――ヤーナム市街の落書きより
「――――引くつもりはないのか?」
男がそう問いかけると、女は仕掛け武器を二つに分離させて頭上で高く構えた。まるで満月のように双剣を自分の体の前で構えると、ぐっと腰を下ろす。
ボロボロの布切れを体に巻きつけた長身。目元を赤黒い布切れで隠し、洒落たシルクハットを乗せた姿。腰に下がっているのは散弾銃だった。
ヤーナム市内。とある崩落した薄暗い建物の中にて。
入り口を塞ぐかのように立ちふさがる女に対し、男は静かに武器を手に取った。長大な銃身に槍をくくりつけたような武器。獣狩を生業とする狩人へ武器を供給する「工房」の中でも一際異端と言われる「火薬庫」の製造した試作品「銃槍」である。男の腰には短銃がぶら下がっていた。
ヤーナム。
それは旧い医療の残る街。あらゆる医者が匙を投げるような病でさえ治療できると言う技術がここにはあるという。
信じるも信じないも、それは聞き手次第だろうが。
だが知らぬものよ、恐れたまえ。
巨大な月が天に昇るとき。
聞こえもしない赤子の声。
ありもしない幻影。
囁き声。
冒涜的な影を窓の外に見たのならば、彼らはあなたのすぐ傍まで迫っているのだ。
だが、多くの脅威がそうであるように、対抗手段は存在する。
闇から闇へと渡り歩き、密かに彼らを狩る者。
独特な変形武器。独特な技術で精製された弾丸を用いる銃器。空に由来すると言う奇妙な術を用い、戦うものたち。
彼らは皆言うのだ。
――獣狩りの夜が始まる。
遠くで鳴り響く鐘楼の絶叫が室内へと染み渡っていく。
目元を隠したシルクハットの女の口元は凄惨に歪んでいた。頬まで裂けているのではという傷跡からは血が滴っており、異様な雰囲気をさらに増大させていた。
対する男は無言で槍を肩に沿わせて左手の銃の引き金に指を置いて佇んでいた。
「頬まで裂けた口の女。人食いミルドリスとはお前のことか?」
男が語りかけると、銃をホルスターに差した。螺子を誰にも巻いてもらえなくなったらしき柱時計がキリキリと音を立てて時を刻むことをやめた。
女がニタリと口を吊り上げると、全身に迸るオーラを纏う。それはまるで竜巻のように体中に纏わりつき、女の衣服をはためかせた。
次の瞬間、女の姿が掻き消えた。
男が前方にステップを踏みしめ、槍を突き出したのと同時だった。
男の背後に殺意が爆発する。二つに分かれた剣をまるで独楽のように回転しつつ背中目掛けて切りつける姿があった。
途端に、女が火に包まれる。
「………!?」
「たまげたろ?」
男が縄の付いた火炎瓶を後方に投擲したのだ。相手に悟られぬように火を灯し、背後に隠しておいたそれを指に引っ掛けて目標を見ずに地面に放りつけることで相手に命中させたのだった。
衣服に引火。女が苦悶の声を上げて後方にステップを踏むや、男の短銃の一撃が女の腹部を抉り取る。
水銀に血液を混ぜて作られるそれは獣ばかりか人に対しても強い効力を発揮する。血の成分によって威力が変動してしまうという。男の血液は強烈な力を秘めていたようで、女の腹に風穴が開いた。
肉を穿ち、骨を砕き、内臓を挫く。女の体内を抜けた弾丸が壁に突き刺さり、赤い塊を縫い付けた。
火薬の炸裂と共に男が駆けた。右、左とステップを踏み込むと、槍を大きくなぎ払う。
女の姿が掻き消えた。槍の進行方向を読んだ上でその下を獣のように姿勢を落として掻い潜ったのだ。
槍の射程内に潜り込むや、右腕の刃を迸らせる。隕石に由来するという貴重な金属を使用したそれは、高速で移動する物体に特に力を与えるという。男が槍を引き寄せると柄の部分で弾き返す。
刹那、踊るように女の左腕が炸裂する。男の顔を覆い隠していた狩人の帽子とマスクを一文字に切り裂いた。
「グッ……!」
「ヒヒヒヒ……」
苦悶を上げる男の声に、甘い、ねっとりとした糖蜜のような篭りきった声が女から発せられる。
装備を引き裂かれたことで男の顔が露となる。年齢にして三十程。無精ひげを生やした短髪の男。縦に割かれたためか顎から額までが引き裂かれている。パックリと裂けた顔の中央からは筋肉と骨が覗く。
だが、瞳だけは強い力を宿していた。赤い目。血の色そのものといえるそれは、穢れた一族と関わりのあるものによく見られるという特徴だった。
キュッ。
男の靴が床を踏みしめると中段からの前蹴りを女の腹部に空いた穴へとぶち込む。
「ぎゃっ!?」
「顔には自信があったんだがな。いや、レディーに傷をつけられるとは思いもしなかったよ」
はじかれるように吹き飛んだのを見計らうと、女が体勢を整える前に短銃――エヴェリンの銃身を突きつける。
短銃とは名ばかりの長大な銃身は、獣に対し通常の銃の威力では太刀打ちできないことを物語っているだろう。
金の優美な装飾をされたそれが炸裂する。手の中で震えるそれを握ったまま、男が槍を短く持ち替えて突撃する。狙うは女の命ただ一つ。
が、女はテーブルを足で蹴飛ばすことで遮蔽物にした。もちろん銃弾を止めることなど不可能だ。木の板が砕かれて肩に銃弾が食い込んだが、いくらかは軽減される。
机の影から猛烈な勢いで風が迫った。
照準は間に合うまい。
「なかなか速い。獣のようにな」
男はバックステップを踏んだ。既に女の暗い瞳が眼前に広がっていた。
バツ印を描くように双剣が軌道を描き出す。男の腕と腹から血液が散った。距離を取らんとさらに下がる。槍という武器は超至近距離の使用を想定していない。しかもよりによって相手は「狩人狩り」たちの武器である。人殺しの業を背負うものたちのそれの素早さと切れ味は男の知る限り右に出るものが無い。
息を吐き、吸い込む。
その刹那の瞬間にさえ敵はすぐ傍まで迫っていた。
風のように刃が右斜め上から左下へと振り抜かれるや、もう片側の刃が肉を切り刻まんと動き始めている。狩人の多くは、傷を癒す手段を持っている。ならば使わせる間も無く全身を切り刻んでしまえばいい。そんな思想が透けて見える。
男が知覚するより早く右腕に一筋、首筋に一筋の切り傷。腹に二条の深い裂傷が刻み込まれる。
更に男の腹部目掛けて両手の刃が一点に収束しつつ突き刺さる。女がそれを踊るように、まるで蝶が羽を広げるようにして、分離させた。血管が引き裂かれる感覚。男の衣服は容易に裁断され、腹部から返り血が女のもとに飛び散った。
刃が涼しげな高音を奏でていた。
「く………」
男の表情に苦悶が浮かぶ。傷はいずれも浅いものだが、出血量が酷かった。
回復する手段はある。腿に輸血液を封入した注射器を突き刺す。あるいは点滴を。どちらの手段も隙だらけである。二刀流の相手に接近を許した今となっては自殺行為にしかならない。
更に――と女が踏み込んだ。単純な切り付けを男は仰け反ることで回避した。
刹那、女が両手の刃を手の中で重ね合わせた。刃は共に引き合うように出来ている。まるで双子の性質が似通い運命さえ似るという逸話のように。
金属音と火花が散る。女の手の中で一つになった短剣が男の首筋目掛けて突き出される。
――ガキン。
男が超至近距離にまで接近していた女に対し、銃槍の真価を見せ付ける。
短く握られた槍の先端が変形。内側に秘めた散弾銃の構造をむき出しにした。
女の視界が真っ白に染まるようなマズルフラッシュが花開く。超至近距離での使用を想定した散弾が無数にばらまかれると女の腹部の傷に集約される。体内へ侵入した散弾同士が衝突。違う方角へと運動エネルギーを拡散。さらに水銀製の弾丸が炸裂し血肉を粉々に引き裂いた。
たまらず女の体勢が崩れた。
「はらわたを頂くぞ!」
男がむき出しになった女の腹へと腕をねじ込んだ。女の表情が強張った。
「うぐぐ………あっ……んっ あぁ」
女の喘ぎ声が男の耳を撫でる。かちかちと歯が打ち合わされる。男の耳元を危うく掠めた。
男が息を吸い込むと、身をかがめた。
胃腸。骨。血管。肉。血。ありとあらゆるものを掴み取って腕力を持って一息に抉り取る。
女から奪い取った新鮮な返り血が男の傷口に吸い込まれて消える。
「あぁぁぁぁぁあああアアああああァアア!!」
腹から大量の血液をぶちまけながらテーブルと椅子をなぎ倒しつつ壁際まで女が吹き飛んでいく。
壁に打ち付けられた女は肢体を痙攣させながらも這いずり回っていた。哀れにも生にしがみ付く姿のなんと哀れなことか。死に最も近いところにいながら死から遠ざかろうとする姿は滑稽でしかない。だが攻撃を行った男の心に哀れみの感情など無かった。一つ間違えば転がっているのは自分だったのだ。
女が、腹を抱え、剣を右手に持ち、壁に腕をつくと起き上がらんとして。輸血液の注射器を手にとって体に突き刺さんと足掻いたが、男の槍に腕ごと縫い付けられた。
ずぶりと槍の切っ先が肉を引き裂き床に食い込んで止まる。
「ぎゃああああっ!?」
無感情な赤い瞳を宿した男が女の傍らに佇んでいた。
男の狩り装束は返り血と自分の血を吸い赤黒く変色していた。男がぐしゃりと女のはらわたを踏み潰すと静かに歩み寄る。
女の表情が引きつる。関節もろとも槍の不恰好な切っ先が刺し貫いてしまっていて、輸血液の使用など論外だった。
男が屈むと女の武器を取り上げて床の上に転がす。
「足掻くな。運命を受け入れるのだな」
「ふ、ふ……あなたの血はとてもおいしい……最期に舐められてよかった……」
「………」
女が自分の手に付着した血液をぺろりと舐めた。「慈悲の刃」という名前を持つ仕掛け武器から垂れた血液は間違いなく男のものであり。
男が女の首に手をかけた。人ならざる血で強化された腕力は首など赤子の手同然に捻ることが出来る。
だが絞めることはせずに、シルクハットを剥ぎ取った。更にマスクを剥ぎ取る。
現れたのは歳にして二十程度の幼い顔立ち。頬に走る傷跡のようなものは化粧に過ぎず。男とは対照的な青い瞳が瞬いていた。
曰く、人食いミルドリスは悪名高い狩人狩りであり。
曰く、無差別に攻撃を仕掛ける狂人であり。
曰く、宇宙の神秘に狂い果てた一般市民の成れの果てであり。
などと噂されているのだった。
何を思ったか男は女の首を右手で締め付けると、顔と顔を接近させた。
「俺を襲った理由を吐け」
「わたしはおいしい人を食べられればいいの。理由なんて二の次三の次」
「お前は強い。俺に協力しろ」
かちり。エヴェリンの暗い銃口が女の脳天に突きつけられる。
女に選択肢は無かった。
「狼もどきを殺すためには優れた狩人が必要だ。お前は優れている。俺と来い」
女の意識はそこで途切れた。
最近の流行は大砲マンでぶっぱして相手を即死させることです