支配者が交代して数日、神聖アルビオン共和国は表面上は特に混乱する事も無く平静を保っていた。
それは、国家元首は変わったけれども、政治の中枢を担う貴族の顔ぶれに大きな変化が無かったからである。
最後まで国王側につき命を落とした者たちを除けば、多くの貴族が役職そのままに新体制に移行したのだ。
メイジではない者、貴族でない者が国のトップに立つ──。
それは一部の平民達に大きな希望を抱かせるものではあったが、大半の国民にとっては明日の生活に困らなければ誰が国の舵を取ろうが関係は無い。
良き施政者であれば、それがメイジであろうが非メイジであろう大差ないのだ。
アルビオンの首都ロンディニウムにそびえる白亜の王宮・ハヴィランド宮殿。
“白の国”と呼ばれるアルビオンを象徴するその豪奢な王宮の一室で会談が行われていた。
極限まで磨きあげられ鏡のように輝く壁に囲まれたその部屋の中には、これまた磨き上げられた豪華な装飾の施された机が設えてある。
その机の一端に座るのは、今やこの国の“皇帝”となったクロムウェル、もう一端に座るのはゲルマニアから来た使節であった。
クロムウェルはニコニコと穏やかな顔を浮かべているのに対し、ゲルマニアの使節は眉間にしわを寄せている。
「本来ならば此方から出向いて行かなければならないところを、呼びだてた形になってしまって申し訳ない。
何分、国内での雑事に追われて寝る時間すら碌にとれぬ状況でありましてな。いやはや、いきなりこのような無礼を働くことをご容赦願いたい」
そう言ってクロムウェルは深々と頭を下げる。
如何に平民生まれとはいえ、今や神聖アルビオン共和国の元首である人間に頭を下げられたのでは居心地が悪い。
ゲルマニア使節は慌ててクロムウェルに頭を上げで貰うと、冷や汗を拭いながら話を進めた。
「それで、この度の要件というのはどういったものでありますかの」
ゲルマニア使節は注意深くクロムウェルの様子を窺いながら椅子に腰かけ直す。
「余は、貴国ゲルマニアとの友好な関係を築きあげたいと思っている。勿論それは貴国だけではなく、このハルケギニア全ての国に対してでもあるが」
コホン、とわざとらしく咳払いをする。
「今回は悲しい行き違いによってこの様な結末を迎えたが、余とて争いは望むところでは無い。」
“この様な結末”──つまり武力による制圧の事である。自分達から仕掛けておいて、望むも望まぬもないだろう、と使節は心の中で悪態を吐く。
「ついては貴国との間に相互不可侵条約を締結したいと思っている」
「不可侵……ですと?」
予想外のクロムウェルの発言に使節が眉間により一層深い皺を寄せる。
無理もない。アルビオン自体は由緒正しき国であったが、今目の前にいる男は元をたどれば何処の馬の骨ともしれぬ人間なのだ。
それがいきなり不可侵条約を結びたいなどと言い出している。
もちろんゲルマニアとしても不要な争いの火種になりそうなことは避けたいし、自国内でも『レコン・キスタ』に同調する貴族が現れ始めている現状では悪くない話ではある。
だが、アルビオン滅亡という前例がある以上、『レコン・キスタ』をそう易々と許容するわけにはいかない。
「信用できぬかな?」
「申し訳ないが我々は貴殿の人となりをまだよく知りませぬ。新興国だからと馬鹿にする訳ではないが、我らとの間に信頼関係も無いうちにいきなり不可侵条約などと言われても、信用しかねますな」
「そうか……」
困った様な素振りで顎を撫でつけるクロムウェルの、左手に嵌められた指輪の青い宝石がキラリと光る。
「信用が無いと言われればそれまでではあるが……。我らを信用できぬというのは、交差する二本杖も信用できぬ、と言っているようなものなのだがな……」
ぼそり、とクロムウェルが呟く。
はて、交差する杖とな……? と使節が首をかしげたのも束の間、大きく両目を開き飛び上がらんばかりに驚く。
「“交差する杖”……。まさか、貴殿の後ろにはガ……」
「まぁ、それはよいではないか」
驚愕の表情のまま言葉を発する使節の言葉を遮るクロムウェル。言葉を制するように突き出した左掌を見るうち、使節の目がトロンと虚ろになっていく。
目が虚ろになると同時に使節の動きも止まる。机に両手をつき、立ち上がろうとする姿勢のまま動きが固まってしまった。
そのままの体勢で数秒が経過しただろうか、まるで何も無かったかのように使節は椅子に座り直す。
そんな使節の様子を満足げに眺めながら、クロムウェルは話を続けた。
「信用というのはこれから積み上げてゆけばよい。違うかね?」
「仰る通りで」
「その第一歩として我らが不可侵条約を結ぶのは当然ではなかろうか?」
「げに」
「よろしい」
満足げにほほ笑むクロムウェルがパンパン、と手を叩くと、控えていた文官の一人が条約文の書かれた紙を持ってきた。
「内容に不備はないと思うが、念のため確認をしてほしい。まだこれは草案ではあるが問題が無いようであれば、持ち帰って評議にかけてくれたまえ」
促された使節は文面に目を通す。
「結構です。この二国間協定が無事成立するよう、私も尽力いたします」
「うむ。次に会うときは互いにより条約締結の場であると確信しておるよ」
クロムウェルがそう言って使節と固い握手を交わすと、会談はそれでお開きとなった。
使節は連れて来た護衛を引き連れて退室し、残りのアルビオンの文官や警護の者たちも続いて部屋から出て行った。
クロムウェル一人が残った部屋に、女が訪れた。
黒い髪を長く伸ばし、その髪よりも黒いローブを身に纏ったその女は、年の頃で言えば二十代半ばくらいであろうか。
真っ白に磨き上げた部屋の中では、その漆黒の風貌はまるで影か幻のように見え、異様な雰囲気を放っていた。
ローブは着ているが、マントは着用しておらず杖も持っていない。その事から察するにメイジでは無いようではあった。
「おや、これはこれはミス・シェフィールド。何用かな?」
シェフィールドと呼ばれた女は、クロムウェルを見下すように視線を返す。
「何用かとは、これはまた随分な挨拶ですわね。皇帝という座は、ここまで人間をを勘違いさせるものなのね、司教殿」
「これはこれは手痛い。だが『皇帝』という役を完璧に演じるには致し方あるまい。下手にボロを出すよりは余程ましではないかね? それに、それこそがお前たちが余に求めた役割だろう?」
「ものは言いよう、というわけですね」
クロムウェルの演技がかった態度が気に食わないのか、シェフィールドと呼ばれた女は不機嫌そうな顔をしている。
対してクロムウェルはそんな反応を楽しむかのように微笑を浮かべている。
「……で、今の一団は?」
廊下ですれ違うか見掛けるかでもしたのであろうか、女はゲルマニアの使節の事を聞きたいようだ。
「あれはゲルマニア皇帝の使いの者だ。今しがた二国間に相互不可侵条約締結を打診したところでな。まぁすぐに締結となるだろうが」
クロムウェルの説明を聞き、シェフィールドは眉間にしわを寄せる。
「あなた、我々の計画を台無しにするつもりなの? 我らの標的はトリステインなのであって、ゲルマニアなどお呼びでは……」
そこまで言って、シェフィールドはこの部屋に自分たち以外の人間の気配があることに気が付く。
「誰!」
部屋の一角に向かって叫ぶ。もしどこぞの密偵でも潜り込まれているのであれば、一大事だ。
「流石はミス・シェフィールド、勘が鋭い。だが心配は要らぬ」
クロムウェルが二度三度と手を叩くと部屋の隅、シェフィールドの睨む方向とは別の箇所から一人の男が現れた。
「彼はワルド子爵。まぁ、正確には元子爵だがな。今は余の護衛として余の影となり働いてくれている。心から頼りになる男だ」
「ワルド……“元”子爵?」
「この前拾ったのだよ。ふふふ、全く良い掘り出し物を拾えたものだ」
無言のまま佇むワルドの事が気に入らないのか、シェフィールドは警戒を解かない。
「ふむ。子爵の事がお気に召さないようだ。それでは悪いが子爵、しばらく席を外してもらえないだろうか?」
クロムウェルの言葉に、ワルドは一礼すると扉から出て行った。
「彼はとても信用のおける人間なのだがな。まぁ気なるのであれば致し方あるまい」
クロムウェルは指にはめたリングをさすりながら意味ありげな微笑を浮かべる。
「それはそうと不可侵条約ですって? あなたは何を勝手な事をしているのですか。あなたは我らの筋書き通りに動いていれば良いのだ」
声を荒げてクロムウェルの行動を咎める。しかし当のクロムウェルは何処吹く風、と涼しげな顔だ。
「ああ、大筋ではあなた方の言うとおりにしよう。だが政とは水物、臨機応変に対応できなくては意味が無い」
「ゲルマニアの機嫌を取ることが臨機応変だとでもいうのか?」
「まぁそう言うな。それに、ゲルマニアは最初から眼中には無いはず。我らの目的はあくまでもトリステイン、これを手に入れるために余なりに気をきかせたまでだ。それに障害は一つでも少ないほうが好い。
例え形だけであろうとも不可侵条約を結んでさえおけばゲルマニアが余計なことをするのを牽制できるというものだ」
「しかし……」
「言いたいことはわからんでもない。が、血を流すだけが能ではない。杖を振り回すだけが外交ではないのだ、時にはパンをくれてやることも必要だ。それに、計画通りハルケギニアを統一してしまえばゲルマニアの事など、どうとでもなろう」
やけに自身たっぷりなクロムウェルの態度が、なおさら彼女の神経を逆撫でする。
「あなたは我々にとって単なる駒の一つでしかないのですよ。替えなどいくらでも用意できる。あなたが今そうしていられるのも、我らのお蔭だということを努々忘れることのないように願いたいものですわ」
「勿論。総ては我らが主の御心のままに」
クロムウェルが恭しく頭を下げる。
だが今の彼女にとってはクロムウェルの動作の一つ一つが気に食わない。
芝居がかり過ぎていてかえって苛立たせるのだ。ふん、と不快感をあらわにして踵を返すと、そのまま部屋を出て行った。
一人部屋に残ったクロムウェルの顔には不敵な笑みが消えない。
しばらく間をおいて、窓際のカーテンの陰から人影が一つ現れた。
それは先程退室したはずのワルドであった。
「今の女は?」
「シェフィールドと呼ばれている。が、それが本名であるかどうかは疑わしいものだがね」
ワルドの出現にさして驚く様子もなくクロムウェルが答える。
「見たところメイジでは無いようですが、あの者はいったい何者なのですか?」
「我々の後ろ盾だよ。正確には後ろ盾の飼い犬だがな。もっとも、アレ自体は君の『遍在』すら見抜けぬ小物、虎の威を借る女狐に過ぎぬ」
「それではガリアの……?」
「おっと、不用意な発言は止し給え。誰が聞き耳を立てているかわからぬからな」
クロムウェルが少しおどけてワルドの発言を遮る。
もちろん、ワルドが警戒を巡らせているこの部屋の会話が外に漏れる事などありはしない。
それがわかっていての冗談である。
「申し訳ありません」
「よいよい。余は君に全幅の信頼を寄せている。だが用心に越したことはないのでな」
「しかしガ……いや“彼ら”は一体、何をしようというのでしょうか?
「さぁな。大方、世界を裏から牛耳る影のフィクサー気取りなのだろう。……まぁ我々には関係ないことだ、頭のイカレた坊ちゃん育ちの人間の考える事などわかりはせんよ」
少々大げさに呆れたようなしぐさを見せる。
「だが、そのお蔭で我々はここにこうして居る事ができる。馬鹿の気まぐれとて感謝せねばなるまい」
話が終わるタイミングを計ったかのように扉をノックする音が響く。続いて文官の声が扉越しに聞こえてきた。
「陛下、お時間です」
「ん、ああ、もうそんな時間か。わかった、すぐに行く」
クロムウェルが返答すると、文官は去って行った。
「ふっ、人の上に立つというのも辛いものだ。公務公務で休む間もない」
やれやれと肩をすくめるとクロムウェルは次なる仕事に赴くべく、部屋を後にする。
ひとり部屋に残ったワルドはしばらくの間、何かを考えこむような様子で佇んでいたが、窓を開けると一陣の風と共に部屋から消えた。