坦夷にして寥廓たる地を、日の光があまねく照らしつづける。
冒険者ばかりが暮らしているオラリオの僻地は、迷宮都市に似つかわしくない年寄りが腰を落ち着けている町があり、翁媼ばかりが旁午している目抜き通りを鉤の手にまがると、片眼鏡をかけた老爺が営んでいる古本屋がある。
老爺が外を見やると、珍しい客がやってきたようなので、床几にかけていた腰をゆっくり上げはじめる。客が店内に足を入れると、積もり積もった埃がほだてられる。それに尻目遣いをしながら、因子論と題されたものを本棚に戻していると、相手の方から声をかけてきた。
「オッス、クソジジイ!ウチの御来店やで!」
「……………できることなら帰ってください」
「なんでウチにだけ愛想わるいんや!」
「…私のような書蠹には、ロキ様は眩しすぎます」
「ハイ、さっそく世辞が出ました~。聞き飽きたっちゅーねん」
役目柄、止むを得ずと言わんばかりに、老爺は女をかまいつける。
ショートパンツを穿いて、さも疎ましそうに顔をしかめている客。荒くれた立ち居振る舞いだが、この女こそ、悪戯好きの神と名高いロキであった。ほかと比べると露出のある服を着ており、一見すれば魅力的とも扇情的とも蠱惑的とも取れる装であったが、悲しい哉、かような男の色欲は、慎ましやかな胸により悉皆押さえ込まれてしまう。
眉をひそめる老爺は、埃を被った床几を皺だらけの手で払う。折りたたんで壁に凭れさせる。ロキに構うことなく帳場へと足を向けて、奥まった座布団に胡座をかく。
と、ロキもそれに倣って老爺のとなりを陣取り、そのまま寝茣蓙に臥してしまった。
「それで、何用でしょうか」
「自分のとこ来たんや。わかってるやろ?」
「…何を御所望で?」
「月の書」
間髪を容れず返ってきた返事に、老爺は目を瞠った。
「正気ですか?オラリオに冠たるロキ・ファミリアであろうと、月の書ともなれば多少響くと思うのですが」
「かまへんわ。………それにな。ウチの勘が喚いてしゃーないねん。トリックスターの直感がな」
禍々しく口にする女神は、眸中の心すら揺るがせない。老眼に映じる一挙手一投足は、玻璃越しに見ても、畏怖の念を与えざるべからざるものだ。
「………わかりました。期限は?」
「3日や」
「…その間に、何かが起こると?」
「せやな。もう遅いかも知れんけど」
「冗談はやめてくださいよ…これですね」
老爺のとなりに置かれた書架から、浩瀚な本を手渡した。ロキはうじゃじゃけた赤髪を弄びながら、本の表紙を見る。
古ぼけ、神さびている三日月が縫い取られている。聾盲にも伝わる気味悪さがあった。
ロキの注意を向けるために、老爺は咳払いをすると語りはじめる。
「月の書についてですが、僅かの間、御清聴を煩わしたいと思います。そんな嫌な顔をしないでください。職務上ですゆえ。では、―――稀覯の書とも知られている本書は、承るところによれば、月の神であらせられるシンについて述べられています。どのような方かは、ロキ様が承知でしょうし語りません。本書が値千金である所以は、月の盈虧にちなんで、暦を司ると伝えられていることにあります。それゆえ、本書は暦について叙されているのではないか、という俗説が絶えませんでした。謂わば未来予想図でしょうか。尤も、ただの俗説に過ぎないでしょうが。で、月の書にはもう一つだけ言い伝えがあります。シンの行動が映されている、とのことです」
向かい合うロキが持っている月の書を、老爺が反対からめくると、一行だけ書かれていた。
―シン、月に蟄する。
「シンは既に亡くなっている、と考えられています。ロキ様がシンをヒッキーと呼ぶことに関しては察するに余りありますが、私としてはシンが御存命であらせられると思っています」
鄙懐ですが、と老爺は付け加えた。鞠躬如と構えているが慇懃無礼とも受け取れる態度だ。
ぼんやりと聞いていたロキだったが、老爺の言葉が気になったのか、重い口をひらいた。
「それは何でや?」
「勘です」
ロキは大笑いした。老爺のもとに金を渡して、再び埃をほだてながら帰っていった。
数刻後、老爺は思い出したかのように書架から一冊の本を取り出した。
「ついでに、これも渡したほうがよかったですかね」
月の書に比肩するほどに浩瀚であったが、刺繍されているのは有翼円盤であった。
*
地が舞う―――――。
木が舞う――――。
葉が舞う―――。
唾が舞う――。
身が舞う―。
坤輿が舞っている。
寤寐の境を司る天秤が、静かに傾いていく。赤・茶・紅・緑・朱・白・赤・紅・朱・赤赤赤。
「―――あ?」
神色が塗り替えられる。
フリュネの持つ、鼻という形状を辛うじて留めていた部位が、血潮によって染め返されていた。
「んだぁ………血、だとおおおおぉぉぉぉ!?」
「随分ぶっとんだじゃねーか。ブス」
「お………ま…え、かああああああああああ!アタイの顔を傷つけやがったのはあああああ!」
「十回転くらいしたぜ?デブのくせに曲芸はうめえな」
フリュネの顳顬に青筋が立つ。切歯扼腕の情が醞醸する。戦々恐々と体は忍従しない。相反する二つが鬩ぎ合っていた。
フリュネとノアの差。伯仲の間というには程遠く、啻ならぬ径庭があることは明らかだ。フリュネにとって合点がいくことはないが、ノアの一挙一動が防御措く能わざる攻撃となっていた。
血の坌湧。汗の瀉出。欲の猖狂。身の震顫。すべてを尻目に懸けて、思い頽れかけた勇を鼓す。
「ああああああああああ!」
フリュネは雄叫びをきっかけに逸り立つ。この時遅くかの時早く、儚い奔踶が戦況を動かす。ほどなくして二人の距離は詰め寄られた。血塗られた大戦斧を振り翳すと、意のままに振り下ろす。
割る。裂ける。分かつ。緑に染められた情景も、淀むことのない空気も、汗ばんだ己が血も、ことごとくを両断する。が、刃先を左手のみで受け止められる。
フリュネが思わず絶句していると、ノアは目を細めながら喋り出した。
「見醒めだな。魔法の一つや二つ、イシュタル・ファミリアの団長ともなれば、持っていると思ってたんだがなあ。所詮はアマゾネスか」
「…お前も一緒じゃないかよぉ~!アマゾネスのくせに、何で男なんだいィ?」
「どうやら、いまの立場が分かっていねえらしいな」
ノアは依然、飄々乎として概は揺るがない。
と、摑んでいた片手は不意に離される。きりきり舞いに陥った斧は、重みに従って榛莽に罅裂をまねく。煩を厭わず、フリュネは大戦斧を薙ぎ立てる。一閃の先にたたずむノアは、魁偉な腰回りを柔軟に歪ませることにより、仰け反って躱してしまう。
臂力を尽くした大技であるため、フリュネは体を御しきれずに欹斜になる。咄嗟の際を逃さず、ノアの右足は、毫も狂わずフリュネの左足に当たり、そのまま遊脚を払うと、巨体は翻筋斗打って大の字に倒れる。
刹那、フリュネは再び夢譚に魘われることになる。
*
「お姉さん!手解きをお願いします!」
「何だ、坊主。私に筆下ろしをさせたいのか?」
「ち、違いますよ!稽古です!稽古!!」
「キンキン喚かなくても分かってるよ。準備はいいかい?」
「大丈夫です!」
「それじゃあ…行くよ」
「はい!」
*
夢魂は舞い戻り、神色は塗り替えられる。
フリュネの首に、断首台さながらの大戦斧が落とされるところだった。
「―――そういうことかい…イシュタル様」
呟く。振り下ろされるギロチンを危うく避けると、ノアとの距離を取る。
ノアから見ると、陶酔境を千鳥足で反復横跳びしているような印象を与える風付きだった。
「あんたと小僧には感謝しないとね。ようやく、―――品性を取り戻したんだから」
神々しい光が、鬱蒼として存する森林を照らしている。
源は、フリュネ・ジャミールというアマゾネス。
「眩しくてよく見えねえんだが、誰だ?」
「これはまた、ものを知らないやつだね」
否。フリュネ・ジャミールという、ダークエルフだった。
「偉大な相手というのは輝いて見えるものさ」
「眩しい理由の方はきいてねえんだが」
憶測だらけだが解説する。
フリュネ・ジャミールは作中でもヒキガエルのような女って言われてるけど
これは嫦娥奔月に出てくる嫦娥をモチーフにしてると思う。
嫦娥奔月の内容は、神界に戻れる薬を夫から奪って飲んだら月まで行ってヒキガエルになった、みたいな話。
まあ諸説あって、月には老人と兎しかおらず寂しくて夫との日々を懐かしんでた、とか、月にいた兎は実は夫でした、とか。
嫦娥は美人らしいし、フリュネも自分のことを美人って言ってるし。
ヒキガエルは漢字で蟾蜍(せんじょ)って書けることから、嫦娥は仙女だったって言われてる。
仙女ってのは妖精って意味もあるし実はエルフでしたみたいな展開にした。ダークエルフなのはアマゾネスの名残と、完全に作者の趣味。
ちなみにタイトルの「形影相弔う」「形影相伴う」は、それぞれ「孤独で寂しく暮らすさま」「仲睦まじいさま」って意味。
なんでこんな解説したかっていうと、設定に無理がありすぎて飽きてきたから。たぶんリジェ熱が冷めてきたんだと思われる。一応出る予定だったけど。戦闘シーンを書くの難しすぎるわ。
気が乗ったら続き書くわ。