んでいるとも取れるかたちだ。
薄暗い道は二手に分かれており、一方からキラーアントが顔をのぞかせると、他方からも相前後して現れる。彼らは危機に瀕すると、人間の鼻には嗅ぎとれないフェロモンを発するのだが、そのような窮余の一策を以てしても、打開策には至らなかった。それは、さしあたり危機と呼べるものがなく、獲物は逃げようとする気すら失ってることに起因する。
今朝方、リリルカの心にわだかまっていた快と悶はなくなっており、心なしか彼女の胸は清々しいものを孕んでいた。欺瞞に満たされた人生は、なかば宿命と言えるものだった。が、助けてほしいという本懐をたばかって、憧憬への企及を考えることすら止めて、変わらずに荏苒時を過ごすばかりだった。したがって、なかば自分自身のせいでもあるのだ。
今からでも間に合うかも知れないが、それらはことごとく覬覦に過ぎない。次第柄に身を委ねたリリルカには、乞い願うことすら許されないことだ。
―これをきっかけに、誰かに騙されたりしないでくださいね。
一言だけ添えてまぶたをそっと閉じると、黒暗々にはキラーアントの体色だけが赫奕と残っており、粗鹵な船が丿乀としているように、おぼろげな火がぶれる。
しかし、固められた覚悟に反して、肉の崩れる音が耳朶に触れる。
「………え?」
「奴らに資産を奪われた娘とはお前のことか。憐憫の情こそ覚えるが、俺としては早々にこの姿を変えたい。悪いが糧となってもらうぞ」
問いを投げかける前に、リリルカの首は痙攣でも起こしたように顫動すると、いともたやすく捩じきれてしまった。
何が起こったかなど分かるはずもなく、まぶたの裏で泥んでいた火明かりも崩れていく。文字通りに相好を崩されながら目を開くと、ぞんざいに縫い合わされた裘を被っている背直ぐな孤影が、垢じみた襤褸から見下ろしている。やはり、リリルカにとってそれは底気味悪かった。
腑に落ちないものを感じながら、リリルカ・アーデは意識を譲り渡すことになった。
*
ペルニダはダンジョンの奥底へと足を進めると、その際に襲ってきたモンスターの皮を剥いで裘をつくった。ダンジョンの情報を以てすれば生物の創造などたやすいだろう。しかし、人型に収めるには今の風采では大きすぎる。体組成について皆目分からないことが気がかりであった。失敗でもしたら取り返しがつかないので、古態に復せず、など罷り間違ってもあってはならない。
懸念はいくつかある。その中でも最たるものが精神であった。ただに肉体に変化を及ぼすのみならず、他の精神との磅礴、己が精神との乖離、かくのごとき危険は避けたかった。熟考を重ねても切りがない話であったが、思考を禁じ得ないので板挟みに陥っていた。
喁々たらざるを得ずに考えあぐねていると、人相の悪い男共が現れたため、容赦なく殺した。もとより魔法を覚えるのも一環として考えていたため、人を殺すことにためらいはなかった。が、物思いに耽っていたせいで見つかった点に関してだけ、凝固ではなく低回、と省みてから思考を切り替えた。すると、殺した一人の記憶をたぐってある少女を見出だした。
そして現在、かねてより掲げていた目的を達した。
「やつの記憶に食い違いがなければ、こいつの力は…見つけた。それにしても、神の恩恵とやらは存外に扱いやすいな」
リリルカの背中に神経を繋いだまま、ペルニダは独り呟く。
―――『貴方の刻印は私のもの。私の刻印は私のもの』
―――『シンダー・エラ』
詠唱する。
口は相変わらず見当たらない。淀みなく紡がれる言葉がキラーアントの跫音よりも響き渡っていることは、胴鳴りにも似た響きが雄弁に語っている。
さながら月長石でも鏤めるように的皪として、ペルニダの身を灰色の光がおおいかぶさる。須臾にして容は改められ、手形に象られた体は、羽二重肌のいたいけな少女に姿を変える。
「リリ!」
リリルカに模したペルニダに声がかけられる。
振り返ると、白髪の少年が息を切らしながら2人を見比べていた。
襤褸を被ったリリルカと、首の千切れたリリルカ。どちらが本物か、判別がつかないでいる。
「………ステイタス、か」
呟かれた言葉だけが少年の鼓膜を震わせる。声のした方へ視線を送ると、頑是ないリリルカの微笑みが向けられていた。
*
片田舎の町に、薄汚れた弊衣を纏ったアマゾネスがいた。跳ねっ返りの娘であったが、盼たる秋波を合わせもつ顔立ちは、種の垣根を超えても一目置かれるほどだった。惜しむらくは、珍奇な神を信じていたことだ。狂信者もかくやと思われる敬虔な心意気をもっていたので、僻陬の地においても轗軻不遇の身であった。糅てて加えて、素寒貧であったため産衣すら持っていなかった。
そのため、いましがた呱々の声をあげた嬰児は、傍から見ても性別がはっきりと確かめられる。
男だ。
元来、女しか産むことのないアマゾネスは、種族の軛から逃れることはできない。他の種族と交わっても、産まれるものはアマゾネスである。女の子供は、種の濫觴となり得るやも知れぬ微光であった。
アマゾネスの祖先にちなんで、子はノアと名付けられた。
それからは気が狂れたようにして男をむさぼり食った。目をつければ言葉を打ち交わすことなく、子宮の渇を医するのみである。やがて双子の姉妹を身に授かった。が、女にとっては消遣の具にすらならぬ鼻つまみであったため、口をぬらすのにも一苦労していたころに、とうとう売り飛ばしてしまった。
次に目をつけた男は、あろうことかノアだった。出産から10年ほど過ぎていたため、幸か不幸かノアは美少年になっていた。妹達を亡くしていたと教えられたので、もはや唯一の肉親である母すらも失いたくなかった。ゆえに徒や疎かにはできず情に絆されて、薄汚れてしまった欲を慰めつづけた。
だが殺した。一時の情がなさしめたのではなく、確たる決意からくるものだった。13歳に垂んとするころだった。
彼がおこなった親殺しを、女神は塔の最上階から見晴かしていた。そして、ノアの前に現れた。
「名は…何て言うのかしら?」
「ノア―――ノア・ヒリュテ」
更闌けて、ノアの肌は層一層黒みを帯びて見辛くなっていた。が、女神は顔を変えることなく色の見えない彼をじっと見続けていた。
*
奥深い林は、おびただしい数の木々に場をうずめられ、蓊鬱として影を敷いている。
フリュネが柄に重さを加えていくと、力に倣って大戦斧は地に亀裂をつくる。爆発にも準えられる一撃によって、土と風が攪拌される。が、彼女の狙いは別にある。
擾乱をもたらしたのち、だだっ広い深林は再び沈黙を迎える。倦まず弛まず自彊を重ねてみても、中空を切って、地面を割るばかりだった。
彼女の斧を避けた影は、木陰に陣を取ると暗闇に身を溶け込ませ、杳として姿をくらました。取りも直さず、フリュネが狙いをつけた垂涎の的、男のアマゾネスだ。
「ゲゲゲッ!この期に及んで鬼ごっこかい?そんなことより、アタイともっと気持ちいいことしようじゃないか」
「馬鹿言うなよ。気持ちわるいやつと遊んでも、気持ちよくはならねーよ」
「あぁ?いま何か言ったかいィ?」
フリュネは言い終えると等しく、回転を加えて斧を投げた。威力が増したことによって、直撃をくらわせた木に中折れをきたす。木陰に隠れていた男も避けざるを得ないで、横の下陰に移ろうと試みる。わずかな釁に乗じて目睫を詰め寄ると、フリュネは大戦斧をふりおろす。
「精液臭いんだよォ!」
「血生臭いっつーの」
男もフリュネが飛ばした大戦斧でむかえうつ。真正面からぶつかり、璆鏘たる金属音が深林に広がっていく。互いを睥睨している2人は、おもむろに口を開いた。
「名は何だ…女」
「ゲゲゲッ。お前こそ、何て名前なんだいィ?」
男が問いを投げかける。呼応して、フリュネは口元を綻ばせると、同じようにして名を問う。
「イシュタル・ファミリア団長。フリュネ・ジャミールだよォ!」
「フレイヤ・ファミリア副首領。ノア・ヒリュテだ」
はたして邂逅は祥瑞か、それとも妖孽か。神ですら知る由もなかった。
特記戦力が寝正月を過ごすなんて
全く
罪深いな