トリステイン魔法学院内にある付属図書館は、トリステイン国内でも屈指の蔵書量を誇る。
特に魔法関係の本が充実しており、学院創立以前の書籍も多数保管されている。
生徒達が利用するには少々量が多すぎると言うか、難解な本が多数所蔵されているが、それには理由がある。
実は利用回数で数えたら、生徒全体の利用回数よりも教師の利用回数の方が多かったりするのだ。
トリステイン随一の研究どころである王立魔法研究所(通称:アカデミー)とはベクトルが違うが、研究も主要な仕事の一つである学院の教師たちにとって、この図書館はまさに宝の山である。
生徒の立ち入ることの出来ない区域が設定されているのも、そうした事が関係している。
図書館の一角には持ち出し禁止の書籍を閲覧するためのスペースが設けてあり、そこは自習室として生徒に利用される事も多い。
本の保存の為に年中快適な環境に保たれている図書館内の閲覧室は生徒達に人気があり、特に夏は入室の為に整理券が配られるほどだ。
そんな図書館内も虚無の曜日ともなれば流石に人影は少なくなる。
やって来るのは根っからの読書愛好家か、休日にも関わらずにやる事も無く図書館で寝て過ごそうと考える不埒な輩くらいなものだ。
だが今日は違った。自習用に並べられた机の一角に本を山と積み上げ、一組の男女が黙々とページをめくっていた。
一人は長くて美しいピンクブロンドを邪魔にならないように束ねて本を睨むルイズ、もう一人は自分たちを取り囲む本の山に少々呆れながらも興味津々に読みふけるバッツだ。
互いに会話を交わす事も無く、ただ黙々と本を読みふける二人。時折、何かを書き留める為に手を止める以外はひたすらに本を読む事に集中していた。
沈黙の世界がどれほど経ったであろうか、ぐぅと鳴る腹の音で昼時になった事に気が付くまで、二人はずっと本を読み続けていた。
腹が減っては戦は出来ぬ、とばかりに食堂へ向かう。食堂も図書館と同様に虚無の曜日は人がまばらであった。
これは休日を利用し街へ繰り出す者が少なくないのに加え、授業が無いので昼食時は皆が思い思いの時間にやって来るからである。
一応、虚無の曜日でも昼の食事可能な時間は決められており、何時でも食事ができると言う訳ではない。
それでも平日に比べ長めに取られているのでバラバラにやって来るのだ。
厨房のマルトー曰く「平日の忙しさは戦場にも負けねぇ。でも忙しいのはほんの少しの間だけだ。だが休日は延々と仕事が終わらねぇんだよ。どっちかって言ったら平日の方が楽だね、俺は」との事。
それ故、虚無の曜日の昼食時にはバッツが手伝う程の仕事量は無い。
だからバッツはルイズと席を並べて昼食をとっていた。勿論、ルイズは生徒用の正規の料理でバッツは賄い食ではあるが。
食事中も会話も少なく黙々と食べる。二人の間に妙な気まずさが感じられるが、それでもルイズが怒っているとかバッツが何かに腹を立てているとかそういった様子も無い。
どちらかと言うと二人とも疲れきっていて喋るのも億劫と言った感じだった。
「食事が済んだらどうするんだ?」
とバッツが尋ねる。
「勿論、午後も午前と同じ、図書館で借り受けた本を少しでも読み進めるわよ」
と言うルイズの言葉にバッツは「うへぇ」と顔を顰める。
「仕方ないでしょ。姫さまの結婚式まであと二週間しか時間が無いんだもの。いいえ、当日に出来てりゃ良いってもんでもないから、実際にはもっと短いわ。とにかく時間が無いのよ」
それを聞いたバッツが今度は大きく溜息を吐いた。バッツの性格からして、部屋に閉じこもって調べ物をするのはどうも苦手である。
同じ調べ物でも、どちらかと言えば外を歩きまわって調べる方が好きなのだ。
でも今回のような文章の作成に於いてはやる事が無い。いや、やる事は無くは無いが、詩文に疎いので役に立つ事はあまりない。
出来そうなことと言えば、午前中にやっていたように他の文章を読み、使えそうな単語を見つけては書き留めていくくらいだ。
どちらかと言えば無風流なバッツにとって、詩なんてものは縁の無い世界なのだ。
食事を済ませると、二人は直ぐに図書館に戻った。
どうせ午後も居るのだからと本などはそのまま積み上げてある。本の山を掻き分けて午前中と同じ位置に座ると、また二人して本を読み漁る作業に取りかかった。
「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」
午後の調べ物を開始して少し経ち、バッツが口を開いた。
「何よ」
ルイズは視線を書物に向けたまま面倒臭そうに返事をする。
「いやさ、王族の結婚式ってどんな感じなのかなって思ってさ。ルイズも貴族の娘なんだから、そういう場に参列した事があるんだろ?」
というバッツの質問に、ルイズは呆れたように溜息交じりに応える。
「あのね。今、このトリステインに“王族”に該当する人物は二人しかいないの。一人は姫さま、もう一人は姫さまの母君のマリアンヌ様。お二人とも一人娘で他に兄弟がいらっしゃらないから、一番最近の王族の結婚式って言ったらマリアンヌ王妃のご成婚の時まで遡るのよ。で、私と姫さまがほぼ同い年。私が王妃様の結婚式に参列できるわけがないでしょうが」
「でも、王族とはいかなくても、貴族の結婚式に参加した事くらいはあるんだろ?」
バッツ自身も何度かは結婚式を見た事がある。まぁそれは参列とかそういうのではなく、旅先での日銭稼ぎとしてたまたま他人の結婚式の手伝いをした程度である。
しかしそれも平民の結婚式、貴族や王族のそれとは規模が違いすぎて今回は何の参考にもならない。
ルイズくらいの年で、更には貴族ともなれば一度くらいは結婚式に顔を出した事くらいあるだろう、と考えるバッツは少し質問を変えた。
「仮にあったとしても、規模が違うわよ、規模が。貴族の結婚式なんて、祝うのは自分の所有する領民と親類縁者位よ。それに比べて王族ともなれば、それこそ国を挙げての行事だわ。貴族平民の別無く、トリステインに住む全ての人間が祝うのよ。当然、式典の規模も段違いだわ。そこらへんの貴族の結婚式と違って、参列するだけでも名誉なことなのよ」
「ふ~ん。なんだかよくわからないけど大変なんだな」
「そう、大変な事なのよ」
質問はしたものの、その返答には余り興味が無さそうにバッツは素っ気ない反応をした。
興味が無い、と言うよりは実感がわかなくて理解していないと言った方が正しいのであるが。
それを知ってか知らずか、ルイズもバッツの返事を余り気にしていないようだった。
もっとも、こちらは本を読み進めるのに神経を集中させている為にバッツの事を一々気に留めていられなかったからであるが。
「で、今『仮にあったとしても』って言ったけど、ルイズは結婚式に参加した事は無いのか?」
そのバッツの言葉にルイズは少し気まずそうな顔をした。その表情の意味が分からずバッツがキョトンとしていると、ルイズは渋々と言った感じで話し始めた。
「一応ね、私にも姉がいるのよ。それも二人。一つ上の姉様は体が弱くて結婚を諦めてて、一番上の姉様は……なんというか、その……」
極力言葉を選ぶ、そんな感じでルイズが続ける。まるで、この場に居ない誰かに気を使うかのように。
「なんでかは分からないけど、殿方とのお付き合いが長続きした事無いのよ。……なんでかは分からないけど。でも今年に入ってバーガンディ伯爵との婚約が決まったらしいから、そういう意味では身内の結婚式に参加するのはそう遠くない話だと思うわ。ま、姫さまの結婚式よりは後になると思うけど」
もう少し詳しく話を聞くと、どうやらこのルイズの一番上の姉というのはルイズと十一歳年が離れているという。ルイズが今、十六歳であると言う事だから件の姉と言うのは二十七歳か。
オバサンと言うには少し早すぎるが、貴族の令嬢で未婚でいるは少し年齢が行き過ぎている感は否めない。
ルイズの話によれば、一番上の姉はこの国で一番の魔法研究機関に所属している有能な研究員らしいので、仕事第一で結婚とかには興味の無い人物なのかもしれない。
やたらと「姉の交際が長続きしない理由は分からない」と強調するルイズの態度に不審な点を感じないわけではないが、さしあたって今は関係のない事なので深くは聞かない事にした。
そのまま再び借り受けた本を読み進める作業に戻る二人。また沈黙の時間が流れ始めた。
何分くらい経ったであろうか、不意にバッツが「あっ」と声を上げた。
突然の事に目をパチクリとさせているルイズを尻目に、バッツは自分の胸に手を当てる様な仕草をして瞳を閉じ精神を集中させる。
すると、ほんの僅かな時間であったが、手を当てた個所を中心にバッツの体が仄かに青白く光った。
そしてその光が消えるのと同時に、バッツの雰囲気が僅かではあるが変化したのをルイズは感じ取った。
変化したと言ってもほんの僅かなので、どう言葉で説明していいのかは分からない。基本的には何時ものバッツと大差は無い。
しかしながら、いつもの飄々とした雰囲気は少し抑えられ、代わりにどこか浮世離れした、ふわふわとした儚げな雰囲気が感じ取られる。でもバッツはバッツなのである。
今目の前で起こった事に戸惑いながらも、ルイズは前にも同じような事があった事を思い出した。
そう、あれは確かバッツに魔法を教わった時だ。
あの時も、胸に手を当ててから急にバッツの説明が流暢になったのを記憶している。心なしかバッツが頭脳明晰であるかのように感じたものだ。
自分が教えられる立場だったから、あの時はそう錯覚していたのだと考えていたが、どうやら違ったようだ。
別に人が変わったとかそういう事ではない。ちょっと雰囲気が違うような気もしないでは無い、といった程度だがバッツはバッツだ。他の誰かでは無い。
でも、バッツらしからぬ言動や行動は、気のせいと言うだけでは説明が付かないのだ。
だが今、その答えの一端が見えたような気がした。キーとなるのは胸に手を当てる仕草だ。
それにどんな意味があるのかはわからない。でも、なにか大きな秘密が隠されているはずだ。ルイズは思い切って訊いてみる事にした。
「ねぇ、あんたのその、胸に手を当てる仕草ってなんか意味あるの?」
「うん?」
何を聞かれているのか分からない、と言った風にバッツが答える。
「それよそれ。今、少し光ったでしょ?」
ルイズがバッツの胸元を指差して言う。
図書館内は外に比べて証明を落としてある。これは本が光で焼けるのを防ぐためであるが、そのお蔭で今の光が見えたのだ。
「気になるか?」
ルイズの意図するところを読み取ったバッツが少しイタズラっぽく言う。
「気にならないと言ったら嘘になるわ」
そうか、と答えてバッツは少し黙り込む。そんなに言いたくないことなのかと問えば、少し困ったような表情で否定した。
「話したくないって訳じゃないけど、ちょっと説明が難しくてね。どう言ったら納得してくれたもんだかな……」
そう言いながらバッツは襟元に手を突っ込むと上着の下から小さな革袋を一つ取り出した。同じく革で出来た紐が付いており、それで首から下げていたようだ。
いつも腰に下げいる道具袋に比べて一回りも二回りも小さなその革袋は、振るとシャラシャラと音がした。なにか固い物が入っているようだ。
「これ、中見てもいいの?」
バッツからその小袋を渡されたルイズは中を開けてみた。中には細かい透明なモノが幾つか入っていた。
ガラス? いや、これは石英の結晶か? 何かは判らないが、幾つもの小さな破片が袋の中でキラキラと輝いていた。
「これ、何?」
「クリスタルの欠片さ」
「水晶??」
袋の中の欠片を一つつまんでみる。それは非常に透明度の高い石英の結晶であった。一見するとダイアモンドにも劣らない輝きを放っている。
天然モノとは思えな透明度ではあるが、人工的に造られたものとも考えにくい。
これほど純度の高い水晶を『錬金』で精製するのもかなりの熟練が要するであろう。それ位の力量があったら水晶なんて造らず、ダイアモンドを造った方が色々と楽だ。
「で、これが何なのよ」
袋の中身は分かった。だがそれが何の役割を持っているのかはさっぱり見当が付かない。その謎を解明するために、ルイズの更なる質問が飛ぶ。
「これは俺の力の源さ。これがあったからこそ俺は強くなれたし、色々な技術や知識を得られた。今の俺があるのは全部これのお蔭だ」
「これが? ただの水晶の割れクズにしか見えないんだけど」
ルイズの率直過ぎる感想に苦笑いしながらも、バッツは説明を続ける。
「ちょっと前……、そう、こっちに来る前まではもっと大きい欠片もあったんだ。それこそ握りこぶし大の物や、人の頭くらいの大きさの物もあったんだよ」
「それで?」
「これは元々もっと大きな──そう、身の丈の倍以上あるような巨大なクリスタルだったんだけど、ある事情で砕けたってわけ。で、その欠片がコレなんだ」
バッツは身ぶり手ぶりを交えて説明してくれているが、ルイズが知りたいのはそんな事ではないのだ。
ルイズはつい少し苛立ち気味に荒げてしまう。
「この欠片が元は大きい塊だったとか、何で砕けたとかは重要じゃあないわ。大切なのは、何でこれを持ってると強くなれるかって事よ。要点は簡潔に、判り易く説明なさい」
そう指摘されて、バッツはクリスタルの由来とかそういうのをすっ飛ばして重要そうな所だけを説明する。
「このクリスタルには大昔の、ある戦いに参加した勇者たちの知識と経験が宿っているんだ。その力を借りて、更には自分自身に覚え込ませていくことで普通よりずっと早く色んな技術を身につけられたんだ」
「あんたが魔法を使えるのもこの水晶のお蔭?」
「ああ。それ以外にも色んな武器の扱い方とか、薬の知識とかなんかも少し教えてもらったかな」
「へぇー、何の変哲も無さそうな石ころなのに、すごい力があるものねぇ」
バッツの説明を受けて、ルイズは手の上で転がしていたクリスタルの欠片を改めてマジマジと見詰める。
「ねぇバッツ。その力、私にも使えないかしら?」
ルイズが真剣な眼差しで言う。
もし自分もバッツと同じようにこの水晶から力を引き出して自分の物にする事が出来たら……。そんな考えがルイズの中で頭をもたげる。
「まぁ、『声』が聞こえるんだったら使えるんじゃないか?」
「……『声』?」
あまりに突拍子もない事を言い出すので、バッツはどこかオカシイんじゃないかといぶかしむルイズであるが、当のバッツは至って真剣である。
まぁ、喋る武具だってあるのだ。喋る鉱石があってもおかしくは無いのかもしれない。
そんなもの見た事も聞いた事も無いが。
「そう、『声』。この欠片から聞こえて来るんだよ。クリスタルに宿る勇者たちの声なのか、それとももっと別の存在の声なのかは分からないけど、とにかく声が聞こえて来るんだよ。
もっとも、聞こえると言っても耳で聞くんじゃない。頭の中に響くような、こっちの意識に直接語りかけて来るような感覚があるんだ。それが感じられるんだったら、きっとクリスタルに選ばれたって事だろう」
“クリスタルに選ばれる”……。バッツの口から飛び出たこの言葉にいささか引っかかる点があるが、今はクリスタルの『声』を聞く事の方が重要だ。
掌の上のクリスタルの欠片に意識を集中させる。
だが何も起こらない。
やり方が悪いのだろうか? ならばと今度はバッツの真似をして胸の前で欠片を握ってみる。目を閉じて意識を手の中の欠片に集中させてみるがやっぱり何も起こらない。
何度かやり方を変えてはチャレンジしてはみたが、何かが起こるような気配も無く、クリスタルは相変わらず静かな輝きを湛えているだけだった。
「……何も起こらないわ」
「そうか、そうだろうな。こっちは平和なもんだし、この力は必要じゃないって事だろ」
やや落胆するところも無きにしも非ずではあるが、もともと出来ればラッキー程度だったので
「“平和”、ねぇ。今の状況が“平和”なんだったら、あんたが力を手に入れた状況ってどんなのだったのかしらね。怖くて想像したく無いわ」
クリスタルの欠片をバッツに返しながらルイズが呟く。
トリステインを取り巻く状況は、ハッキリ言って平和とは言い難い。今のところは表面的には平和であるが、その平和も危ういバランスでなんとか保っているにすぎない。
特に最近は『レコン・キスタ』を筆頭にトリステインの王政府の悩みの種は尽きない。そもそも、この度の婚礼も今の仮初の平和をなんとか延命させる為の方策にすぎないのだ。
これほどまでにトリステインに降りかかる厄災の数は尽きないが、それでも「平和」と言えるのならば、バッツの国の状況とはどれ程に悲惨な状況だったのだろうか。
ハルケギニアで例えるなら? エルフ達との全面戦争? それとも全く別の何か想像も絶するような災害でも起こるのかしら?
ルイズ自身がそういう方面には疎いという事もあり、全く想像が及ばない。
ただぼんやりと、ハルケギニアに住む全ての人間の存亡にかかわるような出来事なのかしら? という考えが浮かんでは直ぐに消えていった。
「で、あんたは今何の力を呼び出したわけ?」
ルイズは自分がクリスタルの力をどうこうするのを諦め、話を元に戻す。
そもそもな話、バッツは今の状況で役に立つような知識を持った力を呼び出したのだ。それが何なのか知りたかった。
「吟遊詩人さ」
「詩人?? 詩人……って、あの、アレ?」
「そう、多分ルイズの考えているので大体合ってるよ」
吟遊詩人ならルイズも知っている。領地で暮らしていた頃、何度か屋敷にやって来たのを覚えている。
子供心に、彼らの歌って聞かせてくれる物語に心躍らせたものだ。その多くは始祖やイーヴァルディの勇者の話や、トリステインの旧い勇将たちにまつわる英雄譚であった。
ルイズは幼いころに吟遊詩人の来訪を楽しみにしていたのを思い出す。
「で、それが何の役に立つっての?」
「餅は餅屋、ってね。俺には詩文の才覚は無いけど、吟遊詩人の力を借りればちょっとは楽なんじゃないかな?」
成程、とルイズは唸る。確かに何の下敷きも無いまま、ただ単に文章の上っ面だけを拾って行くよりはきちんと理解して進んでゆく方が効率が良いのだろう。
一通りの説明が済んでまた本読みに戻ったバッツの姿を横目に見ながらも、ルイズもまた自分の作業に戻った。
本当はまだまだ聞きたい事が山ほど残っているが、今は優先するべきものがある。
なに、忙しいのもどんなに長くても後二週間程度。暇が出来た時ゆっくりと聞けばいいのだ。バッツだって居なくなるという訳でもない。
じっくり話をする機会だって沢山あるのだ。何も今、全て知る必要は無い。
その日はそのまま、夕食の時間になるまで図書館に閉じこもって資料に目を通し続けた。
夕食後、食堂でキュルケと顔を合わせた時に明日から暫く授業を休む事を伝えるのを一応は忘れないでおいた。
別に自分が授業を休もうがどうしようがキュルケには関係ないとは思うが、何故か心配してくれたキュルケの事を考えると黙っているのも悪い気がしたのだ。
そもそもルイズのヴァリエール家とキュルケのツェルプストー家は古くから敵対関係にあり、まさに犬猿の仲と言ったところだ。
実際、魔法学院に入学してからもルイズとキュルケは親しくしていた事は少ない。親同士だって仲は良くないだろう。
今年になって同じクラスになったから顔を突き合わせる事も必然的に多くなって来たが、それまでは殆ど関わりを持たないに等しかった。
それが最近、親しげにしている事が多くなってきた。特にアルビオンから帰って来た後、わざわざルイズの様子を見に来るなんて考えられもしなかったものだ。
また、以前のルイズならば必要以上にキュルケを目の敵にしていたものだが、魔法が使えるようになって以来心に余裕ができたのか、今まで散々宿敵扱いしてきたキュルケにも態度が軟化していた。
明日も授業を休むことをキュルケに告げるとはじめは怒鳴りかけたものの、きちんと訳を説明すると意外なほどあっさりと理解を示した。
ルイズの創る祝詞なんて悪い意味で凄い出来になりそうだとからかうのを忘れなかったが。
そんなこんなで大して波風も立つことなく夕食を終えたルイズは、そのまま真っ直ぐにバッツのコテージへと足を向けた。
もう図書館はしまっているので、作業の続きをバッツの所で進めようと言うのだ。
本は全てバッツが道具袋に入れて運んでくれたおかげで大した労力も掛からなかった。というか最初からそう運べば良かったのだ。
ルイズは詩文の手解き本を大体読み終え、バッツも過去の祝詞に全て目を通し終えたので早速祝詞作成に取り掛かる。
まぁ読み終えたと言ってもルイズはまだ何冊もある解説本のほんの一、二冊を読んだに過ぎないのだが。
とにかく時間が無いのだ、残りは必要に応じて必要な個所のみを参照するようにして行かなけらばならない。
先ずはバッツがピックアップした「良く使われる表現・主だった形式」を白紙に書き連ねる。それに資料と共に渡されていた草稿を組み合わせれば祝詞の一つや二つは簡単に出来あがりそうである。
でもルイズはそれで良しとはしなかった。
当然であろう。
本人が望んではいないとはいえ、大切な友人でもあるアンリエッタの婚礼に贈る言葉が、あり合わせを繋ぎ合わせただけの陳腐なモノだなんてルイズのプライドが許さない。
詩歌の才能など持ち合わせていないルイズではあるが、何かひとつでも独自色を出さなければ気が済まない。
工夫がしやすそうで、しかも効果てきめんなのはどの個所であろうか。必死に目を凝らして草稿を読み返す。
「特色出そうって考えたら、やっぱ冒頭の火から始まる四大系統に対する感謝の辞なのよねぇ……」
ポリポリと頭を掻きながらルイズが呟く。
「今まで誰も見た事無いような、それでいてインパクトの強い文言……」
そう言いながらルイズの視線がバッツの方へと向けられる。
「? どうした?」
「ねぇバッツ、あんた何か気の利いた文章の一つでも思いつかない? なんだったらあんたの国の有名な詩の一節でも良いわ。どうせこっちの人間には判らないだろうし」
「あり合わせじゃ嫌だって言ったのは何処の誰だよ。」
「あんたの国ってとっても遠いんでしょ?なら少なくともトリステインでは知られていない物の筈よ。それに私は詩人でもないし、そっちの方面の才能だってありゃしない。結局は誰かの手を借りる事になるんだから、それなら他の誰も知らないようなとこから引用してきた方が良いってもんでしょ」
とルイズは無駄に自信たっぷりに胸を張って言う。
ルイズの言わんとする事は理解できないでもないし、実際そうなのかもしれない。が、こうも開き直られると逆に清々しい。
バッツとてクリスタルの力を借りている手前、あまりルイズに対して偉そうなことは言えない。
本来なら用意された草稿に沿って作成し、添削を受けてほぼ王宮の用意した通りの祝詞が完成するのであろう。
それを考えれば少しでも独自色を出そうとするルイズの姿勢は褒めるべきなのかもしれない。いささか他人頼りなのが気になるが。
バッツは竪琴を取り出し、コホンと軽く咳払いすると詩を一つ歌った。
それはクリスタルの歌。無の中から世界を形造った四つの心の詩。そこから『無』と『クリスタル』の要素を巧く切り放してルイズから隠した。
無の力の事をルイズに教えたくなかったのは、『虚無』と混同されては困るからだ。
無の力はこちらの『虚無』のようにキレイな力では無い。全てを呑み込み、無に還す恐るべき力だ。そんなものをルイズが知る必要は無い。
そしてクリスタルの事を隠したのは、この世界にもクリスタルがあった場合を考えての事だ。
自分に力を与えてくれた存在としてのクリスタルの説明はしたが、それがバッツの世界の根源を司る存在だとは教えなかった。
もしこの世界にもクリスタルが存在したとしたら?
今はまだ発見されていないようだが、もし自分の言動が発端となってクリスタルが探し出され、更にはそれが利用されるような事態に発展してしまったら?
もちろん、このハルケギニアにクリスタルが存在するかどうかは分からない。
バッツの世界と同じようにクリスタルによって生み出された世界なのか、それとも、そんなことは全く関係なく存在している世界なのか。
バッツには判別しようがないが、万が一という事も考えられたのでこの二点は伏せておく事にした。
一部欠けた状態で歌い上げたものだから繋がりが不自然な点も出て来たが、そこは吟遊詩人の技術に助けられ、アドリブで巧く繋いでみせた。
「ふーん、なかなか面白い歌じゃないの。四つの系統をそれぞれ心に絡めて表現するってのも良いかもしれないわね。より、自然と魔法と人間の一体感が感じられるわ」
ルイズが感想を述べる。単に四大系統と始祖への賛辞に留まらず、それに人間とのつながりを強調するのも良いかもしれない。
始祖のもたらした魔法が今の人間に深く根ざしていると考えるのも悪くはないだろう。
「そのフレーズ頂きね。ああ、もちろんそのまんまは使わないわよ。ちょちょっと手を加えて、それっぽく仕上げるわ」
そういってルイズは卓上に広げた白紙に向き直すと、軽やかにペンを走らせた。
今回バッツに割り振られたのは、歴代の祝詞から重要語句や頻繁に使用されている表現・文法をリストアップする事だけである。
あくまで最終的には自分の手で作り上げたいというルイズの意向を尊重し、バッツはそれ以上手出し口出しは控えようと決めた。
だがそうすると、とたんに手持無沙汰になる。
ルイズは卓に向かい祝詞の作成に取り掛かっているし、ボーっとしているのも何なので、ルイズの邪魔にならない程度に、それでいて作業がはかどるようにと竪琴を鳴らす。
竪琴の音色が夜の静けさの中に心地よく響く。ルイズもそれが気に入ったのか、別に止めろとも言わずに執筆を続けている。
暫く演奏を続けていると、コテージの扉を叩く音が聞こえて来た。
はて、こんな時間に誰だろうと迎えに出ると、そこにはシエスタが立っていた。
聞けば、今日の仕事も終わり宿舎に戻る途中に竪琴の音が聞こえて来たので寄ってみたのだと言う。
「バッツさんって凄いんですね。こんなに上手に竪琴を弾けちゃうなんて」
シエスタが目を輝かせて言う。強いだけじゃなくて音楽にも詳しいんですね、とバッツを褒める。
クリスタルの力を借りている手前、バッツはシエスタの言葉をどこかこそばゆく感じる。自分の力じゃないんだけどな……。
でもピアノだったら自分の力で弾けるんだし、機会があったら今度はピアノの腕前を披露しようかな? なんて考えてみる。
「でも何で竪琴を弾こうだなんて思ったんですか?」
「今度、この国の王女様が結婚するだろ? その式典で読み上げる祝詞をルイズが作る事になってさ。その助けになればって思ってね」
そうなんですか、大変ですね、とシエスタはルイズの方を見る。
「そうだシエスタ。あんたって何処の生まれ?」
卓に向っていたルイズがこちらに体を向ける。
「タルブですけど、それが何か?」
「タルブねぇ……。あんたの田舎に伝わる、なんかめでたそうな民謡みたいなのって何かない? 参考にしたいのよ」
「おめでたい、歌ですか……? おめでたいかどうかは分かりませんが、古くから伝わる子守唄だったらありますよ」
コホン、と咳払いしてシエスタが歌い出す。
可愛や坊や 可愛や坊や 坊は良い子や おねむりよ
坊は良い子や 安心しな
坊には四つの ご加護が付いている
一つは炎 炎は心に勇気をくれる
一つは水 水は心に癒しをくれる
一つは風 風は心に英知をくれる
一つは土 土は心に希望をくれる
始祖様が生んだ四つの光
坊に ご加護がある限り 坊は安心 おねむりよ
良い夢を見て おねむりよ
シエスタの声が心地よく響き、その曲調と相まって不思議と優しい気持ちになる。
優しく響くシエスタの歌を聞きながら、バッツは母の声を思い出していた。三つの頃に死んだ母の面影が、ふとシエスタに重なった。
決して、シエスタの顔がバッツの母親に似ていると言う訳ではない。
だが、彼女の醸し出す温かな雰囲気に遠い日の記憶が思い起こされたのだ。
我知らずバッツの頬を伝う涙にシエスタが気づく。
「どうしたんですか? バッツさん」
言われて初めて自分が涙を流している事に気が付いたバッツは、慌てて誤魔化す。
「いや、シエスタの歌があんまり心地いいもんだから、眠くなっちゃって。悪いとは思ってるんだけど、つい欠伸が出ちゃってね」
ハハハ、と笑って誤魔化すバッツ。シエスタも涙の訳に気が付かなかったのか、それ以上追及する事も無かった。
「なんかバッツの歌と似た感じね」
とルイズがタルブの子守唄に対して感想を付ける。確かに考えてみれば似ている様な気がする。偶然の一致にしては出来過ぎのような気もするが、まぁ似ているのも偶然なのだろう。
こちらの世界とバッツの世界の間に何か接点があるとも思えない。似ているというだけで何が繋がりがあると考えるのは少し早計すぎるだろう。
「折角いいフレーズだと思ったのに、タルブの子守唄に似た文言があるんじゃ使えないわね」
ルイズが残念そうに溜息交じりに言う。
「すみません、ミス・ヴァリエール。私が出しゃばった真似をしたみたいで……」
「いいのよ、あなたのせいじゃないわ。むしろ早めに判って良かったのかもしれない」
気落ちするルイズにバッツがフォローを入れる。
「別に良いじゃないか。古い歌を参考にしました、って言えばそれはそれで格好いいじゃないか? この歌だって歴史あるものみたいだしな」
「そうね。別に他国の歌じゃないんだし、タルブが田舎だって言ってもトリステイン国内には変わりないわ。よし、このまま進めてみるわ」
と祝詞作成を再開しようとしたルイズであったが、シエスタの「もう遅いので私は自分の部屋に戻りますね」という一言で初めて時計に目をやった。
時間は既に九時を回っていた。
別に明日から祝詞の完成までの間授業を休むので早起きの必要はそれほどないが、朝食の時間との兼ね合いもあるので余り夜更かしもできない。
それに遅くまでバッツの元に居てなにか善からぬ噂をキュルケ辺りから立てられるのも良い気はしない。
残りは自分の部屋で、とバッツが書き記した単語や表現の束をつかむとシエスタの後を追うように自分の部屋へと戻っていった。
一人コテージに残されたバッツは本の山を手早く整理すると、寝る前にもう一度竪琴を爪弾いた。
シエスタの子守唄を聞いて、どうしてもこの曲を弾きたくなってしまったのだ。
「良い曲じゃねぇか」
壁に立て掛けておいたデルフリンガーがバッツの曲を褒める。
そうだ、まだこの小屋内にはデルフがいたのだ。
「思い出の曲さ。俺がまだ小さかったころ、家でよく聴いていたオルゴールの曲だ」
バッツは母・ステラの事を思い出しながら弦を弾く。
幼い頃に死んでしまった母の面影を懐かしみながら、何時になく心穏やかで居られるのは、やはりあの子守唄のお蔭なのだろうか?
目を閉じ、まぶたの裏に母や父のことを思い出しながら緩やかに音をつむぐ。
郷愁を誘う穏やかな旋律が、二つの月が照らす夜に溶けていった。