太陽もまだ昇りきらない薄闇の中に蠢く影が三つ。巨大な影とその周りに居る二つの人影。
背の低い方の人影が巨大な影を見上げながら驚愕の声を上げた。
「なにこの……鳥?やたらデカイけど、これに乗って行くの?馬じゃなくて??」
「ああ、そうだよ。こいつの方が馬よりよっぽど早く走れるし、乗り心地も良い。臭いにさえ慣れればこいつ以上の乗り物はそうそう無いさ」
背の高い方の人影は、身の丈の倍近くある巨大な鳥に手綱やら鞍やらを手際よく取り付けながら答える。
「あんたのあの武器の山もそうだけどさ、こういうのって何処から調達してるわけ?まさかこれもあの便利な袋に入ってるとか言わないでしょうね」
その巨体からは想像も出来ない人懐っこさでじゃれてくる黄色い鳥に戸惑いながらも、ルイズはまんざらではなさそうだ。
「流石にそれは無いよ。生き物をあの中に入れるなんて常識的じゃないしな。まぁ色々とあるんだよ、色々とね」
バッツは答えをはぐらかしながら考える。流石に召喚魔法で呼び出しました、なんて答えられない。
これはこちらの世界の『使い魔』というものを真似して召喚獣を長時間召喚したままにしておけないだろうか?という発想からの試みの産物あった。
ぶっつけ本番だったから多少の不安はあったけれども、こうして成功したのだ。だが成功はしたものの、これは魔力の消費が結構馬鹿にならない。長くても1日が限度だろうか。
戦闘時に比べ瞬間的な魔力消費は緩やかだが、召喚している間常に魔力が消費されていく。やはり召喚獣を実体化させ続けるには魔力が必要不可欠という事だろうか。
まだチョコボだからこの程度で済んでいるが、同じ事をリバイアサンやバハムートでやろうと思ったらあっという間にに魔力が枯れ果ててしまうだろう。
旅の荷物は殆どが腰に下げた袋に入っている。バッツにとってはいつものスタイルなのだが、やはりルイズにはまだ信じられないようで時折袋の中の路銀や手紙を確認してくる。
そんなルイズも、今日はいつもと違う格好をしていた。マントは外し、服も手持ちの中からなるべく地味なモノを選んで着ていた。ぱっと見普通の街娘に見えるようにしているらしい。
長時間の乗馬を想定してそれなりに動きやすい格好をしているが、その後皇太子に謁見するという事も考慮も入れてこの間のような乗馬服ではなく、スカート姿を選んでいた。
「そういや協力者がいるとか言ってたけど、遅いな」
「出立の時刻は姫さまを通して伝えてあるはずだから、もうそろそろ来てもいい頃なのに……」
「で、その協力者ってどんな奴なんだろうな」
「さぁ?結局姫さまは教えてくれなかったわ」
目をシパシパさせながらルイズが答える。
「寝不足か?」
「当たり前でしょ。昨夜も結構遅かったんだし、朝は早いし、何よりこんな重要な使命を受けてグースカ眠れるはずがないでしょ?」
どうやら緊張のあまり昨晩は全く眠られなかったらしい。
こんな状態で馬に乗るつもりだったのだろうか。馬車でもあるまいし、こんな寝ぼけ眼で早馬を飛ばした日には途中で落馬するのが目に見えている。
少し無理をしてでもチョコボにしてよかった、とバッツは内心ホッとする。
「それにしても遅いわね……。折角早立ちしようと用意したってのに、これじゃ何時まで経っても出発できないわ」
王女から今回の計画には協力者がいる事は聞いている。しかし聞いているのは「協力者がいる」という事実だけで、顔はおろか名前すら知らない。
今は旅立ちの準備を済ませて協力者の到着待ちなのだが、その肝心の協力者が一向に現れる気配がないのだ。
まさか協力者を置いて二人だけで出発するわけにはいかない。でも急ぎの事案であるので何時までも待ちぼうけを喰らっているわけにもいかない。
刻一刻とその姿を現していく太陽を眺めながら焦りをにじませていると、急にチョコボが暴れ出した。
バッツが必死にチョコボをなだめていると、上空から羽音とともに人間の声が降って来た。
「ルイズ!ああ、ルイズじゃあないか!同行者がいるとは聞いていたが、まさか君だったとは!!」
バサバサと羽をはばたかせながら一頭の獣が空から降りてきた。それは鷲の頭に前足、獅子の下半身と翼をもつグリフォンだ。その獰猛な瞳が昇りたての朝日を浴びてきらりと光る。
成程、チョコボが暴れ出した理由はこれか。いきなりグリフォンが現れれば、怯えるのも無理も無い。
その背に騎士が一人跨っており、先ほどの声は彼のものらしかった。羽帽子の下に覗くその顔に微かに見覚えがある。昨日王女の馬車脇に控えていた騎士の一人であった。
何とかチョコボを落ち着かせようと四苦八苦させていると、グリフォンから降りた騎士がバッツに声を掛けた。
「その大きな鳥は君のものかい?怯えさせてしまってすまないな。でも安心してくれ。こいつは私の命令が無い限りウサギ一羽さえ襲う事は無いさ」
と警戒を解く様に言うものの、そんなの言葉がチョコボに通じるはずもない。暫く暴れた後、グリフォンを一時的に遠ざける事によってその場を落ち着かせた。
「ワルド様!どうして此処に!?」
チョコボがようやく大人しくなった後、とルイズが改めて驚きを言葉にする。
「どうしてもこうしても無いさ。姫殿下の密命を受けてアルビオンへと向かうところだよ。しかし、正直驚いた。姫からもう一人連れて行って欲しいと頼まれていたが、まさか君だったとは思いもしなかったよ!」
騎士は両腕を広げ、ルイズを抱きしめる。抱きしめられたルイズは迷惑そうどころか嬉しそうに頬を染める。
やはり二人は知り合い同士らしかった。それもただならぬ関係だろう。外見や言動から兄妹とは思えない。ならば残る可能性はそう多くない。
「驚きましたわ。姫さまの仰っていた“忠義の士”というのがワルド様だったなんて!」
「それは僕の台詞だよ、ルイズ。僕の可愛いルイズが同行者だったなんて、これは一層気合いを入れて頑張らなくてはな。僕の大事な婚約者に万が一があったら、死んでも死にきれん!」
「まぁワルド様ったら」
恋人同士らしい二人の甘い雰囲気に置いてけぼりにされたバッツは、ただただ呆気にとられるしか出来ない。
「本当にお久しぶりですわ。こうして直に会えるのも何年ぶりでしょうか。手紙ももう随分頂いてませんわ。だからもう私の事は忘れてしまったのかと思っていました」
「いやぁすまない。ここ一年ほどは仕事が忙しくてね。目の回るような忙しさに、ついつい君への手紙を怠ってしまったよ。寂しい思いをさせて本当にすまなかったね」
「いいえ、ワルド様がお変わりないようで安心しましたわ。それよりも、何時の間に魔法衛士隊に入られたのですか?ちっとも存じ上げませんでした。知っていれば、お祝いの手紙も出しましたのに」
「君に釣り合う男になろうと必死に努力したのさ。それに、君をびっくりさせる為にあえて黙っていたんだよ」
「本当、ワルド様ったらお人が悪いんですから」
再開の抱擁が一通り済んだ後、騎士がようやくバッツの方に向き直る。
「ルイズ、彼は誰だい?よかったら僕に紹介願えないかね?」
「アレはバッツ。私の使い……いえ、従者、みたいなものですわ」
ルイズは歯切れ悪くバッツを紹介する。
「そうか。やぁやぁ、僕はワルド。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。このトリステインで子爵位を拝領している。今は魔法衛士隊が一つ、グリフォン隊隊長もしているがね。気軽に『ワルド』と呼んでもらって構わんよ」
ワルドは人懐っこい笑顔を浮かべ、バッツに握手を求めてきた。その仕草の一つ一つがギーシュを凌ぐほどの気障なモノであったが、本人の雰囲気と合わさってちっとも嫌味を感じさせない。
帽子の下に覗く鋭い眼光と余裕の態度は、彼の実力の程を物語っていた。
「俺はバッツ・クラウザー。今はルイズの従者?って事らしい。今回の旅の同行者の一人だ、宜しく頼む」
男二人はがっちりと握手を交わす。
「成程、君は良い手をしてるな。戦士の手だ。今度時間があったら一度手合わせを願いたいものだ」
ヒラリとマントを翻してルイズの元に戻ると、大仰に両腕を広げ出発の音頭をとる。
「それでは出発……と行きたいところだが、なにぶん今回は急ぎの用なのでね。本来なら早馬でも2日掛かる行程ではあるが、出来たら1日で走破したい。僕のグリフォンにとってはわけない事なのだが、君のその……鳥?は大丈夫なのかね」
見た事の無い巨鳥を目の前に、その性能を計れずにいるワルドは最大の懸念材料をバッツに問いただす。今回の旅は早さが肝心だ。もし足手まといになるようであれば置いて行く他にない。
「ああ、こいつは馬より早い。空を飛ぶ事こそ出来ないけど、問題無いと思う」
「うむ、それならば安心だな。僕がルイズと共にグリフォンで先行しよう。遅れずに付いてきてくれたまえ!」
先程と同じくチョコボを暴れさせる事の無いよう、ワルドは少し離れた所にグリフォンを呼ぶとルイズ共に乗って飛び立った。
バッツはその姿を見失わないようにチョコボを走らせ、その後を追った。
学園を出発する二匹の獣の影を、アンリエッタは学院長室の窓から見下ろしていた。
「どうか、彼女たちに始祖ブリミルの加護があらんことを……」
アンリエッタの祈りは、静かに室内に響き渡る。それを聞くのは、この部屋の主であるオスマン氏ただ一人であるが。
空を行くワルドは、ルイズを抱きかかえるように自分の前に座らせて手綱を振るっていた。眼下に広がる雄大な景色は空の上ならではのものである。
同じように空を飛ぶ呪文『フライ』でもこの高さまで上昇する事も可能ではあろうが、ここまで気持ちの良い飛行は不可能であろう。
「どうだい、ルイズ。この景色はなかなかのものだろう?」
自慢気に話しかけるワルドであったが、返答がない。ルイズは黙っているので、彼一人が一方的に喋っている状態だ。
「おや、君の従者君も頑張っているじゃないか。このグリフォンについてくるなんて大したものだよ。あの鳥を軍用に徴収出来たら素晴らしいと思わないかい?」
「…………」
「ルイズ……?」
それでもルイズからの反応がない。流石に怪しく思ったワルドが何事かと顔を覗き込むと、ルイズは静かに寝息をたてていた。昨夜はよく眠れなかったのだろうか。
無理もあるまい。自分のような兵士ならまだしも、まだ学生の身空。このような重責に押しつぶされてしまってもおかしくないのだから。
天使のような寝顔をそっと撫でると、ルイズが落ちないように優しく抱き直して速度を少し早めた。この調子なら今日中には到着できるだろう。
最初は足手まといと不安もあった従者も中々骨のある男らしく、距離を開ける事無くぴったりと付いてくる。
初対面の印象ではパッとしない何処にでもいるような男であったが、これが中々どうして結構な使い手かもしれない。油断する事はできないな、と眼下の黄色い巨鳥を駆る男に目をやる。
障害は一つでも少ないほうが良い。万に一つでもルイズの心が彼に傾くような事があっては一大事だ。
昼食とグリフォンの休憩の為に三十分ほど足を止めた以外は休むことなく、ひたすらラ・ロシェール目指してそれぞれの獣を駆る。
休憩を一度だけにしたのが功を奏したのか、日没後程なくして目的地に到着する事に成功した。
この旅の最初の目的地であるラ・ロシェールは港町である。港町とは言っても海沿いには無く、何故か狭い渓谷に設けられた街道沿いの町だ。
数少ないアルビオンへの玄関口である為、人口三百人程度のこの町はいつも人口の数倍の人でにぎわっている。
町に到着してすぐ、この町で一番上等であろう『女神の杵』亭を宿とする事にした。貴族相手の宿舎らしく、店内は豪華な造りとなっている。まるでどこぞの宮殿内のようだ。
夕食は三人でテーブルを囲んで食べる。ルイズが希望した事もあり、バッツも同席したのだ。ここは学院でも無いし、それくらいは許容範囲だろうという判断だった。
貴族と平民が同じテーブルで食事するなんて、と嫌な顔をされたが、まぁきちんと三人分の宿代も払っている事だし宿側にとやかく言われる筋合いも無い。
そんなこんなで和やかに流れる夕食の一時であったが、会話のほとんどはルイズとワルドによる思い出話で合った。
グリフォンの上では殆ど眠っていたルイズにはなおさら、積もる話もあるのだろう。
「本当に久しぶりですわね。最後に直接会ったのは何年前の事でしょうか」
「父が戦死する前だったから…………そうだな、もう十年になるかな。大切な婚約者をずっと一人きりにして悪かったと思っているよ」
ワルドの口から「婚約者」という言葉が飛び出してきて驚きで口のふさがらないバッツであったが、二人はそんな様子に一切気が付く事も無く話を進めていく。
「でもそれからもずっと、まめにお手紙を寄越して下さいましたもの。寂しいなんて思った事はありませんでしたわ。でも、ここしばらくはそのお手紙もぷっつりと途絶えて、もう私の事なんかお忘れになったものだとばかり思っていましたわ」
「いやぁそれは本当にすまないと思っているんだ、許しておくれ僕のルイズ。なにしろ魔法衛士隊の隊長職というのがこれほどまでに激務だとは思ってもみなくってね。日々の軍務に振り回されるうちにあっという間に一年が過ぎ去ってしまったのだよ」
「たまには領地にはお帰りになっているのですか?」
「いや、相続してからはずっと執事に任せっきりさ。おかげで地元じゃ領主の顔も知らないだろう。まぁそのお蔭で出世が出来たんだがね。父の覚えが良かったらしく、先王ご存命の頃はよくお引き立て頂いたものだよ」
「それで婚約者もずっとほったらかしでしたのね。もうトリスタニアにいい人が出来たのかと思ってましたわ」
「ハハハ。そんなわけが無いだろう。僕にとって君以上に魅力的な女性なんて存在しないさ」
「でも十年ぶりに会って、貴方はすっかり格好良くなられましたわ。それに比べて私は痩せっぽちのまんま。ちっとも成長してないし、全然貴方に釣り合うような女になってないわ」
完全に蚊帳の外のバッツは、一人黙々と食事を進める以外にすることが無い。
この二人の間に割ってはいるほど無神経ではないし、自分がされたら嫌なことをわざわざするほど意地悪くも無い。
だからじっと黙り込んで二人の会話に耳を傾けるだけだ。正直、それだけでもなかなか興味深い。まだ付き合いは浅いけれどルイズの過去を知るというのも興味が尽きない。
しかし婚約者云々という以前に、今日ワルドに出会ってからのルイズの様子がまるで借りてきた猫というか、こういっては変だがまるで貴族らしい言葉遣いに違和感がぬぐえない。
普段のもっとフランクで歯に衣着せぬちょっと乱暴な口調が完全になりを潜めている。
相変わらずバッツ一人が置いてけぼりにされたまま、食事は終了した。
食事後は一階の談話室で軽く打ち合わせをしておこうという運びとなった。
本来ならこのような場所でする事ではないが、時節柄アルビオンへ渡る貴族などはほぼ皆無で宿泊者も自分たち以外に居ない。
だから誰かに盗み聞きされるという心配は無いと言ってよい状況だった。
「アルビオン行きの船は、明後日出発のものが一番早いということだ」
宿に入る前に一人船着場に寄り、渡航のための交渉を済ませていたワルドが残念そうにこう漏らす。
「折角ここまで一日で来れたのに足止めを食らってしまうなんて、今日の寝不足が無駄になってしまいましたわ」
同じく不満を漏らすルイズは口を尖らせる。
「船が出ないのは仕方ない。潮の満ち引きとか月の満ち欠けに関係してるからそればっかりは俺達にはどうすることも出来ないよ。焦れば焦るだけ余計な事を考えてしまって失敗するだけさ」
バッツはゆったりと構えてそう言う。確かに焦ったところでどうにもならない。
「で、その船は目的地に直行するってわけでもないんだろ?」
「あそこは今、厳重警戒地帯だろうからそれは無理だろうな。だがロンディニウム近郊、ニューカッスル寄りの場所で降ろしてもらえるように交渉したから何とかなるだろう。船から下りて馬で半日って程度だろうか?早朝出発だから明後日中には到着できるだろう」
作戦会議は主にワルドとバッツの間で進められた。実際の戦闘要員である二人が主体になるのは当然と言えば当然である。
地名などはさっぱりわからないが地図と見比べながらきっちりと理解している辺り、バッツの旅に関する経験の深さが見て取れた。
「それで明日は丸一日空いてしまうというわけだが……、バッツ君、良かったら一度手合わせ願えないかな?」
「俺と?まあいいけど、何でだ?」
ワルドはニヤリと笑うと、いたずらっぽくこう言った。
「これから戦場に赴くのだ、味方の実力の程を知っておくのも互いにとって悪い事は無いだろう?それに――これは個人的な事で悪いんだが、僕は強い男と手合わせするのが好きでね」
「あんまり過大評価してもらっても困るな」
「謙遜しなくて良い。今朝握手した時にわかったさ、君が並みの使い手ではないことくらい。それに僕が駆るグリフォンについてきて尚、体力的な余裕を見せているんだ。そんな男は残念ながら我が隊にもそうざらには居らんよ」
大げさに両手を広げて話すワルドからは楽しみだ、というオーラがにじみ出ている。とてもじゃないが断りきれるような雰囲気ではなかった。
どうしたものかと思案しようとしたところに、宿のメイドがやって来た。
「お客様、お連れ様が到着しました」
メイドが言うには遅れていた連れが来たという。だがこの旅の同行者はここに居るメンバーで全員のはずである。そもそもが密命をうけた任務なのだ、大人数で行動するはずが無い。
「連れ……?おかしいな、僕達にそんなものは居ない筈なのだがな」
ワルドが警戒心からつい睨むようにメイドを見てしまう。その視線にメイドはすっかり怯えて縮み込まってしまった。
「どんな奴らだ?」
空気がそれまでの和やかなものから張り詰めたものに一変したのを感じ取ったメイドは、おろおろしながらも何とか言葉を搾り出す。
「ま……魔法学院の方だとおっしゃっていました」
「魔法学院?教師の誰かか?」
「いえ、かなりお若いので恐らくは生徒の方かと……」
三人はお互いに顔を見合わせる。当たり前のことだが、三人ともその自称同行者には心当たりが無い。
「わかった、そいつらをここに通してくれ」
ワルドがさらに二、三言付け加えると、メイドはそそくさと部屋を後にした。
メイドが部屋から出て行ったのを確認するとバッツとワルドは顔を見合わせ、お互いに頷きあう。
視線だけでお互いの役割を確認しあうと、バッツはデルフリンガーに手を掛けて入口の扉脇、蝶番とは逆の取っ手側に潜む。
ワルドは腰に下げた杖に手を掛け、ルイズを背に庇うようにしながら入口正面に立つ。
ワルドが杖を抜かないのは、己の抜きの早さに絶対の自信を持っている表れであるし、万が一味方だった時に備える意味もある。
だんだんと足音が近づいてくる。室内で耳を澄まし、その人数を計ろうというのだ。メイド以外に二人……いや、三人か。相手は呑気にお喋りをしながら歩いているらしい。
ハッキリとしないが、話声は男のものと女のものが混ざって聞こえて来る。かなり若めの声だ。殺気の類は感じられないが、それだけ相手も手練という事だろうか。
徐々に声が大きくなり、遂に部屋前に到着した。室内には緊張が走る。
足音は扉前で一度立ち止まった。メイドが案内を終えたのだろう、足音が一人分だけ遠ざかっていく。メイドに害が及ばないよう、先に退散するように予め言い含めておいたのだ。
ガチャリ
扉が開かれる。
扉が開くのがやけにゆっくりと感じられる。徐々に開いて行くその隙間に注意を注いでいる中、真っ先に現れたのは杖の切っ先だった。その杖が軽く振られる。
その瞬間、ほんの僅かな時間の中で色々な事が起こった。
まず、「しまった」とでも言わんばかりにワルドが一瞬驚きの表情を浮かべると、一気に来訪者達との距離を詰めようと駆け出す。
そのはずみで傍にあったテーブルをマントに引っ掛けて倒してしまうが、何も音がしない事に気が付く。
床に敷かれた絨毯は安物ではないがそれほど厚い物ではない。上に乗った家具が擦れても音を立てないような代物ではないのに、音が立たない。
そればかりか、踏み込んだワルドの足音すら聞こえない。
それでようやくバッツはワルドの焦りの原因を理解する。音を消されているのだ。バッツの知る時空魔法・ミュートに似た魔法を部屋全体に仕掛けられたらしい。
侵入者に対し魔法で対処しようと考えていたワルドが焦った原因はそれだった。
魔法を封じられても剣の腕に自信のあるワルドは咄嗟に魔法から直接打撃に手段を切り替え、相手に迫る。腰に下げた剣を抜き放ち、来訪者目がけて突き出す。
扉正面に立っていたワルドと違い扉脇、しかも開く側に控えていたバッツにはワルドよりも早く来訪者の姿を確認する事が出来た。
相手は青い髪と、赤い髪と、金の髪。先頭に立つ青い髪は背が低く、その後ろに残りの二人が続く。そして揃いの黒マント。
ルイズにも来訪者の正体が分かったのか声を上げるが、掛けられた魔法のせいでその声は誰にも届かない。口だけが空しく開閉を繰り返すだけだ。
ワルドが相手を自分の間合いに捕らえる。疾風の如く繰り出された剣戟が、先頭に立つ青い髪の人物に迫る。だが来訪者達はそれに反応できない。
扉が完全に開かれ来訪者達が最初に目にした光景は、直ぐ目の前に立つ二人の男の姿であった。
一人はこちらに向かい、剣を突き出している。一人はこちらに背を向け、鞘に入ったままの剣でもう一人の男の剣を打ち落としていた。
突き出した剣をはじき落とされた男は何事かを叫んでいるが、魔法の効果で何を言っているのかは分からない。
同じく、こちらに背を向けている男も何事かを言っているのだろうが、声は一切聞こえない。
男二人が恐らく激しく何事かを言い合っているようなのだが、肝心の声が互いに聞こえなければ会話が成立する筈も無い。
剣を突き出している男の背に少女がすがりついて男を止めようとしているようだが、こちらも声が通らないので空しく口をパクパクと動かしているだけだ。
だが必死に二人の仲裁をしようとしているらしい事だけは伝わって来た。
青い髪の来訪者がもう一度杖を振ると室内に音が戻った。
「何をするんだね、バッツ君!相手を間違ってもらっては困る!」
「待ってくれワルド!彼女達は敵じゃない!」
「じゃあ何だと言うんだね!」
「彼女達は私の友達です!だから剣を収めてください、ワルド様!!」
音が戻ってすぐ飛び込んできたのはワルドたち三人の怒鳴りあいにも近い言い合いの声だった。
ルイズの言葉にようやく剣を収めるワルドではあったが、まだ状況に納得がいかないらしく少し戸惑ったような様子で部屋の中央の方へ戻る。
何が起こっているのか状況が理解できない来客達を、ルイズは迎え入れた。
「何?この状況は。サプライズにしても少し手荒な歓迎過ぎるんじゃない?」
「あんた達が悪いのよ。何?勝手に同行者だなんて嘘ついて。こっちは色々忙しいんだからあんた達に構ってる暇なんて無いんだけど」
部屋に迎え入れたけれども、ルイズの対応は歓迎してはいない。当然である。
自分達は王女の密命を受けた作戦の途中なのであり、単なる物見遊山であろう級友たちの相手をしている場合ではない。
先程までとは違い、作戦会議をしていたテーブルについているのはルイズに自称同行者のキュルケ・タバサ・ギーシュの合計四人。
ワルドは少し離れた部屋の隅のテーブルに一人陣どり、不機嫌そうに腕を組んで座っている。
「なんであんた達が付いて来たのよ」
「今朝偶然に、あなた達が出発するのを見たのよ。で、タバサに頼んで後を追っかけて来たって訳。方角から大体の予想を付けて来たんだけど、まさか本当にこっちに来てるなんて思わなかったわ」
早起きはしてみるものね、なんて冗談交じりに語るキュルケは、聞けばきちんと先生に欠席の申請を出してから来たらしい。
成程、タバサの風竜ならグリフォンよりも距離を飛べるし、何より速度も出る。自分達より随分遅れて出発したようだが、追いつかれるのも納得がいく。
「私たちは遊びじゃないのよ。あんた達とは違うの」
「そりゃそうでしょうね。今の状況でアルビオンに渡ろうなんて正気の沙汰じゃないわ。だからこそついて来たんじゃないの。正直に言いなさいよ、なにか面白い事が起きてるんでしょ?」
「面白いって、あのねぇ……。それにギーシュ、なんであんたまでついて来てるのよ。物好きなキュルケならまだしも、あんたまで野次馬しに来たって訳?」
ルイズの非難対象がキュルケからギーシュへと移る。野次馬根性丸出しのキュルケはさておき、タバサは勿論そんな彼女に振り回されてついて来させられたのもすぐに見当がつく。
しかし、ギーシュまで来たのは理解できない。気障で女好きなこの男がキュルケらと一緒に来る理由が見当たらない。
モンモランシーが居ればまだ分からないでもないが、そのいう訳でもない。
「僕は君じゃなく、バッツに用があってついて来たのさ。彼には何かと借りがあるからね、何か困りごとならば少しでも力になれないかと思って来たのさ」
困り果てたルイズはワルドに助けを求めるように視線を送る。それを受けたワルドはやれやれといった仕草で立ち上がると、この場をまとめに入った。
「とにかく、僕達はどの道ここで明日一日足止めされなきゃならんのだ、今日は早く寝てその話は明日ゆっくりする事にしようじゃないか」
ここに居る者たちの中で最年長のワルドのその一言でこの場は解散となり、皆はそれぞれの宿泊部屋へと向かう事となった。
ちなみに部屋割としては、ワルドとルイズが相部屋でバッツが一人部屋、後から来た三人はキュルケとタバサが同室でギーシュがバッツと同じく一人部屋となっていた。
ワルドがルイズと相部屋としたのは互いに婚約者の間柄であり、なにより未だ全然話足りないという事もあった上での決断だった。
それぞれの思いを胸に、夜は更けていく。
夜も更けたラ・ロシェールの一角、町外れ近くに一軒の安酒場がある。名前だけは『金の酒樽』亭なんて大層なモノを付けられているが、完全に名前負けしているような店であった。
中では珍しく満員御礼で賑わっていた。酔っ払いたちの喧騒が周囲にまで響き渡る。
酒をあおっているのはアルビオン帰りの傭兵の一団であった。アルビオン帰りと言っても、勤め上げてきたわけではない。
彼らは王党派に雇われた傭兵団であり、その雇い主である王党派の敗色が濃厚になってすぐに逃げてきたのだ。
彼らは金さえ積まれればどんな事でもするが、義理堅いというわけではない。自分たちの命が危険だと分かれば約定もクソもなく一目散に逃げ出す。
貴族達と違いプライドよりも自らの命と実益を最優先に考え行動するのが常であった。
今日は壊滅まで秒読み段階に入ったアルビオン王党派のことを話題に酒を飲んでいた。
「『白の国』なんて呼ばれいい気になってた奴らが白旗を振るのも、もう時間の問題だな!」
「奴らは馬鹿だからそンなことはしねェよ。玉砕しか考えてねェさ。全く貴族なんて奴らは、プライドなんて糞の役にもたたねぇモンのために死ぬってンだから頭悪ぃよなあ!」
つい先日まで金を払ってくれていた者達にも容赦なく罵声を浴びせられるのが彼らだ。金の切れ目が縁の切れ目を地で行く性根の者達の集まりなのである。
そんな話題で下卑た笑いが行き交う中、一人の男が店内に入ってきた。
上物で漆黒のマントに身を包み、一目で高価と分かる真っ黒な帽子を被った男だ。長身で顔に不気味な鉄製の仮面を被っている。肩には大きな袋を担いでいる。
それが人でも入っているのではないかと思ってしまうほどに男の放つ雰囲気は不気味なものであった。
その男の死神かと見紛う異様さに店内は静まり返る。男はそんな様子を気に留める風も無く、ツカツカと店内の奥のほうへと足を進めていった。
そして奥の上座に当たる席に陣取っていた一団の首領らしき人物の前で立ち止まる。
「あんだ手前ェ、何か用か」
楽しく飲んでいたところを邪魔されて、不機嫌さを隠そうともせずに傭兵の頭らしき男が乱暴に言う。
この男の丸太のような腕にはあちこちに斬り傷や縫い跡が見えた。いかにも歴戦の戦士然とした厳つい体格に、乱雑に切り揃えた短い黒髪と同じく乱雑に蓄えた髭が周りを威圧する。
深い皺と傷のせいで実年齢より老いて見える顔にはギョロリと光る二つの眼。一睨みで気の弱い人間なら気絶してしまうであろう程に鋭く、かつ抜け目無い眼光を放っていた。
「用も無いのにわざわざこんな場所に来る訳が無かろう。貴様がこいつらの頭か?」
不気味な鉄仮面からはその下にどんな顔が隠れているのか見当もつかない。声も、何か魔法を使用しているのか不自然な響きを持っている。
目の前に居るはずなのにその存在が不気味な位希薄なこの男は、一体何者なのだろうか。素性を隠している相手ほど不気味なものはない。
「だったらどうだってンだ」
相手を睨みつけて凄む傭兵の頭に対し、仮面の男は全く臆することなく不気味に佇んでいる。暫く傭兵達を値踏みするかのように見渡した後、
「貴様らを雇いに来た。それ以外に用があるとでも思っているのか」
と感情の読み取れない声で用件を口にした。
「そうか、俺達を雇いに来たか。それじゃあ金は持ってきたのか?それが無きゃ話にならんぞ」
「早速金の話か。聞いていた通りに金に意地汚い奴らだな。まあいい、ホラ、お望みのものだ」
仮面の男はそういうと、肩に担いでいた袋を床に置いた。一抱えもある袋がドサッと床に落ちる。その音から結構な重量があるのが分かった。
傭兵の頭が中を検めると、袋にはギッシリと金貨が詰まっている。
「ほう……、エキュー金貨か。だがこれだけじゃ足りねぇな」
「勿論、これは手付金だ。残りは成功したら言い値で払ってやろう」
「言い値、か。コイツは随分と気前が良いねぇ。ま、それがどんなヤバイ仕事だろうが俺達にゃ関係ねぇ。金さえキッチリ貰えりゃ、文句は言わんさ。で、何をすれば良い?」
交渉成立とみて、仮面の男は依頼内容を語りだす。それは意外にも簡単なものだった。
男が言ったのはただ一つ、『女神の杵』亭を襲い宿泊客を皆殺しにすることであった。
皆殺し、という点に少し引っかかったが元々無法者の集まりである彼らにとっては造作のない依頼であった。
「実行は明日の正午近く、私の合図で行ってもらう」
「あンたも来るのか?」
「当然だ。貴様らだけでは心許ない」
「そいつぁ聞き捨てならねぇな。俺たちゃプロだぜ」
そう自慢げに話す頭を尻目に、仮面の男は店内にいる傭兵達をざっと見回す。
「そうか?見た所お前達はメイジが二割程度といった構成だろう。いくら相手が女子供といえども一応は貴族なのだ、念には念を入れないといけない。それに手錬の騎士もいる。万が一にも失敗は許されんのだからな」
やれやれ、と頭は肩をすくめる。貴族に信用されないのはいつものことではあるが、こんな小規模の依頼でも同様の態度をとられるとは正直心外であった。
「皆殺しってのは構わねぇんだけどよ、その後この国に居辛くなるのは困りモンだな」
と頭が不満を漏らす。国を跨いで仕事をする彼らにとって、国に雇われることはあっても追われる立場になるのは好ましくない。
だが、そんな不安を吹き飛ばすように仮面の男は抑揚の無い声で言い放った。
「ならば目撃者を全て消せば良い。目撃した人間がいなければ、貴様らの仕業と知れ渡ることはあるまい」
「おいおい、穏やかじゃねえな。それじゃあまるでこの町ごと焼き払えって言ってるように聞こえるがな」
「そう受け取ったのなら、それでも一向に構わん。仕事さえきちんとこなしてくれれば、後は他の人間がどうなろうと一切関知しない。好きにすれば良い」
男は怖いことをさらりと言ってのけた。これには流石の傭兵達もどよめいた。町一つを潰すほどの依頼とはどのようなものなのであろうか。
しかし、この無法者達にとってこの一言は、かえってやる気を起こさせるキッカケとなった。
純粋に殺しや略奪を好む者も少なくない彼らにとって、この手の依頼は願ってもいないものだ。
依頼内容が満足いくものであったのか、最初とはうって変わって上機嫌になった頭は手に持つ器になみなみと酒をついで飲み干した。
「にしてもあンた、一体何処のお人なんでぇ?こんな物騒な依頼をしてくるなんて、何処の貴族様の差し金なんだかねぇ」
と語る頭の目には、この依頼の裏に何か大きな陰謀が渦巻いている気配を嗅ぎ取り、あわよくば自分たちも一枚噛んで旨い汁を吸おうという魂胆が見え隠れしていた。
その言葉を聴き、仮面の男は目にも止まらぬ速さで腰の剣を抜くと頭の首元に突きつけた。切っ先がわずかに首の肉に食い込み、赤い筋が流れ落ちる。
「長生きの一番の秘訣は『余計な好奇心を抱かぬ事』だ。そうは思わんかね?」
仮面の下から覗く瞳は、それが冗談やただの脅しの類ではない事を物語っていた。