本物のぼっち   作:orphan

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第2話

 千葉市立総武高校には正確に言えば部活棟という物はない。

有るのは教室棟と特別棟、そしてそれらとは独立する形で視聴覚棟が有るだけだ。

部活動に所属していない生徒にとっては理科の実験等でしか利用しない馴染みの薄い場所、部活動に、特に文化系の部活動に所属している生徒に取っては部室の有る場所という意味で、生徒達の間では特別棟は専ら部室棟と呼び習わされているのだ。

 

 放課後、とうに部活動が始まっている時間なので他に生徒の姿のないその廊下を、ヒールをかつかつと言わせながら歩く平塚先生の後を追う。

外ではテニスコートやグラウンド、或いは弓道場や剣道場で生徒達が活発に部活に励んでいる。

それらとは対照的に特別棟には静けさで満たされていた。

音を起てる軽音部や吹奏楽部が視聴覚棟に部室を移してからというもの、特別棟内には賑やかさが不足している。

ここに部室をおいている部活動の数を考えればここまで静かな筈も無いのだが、案外うちの高校の部活動は部員数が少なかったり活動が殆どなされていないような部活ばかりなのかもしれない。

 

 俺自身放課後の部活棟に足を踏み入れるのは初めてで、授業の有る日中とは全く違う様相を呈する部室棟に探検しているような感覚を味わっていた。

 

 というか俺はここに連れて来られて何をさせられるのだろうか? 

先程の先生の言動で殆ど正解というか、目的は分かっている。要は俺に友達を作らせる気なのだろう。

しかしだ、友達を作らせる為に部活動? 

まだ4月とは言え学年は2年だ。部活に入るには今更感が有る時期だ。

友達作りに部活動における功績が関係ないのは当然だが、活動が活発な部では人間関係が既にある程度出来上がっているだろう。

俺ならばそういった物を一切解さず我が物顔で割って入る事は出来るだろうが、俺にここまでの気を遣ってみせる平塚先生の事だから、既に所属している生徒にも気を遣ってそういう部には俺を入れないだろう。

では逆に活動が活発でない部活ならばどうだろう。

だが、その場合にも同様に、いや下手をすると活動が活発な部よりも独特で強烈な人間関係が形成されている可能性も有るだろう。

そういった場に自分が投入された場合、場の雰囲気をぶち壊してしまう自分の姿は想像に難くない。

それとも俺はどこかの部に入部させられるのではなく、別の方法で友人を作ることになるのだろうか。

そうなった場合のパターンは……などと考え事をしていると先生は有る教室の前でその歩みを止めた。目的地にあっさりと着いてしまったようだ。

 

 俺が先生の横まで来ると、先生は一度俺の顔を横目で見た。

その先生の横顔は生徒指導室を出た時から変わらず真っ赤なままだ。

もしかしてさっきの俺の行動ですっかり怒らせてしまったのだろうか。

いきなり悲鳴を上げながら避けられれば誰だっていい気分はしないだろう。

それも自分が善意から働きかけようとしている相手ならば尚更だ。

しかし俺にも言い分は有るのだ。

今更ではあるが、もう一度弁解しておいた方が良いのかもしれない。

 

「先生、さっきはすいませんでした」

 

「さ、さっき? はは、なーにきにするな」

 

「さっきはですね、先生が急に手を伸ばしたんで驚いてしまって。先生みたいな美人と体が触れるなんて考えると、えー、その」

 

 ははは、なーに言ってんだコイツ相当気持ち悪いな。

いや実際相当自意識過剰だし、何気なく腕を掴もうとしただけの相手がこんな対応をしたら縁を切りたくなるレベルだろう。

先生の顔も赤みが増して、怒りのボルテージが上がったのが一目瞭然だ。

後1年以上もここに通わなにゃならんというのによりにもよって女性教師を敵に回すとは、俺の処世術はもう使いもんにならんらしい。

 

 だが、先生はその怒りを爆発させる事もなく俺から視線を切ると、ノックもせず教室の扉を開いた。

 中を見た感想は普通の空き教室だった。

教室の後ろ半分には机と椅子が積み上げられている所だけを見ると、使われていない備品の倉庫の一つだと思った事だろう。

しかし、それらの荷物に占領されていない教室の前半分には長机が置かれており、それと窓際に座る一人の少女がここが何かの部の部室である事を示していた。

 

 春とはいえ日が沈み始める時刻、暖かさと寒さ、明るさと暗さの交じり合う教室の中でそれらの均衡よりも尚儚いものが有った。

窓際で一人本を読む少女。それはありふれた情景の中に現れた、今まで俺が見たことのない特別なものだった。

 

 暖かな教室内に廊下から冷気が流れ込んだ。

その風が背中を撫でる感覚を、まるで彼女に引き込まれる自分の魂のように錯覚しながら、俺は我知らず入室していた。

 

 俺はあまりにも馬鹿な思考を頭を振って追い出しながら、先生の肩越しに少女が顔を上げるのを見た。

 

 来訪者が先生であることを確認した少女は手に持っていた本に栞を挟み込んでから尋ねた。

 

「平塚先生。今日はどういったご用件ですか? 入るときにはノックをして下さいとお願いした筈ですが……落ち着かない様子ですし、何か急ぎの用でしょうか?」

 

 沈みゆく陽光を浴びて少女の長い黒髪が黄金色に輝き、流れてしまった一部の髪が彼女の白く細い指によって耳に掛けられる。

その動作の合間、彼女の髪を透かすように夕陽が強く輝き、目が焼かれる。

いや俺の目が焼かれたのはきっと陽の光じゃなく彼女の美しさにだろう。

そんな事を真剣に考えてしまうほど、その少女は美しかった。

 

「あ、ああ、そういえばそうだったな。スマンスマン、次から気をつけよう。それでだな、今回はコイツを」

 そう言って先生の声が途切れた。俺は顔の前に手を翳して恐る恐る目を開いていく。窓際の少女の美しさが瞼の裏側にまで焼きついたかと思ったが、どうやらそんな事は無かったらしい。詩人か俺は。眩しさになれると徐々に教室内の風景が俺の網膜に像を結んでいった。先生が半身でこちらを振り返っている。そして少女も俺を見ているらしい。

「そちらのパッとしない方が?」

 いつまでも固まったままでいる先生を怪しんで少女が先を促すようにそう口にした。

「彼は比企谷。入部希望者だ」

 そう言うと先生は俺の顔を見るが、目を合わせるとサッと逸らされてしまった。が、自己紹介をしろという事なのだろうと解釈した俺は会釈しながら少女を正視した。

「2年F組比企谷八幡です。所で先生、入部って本気ですか」

 が、今は少女以上に俺の関心を買うものが有った。先生の発言だ。確かに予想通りの展開だし、きっとこの抵抗は無意味に終わるだろうが、それでも姿勢ぐらいは示した方が良いだろう。

「あ、ああ、君の性根を変えることは困難だろうが、ここに入れば君も人と人の繋がりに興味を持てるかもしれない。ここで勉強したまえ。ちなみに異論反論抗議質問口答えは認めない」

 先生の厚意を断るなら間違いなく今だろう。先生一人が入部を強制した所で、この学校には部への所属を強制する校則がないので、他の先生なりに訴えかければ後から俺の入部を撤回させることも可能だろうが、厚意をそういう躱し方をするのは流石に仁義に反するし、そうした手段を用いないにしろ一度でも承諾してしまえば俺が約束を一方的に反故にする事になってしまう。それは嫌だ。

 では入部した場合に俺の生活にどんな影響が有るかを考えてみよう。と思ったが、ぼっちの俺には放課後遊びに行くような用事はない。だから今ここで部活を始めたとして影響を受けるのはバイトだけだった。それも基本的には土日のフルタイムか夕方というゆるゆるのシフトだ。大した影響はないだろう。ということはあれか。断る必要ももしかしたら無いのかもしれない。

「ええ、先生の厚意に感謝します。とはいえこれに関しては無為に終わると思いますけど」

 先生は俺の言葉を冗談と受け取ったのか、先生は鼻で笑った。

「彼はなんというか一風変わった人物で、孤立している可哀想な奴なんだ。人との付き合い方を学ばせたいと思ったが、私はそこまで暇じゃないし君の方が適任だろう。そういう訳で頼めるか」

 可哀想な奴だと言われた俺はどんな顔をすれば良いんだ。が、少女の顔にも先生の冗談に対する笑みは浮かばなかった。というか先生今のは冗談ですよね。

「先生なら殴るなり蹴るなりすれば速いのでは?」

 

 え? 先生もしかして結構バイオレンスな方だったり? 

それにこの少女もそういうダーティな方法を認めないで欲しい。

特に俺が対象の時は。

 

「私だってそうしたいのは山々だが最近は五月蝿い連中が多くてな。肉体への暴力は許されていないし、こいつは厄介なメンタルの持ち主でな」

 

 いやいや俺は至って平凡な人間ですよ。それこそ地球で一番と言っても過言じゃないね。

 

「お断りします。そこの男に体を捧げるほど自分の価値を卑下した覚えは有りません」

 

 なんだろう。

思春期女子には有りがちな反応なんだろうか。

最近じゃ道を聞いただけで通報される事も珍しくないと聞くし。

少女は自分の体を抱いて俺に対する拒否感を表現した。

それはもう雄弁に。

 

「いやいやそれは無いって。だってお前のこと好きじゃないもん」

 

 反射的に口を突いて出た言葉に嘘はなかった。

うん、確かに教室に入った瞬間はちょっとメルヘン入っちゃうくらいには衝撃を受けたが、口を開いた彼女を見て、その発言を聞いてすっかり現実に引き戻された。

これが性格まで完璧な少女だったりしたら可能性感じちゃうかもしれないが、この彼女にはありえない。

 

「この通り口は減らないし嘘も吐くが」

 

 そう言って先生の体が動く、と言っても動いたのは肩から先だけで、動きもせずに触れる物といったら俺の体位のものでって。

先生の手が俺の顔に近づいた所で反射的に飛び退く。

 

「この通り肉体的接触に抵抗が有るようだからな、その辺も心配いらないだろ」

 

「いやいや先生みたいな」

 

「言うな」

 

 何故か俺の発言は先生に遮られた。何故だ。

 

「私限定だったりしないよな。いやもしも誰にでもという事だったらそれはそれで悔しいような」

 

「なるほど。つまり女性に手出しするような度胸は無いと」

 

 ブツブツと何か呟きだした先生と一人納得する少女。

ねえ待って、もしかして今ので俺チキン認定されたのかしら。

心外だ。とはいえ女性に手を出す度胸がないのは本当だ。

言い返したいが手を出す度胸が有るって犯罪チックな宣言するの躊躇われる。

結局何も言えないままで居ると少女の中で結論が出た。

 

「分かりました。先生からの依頼であれば無下には出来ませんし、承ります」

 

 さも面倒くさそうに苦渋に塗れた顔でそういう少女に、先生は満足気に微笑んだ。

 

「君なら彼をどうにか出来るだろう。よろしく頼む」

 

 そう言って先生は颯爽と教室から去ってしまった。

いや去り際にチラッとこちらを見たような気もするが、とにかくそれ以上何も言う事なく帰ってしまったのだ。

 

 先生はそれで良いだろう。

元々ここに居た少女もそれで構わない筈だ。

しかし、入部を承諾された俺はどうすれば良いんだろうか。

兎も角あれか、俺も座っていいんだろうか。

取り敢えず先住民である所の彼女にお伺いを立てよう。

 

「椅子出して座っても良いのか」

 

「そう言いながら、許可を得る前に既に動き出しているのはどういう事かしら」

 

「え? 何? もしかして椅子に座るのに許可が必要だったりするの? まあ貰えなくても座るんだけど」

 

 結局少女の許しを得るより先に、教室の後ろに積まれた中から適当な椅子を選び出して座ってしまった。

 

 そのまま長机を挟んで少女と対称的な位置取りになるように椅子を設置して腰を下ろした俺に少女が冷たい目を向けてくる。

廊下の冷気よりも冷えきったそれは初対面の相手に向けるものにしては厳しすぎるような気がしたが、もしかしたらあれか殴ったり蹴ったりとかそういう事が日常茶飯事な女の子だったりするんだろうか。

だからあの時パッとそういう手段を思いついたし、先生も俺をここに連れてきたのだろうか。

だとしたら入部を希望したのは早まった選択だったかもしれない。

見たところ少女の肢体は一般的な少女のそれよりも華奢な位だったが、こちらもただの素人だ。

マウント取られてボコボコにされたら抵抗する手立てが思い浮かばなかった。

少女の次の行動に戦々恐々としている俺を尻目に少女はため息を一つ吐いた。

 

「はあ、そういう事ね」

 

 そういう事ってどういう事と尋ねるのは簡単だったが、その場合結果として殴ったり蹴ったりなんて事が有るのかもと思うと別の言葉を選ばざるを得ない。適当にお茶を濁そう。

そしてこの少女の安全度を測ろう。

 

「所でここって何部なんですかね?」

 

 話しかけられた少女は不快な気持ちになったのだろう。

隠しもせずにそれを表情に浮かべた。なんだろうこれって彼女なりの攻撃だったり?

そう考えると話しかけにくくなるのでこれは攻防一体の一手となり、殴ったり蹴ったりされるんだろうか。

 

「何故そう及び腰になるのかしら。別に手を出したりしないわ。少なくとも何もされない限りはね。それとここが何部か、ね。……そうね、ゲームをしましょう」

 

「それに負けると殴られたりとか」

 

「しないわよ。しつこいわ。それともそうして欲しいという振りなのかしら」

 

「違います」

 

「それなら余計な事は言わず、ここが何部か当ててみなさい」

 

 唐突に少女に提案されたゲーム。或いは唐突にゲームを提案する少女。

どちらも胡散臭いというか意味不明すぎる。

しかも俺を見る少女の放つ雰囲気が真剣すぎる。

何これ入部歓迎の恒例行事とかじゃなくて闇のゲームか何かなの。

それともやっぱり間違えたら殴られるのか。

 

 と下らない事はおいておこう。

 

「分からん」

 

「あら、あっさりと試合放棄かしら」

 

「いや、そうじゃない。……とも言えないな、考えた結果あっさりと試合放棄だ。まず見た感じここが運動部だという事はないだろう。道具が無い。それで行くと道具を必要とするような部活も無い。理科クラブみたいな部だったら部室も理科室辺りになるだろうからその辺もない。軽音楽、吹奏楽共に場所が違う。書道部だとしても作品がないし美術部でもない。文芸部にしては本が無造作に置かれているだけというのはおかしい、よって文芸部もなし。カードゲーム、ボードゲームの類という可能性。しかしこれらは一人では出来ない、部活が始まっているこの時間に部室に一人きりという事は他に部員が居る可能性も低いのでこれも除外。うちにはUFO呼んだりするような部はなかった筈だからここまで当たりがないならもうお手上げだ」

 

 注意深く生活している人間なら、昨年度末の生徒集会で報告された収支報告か何かから、うちの高校に存在する部をリストアップして照会していけるのかもしれないが、そこまで高性能な頭脳は持っていない。

これだけ可能性を列挙できるだけでも俺にしては頑張った方だろう。

そもそも部活に興味が無かった俺は、この高校にどんな部活が存在するのかも殆ど把握してないから。

 

 答えを待つ俺に少女は意外な物を見たというような顔をしてこう告げた。

 

「そうね、それならヒントを出しましょう」

 

 その言葉には残念だと思っているような響きが混じっていて、その真意は分からないまでもどうやら俺は彼女のお眼鏡には叶わなかったらしい事が伺えた。

そして少女はこう続けた。

 

「私がここでこうしていることが活動内容だというのが最大のヒントよ」

 

 勝手にゲームの続行を決め、挑発的な笑顔を浮かべる少女を見る。

これが少女の優しさだというなら、この少女相当にイイ性格をしている。

まどろっこしいやり取りはスルーしてさっさと正解を聞きたいというのが正直な俺の気持ちだが、もしもこれに付き合わなかったら……といい加減しつこいか。

 

 あー、ここでこうしている事が活動内容ね。

つまり今も活動中って事だ。

しかしただ居るだけで活動になるような部活とは。

美術部のデッサンモデル用のモデル部なんて事はないだろうし、他にただ居るだけで仕事になるというのはどういう部活が有るだろうか。

 

むー、と唸りながら少女を観察する。

少女の格好は極普通にうちの高校指定の制服だ。

それを着崩したりせず普通に着ている。

特徴的な装身具を身につけていたりはしない。

と言うよりこの少女を表現する上で最も特徴的なのはやはりその美しさに他ならないのだ。

 

 確かに美少女は存在しているだけで仕事をしているといっても過言ではないだろう。

どこかの神様は美少女は神の創りたもうた芸術品とも言っていたしな。

存在するという、ただそれだけの行いで時に国を滅ぼすのが美女・美少女だ。

では、それが仕事となるような部活とは?

 

「駄目だ、卑猥な妄想しか出てこないな。正解を教えてくれ」

 

「良識を疑う発言ね。セクハラで訴えられたいのかしら」

 

「可愛いというただそれだけで仕事になるというのは分かる。でもそれが部活になるっていうのは」

 

「……人の話を聞く気がないのね。比企谷くん。女子と話したのは何年ぶり?」

 

 それが俺の求める答えと一体何の関連が有るというのだろう。

というか二度も答えを求める俺にまだ答えていない辺り、少女も俺の話を聞いていない。

泥沼の言い合いを始めてもいいが、一先ず少女の質問に答えよう。

 

「昨日ぶりだな。消しゴムを拾ったら礼を言われた」

 

 後は落っことした小銭を拾うのを手伝ったり、移動教室を知らずにギリギリに教室に戻ってきた女子に移動先を教えたりとかそんなんだ。

一昨日は財布も拾ったか。

 

「そういうのは会話と言わないわ」

 

「じゃあこれも会話じゃないだろ。持続性の話をしてるなら、あー、そうだな1週間前に映画の話を聞いた覚えが有るな」

 

「もういいわ。持つものが持たざるものに慈悲の心をもってこれを与える。人はそれをボランティアと呼ぶの。途上国にはODAを、ホームレスには炊き出しを、モテない男子には女子との会話を。困っている人に救いの手を差し伸べる。それがこの部の活動よ」

 

「なるほど、ボランティア部ね。それは良いし俺がモテないというのは否定しないんだけど、別にお前と話したくないな」

 

「なんですって?」

 

「いや別に女の子と話すために生まれてきた訳じゃないからさ、そうしなければならない理由もないし、現時点で特別そういう欲求もないんだ。だから与えて貰わなくて結構だと言ってるんだけど」

 

 俺の発言に耳を疑うと言わんばかりの反応を見せる少女。目が釣り上がり、口調も鋭くなっている。

少女は立ち上がり、俺を見下ろした。

 

「先生には後で文句を言わなくてはならないわね。貴方の様な人間は一風変わっているとは言わないわ」

 

「俺の事はどうでもいいから早くこの部について教えてくれ」

 

「……いいわ、この部は奉仕部よ。平塚先生曰く、優れた人間は憐れな者を救う義務が有る、のだそうよ。頼まれた以上、責任は果たすわ。貴方の問題を矯正してあげる。感謝なさい」

 

 きっとこちらを睨みつけ少女は説明してくれた。

特に憐れなという言葉は強く恐らく俺の事を憐れな存在だと主張したいのだろう。

見下ろした彼我の位置関係といい、腕を組む姿勢といい実に偉そうな少女である。

しかし初対面だというのにエラく見下されたものだ。そんなにこの少女凄い子なんだろうか。

 

「俺に問題なんてないだろ。先生には友達を作れと言われてここに来たけど、それだって問題とは思わない。最低限のコミュニケーションは取れてるんだし」

 

「私はそうは思わないわね。貴方のコミュニケーション能力には重大な欠陥が有る」

 

「自己紹介もしてくれない相手にコミュニケーション能力について説かれる日が来るなんてな。これは審判の日も近いかも」

 

「……チッ、私は雪ノ下雪乃。2年J組」

 

 自分に非が有ることを認めてくれたのか、雪ノ下さんは名前を名乗ってくれた。直前の舌打ちのような音はきっと俺の気のせいだろう。

 

「俺は2年F組比企谷八幡。改めてよろしくお願いします」

 

 雪ノ下さんが立っているのに座ったまま自己紹介するのもなんなので、立ち上がって雪ノ下と目を合わせる。

軽く会釈もする。

というか散々アレな態度にムカついて負けじとアレな態度を取ってしまったが、良かった同学年だった。

 

「本当に変な人。調子が崩れるわ。貴方に友達が居ないというのも得心が行くというものね」

 

「いや、別に友達が居ない訳じゃないんだぞ。俺の携帯電話には中学時代の友人のアドレスも登録されている。ただ、高校に入ってから一度も連絡を取っていないだけで」

 

「呆れるわね、そういうのは友達とは言わないわ」

 

「先生もそう言ってたけど、連絡を取り合っていない期間なんてそんなに重要か?」

 

「少なくとも普通の友人ならそれなりに連絡を取り合うものよ」

 

 雪ノ下さんの言い分にも一理ある。

 

「じゃあ、それでいいや。俺には友人が一人もいない」

 

 俺がそういうと雪ノ下さん、いやもうなんか腹経つので雪ノ下と呼び捨てることにしよう。

その雪ノ下は勝ち誇ったような表情を浮かべた。

 

「私が見たところだと、貴方が独りぼっちなのはその腐った感性が原因のようね。まずは居た堪れない立場の貴方に居場所を作ってあげましょう。知ってる? 居場所があるだけで、星となって燃え尽きるような悲惨な最後を迎えずに済むのよ」

 

 しかしこの雪ノ下、いやに当たりがキツイ。

もしかしてこれはマウンティングと呼ばれる行動の一貫なのだろうか。

個体間の優位性を誇示する為に行われるというあれが、今俺に対して行われているのか。

しかし、現時点で部室に一人の、いや俺含め二人にはなったけれど、俺が来なければ一人だったコイツも友達が居るふうには見えない。

 

「後半は何かの引用か? でも結構だ。別に俺居た堪れない思いはしてないからな。むしろ余りにも自信満々に振る舞いすぎて他のやつに居た堪れない思いさせてるまで有る」

 

「……そのようね。ちなみに『よだかの星』という作品からの引用よ。宮沢賢治位教養の一つとして読んでおきなさい」

 

 ぐぅの音も出ない正論。という訳ではないが、確かに彼女の言ったことが本当なら教養として読んでおくべきかもしれない。

宮沢賢治と言えば有名な作家でもあるし。

 

「後で図書室なりで借りていきますかね。ちなみにそのよだかの星ってのは短編の名前か? それとも本のタイトル?」

 

「……銀河鉄道の夜の新編か宮沢賢治の全集には収録されていると思うわ。……意外だわ」

 

 手を口元に当てて、雪ノ下がぼそりと呟く。

 

「何がだ?」

 

「普通ならあんな風に言われたら腹の一つも立てるものだわ。でも、貴方は」

 

「そんな変でもないだろ。宮沢賢治の雨ニモマケズって言ったら教科書に載ってる位だし、銀河鉄道の夜もかなりの名作だって言われてる。読んどいて損は無さそうだし、ちょっと興味が惹かれただけだよ。ただ読んでみない事には分からないけど、星となって燃え尽きる事が悲惨な最後だとは思えないけどな」

 

「まあそうね。確かによだかの容姿は貴方と共通するものが有るかも」

 

「どんな風に?」

 

「……真実は時に人を傷つけるわ。私の口からはそれだけ」

 

「なんだ俺が不細工だって? まあ、それはその通りだな」

 

「本当どこまでも変な人」

 

「雪ノ下の顔の造形を目にするとお世辞にも整ってるとは言えないだろ。いや、誇張なしにお前滅茶苦茶可愛いから比較対象としてはおかしいかもしれないが。」

 

「反抗的な態度を取ったら次はご機嫌取り?」

 

 またしても雪ノ下が厳しい表情をしている。

さっきから会話のラリーが続く度、種類の差はあれど雪ノ下の表情がマイナス方面で遷移している。

俺は地雷原でタップダンスでもしてるのか。

 

「見たままを言ってるだけだろ。それに褒めるのが気に食わないっていうならお前の性格について言及しようか」

 

「慈悲深い私を褒め称えるだけに終わりそうだからいいわ」

 

 雪ノ下の尺度で言えば、ここでそれを態々否定しない俺の性格もいい加減慈悲深いとか言われてもおかしくない。

ていうかこの女本当スゴイ性格してるわ。

 

「これで、人との会話シュミレーションは完了ね。私のような女の子と会話が出来たら大抵の人間とは会話できるはずよ」

 

 満足そうに達成感を漂わせながら雪ノ下が言う。

突っ込み待ちか。

それとも私のような可愛い女の子と話せて幸せねという意思表示なのか。

 

「これからは素敵な思い出を胸に一人でも強く生きていけるわね」

 

「一生分にはちと足りん。せめてもう少し話させてくれ」

 

「貴方はそんな我儘が言える立場だと思っているのかしら」

 

「誰にだって意見を主張する権利は有る。単にそれが抑圧されるのが当たり前というだけで」

 

「それすら無いのが貴方だという事を心得なさい」

 

 もうなんだろう、嗜虐的な笑顔を浮かべる雪ノ下を見ていると反撃せずにはいられない気持ちになってくる。

これが負けん気というものか。おお初めまして俺の負けん気君。

とか余計な事を考えていないと口を閉じていられない。

 

 これからの部活動に激しく不安を俺が覚え始めた頃だった。前触れ無くドアが荒々しく開かれた。

 

 扉を開いて現れたのは先程消えた平塚先生だった。

先程と同じようにノックについて咎める雪ノ下をあっさり交わすと、先生は雪ノ下に微笑みかけた。

 

「仲良くやっているようで安心した」

 

 眼球でも腐っているんじゃないですか。そう俺が思ったのは当然だろう。

てかこの人廊下で会話を盗み聞きでもしてたのか。

 

「その調子で比企谷の更生に努めてくれたまえ。では、私はこれで戻る」

 

「待ってください。俺ってここに友達作りに来たんじゃなくて、更生に来たことになってるんですか」

 

「お、なんだ友達作りには乗り気になったのか。流石雪ノ下だな。仕事が速い」

 

「それほどでも」

 

「何自分の手柄みたいに頷いてんだ雪ノ下。違いますよ、先生。俺の何処に更生しなきゃいけない所が有るっていうんです」

 

 この教室内で見ても俺より明らかに雪ノ下の方が人格的に問題が有る。

審査員が入れば顔と体で評価は逆転するだろうが、性格単体でみたら誰の目にも明らかな筈だ。

ところがその性格に問題を抱えた雪ノ下さんはそんな事実に気がつかない様子で。

 

「まだそんな事を言っているの? 貴方は変わらないと社会的に不味いレベルよ?」

 

 と仰った。不味い。

何が不味いってコイツが本気でそう思っているだろう事と、ココにはもう一人そう思っていそうな人がいるという事だ。

味方が居ない。

 

「傍から見れば貴方の人間性は余人に比べて著しく劣っていると思うのだけれど。そんな自分を変えたいと思わないの? 向上心が皆無なのかしら」

 

「向上心は皆無だし、他人に押し付けられた変化なんて御免だ。てか俺が劣っているのは人間性じゃなくて社会性だ。それに俺に社会性を身につけさせることが果たして本当に向上か? そんな事が必要なのか?」

 

「自分を客観視した事がないのね」

 

「自分を客観視なんてする必要があるのか? そもそもお前の言う客観は本当に客観か? 何処まで行った所で人間が真の客観性を手に入れることなんて出来ない。だってそれを解釈する主体が主観なんだから。そもそもお前は客観に変われと言われれば変わるのか? どんなにお前の主観がそれを拒否しても客観を受け入れる理由なんてものが有るのか?」

 

「でもそれじゃあ苦しい現状は変わらない。そんなもの逃げてるだけじゃない」

 

「逃げてなんか不味い事が有るのか? 世間様なんて別に俺に何の関心も持ってないんだ、好きにさせてもらうさ。それに苦しい現状を変える為にすべき事は自分が変わる事だけじゃない。現状を変えてやりゃ良いんだ。なんだったらその1手段として逃げるってのも十分に有りだろ」

 

「それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」

 

「そういうのは悩みを持った奴に言ってやってくれ。俺は救いなんて求めてないんだ。少なくとも今は。それに逃げれば逃げた当人位は救われる」

 

いつの間にか俺と雪ノ下のやり取りは怒鳴り合い一歩手前みたいなボリュームになっていた。

お互いにお互いを睨み合い一歩も譲る姿勢を見せない。

どうしてこんな事になってるんだ。

俺はもう何について話してたのかも分かりません。

 

 雪ノ下は兎も角、俺はそうやって身動きが取れなくなって硬直状態に陥った二人の間に白い壁が立ちはだかった。

 

「二人共落ち着き給え」

 

 先生は俺と雪ノ下の顔を見比べてニヤニヤと実に面白そうな顔をしていた。

 

「互いの意見がぶつかった時は勝負で決するのが少年漫画の習わしだ。君たちはこれからここに来る悩める子羊たちを導いてお互いの正しさを証明し給え」

 

 勝者には相手への絶対命令権付きなと俺達を煽る先生。

 

「別に意見がぶつかった訳じゃないでしょ。俺は困ってないのに、コイツが俺は困っていると言ってるから俺は否定してただけです。てか別にコイツにして欲しい事なんか一つも有りません。少なくともこんな勘違い女には」

 

 瞬間雪ノ下が憤怒の表情を見せる。

髪が心なしか逆立ち肩が震えている。

拳はぎゅっと力強く握りしめられており、俺は雪ノ下が暴力主義者だった事を思い出した。

 

「先生、私は乗ります。そしてこの腐れ男に自分がどれだけ変革を必要としているのか自覚させてみせます」

 

「お、おう」

 

 雪ノ下の苛烈な怒気に、あんなに盛り上がっていた先生すらちょっと引き気味だった。良かった俺と雪ノ下の間に先生が立っていて。正面から直視していたら漏らしてたかも。

 

「決まりだな」

 

 ここに来てから無視されっぱなしの俺の意見が届くはずもなく、先生は先生は勝負の開始を宣言した。

 

「勝負の裁定は私が下す。基準はもちろん私の独断と偏見だ。あまり意識せず、適当に……適切に妥当に頑張り給え」

 


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