レユニオン島。
マダガスカル島東方のインド洋上に位置する、小さな火山島だ。区分は『正統王国』。観光業に力を入れつつあるとはいえ、絶海の孤島にして高峰というこの小さな島の地理を鑑みれば、人口がそう多くない事は誰でも想像がつく。
そんな島の中でも、島の中心にある火口近く、地元の人間もあまり寄り付かない山奥に、一組の夫婦と少女が暮らしていた。
「パパ、早く早く!早く薪割りを終わらないと、学校行く時間になっちゃうよ!」
「おいおいエスパ、無闇に斧を振り回すんじゃねえぞ。女の子なんだからおてんばも大概にしろよ」
「……むー。まーたそうやってパパは私の事を子ども扱いする!!」
少女の年齢は二桁にも満たないだろう。少女の父親の年齢も若かった。まだ三十路には届かず、筋肉質な身体の所々に垣間見える古傷から、退役した軍人である事が伺える。
左目を負傷しているのか、眼帯を付けて隠していた。
「ふーぃ、これで終わりだね!じゃあ、ママの朝ごはんのお手伝いしてきます!」
「転ぶなよー、エスパ」
少女は快活な笑顔を振りまきながら、段差だらけの凸凹な道を駆け抜けていく。それも、二人で割った薪を背中に背負いながら。
父親は、眩しい朝日を遮るために手でかさを作りながら、自分達の家へ帰る少女の後ろ姿を眺めていた。
視線の先にあるのは、丸太を重ねて作った掘立小屋。
ガラスもなければ電気も水道もない。樹脂を利用しなければ夜に松明さえ使えない。そんな生活水準であった。
そう、これが一家の暮らす家だった。
国連の崩壊と共に加速した時代の中で、孤島の山奥で、そんな電気も通じない原始的な暮らしを営んでいる。
オブジェクトの台頭と共に苛烈さを増す技術躍進を否定するように、あるいは逃げるように、一家は山奥で文明から隔絶された暮らしを送っていた。
世間との接点は、娘の通う小学校だけ。
ただそれだけの世界で、彼らは自分達の閉じた世界に満足していた。
それ以上の幸せなんて何も望んでいなかった。
「…………」
だから、人の気配に感づいた時、男は純粋に警戒心を強めた。
(まーた、役所のお偉いさんがショットガン片手に立ち退きでも言い付けにやって来たのかね……ご苦労なこった)
石に腰かけたまま、背後の茂みに身を隠す気配に意識を集中させる。
野生動物ではない。もしそうだったなら、もっと自然に同調しているはずだ。
その気配が、自然を排し文明の発達で野生を忘れた人間の所作だと看破する。男の左目が眼帯であるため、そちらの死角からこちらを狙っている。
幸い、もうこの場には自分の娘はいない。
(……殺るか)
男がそう何かを決心したのと、何者かが背後の茂みから飛び出すのは同時だった。
背後から迫る襲撃者が、ガチリと金属音を鳴らした。
それが拳銃のセーフティを引いた音だと気付いた時、男に浮かんだ表情は困惑だった。
こちらの手を捩じり上げ拘束しようとした襲撃者の手を、背後を確認しないまま逆にそのまま掴み取って捩じり返す。
そのまま襲撃者が何かをするよりも早く、身を屈めて円弧を描く鎌のような勢いで足払いをかけた。膝裏へ引っ掛けるような足払い。
カクン、と膝を折り崩れ落ちかけた襲撃者の体を、男は腕を捩じり上げ拘束する。
拳銃を蹴飛ばし、地面にうつ伏せに組み伏せる。
「くっ……まさかここまでとは……」
襲撃者が呻き声を上げた。
「この近距離でナイフじゃなく拳銃を出すのか?素人かよ、やる気あんのかテメェ……何しに来たか知らねえが、ここは大人しく退いて――――」
そう言いかけた男の唇が、不意に止まった。
襲撃者は女だった。
肩にかかるふわっとした金髪に、色白な肌で繊細な体格の少女。
そして何より、普通の軍服ではない、『島国』の学生服ようなツーピース型のスーツ。
その女に、身覚えがあった。
顔見知りだった。
互いに名前を知っていた。
互いに命を賭した地を越えてきた戦友だった。
「……お姫、様……!?……どうして、ここに……!?」
消え入るようなか細い声で呟いた男に対し、女は不敵に笑いながら首だけ回して返答した。
「ひさしぶりだね、ヘイヴィア。……つれもどしに来たよ。あなたのちからがひつようなの」
男の住まう掘立小屋に、ヘイヴィアと呼ばれた男と、お姫様と呼ばれた襲撃者の女がやって来た。
突然の来訪者に驚いたヘイヴィアの妻が、反射的に玄関近くに置いてあるショットガンを手に取ったが、
「安心しろ、俺の知り合いだ」
「でも、あなた!この人は軍人で、多分あなたの元――――」
「いいから銃を置け!」
ヘイヴィアの気迫に押され、妻が渋々と銃を置いた。
「パパ、どうしたの……?なんでそんなに怒ってるの……?」
「エスパ、朝ごはんはもう食べ終わっただろ?もう学校に行きなさい」
「まだコーンポタージュ飲んでないよ。パパと一緒に――――」
「いいから行くんだ!!」
ヘイヴィアの怒声にビクッと肩を震わせた少女が、助けを求めるような視線を母親に向けたが、彼女もどうしたらいいか分からないといった様子で困惑していた。それでも、いつ来訪者の女が襲ってきても自分の身を盾にできるよう、娘を自分の背中に隠していた。
「ちょっとこの人と2人で話させてくれ」
「あなた、本当に大丈夫?」
「大丈夫だ。……申し訳ねえが、お前にも席を外して欲しい」
ヘイヴィアの妻は、一瞬何かを言おうとしたが、言葉を呑み込んだ。娘の学校用の鞄を取って来て、二人で家の玄関から出ていく。
去り際に、
「……あなたを信じていますからね」
と、呟いて、母親と娘が掘立小屋を出ていった。
無言で押し黙るヘイヴィアに対し、襲撃者の女は家の真ん中にある木造の丸太のテーブルへ腰をかけた。
チラリとヘイヴィアの顔を伺い、左目の眼帯に視線を移す。
「そのきず、いえた?」
「……たまにジクジクと疼くぜ。特に、昔の知り合いと会ったりするとな」
「そう。かとくもつがずに、バンダービルドけのれいじょうとこんな山おくにかけおち?ほんとうにまんぞくしてるの?」
「してるさ。……『お姫様』なんてもう呼ばないぞ、ミリンダ。言いたい事は分かってる。それでも帰ってもらう」
「まだなにも言ってない」
「俺を軍に連れ戻しに来たんだろ!!もう懲り懲りなんだよ!!『あんな事』があって、それでも前向いて歩ける訳ねえだろうが!!」
「皆があなたのちからをひつようとしてるよ」
「俺に何の力があるってんだ、あァ?もう俺は退役した。この島で妻と暮らすようになってから銃なんて何年も撃っちゃいねえ。軍隊のやり方なんてサッパリ忘れちまったよ」
「でも、からだはおぼえていた。さっきわたしをくみふせたように」
「だからどうした?俺一人に何ができる?オブジェクトが跋扈するこの時代において、俺みたいな雑魚に一体何ができる!!」
バン!!と、ヘイヴィアは苛立ちを発散するようにテーブルを叩きつけた。
冷めかけたコーンポタージュの皿を手に取り、ミリンダと呼ばれた女は木製のスプーンで掬い、口に運ぶ。
「できることならあるよ。あなたにしかできないことが」
「何だそりゃ。便所掃除か?それとも人質として囮になる事か?……ああ、オブジェクトを生身で破壊する事だって俺様にはできたな……ハハッ、馬鹿言え!!あれは俺がやったんじゃない。『あいつ』がやったんだ、俺は何もしてない」
「それでもあなたは『ドラゴンキラー』の片われ。じだいが生んだえいゆうだ」
「俺はそんな伝説ではない。それを語っていいのは『あいつ』だけで、俺は何もしちゃいねえ。そもそも、『ドラゴンキラー』と呼ばれた事だって現役時代にゃ一度もなかったよ」
「でも、ぶたいの皆があなたを『ドラゴンキラー』だとみとめ、あなたのふっきを望んでいる」
「だから何度も言ってるじゃねえか!!俺はもう軍隊なんか戻らねえ!!第一、今更俺を呼び戻して何が変わるってんだ?仮に俺が伝説の『ドラゴンキラー』だったとして、どうしてこのタイミングで俺が必要とされる?どうして今更たかが俺程度を呼び戻そうとしてんだ!?」
語気を荒げ、まるで脅迫するようにミリンダの襟首を掴みかかる。
対するミリンダは、全く気にも留めずに淡々していた。
淡々としていて、だから、淡々と呟いた。
「――――とうぼうちゅうのクウェンサー=バーボタージュのいばしょを、ついにつきとめたの」
「なん……だと……!?」
瞬間、掴んでいた襟首を、ヘイヴィアは放していた。
左目の傷が、ジクジクという痒みにも似た痛みを発していた。この傷を付けた張本人の名前を聞いて、疼いているのかもしれない。動揺する意識の中で、ヘイヴィアは思わずそんな事を考えていた。
「いまやもう、クウェンサー=バーボタージュの名前はせかいにひろまりすぎている。なまみ一つでオブジェクトをはかいする『ドラゴンキラー』としても、せかいでせんそうをひんぱつさせる世紀のマッドサイエンティストとしても」
「あのヘタレお荷物野郎が、世界を揺るがす大戦犯にレベルアップしたのは俺だって知ってる。だからこそ、あの野郎が隠れ蓑を漏らすようなヘマをするとは思えねえ」
「それでも、わたしたちのちょうほうぶもんがしにものぐるいで必死にじょうほうをつきとめた。長かった……ここまでたどりつくのに、10年かかった……」
「……奴は今、どこにいる?」
「クウェンサーは今、『しまぐに』で『しほんきぎょう』にかくまわれているの」
「ちょっと待て……あの野郎が俺達『正統王国』を裏切った後の亡命先は、『信心組織』じゃなかったのか!?」
「じょうほうが古いよ、ヘイヴィア。あなたがこんなやまおくに引きこもって何年もすごしてるうちに、クウェンサーは『しんじんそしき』さえもうらぎって、『じょうほうどうめい』にぼうめいしてる」
「で、現在は『資本企業』って訳か」
「せいかくにはちがう。『しほんきぎょう』と『じょうほうどうめい』のダブルスパイってたちいちでコネクションを作ってるから、りょうほうのそしきにしょぞくしてるって言ったほうがただしいね」
「あの野郎……そこまでして一体何をしようってんだ……」
「わからない。でも、今せかいでおこっているせんそうの6わりはクウェンサーがうらからあやつっておこさせたものよ」
「……そういう馬鹿げた事をするような奴じゃないって思ってたのにな……」
「みんなそう思ってたよ。だからにがしてしまった。そのあまさが、全てをまねいたんだ……それに、彼がわたしたち『せいとうおうこく』をうらぎった罪はきえない。ぜったいに、きえない。もうすぐ『せいとうおうこく』から討伐ぶたいがけっせいされる。そこに、あなたもさんかしてほしい」
「…………」
そこでヘイヴィアが沈黙した。
何かと何かを秤へ乗せる者の、苦悶の表情だった。
その沈黙に、ミリンダから助け舟を出す気はなかった。彼の葛藤は、彼が決心すべきだから。そう確信しているから、彼女は助言を出さない。
やがてヘイヴィアは、搾り出すような声で呟いた。
「……もう、俺には家族がいる」
「わたしたちがほごするわ」
「そういう意味じゃねえ。妻と娘が悲しむだろうが!俺はあいつらの傍にいる。あいつらを守ってやれるのはいざという時に俺しかいねえ!お前ら軍隊なんか微塵も信用しちゃいねえんだよ」
「わたしたちのえんじょをうければ、むすめさんをだいがくまで行かせられるわよ。かのじょ、だいがく行きたいけどおかねがないからあきらめてるみたいね」
「お前、何故それを……まさか、学校にまで手を出して―――ッッ!?」
「じょうほうしゅうしゅうはとうぜんしてるわ。あなたをせっとくするために、だきょうはしない」
「てめえ……」
「なにより、わたしたちからウィンチェル家にはたらきかけて、かとくをあたえるようきょうはくしてもいい」
「別に家督になんざ微塵も興味はねえ。あいつらもそれは望んでない」
「でも、かぞくをえんじょできる。すくなくとも、こんな山おくでやばんなくらしをするよりも。かぞくのためを思うなら、わたしのさそいに乗るのがけんめいなはんだんよ」
「……それでも……それでも、俺に一体何ができるってんだ?」
「あなたは『ドラゴンキラー』の片われだ。だれよりもクウェンサーのみぢかによりそい、クウェンサーのかんがえかたを、命をとしてたいけんしてきている」
「俺なら奴の目論見も看破できるってか?冗談キツイぜ……男と以心伝心なんて気持ち悪い噂を広められちゃ迷惑極まりねえな」
「あなたならできる……ヘイヴィアはじぶんのひょうかがやたらとひくいけど、皆があなたをたかくひょうかしてる」
ヘイヴィアは深呼吸した。
一度ミリンダの目を真正面から見据え、もう一度深呼吸する。
眼帯の上から左目に手を当てる。古傷を、かつてその傷を付けた張本人の顔を思い出す。
そして、告げる。
「俺は弱い」
「あたなはつよい」
「俺は臆病だ」
「あなたはゆうかんだ」
「俺はなんでもすぐ諦める」
「あなたは、たいせつなものをぜったいにあきらめない」
「俺はオブジェクトを破壊した事なんて一度もない」
「あなたがいたからオブジェクトをはかいできた」
「俺は伝説にはなってない」
「あなたは、いまなお語られるいきるでんせつだ」
「そんな伝説は終わった」
「まだおわってない。だから、おわらせなきゃいけない。わたしたちの手で」
「…………」
それが、問答を繰り返す事で自分の憂いを消していく作業である事にミリンダは気付いていた。
彼と、今はいないもう一人の彼が、戦場で何度も行ってきた儀式のような行為だった。
ヘイヴィアが両手で自らの頬を思い切り叩いた。
その淀んだような暗い瞳には、いつの間にか意志の光が灯っていた。
全てを諦めてきた男が最後の最後で譲れなかったのは、ちっぽけな責任意識だった。
「俺は伝説の『ドラゴンキラー』じゃねえし、お前らが期待するスペックなんて一つも持っちゃいねえ。正直役に立つなんて毛ほども思っちゃいないが――――」
ヘイヴィアが立ち上がった。
掲げるように、謳う。
「あいつをここまでの怪物にまで成長させちまったのは、俺の責任だ。俺があいつをここまで狂わせちまった。俺があいつに手助けしなければ、あいつは『正しく死んでいた』。オブジェクト全盛の時代の流れ通りに、『歩兵はオブジェクトの戦場では役に立たない』時代通りに『正しく死んでいた』んだ!」
「でも、そのおかげでわたしたちは生きている」
「そうだ。だからこそ、救われた命は今度こそ『正しく』使わなきゃいけねえ。
――――クウェンサーを殺す。それが、『ドラゴンキラー』の片割れとして、世界の大戦犯を生み出した俺のケジメだ」
『はでにビンタをもらったね』
「それでも、戦地に向かう事を許してくれたんだ。ホント、嫁には頭が上がらねえなあ……」
頬に残る真っ赤な手の平の痕をさすりながら、ヘイヴィアは手渡された無線機を付けてミリンダと交信する。
どうやらレユニオン島の開港にもう『正統王国』の戦艦が停泊しているらしく、このままヘイヴィアを拾って『島国』へ直行するらしい。
ミリンダは別ルートでベイビーマグナムへ搭乗するらしく、次に顔を合わせるのは戦場との事だった。
「傍迷惑な地球半周する弾丸旅行だな。逢いに行くのが生き別れた男だっつうんだから全くもって花がねえよなあ。この歳になって汗臭え男のケツを追っかける羽目になるとは思わなかったぜ」
『わたしのよそうだと、クウェンサーはとしをとってもさわやかだと思うんだ。ヘイヴィアのほうがオッサンくさいと思うよ?』
「ハハッ、違いねえ。あいつの事だから、ガリガリに痩せこけた研究者になってそうだな」
懐かしい会話に花を咲かせながら、レユニオン島の港に着いた。
ミリンダの指示にあった『正統王国』の巡洋艦に乗り込む。
船の甲板でヘイヴィアを迎えたのは、見知った人物だった。
変わらない凛とした声に、思わず頬が綻ぶ。
「お久しぶりです、ウィンチェルさん」
フローレイティア=カピストラーノ。
現役時代に彼の上官だったはずの女性将校だった。
声色や立ち振る舞いには10年の月日を感じさせない。しかし、頬に残るふとした皺が、老い以上に彼女の精神を疲弊させてきた経歴を物語っていた。
「そんな風に畏まらないでくれよ。昔みたいに、上から目線で理不尽な命令をしてください」
「いえ、退役していたアナタにわざわざご足労を頂いて、私としても恐縮な想いで一杯です。けれど、アナタの復帰、素直に喜ばしく思います……我々は、アナタをずっと待っていた」
「らしくねえよ、フローレイティアさん……確かに、退役と同時に何階級か特進させてもらったけど、俺らの間に階級なんて関係ねえだろ?個室に行って、作戦会議にでも付き合ってくれよ」
「畏まりました。では、こちらへ」
そう言って、フローレイティアは船内にある会議室へヘイヴィアを案内した。
簡素な部屋だったが、元『貴族』らしい2人のために拵えた、最低限の調度品で囲まれた部屋だった。
会議室の中央にある円形のテーブルに飛び乗って腰掛ける粗暴なヘイヴィアを見届け、フローレイティアは部屋のドアを閉め鍵をかける。
「済まないな。何分、お前は今や伝説の英雄だ。周囲にお偉いさんのジジイ共がいる手前、昔のように気軽に話しかける訳にはいかないんだ」
「へっ、むしろご褒美ですよ?ドSの女教官が急に敬語でへりくだるとかどんなAV企画だっつの」
「そういう下らないノリは相変わらずだな……『あの日』以来、お前の口から昔みたいに陽気なジョークが飛び出すのは久しい気がする」
「……俺だって、もう若くないんすよ。家族だってできた」
ヘイヴィアは、そう俯きながら呟いた。フローレイティアからはその表情は見えなかったが、ふと彼の眼帯が目に入った。
「その目、もう痛まないのか?」
「目はくり抜いて清潔に保ってますよ。……ただ、たまに発する痛みはいつまで経っても収まなくてさ。医者の言によると、どうやら精神的なものに起因しているらしいっす。『あの日』を思い出すような人物と会うと、神経痛っつーか、幻視というか……色々あります」
「そうか……まぁ、『あの日』を境に色々あるのはお互い様か。ともかく、悪いが昔のように怒鳴り散らしてツッコミ入れるほど若くはない。昔話で盛り上がるのは酒の席で十分だろうし、手早く本題に入ろうか」
フローレイティアがティーカップを取り出しながら、部屋の奥にあるホワイトボードに磁石で貼り付けていた作戦資料を投げ渡してきた。
ヘイヴィアは顔をしかめた。
「資料が分厚い……口で説明してください」
「……呆れた。お前はそれでも軍人の自覚があるのか?」
「元『軍人』ですよ。役に立たないなら船を降りますけど?」
溜め息を吐きながら、フローレイティアはエスプレッソを淹れて、ヘイヴィアにカップを差し出した。
「しょうがない奴だ。では、順を追って説明してやる。クウェンサーが『島国』に潜伏しているという事はお姫様から聞いたはずだな?」
「あぁ……だが、どうしてそんな事が分かった?あいつはここ10年間、裏から戦争を操りこそすれ、表には出てこないようかなり気を使ってたはずだ」
「気を使うも何も、50メートル級の化け物なんて完璧に隠せる訳がないだろう」
「…………は?―――――おいおいおい、まさか、それって――――」
「そう、奴が個人でオブジェクトを所有するに至った訳だ。これまでは資金源に疎く亡命して協力を仰ぐ事でしかオブジェクトを利用できない身の上だった訳だが、ついに自分で設計したオブジェクトの開発に成功したのだろう。『島国』の『トーキョー湾』にて、巨大な熱源反応が観測された。十中八九、JPlevelMHD動力炉のものと見て間違いないだろう」
「それにアイツが関与している理由は?」
「『トーキョー湾』は、『島国』の中でも『空白地帯』の1つ。各世界的勢力に確認を取ったが、どの勢力も身覚えないと主張している。おまけにその未確認な第三勢力を調査する名目で、『信心組織』からは天罰組織『ヴァルキュリエ』を、『資本企業』からは北欧禁猟区で有名な陸軍PMC『モスグリーン』を、『情報同盟』に至ってはオブジェクト持ちの軍隊を派遣している……実は私達『正統王国』も『黒軍服』が謎の名目で派遣されている」
「討伐部隊に督戦部隊に汚れ仕事担当のPMCにマジモンの軍隊まで投入か。揃い踏みじゃねえか……確かに、これで何もない方がおかしいな。だが」
「決定打に欠ける、と言いたいのだろう?だが、これを見てくれ」
そう言ってフローレイティアは、今度は数枚の紙を見せてきた。切り取られたカレンダーだった。
「JPlevelMHD動力炉の熱源反応のあった日を丸で囲んである……うちの暗号解読班のインテリ連中は、これが何かの暗号に見えるらしい。」
覗き込んだヘイヴィアは、顔をしかめた。
「……暗号?……あっ、確かに!……いや、だが分かるには分かるが、複雑なやつじゃなくてクソ簡単なモールス信号じゃねえのかこれ?俺でも分かりますよ」
「読んでみろ」
「ええーーっと、なになに……『こ』、『つ』、『ち』…………ん?これって……」
「そうだ、お前なら縁があるだろう。私達も、お姫様が気が付かなければ完全に失念していた」
「―――――『こっちは切羽詰まってる』。昔、俺とアイツが遊びで考えた暗喩の開始文句じゃねえか!?」
「らしいな。もちろん、ただの偶然である可能性もある。だが、もしこれが本当にモールス信号だった場合は、」
「ああ、分かってるよ、フローレイティアさん」
言って、ヘイヴィアがぐっと拳を握りしめた。
「――――アイツが俺を呼んでいる。俺はアイツの元へ行かなきゃいけないんだ」