清々しい朝の空気の中、二人の男が対峙している。
ここは宿『女神の杵』亭の裏にある少し開けた場所である。かつては練兵場だったというこの場所は、今や全くその面影を留めていない。
ここいるのはバッツとワルド、そしてルイズにキュルケにタバサにギーシュ、と……要するに全員いた。
前日の申し出通り、二人が手合わせをしようというのを、ルイズら皆で見物しているのだ。
バッツはデルフリンガーを両手で構え、深く腰を落とした姿勢をとっている。対するワルドは右手に反りの無い細身のサーベルを持ち、半身に構えた。
剣の心得など全くと言っていいほど無いルイズらギャラリーには、バッツの持つ軽く反りのある片刃の両手剣であるデルフリンガーに対し、ワルドの構えるサーベルは酷く貧弱なモノに見える。
互いの手の内を探り合っているのか、中々動きださない二人に飽きてきたらしいキュルケは黙って見ているのに耐えきれなくなってきたようだ。
「ねぇ、ルイズ。あっちの素敵でダンディな方があなたの婚約者ってのは、本当?」
「ええ、本当よ。でも許婚なんて言ってもそれが決まったのはずっと昔の事。今でも律儀に許婚でいてくれるのが信じられないくらい昔の話よ」
睨みあう二人の男から視線を逸らすこと無く、ルイズは素っ気なく答える。それはタバサのような無関心ではなく、なんだかあまり触れたくないという意志を滲ませたものだった。
あんな自慢できる男が自分の未来の旦那さまで、何を隠すような事があるのだろうか。
どうもキュルケには納得はいかないが、目の前のルイズとあちらに立つワルドの姿を見比べてみれば成程、少しは合点がいく気がした。
「しっかし驚いたわぁ、扉を開けたらいきなり修羅場やってるんだもの。しかも男同士で。痴話喧嘩かと思ったら、あたし達を狙ってたなんて更にビックリよ」
キュルケが昨夜の事を話題に出した。あの時はともすれば三人とも、少なくとも先頭に立っていたタバサは死、いやそこまでいかなくても大怪我を負っていたかも知れない、そんな状況だったのだ。
物見遊山や野次馬程度で追いかけて来たのに、命を奪われたら笑い話にもならない。
「昨日も言ったけど、あれはあんた達が全面的に悪いのよ。無断で“連れだ”なんて言って宿に泊るわ、いきなり『サイレント』を使うわでこっちが良い迷惑だったわよ」
そもそも、最初から名前を告げてくれれば良かったのだ。それなのに名前を伏せ、居る筈の無い同行者を語ったものだから話がややこしくなってしまったのだ。
ただでさえ気の抜けない旅なのだ、些細なことにも過剰に反応してしまうのも無理はない。
「ちょっと驚かせようと思っただけじゃない。ほんのお茶目のつもりだったのよ。それに魔法を使ったのはあたしじゃないわ。あれはタバサの判断よ」
「…………部屋の中から殺気がした。魔法を封じるには、あれが一番いいと思った」
タバサがこちらに視線だけを向けて言う。いつも周囲の事に無関心で本を読み耽っているタバサが、珍しく二人の男の挙動を注視していた。
こんな試合、興味も無くまた本を広げているだろうと思っていただけに、意外な事であった。
「殺気ってねぇ……。普通そうなるでしょ?身に覚えの無い連中が追ってきたら。こっちは刺客かと思ってヒヤヒヤしたんだから」
「“刺客”……って、あなた達そんなにヤバい事に首突っ込んでるの?」
そこまで言って、ルイズはしまったと気が付いた。今回の目的は機密中の機密みたいなものだ、万が一にでも外部に漏れる事は許されない。
ましてや喋っている相手はクラスメイトとはいえゲルマニアの貴族の娘、迂闊に口を滑らせるわけにはいかないのだ。世の中、何処をどう伝わって情報が漏れ伝わるのかも分からない。
そう話している間中、キュルケはルイズの顔色が優れないのに気が付く。体調が悪いというよりは、何か悩み事があると言った風だ。
目下何か悩みがあるとすれば、それは目の前の決闘モドキに他なるまい。
自分の婚約者と使い魔が優劣を競っている。それは、ルイズにとってどちらが勝っても素直に喜ぶ事が出来ない状況であるのは予想に難くない。
いくらルイズの性格が多少アレといえど、自分の使い魔に情が移らない筈がない。
その使い魔が目の前で負ける姿なんて見たくは無いし、逆に自分の婚約者が、例え相手が自分の使い魔だとしても負ける姿なんて見たくは無い。
しかし、そのどちらかの結果は必ず訪れるのだ。二つの感情に板挟みされて、今ルイズの心は今までにないほど波立っていた。
そんなルイズの心情など知る由も無く、互いの隙を窺っていた二人の男は呑気に会話をしていた。
「ふむ……、中々に隙の無い良い構えだ。さぞ多くの戦闘を経験してきたようだな。いや、基本がしっかりしているからか?ちなみに君は誰から剣を習ったんだい?」
「父親からだ」
「ほう、君の父上からか。さぞ名のある剣士なのだろうな」
「どこに士官するでも無い旅暮らしだったからな。有名って訳じゃなかったけど、強かったよ」
ほう、と感心するワルド。しかしその間も構えを崩すことはない。
「さてバッツ君。何時までも睨みあっているだけじゃ埒が明かないのでね、こちらから攻めさせてもらうよ!」
そう言うが早いかワルドは風のように踏み込み、一気にバッツとの距離を詰める。軽やかなステップにマントがはためき、流れるような動きで自慢の突きが繰り出された。
バッツは体をひねって突きをかわすと、そのまま背面へ跳びワルドとの間合いを開けようとした。懐に踏み込まれては、長さと重さのあるデルフリンガーでは少々不利だ。
それを分かっているのか、ワルドは離れじと距離を詰める。バッツは上中下と巧みに繰り出されるワルドの突きをデルフリンガーと体捌きでかわす。
「やはり魔法衛士隊の隊長ともなると格が違うな。あのバッツが防戦一方じゃないか」
ギーシュが目を輝かせながら感想を言葉にする。魔法衛士隊と言えば男子生徒の憬れの的であり、その隊長であるワルドは彼らにとってヒーローみたいなものだった。
強く、賢く、その上格好いい。ワルドは正にギーシュ達男の子の憬れを体現したような存在であった。
その流麗な動きに魅了され、いつしかギーシュはワルドを応援してしまっている。
薄情なものね、なんて視線をギーシュに向けるキュルケであるが、だんだんと白熱してくる試合に彼女も目が離せなくなってきた。
「ヤベェぞ相棒!こいつぁかなりの手錬だ!」
ワルドの剣戟をその身に受け、たまらずデルフリンガーが悲鳴を上げる。別に刀身が欠けたとか折れそうとかいう訳ではないが、一方的に攻められて焦りが出て来たのだ。
「ほう、喋る剣か。面白い物を持っているのだな。だが、喋ると言うだけではこの僕の剣を防ぎきる事は出来んよ!」
突きだけでなく上下左右の振り払いも加わったワルドの剣筋は変幻自在であった。だがバッツもやられ通しで終わるわけも無い。
相手の踏み込みに合わせ敢えて自分から踏み込み、ワルドの間合いの内側からショルダータックルをかます。
たまらず相手がよろけた所を軸足を中心に体を回転させ、遠心力を使って豪快に左から右へ横薙ぎに払う。
ワルドは大きく後ろに跳躍する事によってそれを避けると、一旦仕切り直しとなった。
「やるじゃねぇか、相棒」
とデルフリンガーがバッツの攻撃に素直に感心する。どうやらワルドも同じらしく、期待に胸ふくらませる子供のように瞳を輝かせている。
強い者と手合わせするのが好きだ、というのは嘘でないらしい。
「そうこなくてはな。僕の見立てじゃあ君はまだまだ出来る筈だ、遠慮なく攻撃してきてくれたまえ。そしてもっと僕を楽しませておくれ!」
「それじゃ、遠慮なくいくぞ!」
今度は二人同時に駆け出す。やはりリーチではバッツに分があるが、小回りや手数ではワルドには及ばない。一度間合いの内側に入られてしまうとバッツには攻撃の手段を潰されてしまう。
しかしバッツは器用にデルフリンガーで攻撃を防ぐ。デルフリンガーを大きく振りまわすことなく、左右に細かく振ることでワルドの攻撃を凌いでいた。
攻撃を防ぎながら、タックルや蹴りを主体にワルドを攻め立てていた。
「俺は剣であって盾じゃねえんだけどな」
「喋っていると舌を噛むぞ」
「噛む舌なんか無ぇよ」
剣というよりも盾のような扱いをされてデルフリンガーは不満を口にするがバッツに軽くあしらわれる。
そんなやり取りも余裕の表れと取ったワルドは一度距離をとると、再び仕切り直しの様相を呈した。
「中々筋の良い動きをする。やはり君クラスの使い手が我が隊にも欲しいものだな」
両手を大きく広げ、バッツの善戦を称賛するワルド。身ぶり手ぶりが一々芝居じみてはいるが、ワルドはそれを嫌味に感じさせない不思議な雰囲気を持っている。
これはワルドならではの事なのか、それとも貴族というのはこういうものなのか判断に困るバッツであったが、チラリとギーシュに目を向け「やっぱりワルドだからかな?」なんて考えてしまう。
「あんまり褒めないでくれ。照れるよ」
「謙遜しなくていい。だが、それだけに惜しいな」
ワルドの言う“惜しい”という意味が分からない。何を以って惜しいというのか。
「君の剣の腕前は確かに素晴らしい。『閃光』の異名を持つ我が剣を防ぐとはな。我が隊にも君に勝てる腕前の者は数える程しかいないだろう。だが、剣の腕だけではメイジは……いや我々魔法衛士隊士を倒す事は叶わんよ!」
そういうと、構えた剣をフッと軽く振る。その動きには何処かで見覚えがあった。あれは確か……
ゴッ。
頭で思い出すよりも先に体が反応する。咄嗟に横に跳んだバッツの耳元を何かが高速で掠めたような音が駆け抜けていく。
慌てて飛んできたモノの正体を確かめようと目を遣るが、そこには何も見当たらなかった。
「『エア・ハンマー』……?でも、杖なんか……」
タバサが驚愕の声を上げる。周りはそんなタバサの様子に驚きの声を上げた。タバサがそこまで熱中しているとは正直意外であったのだ。
驚きの声が届いたのか、ワルドは自慢げに種明かしを始める。
「ふふふ、驚くのも無理はない。我ら魔法衛士隊は剣技と魔法の両方の技術を高レベルで要求される。従って、その戦闘スタイルは自ずとこのような形に行き着くのだよ」
誇らしげに剣を掲げるワルド。先程放った魔法の秘密は、どうやら剣に隠されているらしい。
「これはただの剣ではない。剣であり、そして同時に杖でもあるのだ。格闘と魔法の高度な融合によってもたらされる通常の間合いを超越した変幻自在な妙技を、とくと見るがいい!」
言い終えると同時に攻撃を始める。素早い斬撃に加え、いつ不可視の攻撃が放たれるかと考えるとバッツの焦りは尋常なものではない。
通常の斬撃とほぼ同じ動作から放たれる『エア・ハンマー』は、口元の呪文を唱える動きで判別できる程度だ。至近距離から放たれる魔法は、直撃を喰らおうものならひとたまりもあるまい。
数少ない救いの一つはこれが試し合いであり、ワルドにも幾分の手加減が見える事くらいだ。
ここで重傷を負う訳にもいかないので互いに寸止めや、わざと芯を外した攻撃を多用しているおかげで避けられているようなものだ。
「やべぇ、やべぇぞ相棒!なにか手はあるのかよ!」
またデルフリンガーが悲鳴を上げる。やはり王国でも指折りの精鋭相手では一筋縄ではいかない。
「…………無い事は無い」
「頼りねぇ事言ってくれるなよ……」
「手は尽くすさ!」
今の所ワルドが使ってくる魔法は『エア・ハンマー』一種類であるが、それだけしか使えないという訳はあるまい。
いつ何時新たな攻撃を繰り出してくるかわからない恐怖が付きまとう。これがこちらの世界の魔法使い……いや、魔法剣士?魔導剣士?の戦い方なのだろう。
一対一でも乱戦でも応用が効きそうな戦法だ。そしてワルドの剣術と魔法の調和の完成度の高さにバッツは舌を巻く。
バッツとて自分の腕には自信がある。一対一ばかりでは無かったとはいえ、幾度も強敵と闘い、これを撃破してきたのだ。
しかし、よくよく考えてみれば強敵といえども相手をしてきたのはモンスターばかりで、これほど強い人間を相手にした事は案外少ない事に気づく。
強いモンスターというのは大抵体が大きかったり、腕力が異常に強かったり、皮膚や鱗などの防御力が異常に高かったり魔法が強力だったりしたものだ。
純粋に技術と手数で苦戦するという事は少ない。というか、そもそも人型をして人間大の大きさの強力なモンスターというのは少なかった。
だんだんとバッツは追い詰められていく。初めは余裕をもって避けていられた攻撃も徐々に厳しくなり、遂には紙一重どころか避け切れずに地面を転がる事が多くなってきた。
「相棒ー!」
遂にワルドの剣がデルフリンガーを弾き落とす。宙に弾かれたデルフリンガーの叫びが響き渡る中、ワルドのトドメの一撃が繰り出される。それは、バッツの眉間を狙った一撃。
剣を弾かれ、動揺しているどころを一気に決めようという一撃であった。ワルドは勝利を確信する。必殺の間合いで放つ一撃を避けられるものではあるまい。
が、バッツは隙を作るどころか、むしろ自分からデルフリンガーを手放して空となった手を握り、自ら踏み込む事によりワルドの剣をかい潜って鳩尾に寸止めの一撃を放った。
しかし、バッツの勝利という訳でもない。ワルドの剣も素早く軌道を変更してバッツの首筋を捕らえていた。
この手合わせは、相討ちという結末で幕を閉じた。
「…………最後の最後に油断したのは僕の方だったようだ。君は剣術だけでなく体術にも秀でているのだな。てっきり補助程度に身に付けているものだとばかり思っていた。見事だ」
剣を収め、互いに健闘を称える握手を交わすワルドとバッツ。そして、握手をしたままでワルドは言葉を続ける。
「やはり君は僕の思っていた以上に出来るようだ。だがこんな事を言うと負け惜しみにしか聞こえないが、僕もまだまだ手を残している。次があるかどうかは分からないが、今度は負けはしないよ」
「ああ。今回は模擬戦で手加減してもらってたから、なんとかこういう結末まで持ってくる事が出来た。お互い本気だったら結果は違っていただろうな」
ワルドはまだ余裕を見せたまま、バッツは謙虚な姿勢で互いに言葉を交わす。そのままワルドはルイズの元へ行ってしまったので、バッツは手持無沙汰になってしまった。
ルイズはワルドと楽しげに会話をしている。考えてみれば、この世界に来てからは生活や行動の中心に常にルイズがいた。
それは自分がルイズの使い魔として此処に居る、という意識が多少なりともあるせいではあるが、ここでの人間関係の殆どがルイズを起点にしたものばかりである。
というか、魔法学院がらみの知人しかいない。自分としては珍しく学院内という非常に狭い閉じた世界での交友関係しか持っていない事に気が付いた。
しかし……、と少し頭をひねる。あの世界でも自分の親交はそんなに広いものであっただろうか。世界中を旅してきて、様々な土地で人々と触れ合ってきた。
けれども親しい、といえるような人は故郷のリックスの村の皆か共に旅をした仲間の顔くらいしか思い浮かばない。
ずっと根無し草で暮らしてきたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、何か間違った生き方でもしてきたのだろうかと思えてきてしまう。
「やぁバッツ、中々健闘したようだけど、惜しかったな」
少し考え込んでいてボーっと突っ立っていた所にギーシュから声が掛かる。いつの間にかバッツの元にはギーシュとキュルケ、おまけにタバサが来ていた。
「何してんのよ、ぼんやりして。ご主人様を彼に取られてショックなのかしら?」
キュルケが口元に指を当て、意味あり気に微笑む。何を考えているのか分かるような気がしたので、あえて深く聞き返す事はせずに受け流す。
もっと突っかかって来る反応を期待していたのか、キュルケは「あら」といった表情をしていた。
ギーシュはバッツの肩を叩きながら、「例え負けたとはしても、平民が魔法衛士隊相手にあれだけ粘れたのだからむしろ誇るべきだ」なんて慰めなのかよく分からない言葉を掛けてくる。
だが、その気持ちは有り難い。まぁ、負けたわけではないのだが。
そんな感じでギーシュと談笑していると、目の前にタバサがやって来た。いつもと変わらぬ考えの読めない表情のまま、バッツの目を正面から真っ直ぐに見据えている。
「どうして手を抜いたの……?」
タバサの口から驚きの言葉が飛び出した。先程の手合わせは誰の目に見ても白熱した勝負であり、両者ともに力を尽くしていた。
まぁ命の奪い合いではないのでし、明日以降の事も考えて消耗しすぎてもいけないといった意味では互いに手加減をしていた。そんな事は全員が分かっている事だ、わざわざ口にする事ではない。
しかしながらタバサの言葉から伝わるのは、バッツを責めたり非難する色である。
「何で……って、別に手なんか抜いていないけどな」
「嘘」
困惑気味に答えるバッツの言葉をピシャリと否定する。静かに、だが厳しく攻め立てるタバサの様子に、バッツやギーシュはおろかキュルケまでもが驚く。
「あなたはまだ実力を隠している。そしてそれはきっと、私達が想像もつかないような力。だからきっと……」
「おいおい、何を言い出すんだい?君は。仮にも魔法衛士隊隊長相手に、手加減してもらってるとはいえあそこまで善戦出来たのに、まだ彼にそれ以上の期待を抱いているのかい?」
言い掛かりとも取れるタバサの口振りにたまらずギーシュが割り込む。とてもバッツ擁護には聞こえない台詞ではあるが、それでも彼なりに庇っているつもりなのだ。
「そうじゃない、でも……それでも彼はまだ何か……」
「でも?確かにバッツは強いさ。メイジじゃない人間の中でも指折りの強さなんだろう。でも所詮は平民だし、正式な訓練を修めた、それもスクエアメイジの魔法衛士が相手なんだ。学院の成績優秀者相手とは訳が違う」
「でも……」
「ハイハイ、ここはタバサが分が悪いわ。あなたがこんなに他人に関心を持つのは珍しいけど、相手に過度な期待を持つのは禁物よ。過剰な理想を抱きすぎると、現実を知った時に受ける衝撃は馬鹿にならないわ」
なおも反論しようと口を尖らせるタバサであったが、間に入ったキュルケによってなだめられた。
まだ納得のいかない表情をしているタバサを強引に言いくるめられるのは、ただ単に中が良いというだけでなく年長者であるという所による部分も多い。
納得いかないながらも、渋々キュルケの言葉に従う様は、なんだか姉妹のやり取りを見ているようで微笑ましくなる。
三者三様の、それぞれ微妙に論点のずれた言い争いを繰り広げていた様子を遠目に眺めていたルイズにワルドが声をかける。
「なんだか楽しそうに盛り上がっているな」
「そうですわね」
なんだかよそ見をしていたのを咎められている気がして、ルイズは少し申し訳なさそうに控えめに答える。ワルドはルイズから手渡された手拭いで軽く顔の汗を拭っていた。
「しかしバッツ君は素晴らしい剣士だな。君には悪いが、従者止まりにしておくのが勿体無いくらいだ。もしも彼がメイジであったなら、身分など関係無く衛士隊に取り立てられたものを」
ワルドはバッツがメイジではない事をしきりに残念がる。実際、このトリステインに於いてメイジで無い者が騎士になり立身出世するという事はほぼ絶望的だという現状がある。
それだけワルドはバッツの腕を認めたという事だろうか。
しかし、ルイズは知っている、バッツはタダの平民ではない事を。何より、ルイズ自身に魔法を教えてくれ、系統魔法に目覚めるきっかけを作ってくれたのは、他ならぬバッツなのだから。
でもバッツはルイズと二人きりの時以外は魔法を使わない。何か考えがあるのだろうが、今までのちょっとしたイザコザでは魔法を使う気配を見せないのだ。
先程の手合わせも、ワルドと同様にバッツも魔法を使って居たら勝敗は更に変わっていただろうに。
それでも魔法を使わないのは何か彼の中で意地があるのか、それともワルド相手では魔法を使うまでも無いのか。
ルイズとて、バッツの全てを知っているわけではない。むしろ、バッツの事を殆ど知らない。バッツが自ら話してくれる事もないし、今まで詳しく聴こうなんて思った事も無かった。
使い魔と言っても相手は人間、それも自分より年上であろうバッツにも勿論それまでの人生というものがあるのだろう。
どのようにして育って来たとか、どうしてあれほどの剣の腕を習得するに至ったか、とか。
「ルイズ?」
突然、ワルドから声がかかる。いや、実際には全然突然ではなかったのだが、少し物思いに耽っていたルイズを驚かせるには十分であった。
「どうしたんだいルイズ、いきなり黙り込んでしまって。もしかして何処か具合が悪いのか?」
急に考え込んでしまった彼女を心配したワルドが気遣う言葉を掛ける。ワルドの優しさと、急に黙り込んでしまった自分に恥ずかしくなり、少し顔を赤らめさせながらルイズが答える。
「い、いえ、なんでもありませんわ。すみませんワルド様」
「いやなに、君が大丈夫ならばそれで良いのだ。昨日の行程は少々堪えるものだったし、昨夜は長話をして夜更かしさせてしまったからな。どこか体調を崩させてしまったかと思ったよ」
「お気遣い有難うございます。でも私は大丈夫ですわ。この程度で音を上げるものだったら、最初からこの話を引き受けはしません」
「頼もしい言葉だ」
そう言ってワルドが頷く。ルイズの言葉に今回の旅への覚悟の程が少し見てとれて嬉しいのだ。
「時に、昨夜の話を覚えていてくれているかい?」
ワルドが話題を振る。昨夜、とは二人で同室で過ごした夜の事だ。共に夜を過ごした、と言っても特別何があったわけでは無い。ただ二人で話に花を咲かせていただけである。
特にこの十年の事、そしてワルドも卒業生である魔法学院についての話で盛り上がったのだ。
その話の最後に、ワルドから改めて結婚の申し出があった。親同士で決められた十年も昔の縁談話を、律儀にも全うしようというのだった。
それだけではなく、幼い頃から魔法を使えない事に劣等感を抱いていたルイズの為に、仕事の合間に方々手を尽くして調べてくれても居たのだ。
そんなワルドの誠実な想いがルイズにとっては嬉しくもあり、なんだか身の丈に合わない程に大きな想いを寄せられている気もして居心地が悪かった。
そんな彼女の心情を察しているのか、ワルドは答えを急かしはしない。
「ええ、勿論覚えていますわ。でも正直な所、今でも婚姻の約束を覚えて下さっていてその上、まだこうして求婚して下さるのは嬉しいような、何と言うか……」
「答えを焦る必要は無い。今まで離れ離れだった十年という時間はそう直ぐに埋まる物ではないのだ。だがこうしてまた会えたこと切っ掛けにして、これからゆっくりと埋めていけば良いだけの話だ」
その言葉に、ルイズは穏やかに微笑む。ワルドの誠実な心が嬉しい。
突然、静寂を引き裂く爆音が地響きを伴って轟いた。地震か?という考えが一瞬頭をよぎるが、直ぐに立ち込めた焦げ臭いにおいに一斉に辺りを見回す。
『女神の杵』亭正面方向、今ルイズ達が居る場所とは建物を挟んだ反対側から煙が立ち上っていた。
「なんだ?火事か?」
少し離れた場所にいたバッツ達も駆け寄る。突然の事に皆困惑した表情を浮かべている。
「いや、違うな。あの辺りに火の手が上がるような物は何も無かった筈だ。となれば……」
皆が顔を見合わせる。自然発生でも無ければ何か事故の類でも無さそうだ。ならば残る可能性は……
「じゃあ誰かが爆発を起こしたっていうのか!?」
「わからん。とにかく見に行かなくてはな」
そう言って駆け出すワルドに皆が続く。現場に近づくにつれ、嫌な予感は確信に変わっていく。
宿建物内を通ってきた一行が目にしたものは、さながら戦場の様相を呈しているエントランスホールであった。ならず者たちが暴力で占拠し、抵抗する者には容赦なく攻撃が加えられていた。
「何が起こっている!」
手近に居た人に、ワルドが尋ねる。相手は負傷していたが、命まで危険という訳ではない。タバサが手早く水の『ヒーリング』で応急手当てを施す。
「わ……分からない。急に奴らが襲って来たんだ……。」
そう話している間にもルイズ達にもならず者の魔の手が迫る。
『閃光』の二つ名に違わず、目にも止まらぬ速さで抜刀したワルドは、襲い掛かる者をあっという間に叩き伏せる。ルイズの手前、命までは取らず、無力化するだけに止めてはいるが。
「先ずはこの狼藉者たちをどうにかするのが先決のようだな」
ワルドの掛け声を合図に、皆が行動に移る。ワルドとバッツが先陣を切り、侵入者達を蹴散らす。それをキュルケとギーシュの二人が援護し、タバサとルイズは負傷者の手当てに回る。
魔法だけでは補いきれない恐れもあったので、バッツはあらかじめ救護役の二人にポーション等の回復アイテムを手渡しておくのを忘れない。
ワルドとバッツの二人の目覚しい活躍により、程なくしてエントランスホール内の敵を全て無力化することに成功した。
改めてホールを見渡すと、あちらこちらに破壊の爪跡が残され、惨憺たる状況である。
「これで全部かしら?」
キュルケが少し乱れた髪を整えながら一息つく。しかし、そんな希望的観測もワルドにあっさりと否定される。
「それはないだろうな。こいつらを見てみろ。これだけ武装しているのだ、恐らく傭兵か何かの一団だろう。そしてこいつらは露払いと言った所か」
ワルドは足元に転がる襲撃者達に目を向けながら説明する。彼らは命こそ助かっているが、動けない程度には痛めつけられ、更に縄で縛られ体のの自由を奪われていた。
室内で暴れていたのは計七名。ただの強盗ならばこれくらいの数でも全員だろうが、そもそも貴族宿を襲おうという者はそうは居ない。
なぜなら貴族=メイジであるので、宿泊者がいるということはメイジを相手にする確立がかなり高いということだ。平民ならその危険性がどんなものか判らないはずが無い。ハイリスク過ぎる。
よって貴族宿を襲うということは、単に金品目的というよりはもっと高度な政治的目的がある場合だろう。
それも精鋭数名で手際よく済ませるか、かなりの大人数で攻め込むといった手段をとるはずだ。
屋内に乱入した者達の腕前を見るに、敵はどうやら後者のようだ。となると、宿前にはまだ多くの武装した人間が待ち受けているだろう。
窓から外の様子を窺うと、予想通り屋内に侵入してきた数の何倍もの人数が暴れまわっていた。いや、暴れまわっているというのとは少し違う。
明らかにこの宿を狙うように陣らしきものが敷かれ、その周囲の建物等がとばっちりで被害を受けていると言った感じだ。
「まずいな……」
外の様子を窺っていたワルドが呻くように言葉を漏らす。余りに芳しくないその表情に一同が不安を募らせる。
「どうなのですか?外の様子は」
皆を代表してルイズが問いかける。それに対し、ワルドは顔を伏せ軽く左右に首を振る。その様子から、状況がどれ程悪いのかが察せてしまう。
「少なく見積もっても、賊は四十人は下らんだろう。かなり組織的に動いているところをみると、ただの強盗団ではなく傭兵崩れどものようだ。厄介だな」
相手は野盗の類ではない事は、倒した者達の装備を見て大体察しを付けていたが改めて言われると不安が増すばかりだ。
「奴らの狙いは何だ?なぜこの町を襲うんだ?」
「わからん。タダの物取りならばそれに越したことは無いのだが……」
「金品目当てじゃなかったら、一体何が狙いだって言うんだ」
こうした少し辺鄙な場所で栄えている町というのは、なにかとこの手の輩の標的になる事が多い。
勿論常駐の兵士団や自衛団は居るだろうが、主要都市から離れているせいで万が一の場合に増援が望めないからだ。
だがそれだけに、こういった町の警備体制は並大抵ではないのだ。成功時に得る物は多かろうが、ちょっとやそっとの規模では失敗の危険も多い。
それでも尚行動に移したというからには、かなりの戦力を有しているのだろう。
「奴らの狙いは分からん。単に略奪が目的だけの単細胞ならば良いのだがな……」
そういってワルドは視線をキュルケとタバサに向ける。いきなり視線を投げかけられた二人は勿論理由が分からなかったが、少ししてキュルケがハッとする。
「え……?あたしたち……?」
驚くキュルケだったが、ワルドは軽く首を振る。
「流石にそれは僕の考えすぎだとは思うが、もし奴らが君達の宿泊を何かしらの手段で知ったのだとしたら――。それで無くとも、この宿に泊るのは貴族なのだ。ここを狙う以上、政治的な目論見が無いとは言い切れん」
今朝互いに自己紹介を済ませているので、ワルドもキュルケとタバサが近隣諸国からの留学生である事は知っていた。
もし隣国の貴族の子女がならず者に捕まったとなれば、国際問題に発展するのは火を見るよりも明らかだ。
ただでさえ、これから自分達が向かうアルビオンには『レコン・キスタ』という戦乱の火種が渦巻いているのだ。
この旅の目的も含めて、あまりトリステインにとって歓迎できない要素は少ないに越したことは無い。
皆に緊張が走る。
そうしているうちに、ワルドと同じく外の様子を窺っていたバッツから声が掛かる。
「皆、何か動きがあるようだぞ!?」
その一言に全員が窓辺に集まる。外から狙い撃ちされる危険性も考慮に入れて、壁に張り付いて覗き見る。外では何やら次の行動の為の命令が飛び交っているようだ。
人数が多いため、自然と命令の声も大きくなり、内容が室内からでも伺い知ることが出来た。
「何を話しているのかしら……?」
「シッ。少し黙っていてくれないか。よく聞き取れない」
注意深く外の様子を窺う。外では首領と思しき風格の男と、その傍らに立つ他の者たちとは一線を画す異様な雰囲気のマント姿の男が会話しているのが目に入った。
いかにもボスといった風体の一際着飾った人物と話すマント男は、顔を不気味な鉄仮面で覆い隠している。
その身なりからして平民や傭兵の類ではなく、どこぞの国の貴族のお忍び姿といった感じだ。
「どうやらあの仮面男が首謀者らしいな。やはりタダの物取りではないようだ」
ワルドが冷静に状況を判断する。貴族が関わってくるとなると、いよいよもって政治的な目的の匂いが強くなってくる。更に耳を澄ませ、敵の目的を聞き洩らさないように神経を集中させた。
「首尾はどうだ」
仮面の男が首領に向かって声をかける。
「見ての通りだ。少しばかり防備が強ええっていっても、アルビオン帰りの俺たちにとっちゃ屁でもねぇよ」
首領は自慢げに応える。
「そうではない、目標はどうなった?まだ宿が静かなのだがな、尖兵どもが返り討ちになったのではないか?」
「心配いらねぇよ。相手は高々片手で数えるだけしか居ねぇ、しかも大半は女子供だって言うじゃねぇか。仕損じる訳ねぇよ」
「貴様らが何人犬死にしようが知った事ではないが、手紙だけは手に入れるのだ。全員殺してでも必ず奪い取れ」
「手紙?わかったわかった。その代わり、報酬はキッチリとはずんで貰うからな」
「ああ、わかっている」
一連の会話を聞いたワルド・ルイズ・バッツの表情が凍りつく。
「今の聞いたか……?」
「うむ……」
「なんであいつらが手紙の事を知っているの……?」
これで奴らの目的が明らかになった。狙いは手紙、アンリエッタ王女の密書だ。今回の旅に際してアンリエッタから指輪の他に手渡された、ウェールズ皇太子宛の一通の手紙。
奴らは、それを狙っている。そしてその手紙の存在を知っているということは、もしかしたら皇太子の手元にあるというもう一通のアンリエッタの手紙の存在も知っているのかもしれない。
手紙を奪うことが狙いで、且つそれによって利益を得られる存在といえば……。
「あいつら、もしかして……」
「恐らくは『レコン・キスタ』だ」
ルイズの不安に、ワルドが確信を持って答える。最悪の状況だ。敵にこちらの情報が漏れている。
「最早一刻の猶予も無いな。君、タバサ君と言ったね。君の乗って来た風竜は全速力で飛んで、ここから王都までどのくらいかかる?」
ワルドがタバサに質問する。その意図が分からないが、タバサは問われるまま答える。
「魔法学院よりは少し近い。だから今からなら、日暮れ前には何とか辿り着くと思う」
タバサの返答を聞き、ワルドはさらさらと書状をしたためると、それをタバサに手渡した。
「よし。それならば君達三人にはこれから王城に向かってもらい、事情を説明して兵を要請して来てもらいたい。これは僕の命令書だ。これがあれば少なくとも僕のグリフォン隊は動くだろう」
「この街にも自衛の為の兵士団がいるんじゃなくって?」
「相手の規模が大きい。恐らくはこの町の兵力だけでは防ぎ切れまい」
キュルケの言葉にも、ワルドは冷静にけれど残酷な事実を答える。
「……あなた達はどうするの?」
タバサがルイズとワルドの顔を見て訊ねる。自分達が王都へ応援を要請しに行くのは構わないが、残る三人がここに残って戦うというのならばそれは了承出来る物ではない。
そんなタバサの考えを読み取ったのか、ワルドは安心させるように軽く笑みを作って答える。
「心配するな。ここに残って抵抗しようなんて馬鹿なことは考えてはいない。だが、僕達は先を急がなければならない。だから君達にもこの町にも悪いが、僕たちはさっさと逃げさせてもらう」
この旅の目的はアルビオンに向かい、ウェールズ皇太子からアンリエッタ王女の手紙を返してもらう事。
だがその情報が敵である『レコン・キスタ』に漏れてしまっているのならば急がなければならない。
奴らよりも早くウェールズ皇太子の元に辿り着き、アルビオンを脱出しなければならないのだから。
「幸い、まだ僕らの来た裏手にまで敵の手が及んではいないようだ。そこから一気に脱出する。問題は船着場が無事かどうかだが、それは行ってみないことには判らんな」
「それなら、私達が暫く時間を稼ぐ」
タバサが敵の足止めを買って出る。私達、とは勿論キュルケとギーシュも含まれているのだが、二人ともその考えに異論はないようだ。
「あなた達が無事に脱出したのを見届けてから、私達も行く」
「大丈夫なのかね?」
「こういうことには、慣れている」
ワルドは少し思案を巡らせるが、タバサの目を見て軽く頷く。
「わかった、ここは君の言葉に甘えるとしよう。だかくれぐれも無茶はしないでくれ。少しでも危険だと感じたらかまわずここから逃げて欲しい」
タバサはコクリと小さく頷くと、残るキュルケとギーシュも任せろとばかりに頷いた。残していくことに一抹の不安が残るものの、この場は任せて本来の任務を優先させることに決める。
バッツとルイズと視線を交わし、お互いに状況を飲み込んでいる事を確認すると、三人は言葉を発することも無く行動に移った。
先程まで手合わせをしていた宿裏の広場に出ると、ワルドは指笛でグリフォンを呼び寄せる。
それに三人で乗り込むと少し窮屈であったが、グリフォンはその重さをものともせずに船着場へと一直線に飛び立った。
『女神の杵』亭に残ったタバサたちは三人が裏口から消えるのを見届けると、作戦会議に入る。
「で、大見得切ったのは良いけど、具体的にはどうするんだ?僕達だけで何十人も相手にするのは正直無理だろ?」
ギーシュが不安を口にする。男の子として、こういうシチュエーションには憧れはするけれど、いざ実際にやるとなると話は別だ。自分の力量をわきまえているだけに尚更だ。
「別にあいつら全員を相手にするってわけじゃないわ。ちょっとの間だけ目くらましして時間を稼いだら、あたし達もすぐに逃げるのよ。で、タバサ。シルフィードは直ぐに呼べて?」
「直ぐに飛んでくる。問題はない」
「OK。なら、無理しない程度に派手に目を引き付けるわよ。絶対に離れ離れにならないように気をつけて、一分でも二分でも、とにかく相手を混乱させるわよ」
キュルケがそう作戦を説明した。いやはや、これは作戦なんて呼べるような代物ではない。完全に出たとこ勝負ではあるが、命がけというわけではないので、多少は心が軽い。
宿内でその様な相談が行われていた同じころ、外でも少し動きがあった。
宿に突入しようかという直前になって、鉄化面の男が急に作戦を変更すると言い出したのだ。
「あんだよ、この俺の指揮に何か文句があるってのかよ」
傭兵の頭は不満を隠すことなく、苛立ちを露にする。対する鉄仮面は、その仮面のせいで今どのような表情をしているかもわからない。
「別に貴様に不満があるというわけではない。貴様は優秀な指揮官とは言えんが、愚暗でも無い。ただもう目的を果たした、それだけだ」
「はぁ?」
頭には鉄仮面が何を言っているのか理解できない。確か、依頼されたのは宿の客の皆殺しだった筈だ。まだ皆殺しどころか、襲撃もこれから始めようかという所でしかない。
それなのに目的が達成されたというのはどういう意味なのだろうか。
「そんな顔をするな、貴様らは良く働いてくれたよ。お蔭でこちらの思い通りに事が運びそうだ」
「おいおい、ちょっと待て。俺らが受けたのはあの宿の客の皆殺しだぜ?まだこれからじゃねぇか。それに騒ぎを起こしときながら中途半端で終わるわけにゃいかねぇよ」
やはり納得できない。一体この不気味な男の真の狙いはどこにあったのだろうか。
「つまるところだな、重要なのは“手紙を狙う刺客が現れた”ということなのだよ。貴様達の狙いが手紙である、それだけで奴らにとって『レコン・キスタ』の刺客の出来上がりだ」
鉄仮面は言葉を続ける。
「『レコン・キスタ』の刺客が現れて先を急げばよいのだ。奴らにとってはこれだけが真実なのだからな。奴らの生き死にが問題なのではない。むしろ死んでもらっては困るのだよ。特にあの男にはな」
重大な事をさらりと話す鉄仮面。相変わらず表情を読み取ることは出来ないが、声の調子から悪びれた様子が一切伝わってこない。それが頭の神経を逆撫でる。
「じゃあ俺達への依頼は嘘だったって事か!?」
「そう取ってもらって構わんよ。まぁ実際にそうなのだからな」
「テメェ……俺達をダシに使ってハメようって魂胆だな!」
「まぁ貴様らは丁度良い駒であったのは認めるよ。……そしてもう、用済みだ」
そう言うが早いか鉄仮面は腰の剣を抜き放ち、一刀のもと頭の首を切り落とした。
突然すぎて、数々の戦場を生き延びてきた傭兵の頭も流石に反応することが出来ず、訳も解らぬままにその命を奪われてしまった。
「用の済んだ駒は捨てる。生かしておいても目障りなだけだからな」
仮面奥の瞳が冷酷に光る。
十数分後、ラ・ロシェールに突然竜巻が巻き起こった。被害はそう大きいものではなかったが、偶然にも同時刻に暴れまわっていた傭兵団の多くが巻き込まれ、騒動が一気に鎮圧された。
それが自然発生したものか、それとも魔法によって引き起こされたものかは判らない。ただ、竜巻の中心と思われる場所では首を斬り落とされた死体が一つ発見された。