水晶と虚無   作:is.

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第18話 ワルドとワルド

闇の支配する石造りの礼拝堂内は、夜の冷気も相まってひんやりとした厳かな雰囲気を醸し出していた。

人間を象ったであろう石像が正面中央に安置されている。室内に揺らめく蝋燭やランプの灯りに照らし出されるそれは。この上なく神秘的な存在に感じる。

仄かな灯りに浮かび上がるその像は、『始祖の像』と呼ばれてはいるが、極限まで抽象化されていて何処に始祖の面影を見ればいいのか分からない。

その像を背に立つウェールズと、それに相対するように並んで立つルイズとワルド。バッツは少し離れた後方に佇んでいる。

参列者はバッツたった一人の結婚式……いや、結婚式“ごっこ”。

本来ならロマリア連合皇国に籍を置く神父が立つべき役割をウェールズが代行し、ルイズは新婦が身に纏うという純白のマントを羽織っている。

この場に居る面々は先程までの宴に参加していたままの恰好であったが、バッツだけは皇太子から貰った服ではなく、着なれたいつもの服に着替えている。

それは単に高価な服に着慣れていなくて精神的に着心地が悪かったのと、この後直ぐに脱出船に乗り込む手筈になっているのだし何時までもあの服のままでいる訳にもいかなかったからだ。

ウェールズは手にした花の冠をルイズの頭に載せると、高らかに宣誓した。

 

「それでは、これより式を執り行う」

 

静寂の礼拝堂に皇太子の声が響く。

 

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、妻とする事を誓いますか」

「誓います」

 

ワルドは刃を下にして杖を逆手に握り、胸の前に掲げると真摯な声で答えた。その返答に満足そうに頷くと、次はルイズに視線を移す。

 

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女ルイズ・フランソワ―ズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、夫とする事を誓いますか」

 

ルイズの長ったらしい名前を、一度も躓く事も無くすらすらと読み上げるウェールズ。即答したワルドとは違い、ルイズは一呼吸開けてから噛み締めるように答えた。

 

「――はい」

 

バッツの立つ位置からはルイズの表情を見て取ることは出来ない。しかし声が上ずっていたり、そのくせ妙に嬉しそうな響きを含んでいるので今どんな顔をしているのか容易に想像できる。

きっと耳まで真っ赤にしながら嬉しそうな顔をしているに違いない。ルイズの答えにも満足したウェールズはにこやかに微笑むと更に言葉を続ける。

 

「汝らは自分自身を互いに捧げますか」

「はい」

 

今度は二人が声を揃えて答える。

 

「それでは誓いのキスを」

 

皇太子に促されるまま二人は互いに向き直すと、ワルドはルイズの目線に合わせて少し屈む。ルイズも、ワルドへと少し背伸びをして顔を近づける。

少しの間お互い恥ずかしそうに見つめあった後、意を決したようにルイズが瞳を閉じると、ワルドがゆっくりとその唇に自分の唇を重ねた。

揺らめく炎に映し出された二人の姿はとても幻想的で、あたかも一枚の絵画を見ているようであった。

二人が唇を合わせていたのはほんの数秒の事であっただろうか。しかし、バッツには何分もそうしていたように感じるほどであった。時が止まったかのよう、と表現する相応しい一瞬であった。

唇を離すと何処か気恥しそうに互いを見つめ合うルイズとワルドであったが、そこに嫌な気持ちは一切なかった。

二人の心にあったのは、少しの驚きと少しの戸惑い、そして大きな喜びであった。

 

「有難う」

 

不意に、ウェールズの口から感謝の言葉が飛び出す。本来なら、礼を言うのはルイズ達の方であるようなものだが、それでも皇太子は感謝の言葉を紡いだ。

 

「私の我儘に最後まで付き合ってくれて、本当に感謝している。無論、これは正式な結婚式ではない。だから君達が今日の誓いに縛られる必要など、これっぽちも存在しない。けれども、消えゆく国の皇太子が最後にこの世に残せたものとして、これからも二人が変わることなく愛を育み、互いに寄り添って生きてくれる事を切に願うばかりだ」

 

ウェールズが寂しげに笑う。この世に残せる最後のモノが、これほど不確かで移ろい易い約束くらいしかないのだ。

 

「さぁ、もうそろそろ船の出る時間だ。船まで案内しよう」

 

ウェールズがそう声をかけて出発を促してその場はお開きとなった。嵐の前の静けさ、ともいえる穏やかな時間ももう終わりを迎えようとしている。

この城を後にすれば、もう二度と皇太子に会う事はあるまい。そんな一抹の寂しさが三人の心に広がる。

 

そんな、礼拝堂に静寂が訪れた一瞬に事は起こった。

 

ウェールズの足元からゆっくりと、背後に黒い影が盛り上がったかと思うと次の瞬間には彼の左胸から銀色の筋が生えていた。

そのままウェールズは影に持ちあげられるように宙釣りになると、ドサッと床に落ちた。床に横たわるウェールズの胸元からは、おびただしい量の血が溢れだしている。

バッツ達三人には、何が起こったのか理解できない。あまりに突然の事過ぎて状況を受け入れられていないのだ。

ただ分かるのは、先程までにこやかに笑みをたたえていたウェールズが、今は蒼白な顔で足元に横たわっている事だけ。

皇太子の胸を貫いた黒い影が、ゆっくりとその姿を現す。今まで暗がりに居たその姿が明かりの元に現れる。黒いマントに黒い羽根付き帽子、そして不気味な鉄の仮面。

全身黒づくめで鉄仮面の人影が高笑いを上げる。くぐもった様な、どこか音のねじ曲がった様な異質な声。静寂の包む礼拝堂には、この笑い声だけが響き渡っていた。

数瞬の後、ようやく三人が行動を始める。突然過ぎる事態の急変に思考停止していた頭がようやく機能を取り戻したのだ。

ルイズの悲鳴が木霊する。ワルドが鉄仮面に飛びかかる。

謎の鉄仮面はワルドの繰り出す剣戟をヒラリと跳んでかわすと少し離れた地点に着地した。ワルドはそれを追って更に踏み込む。

次々と繰り出される神速の突きを、まるで風に揺らぐ柳の枝葉のようにユラユラとかわす鉄仮面。突こうが斬ろうが全く相手にかすりもしない。

まるで幻影でも相手にしているかのような錯覚に焦りが募ってゆく。

こちらの剣筋が完全に見切られているなど、トリステインでも屈指の使い手を自負するワルドにとっては認める訳にはいかなかった。

鉄仮面はただ高笑いを挙げながら、ワルドの焦りを楽しむかのようにユラユラと斬撃を避け続けている。

 

一方、ひとまずは謎の襲撃者の相手をワルドに任せても良いと判断したバッツは、倒れているウェールズの元に駆け寄り、傷の程度を診る。

ウェールズは左胸を一突きにされていて、その傷から溢れ出た血溜まりに浮かんでいた。純白であった装束が、今は血で真っ赤に染め上げられている。

既に呼吸も殆どしていない。痙攣するように体が小刻みに揺れているが、それもだんだんと弱くなってきている。完全に死んでいるわけではないが、生きているとも言えない。

何か手を施さなければ、最早一刻の猶予も無い。

バッツは右腰に括りつけた道具袋の中から“あのアイテム”を探す。今の状況で効果があるかどうかは分からないけれど、それでも一縷の望みをかけて使ってみる価値はある。

 

「バッツ!なんとか殿下を!殿下を助けて!!」

 

バッツと同じくウェールズの元に駆け寄っていたルイズが叫ぶように懇願する。

元より死を覚悟していた皇太子ではあったが、これは彼の望む死に方ではない。この様な最期など、あって良いはずがない。

それはバッツとて同じ気持である。だからこそ――――

 

「余計な事をしてもらっては困る」

 

突然、バッツの直ぐ後ろで声が発せられた。そして同時にバッツの左肩に焼き鏝を押し当てたような激しい痛みが走る。

皇太子を挟んでバッツと向かい合うようにしゃがんでいたルイズの目に映ったもの、それはあの鉄仮面の襲撃者の姿であった。

先程と同じように……いや、皇太子の時とは違いバッツの場合は胸ではなく左肩から銀色の筋が伸びていた。

バッツの左肩を貫通した剣先から赤い血が滴り落ち、バッツがその激痛に耐えきれず呻きにも似た叫びを上げる。

ルイズは咄嗟に鉄仮面の相手をしていたはずのワルドへと目を向けた。まさか、ワルド様が負けてしまったなんて……そんな最悪の状況が頭をよぎる。

しかし視線の先では、相変わらず無数の剣戟を繰り出すワルドと、それをかわし続ける鉄仮面の姿が確認できた。襲撃者は一人ではなく、二人いた……?

混乱するルイズの目の前で、鉄仮面は剣を上へと振り上げる。バッツの肩は深く斬り裂かれ、血が噴水のように噴き出し、その血飛沫の一部はルイズの顔にもかかった。

またもや、鉄仮面の男は高らかに笑う。再び耳障りな声で礼拝堂が満たされる。

左肩を斬り裂かれたバッツは皇太子の上に折り重なるようにして倒れた。血に染まる皇太子とバッツ。ワルドの攻撃がかすりもしない鉄仮面の男。そして不気味で耳障りな笑い声。

その全てが現実離れしすぎていて、ルイズは何か悪い夢を見ているのではないかと思いたくなるほどだ。しかしこれは現実であり、今目の前で確かに起こっている事なのだ。

ルイズは考える。今、自分に出来る事は殆ど無い。でも何かしなければ、何か行動を起こさなければ、全てが最悪の結末を迎えてしまう。それだけは避けなければならない。

空転しかける脳味噌を、必死の思いで回転させる。今、自分に何が出来るか。今、自分が何をすべきなのか。

傷の深さから考えたら皇太子を何とかするのを優先させるべきであろう。しかし彼の傷は深すぎて、とてもではないが自分の手に負えるような状態ではない。

ならばバッツではどうだろうか?バッツも傷は深い。だが比べれば、まだバッツの方が呼吸がしっかりしている。きちんとした手当てを施せば、まだ十分に助かるはずだ。

しかし、タバサ位に水系統に特化したメイジであれば止血するくらいの事は出来たのかもしれない。もしくは高価な秘薬があれば、自分にも取り敢えずの治療は可能かもしれない。

だが、そのどちらも今自分の手元には無い。今ほど自分の無力さを恨めしく思った事もない。

魔法に目覚めたのがついこの間の事ではあったが、それまでも魔法の勉強は続けてきたのだ。例え僅かな間でも色々と出来る事があった筈。それを怠って来た事が悔やまれる。

自分の無力さに杖を握る手が震える。自分が何も出来ないと見てワルドの方へ向かっていく二人目の鉄仮面の男の足止めすらする事が出来ない。

如何にワルドと言えとも、不気味な鉄仮面二人を相手に無傷でいられるとは考えられない。愛しい人の危機にも、ただ手をこまねいて見ているだけの自分が腹立たしかった。

 

「ぐっ…………」

 

もぞり、とバッツが身を捩じらせる。左肩を切り裂かれながらも、残る右手で懸命に道具袋の中から何か取りだそうとしていた。

 

「バッツ!じっとしていないと傷が……!!」

「俺の事はいい……。それよりも王子様を…………」

 

自分の体を顧みることなく皇太子を優先させるバッツの姿に、不意に涙が滲む。

 

「アンタまで死んだら、私……、私…………」

「俺は、大丈夫だ……。これしきで、死には、しない。それよりも、王子様に、コレを……」

 

荒い息ながらもバッツはルイズに一枚の羽を手渡す。燃え盛る炎のような輝きを持つ不思議なその尾羽は、手にするとほんのり熱を帯びているようであった。

 

「これは……?」

「これは、『フェニックスの尾』、だ。効くかどうかわからないが、呼吸が戻ったら、次はこの薬を飲ませてやってくれ。半分は傷口に、残り半分を口に含ませれば、傷の癒えるのも早くなるはずだ」

 

尾羽に続き、次は液体入りの薬瓶を手渡す。中にはわずかに粘性があり、ほんのりと光を放つ見た事も無い液体が入っている。

ルイズに手渡した薬瓶と同じものをもう一つ取りだすと、バッツは自分の左肩に瓶の中身の液体をふりかけた。傷に染みるのか一瞬顔をしかめたものの、直ぐに元の表情に戻った。

見れば、切り裂かれた服から覗くバッツの肩には既に傷は無い。あれ程までに深く切り裂かれていた肩が、血で汚れてはいるものの、何事も無かったかのように綺麗に繋がっている。

余りの事に唖然としているルイズに構わず、バッツはルイズと皇太子に背を向ける。

 

「王子様の事を、頼む」

 

そう言い残すとバッツは、二対一で苦戦を強いられているワルドの元へ加勢に駆けだした。

ほんの一瞬呆然とバッツの背を見送っていたルイズはハッと我に返ると、バッツの指示に従うべく行動を開始した。

正直なところ、バッツに手渡された鳥の尾羽と薬瓶が本当に効果があるかは疑わしい。でも、何もしないよりはましだ。

あれだけ自信満々に託したのだから、それなりの効果は望めるのだろう。

肝心の尾羽の使い方を聞いていなかった事に気が付いたけれども、取り敢えずは皇太子の傷口に羽をにかざしてみる事にした。

今しがた目にした効果を見れば薬だけでも良い気もするが、この羽にも何か意味があるのだろう。無くても薬だけで傷を塞ぐ事は出来る筈だ。

羽を皇太子の傷口に置くと、尾羽はボッと燃え上がって光の粒に変わり皇太子の体に降り注いだ。

するとどうだろう、蒼白だった皇太子の顔に見る間に赤みが戻り、殆ど止まっていた呼吸も再び穏やかに開始された。皇太子が、息を吹き返したのだ。

慌てててルイズは皇太子の胸に耳を当てる。力強く刻む心臓の鼓動音が、確かに聞こる。

ホッと安堵の息を吐くが、直ぐにバッツの指示を思い出す。次は薬を飲ませなくては。皇太子が意識を取り戻すまでは油断が出来ない。

 

「加勢する!」

 

鉄仮面の男達の相手を一人でしていたワルドの元に、バッツが到着した。左手には盾を、右手にはデルフリンガーを構えている。

ワルドとバッツは背中合わせに立ち、鉄仮面の男たちと相対した。

 

「バッツ君!ルイズは、皇太子殿下は大丈夫なのか!?」

「多分、大丈夫だ。それより今は、こいつらを何とかしなくちゃな」

 

バッツの言葉に少し安堵の表情を浮かべたワルドも、直ぐに緊張の顔に戻る。

二対二と数の上では五分になった今も、鉄仮面たちは態度を変えることなく不気味に佇んでいる。まるでバッツの加勢など意に介していないようだ。

 

「こいつらはかなりの手錬だ。気を付けろ」

 

ワルドの言葉には一切の余裕が感じられなかった。相手は逃げに徹しており、まだその実力を毛程も見せてはいないのだ。

しかも、少なくともワルドの剣をかわし続けられるだけの実力を持っているのだ。余裕を持てる筈もない。

 

「これでも僕はトリステインでも五本の指に入る使い手だと自負していたのだがね、こうも通用しないとは驚きを通り越して悪夢の様だ」

 

ワルドが弱音を漏らす。少しではあるが手合わせをして彼の実力の程を知っているバッツにとっても、その言葉が意味するところは大きい。

 

「まだわからんのかね?弱虫ジャン・ジャック。お前が一体誰を相手にしているのかを」

 

鉄仮面はワルドを挑発するように不愉快な声で不愉快な事を言い放つ。

 

「僕を知っているのか!?」

「お前は俺の事を知らないだろうがな、俺はお前の事をよく知っているのだよ!そう、何から何まで全て、な」

 

ワルドは敵が自分の事を知っているというの事態に驚きを隠せない。トリステイン国内であれば、衛士隊隊長という肩書でそれなりに名が知れ渡っていてもおかしくは無い。

だがここはアルビオンだ。隣国まで名が知れ渡る程、自分は有名人ではない。流石にそこまでは自惚れてはいない。しかし……、と思い出す。

この鉄仮面の男はラ・ロシェールでも見掛けた。自分達が泊まった宿を襲った一団の中に、確かにこの男は居た。ならばこの鉄仮面はトリステインの貴族なのだろうか?

よもやトリステイン国内で密かに貴族派に通じてる者たちが居るのだろうか。正直、その可能性はあまり考えたく無かったし、信じたくも無かった。

 

「相手は二人、こちらも二人。一気に片を付けるぞ、バッツ君!」

 

そう言って鉄仮面に向かって駆け出すワルド。バッツも同じくもう一方の鉄仮面の相手をすべく駆けだした。

二人の初撃が相手に到達する寸前、鉄仮面は攻撃を避けようともせず不敵にこう言った。

 

「我らが本当に二人“だけ”だとでも思ったのか!?」

 

その言葉に、ワルドとバッツの動きが止まる。まさか……。一瞬にして最悪の状況が脳裏によぎる。そして間を置かず、その予想を裏付けるようにルイズの悲鳴が響いた。

なんと、“三人目の鉄仮面”がルイズの前に現れ、今まさにルイズに襲いかかろうとしていた。杖を構え必死に抵抗を試みるルイズ。

だが三人目の鉄仮面はそれを嘲笑うかのように剣を振りかぶった。

 

「なりだけは一人前でも、魔法も使えぬ半端者が杖を構えたとて何の威嚇にもなりはぜぬわ!!」

 

慌ててルイズの元へと動き出すバッツとワルドではあったが、いかんせん距離が離れ過ぎている。どれ程速く駆けたとしても、決して間に合いはしまい。

それでも走る。例え1%の可能性でも、それに掛けるしかない。震える手で杖を握るルイズは、懸命に呪文を唱える。杖の先端に炎が集まり、鉄仮面へ向かって放たれた。

 

「チッ!」

 

ルイズの思いがけない反撃に一瞬驚くものの、鉄仮面は放たれた火球を難なく避けるとルイズの杖を叩き落とした。

 

「魔法が使えぬものと思っていたが、まさか習得していたとはな。だがこれで本当に貴様を生かしておく価値は無くなったというものよ!」

 

鉄仮面の言葉は、ルイズには理解できない。だが、判るのはもう絶体絶命だという事だけだ。バッツもワルドも間に合いはしないだろう。杖も叩き落とされた。

自分の身体能力では相手の剣を避ける事は出来まい。もう手詰まりだ。もう、自分には出来る事は無い。もう、何も……。

ここでルイズの頭に閃くものがあった。

本当に自分はもう何も出来ないのだろうか?いや、まだあったはずだ。杖が無くても、自分に出来る事。そう、この世界ではバッツと、自分にしか出来ないであろう事。

 

「まばゆき光彩を刃となして、地を引き裂かん!……サンダー!!」

 

そう叫んで鉄仮面に向かって手をかざす。命乞いでもするかと思った鉄仮面は、ルイズの行動に気でも触れたかと嘲笑う。

メイジが杖も無しに何が出来るものか、と。しかも口語で唱えるような低級呪文でこの状況をどうにかできるものか、と。

が、その余裕の態度も直ぐに消えた。突然、鉄仮面の体に電流が走り一瞬ではあるが意識が飛んだ。

電撃の威力自体はそう強いものではない。だが全く予想外の出来事であり、完全に虚を突かれた攻撃に威力以上のダメージを喰らってしまったのだ。

ルイズの予想外の反撃に毒づきながらも鉄仮面は体制を立て直し、再び剣を構える。今度は隙がない。今と同じ手は通用しないであろう事はルイズにも見て取れた。

しかしルイズは皇太子を庇いつつ、負けじと鉄仮面を睨み返す。鉄仮面にはそのルイズの余裕ともとれる態度が気に食わない。

今度こそルイズに止めを刺そうとした鉄仮面の体は、背後から横一文字に薙ぎ払われた。鉄仮面がルイズの攻撃に怯んでいる間に、バッツが到着したのだ。

ルイズの魔法は、最初から時間稼ぎの為に放たれたものであった。少しでも時間を稼げば、バッツかワルドのどちらかが必ず間に合う。そしてその希望は見事に叶った。

横薙ぎに払われ、胴体が真っ二つに引き裂かれた鉄仮面の体は、そのまま空中で霧散するように消えていった。血の一滴も流す事も無く消えてゆく鉄仮面。

はじめはやり過ぎたと思っていたバッツだったが、その妙な手応えに戸惑いを隠せないでいる。

続いて到着したワルドは。ルイズを背に庇うように、残る鉄仮面たちに向かい構えた。

 

「……今のは一体何だ?俺は確かに人間を斬ったはずなのに、あの妙な手応えは!?まるで悪い夢でも見させられているみたいだ」

 

ワルドと並んで構えるバッツは、先程の信じられない出来事の説明を彼に求める。そこには肉を斬る感触は微塵も無く、まさしく“空を切った”という表現が当てはまるような感覚であった。

 

「恐らく、あれは『遍在』による分身体だ。クッ……、これで判ったぞ、何故こうも容易に敵の侵入を許してしまったかを。アレらは全部分身だ。だから僕らに一切感づかれずに現れたのだ」

 

ワルドが苦々しく言い捨てる。相手の能力の一端が判りはしたがそれで事態が好転したわけではない。

 

「『遍在』……?」

「風の系統魔法の上級呪文の一つだよ。使用者と同じ能力を持ち個々に行動できる分身を作り出すスクエアスペルだ。敵は僕と同じスクエアレベルのメイジだという事だよ」

 

敵は少なくとも自分と同レベルのメイジが一人。単独犯であればよいのだが……

 

「とにかく、奴を完全に倒すには術者本体を探し出して叩かねばならんという事だ!もしくは相手の魔力切れまで延々と分身の相手をするかのどちらか、だ」

 

バッツはあたりを見回す。この礼拝堂内はバッツら四人の他には目の前の鉄仮面しか見当たらない。どこかに人が隠れられるような物蔭も無い。

となると敵は室外から遠隔操作しているのだろうか?ワルドによれば『遍在』の効果範囲は術者の能力に大きく依存するらしいが、そもそも相手の力量がまだ分からない。

直ぐ近くに居るのか、それとももっと遠隔地から術を発動させているのか……?もし後者であれば今のバッツ達には手の打ちようがない。

 

「クックックッ。貴様たちの心に不安と絶望が広がり始めているのが分かるぞ。とても心地よい気分だ」

「黙れ!お前などに屈する我らではないわ!」

「強がりも結構だがな、まだ足りないのだよ。怒りと憎しみ……そして嘆きが足らんな。やはりそこの目障りな小娘を殺す位してやらんといかんようだな」

 

鉄仮面の言葉にワルドはたまらず飛び出す。ルイズに手を出させてなるものか。その一心で鉄仮面に斬りかかった。

今度は避けずに剣で受け止める鉄仮面。剣同士が交差し、

 

「そんなにあの娘が大切かね?」

「当たり前だ!ルイズは僕の全てだ!」

 

ワルドの言葉に、思わず嬉し涙が滲んでくるルイズ。

 

「本当にそうかな?心の奥底ではアレを憎んでいるのではないか?そしてあの程度の小娘に縛られ自なくてはならない分の人生を、心の何処かでは呪わしく思っているのではないのか?」

「黙れ!貴様……、それ以上愚弄するならもう容赦はせぬぞ!」

 

ワルドに突き飛ばされてヒラリと宙を舞う鉄仮面。再び距離をとった鉄仮面は、剣を構えながら尚もワルドに言葉を浴びせかける。

 

「本心を突かれて驚いたか?だがあながち嘘でもなかろう。フフッ。俺に隠し事は出来ぬよ。なぜなら俺は……」

 

そう言って自分の仮面に手をかける。ゆっくり、ゆっくりと鉄仮面の下の素顔が露わになる。そこに現れたのは、この場に於いて最もあり得ないモノであった。

 

「お前なのだからな、“弱虫ジャン・ジャック”」

 

ワルドと瓜二つの顔が、そこにはあった。

驚愕の事実に言葉も出ないバッツとルイズ。けれどもワルドはこの状況にも全く動じる事も無く、再び自分と同じ顔を持つ敵に斬りかかった。

 

「僕と同じ顔で油断を誘えるとでも思ったか?残念だがその程度の魔法で心乱されるほど、魔法衛士隊士は甘くは無い!」

「どうかな?剣が震えているぞ、弱虫ジャン。いい加減認めたらどうだ、お前は俺なのだという事を」

 

尚も挑発を続ける敵の言葉には耳をかさず、ワルドは至って冷静にバッツに言葉を飛ばす。

 

「バッツ君、例え相手が僕と同じ顔をしていようが、一切容赦するな。大方魔法で顔を変えているだけなのだろう。こんな使い古された手に頼るような情けない相手に負ける訳にはいかん」

「ワルド……」

 

戸惑いながらも、バッツはワルドの言葉の通りに再び臨戦態勢に入る。

 

「悲しいねぇ。良い子ブリっ子の弱虫ジャンは、意地でも俺の存在を認めたくないみたいだな。だが少し考えれば判る事だろうに。何故トリステインでも指折りの実力者である貴様の攻撃が、俺に一切通じないのか。それは俺とお前が一心同体であり、お前の考えの全てが俺には解るからだ。踏み込みの速度、剣の軌道、攻撃の組み立てから始動のタイミングまで……正しく一挙手一投足の全てがな!!」

「黙れ……」

 

これならどうかと、今までの何倍もの速さの斬撃で残る『遍在』の内の一体を斬る捨てるワルド。

しかし霧散する『遍在』を見ても、最後に残った『遍在』は相変わらず余裕の態度を崩さない。まるでわざと斬られてやったと言わんばかりの表情だ。

 

「お前も『遍在』はお手の物だろう?なんならお前のお得意の『遍在』を出してみろよ、出せるものならな。」

 

敵の挑発は止まらない。ワルドも口で言うほど冷静ではいられないらしく、半ば強引な攻撃が続いている。

白を基調にした衛士隊服に身を包むワルドと、対照的に全身黒で染め上げたような『遍在』が剣を交える姿は、まるで光と闇のワルドが闘っているようであった。

 

「俺はお前なのだよ、弱虫ジャン。貴様が切り捨てて来た己のどす黒い感情が、目を逸らして見て見ぬ振りをしてきた心の闇が俺を生んだのだ。もっと自分に素直になれ、ジャン・ジャック。素直になって、己の欲望のままに生きるのだ」

「黙れぇぇぇぇ!」

 

ワルドの剣が、敵の心臓部分に深くめり込む。だが血は出ない。やはりこれも『遍在』による分身体なのだ。だがまだその分身は消えない。

胸を深々と貫かれ、常人であれば絶命しているような状況でも変わらず不敵な笑みを浮かべている。

 

「そうだ、それでいいのだ。その激しい怒りが……負の感情の昂ぶりが本当のお前を曝け出す。そして今こそ、俺がお前にとって代わる時だ!!」

 

胸を貫かれた体制のまま、敵がワルドに手を伸ばす。いや、むしろ自分からより深く刺さるように前へと歩みながらワルドへと近づく。

遂には両手でしっかりとワルドの顔を挟むように掴むと、口元に歪な笑みを浮かべてこう言った。

 

「お休み、良い子ちゃんの弱虫ジャン。これからは、俺がこの体を使ってやろう」

 

そのまま、ワルドと重なるように『遍在』は消えていった。まるでワルドに溶け込んでいくかのような光景に嫌な予感が募る。

ルイズは祈るように胸の前で手を組む。あのワルド様に限って、そんな事ある筈がない。そんな事は……、でも、もしそうだったら……。

『遍在』が消え、正真正銘一人だけとなった「本物のワルド」が、ゆっくりとこちらに振り返る。

ワルド様ならきっと大丈夫、いつもと同じ優しい微笑を投げかけてくれる……。

そんなルイズの願いも、あっさりと打ち砕かれた。振り返ったワルドの顔は、あの『遍在』どもと同じ邪悪な笑みで満ちていたのだ。

 

「クックックッ……。ようやく『遍在』ではない本物の体が、この俺のものになったのだ。ククク、これほど気分の良い事が他にあるだろうか!?」

 

ワルドは両手を広げ、勝利宣言にも似た雄叫びを上げる。

 

「ようやく、ようやくこの体が俺のものになったのだ。長かった……。奴が『遍在』を習得し、その分身を仮初の依代と定めてから早数年、ようやくこの時が訪れたのだ!」

 

溢れ出る喜びを体現するかの如く両手を握りしめ、喜びに打ち震えるワルド。ひとしきり喜びを噛み締め終えると、ゆっくりとルイズに視線を向けた。

それは、それまでの慈愛の満ちたものとは全く異なる、強い憎しみと嫌悪感に満たモノであった。敵意を剥き出しにしたその視線に、ルイズはたじろぎ射竦められてしまう。

恐怖に怯えるルイズを庇うようにワルドとルイズの間に割って立つバッツが、彼女の気持ちを代弁するように叫ぶ。

 

「どうしたんだワルド!敵はいなくなって、これで終わりじゃあないのか!?」

「そう、これで終わりなのだよ。俺の影としての人生は今終わったのだ。今この時より、この俺こそがワルド子爵その人なのだよ!」

 

相変わらず、目の前に立つワルドの発する言葉の意味を理解することが出来ない。いや、本当は頭のどこかで理解できているのかもしれない。でも、きっと心が拒否しているのだ。

ワルドに溶け込むように消えた襲撃者の分身達。そして豹変した彼の態度。いや、態度ばかりか纏う雰囲気やら何から何まで変わってしまい“別人になった”と表現する方が正しいだろうか。

悪意を持った誰かに操られている?何か悪意に満ちたモノに乗っ取られた?彼の言葉を信じるならば、今目の前に居るワルドの姿こそが彼の本性であるのか?

こんな邪悪な意志に満ち溢れているのが、あのワルドの本当の姿であるはずがない。

 

「まあ、お前達が今の状況が理解できていない――いや、理解したくないのは分かる。が、これが事実なのだよ。俺は紛れもなくお前達の知るワルドなのだ。誰かに操られているわけでも、何かに取り憑かれているわけでもない。今までお前達が見て来たのは、真面目で優等生の仮面に覆われ取り繕われた見かけだけだったのだよ!」

 

悪い夢なら、覚めて欲しい。そんな言葉がルイズの頭の中で繰り返し浮かんでは消えていく。しかし現実は非情であった。

目の前に居る愛しい人は、自分に殺意を向けて来る。そんな悪夢にも勝る状況が現実に起こっているのだ。

 

「だが、俺が本当に俺になるには、まだ邪魔な物がある。……お前たちだよ。お前達の存在ほど、目障りな物は無い!」

 

そう言ってバッツに……いや、ルイズに向けて剣を構えるワルド。その剣先から発せられる殺気は、それが冗談ではない事を物語っていた。

 

「どうして、どうしてルイズに殺気を向けられるんだ!あんたはルイズを愛しているんじゃなかったのか!?」

「俺が?その小娘を?冗談だろう!良い子ぶりっこの弱虫ジャンはそう思い込むように努力していたみたいだがな、俺は違う。俺はこいつに愛情を持った事など、ただの一度も無いわ!」

 

言い終えるのと同時に動き出したワルドの初撃をデルフリンガーで受け止める。昨日手合わせで斬り結んだ時とは比べ物にならない程の重い斬撃に押し負けそうになるのを何とかこらえた。

重い。本当に重い一撃に加え、ワルドの殺気のこもった瞳にたまらずバッツは相手を弾き飛ばして距離をとった。

 

「本気なのか……?本当に心の底からルイズの事を憎んでいるというのか!?」

「当たり前だろう。むしろ、この小娘を好きになる理由が見当たらないではないか。まだ年端もいかぬ時分に勝手に将来を決められたのだ。これも貴族の定めと諦めようとも思ったが、相手は一回りも下の……しかも落ちこぼれを押し付けられたのだぞ!」

 

再び迫ってくるワルド。

 

「出来そこないだろうが末娘をくれてやるから、ヴァリエール家の血縁にしてやるのだから大人しく尻尾を振れと言われたのだぞ!そんな俺の気持ちなど、所詮平民のお前にはわかるまい!」

 

怒りのこもった連撃にバッツが押され始める。全ての斬撃が確実に急所を狙ってくる凶悪な攻撃に、たまらずバッツは劣勢を強いられてしまう。

 

「だがあんたは、ルイズの事をあんなに大事に思っていたじゃないか!」

「フンッ!そんなの、善人面した弱虫ジャンの勝手だ、俺は知らん。まぁ奴は必死に思いこむ事によってなんとかあの娘を愛そうと努力してはいたみたいだがな」

 

ワルドの攻撃は尚も熾烈さを増して続けられる。防戦一方のバッツに対し、ワルドは言葉を紡ぎ続ける余裕があった。

 

「お前は忘れたのか?一国の王女ですら、その身一つ自由に出来ぬ事を。国の為であれば、自分の心にそぐわぬ婚姻であっても受け入れなければならないという事を。貴族だって同じさ。男であろうが女であろうが、結婚というのは全て家の為に行われるのだ。特に爵位の低い家柄にとっては、な。そこの小娘みたいに幸せな脳味噌をしていられるのは、ヴァリエールという名前と三女という立場のお蔭なのだよ」

 

ワルドの剣先から魔法の風が放たれる。思わず横に跳んでかわしてしまうバッツであったが、その狙いが自分ではなくルイズであった事に気が付いた時には既に突風が彼女に到達せんとしていた。

あっ、と声を上げる間もなく紙切れのように宙に舞い上がるルイズと皇太子。だがルイズの体は何処にも叩きつけられることなく、フワリと床に着地した。

皇太子がようやく意識を取り戻したのだ。寸前で意識を取り戻した皇太子のお蔭で、抱きかかえられるように着地する。服は血で真っ赤になっているが、裂け目から覗く肌には既に傷は無い。

あの傷にも関わらず皇太子が生きてた、という事実に少しばかり驚くワルドであったが、その動揺は小さなものであったようだ。

 

「ワルド君の気持ちも分からないでもない。だが……それだけの理由で君は国を裏切ろうというのか!?」

「勿論、それだけではないさ。俺はな、魔法衛士隊隊長程度で終わる器ではないのだよ。自分で言うのも何だがな、ゆくゆくは国の舵取りをして当然の能力を持っているのだ。だが、どんなに手柄を挙げようと、結局は生まれた家が良いと言うだけの能無しどもが国の中枢に居座り続けるのだ。どれ程有能な人材であろうとも、家柄が悪ければ出世は望めない。そのような世界など、無くなって当然ではないか!」

 

皇太子はルイズを背に隠すように立ち、ワルド達に向かい杖を構える。

 

「だから俺は『レコン・キスタ』に同調したのだ。正直、彼らが掲げるハルケギニア統一などには興味がない。だが、新たな体制の元に生まれる新国家に望みをかけたのだよ。そして、そこの皇太子の首と浅慮な王女の手紙を手土産に彼らに合流するのだ。新天地で、俺はこの身一つで成り上がってやるのだよ!!」

 

ワルドの剣から伝わってくる激しい怒り。それは、ルイズ個人に向けられたものというよりも、国に、今という時代に向けられた遣る瀬無き怒りであった。

貴族の背負う悲しみなど、所詮バッツには分からない。でも、それでもワルドの抱く怒りを正当化させるわけにはいかないことは、なんとなく

 

「だけど、それでもあんたのしようとしている事は許される事じゃあない!」

「だったらどうする?俺を倒して止めてみるか?だが果たしてお前に出来るかな。幾ら剣の腕が立とうが所詮は平民、風のスクエアに勝てる道理など存在せぬがな!」

 

ワルドが剣を振ると、彼の足元から四人の分身が現れた。『遍在』だ。その『遍在』達が一斉にバッツに襲い掛かって来た。代わる代わる攻撃を繰り出すワルド達。

その連携は完璧で、まさに同一人物ならではの息の合い方である。一体が攻撃を繰り出した隙を埋めるように別の一体がすかさず攻撃を放つ。

その間も他の個体がバッツの逃げ場を殺すように陣取って行動を制限する。まさに蟻の子一匹漏らさぬ完全な連携に、デルフは「やべぇ、やべえぜ相棒!」と繰り返すばかりだ。

防戦一方に見えたバッツであったが、バッツとて数多くの死線を潜りぬけて来た猛者である。この状況でもわりと冷静に対応していた。

 

「ほう……まだ余裕があるのか?だが、これでもその余裕面を維持出来るものかな!?」

 

ワルドの分身達の握る剣先から、突風が放たれる。『ウインド・ブレイク』――対象を吹き飛ばす無慈悲な風が襲い掛かるが、バッツに左手の盾に身を隠すように構えたまま突っ込んでいく。

 

「盾如きで防げる呪文ではないわ!」

 

と得意げに吠えるワルドの予想に反して、バッツは魔法の風に吹き飛ばされることなく前進を続け一体目の分身に深々とデルフリンガーを突き立てた。

余りに予想外過ぎて反応の遅れた分身体は、あっけなく切り裂かれ霧散した。と同時に残る分身体とワルド本体に動揺が走る。

まさか平民が魔法を防ぐ術を持っているなど考えた事も無かった。

対するバッツも、自分の狙いが図に乗って小さく安堵のため息をついた。「イージスの盾」――それはバッツの持つ盾の中でも特異な、“攻撃魔法を防ぐ力”を宿した魔法の盾。

その効果が発動する確率は三割程度と、完璧に魔法を防ぐ訳ではないが魔法主体の相手にはもってこいの盾だ。

 

「流石は伝説の『ガンダールヴ』。魔法対策も完璧という訳、か」

「ガンダー……ルヴ?」

 

ワルドの言葉に、今まで半ば呆然としていたルイズが反応した。

彼女も当然、始祖の使い魔である伝説の『ガンダールヴ』の名は知っている。だが、それがバッツと何の関係があるのだろうか。

ルイズの呆けた顔に気付いたワルドが、侮蔑の言葉を彼女に浴びせる。

 

「おや、まさかお前は自分の使い魔の価値も知らないのか?何処までおめでたい頭をしているのだ」

 

そう話している間にも、分身達の攻撃は止まる事は無い。

 

「善人面した弱虫ジャンは、必死になってお前に価値を見出そうとしていた。僅かな暇を見つけては王立図書館に通い詰めるくらいにな。その中で、お前が伝説にある始祖の系統を受け継ぎし者――つまりは『虚無の担い手』ではないかと見当付けたのだ」

「確かにワルド様はそのような話をなさっていたわ。でもそれはあくまでも推論、本当の事かは分からないとも、そんな事は関係ないとも仰っていた。それに私は、虚無の魔法なんか使えないわ!」

 

ルイズが『虚無の担い手』であるというワルドの言葉に、ルイズばかりか皇太子にも衝撃が走る。

 

「お前が系統魔法を使った時には別の意味で驚いたが、その後放った雷撃こそ伝説の『虚無』に違いあるまい。俺達の使う『系統魔法』とも、エルフ共の使う『先住魔法』とも異なる魔法と言えば、残るは『虚無』しかなかろう」

 

バッツに教わった黒魔法が『虚無』の系統と同じものだなんて、考えた事も無かった。

てっきり解釈が違うだけで系統魔法と同じものか、もしくはその簡易版であるくらいの認識しかなかったのだ。

黒魔法が今まで教わって来た偉大な系統としての『虚無』とはイメージがかけ離れ過ぎていて、その二つを結びつけるなど、ルイズの中には無かった考えだ。

しかも教えてくれたのがバッツであったという事もあり、黒魔法に対しては殊更“特殊である”という印象を抱き辛かった。平民でも扱えるお手軽魔法、それがルイズの抱く黒魔法の印象だ。

しかし、今ワルドの語った仮説が正しいとすると、ルイズはおろか彼女に黒魔法を教えたバッツもまた『虚無の担い手』であるという事に……?

それじゃあバッツは『虚無の担い手』であると同時に『虚無の使い魔』だとでも言うのだろうか……?

 

「そんなお前に付き従う者がただの従者ではあるまい。尤も、学院生活に於いて従者を連れ歩く事など殆どないのだから、それでも付き従っているバッツがお前の使い魔であると推測するのはさほど難しい事ではないがな。そして『虚無の担い手』が従えるのは『始祖の使い魔』と相場が決まっている。その中で武器術に長けると言えば『ガンダールヴ』に他なるまい!」

 

ルイズの中にぼんやりと浮かんだ疑問も、ワルドの声にかき消されてしまった。今はそんな些細な疑問よりも、目の前の非情な現実のほうが重要である。

ルイズの感じた小さな違和感など、今は重要ではない。今最優先されるべきなのは、目の前にいる豹変してしまったワルドを何とか元に戻すことだ。

 

「あくまでも君は、ルイズ君の命を奪おうというのかね」

「フンッ、そいつに“伝説の再来”としての利用価値はあろう無かろうが、俺には関係ない。俺にとって、この小娘を生かしておく価値など無い事には変わりないのだからな。まぁ『レコン・キスタ』の首魁も『虚無』を操り様々な奇跡を起こすと言われているから、もしかしたらこいつの骸にも何らかの利用法を見出すやもしれんがな」

 

皇太子の問いかけにもそう冷酷に笑うワルドの姿に、背筋が凍る。本当にあのワルドがこんな事を言えるのだろうか。あの優しかったワルドは、もう存在しないのだろうか。

目の前のワルドが言うように、今目に映る姿こそが彼の本当の姿だというのだろうか。

 

「ワルド!あんたは本気でそんな事を言っているのか!?ルイズを大切に思っていたのも、全て嘘だったというのか!!」

「さあ、それはどうかな。だがソレはこの俺の意志ではない、世間体を気にする良い子ちゃんの意志だ。だがもう、その弱虫ジャンの意識も消えて無くなったがな!」

 

ワルドが杖を振るうと、また新たに一体の分身体が現れた。新たに出現したワルドの分身体が、ルイズに襲い掛かる。既に手一杯のバッツではそれに気が付いても対応する事は出来ない。

ルイズの事は、皇太子に任せるしかない。皇太子の実力の程が分からないが一国の皇太子なのだ、ある程度の剣術や魔法の訓練は受けているだろう。

彼が少なくとも分身体を退けられるだけの技能を有しているのに期待するしかない。それほどまでにバッツには余裕がなかった。

次々に、休みなく襲い掛かる剣戟に次第に体に傷が増えていく。それほど深手は負わないものの、腕や太腿に細かい切り傷が増え、そこからの出血も馬鹿にならなくなってきた。

おまけに出血のみならず、増えてゆく傷の痛みでだんだんと体の感覚が麻痺していっている。体が重い。流石に四対一では思うように攻撃を当てる事が出来ない。

実は、バッツが攻勢に転じる事が出来ない最大の理由は、他にある。

先程倒した分身体の代わりに、今はワルド本体が攻撃に参加していたのだ。全く同じ容姿、攻撃の質まで全く同じ四体による波状攻撃。

同じ姿の人間に入れ替わり立ち替わり襲い掛かってこられては、今はもうどれが本体でどれが分身体であるか見分けがつかなくなってしまったのだ。

相手は間違いなくにもワルドなのであり、ルイズ想い人なのだ。下手に攻撃して殺してしまうのも躊躇われる。

その躊躇いが攻撃にも如実に表れてしまい、逆転できるような決定打を放てないでいた。

対するワルドの方は、そんなバッツの心情を知ってか知らずか非情な攻撃を繰り出してくる。

無意識であろうが相手を傷つけまいとする者と、相手を殺そうとしている者の戦い。幾ら実力が同程度だとしても、二人の姿勢の違いはその攻撃に明らかな差を生みだしていた。

どんどんと追い詰められていくバッツ。はじめの内はいなす事の出来た攻撃も、だんだんとそれが適わなくなってきた。

体幹部は辛うじて傷が少ないものの、末端部の傷も無視できぬほどに数が増えてきており、誰の目にもバッツの動きが鈍くなっているのは明らかであった。

四対一。この数字がバッツに重くのしかかる。ここはひとつ、相手を負傷させるのを覚悟で反撃に転じようかとは思うけれども、中々踏ん切りがつかない。

やはり最後の所で“ルイズの恋人”という点が邪魔をしてしまう。だがそう何時までも悠長なことを言っていられる状況では無かった。

時折、視界の端に飛び込んでくる皇太子の状況も、ハッキリ言って芳しいものでは無かった。バッツとは違いあちらは一対一であるし、皇太子もそれほど傷を負っているようでは無い。

が、それも何時まで持つものであろうか。あちらもルイズを庇いながらというハンデを背負っているうえ、全体的に皇太子よりもワルドの方が技量が上の様である。

早々に何か手を打たなければ、ジリ貧のまま追い詰められていくのは火を見るよりも明らかであった。

何か手を打たなければ。何か逆転する良い方法を見出さなければ。そんな焦りばかりが募るが、それが状況を好転させる事は無かった。

むしろ、本体相手には積極的に攻撃できないというバッツの心理を読んだワルドは、今度はワルド本体を中心に攻撃を仕掛けるスタイルに作戦を変更してきた。

そのまま膠着というよりもジリ貧という言葉の方がしっくりくる状態が数分過ぎた後、遂に決定的……いや致命的な場面が訪れた。

遂にバッツの体力が尽き、その体勢を大きく崩したのだ。

ワルドの目の前で崩れるように前のめりに倒れ込むバッツ。本人も何とか堪えようと踏ん張るが、もう遅い。無防備な背中を相手に晒してしまっているのだ。

ワルドの剣が振りかぶられる。皇太子もそれに気が付いたけれども、自身も分身体の相手が精一杯でとてもじゃないが助け舟を出せる状況ではない。

それに今から何か行動を起こしたとしても、ワルドの剣が振り下ろされるよりも早くバッツを救い出すことなど到底不可能であろう。どんな呪文の詠唱よりも、剣の一閃のほうが速い。

バッツの敗北は、同時にこの場に居る誰もがワルドには敵うことが無いという事を示していた。

振り下ろされる剣。バッツはそれを避ける事が出来ない。

 

剣が、体を貫いた。

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