目が腐ったボーダー隊員 ー改稿版ー   作:職業病

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遅くなってしまい申し訳ありません。年始は色々と忙しく今回の話はかなり難産でした。
今回、あまりワールドトリガーっぽくありません。どちらかといえば東京喰種寄りです。サッサンメインで書くとどうしてもこうなってしまいますが、ご了承ください……。


75話です。





75話 夢

「おはよう、琲世」

 

そう言って笑う母親の顔を、自分はどんな顔をしてみているのだろう。息が止まってなにも考えられない。

あの日失ったものを急に目の前に突きつけられ、琲世の思考は完全に止まった。

 

「か、あさん」

「どしたの?ほら、早く朝ごはん食べちゃいなさい」

 

そう言われてなにも考えられない頭で席につき、目の前の朝食に手をつける。

 

久々の母親の朝食の味を噛みしめ、どこからともなく涙が溢れてきた。

 

そんな琲世をみて母親……佐々木世良はぎょっとする。

 

「ちょ、どしたの琲世!なんか異物混入してた⁈」

 

そう言われて初めて自分が涙を流していることに気づく。

 

「あ、あれ?これ……」

「ほら」

 

貴将が差し出してきたティッシュを受け取りながらも、涙は止めどなく溢れてくる。

 

「ごめん、ごめん母さん」

「どうしたの?なにかあった?」

「……なにも、なにも無いんだよ。本当に。ただ……」

 

 

 

 

「ただ、ちょっと夢見が悪かっただけなんだ」

 

 

 

 

涙でぼやけた視界の端に花瓶に活けられた五本の白いカーネーションが映った。

そのカーネーションの花びらが一枚、床に落ちた。

 

 

ーーー

 

 

「…………」

 

身支度を済ませて家を出る。

 

「さっきは、びっくりしたなぁ」

 

『こちら』では多分、母さんが生きている時間軸なのだろう。時間軸って言い方は変な感じするけど、多分そういうことだ。

つまり、『こちら』はネイバーが攻めて来なかったということなのだろう。その証拠に、見慣れたボーダー本部の巨大な建物はない。警戒区域となった場所も『こちら』では普通に人々が過ごしている。

 

「……平和な世界、なのかな」

 

多分そうなのだろう。

僕が戦っていた三門市が平和ではなかったわけではないだろうが、だがあくまであれはみんな慣れてしまっただけであり、日常的に戦闘が起きている場所が平和とは言い難い。

 

「おーい佐々木ー!」

 

呼ばれた方を見ると、親友永近英良が自転車に乗りながら手を振っていた。

 

「ヒデ」

「わりー!ちょっと遅れた!」

「大丈夫、僕も少しだけ遅れたからね。まだ時間あるよ」

「お前も?珍しいな」

「かもね」

 

不思議そうな顔でヒデが見てくるが、説明したところで厨二病を疑われるだけだから説明する気は無い。

なにより僕自身が状況を理解できていない。

 

「珍しいこともあるもんだな。明日は雪か?」

「僕だって少し寝坊する時くらいあるよ」

 

そう言いながら自転車に跨る。

 

 

冷えた空気は、どこか寂しげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

二限の授業も終わり、ヒデと共に学食を訪れる。昼休みということもあり人でごった返していた。

 

「今日一段と混んでるな〜」

「今日は少し寒いからね。暖かいものが食べたいのかも」

 

そう話しながら席を探していると、たまたま男女のペアが二人席のテーブルから立つのが見えた。

 

「お、あそこ空いたな」

「取られる前に行こうか」

 

そちらに向かうと席を立った男女のペアとすれ違う。

整った顔立ちである二人とも見覚えのある顔だったが、こちらには見向きもしなかった。

 

「今の……」

「あれ?お前あの二人見たことねーの?」

「え、あ」

「まーお前、友人以外あんま覚えないもんな」

「そう、かも?」

「あの二人は学内で有名だよ。美男美女だからな。二宮匡貴さんと加古望さんだよ」

 

二宮と加古。

ボーダーで共に切磋琢磨した二人を忘れるはずもない。

だが二人はこちらを見ることはしたが、まるで知らない人かのように振る舞った。

 

いや、『こちら』では二人は自分の知り合いではないのだろう。

 

「よく一緒にいるから付き合ってるのかと思ってたけど、どうやら違うらしいぜ」

「そうなの?」

「ああ。二人とも否定したらしい」

 

あの二人が付き合うのは正直あまり想像できない。ライバル的な立ち位置にはなるだろうが、そういう関係にはあまり向いて無さそうだ。いいとこ腐れ縁だろう。

 

「お、今日は有名人多いな」

 

そう言うヒデの顔の方向を見ると、そこには自分にとって少ない親友がいた。

 

「嵐山くん」

「ん?お前知り合いだったのか?」

「え?」

「いや、お前知り合いじゃなきゃ君付けで名前呼ばねーからさ」

 

目が見開くのがわかる。

『あちら』では自分は嵐山と親友であり、ヒデも嵐山と友人である。そんな彼が友人である嵐山が『知り合い?』と聞いてくるのは、なんだか胸が痛んだ。

 

「……ううん。でも、仲良くできそうとは思うよ」

「へへ、それは俺も思った!」

 

嬉しそうに笑うヒデを横目に、多くの人間に囲まれた親友『ではない』嵐山を見つめた。

 

(……ここは、四年前ネイバーが攻めて来なかった時の世界線。僕は夢なのかもしれないけどその世界線に迷い込んだ感じかな)

 

きっとあの子なら『なんすかそのラノベみたいな設定』って死んだ目をしながら言うだろう。そしてネイバーが攻めて来なかった以上、自分はあの少年と出会ってはいない。彼は彼でこの世界に生きているのだろうが、どうも気になってしまう。

 

そこでふと2人の顔が浮かぶ。腐った目をした少年と、快活に笑う少女。2人は無事なのだろうか。目の前のことで手一杯で2人の安否を確認する余裕はなかった。

 

「…………」

「佐々木?」

「……いや、なんでもないよ」

「?」

 

きっと2人は無事だろう。少なくとも特攻を仕掛ける時、比企谷は無事だったのだ。横山の方は連絡がつかなかったため無事かどうかわからないが、彼女もきっと無事だろう。

 

「…………」

 

まるでそう言い聞かせているみたいだと内心で自嘲する。

 

わかっている、もう死んだ自分が気にすることではないと。

 

 

わかっている。

 

 

 

 

琲世の背後で白いカーネーションの花びらがまた一枚落ちた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

目が覚めると、知ってる天井だった。

 

「…………寝過ぎた」

 

壁にかかっている時計を見ると既に十時を回っていた。昨日の今日とはいえ、さすがに寝過ぎだろう。

 

「ふぅ……」

 

昨晩、迅さんの話を聞いた後すぐに医務室に戻り布団に入ったが、迅さんの言葉が頭の中でぐるぐるしていたせいでなかなか眠れなかった。あの言葉を聞いて俺はなにも言えなかった。なにかを言えば良かったのか、それとも黙ったままが正解だったのかはわからない。

 

「…………」

 

結局、答えは出ない。俺のサイドエフェクトはこういうことには全く働いてくれない。

 

「どーせなら、こういう時にも役立ってくれよ」

 

そう呟いて俺はベッドを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お」

「あ」

 

マックスコーヒーを買いにラウンジまで行くと、出水がいた。

 

「よ。もう起きていいのか?」

「寝たきりの絶対安静してなきゃいけないほど重傷じゃねーよ」

「それもそうか。ほれ」

 

そう言いながら出水は缶を投げてくる。片手でそれをキャッチして見ると、それはマックスコーヒーだった。

 

「それだろ?」

「……おう」

「いつも飲んでるもんな、それ」

 

笑いながら出水は自販機からオレンジジュースを取り出す。

俺がラウンジの一人用ソファーに座ると、出水はその対面にあるソファーに座った。

 

「どーよ、怪我の調子は」

「ちっと痛むが、まぁ昨日よりはいい」

「そうか」

「終わったのか?」

「ああ。昨日からもうトリオン兵の追加はねーよ。まだあちらの軌道が離れるまで数日あるから油断はできねーけどな」

「…被害は?」

 

出水は一口オレンジジュースを飲むと、先程よりも真剣な声で答えた。

 

「お前も多少は聞いたと思うが、オレらの被害は、まぁ通信室のオペレーターが数名亡くなった。重傷者も結構いたが、横山が引き付けてなかったら確実にその重傷者も死んでただろうな」

 

その事実は聞いた。聞いたが……それを俺は喜べない。あいつが身体を張ったおかげで生き残れた人がいる。でも、あいつが傷ついたことに俺は……

 

「あと、C級が何人か連れて行かれた。新型にやられたのはあんまいないらしいが、やっぱあのワクワク動物野郎のトリガーにやられたんだろうな」

「だろうな……多分キューブになったのをワープ女が回収したんだろうな」

「ああ。ありゃどうしよもねーわ」

 

ムカつくけどなー、と言って出水は空を仰いだ。実際、俺らはどうすることもできなかった。あのワープ女がこちらを落とすつもりで来ていたら、多分被害は今と比べものにならなかっただろう。

 

「あ、でも民間人の被害はゼロだってな。家やられた人とかはいるけど死人は出なかったらしいぞ」

「ほう」

「迅さんのおかげだなこりゃ」

 

迅さんのおかげ。その通りだろう。これだけ被害を小さくできたのは迅さんが予め敵が来ることを予知していたから対策がある程度取れた。

だがその裏で迅さんがどんな思いをしていたか。それを考えると素直にそうだなとは言えない。

 

「……ああ」

「? なんだよ」

「いや、なんも。んで、被害はそんなもんか?」

「……まぁいいや。そうだな、オレが知ってるのはそんくらい」

「そうか、サンキュ」

 

どうやら真新しい情報は無いようだ。

 

「お前が知ってる情報だけだったか?」

「ん、勘がいいな。まぁ家屋の被害くらいかな、詳しく知らなかったのは」

「そうだな。あとは……オレらに与えられる戦功くらいか?」

「ああ、くれるんだな」

「何級かは知らねーけどなにかしらくれるだろ。特にお前らはな」

 

戦功、ね。まぁあんだけ頑張ればくれるだろ。というかこれでボーナス無しなら俺泣きながら辞めるぞ。

 

「さすがに今日は学校も休みだってな」

「そうだろ。学校自体に被害は無くとも生徒はそうもいかない」

 

事実、俺がそうだ。被害に遭いまくってる。これで学校に来いとか言われたら訴訟も辞さない。

 

「今は救出作業も大体済んだみたいだ。瓦礫の撤去とか復興にはしばらくかかるだろうがな」

「……ま、そんなもんだろう。むしろこちらとしては民間人に被害がなくて良かった」

「だな。C級がやられてるのに加えて民間人もとなると、ボーダーの防衛力が疑われちまう」

 

それはひいては俺達隊員の腕が疑われるのと同義だ。結構しんどい思いをして、その挙句バッシングとか心折れる。

 

新たな被害が発見されないことを祈っていると、出水が真剣な顔をして言葉を発してきた。

 

「サッサンは?」

「……とりあえず、昨日見てきた。一応一命は取り留めた」

「……その様子だと、なんかあるな?」

「察しがいいな。佐々木さんは左腕を無くしてその出血で意識不明の重体だ。場合によっては、一生目覚めないらしい」

「…………」

「横山は左目をやられた。手術はするが……どうだろうな」

 

眼球というのはとても繊細な器官だ。つまり一度傷ついてしまったら、もう元に戻らない可能性の方が高い。

 

横山の傷は眼球に達していた。つまり……

 

「……失明か」

「多分、な」

 

恐らく、あの目は元には戻らない。多少マシになることはあっても完全に治ることは、多分ない。

 

「お前、大丈夫か?」

「あ?」

「言葉の通りだ」

「……大丈夫だって。なんなら今からランク戦あっても大丈夫なレベル」

「そういうとこだって」

 

…………。

 

「ソロランクできるならやっても良かったが、今のお前と撃ち合っても楽しくなさそうだ」

「……ほっとけ」

 

実際その通りだろうよ。

 

「せっかくの休みだ。ちゃんと休んでおこうぜ」

「……ん」

「あんま抱え込むなよ。お前もサッサンもすぐに一人で抱え込むから」

「……あの人ほどじゃねーよ」

 

多分。

 

「いーや、お前も大概だぞ」

 

解せぬ。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

「うむ、とりあえずは問題無さそうだな」

「肋骨が痛む程度ですけど、日常生活は多分問題無さそうです」

 

本部長室で忍田本部長と対面しながら出されたお茶をすする。

今は帰宅許可のお願いに来ている。本当ならだめなんだろうけど、俺は佐々木さんや横山とは違い入院するほどの怪我ではない。昨日はめっちゃ疲れてたし経過観察の意味でも帰れないのは仕方ないと思っていたが今日は帰りたい。小町が心配する。受験前に下手な心配をこれ以上かけたくない。

 

「少しの間通院が必要だろうが、その病院はこちらで話をつけておく。費用もこちら持ちだ」

「助かります」

 

これで下手に金取られたらたまったものではない。

 

「君の……いや、君達のおかげで被害を少なくすることができた。礼を言う。ありがとう、よく戦ってくれた」

「…………」

 

裏などない純粋なお礼だというのに素直に受け取ることができない今の自分に少しだけ嫌気が差す。

 

「……疲弊しているところすまない。君に少し聞きたいことがある」

 

本部長の真剣な声にわずかに身が強張る。聞きたいこと?心当たりが多すぎて絞れない。

 

「知っての通り指令室では全トリガー発動中の隊員の居場所がわかる。しかし、あるとき急に君の反応が消えた。そして消えたと思ったら全く違う場所に出現した。そうだな?」

「……はい」

「……この時、君は『なにを見た』」

 

なにを見た、か。 

本部長の聞きたいことは恐らく旧多のことだろう。正確には旧多と名乗っていた誰か、だが。

 

「……人型ネイバーと交戦してました。ベイルアウト封じや通信ジャマーはそいつが作ったらしいです」

「なんだと?」

「俺はそいつのすぐそばにいた。だから、レーダーからも消えたんじゃないですかね」

 

ベイルアウト封じは一部地域であったが、通信阻害はそいつの側でないとなかった。通信阻害とレーダージャマーがセットだと考えれば一応納得はできる。開発者がそのジャマーを持って使っていてもおかしくはないしな。

 

「そうか……君があの時消えたのは」

「まぁ、そのジャマーじゃないですかね。しばらく戦ってましたけど」

「ん……?しばらく戦っていたのはこちらでも確認している」

「え?」

「我々は君がなにかと戦っているのは確認している。だがその後、君は突然消えてそして違う場所から反応が出てきた。この時、君はなにをされ、なにを見た」

 

……あの黒いどろどろに飲み込まれた時か。確かにしばらく沈んでから急に空中に放り出されたからその間なにがあったのか気になったのだろう。

 

「……民間人を操ってた黒いどろどろに飲み込まれました。そんでしばらく沈んでいたら急に空中に放り出されて……」

「空間を飛ばされた、ということか」

「はい」

 

あの飛ばされている間の沈む感覚はもう味わいたくない。沈むのが終わらないとか地味に怖いし。スリープモードに移行してもそのまま生命維持がどれくらいできるかもわからないしトリオンを使っても溶けて消えた。あの空間から脱出するのは恐らくあのワープ女のような能力でなければ無理だろう。

 

「あのワープ女ほど好き勝手に移動できるものでは無さそうっすけど、でもあいつ……旧多のトリガーは、理屈さえわかればなんでもできるみたいな万能トリガーでした」

「旧多……?」

 

ああ、そういえばまだ旧多の名前出したことなかったっけ。

 

「旧多ニムラってそいつは名乗ってました。多分、こっちの名前を勝手に騙っているだけだと思いますけど」

「旧多ニムラ……?」

 

なんだ?

 

「え?」

「……いや、続けてくれ」

「はぁ……」

 

なんか思い当たる節でもあんのか?

 

「そいつはサイドエフェクト持ちでした」

「やはりネイバーの中にもサイドエフェクトを持つ者がいたか。どんな能力だ?」

「……俺と同じっす」

「なに?」

「俺と同じ、超直感です」

 

本部長は絶句した。そりゃそうだろう。サイドエフェクトってだけでかなり限られた人数なのにそれで俺みたいな希少な能力なら尚更だ。

 

「……君と、全く同じ能力だというのか」

「んー……全く同じではないです」

「む?」

「まず熟練度が違う。向こうは超直感を完全に(・・・)使いこなしていました。俺は、拾えるものと拾えないものがある」

「なるほど」

「あと、向き不向きが違いました」

「向き不向き?」

 

 

ーーー

 

 

「……なるほど、才能の違いか」

 

人それぞれ得意なものが違うように、同じ才能の中でもさらに向き不向きが異なる。サイドエフェクトもまた同じということ。

 

「……まさかそんな解釈があるとはな」

「その視点は俺も無かったです」

「いや、我々も知り得なかったことだ。だがその知識はきっと役に立つ」

 

そうだろう。サイドエフェクトは元の人数の少なさゆえに研究も進んでいない。だから少ない知識でも役に立つものだ。

 

「まぁ、そいつとやり合って最後は飲み込まれて放り出されたって感じです」

「そうか、ありがとう」

 

そういうと本部長は表情を険しくしてこちらを見た。

 

「……それで、そのトリガー使いは『旧多ニムラ』と名乗っていたのだな?」

「え、あ、はい」

「……そうか」

 

え、なに?なんかやばいこと言った俺。

 

「知っての通り、私は旧ボーダーにも所属していた。だから過去にこの三門市で起きたネイバーに関する事件……いや、関すると思われる事件は大体把握していた」

 

あ、やっぱそういうのあるんだな。

 

「私は、あまり技術の方では役に立たないからそのような事件を調べて抜粋し、調査したりすることもあった。そこで私が調査した事件の中で行方不明になった少年がいた」

 

……おい、待て。この話の流れはまずい。絶対にまずい気がする。聞いてはならない。本能がそう告げる。

 

「その少年の名は」

 

 

 

 

「旧多二福」

 

 

 

 

ああ、くそ。なんでこういう時はしっかり予感を感じ取るんだ。もっとなかったのか。

 

 

素質はあったんだろうけど、もともと平和な世界にいた人間があそこまで残虐に、狡猾になれるなんて俺は知りたくなかった。

 

 

 

 

 

 

帰宅許可が下りたので荷物を纏めて本部を後にする。街は警戒区域付近は結構やられていてボロボロになっているとこが多く見えた。四年前の一次侵攻の方が被害は多かったのだろうが、それでも見慣れるような景色ではない。

 

警邏区域内はかなりボロボロになっているところばかりだが、あそこはもう人が住むことをやめた地区だ。やめた……やめさせられたの間違いか。

 

「…………」

 

今、かつて住んでいたあの家がどうなっているのかはわからない。昨日でもう跡形もない可能性だって大いにある。もしそうだとしたら、少し悲しい。自らに縁のある場所が無くなる……特にそれが生まれ育った場所だとするなら余計くるものがある。

 

「ま、ここで感傷に浸ってる場合じゃねぇか」

 

スマホには通知か一件あった。

 

 

『玲さんの家にいるよ〜』

 

 

「……はいはい」

 

いつも通りの口調に安心しながらスマホをポケットに放り込み、目的地へと足を進めた。

 

 

ーーー

 

 

「……やっぱすげぇな」

 

目の前の家に少しだけ感心する。俺が元々住んでいた家は普通の一軒家だったが、少し広めだったため両親がそこそこ稼いでいたことが容易に想像できる。

しかし目の前の那須亭はそれをもうワンランク上であることが見た目からわかる。入ったことはあんまり無いが、中も相当綺麗だった。

インターホンを鳴らすと、母親らしき人の声が聞こえて来る。

 

『はい。どちら様?』

「……あ、小町の兄です」

『あー小町ちゃんの!話は聞いてるわ。少し上がっていって』

 

……慣れん。女子の家に行くとか何回やっても慣れる気がしねぇ。未だに綾辻の家に行くのとかちょっと躊躇するし。しかもそれがいいとこに住んでる那須ならば余計にそうなる。お気軽に上がっていってとかできれば言わないで欲しい。緊張しちゃうから!

 

「いらっしゃい。昨日は大変だったわね」

「……ども。お世話になります」

「いいのよ。小町ちゃん、すごくいい子だし玲も喜んでくれてるもの」

 

那須の母親に案内されてリビングに通される。綺麗に整頓されていて清潔感に溢れていた。なにより人がいつもいる空気。少し、羨ましい。

 

「あ、お兄ちゃん。おつー」

 

リビングの奥にある台所には小町がいた。いつも通りのテンションに少し拍子抜けするが、本来それがいいことを思い出す。

 

「おう。昨日は悪かった、急に」

「いーのいーの。ここがそーいうとこなのは小町もしーっかりわかってるから」

「……ああ」

「いらっしゃい、比企谷くん」

 

声がかけられ振り返ると那須と熊谷がいた。那須は白いニットのセーターにスキニー、熊谷は細身のシャツにジーンズという出で立ちだった。

 

「よっす」

「おう、お邪魔してる」

「元気そうね」

「まぁ、な」

「昨日は助かったわ。ありがとうね比企谷」

「いやいいよ。小町のこと、サンキューな」

「これでおあいこね」

 

熊谷の言葉に肩を竦める。まぁそんな恩着せがましくするつもりはなかったからいいんだけど。

 

「比企谷くん、お昼まだでしょ?一緒に食べていかない?」

「え、いや悪いよ」

 

小町が世話になったというのに俺まで世話になるとか申し訳ない。

 

「お兄ちゃん、小町が作ったご飯食べたくないの?」

「よーし飯にしようぜ那須、熊谷」

「手のひらドリルじゃない」

「ふふ」

 

その後、小町と那須の母親が作った昼飯を美味しくいただいた。

 

 

ーーー

 

 

「…………そう、二人が」

「ああ」

 

食後のコーヒーを飲みながら俺は佐々木さんと横山のことを話した。那須は悲痛な表情で目を俯かせ、熊谷は悔しそうに唇を噛みしめ、小町は悲しげに目を伏せた。

 

「横山は……まぁ命に別状は無いし手術も近いうちにあるみたいだ」

「じゃあ」

「復帰自体はそんなかからないだろうよ。ただ……左目はかなり重傷だ。多分、もう……」

「……そっか」

「佐々木さんに至っては、いつ目覚めるかわからないらしい。もう目覚めない可能性すら、ある」

「そんな!」

「……俺らにゃどうしよもねーよ。信じて待つしかない」

「……くまちゃん、今度二人のお見舞いにいこう」

「そうね、そうしましょ。なるべく近いうちに」

「小町も行きたい」

「…ああ、今度俺と行くか」

「うん」

 

そう言った小町の目は、悲痛な光を宿してはいたがしっかりと自らを保っているのかわかる。

……俺はこんななのに、妹の小町はちゃんとしてるなんてな。我ながら情けない。

 

「……じゃ、そろそろ帰るか。俺も一応怪我人なんでな。安静にしてなきゃならん。小町、帰るぞ」

「うん。無理しないでよ?」

「ああ。那須、熊谷、ありがとうな」

「いいの。気にしないで」

「ま、今度ジュースくらい奢ってくれてもいいのよ?」

「……そーさせてもらうよ。那須さん、お世話になりました」

「お世話になりました!また機会があればよろしくお願いしますね!」

「ううん気にしないで〜。小町ちゃんが来てくれると楽しくなるからいつでも来てね」

「……ありがとうございます。それでは」

 

そう言って俺と小町は那須亭を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん大丈夫〜?」

 

小町の問いかけに足が止まる。

 

「なにが?怪我なら……」

「もー、そーやってわかってんのに誤魔化そうとするクセは治らないよね」

「…………」

「……お兄ちゃんにとって、他人の中で一番大事な人たちが傷ついたんだよ?」

 

小町は呆れた目をしながら真っ直ぐ俺を見て来る。

やはり俺には隠し事は向かないのかもしれない。

 

「……はぁ、隠せないもんだな」

「他の人なら気づかないかもね。気づけるのは小町か佐々木さん、夏希さんか遥さんくらいじゃない?付き合いが長くなるほどお兄ちゃんってわかりやすくなるから」

「普通そうなんじゃねーの?」

「お兄ちゃんに普通は似合わないよ。それに、付き合いそこそこ長くなってきたのに佐々木さんは小町もよくわからない時あるし」

 

意外と佐々木さんはなに考えてるかわからない時もある。あの人、いつも柔らかい表情だから細かい感情の機微が分かりづらいのだ。そこは流石有馬さんの息子というかなんというか。というか普通が似合わないってちょいと酷くね?

 

「で、どーなの?大丈夫?」

「……正直きつい。なにから考えればいいのかがわからん。佐々木さんのことか、横山のことか、迅さんのことか」

「迅さん?なんで?」

「ちょいとな。ここで話すのはあれだから後で」

「ん、わかった」

 

俺が話すといった事実に満足したのか、小町はそれ以上追求してこなかった。

 

「お兄ちゃん!」

「ん?」

 

隣を歩く小町から楽しそうな声がかけられ、そちらを見るとほんの少しの疲れが混ざっていたが、満面の笑みがあった。

 

「おかえり!」

「……ああ、ただいま」

 

多分俺はうまく笑えてない。それでも、笑顔を小町にちゃんと向けたかった。

 

ああ、帰ってこれた。

 

その事実に少しだけ心が楽になった気がした。

小町と共に空を見上げるが、そこには曇天が広がるだけだった。

 

 

 

空はまだ晴れない。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

『こちら』に来てから数日経った。

 

「ただいま」

「おかえり〜」

 

帰宅すると、「おかえり」と言われる。

ここ数日でそれにも慣れてしまった。今までは家に帰っても基本誰もいない。だから「おかえり」といわれることはほぼ無かったため最初は少し違和感があったけど、誰かが迎えてくれるという事実は自分にとってとても嬉しいものだった。

 

「……ネイバーが来なかった場合、僕はこういう生活をしてたんだ」

 

誰も傷つかず、武器を持って戦う必要もない。そんな世界。

きっと幸福なんだろう。誰もなにも失ってないから。

 

そのはずなのに……

 

「琲世、ちょっとお使い頼んでいい?みりん買ってきて!」

「はーい」

 

思考していると母からの声で我に帰る。

『こちら』に来てから思考が深くなりがちになっている。もう死んでしまった以上、『向こう』のことを考える必要はないのに。考えたところで無駄なのに。

そう思考を切り替えて二階に上がり、荷物を部屋に置く。鞄から財布を取り出しお使いに出るべく扉に手をかけた。

 

「随分複雑なツラしてるな」

 

自分以外誰もいない筈の部屋から声が聞こえて咄嗟に振り返る。

そこには僕が『こちら』に来る前に出会ったであろう人物が椅子に座って頬杖をついていた。

 

「お前、どこから!」

「さて、どこからでもいいだろう別に」

 

咄嗟にトリガーを取り出そうとしたが、『こちら』にはそもそもボーダーが存在していないことを思い出す。

諦めて目の前の男を見る。着ている服は比企谷隊の隊服に似ている黒のジャケットに細身のスキニー、黒のブーツといった出立だ。比企谷隊の隊服とかなり似ているが、細部が違う。

顔はフードを目深に被っているため顔の下半分しかわからない。見た目は完全に不審者だ。

体格は自分とほとんど変わらないくらいだろうか。声は……どこか聞き覚えがあるけどやはりわからない。どことなく煽るような、現実を突きつけるような口調だがなぜか嫌悪感は湧かない。

ふと視界に花瓶が映る。その花瓶には白いカーネーションがいけてあったが、五本のうち一本しか綺麗に咲いていない。他の四本は花びらを落としきって萎れていた。

 

「『ここ』はお前が『幸福であっただろう』と予想した世界の設定をそのままにしてある世界だ。お前にとってこの世界は幸福そのもののはずだが、なぜそんな複雑なツラをしている?」

「…………」

 

答えられない。

理由はわかっている。この男が言っていることはその通りだからだ。

ネイバーさえ来なければ、自分は母親が生きていて帰れば誰かしら待ってくれている生活が送れていたと思っていたことも確かにあった。それは今でも思うことはある。一人が慣れたとはいえ、一人でいたいわけではない。いてくれるなら、誰かに待っていてほしいし、誰かを待ってあげていたいと心の奥底では思っていた。

だからと言ってボーダーでの生活に不満があったかといえば、そういうわけではない。むしろ充実していただろう。かけがえの無い友人達ができたし、なにより大切な人達ができた。そう思えるたくさんの出会いがあった。

 

要は今の自分にとって『どちら』が大切なのかをこの男は聞いているのだ。

 

「ぼ、くは……」

「なんだ?求めていたものが手に入ったんだろう?なにを思い悩む。もっと嬉しそうにすればいいじゃないか。それともなんだ?せっかく再開した母親は実は大切じゃないとかか?」

「っ!違う!」

「なにが違う?お前が望んだ幸福な世界なのに、お前は戸惑い、思い悩む。お前が望んだものは大切じゃないと言っているようなものだろう?」

「っ…………うるさい!」

 

そう言って部屋を出て走って家を出た。

 

「やれやれ」

 

残された男は机に置いてあった写真を手に取った。そこにはスーツ姿で映る琲世、そして貴将と世良の姿があった。

男はその写真を少し眺めていたが、興味が無くなったかのように机に投げ捨て、姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……」

 

我武者羅に走り、息が苦しくなって立ち止まる。

 

「……言い返せなかった」

 

自分にとって、母親とはその程度のものだったのか。そういわれてるように思えて仕方ない。

 

「僕は……」

 

そこで人がこちらに向けて歩いてくるのが視界に入った。先ほどのフードの男かと思い身構えたが、どうやら違う。体格が少し違うし、なにより猫背だ。先ほどの男は多分猫背ではなかった。

 

「あ」

 

そして歩いてきた人物が街灯に照らされて顔が見える。それは酷く見知った顔で、ボーダーの中で一番よく話す人間だった。

腐った目とアホ毛が特徴的な少年、比企谷八幡だった。

 

すぐに声をかけようとした。しかしここがボーダーの無い世界である以上、比企谷と自分は知り合いではない可能性が高い。いや、ほぼ確実に知り合いではないだろう。

 

その事実を裏付けるように、比企谷は一瞬だけ琲世の方を見るだけで歩調を緩めることはせずなにも言わずにすれ違っていった。

 

わかっていた。わかっていたのにも関わらず、愕然とする自分がいることに気がついた。

振り返り比企谷の姿を追おうとしたが、比企谷の姿はすでにそこには無く暗い道が街灯に照らされているだけだった。

 

「…………なにを見せたいんだ。僕になにを求めているんだ」

 

その声に応える者はいない。

だがその問いの答えとは別に、声がかけられた。

 

「佐々木?」

 

色々とありすぎて処理が追いつかなかったためか、背後に人がいることに全く気づかなかった。

勢いよく振り返ると、そこには見知った顔がいた。

 

「なにしてんのこんな所で」

「……トーカちゃん」

 

そこには屈託の無い顔で笑う(家族を除いて)一番近しい存在である少女がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

「……うん。お見苦しいとこをお見せしました」

「いいよ。珍しいね」

 

あの後、彼女の顔を見た瞬間に涙が溢れてきてしまい董香のことを困らせてしまった。いくら色々と不可解とはいえ、歳下の女の子の前で涙を流してしまったことに顔から火がでそうだった。

 

少し場所を移動し、行きつけである喫茶店『あんていく』の近くにある公園のベンチで琲世は缶コーヒーを、董香は紅茶を飲んでいた。

 

「なんかあった?」

 

そう聞いてくるのは当然だろう。知り合いが普通ではない状態であったのなら、ある程度良心のある者ならば誰でも聞く。

 

「………うーん、あったといえばあったのかな?」

「なにその中途半端な答え」

「いやぁ……ちょっと説明しづらいんだよね」

 

なにしろ自分が死んでいて生前の世界で知り合いだった人間と知り合いでなかったことになっていて、死んだはずの母親がその程度のものだったのかと謎の男に言われて頭の中がぐちゃぐちゃになったなんて言っても信じてもらえるはずがない。逆のことを言われたら夢かなにかの話と思うだろう。

 

「でもあんたがそんなになるなんて、よっぽどでしょ?」

「そうかな?」

「そーよ。佐々木、強いもん」

「…………」

 

違う。

そう言いそうになるのをぐっと堪えた。実際違うのだ。自分はただ、誰かに家で待っていて欲しかっただけの孤独を恐れているだけの弱虫なのだから。

だがその内心を吐露することはなく、自らの迷いを琲世は話し始める。

 

「……僕ね、大事なものをなくしちゃったんだ」

「大事なもの?」

「うん。かけがえの無い、大事なもの」

 

母親をもの扱いするのは憚られたが、『こちら』ではまだ生きている。だからこの表現が一番わかりやすいだろうと判断し、そう表現した。

 

「すごく悲しくてね。少しの間立ち直れなかったんだ。でも代わりに僕の気持ちを一緒に背負ってくれる人達がたくさんできたんだ」

「そっか」

「……でもね、ある日その大事なものが戻ってきたんだ。すごく嬉しかった。もう二度と会えないと思ってたから」

「良かったじゃん」

「うん。でもね、代わりに気持ちを一緒に背負ってくれる人達は、居なくなってしまった」

「え……」

「まるで、初めから僕との関わりが無かったことになってるようにね」

「…………それ、夢の話?」

「うん、夢」

「随分リアルね」

「夢ってそういうものでしょ?」

 

そういって互いに笑う。

 

「トーカちゃんだったら、どう?大事なものが突然戻ってきたら」

「あたしに聞く?んー……そりゃ、驚くだろうけどさ。戻ってきてくれれば、それでいい」

「代わりに得たものを無くしたとしても?」

「いや、ならいい」

 

その答えに自分の目が丸くなるのがわかる。

 

「いいの?」

「うん。大事なものがなにかはわからないけど、でもあたしならそのままを選ぶかな」

「……どうして?」

「めっちゃ聞くじゃん……まぁ、その、あたしが大事なものを無くして、それを一緒に背負ってくれる人が代わりに得られたんでしょ?今の話だと」

「うん」

「その大事なものも、きっとあんたの中ではものすごく大切だったってことはわかる。だからあたしもそう想定してみたけど、あたしは過去よりも今の方が大切」

 

 

 

「あたしは、昔の大事なものよりも、今いる大切な人達と一緒に生きていきたい」

 

 

 

「もちろん、帰ってきてくれるならそれほど嬉しいことはないよ?でも今の生活を捨ててまで戻ってきてほしいとは思わない」

 

 

「一度起きたことはもう変わらない。なら、今を大事にしたいとあたしは思った。でも、その無くしたもののことはちゃんと覚えていて、大事なものだってことを心に留めておくのがいいかな」

 

それだけ言うと彼女は照れ臭そうに頭をかいた。うまく言えた自信がないのだろう。

だが、自分にとってとても大切なことを聞くことができた。自分の中から迷いが消えていくのがわかる。

 

「……トーカちゃん」

「な、なによ。臭いとかの苦情いったら殴るよ」

「言わないよ。ありがとう、やることがわかったよ」

「……そ。なにかは知らないけど吹っ切れたならよかった。今度ご飯奢ってね」

「うん、またね」

「またね」

 

佐々木琲世は走って家に帰った。

トーカはそれを見送ると闇の中に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

家に帰ると、母親……世良は食卓で本を読んでいた。

傍らの花瓶には、花弁が散りかけた白いカーネーションが一本。

 

「あ、おかえり」

 

ここ数日、家に帰るたびにこう言われたことがすごく嬉しかった。

四年前から聞くことの無くなった言葉。

父さんは僕のために働いてくれてるけど、一人でいることは本当は寂しかった。

それを、みんなが埋めていてくれた。

 

そんな簡単なことにも気づくことができなかった。

 

だから僕はここにはいられない。

 

みんなが待っている。

 

まだ戻れるなら、僕はみんなのもとへ戻りたい。

 

それが僕の本心だ。

 

「母さん」

「どしたの?」

「僕ね、友達がたくさんできたんだ」

「あら、それは良かったわね」

「うん。それでね、みんな僕のことを待っていてくれてるんだ」

「…そう」

「数日だけど、僕は母さんに会えて良かった。母さんだけじゃなくて、みんなのことが大事だってことを再確認できたから」

 

 

「僕は確かに幸せだった」

 

 

「でもね、まだ足りないんだ」

 

 

「もっともっと、みんなと、これから出会うかもしれない誰かと一緒に生きていく」

 

 

「それでもっと幸せになって、胸を張って幸せだったと言って死ねるような人生にしたい」

 

 

「だから、もう、行かなくちゃ」

 

 

そう言うと世良は穏やかな笑みを琲世に向けた。

 

「うん。そうしなさい。母さんも琲世に会えて良かった。立派に成長してくれてるのね」

 

もしかしたら、これは自分が見ている夢なのかもしれない。だがそれでも、自分は母親に会えて、大事なことがわかった。それでいい。

 

「まだ足りないよ。もっと成長して、いつか色んな話を聞かせてあげる。だから」

「ええ、その時を楽しみにしてるわ。もうしばらくは来ちゃダメよ」

 

そう言うと世良は琲世の頭を撫でる。この歳になって子供扱いされるのは少し不服ではあるが、親からすれば自らの子供はいつまでも自分の子供なのだから仕方ないのだろう。

 

「うん。ありがとう、またね」

「またね。貴将さんによろしくね。あの人、色々と鈍感だから。そんじゃ、早く行きなさい!みんな待ってるわよ!」

「……母さん」

「ん?」

 

 

「いってきます」

「いってらっしゃい!」

 

 

そう言って家を再び出る。扉を閉じた瞬間、背後の自宅は崩れていき周囲の風景も崩れ、あたりは黒一色になった。

 

なにも見えない。

 

なにも聞こえない。

 

先ほどまで見慣れた光景だったのに一瞬で辺りは闇に包まれた。

 

しかし、そんな状況でも自分の心は全く動じていないのがわかる。

 

 

「いいのか?」

 

 

男の声が聞こえる。背景に同化する色の服を着ているせいで見えづらいが、確かにそこにいる。男の手には萎れかけている白いカーネーションがあった。

相変わらず煽るというか、現実を突きつけるような口調だが、やはり嫌悪感が湧かない。

 

「なにが?」

「せっかく戻ってきたものを、捨てちまって」

「うん」

「お前にとって母親はその程度のものだったのか?」

「いや?でもね、僕はみんなのことも大切なんだよ。どちらも両立できるのならともかく、どちらかしか選べないのなら選ぶしかない」

「幸福だったんじゃねーのか?お前の人生」

「うん、幸福だった。でもね、僕は欲張りなんだ。だからもっと幸せになりたい。その時まで、生きていきたい。最後に笑って『幸せだった』と言えるような人生にしたい。僕はまだ、笑って死ねるほどの人生にできてない。だからまだ死ねない」

 

男は暫し沈黙していたが、大きくため息をつくと自分の背後を指差した。

 

「……ならこの方向にまっすぐ進め。そうすりゃ、『戻れる』」

「ありがとう」

 

そう言うと琲世は男の横を通り過ぎようとした。

だがふと疑問に思ったことがあり、男のすぐ横で足を止めた。

 

「そういえば、結局君は、誰?」

 

琲世の言葉を聞くと少し驚いたような反応をしたが、すぐに肩を震わせ始めた。どうやら、笑っているらしい。

 

「くく、お前さぁ…こんだけ話してもまだ気づかないのか?」

「え……だって、僕の知り合いに君みたいな皮肉屋はいないよ」

 

せいぜい比企谷くらいだが、彼もこのような話し方はしない。

 

「ほんっと、大事なことと自分のこと(・・・・・)には鈍感だよなぁお前」

「む、失敬な」

「事実だよ。実際、こんだけ話して俺の正体に気づかないなら、あいつ(・・・)の気持ちになんぞ気づくわけねーか。不便だねぇ」

「あいつ?」

「自分で気づかないと意味ねーよ。で、俺の正体だったな」

 

そう言うと男はフードを外した。

 

そこにあった顔は、自分が今まで一番馴染みのある顔だった。

 

その男は自分と全く同じ顔をしていた。

唯一違うのは、髪の色が黒いことだけだろうか。

 

()は、()だ」

 

そういって『琲世』は琲世を指さした。

 

「……は?」

()はお前の無意識下に存在する人格だ。お前のその性格が偽物とか作り物とかいう気は無い。お前が成長するにつれてできたお前の人格は紛れもなく本物。だが何者にも影響されなかった奥深くに存在する人格。それが()だ」

「……僕、二重人格だったの?」

「違う。ふとした時に出てくる人格……それのみを確立した存在が()だ。わかりやすくいえば……お前が周囲に『闇ササキ』とかいうふざけた渾名で呼ばれている人格のみを切り取った存在だ」

「……うーん」

「わかんなくていい。ただ()もお前も同じ存在だっていうことだ」

「同じ存在ならなんで僕が気づかないことに気付いているの?」

「いったろ?無意識下の存在だって。無意識にお前は気付いている。でもそれを知覚することができないだけだ。んな無駄話はもういいんだよ。時間はもう無い。この花が完全に枯れたら、もう戻れない。早く行け」

 

どうやらこのカーネーションは琲世が『向こう』に戻れる時間を示したタイマーだったようだ。ギリギリまで気づくことができなかったから『琲世』が出てきたのかもしれない。

 

「君は?」

「お前が戻れば勝手に戻る。元は同じ存在なんだから」

「うん、わかった。ありがとう」

 

そう言って琲世は走っていった。

 

「我ながら世話が焼ける」

 

残された『琲世』はどこか晴れやかな表情をしながらそれを見送る。

琲世の姿が見えなくなったところで、『琲世』の姿も消えた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

心電図の音が一定のリズムで鳴り響く空間に、貴将と董香はいた。

 

「今日で5日目ですね」

「……ああ」

 

琲世はまだ目覚めない。

いつ目覚めるかは医者もわからず、場合によってはもう目覚めない可能性すらあると言われている。

 

仕事があるにも関わらず有馬は仕事で有給を取り毎日琲世の見舞いに来ていると董香は聞いた。琲世から聴いていた話だと、仕事は外に出ることが多くほとんど家には帰れないような生活をしているらしい。それほど忙しいはずなのに有給を取り息子の見舞いに毎日来るという父親らしいことをしている有馬の姿に董香は少し驚く。

有馬とは何度か顔を合わせたが、人間味らしさというものを全く感じなかった。常に無表情で、口調も平坦すぎる。故に董香は少し有馬のことを苦手としていた。琲世と顔立ちは少し似ているが、性格が全く似ていなから当初は本当に親子か疑うレベルだった。

 

「董香さん」

「え、あ!はい」

 

唐突に話しかけられて声が上ずってしまうのがわかる。

 

「毎日、琲世の見舞いに来てくれてありがとう」

「い、いえ……その……心配ですから」

「琲世も君が来てくれるのはきっと嬉しいだろう」

「そんな……」

 

有馬は確実にそういう(・・・・)意味で言っているわけではないのはわかるのに顔が熱くなるのがわかる。単純な思考の自分に少し呆れながらも言葉を繋ぐ。

 

「あたしは……佐々木にたくさん助けられてきました。だから、少しでもこいつの力になれたらって思うんです。それだけで返し切れるほどじゃないけど、でも佐々木とは対等でいたいんで」

 

そう言って董香は琲世の手を握った。

 

「……そうか」

 

目を伏せると有馬は呟いた。

 

「恵まれたな、琲世」

 

答えが返ってこないのはわかりながらも、有馬は琲世に話しかけた。

だがそんな時、琲世の目蓋が微かに動いた。

 

「琲世?」

 

何事かと董香は有馬を見るが、握った琲世の手が董香の手を握り返す感触がある。

 

「佐々木?」

「…………う、あ?」

「佐々木!」

「琲世!」

 

動いた目蓋は、徐々に開いていき、董香と有馬の目と合った。

 

「……あ」

「佐々木……」

「……琲世、大丈夫か?」

「……た」

「ん?」

「た、だ…いま」

「……ああ、おかえり」

 

そう言って有馬は琲世の頭に手を置いた。

 

「トー、カちゃん」

「よかった、目が覚めてっ⁈」

 

琲世の行動に驚いて声が上ずる。

琲世は握っていた董香の手を自分の顔に押し付けた。

 

「ちょ、え⁈」

「ありが…と、う。呼んで、くれて」

「……なんのことよ。でも戻ってきてくれてよかった」

 

安心したように笑う琲世の顔に呆れながらも、僅かに涙を滲ませた目で董香は笑った。

 

 

 

 

眠りから覚めたばかりで掠れた声で琲世は笑った。

 

 

 

ああ、まだ僕は生きている。

 

大事な人達と生きていける。

 

 

今はそれでいい。

 

 

 

それでいいんだ。

 

 

 

 

騒がしくなる病室の音を聞きながら琲世はそう思った。

 

 

 

窓際の白いカーネーションが手を振るように揺れ動いた。

 

 

 

 

『またね』

 

 

 

そう聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

佐々木琲世

死の未来:消失

 

 




『琲世』
ボーダー及び色んな人に『闇ササキ』とか呼ばれてた琲世の側面。人には色んな側面があり、それは大体本人は気が付かない。死にかけて夢の中でそれが具現化して琲世の『生きたい』という本音を叶えるために出てきた。なお、琲世は二重人格ではないため本来琲世と『琲世』は同一の存在。所謂琲世オルタ。
ぶっちゃけ作者が自分との対話というシーンを書いて見たかった結果出てきた存在。東京喰種で似たようなシーンあったし許されると思っている。


遅れた挙句こんな展開で申し訳ありません。
実はこの連載が開始した直後は琲世は大規模侵攻で死ぬ予定でした。いつか八幡が遠征に行く時に琲世を殺したアフトへの復讐という理由付けのために八幡の相棒にしていたのですが、ガイルサイドの人達と関わり感情が豊かになり、ワールドトリガーサイドの人達とも関わり復讐というものがどういうものか理解できるようになった八幡は復讐に身を染めるようなことはしないのではないのかと思うようになり琲世には生きてもらいました。
あと作者が思いの外サッサンが好きで殺したくなくなったというのが理由です。(でも重傷は負わせるという鬼畜の所業)

以上懺悔の時間でした。


次回で大規模侵攻編は完全に終了です。一年以上かけた大規模侵攻編の終了に時の流れと筆の遅さ、そして達成感を感じます。

読んでくださる読者の皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
感想をくださる皆様にはいつも執筆を助けられています。本当にありがとうございます。

なんだか最終回近くになったように見えるかもしれませんが、まだまだこの連載は続いていきます。次回は記者会見あたりやって、エピローグは終了です。一度ガイルサイドに戻りながら、ワールドトリガーアニメオリジナル編の裏で起きていたもう一つの事件的なのを書く予定です。アニオリ編は2、3話でおわります。

これからもよろしくお願い致します。


リア03



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