「ねぇ、あんたの国の魔法ってどんなものなの?」
昼間の決闘騒ぎも終わり、いつも通り部屋で寛いでいるとルイズが突然そんな事を言い出した。
ルイズに借りた教科書を読んでいたバッツは、初めは何を尋ねられているか理解できなかった。
「魔法よ魔法。あんたの国にもあるでしょ?でもあんたは始祖ブリミルの事も知らないみたいだし、もしかしたら始祖の系統を組まない魔法も存在するんじゃないかな、って」
成程、ルイズはまだバッツが別の世界の人間だとは理解していなかったらしいが、それでもとても遠く離れた国の人間だとはいう風には理解しているらしかった。
それに加えて昼間の『ゲーム』に於いてバッツが使った剣が、もしかしたらバッツに出身地にも魔法が存在するのではないかという考えを確信に変えたのだ。
「あんな剣を持ってるくらいだもの、魔法なんて知りませんなんて言わせないわよ」
まずい事に気が付かれたな、とバッツは苦い顔をする。こちらの世界に来てから、正確には救護室で目覚めてからずっと、意識的に魔法の使用は避けてきた。
最初はこの土地が魔法に馴染みが無い可能性を考慮して、そして今は魔法を使えるのは貴族だけというこの国の状況から、余計な波風を立てないように気を使っていたからだ。
それに授業で聞く限りでは、この学院で教えている魔法はバッツの知っているものとは少し違うものであった。
見知らぬ土地に於いては、目立たぬ事が最良の選択肢だと知っているバッツはその経験則に則って魔法の使用を控えてきたのだ。
まぁ、あんな剣を使ってしまった時点でこうなる事はある程度覚悟はしていたのだが。
「俺の知ってる魔法を教えるのはまあいいけど、それでどうするつもりだ?」
暗に自分が魔法を使えるのを認めてしまったようなものだが、構わずにバッツは答える。
「どうするって……そうね、単に知識として始祖の流れを組まない魔法っていうのにも興味があるし、それに……」
少し恥ずかしそうに口ごもる。
「それに?」
「け……系統魔法じゃなかったら、もしかしたら私でも使えるんじゃないかな~って思ったのよ」
そんなに恥ずかしい事なのか、顔を真っ赤にしながらルイズが答える。
照れている仕草は年相応以上に愛嬌がある。バッツにこんな姿を見せるくらいには、ルイズの態度は柔らかくなっていた。
「相棒の魔法か、俺も興味あるぜ」
デルフリンガーも話に加わる。お前も魔法が使えるのかと訊けば「剣が魔法を使えるわけねーだろ」と身も蓋も無い答えが返ってきてしまったが。
ごそごそと道具袋を漁ると、バッツは四枚の羊皮紙を取り出した。
「これが俺の世界の魔法だ。ま、これが読めるかどうかは知らないけどな」
紙を手渡されたルイズは、ざっと目を通す。そこにはトリステインの公用語とも、いつも習っているルーン文字とも違う文字がずらっと並んでいた。
「なによこれ。読めないじゃない」
「そりゃそうだ。俺だって最初はこっちの文字が読めなかったんだ、その逆だって当然のことだろ?」
言われてみればそうだ。バッツはトリステイン語も読めないくらい遠くから来たのだ。そんなかけ離れた場所の文字がそう簡単に読める訳は無い。
それにここに書かれている文字はバッツの世界でも日常的に使われているものではない。ルイズが習っているルーン文字と同じく、魔法に関する事柄にしか使われない。
「それじゃ、あんたが翻訳して教えてよ。あんたにはトリステイン語を教えてあげたんだから、それ位してくれたっていいでしょ?」
「うーん、教えるのは得意じゃないんだよなぁ」
バッツとて、自力でこの内容を理解して習得したわけではない。
クリスタルの欠片の恩恵で身につけたものだ。欠片に眠る魔道士の知識が無ければ魔法を使えるようになったかどうかは怪しいものだ。
だから、バッツの説明もどこかたどたどしく要領を得ない。
「何言ってるのかサッパリ分からないわ。あんたって教えるの下手ねぇ」
「悪かったな。大体俺にはこういう事向いてないんだよ」
そんな会話をしながらも少しずつ翻訳していく。一枚目を一通り説明し終えるのにたっぷり一時間は掛かってしまった。
説明する方も受ける方も疲れ切ってしまう、そんな状態だ。
「ここまで教え下手だと逆に感心するわね」
肩の凝りをほぐすような動きをしながらルイズがこぼす。今日はこのくらいにして、続きは翌日にしようという事で今日はお開きになった。
ルイズはベッドに、バッツはクッションの山にそれぞれ潜り込む。バッツによる魔法講義は両者に予想外の疲れをもたらした。
「なぁ相棒よ、相棒の持ってる魔導書ってどんなもんなんだよ。俺にもちょこっと見せてくんねえか?」
枕元に置いたデルフリンガーがそんな事を言い出した。
魔法が使えないと断言している剣に見せてどうなる物ではない。だが、デルフリンガーも好奇心をくすぐられたのだろう。
デルフリンガーにも見せようかと思ったが、どこが目なのか分からない。どうしたものかと困っていると、こっちに向けてくれればそれでいいとの言葉が来た。
(恐らくは)興味深く眺めているのだろう。時折フムフムと頷く声が聞こえてくるが、理解できているかどうかは怪しいものだ。
「うーん、どっかで見たことあんだけどなー。何処だったっけなー?千年前?二千年前??ちょっと思い出せねぇなあー」
突然デルフがそんな事を言い出した。どこかで見た事がある?それはあり得ない事だ。しかしこの古い剣は見た事があるなんて言っている。
その声に気が付いたのか、眠ろうとしていたルイズもこちらの会話に加わる。
「オンボロ剣、適当な事言ってんじゃないわよ。自慢じゃないけど私だって古代文字くらいは読めるわ。その私が読めないって言ってんのに、あんたなんかに読めるわけ無いじゃない」
「いや、読めはしねぇんだけどよ、確かにどっかで見た覚えがあんだよなー。エルフの文字でもねえし、何時の事だったっけなー?」
エルフの文字を知っているなんて驚愕の事実をさらりと言ってしまうデルフであったが、今はそれどころではない。
バッツの世界の文字を見た事があるという方が問題だ。
全く関わりの無いと思っていた二つの世界が、繋がりを持とうとしているのだ。
「思い出してくれ、デルフリンガー!この世界と俺の世界にどんな繋がりがあるっていうんだ!!」
バッツの手に力が入る。しかしデルフリンガーから返ってきた答えは無常なものであった。
「すまねぇな相棒、やっぱ思えだせねぇわ。でもどっかで見た覚えがあるってのは本当だぜ。これは間違いねぇ」
そうか、とバッツが呟く。もしかしたら元の世界への手がかりが掴めるかと思ったもが、そう都合良く事が運ぶはずも無い。
何か面白い話でも聞けるかと思っていたルイズも興が冷めてしまってまたベッドに戻ってしまった。
「まぁ仕方ないさ。また何か思い出したときに聞かせてくれればいい」
そう自分を納得させる様にデルフリンガーに言葉をかけると、バッツも眠りに落ちた。
次の日、休憩時間を利用して早速バッツに教えてもらった魔法を練習することにした。
場所に選んだのは、昨日『ゲーム』が行われたヴェストリの広場だ。昨日はああいうイベントがあったから人だかりが出来ていたが、平素ならば人通りも疎らな場所なのだ。
木々が鬱蒼と生い茂り、日があまり差し込まないから生徒からは人気が無い。だからこっそり練習するには最適なのだ。
人影の少ない広場の中でも、更に人目につかない場所を選んで陣取る。標的代わりの杭をいくつか打ち込んで準備は完了だ。
昨夜何とか理解することの出来た魔法の呪文を試してみる。
「岩砕き、骸崩す、地に潜む者たち 集いて赤き炎となれ!……ファイア!!」
何も起こらない。いつもの様な爆発も無い。しばしの沈黙の時間が流れる。
「やっぱ駄目ね。系統魔法じゃなかったらもしかして、とか思っちゃったけど、駄目なものは駄目なのね」
自嘲気味にルイズは笑うが、バッツの顔はそれほど険しくない。
「最初からうまく出来たら苦労はしないさ。こういうのは呪文唱えればいいってもんでもないし。きちんと自分の中にイメージが出来上がってないと発動しないんだよ」
自分はクリスタルの力を借りて出来るようになったからあまり偉そうな事は言えないが、とりあえずは励ます。
「そういうモノなのかしらね?」
「何事も地道な練習の繰り返しさ。努力なくして成功なし、どんな天才だって努力しなければ凡人と変わらないさ」
ルイズのやる気を維持させるための言葉ではあるが、真理も含まれている。今はとにかく練習するしかないのだ。
「ねぇ、この魔法ってどんな効果なの?それがわかんないとイメージしろって言われても難しいわよ」
本来呪文詠唱中にイメージするのはそういう事ではない。
天の理・地の理を心の中に思い描き、自分の内なる魔力の流れを把握し、頭の中に展開した魔方陣と呪文とをすべて連動させる事が必要なのだ。
しかし、自分が今から習おうとしている魔法がどんなものか全くわからないというのもやり難いだろう。
デルフリンガーを研ぐ手を休め、お手本を見せることにする。
先ほどルイズが唱えたものと同じ呪文を唱えて、目の前の杭に向かって手をかざす。すると、突然杭に火がつき燃え上がった。
あれよあれよという間に杭は燃え落ち、そこには燃えカスが残るだけだった。
黒魔法の内、初級魔法『ファイア』。その名の通り対象を燃やす呪文だ。
バッツが魔法を使う姿に驚くデルフリンガーとルイズ。いや、ルイズは驚いている点が少し違っていた。
「何……この魔法、杖が無くても発動するの!?」
バッツにとっては杖は魔法を使うに当たって絶対必要な道具ではない。持っていれば魔法の威力が上がる場合もあるが、常に必要というわけではない。
一方ルイズにとっては杖と魔法は切っても切れない関係である。どんな強力な魔法を行使できるメイジであっても、杖を取り上げられてしまえば平民と変わらない。
だから今目の前で起こったことはルイズの、いやこのハルケギニアの常識の根本を破壊してしまいかねない程の危険性を孕んでいる。
杖を使わない呪文といえば、エルフの使う『先住魔法』くらいだ。
『先住魔法』については書物で読んだ程度の知識しか持ってないが、それでも今目の前でバッツが使った呪文とは違うような感じがする。
先住魔法と系統魔法の合いの子のようで、それでいてどちらかというと系統魔法に近いような、そんな不思議なものだった。
自分は今からこんな代物を習おうとしているのか。
冷静に考えればそれが如何に恐ろしいものなのかはすぐに思い当たる。
このトリステインにおいて、始祖の流れを組まない魔法を使うというのは、それ即ち異端審問にかけられる危険性を孕むということだ。
身の破滅が待っているのは間違いない。
しかし、今のルイズにはそんな事を考える冷静さは完全に抜け落ちていた。
他の誰もが使うことの出来ない力を手に入れるチャンスが目の前に転がっているのだ。
生まれてこの方ずっと劣等生のレッテルを貼られ続けていたルイズが、周りを見返せるかもしれないのだ。
胸に妙な高揚感が満ちる。
高鳴る胸を押さえながら、ルイズが質問する。
「こ……、これって、もっと強力な魔法とかってある……の?」
「ん?ああ、これは一番簡単なやつだな。毛色の違う魔法が多いから一概には言えないけど、まぁもっと強いのはある、かな?」
やった!とルイズは心の中でガッツポーズをとる。
今見た魔法が初歩ならば、少なくとも通常のトライアングルやスクエアクラスの系統魔法程度には強力な魔法が使えるようになる可能性がある。
ルイズの瞳がらんらんと輝く。早く魔法を教えてくれと言わんばかりに催促する視線に耐えきれず、バッツは更に詳しく自分の世界の魔法を教えることにした。
デルフの研ぎは今日もまたお預けだ。
昨日の失敗を踏まえ、今日の説明は一工夫加えることにした。説明を始める前に胸に手を当て、深呼吸をする。クリスタルに宿る黒魔道士の心を呼び覚ますのだ。
胸のあたりに淡い光が灯ったかと思うと、バッツの雰囲気が少し変化した。
何処が変わったかと言われれば説明しづらいが、なんとなく知的な感じがするというか、いつもの快活さが少し落ち着いたというか、そんな雰囲気を醸し出している。
ルイズにはその些細な変化というか、小さな違和感がよく呑み込めなかったが、バッツは特に気にする風でも無かったので別段問いただす事も無くバッツによる魔法講義が始まった。
昨夜とは打って変わって的確かつ噛み砕いた表現の多い説明は、本当に同一人物によるものかは疑わしいものであった。
しかし、目の前に居るのは紛れもなく自分の使い魔であるし、こんな人間が二人も三人もいるとは思い難い。
腑に落ちない点が多すぎるが、そんなことはお構いなしにバッツの話は進んでいく。
先程できた炭の欠片を使って、地面に図を描きながら説明が続いていく。
なぜ紙ではなくこんな地面に書くのかと訊けば、こういう物はあまり絵でのイメージを持たない方がいいからとの返答が来る。
あまり先入観を持ちすぎると、柔軟な発想が失われて魔法効果を減退させる要因になりかねないというのだ。
天地の理を理解するのも大切だが、今目の前にある事象だけに囚われるのもいけない。なんか授業中に聞いた事のあるような台詞がバッツの口からも発せられる。
姿形は違えど、同じ『魔法』という分野なのだから、根っこに流れる観念は似通っているのかもしれない。
一通りの説明が終わったところで、今度は実践に入る。
ここまでわずか二十分足らず。昨日一時間かけた内容の何倍もあるような説明をわずか二十分程度で終わらせてしまうなど、ますます今目の前に居るのがバッツ本人なのか怪しくなる。
でも目の前の人物を怪しむ気持ちよりも、自分が魔法を使えるようになるかもしれないという期待感の方が上回ってしまい、結局は何も口を挟まずにバッツの言うとおりにしてしまう。
そこからは魔法のトライ&エラーの繰り返しであった。いつものような爆発は起こらないけれど、代わりになにかもどかしい感覚が残る。
手ではない何かで、見えない何かを掴もうとする感覚。言葉ではうまく伝えられないが、そんな感覚がさっきからしているのだ。
それをバッツに伝えると、その感覚を大切にしろと言うだけで、特に解決策を与えてくれない。
それでもなお、魔法の練習は続く。ただひたすらに呪文を唱え続ける。バッツの描いた図を思い出しながら、魔力の巡る様子を頭の中に思い描く。
いつしか喉は枯れ、口の中は乾ききってしまうまでに呪文は繰り返されていた。でも、火は起こらない。
やっぱり自分には無理だ。いくら努力しても、魔法に関しては一向に結果が付いてこない。今までだってずっとそうだった。
「どうやったら風が起こると思う?」
唐突にバッツから問い掛けられた。
「はあ?言ってる意味が分からないわ」
「風は、何もしなくても吹くだろう。でも、自分の思う通りに吹かせるなら、何が必要だ?」
「……扇子?」
「そうだ。風を起こすには、何か道具で扇げばいい。……でも何も無かったら?」
バッツの問いかけは今一つ理解できない。が、これも魔法が使えるようになるヒントなのだろうか?
「手で扇ぐとか、息を吹きかけるとか?」
ルイズは答える。自分の答えがどんな意味を持つのかは分からないままに。
「そうだな。でも口も使えず手も動かず、その代わり『魔力』が使えたら……?」
「魔力で風を起こす……の?」
「どうやって?」
「魔力で扇ぐ?扇子みたいに?……ううん、違う。魔力で空気を動かして……魔力で空気の流れを速くして……ああっと、そうじゃなくって……」
魔力で風を吹かせるとはどういう事か。魔法なんて、メイジならば杖をもって呪文を唱えれば起こる物である。自分には出来ないが。
魔法を使える他の誰もが、そんな細かい事を考える事無く使っているはずである。ただ習った通りに呪文を唱えて、習った通りに杖を振って、習った通りの事象を引き起こして……。
“結果”をイメージする事はあっても“過程”をイメージはしない。そういう風には授業で習ってはいない。
でもとにかく今は考えなくては。ヒントはさっきバッツが地面に描いた図柄と説明、そして今の問答。
魔力で風が吹く理由、魔力で物が凍る理由、魔力で火が灯る理由……先程のバッツの口振りから察するに、そのどれもが根は一緒のようだ。
魔力でどうにかするのか、魔力をどうにかするのか。
………………魔力“を”どうにかする??
頭の中にぼんやりと浮かんだ魔法のイメージ。それをなんとか形にしようと、もう一度呪文を唱える。
今度はいけそうな気がする。
慎重に、慎重に頭の中にイメージを作り上げていく。魔法陣を描き、魔力の流れを想像する。
自分の内に流れる魔力、自分から発せられる魔力、そして周囲の魔力を巻き込んで標的上で一点に集まり、火に変化する。
魔力が火を起こすのではなく、それ自体が火へと変化するイメージ。
「岩砕き、骸崩す、地に潜む者たち 集いて赤き炎となれ!……ファイア!!」
喉の痛みも気にせずもう一度、叫ぶように呪文を唱える。“何か”が自分の中で弾けたような気がした。それと同時に目の前の杭が炎に包まれる。
何が起きたのか、ルイズは状況を把握できない。何故この杭は燃えているのか…………まさか、自分でやったのではないのだろうか。
もしかして、魔法が成功したのではないだろうか。
慌ててバッツの方を見る。
優しく笑みを浮かべ頷く姿に、ようやく実感が沸く。
「やった……やったわ……遂に、遂に魔法が使えたわ!!」
初めての魔法。ルイズは魔法を使うという感覚に酔いしれる。そしてその感覚をしっかりと自分のものにするために、立て続けに呪文を唱える。
ファイア、ファイア、ファイア……、幾度となく燃え上がる炎。それは全て自分が起こしたものだ。
これでもう落ちこぼれではなくなるのだ、これでもう皆から見下されなくて済むのだ。
今まで感じた事の無い幸福感に酔いしれ、時間も忘れて魔法を放ち続けるのであった。
シュッ、シュッ、シュッ。
部屋の中に何か堅い物が擦れ合う音が響く。規則正しく聞こえて来るその音に混じって、何か話声のような者が聞こえて来る。
「いやあ、錆もすっかり落ちきっちまったし、こんな清々しい気分になるのなんて何百年ぶりくらいかねぇ、ホント」
デルフリンガーの声だ。ということはバッツがデルフリンガーを研いでいるのだろう、部屋の中で。あれ程部屋の中でやるなと言ったはずなのに……ん?
ガバッとベッドから起き上がると、ルイズは部屋を見渡す。ここは間違いなく自分の部屋で、その一角で道具を広げてバッツが作業をしている。
……いつ部屋に戻って来たのだろうか、その辺りの記憶が全くない事に気が付く。
「お、気が付いたようだな」
バッツがこちらに気付き、声を掛ける。
「何が起きたか判らないか?君は倒れたんだよ、魔法の使い過ぎで。魔法が使えるようになって嬉しい気持ちは解らないでもないけど、急に使い過ぎちゃいけないな」
バッツの話では、いきなり魔力を使いすぎたものだから精神力が付いていけず、気を失ってしまったらしいのだ。
窓の外を見れば、陽はとうに沈みすっかり暗くなっていた。時計を見ればもう九時を指している。
明日からは自分の限界を知る練習もしないとな、とバッツが言う。夢ではない、魔法が使えるようになったのだ。もっとも、それは系統魔法ではないが。
おもむろにバッツが立ち上がる。何をするのだろうと思えば、着替えをしろというのだ。そう言われて確認してみれば、まだ自分は制服のままだった。
バッツは部屋まで運んでくれたけど、流石に勝手に服を変えさせることはしなかったのだ。着替えが終わると、今度は空腹感が襲ってきた。
もう夕食の時間には遅いし寝間着に着替えてしまったしで、さてどうしたものかと考えているとバッツが手にお盆を持って入って来た。
「それは?」
「夕食がわりだ。今から行ってももう遅いだろ?だからマルトーに頼んで残しておいて貰ったのさ」
聞けば厨房で貰って来たという。何処までも気の利く男だと感心する。
まだ温かいスープをすすりながら、今日の出来事を思い出す。系統魔法ではないとはいえ、魔法を使えるようになったのだ。それもバッツのお蔭で。
明日が待ち遠しい、そんな感覚はいつ以来だろう。少なくともここ数年は感じる事の無かった幸福感に包まれながら再び眠りに就く。
昼間の魔法による疲労は相当のものだったのだろう、また直ぐに深い眠りへと落ちて行った。
深夜の学院内を歩く影が一つ。
別段顔を隠す事も無く、碧く長い髪を靡かせながら足早に建物の中を駆け抜けていく。
彼女の名はミス・ロングビル。この学院でオスマン氏の秘書をしている女性だ。しかし、彼女にはもう一つ裏の顔があった。
裏の名は『土くれのフーケ』。ここ数年トリステインを含め周辺各国で猛威をふるう盗賊の名である。
学院中央の本塔の六階にある物陰にたどり着くと、周りに人影が無いのを慎重に確認してから屈み込んで何やら作業を始めた。
床に魔法陣を描いてその周りに札を並べ、その中心で呪文を唱えている。この札は一風変わった特性を持ち、一枚に数日分の魔力を蓄積させる事が出来るのだ。
彼女自身はトライアングルメイジであるが、流石は魔法学院の宝物庫、スクエアクラスが何人も集まって壁床天井全てに『固定化』がかけられているので打ち破る事は出来ない。
そこでこの魔法の札と魔法陣を使用して魔力を増幅し、自身の『錬金』の威力を増す事によってこの『固定化』に立ち向かう事にしたのだ。
『錬金』の呪文を唱え終わると足もとにぽっかりと穴が空き、その中に吸い込まれるように消えていった。
穴の先は学院の宝物庫で合った。先程立っていたのは宝物の真上であり、そこからの侵入を図ったのだ。
幾多の貴族の邸宅や宝物庫に忍び込み、或いは押し入り財宝を奪っていく有名な盗賊である彼女が次なる標的に選んだのが、ここトリステイン魔法学院であった。
数か月かけオスマン氏の信頼を勝ち得、秘書にまで取り立ててもらったのも全てこの瞬間の為だったのだ。
宝物庫の中には様々なマジックアイテムが陳列されていたが、狙いはただ一つ。オスマン氏がその威力を怖れ封印したと噂のあるマジックアイテム『破壊の杖』だ。
目当ての物は程なく発見することが出来た。が、その意外なまでにありふれた外見に戸惑う。手に取ってみてもこれと言って特別な力を感じる事も無い。
封印されたと言われるくらいだから、何かしらの呪文がかけられているのかとも考えたが、そんな気配も無い。
見る限りはただの杖。それもメイジが使う魔法用の杖ではなく、老人が歩行補助の為に使う物やお洒落に使う装飾用の物にしか見えない。
特徴と言えば握り手のあたりに嵌められた赤い石くらいだろうか。
「この程度の物の為に何カ月も費やしたっていうの?冗談じゃないわ、こいつにはまだ何か隠された秘密があるはず。でもどうやって訊き出したものか……」
顎に手を当て考え込む。正直、この何の変哲もない木切れの為にオスマン氏にへつらい、特殊な技法を用いて何日分もの魔力を蓄積させて忍びこんだのかと思うと労力に見合わない。
握り手に嵌められた石はルビーにも見えなくもないが、たぶん価値の無い石ころである事は容易に見て取れた。
色々な角度から舐めるように見るが、特に仕掛けも見当たらない。本当にただの棒きれだ。
うーん、と考え込む。すると何か妙案が浮かんだのかニヤリと口の端をゆがめると、外部と接する壁を選び、侵入の際に使用した札の残りを数枚取り出す。
壁に向かって『錬金』を掛け一部分だけ壊しやすいように脆く変化させると、入って来た穴から出て行った。
侵入の痕跡を完全に消すと、自室へと戻っていく。手には『破壊の杖』が握られていた。