水晶と虚無   作:is.

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第17話 アルビオンの夜は更けて

「ここは戦に使う物以外何も無いが、まぁゆっくりと寛いでくれ給え」

 

先程とは一転して、部屋はルイズ達を歓迎する和やかな雰囲気に包まれた。三人はまだ事情が消化しきれずに戸惑っているが、取り敢えずは命の心配はしなくて良いみたいだ。

それぞれが自己紹介をして、握手を交わす。相手は皇太子ではあるが、ここは公の場では無いので本人の希望によりくだけた形式での挨拶となった。

例によって相手が王族だろうがお構いなしで普段通りのバッツの態度にルイズは眉をひそめるが、幸いにして皇太子の気を損なう事は無かった。

 

「それにしても、よく私などの顔を覚え下さっていましたね。流石は一国の皇太子であらせられます」

 

と、ルイズがウェールズの記憶力を褒め称えた。だがウェールズは何処かバツの悪そうな顔をしている。

 

「なに、種明かしをしてしまえば、君のその美しいピンクブロンドはとても印象が強かったのだよ。逆に言えばその髪色以外は忘れていたのだ、恥ずかしい話」

 

彼は来てくれたのがルイズで良かった、とさえ笑っている。もしルイズの髪の色が平凡であれば、今頃三人は空に放り出されていただろう。杖もなしに。

ここは地上よりも雲の方が近いくらいの高度だ。何の装備もなしでは決して助かりはするまい。そう考えると背筋が寒くなる。

 

「そう言えば君たちは私に用向きがあるとの事だが、何かね?生憎と君達とは個人的な付き合いがあった覚えは無いのだがな」

 

こちらに向き直したウェールズの居住まいは、最早空賊の頭を演じた下卑たものではなく皇太子然とした威厳の溢れるものであった。

その雰囲気に思わずこちらも自然と背筋が伸びてしまう。

 

「勿論、私達の個人的理由からではありません。実は、アンリエッタ王女の依頼で参りました」

「ふむ。アンリエッタが私に何用なのだろうか」

「詳しくは、姫殿下より預かりましたこの手紙に書いてあります」

 

そういって手紙を手渡す。ウェールズは受け取った封筒の表裏を見回した後、封を開けた。そして幾度か便箋の文章を読み介した後、丁寧に封筒に戻した。

王女の手紙を読み終えた皇太子は、少しの間嬉しさと愛おしさを滲ませたが、直ぐにその表情を曇らせる。

その深い悲しみを湛えた瞳に、その場に居る誰もが声をかける事が出来なかった。

 

「あの……姫殿下の手紙には何と?」

 

恐る恐るルイズが皇太子に問いかける。

 

「いや、何。アンリエッタが婿を取ると書いてあったのでね。我が国が安泰ならばこうも急く事も無かっただろうにと考えると、どうにもやる瀬なくてね」

 

きっと書かれていた内容はそれだけでは無かった筈だ。しかし努めて明るい表情で居ようとする皇太子の姿に、誰もそれ以上の詮索はできなかった。

この密命を受けてから、ルイズはずっと考えていた。なぜアンリエッタがウェールズに宛てた手紙を取り戻さなければならないのか。

アンリエッタとウェールズは、従兄妹同士である。そしてトリステイン王家とアルビオン王家は友好的な関係なので、二人の間で手紙のやり取りがあったとしても何ら不思議は無いのだ。

しかしなぜ、それが『レコン・キスタ』の手に渡るとこの度の縁談が壊れてしまうのか。

それが恋文の類である事は想像に難くなかった。それでも、どうしてその内容が問題視されなければならないのかが腑に落ちない。

アンリエッタはまだ若いし、手紙を送った時は更に若かったであろう。だから何か国の機密を漏らしたとか、ゲルマニアに対して極度の嫌悪を表したという内容である筈がない。

ならば残る可能性は恋文しかない。しかし、それが何故縁談の障害となってしまうのだろうか。幼い頃から既に決定していた婚姻ならいざ知らず、ついこの間決まった話であるのに。

今更、過去の恋愛話を持ちだして不貞だ何だと騒ぎたてたところで何にもならない。その程度の内容で破談になるような時勢ではないのだから。

今回はトリステインがゲルマニアに助けを求める形での婚姻だが、ゲルマニアとてこのまま『レコン・キスタ』が台頭し続けるのを良しと考えるはずもない。

ゲルマニアだっていつ何時攻め入られる立場になるかも分からないのだから。だから、多少の事には目を瞑るだろう。それでも尚、無視できないような内容とは一体どのような物なのだろうか。

それが、単に王女の杞憂に過ぎなければいいのであるが……。

そんな考えが顔に現れてしまっていたのか、いつの間にか険しい表情となってしまっていたルイズに気付いた皇太子は優しく微笑むと、ルイズの不安を和らげようと声をかける。

 

「アンリエッタの求める手紙は、残念ながら今手元には無い。ああ、安心してくれたまえ。別に奴らに奪われたという訳ではない。ニューカッスルに落ち延びる際にハヴィランド宮殿より持ちだしてある。心配はしなくて良い」

 

最初手元に無い言われて落胆の表情を見せた三人であったが、次に皇太子の口から発せられた言葉に安堵の溜め息を吐く。

命と同じくらい大切なものだ、と語る皇太子の瞳に宿る優しい光が手紙の内容を物語っていた。

トリステイン王女とアルビオン皇太子はただの従兄妹という関係を超えた感情を互いに抱いていたのだろう。

 

「手紙を渡すにも、一度ニューカッスルまで戻らなくてはならん。手間を取らせて悪いが、暫く同行してもらう事になるな。ああ、帰りの足の心配はしなくて良い。それ位は我々で面倒をみるよ」

 

やれやれといった表情をした皇太子は、場を和ませようと少しおどけて見せた。取り敢えずこの旅の目的は果たせそうで安堵の息を漏らす三人。

まだ全ての問題が解決されたわけではないが、取り敢えずの到達点が見えて来たので安心感が込み上げて来たのだ。

 

「なんだか殿下が私の事をお覚えになられていたお蔭で、姫殿下より授かった指輪も無駄になってしまいましたわ。それはそれで良い事なのですけど」

 

と、ルイズが左手にはめていた指輪を見せた。元々装飾の殆ど無い地味な指輪で合った為、言われなければそれが王家所有のものだとは分からない。

いや、言われて見てもそうとは思えない程に古臭くて地味な指輪である。

 

「おや、それはトリステインの『水の指輪』ではないか。成程。アンリエッタはそれで身元を証明にさせようとしたのか。他に替えがきかないという点ではそれ以上の物は無いだろうな」

 

平民のような格好のルイズが何気なく身につけていたものだから、ずっと安物の指輪だろうと気にも留めていなかった皇太子は目を丸くする。

それもそうだろう。国の秘宝がこんな平民のなりをした年端もいかぬ少女が持っているなんて夢にも思ってはいなかったのだから。

暫しルイズの手の指輪を見つめた後、皇太子は指輪にまつわる話を一つ語って聞かせてくれた。

 

「『王家の指輪』と呼ばれる指輪が四つ存在しているのだよ。そのうちの一つ『風の指輪』が我がアルビオンに、『水』はトリステイン、『土』はガリアと三王家に三つの指輪が、残る『炎』はロマリアで継承されている。何でも始祖ブリミルゆかりの宝具らしく、それぞれの王権の象徴の一つとなっているのだよ」

 

これがそうなのだ、と皇太子は自分の左手の指輪を見せた。確かに、そこには『水の指輪』とよく似た造りの指輪が嵌められていた。違いは嵌めこまれた石の色の違いくらいだ。

『水の指輪』には青い海のような深い色の透明な石が、『風の指輪』には風の吹き抜ける緑の草原のような色の透明な石が嵌めこまれている。

その事から察するに、残る二つの王家の指輪には赤と茶、もしくは黄色の石が嵌め込まれているのだろう。

 

「一見するとごくありふれた、何の変哲も無い指輪のようですが」

「確かに飾り気の少ない質素な指輪ではあるな、しかし真贋を判別するのに容易な方法がある。」

 

ちょっと貸してみなさい、と言われるままにルイズは皇太子に指輪を手渡す。皇太子は受け取った指輪を自分のはめているモノに近づけた。

二つの指輪は共鳴するかのようにその輝きを強め、二つの石の間に虹が架かった。

 

「水と風は虹を作り出す。両王家の関係を示しているみたいではないか。まぁ他の指輪と近づけた時にどのような事象がおこるかは知らないのだがね」

 

他の組み合わせ、もしくは4つの指輪が一堂に会する時にはどのような現象が起こるのあろうか想像もつかないが、この様な仕掛けがあるとは流石は始祖由来の品である。

感心して指輪を見つめるルイズ達を余所に、皇太子は窓の方へと視線を移す。

 

「もうすぐ今の我らが拠点に到着するようだ。折角のアルビオン上陸がこの様な形になってしまうのは残念ではあるが、精一杯もてなそうではないか!」

 

窓の外には雲を従えて浮かぶアルビオン大陸が迫って来た。アルビオンは浮遊島ではなく、浮遊大陸である。

その面積は大国ガリアには遠く及ばないものの、トリステインと同等以上の面積がある。大陸と呼ぶには少々小さいが島と表現するには大きく、今は大陸扱いで落ち着いてるのだ。

さぁもうすぐ上陸だ、という段階になって急に船はアルビオン大陸の下へ潜るように進路をとった。普通上陸するのであれば上から降りるはずなのに、この船は陸地の下へ下へと潜っていく。

なぜこのような進路を取るのかと尋ねても皇太子はニヤニヤと笑うだけで、「まぁ見ていれば分かる」としか答えてくれない。

まるで、ルイズらが困惑している様を楽しんでいるようだ。

暫くして、船体が完全に大陸の下に潜った。そこは雲の中に加え、全く光の当たらない完全なる闇の世界であった。

船内は灯されたランプの光で辛うじて明るさを留めているけれども、窓の外は直ぐそこも判別出来ぬ程の濃い闇に覆われていた。

何の意図があってこの様な航路を取るのかが分からないルイズ達三人は、急激な状況の変化にただただオロオロとするばかりである。

ワルドに寄り添い不安げな表情を浮かべるルイズと、そんな彼女を安心させようと優しく肩を抱き寄せるワルド。

訳が分からずに怯えるルイズが気の毒に思えて来たのか、皇太子は少しバツの悪そうな顔でネタばらしをした。

 

「すまない、すまない、少し意地悪が過ぎてしまったようだな。アンリエッタの大事な友人を酷く怯えさせてしなったようだ。何、案ずる事は無い。この船は予定通りニューカッスルに向かっておるよ。ただ、ちょっとばかり尋常ではないルートを通らなければならない事情があってね」

 

そう言って皇太子は窓に近づき外に顔を向けた。相変わらず窓の外には闇があるだけで、窓ガラスは室内の光を反射してまるで鏡のようになっていた。

そのお蔭でこちらに背御向けて立つ皇太子の表情を見て取る事が出来る。その顔は平静さの中に深い憂いを滲ませたものであった。

その皇太子の表情に、自然と部屋の雰囲気も沈んだものに変わっていった。

その空気に気付いた皇太子は、また努めて明るく笑い飛ばすように話を続けるが、自嘲の混じるその言葉は彼の心の憂いを更に強く伝えるものであった。

 

「何と情けない事に、今は空もほぼ『レコン・キスタ』どもに掌握されてしまっている。よって通常の方法では陸地に降下する事もままならぬのだよ。奴等は空でも常に目を光らせている。一度発見されようものなら、この船もあっという間に撃墜されてしまうだろう。しかし案ずる事は無い。ニューカッスル城には秘密のトンネルがあるのだ。光の存在せぬ大陸の真下に通じる秘密の抜け穴がね。そしてそれこそが、我々がハヴィランドを棄て此処に拠点を移した理由でもある」

 

視界ゼロの暗黒の空間を船が進んでいく。皇太子によれば、大陸の下部分は山をひっくり返したような険しい地形が連なっているのだという。

普通に進めば直ぐに岩肌に衝突してしまう難所を、この船はそろそろと速度を落としながらも確実に前進していく。

船の現在位置に大陸の向きや移動速度など、様々な条件を正確に分析して夜よりも暗い闇の中を進んでいく船。

この道の存在を知り、通る事が出来るだけの技術を持つ者のはアルビオン軍の中でもごく少数であるらしく、その者たちが離反しなくて良かったと皇太子は寂しげに笑って見せた。

もしそうでなければ、もっと早くに王家の者たちは逆賊どもの手に掛かってしまっていただろう。

今日まで皇太子達が生き長らえることが出来た最大の理由が、このニューカッスルの抜け穴であった。

今まで水平方向へ移動していた船が、急に垂直上方向へと動きの向きを変えた。どうやらその抜け穴の地点に到達したようだ。

上へ昇り始めて数分すると、窓の外に松明らしき明かりがポツリポツリと見えるようになってきた。

 

「この縦穴は古いものでね、最近の大型艦では行き来する事は叶わぬのだよ。我が空軍所属の主要な大型艦は全て『レコン・キスタ』のものとなってしまったが、まぁこれも不幸中の幸いというかなんというか、といったところか」

 

手元に残ったこの船を使い、空賊まがいの事をして食料等を調達して尚且つゲリラ戦法を取ってなんとか抵抗を続けているというのだ。

この抜け穴が相手に知られていない事も加わり現状を維持できている。だが、所詮は現状維持……いや、現実にはジリ貧の状況だ。

王党派残党と『レコン・キスタ』では戦力的にも物資量的にも差がありすぎて、奇跡でも起きない限りどうあがいても事態を打破できる手段が無い事が皇太子の口から告げられた。

所詮無駄だと分かっていても、この先に待つのが敗北だけであると分かっていても、抵抗は止められないと皇太子は言う。これは王族としての誇りの問題なのだ、と。

 

「確かに『レコン・キスタ』どもの掲げる主義主張は、王家に名を連ねる者としては容認することはできん。しかし、だからと言って敵として憎みきる事も出来ぬ。なぜなら奴等の多くは元々は我が王家に使える臣下であったのだからな。それ以上に、そんな彼らに叛旗を翻さざるを得ない状況を作り出してしまった自分達の不甲斐無さが悔やまれる」

 

皇太子の顔が苦悩に歪む。つい先日までは忠臣であった者たちが杖を向けてくると言う現実。

それは裏切られたという恨みよりも、王家として、上に立つ者として器と政治手腕が足りていない事を突き付けられたという苦々しい反省の情を引き起こす。

平和であることに胡坐をかき続けて、怠けてしまっていた自分達に降りかかって来た手痛いしっぺ返しなのかもしれない。だから皇太子は、これは自分達が甘んじて受け入れるべき罰なのだと。

けれども、はいそうですかと国を明け渡すわけにはいかない。例え最後の一人となろうとも抗う事を止めるつもりは無い。

これは始祖の時代以来六千余年に渡り国を守り続けて来た一族の末裔としての最後の誇りをかけた戦いなのだ。負けると判り切っている戦い。

だから重要なのは如何にして生き延びるかではなく、如何にして死ぬかだ。出来るだけ華々しく、王家の威厳を損なわない散り方をしなければならないのだと。

そう語る皇太子の顔は、寂しさの中にも熱さを感じさせている。

 

「死ぬのは怖くは無いのですか?」

 

熱弁を振るう皇太子の様子が納得のいかないルイズは疑問を投げかける。普通なら、この様な状況では取り乱したり悲壮感を露わにしてもおかしくは無いのだから。

だから、皇太子が何故平然とした態度でいられるのかが理解できなかった。

 

「死ぬのは怖いさ、勿論。だがね、今は死ぬ事も王家の務めだと思っているのだよ。我らが死んでもただ支配者が入れ替わるだけで、この国が消えて無くなる訳ではない。国が安泰でいられるのなら我々に残された仕事はただ一つ。誇りを守って如何に華々しく最後を飾れるかどうかだ。アルビオンの王家として誇りを守るに足る死に様を相手に見せつけられれば良いのだよ」

 

それは嘘だ、とルイズは思った。皇太子はまだ若い。ワルドやバッツとたいして変わらない年恰好の皇太子が、如何に王族とはいえこれだけあっさりと人生を諦められるはずがない。

生きてやりたい事がまだ山のように残っているはずだ。それを全てスッパリと諦めて喜んで死ねる程、皇太子は人生を歩んではいない。

それでも目の前の青年は、そんな事をおくびにも出さない。気丈にも最後の一瞬まで国の皇太子として振舞うつもりなのだろう。

その気持ちが分かってしまっただけに、ルイズにはそれ以上何も言えなかった。

しばしの後、船の動きが停止した。どうやら目的地に着いたらしい。船員たちが慌ただしく動き回っているのが部屋の中にも伝わってくる。

 

「皇太子殿下、城に到着しました」

 

ニューカッスルに到着した事を伝えるため、船員が一人やってきた。その船員も、やはりなりは空賊の物であるが、その所作振る舞いはきちんとした教育を受けた兵士のそれである。

この船の乗組員が全員アルビオン王国軍の残党である事を改めて思い起こさせられる。と同時に、空賊に身をやつさねばならぬ彼らの状況に同情を禁じ得ないのであった。

船を降りると、一人の老貴族が駆け寄って来た。王家の腹心の一人であろう。

 

「おお、パリ―か。出迎え御苦労。して、戦況に何か動きはあったかね?」

 

皇太子にパリ―と呼ばれた老貴族は、申し訳なさそうに顔を曇らせて答えた。

 

「残念ながら、何も……。予定通り、次の夜明けとともに彼奴等の総攻撃は開始されますでしょう」

「そう、か……。わかった、御苦労であったな。では明日に備えて今日の収穫の配分を頼む」

「して、今日の戦果はいか程なのでしょうか」

「うむ。新鮮な食料と……硫黄を始めとする秘薬があったぞ」

 

奪った商船の積み荷の内訳を簡単に教えると、老貴族の顔が幾分明るくなった。

 

「これはしたり。これで彼奴等の目にものを見せてやれるというもの。貴族たる者、やはり最後は華々しく散りたいものですからな」

 

満足気にそう言うと、老貴族は次の仕事に取りかかるためにいそいそと去って行った。

 

「夜明けと共にとは、どういう事なのですか?」

 

皇太子の後ろで話を聞いていたワルドが質問する。

 

「そのままの意味だよ、子爵。まぁ、詳しい話は部屋に戻ってからにしようじゃないか」

 

と、ルイズ達三人は皇太子に案内されるままに彼のこの城での居室へと通された。

ウェールズの個室は城の天守の一角にあったが、とても一国の皇太子の部屋とは思えない程に殺風景な物であった。部屋の中には質素な家具が最低限設えてあるだけである。

ただ寝る為だけの部屋であった。他には衣服が数点あるだけである。それもきちんと片づけられてはおらず、壁などに適当に掛けてあった。

皇太子は壁際にある机に近寄ると、その引き出しの中から宝石ほ散りばめられた箱を取りだした。カチリ、と小さな音を立てて箱を開けると、その中から一通の手紙を取り出す。

そして皇太子の動きが止まった。皇太子がルイズ達に背を向けた格好になっているので、こちらからでは何をしているのかは分からない、だが、恐らくは手紙を読み返しているのだろう。

彼の背中越しでも、優しい気持ちが溢れて来るようであった。少しして、ようやく皇太子がこちらに向き直った。

 

「待たせて悪いね。これがアンリエッタからの手紙だ」

 

そう言って皇太子はルイズに封筒を差し出す。何度も繰り返し読まれたであろうその手紙は、封筒の角がボロボロになっていたが、余計な皺や折り目は一切付いていなかった。

いかに大事に扱われていたかが伝わって来て、ルイズはそれがとても悲しかった。

 

「明朝には『レコン・キスタ』どもの総攻撃があると聞きましたが、それは本当なのですか!?」

 

場が落ち着いたのを見計らって、ワルドが先程の答えを皇太子に迫った。

 

「その通りだよ、子爵。明日の日の出と共に奴等は最後の攻撃を仕掛けて来る」

「最後……ですか」

「ああ。最後、だ」

 

最後、という言葉に皆の顔が暗くなる。最後というからには、これで全て決着が付いてしまうのだ。恐らくは王家の敗北という形で。

 

「勝つ見込みは無いのですか?」

 

最後の望みとばかりに、ワルドが聞き返す。だが皇太子は、当然のようにごくあっさりと残酷な現実を示した。

 

「無いな。我が方の残存勢力はどう多く見積もっても三百。対して奴等は残りのアルビオン軍全て、五万はいるだろう。加えて保有する船の規模が違い過ぎる。一騎当千の勇者が百人居たとしても勝ち目は無いな。しかもそれで勝ったとして、その後の政は立ち行かくなるだろう。どちらを向いても、もう負けるしかないのだよ」

 

もうお手上げだ、とばかりに肩をすくめて話す皇太子。

 

「殿下も、討ち死にを覚悟なされているのですね」

「当然だ。王族として、将として、戦闘の最前線に立ち勇猛果敢に闘い、そして散る所存だ。名誉のために死ねるのならば、王族として本望だ。君もそう思うだろう?子爵」

 

そう言われては、ワルドには返す言葉が無い。きっと自分だって似たような立場に追い込まれれば、皇太子と同じ事を言うだろう。

例え負けると判り切った戦いであっても、己の名誉を守るためならば喜んで死地へと飛びこんでゆくだろう。貴族とは、武人とはそういうモノなのだ。

皇太子の努めて明るく振舞おうとすれするほど、その悲壮な覚悟の程が見て取れる。

 

「あの……」

「なんだい?ルイズ君」

 

重くなりかけた空気の中、ルイズが恐る恐る発言した。

 

「無礼を承知で申し上げます。どうしても殿下にお伺いしたい事が一つあるのです」

「うむ。何なりと言ってみたまえ」

 

ルイズは意を決したように、皇太子の瞳を真っ直ぐに見据えて話しだした。

 

「今程お預かりしたこの姫殿下のお手紙……。これは、もしや恋文なのではありませんか?」

「……どうしてそう思うのかね?」

 

皇太子の顔が一瞬、険しくなる。しかしそれもほんの少しの間で、また元のように笑顔を張り付かせた表情に戻った。

 

「私めに今回の依頼をなさった時の姫殿下のご様子や、今しがたの殿下のご様子、そして何よりこの手紙がトリステインとゲルマニアの同盟を妨げるという事を鑑みるに、その可能性が一番高いのでは、と。しかも恐らくはただの恋文ではなく……」

「ふむ。なかなかに察しが良いな。君の想像通り、あれはアンリエッタからの恋文だ。一時期、私とアンリエッタは心を通わせていた。まぁ言ってもお互い国の将来を背負う身、恋仲と呼べるほどのものであったかどうかは疑わしいものだがね」

 

軽く笑いながら話す皇太子の言葉の中の“一時期”というのは嘘だ、とルイズは直感的に感じ取った。それがただの過去の話であるならば、手紙を見る皇太子の態度は説明が付かない。

きっと、アンリエッタもウェールズも未だにお互いの事が忘れられないのだろう。それほどまでに深く心を通じ合わせていた……、いや、今も心通わせているに違いない。

 

「君が疑問に思っている事は分かるよ。何故ただの恋文がそれほどの危険を孕んでいるかだろう?」

 

ルイズは無言で頷く。そこがイマイチ合点がいかないのだ。若気の至りともとれるモノが、なぜ……。

 

「この手紙には、非常にまずい文言が書かれているのだよ。即ち、始祖の御名の元に私への永遠に変わらぬ愛を誓うと書かれているのだ。君らも知っての通り、そんな始祖の名に誓う愛なんて婚姻の際に使う言葉だ。だから、この手紙は私とアンリエッタの婚姻の成立を意味する物とも取れる。そして重婚は何よりも忌避すべき罪だ。まぁこれが直接ゲルマニア皇室の手に渡るのならば彼らはそれを握りつぶし、何も無かったものとして婚姻は執り行われるだろう。だがこれが貴族派の手に渡り、世に広く知れ渡らせたらどうなるだろうか?流石に同盟はお流れとなり、トリステイン・ゲルマニア双方が単独で貴族派に立ち向かう事となるだろう。奴等にとって、その方が何倍も組み易いのであるからな」

 

私情を交えず、ただ淡々と事実のみを語る皇太子。

 

「でも、この手紙はずっと大事に取っておいて下されたのですよね。殿下の気持ちはずっと、姫殿下と同じものであったのですよね!?」

 

真っ直ぐに見つめるルイズの視線に負け、皇太子は心の内を少しだけ白状した。

 

「ああ、彼女は私がまだこの手紙を捨てずに取って置いているものと分かっていて、君達を寄越したのだろう。実際、女々しくもこうして残していたのだからな。それにこの様な手紙など燃やして捨てる事も容易かろうに、この期に及んでもそれが出来ぬと来たものだ。」

 

と自嘲気味に笑う。捨てたくても捨てられぬ、燃やしたくても燃やせぬ程に大切なものなのだ。

 

「ならば亡命なされませ。生き延びて、お心に正直になられませ。我がトリステインならば、アンリエッタ姫殿下ならばきっと喜んで受け入れなさる筈です!」

「だがそれは出来ない。私は王族だ。その身も、心も、全てが国の為に存在している。自分の思うが儘になる物など一つも無いのだよ。どの様に生きるもどの様に死ぬも、何一つとして思い通りにはならぬ。それはアンリエッタも同じ事。彼女も良く知っている事だ」

 

ルイズの必死の懇願にも、皇太子は首を縦に振る事は無かった。そればかりか亡命を勧めれば勧めるほど、皇太子の態度は硬化していくようであった。

 

「それに亡命したとして、私を受け入れたばっかりにトリステインに迷惑がかからんとも限らない。何しろ貴族派の目的は全ての王家の根絶なのだからな。私が落ち延びれば、必ずやそれを追って奴らの手が迫るだろう。それは避けなければならない。……この話はもうここまでにしよう。君らに何と言われようとも、私は考えを変えるつもりは無い」

 

でも……、となおも食い下がろうとするルイズに皇太子はピシャリと言い切り、話はこれまでとなった。

夕陽の差し込む部屋に重苦しい空気が流れる中、何とか話題を変えようと皇太子は新たに話を始めた。

 

「今夜はささやかながら宴を催す事になっている。最後の晩餐ではあるが、良ければ君達も参加して言ってはくれないか?アルビオン最後の客人として歓迎しよう。だがそれにはまず……」

 

皇太子は顎に手を遣り少し悩むような仕草を見せた。何が問題なのか分からず顔を見合わせる三人に、皇太子は少しお茶目にウインクしながら言葉を続ける。

 

「君らの格好をどうにかしなければならないな」

 

とバッツとルイズに目を遣る。バッツはいつもの服であるし、ルイズは街娘のような格好をしており凡そパーティーには似つかわしくない。

 

「服ならば何着か持ち合わせがあるから、その中から選んで着替えてくれたまえ。ルイズ君は申し訳ないが別の部屋で着替えてもらおう。バッツ君はこっちに来てくれ」

 

皇太子が机の上にあった鈴を鳴らすと、侍女が一人やって来てルイズを別の部屋へと連れて行った。バッツは皇太子に呼ばれるまま部屋に残った。

ワルドはルイズの様子が気になるらしく付いて行ったが、多分部屋の前で締め出される事になるのだろう。

部屋では皇太子が空賊衣装を脱ぎ、純白の礼装に身を包んだ。王族の象徴である明るい紫のマントを羽織り、頭には七色の羽のついた帽子をかぶる。

この日の為に用意しておいたのだろう、皺ひとつないまっさらな衣装に身を包む皇太子は、輝かくばかりの威厳を放っていた。

その後何着か服を見繕うと、その中の一着をバッツにあてがう。

 

「うむ。丁度よい事に君と私は体系が似ているな。これならば私の服でも十分に着る事が出来るだろう。何だったら他のも全て持って行ってくれても構わぬよ」

 

急にそんな事を言われても、困ってしまう。他の物ならいざ知らず、衣服までもはい有難うと受け取る訳にはいかない。それも全部だなんて。

 

「そんな……。王子様の着る分が無くなるじゃないか」

「私にはこの一着があればいい。どうせ明日には死ぬ身だ。誰かに奪われたり瓦礫の下敷きになるくらいなら、自分の意思で譲りたいものだよ。遠慮せずに全部持って行ってくれたまえ」

 

悲しげに笑う皇太子に押されて、バッツは反論も出来ずに手渡された服に袖を通した。背格好が似ていたお蔭で、別段問題も無く着こなす事が出来た。

今まで着ていた服と残りの皇太子の衣装は、腰の道具袋に仕舞う。軽く髪を整えると、バッツもそれらしく見えて来てしまうのが不思議なものだ。

 

「中々に似合うじゃないか。これなら何処ぞの貴族と紹介されても通用するな」

「馬子にも衣装だよ。俺は貴族なんて柄じゃないさ」

 

バッツは少し照れてそう返す。

 

「そうか。しかし、君はルイズ嬢やワルド子爵とはどのような関係なのかね?ただの平民が何の義理があってこんなアルビオンまで付いてくるというのだ?」

 

そう言われるとバッツは説明に悩む。まさか「ルイズの使い魔です」と正直に話すわけにもいかない。例え話したとしても到底信じてはもらえないだろうが……。

しかし明日にも死のうかという人間に対して嘘を吐くという気にもなれないバッツは少し悩んだ末、結局正直に話す事にした。

 

「何と!君は彼女の使い魔なのかい!?成程……。いや何、ワルド子爵とルイズ嬢は恋仲か何かだろうと察しは付いたのだが、君の存在が少々解せなくてね。子爵配下の者という風体でも無し、ただの従者がこの様な危険な場所まで付いてくるものかと思っていたが。

しかし成程、使い魔なら合点がいく。人間の使い魔というのも珍しいが、全くあり得ない事ではないのだろうしな。現に君がこうしているわけだし」

 

使い魔の証である左手甲のルーンを皇太子に見せると大層驚かれはしたが、驚くだけで意外とあっさりと事実として受け止められた。

マジマジとルーンを見る皇太子の顔を見ていて、ふと浮かんだ疑問をバッツは投げかけてみる事にした。

 

「そう言えば王子様の使い魔はいないのか?」

「うん?……ああ、私の使い魔か。勿論居はしたが、ハヴィランドから逃げる際に私を庇って、ね。この帽子の飾りと同じく七色の羽をもった美しくも気高い鳥だったのだがな……。ま、もうじきまた会える。私も直ぐに後を追う事になるだろうからな」

 

また寂しくなる様な話題を振ってしまい、しまったと後悔するバッツであったが、皇太子はそんな遠慮は無用とばかりに明るく振舞う。

そんな皇太子に、バッツは最後に一つだけと質問を投げかける。

 

「なぁ……、本当はあんたもまだ王女様の事を好きなんだろ?」

「さぁ、それはどうかな。でも君の様に平民で……、いやさ一介の貴族であったのならこれほどまでに悩み苦しむ事は無かったのかもしれないな」

 

バッツの問いにはぐらかしながらも皇太子は答える。そして、でも……とさらに続けた。

 

「しかし、今は皇太子に生まれた事を怨んではいない。アルビオンの皇太子であったからこそ、アンリエッタと出会う事が出来たのだ。だから、私はそれを誇りに死のうと思う。今までの人生全てが無駄ではなかったと、幸せな物であったと胸を張り真っ直ぐ前を向いて死ぬ事が、彼女の為にできる精一杯の事なのだから」

 

沈みゆく夕陽を見つめながら、皇太子はこう締めくくった。陽の光に眩しそうに目を細めるその横顔は、その先に愛しい女性の面影を見ているようであった。

 

 

 

日も沈み、夜の帳の下りたニューカッスルの城では、ささやかな立食会が催されていた。城内で一番の大広間には玉座が据えられ、皆思い思いに着飾って参加していた。

この場に居る何人が明後日の夜明けを迎えられるというのだろうか。そんな絶望的な空気など微塵も感じさせないほどに華やかに宴は始まった。

玉座に座る老いた国王が挨拶を述べると、会場が割れんばかりの歓声が巻き起こった。

熱狂の渦から取り残され、冷静な瞳で皆の様子を見るルイズたち三人には、その場の雰囲気は異様なものとしか形容しがたいものであった。

壁際に佇み、広間の参加者の熱気に溶け込めずにいる三人は、ただただ困惑の表情を浮かべるだけだ。

 

「みんな、明日には死んでしまうというのに、どうしてここまで明るく居られるのでしょうか」

 

グラスを回しながらルイズが誰にとも無く呟く。借り物のドレスは少し大きかったけれどもその場で手を加えてくれてもらったのでそれほど不快では無い。

それでも浮かない顔をしているのは、この雰囲気が理解できないからであった。

 

「無理にでも自らを奮い立たせねばならぬからさ。己の命と、己の誇り。この二つを天秤にかけた時、どちらが重いかは貴族ならば考えるまでも無いはずだ」

 

ワルドがルイズの問いかけに答える。それはルイズに答えるというよりも、自分自身に言い聞かせているような節も感じられた。

 

「それは分かっています。でも、それでも納得がいかないのです。皇太子には待つ人が居るというのに、生き延びる機会があるというのに、なぜ自らその道を捨てて死に突き進まなければならないのですか?」

「それは、王族であるからだ。貴族には、何を捨てても優先させなければならないこともある」

「ではワルド様も、私よりご自分の誇りを優先させるというのですか?」

「僕は……」

 

ワルドは言葉に詰まる。どう答えればルイズの望む答えを与えることが出来るのだろうか。少し考えた後、やさしく微笑みながら答えた。

 

「僕は、君を残して死んだりはしない。君を守る、それが僕の守るべき誇りだ」

 

ルイズの瞳を見据え、ゆっくりとかみ締めるように言葉を紡ぐ。

ルイズに、自分に言い聞かせるように話す姿に安心したのか、ルイズは少し頬を染め満足そうに頷くとグラスのワインを飲みほした。

そのまま二人は料理を取りに人の輪の中へと入っていった。

バッツは一人壁際に残り、人々を見つめていた。国王と皇太子が会場を周り、臣下一人一人に声をかけているのが目に入る。

普通ならそのような事はしないのだろうが、これが最後と思えばの行動だろう。中には感極まって泣き出す者も幾人かいた。

 

「どうしたい相棒、いつに無く暗い顔してるじゃねぇか」

 

壁に立てかけておいたデルフリンガーから声が掛かる。バッツは会場の方から視線を外すことなく、その声に答える。

 

「こういう場は、好きじゃないんだ」

「宴会がか?」

「いや、……何て言えばいいかわからないけど、こういう雰囲気は好きじゃない」

 

自分でも何て説明すれば分からないが、とにかく“こういう雰囲気”としか形容できない。戦の前の高揚した雰囲気というのは経験した事のあるバッツではあるが、今回のこれとはまた違う。

例えその中の幾人かが死ぬこととなっても、その先に勝利の可能性が見えているのといないのとでは天と地程の違いがある。

彼らの進む先には、死と敗北しか待っていない。それでも彼らは喜び勇んで死地へと赴くのだろう。ただ己の誇りを守るためだけに。

 

「俺もよ、貴族の考えてる事なんてわかんねぇ。大切なモノを守るために命がけで戦うってんなら納得のしようも少しはあるけどよ、それが“誇りの為”ってんじゃ話にはならねぇわな」

 

デルフリンガーが鼻で笑うようにそう言い放つ。

 

「誰だって進んで死にたかねぇ。そりゃ平民だって貴族だってエルフだって同じさ。モチロン俺だってそーだ。そこで自分を納得させられるだけの理由をこじつけんのは、まぁ分かる。相棒、相棒なら何のために死ねる?」

「俺……?」

「国か?友か?家族か?それとも女か?」

 

真っ直ぐ前を見つめたまま、バッツは考える。何の為だったら自分は死ねるのだろうか。

誰かを守るために死ぬのか?それも悪くは無いのかもしれない。でも、自己満足の為に死ぬのなんてまっぴら御免だ。今の自分の命は、大切な仲間の犠牲あってこそのものである。

それを軽々しく捨てるなんてことは許されない。もし命を差し出すとしたら、自分の為に散って行った仲間と同じ理由だろう。

 

「俺は……俺は死ぬなんて考えない、少なくとも誇りなんてものの為には。もし俺が何かの為に命を懸けるとしたら、それは未来の為だ。未来への希望を守るためだったら、捨て石にもなれる……と思う」

「未来、か…………良い言葉じゃねぇか」

 

そしてそのまま二人は黙り込んだ。黙ったまま、何分かの時間が流れる。しかし、その沈黙も苦では無かった。

もうしばらくしてルイズとワルドの二人が戻って来た。大分質問攻めにでもあったのであろうか、二人ともやや疲れたように見える。

 

「なんだい、バッツ君はずっと此処に居たのかい?」

「ああ。どうもこういう雰囲気に馴染めなくてね」

「そうかい。でもルイズの従者をしているのならば、このような宴に顔を出す機会も多くなるだろう。慣れておくにこしたことは無いよ」

「努力はするよ」

 

ワルドとそんな会話をしている時に、思わぬ人物から声が掛かった。

 

「やあワルド子爵にルイズ嬢、それにバッツ君。どうだい、楽しんでもらえているかい?」

 

酒が入っているのか、少し顔の赤い皇太子が近づいてきた。

 

「挨拶回りもやっと終わってね、ようやく君達の所に来る事が出来たよ」

 

酔いのせいもあってか至極上機嫌の皇太子を見ていると、もう数時間もしないうちに死地へと赴く人間なのかと疑いたくなる。

まるで平穏な明日が待っているかのようだ。

 

「君達に伝えておかなければいけない事があったのを思い出してね。少し時間良いかい?」

「ええ、勿論ですわ。して、その要件とは何なのでしょう?」

 

今までほろ酔いだった顔が一気に引き締まり、真面目な表情で皇太子は話し出した。

 

「君達の帰りの足の件で少しな。君達の知っての通り、夜明けと共に最後の総攻撃が始まる。だからその前、闇の最も濃い時間に地下の抜け穴から使用人達平民を乗せた船を逃がす。そこに乗船してもらいたい。舵取りには腕利きのを付けるから安心したまえ」

「逃がすのは平民だけ、なのですか?」

「メイジの、貴族の者は皆ここに残り最後まで抵抗を続ける」

「それは女子供も、というわけですか」

「ああ。それに老人もな」

 

領地を奪われた貴族に生きる道はそう多くは無い。簡単にプライドを捨て平民に溶け込めるのであればそれに越したことは無いが、それが出来る貴族などそう居るものでもない。

それならば一族郎党ここで玉砕するほうがマシだという考えに基づく結論である。

生きてさえいればどうにでもなる、というのは誰にでも当てはまるものではない。生き抜く術を身に付け、それだけの気力を兼ね備えた者でなければ無理なのだ。

特に誇りを重んじる貴族にとっては平民と同じように暮らし、或いは土や泥にまみれた重労働をして口に糊する生活など耐えられはしないだろう。

生かすのも情けならば、死なすのも情けなのだ。

また重くなりかけた空気を鋭敏に感じ取り、皇太子は慌てて違う話題を振った。

 

「そんな事より、君達にもう一つ頼みごとがあるのだが」

 

頼み事とは何だろうか。皇太子の意外な発言にキョトンとする三人。まさか宴会の余興に何か芸でも披露してくれというのだろうか。

この中でそんな事が出来そうなのはバッツくらいではなかろうか。

 

「頼みというというのはね、子爵とルイズ嬢に関する事なのだよ」

 

私達、ですか?とルイズとワルドが声を揃えて驚く。一層、皇太子の考えが分からなくなるばかりだ。

 

「不躾で悪いとは思うが、君達二人は恋仲なのだろう?」

 

いきなりそんな事を言われて二人とも驚いたなんてものではない。別に隠していたわけでもないのだが、面と向かって言われると恥ずかしいものである。

元々許婚であるのだし、お互いの事は憎からず思っている事も今回の旅で再認識することが出来た。

でも、こうして改めて恋人だと断定されると、それはそれで気持ちが浮ついてしまうものである。

なんだか照れてしまっている二人を微笑ましく見ながら、皇太子は更に一つの提案をした。

 

「もし差し支えなければ、この城の礼拝堂で君達の結婚式をさせてもらえないかね?」

「け……結婚式、ですか!?」

 

余りに突然の申し出に目を白黒させるルイズ。ワルドとていつかは挙式を……とは考えていたが、それも少なくともルイズの魔法学院卒業を待ってと考えていた所である。

今日会ったばかりの、しかも一国の皇太子からの申し出である。断りづらいものではあるが、そう簡単に承諾しかねる事でもある。

互いに顔を見合わせ思案に暮れるワルドとルイズの様子が可笑しかったのか、皇太子は少し吹き出してしまった。

 

「何も正式な式を挙げると言うのではない、あくまでも『真似事』だ。居るのは君達と僕だけの、ほんのママゴトみたいなものだよ」

 

と王子は軽く笑いながら話す。あくまでも『ママゴト』である事を強調しているが、是非にという強い想いが言葉の裏に滲んでいた。

 

「それは構わないのですが……。何故今なのですか?」

 

もう明日にはこの場に居る殆どの人間が死んでしまうと言うのに、そんな中での挙式など場違いも甚だしい。それにそんな時間の余裕があるのだろうか。

いくら負けが決まったような状況とはいえ、皇太子も少しは体を休めておかなければならないというのに、そんな事をしていて良いものなのだろうか。

 

「これは私の我儘でしかないが、滅びゆく王国の人間が最後に残せる物として、せめて未来ある若者の前途を祝福したいのだよ。これは死出の旅路に赴く者へのせめてもの手向けだと思って、どうか引き受けてはくれないか」

 

未来ある若者……。本来ならば、皇太子もその“未来ある若者”の一人である筈なのに、彼にはもうその“未来”が無い。

しかし何とか生きた証を、生きていたという記憶を誰か一人でも多くの人間の心に残したいのだろう。その為に、出会ったばかりのルイズ達にさえもこれほど気を遣ってくれるのである。

その心遣いが嬉しくもあり、と同時に非常に悲しかった。顔では笑っているけれども、その心の中はどのようであるのか。皇太子の心中を察すれば、この申し出を断る訳にはいかなかった。

 

「……わかりました。殿下の御心遣い、有り難くお受けいたします」

 

そのルイズの返事に、ウェールズは心の底から満足そうにほほ笑んだ。

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