天下の花金。
長い一週間の終わりに酒が進む。つまみへ伸びる箸も止まらない。一週間を頑張ったご褒美と言えば、束の間のダイエット精神を忘却させるに至る。
金糸の髪を二筋に結い、くたびれたジャージ姿でビールを煽る妙齢の女性は、独りぼっちの自宅で大層『花金』を満喫している様子だった。この女性、名を『巴マミ』と言う。職業はオフィスレディー……と言えたら良いのだが、残念ながら派遣である。加えて歳は敢えて伏せるものの、アラサーとは言ってしまえるのが悲しきかな。
元魔法少女として名を馳せた過去を持ち、独り身の寂しい余生を過ごす悲しい人物である。……なんて事を言えば、彼女のお得意な拘束魔法で極致に至るまで締め上げられる事も忘れてはいけない。『絶世の美女なのにそれ故のカリスマが彼女を孤独にしている』とでもすれば、おそらく彼女は目をキラキラさせて盛大に頷くだろう。
簡素なマンションの一室で、そんな女性が独り暮らし故の楽しみに興じる。ここに例えば彼女の旧友や、後輩が居たとすれば、彼女は全力で『規律正しい女性』を演じてしまうのだから、独り暮らし様々である。
「ぷっはー。やっぱ天下の花金はサイッコーだわ!」
そんな彼女の叫びは、やはり寂しいかな、誰の同意も求めちゃいなかった。普段ならばそこで溜め息混じりに自嘲したり、寂しさを紛らわす為にテレビへ向かい直ったりするものだが、その日は少しばかり普段と違う事が起こった。
――コンコン。
と、窓ガラスが叩かれる音。
今まさに自嘲しようかとしていたマミは、ハッとしてベランダへ向かう。カーテンを引くと、その先に白い獣が居た。
猫のような、しかし決して猫ではないその見た目。赤い双眸でマミを無表情に臨むその獣は、『インキュベーター』と言う名の地球外生物にあたる。先程不躾に述べたマミの昔、『魔法少女』と言う事柄の発端になった生物である。
「あらキュウべえ。ご飯でも集りに来たの?」
少しばかり頬を赤く染めて、酔いが回ったかのような僅かに覚束ない手つきで彼女は窓を開く。初夏の生温い風が吹き込んできた。
インキュベーターは窓が開かれるや否や、マミが世話を放棄したのにも関わらず未だ群生し続けるミントのプランターをちらりと見てから、何も語らずに部屋へ上がった。
「ちょっと待ってて。足拭くタオル持ってくるから」
マミはそう言って踵を返す。インキュベーターは何も語らずにそこで大人しく鎮座した。表情は変わらない。インキュベーターは感情が無いと言われる――マミからすればそんな事は無いと言える事例が幾つかあるが――為だ。
やがて一分も待たない内に彼女は戻ってきた。タオルを渡されてはインキュベーターは足を拭う。その間にマミは再び席を外し、今度は紙とペンを持って戻ってきた。
ペンを渡されて、インキュベーターは顔の横から伸びる触腕で器用に字を書き始めた。殊、ここに至ってみれば解る話だが、インキュベーターの声はマミに聞こえない。魔法少女として引退間近なOBだからではなく、アラサーだからだ。彼女の耳の可聴域から、インキュベーターの声はもう外れてしまっているのだ。
やがてインキュベーターは抑揚の無い文字を書き上げた。まるでコンピューターが印刷させたかのような活字体だった。
マミは手にとって見る。
『マミ、大変なんだ。ワルプルギスの夜が来ると聞いて若手の魔法少女が逃げ出してしまった!』
一頻り読んだ後、マミは「あらら」と零す。
「ワルプルギスの夜来るの? また?」
マミは怪訝そうにインキュベーターへ返した。インキュベーターは筆談にてそれを肯定する。
『そうなんだ。彼女はいたくこの見滝原を気に入ってしまったようでね。今回の襲来で実に一〇回目。ついに大台に乗ってしまったよ』
「そうね。まあ一回目は酷い被害だったけど、後は嵐が巻き起こるレベルに抑えられているとはいえ……一〇回は異常よね」
紙とにらめっこしながら、マミはうんうんと頷く。
ワルプルギスの夜。史上最悪の魔女として名を馳せた超大型の魔女である。一度姿を現せばその地は瓦礫の山と化し、逆さまの姿が正位置へと正されれば文明ひとつが滅びるとさえ言われた。
……が、そんな事は無い。ワルプルギスの夜が現れては確かに嵐が起こり、とんでもなく悲惨な被害が発生する例は確かにある。しかしそれは強烈な因果があってこそで、特に因果が巻き起こっていない場所へ現れた際は超大型の台風が来たようなものにあたる。勿論、彼女を調子づかせてしまえば甚大な被害へと繋がるし、現れただけで民間の間ではとんでもない大騒ぎの大嵐になるわけではあるが。
今の見滝原に強烈な因果はない。ただワルプルギスの夜がこの地にて何度となく撃退され、彼女としてもこの地をなんとしても制圧したい気持ちがあるのかもしれない。マミはそう感じた。少なくとも前線で戦っていた時には、彼女がマミ達五人の魔法少女を見て『よう久しぶり』と声をかけてきていた気がした。あくまでも、そんな気がしたの域だが。
はてさてしかし、マミはもうワルプルギスの夜が五回目の襲来を迎えた頃には現役を退いている。助っ人として戦いに参ずる事はあれど、若者のフォローに回る事の方が多い。一応魔女が湧けば戦うのがマミのスタンスではあれど、あまりでしゃばり過ぎるのも良い年ではないと三〇を迎えた頃に自覚した。と言うか、昔の仲間達に『三〇越えてその姿は無い』と、魔法少女衣装を否定された。それがショックで、マミは魔法少女引退を決意したものだ。もう少女でもないし。
ただ、今回の件はどうしたものか。
「魔法少女が逃げ出してしまったって事は、戦える人がいないってこと?」
『否定出来ないね。まさしくその通りさ』
「それって結構まずいんじゃないの?」
『まずいどころか見滝原の危機だよ。それこそほむらが頑張った一回目のあの時レベルさ』
筆談と声で言葉を交わす。
インキュベーターは相変わらずの無表情だったが、マミは少しばかりげんなりした雰囲気を浮かべていた。
だから僕と約束してワルプルギスの夜を撃退してよ。
えー、めんどくさい。
と、暗に交わされていた。
しかしながら放置すれば来週の花金が訪れないかもしれない。大嵐で仕事が休みになるのは大歓迎だが、見滝原が壊滅してしまってはそれはそれで問題だ。
仕方ないとマミは携帯を取り出す。
鹿目まどか、暁美ほむら、美樹さやか、さくら杏子と、四人の名前を宛先に入れてメールを打ち始めた。因みにこの四人、マミの魔法少女仲間ではあるが、全員結婚しては苗字が変わっている。旧姓のまま登録されているのは、マミが自身の独り身を……いや、何でもない。単にめんどくさかったとしておこう。
『ワルプルギスの夜が来るらしいわ。現役の魔法少女が逃げ出して、見滝原空っぽらしいから仕方なく私達で迎撃しなくちゃなんだけど、明日空いてる人いる?』
期日をインキュベーターに確認したマミは、そう文章を括ってメールを送信した。
すぐに返信がある。
先ず返ってきたのは暁美ほむらだった。
『アメリカなう』
マミは文字を読み、あーそうだったと後頭部を掻いた。ほむらはまどかの弟と結婚し、アメリカで暮らしている。今からわざわざ呼び立てるのもおかしければ、間に合うかすら判らない。
『そうね。ごめんなさい。失念していたわ』
『気にしないで頂戴。まどかと御義母様方をよろしく頼むわ』
『ええ、任せておいて』
その返信を終えたところで次にさくら杏子と、美樹さやかからの返信が来た。
『すまん。今家族で旅行中』
『すみませんマミさん。今東京でして……なんとか出来ませんか? 恭介誤魔化して帰る事も考えたんですけど、中々難しそうです』
デスヨネー、知ってた。と、マミはぼやいた。
むしろ同時に旅行と言えば、仲の良い二家が集って行っているのではないかと思わせる。仕方ないと頭を振って、マミは『御家族に心配かけるのは良くないものね』と返信をしておいた。
残るは鹿目まどかだけだ。彼女と二人ならばなんとかはなると思えるが、この流れは……と、マミは冷や汗を流した。
『すみませんマミさん! 今旦那さんと北海道です……』
マミは携帯を開いたまま固まった。
乾いた声を出しつつ、唇を薄く開いては「デスヨネー」と零す。ギリギリと長くオイルを注されていない機械のようにインキュベーターを振り返っては、その無表情な相貌へにっこりと微笑んだ。
「私も逃げちゃダメかしら?」
『マミ。例えばキミが逃げ出してこの家等々が吹き飛んでしまった場合、キミの再起には相応の時間がかかる。お金だってとんでもなくかかるけど良いのかい?』
「……はは、あははは」
もう乾いた笑いしか出なかった。
仕方ないとはいえ、なんともまあ追い詰められたものだとマミは笑う。迎撃するしか無いのは判っているものの、独りで果たして勝てるのだろうか。
さしあたっては――そうだ。と、マミは笑う顔を張った。
「ちょっとキュウべえ留守番してて」
そう言って彼女は財布を取り出すと、ジャージを脱ぎ始めた。インキュベーターは相貌を変えず、しかし焦ったようにペンを走らせてはマミの前に持っていく。
『まさか逃げるのかい?』
マミは紙面を見ては相貌を歪め、そんなわけ無いでしょうとぼやく。
「重曹を大量に買って来なくちゃいけないのよ」
そう言って彼女は着替えを済ませると、夜の見滝原を駆けてありったけの重曹を購入したそうな。ソウルジェムを重曹で磨けば穢れが落ちるとは、彼女らが見付けた世界不思議発見であったのだ。
インキュベーターはやれやれと頭を振った。
重曹でソウルジェムを磨きながらひたすら砲台を召喚する妙齢の魔法少女。
実に絵にならない光景だと、無表情の筈の顔に僅かな呆れを見せるばかりだった。
因みにワルプルギスの夜はあっさり撃退された。死に物狂いに昔は技名を与えられていた砲撃をありったけに受け、ワルプルギスの夜の甲高い笑い声もどこか切ない同情染みたものを思わせるものだった。
そして晴れ渡る空の下。
マミは「明日の休みはもうやけ酒よ」と憤慨するのだった。
アラサーの巴マミはどこまでも締まらないのである。
アラサーマミさん無活躍が原作の代名詞なので、敢えて活躍する話があれば面白いだろうなと思って、筆遊びしてみました(笑)
因みにほむらがアメリカ在住なのかそうでないのかは言及されておらず、日本で度々登場しています。三巻にてアメリカネタがあったので、少し脚色して盛り込んでみた次第です。
縦書き用に改稿しました。