「ぐっ……?」
体勢を立て直すことが出来ずに、そのまま床に倒れこむバッツ。しかし、彼の体には剣が突き刺さってはいない。剣は、バッツに襲い掛からなかったのだ。
予想外のことに顔を上げると、そこには自らの腹に剣を突き刺したワルドの姿があった。
「ば……馬鹿な……。今更、こんな事をして何になるというのだ……」
「これ以上、貴様の思い通りにはさせぬ……」
同じ口から、二種類の言葉が発せられた。一つは、憎しみに満ちたどす黒い声で、もう一つは正義に満ちた凛々しい声で。
ワルドは突き刺した剣を横に薙ぎながら引き抜き、そのままうずくまるように倒れた。そしてそれと同時に彼の分身体たちは霧のように掻き消えていった。
「ワルド様!」
ルイズが駆け寄る。既にワルドの体から流れ出た血溜りが出来ていたが、ルイズはそんな事を気にせずに彼の体を抱えた。
「バッツ!ワルド様を……、ワルド様を助けて!!」
大粒の涙を流し、バッツに助けを求める。皇太子の傷を癒した薬ならば、きっとワルドも救えるはずだ。
だが、ワルドはそんなルイズの手を握り、優しく首を左右に振った。
「いいんだ、ルイズ。僕が生き延びれば、必ずやあいつがまた現れるだろう。そして今度こそ、君に、そして我が祖国に厄災をもたらす。だからこれでいいんだ」
「でも……!」
それでも必死に延命を望むルイズに、ワルドは優しく語りかける。その顔には既に先程までの邪悪な気配は欠片も感じられない。
元の、優しくも凛々しいワルドに戻ったのだ。
「奴と僕は同じコインの裏表だ。僕が生きている限り、奴もまた存在し続ける。だから……」
そこでワルドの言葉は口からの大量の吐血にさえぎられた。オロオロとするばかりのルイズ。バッツは薬と取り出そうと腰に手を当てた所を、皇太子に止められてしまった。
驚いて皇太子の顔を見ると、言葉にせずとも「このまま死なせてあげろ」という彼の気持ちが伝わってきた。その無言の重圧にバッツの手が止まる。
そんな二人のやり取りを見ていたワルドは満足そうに微笑むと、ルイズに最後の別れを言うべく再び口を開いた。
「もう船は出てしまっただろう。だが近くに僕のグリフォンを待機させてある。アレの力を借りれば、陸地まで下降することくらいは出来るはずだ」
「ワルド様!喋ってはいけません!傷が……傷が!」
「バッツ君、僕はもうルイズの事を守れそうにはない。……僕の代わりに、彼女の事を頼む」
「ワルド様、お気を確かに!皇太子殿下だって助かったのです。この程度の傷、治らないはずがありません!」
必死に延命を請うルイズの言葉を聞きながらも、ワルドの意思は変わることはなかった。血に染まった手で彼女の顔を優しく撫でると、最後の力を振り絞って最上級の笑みを浮かべる。
その瞳は深い愛情に満ち溢れた優しいものであった。
「ルイズ……。奴が言っていたことは、情けないが半分は事実だ。だが……。だが、これだけは信じてくれ。僕は、君を、本当に、愛している」
自分の顔が血に汚れる事など一切気にすることなく、頬に触れるワルドの手を握り締めるルイズ。
「わかっておりました。わかっておりました、のに……!」
「僕の、君への想い……。これだけは、決して、嘘偽りの無い、僕の……」
ワルドの目が虚空を彷徨う。そして、ルイズに触れる手から力が抜け、だらりと垂れ下がった。
「ワルド様!ワルド様……!!」
ルイズは必死になってワルドの体を揺するが、最早ワルドから反応が返ってくる事は無かった。
「バッツ!早く……、早くワルド様を、ワルド様を助けて!!」
その言葉にバッツの心が大きく揺れる。ワルドは生き延びる事を望んではいない。だが、ルイズの気持ちを考えると何もしないわけにもいかない。
ルイズの為にも、ワルドを助ける方が良いのだろうか?しかし……。
そんなルイズの肩に、そっと皇太子が手をかける。
「ルイズ君。子爵は名誉ある死を選んだのだ。君も貴族に名を連ねるものならば分かるだろう?彼の思いを無駄にしてはいけない」
「でも……!」
ルイズは大粒の涙を流しながら皇太子の言葉を否定する。彼女の最愛の人が死のうとしている。けれども彼女の使い魔は、その人の命を繋ぎとめられるかもしれないのだ
生きていさえすれば、いつかは己の弱さなど克服できるかもしれない。暗い感情も全て呑み込んで一つの人格に統合できたかもしれないのに。
いや、今の自分に不満があると言うのであれば、これから幾らでも努力して彼の望む女性になればいい。彼の望むの女性に成れるという保証は無いが、成れないという確証も無いのだから。
けれども死んでしまっては、その可能性の全てが消え去ってしまう。手に出来たかもしれない未来像も、すべて泡となりルイズの指から零れ落ちていく。
ルイズは必死にバッツへと視線を向ける。バッツの出したあの鳥の羽ならば、或いはあの薬ならば今すぐにでもワルドの傷を癒し、彼の命を救えるだろう。
例えそれが彼の望まぬ事だとしても、今のルイズにとっては彼が生き延びる以上に優先させるべき選択肢など無い。
最後の望みとばかりバッツに助けを求めるが、そのバッツの顔が暗く曇っている。
俯きがちに首を左右に振るバッツに、ルイズは足元の床が崩れ落ちてその中に呑まれていくかのような絶望を感じた。
まさか、バッツまで彼を見殺しにしようと思っているのだろうか!?まさか、自分の使い魔がそんな冷酷な男だったというのだろうか?
今まで、バッツが自分の望む事をここまではっきりと断った事は無かった。恋人の命を救えないという現実と、使い魔に裏切られたという衝撃。
二つの絶望感がルイズに襲い掛かった。
「私はここに残ります。最後まで一緒に居るのがワルド様の妻としての、私の最初で最後の務めです」
ルイズは皇太子やバッツに背を向け、そう言った。声が固く震えている。もう誰も信じない、……そんなルイズの心境が背中越しにもありありと伝わってくる。
「それでは彼の気持ちを踏みにじり、死を汚しているのと同じだと、何故分からん」
「それでも!……それでも私はワルド様と共にいます」
聞く耳を持たないルイズの姿勢に、「致し方なし」と皇太子が杖を振ると、ルイズの頭が青白い雲に覆われた。雲が消えるのと同時にルイズは倒れ込む。
何が起こったのかと彼女の様子を診ると、静かに寝息を立てていた。どうやらさっきの雲は『スリプル』に似た魔法で、それでルイズの事を眠らせたようだ。
「……私を酷い人間だと思うかい?」
そう問いかける皇太子に、バッツは首を横に振ってこたえる。
「いいや、俺も同じ事をしただろう。あんたを責めたりはしないさ」
皇太子は小さく「ありがとう」と言うと、今度はワルドの遺骸へと視線を移した。
「バッツ君、悪いが彼の体をあそこの始祖の像の足元まで運ぶのを手伝ってくれないか?」
「それは構わないけど、何でだ?」
「どの城にも、秘密の抜け道や絶対安全な場所が存在する。ここでは、あの始祖の像周辺がそうなのだよ。例え火に包まれようが城が崩れようが、あの場所ならば一切被害を受ける事は無い。そう設計されているのだ」
成程、せめて彼の体だけでも安全な場所に運ぼうと言うのか。始祖の像の足元で、まるで像に守られるように安置されるワルドの体。顔の血を綺麗に拭い、瞼をそっと閉じさせる。
魔法衛士隊の紋章が織り込まれたマントに包まれたワルドは、まるで眠っているかのように安らかに横たわっていた。
皇太子はワルドの髪を一房掴むと、それをワルドの剣で切り落とす。手早く髪を結んで纏めると、ワルドの剣と羽根付き帽子と共にバッツに手渡した。
「せめて、子爵の遺髪と彼の魂でもある杖を、彼の祖国へと帰してくれやってくれないだろうか」
皇太子に手渡されたそれらの品を、丁重に道具袋に入れる。
「私が思うに、子爵は心の何処かでこうなるのを、誰かが自分を止めるのを望んでいたのではないだろうか」
「どうしてそう思うんだ?」
「私たちがこうして生きているのがその証拠さ。君にはピンと来ないかもしれないがね、本来、スクエアクラスのメイジの戦闘能力はこんなものではないのだよ。私自信もトライアングルではあるが、それでもスクエアと戦って勝てる見込みはそうは無い。スクエアスペルにはもっと想像を絶するような威力の呪文が存在するのだからね。しかしながら、子爵は『遍在』以外のスクエアスペルを使おうとはしなかった。心の奥底ではルイズ嬢を傷つけたくない、失いたくないという思いがあり、それが彼の攻撃にブレーキをかけていたのではなかろうか、と私は考えている」
皇太子は悲しげな瞳でワルドの遺体を見つめる。彼の善の面と悪の面、どちらが彼の本当の姿なのかは分からない。
でも、それでも邪悪のワルドが言っていたようにルイズを心底憎んでいた、というのは彼の真意では無かったのかもしれない。いや、そう願いたい。
邪悪を語ったあのワルドも、本当は心の一番深い処ではルイズの事を愛していたのではないか。そんな思いが、皇太子の胸中に湧き上がっているのだ。
「俺には分からないけど、そうだったと信じたいな」
バッツは肯定でも否定でもない言葉を返す。今となっては真実は闇の中、ワルドの真意を推し量る術はもう存在しないのだ。
「さて、いよいよ君らの脱出の段になる訳だが……、船はもう出ているだろう。子爵の言っていた通りに彼のグリフォンを使うにしても、先ずはどうやって呼んだものか……」
そう言って皇太子は顎に手を当てて困惑の表情を浮かべる。仮にグリフォンでこの城から脱出する事が出来るとしても、肝心のグリフォンを呼び出す事が出来なければお話にならない。
さらに言えば、そのグリフォンを操る事が出来なくては、脱出など出来はしない。
「それなら俺に任せてくれないか」
バッツは胸に手を当てて深呼吸をする。すると彼の胸元が淡く光り、バッツを包む雰囲気が少し変化した。呼び出した勇者の魂は『魔獣使い』、そして『ものまね』。
そしてバッツはワルドがグリフォンを呼んだ時の事を克明に思い出し、その動きを寸分違わず忠実に『ものまね』する。一、二度見ただけのワルドの仕草を完璧に再現して見せた。
バッツの鳴らす指笛の音に、グリフォンが窓を割って飛び込んできた。が、自分を読んだのが主人であるワルドで無い事に戸惑うグリフォン。
暫くバッツを警戒するように低く唸っていたが、バッツが腰の袋から鞭を取り出しピシャリと床を打ち付けると、直ぐに大人しくなった。
まるでバッツが主人であるかのように従順に従う姿に、皇太子は驚きを隠せない。
「バッツ君はグリフォンに乗っていた事でもあるのかい?」
驚きのあまり目を丸くしている皇太子の問いかけを、バッツはグリフォンの頭を撫でながら答える。
「いいや。でも、暫くの間ならモンスターでも手懐けられる」
「いやはや、君は凄いな。スクエアメイジと渡り合ったかと思えば、幻獣も手懐けられるのか。……人は見た目に依らないと言うが、それにしても感想に困るな」
バッツは手早くルイズをグリフォンの背に乗せ、途中で振り落とされないように縄を使って軽く固定すると皇太子と共に乗りこんだ。
王子の先導で城最深部の抜け穴まで駆け抜ける。元々非常用に作られた縦穴なのだ。
だからそこに通じる廊下も多くの物資を運び易いよう通常よりも広く作られており、グリフォンに騎乗したままでも難なく通り抜ける事が出来た。
廊下を走る事数分、バッツ達が縦穴に到着したときには既に船は全て出発した後であった。
「やはり船は出た後であったか。仕方ない。少々骨が折れるが、バッツ君にはこの縦穴をグリフォンで降りて貰わなくてはならないな」
穴を覗きこめば、暗黒の闇がずっと続いている。底が見えない――と言うよりは底など存在しないのだが――し、光が届き辛いらしく穴の壁面すら定かではない。
この穴を降りて行くのは、かなり骨の折れる作業だ。
「確かにこの穴は深いし暗いが、その出入りが難しいのは船に限った話だ。グリフォンで降りる程度ならそれほど苦労はしまい」
そう皇太子が元気づけるように言うけれども、それでもこの漆黒の縦穴を降りて行くには並大抵の技量ではまず無理だろう。
でも何時までもここでぐずぐずしているわけにもいかない。こうしている間にも刻一刻と日の出の時間は迫っているのだ。
最後に、地図を広げて脱出後の行程を確認する。皇太子の助言を受け、コンパスと見比べながら慎重に方角を頭の中に叩き込む。
皇太子の言う事にはグリフォンの飛行能力はそれほど高くは無いらしい。体力の消耗を最低限に維持しながら陸地を目指さなければならない。
今は丁度、このアルビオン大陸が港町『ラ・ロシェール』の比較的近くまで来ているとの事。だから目印となる船着き場の大樹を目指していけばいい。
距離的にも、そこまでならグリフォンの体力も持つであろうと言うのが皇太子の目算であった。
「それじゃ、これでお別れと言う訳だな。ほんの少しの間ではあったが、色々と世話になった」
と、皇太子が握手を求めてきた。その手をバッツはしっかりと握り返す。
「こちらこそ。……やっぱり、王子様はここに残るのか?」
「ああ、それが王族としての最後の務めだからな。こればっかりは、例えアンリエッタの望みであろうとも曲げる訳にはいかん」
皇太子が少し寂しげに表情を曇らせる。そして、ちらっとグリフォンへと目を向けた。
「それにそのグリフォンでは三人乗せて下まで飛び続ける事は出来まい。私としては、君らを無事に本国へと帰す事も重要なのだよ」
最後にもう一度強く手を握り返すと、バッツは手を離す。これでもう二度と会う事もあるまい。
ほんの昨日会ったばかりの相手ではあるが、それでもその人がこれから死に向かっていくというのは、やはり何処か遣り切れないものがある。
皇太子に背を向け、グリフォンに乗ろうとした時、背後から声が掛かった。
「バッツ君。申し訳ないが、最後に少しだけいいかい?」
「何だ?」
「紙とペンを持っていたら、少し貸してもらえないだろうか」
唐突に紙とペンを要求されて困惑したが、バッツは言われたとおりに羊皮紙と羽ペンを袋から取り出し皇太子に手渡す。
それを受け取った皇太子はさらさらと何事かをしたためると、羊皮紙を細く丸めて、それを自分の薬指から抜き外した指輪に通して封代わりにした。
「待たせて悪かったね。これをアンリエッタに渡してもらえないだろうか。彼女の想いに対して今、私が出来るのはこれくらいだからな」
皇太子の手紙を受け取ると、それもまた袋の中に入れる。中身が出てこないようしっかり口を縛り、腰に括りつける。
「それじゃ……。こんな事言うのも変だけどさ、武運を祈っているよ」
「ありがとう」
そう言って、バッツはヒラリとグリフォンに飛び乗り手綱を振るった。グリフォンは漆黒の穴の中へと飛びこんでゆく。
程なく見送る皇太子の姿も見えなくなり、一面暗黒に覆われた空間をただひたすらに、螺旋状に弧を描きながら下っていく。
あまりグリフォンの負担にならないように気を配りながらの操縦に神経を使う。
何も見えない空間が続いているので、ふとした瞬間に自分は本当に出口に向かっているのかどうか怪しくなってきてしまう。でも辛うじて、下から吹き上げる風が穴の出口の存在を知らせる。
どれくらい降りただろうか。不意に周囲を包む空気の流れが変わったのを感じた。
周りは相変わらずの暗闇だが、どうやら穴は抜けたらしい。しかし縦穴は抜けられてもそこはまだ大陸の真下、しかも陽が昇るか昇らないかの時間だ。
相変わらず陽の光などは無いし、おまけに雲の中に出たらしく風も乱れ視界も悪い。
バッツはグリフォンに羽を畳ませ、一気に雲を抜けるように急降下を始めた。ルイズが落ちないよう気遣いながらひたすら下へと落ちてく。
程なくして雲を抜けると、既に陽が昇り始めているらしく眼下広がる景色がよく見えた。
バッツは周囲を見回し、太陽の位置を探す。そして出発直前の皇太子の言葉を思い出し、太陽から方角を割り出して目的地へ向けて手綱を振るった。
グリフォンに再び羽を広げさせ、空を滑空してく。風を捕まえ、流れに逆らわないように羽を動かしながら目印となる大樹を見落とさぬように目を凝らす。
皇太子によれば、昨日よりもアルビオン大陸自体がトリステインに接近している為、ラ・ロシェールまでは行きの時程は時間はかからないらしかった。
となると、往路で掛かった時間は半日ほどを上限として、そこから気持ち早いくらいの時間で到着できるという事だろうか。
いくら滑空させているだけとはいえ、そこまでこのグリフォンの体力が持つかどうかは不安が残る。
まぁ魔法衛士隊に鍛えられたグリフォンであるし、わざわざワルドが脱出の手段として提案したくらいなのだ。皇太子も特に懸念していた様子も無かったし、彼も大丈夫と踏んでいたはずだ。。
それに、魔法学院からラ・ロシェールまでの距離を、数回の休憩を挟みはしたものの駆け抜けるだけの力はあるのだ。きっと大丈夫なのだろう。
今はこのグリフォンを信じるしかない。
緊張の糸を張り詰めたまま、慣れぬグリフォンに騎乗して何時間経った事だろうか。バッツの神経も限界を迎えつつある中、ようやく視界の中にあの大樹の姿を見止める事が出来た。
速度を上げて一気に樹の向こうにある港町まで飛んでゆく。見覚えのある風景が近づいた事で心に安堵感が広がる。やっと、戻ってこられたのだ。
バッツはグリフォンを操り、取り敢えずの着地点に『女神の杵』亭の裏庭を選んだ。
一日ぶりに降り立った港町は、静けさに包まれていた。昨日暴れていたならず者たちはどうなったのであろうか。
ギーシュ達が首尾よく町を抜けだし、ワルドの部下のグリフォン隊に救援を要請する事に成功したのだろうか?それにしても町が静かすぎる。
兵隊が到着した様子も無いし、そもそもグリフォン隊によって鎮圧されたにしては早すぎないだろうか。
タバサはシルフィードで王城まで夕暮れには到着すると言っていたから、兵隊が出発するのはその後だろう。
そしてここまでグリフォンを懸命に飛ばしてきたとして、果たして夜中の内に到着できるものだろうか。自分たちでさえ早朝に出立しても到着したのは日の沈んだ後だった。
それよりは多少近いとしても、それでも到着は今頃か、もう少し遅いくらいなのではなかろうか。だとしたら今頃はまだ、あのならず者たちが暴れまわっていてもおかしくは無い。
けれども空から見た町は、多少の被害を受けた跡は見受けられたもののひっそりと静かなものであった。まさか夜はならず者たちも大人しく眠っていた、なんてことはあるまい。
グリフォンを裏庭に待機させたまま、様子を窺いに『女神の杵』亭の中に入ろうと扉に手をかけた。
すると、バッツが扉の取っ手を握るのと同時に扉が開かれ、中から人が現れた。
咄嗟に後ずさって身構えるバッツであったが、そこに現れたのはよく見知った顔であった。
「なんだ、キュルケ達か。ビックリしたじゃないか」
中から出て来たのは、キュルケ達三人であった。城へ向かった筈の三人がここに居るのは不思議であったが、取り敢えず危険は無い事に胸を撫で下ろす。
「ビックリしたって、それはこっちの台詞よ。あなた達、船に乗ってアルビオンに行ったんじゃないの?何でここに居る訳?それにその格好……、一体何があったって言うのよ!」
キュルケに指摘されて、バッツは自分の服に目を向ける。左肩を中心に血で真っ赤に染まり、腿や腕は幾筋も切り裂き傷があり、全身血まみれと言った状況だった。
傷はハイポーション等で治してしまっていたし、状況が状況であったので服にまで気が回らなかったのだ。
「あなた、そんなに傷だらけで平気なの?」
「うん?まぁ傷は全部治してあるからな。特に痛みとかは残ってないな」
キュルケが心配の言葉をかけてくれる。そんな彼女を安心させようとバッツは元気な風に振舞う。
「あなた達に何があったの?あなたはそんなに傷を負っているし、それに……」
「……ルイズも、ワルド子爵も見当たらない。彼のグリフォンしか、居ない。」
タバサが辺りを見回して言う。確かに昨日見送ったはずのワルドがいない。昨日の様子からして、彼がルイズを置いて何処かへ行くと言うのも考えられなかった。
それにグリフォンだけは居ると言うのもおかしな話だ。幻獣乗りがその大事な幻獣をおいそれと他人に任せるなんて話は聞いたことがない。
「……。ルイズはグリフォンに乗せてある。訳あって今は眠っているけどね」
「子爵は?」
子爵の様子を問うキュルケの言葉に、バッツは答えない。キュルケから顔を背けタバサの方に向き直ると、これからの行動予定について話を進めた。
「俺たちはこれから、この国のお姫様の所に行かなくちゃならない。もしよかったら君たちも一緒に来てくれないか?出来れば、ルイズはグリフォンじゃなくて君の竜に乗せて運びたい」
「それは良いけど、急ぐの?」
「ああ。直ぐにでも出発して、少しでも早くお姫様に会いたいんだ」
バッツの口からアンリエッタの事が出て来た事に驚いたギーシュがたまらず会話に割り込んでくる。
「おいおいバッツ、何で君がアンリエッタ様に会わなきゃいけないんだ」
「詳しくは言えない。でも、今お姫様に会わなけりゃ、この旅の意味がなくなるんだ。色んな物が、無駄になる」
バッツの真剣な眼差しに、その場に居る誰もが異を唱える事は出来ない。何故、アンリエッタ王女に会わなければならないのか。しかも何故、急がなければならないのか。
そのことを問いただせるだけの雰囲気が、今のバッツには無かった。キュルケ達は互いに顔を見合わせるが、結局はバッツの望むとおりにするしかないのだと言う結論に達した。
三人を代表して、キュルケがバッツに言う。
「わかったわ。あなたの言うとおりに協力してあげる。理由も今は聞かないわ。でも、その前に一つだけやっておく事があるわ」
「やるべき事?」
キュルケはビシッとバッツの服を指差し、
「その服を着替えなさいな。いくらあたしたちが魔法学院の制服を着ていたって、あなたがそんな恰好じゃ捕まえられても文句は言えないわ」
とバッツの血塗れの服を着替えるように促した。それと同時に、グリフォンに括りつけてあるルイズをシルフィードに移すために皆でグリフォンの元まで歩み寄った。
そこでキュルケ達は更に目を丸くした。眠っているルイズが落ちないようにと縄で括りつけられているのにも驚いたが、彼女の服も血で汚れているのに仰天した。
まさかルイズも怪我をしているのかと問い詰めるキュルケに、あれは全部他の人の血だ、とうっかりバッツは説明してしまった。
「じゃあ何?あれはあなたの血なの?そうじゃなかったら一体誰のものなのよ!?」
まさかアルビオンの皇太子や婚約者であるワルド子爵の血だ、なんて答える訳にはいかない。
「別に誰の血だっていいじゃないか。俺もルイズも無事なんだ。それで良いじゃないか」
そう少々乱暴に言って、この話を終わらせる。到底納得のいかない顔をしているキュルケ達を放っておいて自分は着替える為に『女神の杵』亭の中へと入って行った。
数分で着替えを終えて出て来ると、既にシルフィードがグリフォンと並んで待機しており、ルイズも既に移されていた。
彼女の分の着替えを置いて行かなかったので、取り敢えずはギーシュのマントを被せて血に塗れた服が他の人に見えないようにされていた。
「バッツはあのグリフォンに乗って行くのかい?」
とギーシュが言う。普段、学院内では生徒は皆常時マント着用しているから、マントを外したギーシュと言うのも何処か新鮮に映る。
「ああ。あれを乗りこなせるのは俺くらいだろう?置いて行くわけにもいかないしな」
「……でも、急ぐんだったらシルフィードに四人乗せるのは無理。誰か一人、そっちに乗ってもらわないと困る」
とタバサが提案する。どうやら全力で飛ぶには四人では重すぎるらしい。そこで協議の結果、ギーシュがバッツと共にグリフォンに乗る事に決まった。
日も大分高くなっている。急がなければ、夜までに城に到着する事が出来ないだろう。
それからは、行き以上の早駆けでトリステインの王都であるトリスタニアを目指した。
速度としてはグリフォンよりも風竜の方が上らしく、グリフォンを限界まで酷使してもシルフィードについて行くのがやっとであった。
しかも常にトップスピードで飛ばしている為、疲労の蓄積も早く、頻繁に休憩を余儀なくされた。
が、その休憩時間もグリフォンに回復薬を与える事によって強制的に体力を回復させ、たった数分だけの休憩で終わらせてしまう程にバッツは先を急いだ。
トリスタニアを目指して幾度目かの休憩中にルイズが目を覚ました。
目覚めてから直ぐは取り乱したようにワルドの名を呼んで半狂乱になっていたが、自分がニューカッスル城から運び出された事に気付くとそれも収まった。
悪い夢にうなされていたのかと考えたキュルケ達と違い、バッツは一人バツの悪い顔をしてルイズと目を合わせようとはしなかった。
ルイズの方も決してバッツの方を見ることなく、押し黙ったままシルフィードにしがみ付く様に跨ると、先を早く出発するようにとバッツ以外の面々を急かす。
起きたらルイズから事情を聞き出そうと思っていたキュルケであったが、ルイズの放つその異様な重圧に結局何も聞けないでいた。
タバサはそんなルイズとバッツの間の妙な緊張感など興味なさそうにシルフィードを操る。
バッツと一緒にグリフォンに乗るギーシュも、バッツに問いただしたい事が山ほどあったが、その背中から伝わってくる無言の重圧に大人しく黙っているしかなかった。
陽もすっかり沈み、辺りが一面の闇に支配されても一行の強行軍は止まる事は無かった。そのお蔭もあってか、なんとか深夜になる前にはトリスタニアの街の灯が見えて来た。
そろそろ宿の手配でも、と考え出したキュルケであったが、ルイズの指示でそのまま王城へと直行する事にった。
幾らなんでもこんな時間に城に入れるはずがないと止めるキュルケに、王女の命を受けているのだから問題無いとルイズは聞く耳を持たない。
キュルケの懸念した通り、王城の上空に差し掛かったところで警備中であったマンティコアに乗った騎兵数人に囲まれ、停止を勧告された。
それでもルイズは勧告を無視して城の中庭に着陸するようタバサに告げる。
再三の警告を無視して中庭に降り立った一行は、直ぐに警備の兵士たちに取り囲まれた。兵士たちは手に杖を持ち、妙な動きを見せれば一斉に魔法を放てるよう身構えている。
辺りには松明が幾つか掲げられているがそれでも暗く、幸いにもルイズの血に染まった服を見咎められることは無かった。
「お前たちは何者だ!この様な時間に王城に堂々と忍び込もうとは随分な度胸だな」
取り囲む兵士たちの中でも隊長格と思われる人物が声を上げる。ルイズは一歩前に踏み出し、その隊長格の男に向かって跪くと自分の名を告げた。
「私はラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワ―ズです。決して王宮に危害を加えようとする者ではありません。あなた方は魔法衛士隊が一つ、マンティコア隊とお見受けします。
この様な夜分に無礼を承知で申し上げますが、何卒、姫殿下に御取次をお願いいたします」
はて、と警備隊の隊長は口髭をなぞりながら首をひねる。
ラ・ヴァリエール公爵家といえば、王宮に勤める者ならば知らぬものは居ない程に高名な貴族だ。その三女が自分に対し跪き、頭を垂れてまで礼儀を尽くしている。
本来ならば立場が逆でもおかしくないこの状況に、なにか非常事態が起こっているような臭いを感じるが、それが一体何なのか迄は流石に見当が及ばない。
「ふむ、ラ・ヴァリエール公爵様の三女とな」
「そうです」
ルイズは微動だにせずに答える。
「言われてみれば、闇夜にも映えるその美しいピーチブロンドの髪は母君そっくりでありますな。して、その公爵家の御令嬢がこの様な時分に姫殿下に何用でありましょうか」
「姫殿下の御所望の物を手に入れて参上したとお伝えください」
「その品は何なのですかな?」
「それは、申す事が出来ませぬ」
ふむ、と考え込む素振りを見せる隊長格の男。その顔には困惑の色が見て取れた。
「品物が何か分からぬのであれば、取り次ぐ事は出来ませぬな。如何に公爵家の御令嬢であろうとも、時間を鑑みればその程度の要件でお通しする訳にはいきませぬ。また日を改めて参られよ」
「それでも!それでも一刻でも早く姫殿下に合わなければならないのです。ならば昔馴染みが遊びに来たとお伝えください。姫殿下ならばきっと快諾なさる筈です」
隊長がやんわりと帰るようにと促すけれども、ルイズは頑として譲らない。
いつまでもこのままの膠着状態が続くのも不味いと感じた隊長格の男がどうしたものかと悩んでいる所に、頭上から声が降り注いできた。
「ルイズ!ああ、何事かと思えばルイズではありませんか!」
騒ぎを聞きつけたのだろうか、遥か上方にある自室の窓から顔を覗かせていたのは他ならぬアンリエッタ王女その人であった。
そしてそのまま窓から身を乗り出すと、中庭のルイズの傍までフワリと舞い降りた。
「ああ、ルイズ!無事に戻って来てくれたのですね!」
兵士が取り囲む中、アンリエッタはそんな事を気にするでもなくルイズの手を取りその来訪を喜んでいた。
呆気に取られている兵士たちに気がついたのか、アンリエッタはコホンと軽く咳払いをすると背筋を伸ばし、周囲に向かって毅然とした態度で命令を下す。
「彼女たちは私が呼び寄せたのです。このような時間になったのは予想外ではありましたが、決して怪しい者たちではありません。この者たちの事はもう良いですから、皆さんは通常の警備に戻ってください」
その一言で、ルイズ達を取り囲んでいた兵士たちは三々五々自分達の持ち場へと戻って言った。
アンリエッタは手を取り合ってルイズとの再会を喜んでいたが、その話が要件に至ろうとした時、その場にキュルケ達魔法学院の生徒がいる事、そしてワルドがいない事に気がついた。
何事かと問う前にルイズの視線からただならぬ雰囲気を読み取ったアンリエッタは、中庭のままでは話辛かろうと一行を自室へと招いた。
「して、ルイズ。こんな時間にもかかわらず王城に来たという事は……?」
「それにつきましては、姫さま。なにぶん内容が内容ですので……。キュルケ、タバサ、ギーシュ。悪いけど部屋から出て行ってもらえる?これは姫さまと、私だけで話したいの」
そういってキュルケ達に向き直る。
もちろんキュルケは「はぁ?」といった反応を見せるが、元々興味のないタバサやアンリエッタの部屋に入ったというだけで立ったまま気絶しているギーシュと共に廊下へと追い出された。
興味本位でついて来ただけのキュルケではあるが、話が面白くなってきそうな所で蚊帳の外に追い出されてはなんか面白くない。
このままではちょっと腹の虫がおさまらないので、魔法で部屋の中を盗聴する事にした。小声で呪文を唱えると、扉の一部に穴が空いたようになり、部屋の中の様子や話声が伝わってきた。
気絶から回復したギーシュが止めようとするが、「あんたも気になる癖に」なんて言われるとついつい協力してしまう。ギーシュだって気になるのだ。
二人して扉に張り付く様にして中の様子を窺う。いつの間にかその中にタバサも加わっているが、盗み見る事に夢中になっている二人は気がつかなかった。
扉の向こうでそんな事が行われているとは露知らず、ルイズはアンリエッタに今回の旅の報告を始めていた。
「先ずは、姫さまの仰っていた手紙でございます。無事、ウェールズ皇太子より譲り受けてまいりました」
ルイズは件の手紙をアンリエッタに手渡す。手紙を受け取ったアンリエッタは、この場に皇太子の姿がない事に顔を曇らせる。
「ウェールズは、わたくしの手紙をきちんと読んでくれたのでしょうか」
「はい、姫さま。それはもう、とても愛おしそうに何度も読み返しておりました」
そうですか、とアンリエッタは俯く。
「あの方は、御自分の名誉を守る事を優先なさったのですね。わたくしなど、あの方の中ではその程度の存在だった、という事ですのね」
悲しげにそう呟くアンリエッタの姿は今にも消えてしまいそうなくらいに儚く、危うげであった。この悲報のショックで死んでしまうのではと余計な危惧を抱いてしまうほどに。
ふと視線を下げたアンリエッタの目に、ルイズの服が映る。初めはそう言う柄の服を着ているのかと思っていたが、よくよく見れば、それは何かの血を浴びたようでもある。
血……?見たところ、ルイズ自身やその後ろに控えるバッツには傷らしい傷は見受けられない。とするとこれは誰か第三者の流した血が付いたものだ。
しかも尋常な量では無い。これだけの血が流れているのであれば、恐らくその人物は生きてはいないだろう。
まさか、その血は……。
「ルイズ。その血は一体どうしたのですか!?まさか、まさかそれは、ウェールズの……」
「いいえ、御安心ください姫さま。これは皇太子のものではありません。これは、これは……ワルド様の……、ワルド様の……!!」
ルイズの瞳から大粒の涙が零れ落ちていくのを見て、アンリエッタはこの場にワルドの姿がない理由を理解する。
「まさか、子爵は……!?いえ、そんな事……子爵はこのトリステインでも屈指の実力を持つメイジ。そう容易く敵に後れを取るなど信じられません」
「ワルド様は……、ワルド様は最後まで正義のために戦いました。そしてその命と引き換えに、私と、トリステインの未来を守ってくださったのです」
ルイズはスカートを握り、必死に悲しみを押さえつけて言葉を続ける。
「私にもっと力があれば、ワルド様は死ぬことは無かった……!私が、もっと早くから系統魔法に目覚めてさえいれば、ワルド様は……、ワルド様は!!」
だが込み上げる悲しみに耐えられず、ルイズは膝から崩れ落ちうずくまる。静かな室内に響くのは、ルイズの嗚咽だけ。
そんなルイズを、アンリエッタは優しく抱きしめて慰める。ルイズ達がアルビオンへと出発した後であったが、彼女もワルドがルイズの婚約者である事を思い出したのだ。
アンリエッタとてウェールズを失った悲しみは計り知れない。けれども、恐らくは目の前で愛しい人を失ったルイズの悲しみはそれ以上の筈だ。
同じ悲しみを背負う者として、アンリエッタには今のルイズの気持ちが痛いほど分かる。
「御免なさいルイズ。わたくしのせいで、あなたにこんなにも辛い思いをさせてしまいました。わたくしの事を怨んでも構いません。わたくしは、それだけの事をあなたにしたのですから」
同じく涙を流しながら、アンリエッタはルイズ詫びる。ウェールズを失った悲しみというよりも、自分の軽率な行動が大切な友人の心を深く傷つけてしまった事への後悔の念からの涙だ。
ワルドを失った自分の為に泣いてくれる人がいる。そんなアンリエッタの気持ちに
「いいえ、姫さま、これは決して姫さまのせいではありません。悪いのは私。何もかもが未熟な私がいけなかったのです」
そう言って、お互いに強く抱きしめあいながら二人の少女は泣き声を上げた。それぞれの愛しい人を失った悲しみに、そして自分と同じ悲しみを抱く友人の為に。
二人は涙の枯れるまで、喉の枯れるまで泣き続けた。
ひとしきり涙も流しきった二人は、お互いに顔を見つめあう。二人とも涙で顔がグシャグシャになっていたが、それを可笑しいなんてちっとも思いはしなかった。
むしろ二人の間に不思議な一体感のようなものが芽生え、絆が更に深まったかのような心地よささえ感じた。
目の前で泣き始めた二人の少女の邪魔をする事無く、静かにその場に佇んでいるだけだったバッツが、ここにきてようやくその口を開いた。
「お姫様にルイズ。二人に渡しておかなきゃならない物がある」
そう言って道具袋から取り出したのは、ワルドの遺髪と杖と羽根付き帽子、そしてアンリエッタに宛てた皇太子の手紙だった。
それぞれが最愛の人の遺品を受け取ると、それを愛おしそうに胸に抱きしめる。そして、流しきったはずの涙が、また自然と零れ落ちるのであった。
手紙に目を通したアンリエッタの目にまた新たな涙が溢れ出て来る。バッツもその内容は分からないが、どうやら彼女に宛てた愛情が綴られていたのだろう。
「ルイズにバッツさん。この度は本当にありがとうございました。お礼はまた日を改めてさせて頂きます。今日はもう遅いですし、部屋を用意させますので今宵は連れの方たちと共にこの城に泊っていって下さいな」
未だ涙の流れ続ける顔で、アンリエッタはそう申し出た。深い悲しみにくれながらも、必死に笑顔を取り繕っているその姿は、直視していられない程に痛々しかった。
そしてアンリエッタは抱き合ったままのルイズに優しく言葉をかける。
「今日はわたくしと一緒に寝てくれますか?幼きあの日々みたいに……」
「勿論ですわ、姫さま」
ルイズも涙を拭い、アンリエッタに笑いかける。
「参ったわね……」
そう漏らしたのは、扉の外から魔法で中を覗いていたキュルケだった。
「ただの観光じゃないとは思っていたけど、まさかこんな重大な用件があったなんて……。しかも、こんな悲しい結末だなんて……」
「僕らは知るべきじゃなかったのかもしれないな。いくら友達だからって、踏み込んじゃいけない領域ってものがある。明日からルイズにどんな顔して会えばいいって言うんだい?」
自分も覗き見するのにノリノリだったじゃないの、と非難しようと思ったキュルケだったが、そもそも自分が変な野次馬根性を見せなければこんな事にはならなかったのだ。
ギーシュを責めるのは筋違いと言うものだろう。
でもギーシュの言った通り、こんな事を知ってしまっては、明日からルイズに普段通りに接することが出来る自信がない。
「とにかく、今見た事は忘れましょ。そして、決して今日の事は話題に触れない事。ルイズが自分から話せるようになるのを待って、もし話してくれなくても決して詮索したりしては駄目よ」
キュルケの言葉にギーシュとタバサが小さく頷く。この事は、三人だけの秘密。ルイズの気持ちの整理が付くまで、いや気持ちが落ち着いても決して触れてはならないタブー。
その事を確認し合い、三人は目線を交わし合う。こんな悲しい話、他言などは出来る筈も無い。
程なくしてアンリエッタお付きの者から案内され、バッツ達は客室に通された。急な事ではあったが、それぞれにきちんと一部屋ずつ割り当てられた。
豪華な内装に豪奢な調度品の数々、そしてふかふかなベッド。バッツはベッドに横になると、直ぐに睡魔が襲ってきた。
無理も無い。今日の未明から日の出直前まで戦闘を続け、更には丸一日馴れないグリフォンに乗ってここまで飛ばしてきたのだ。二日近く寝てない体でハードな日程をこなしたのだ。
いくら旅には慣れていると言っても、流石に体力の限界だった。
眠りへと落ちていく中、バッツは思う。今ルイズは何を想っているのだろうか。皇太子は、あの後どうなったのだろうか。
全てが、幸せな方へと向かっていけばいいのに。一度は世界を救った自分の力も、ここでは何も役には立たなかった。自分は、なんて無力なのだろう。
たった一人では、仲間がいなくては、女の子一人悲しみから救う事が出来なかった。
しかしそんな想いも直ぐに眠りの霧の中に閉ざされてゆく。
夢すら見ない深い眠り。
泥のように、死んだように眠る。
そのバッツの頬に、一筋の涙の跡が走っていた。