──夢を見ている。
「お兄ちゃんいるー? ってそりゃいるか、引きこもりだし」
おう、入って早々容赦ないな、妹よ。お兄ちゃんだったから良かったものの、他の人だったら引きこもっちゃってるぞ。間違いなく。
「いや、もう引きこもってるじゃん、お兄ちゃん。そんなことより、お母さんが早くご飯食べに来いってさ」
ご飯?……本当だ、もうそんな時間なのか。時間が経つのは早いなあ。まだ昼飯食べたばっかりな気がするんだけど。
「そりゃ、部屋に籠ってゲームばっかりしてたらそうでしょうねえ。やれやれ、我が兄ながら、将来が心配になるよ」
よけいなお世話だっての。こちとら、ゲーム会社に就職するって決めてるんだから。そのための勉強みたいなものなんだよ、これは。
「はあ。で、もし入れなかったらどうすんの? みんながみんな、入りたいところに入れるわけじゃないでしょ」
……その時はその時考える。そもそも、今のところやりたい仕事なんてないし。ゲーム会社って言ったのも、ただゲームが好きだからなだけだし。というか、そういうお前はどうなんだよ。まあ、高一に将来の話をするのは野暮ってもんか。ああ、青春せよ、学生よ。俺は青春らしい青春した記憶ないけど。
「……将来の夢って程でもないけど、なりたいものはある、かな」
へえ、なに。委員長とか生徒会長とかそういうの? いいね、進学にしろ就職にしろアピールポイントにはなるよ、そういうのは。俺はどっちもしてないけど。
「そういうのじゃなくて」
違うのか? じゃあなんだろ、部長とか? 高一にしちゃ欲がありますなあ。
「──ドル」
ん? なんだって? よく聞こえなかったんだけど。もっと大きい声で言ってくれないかな。小さくて聞こえない。
「アイ……ドル」
……はっ?
「だから、アイドル」
アイドルって、あの? あのテレビに出てる?
「誰のことを言ってるのか知らないけど、多分それ。お母さんとお父さんにお願いして、養成所にだって通わせてもらうことにしたんだから」
なにそれ、お兄ちゃん初耳なんだけど。初耳のオンパレードなんだけど。
「だって言ってないし」
あっ、そう。それにしても、アイドルねえ……まあ、お前のなりたいことにどうこう言う気はないし、やりたいようにやればいいんじゃないか? 成功しようが失敗しようが、経験として蓄積されるわけだし。社会勉強にはなるでしょ。
「……お兄ちゃんのことだからそう言うと思った。まあ、やるなって言っても勝手にやるけど」
おう。
…………。
あ、でも。
「なに?」
いや、単純な興味なんだけど、どうしてアイドルになろうと思ったのかなって。個人的に気になってさ。ああいうのになりたい理由ってやつを。
「それは……」
それは?
「…………。秘密」
なんだ、恥ずかしいのか? そうか、わかった。じゃあお兄ちゃんも秘密をばらすから。それならいいだろ? えーと、じゃあ、実はお兄ちゃんは年上趣味だ。はい、次お前の番ね。ほれほれカモーン。
「ひ、秘密ったら秘密なの! じゃあ私もう行くから! じゃあね! 早くご飯食べちゃいなよ!」
あっ、おーい……ホントに行きやがったあいつ。全く、どんだけ恥ずかしい理由なんだか。尚更気になるじゃないか。
…………。
なんだか段々お腹空いてきたな。ちょっくら、夕飯食べに行きますかね。
──そういえば結局、理由を訊かずじまいだったなあ。
………………。
…………。
……。
「おはようございます、プロデューサーさん」
「……おはようございます。ちひろさん」
気がつくと、俺は笑顔のちひろさんに見下されていた。少し仮眠しようと事務所の休憩室のソファーに横になっていたのだが、思った以上に熟睡していたらしい。何故なら。
「早いですね、ちひろさん」
「はい、もう翌日の勤務時間ですからね」
「…………」
次の日に、なってしまっていたからだ。
昨日の俺、ちひろさんの食事を断り残業する。アホみたいにケータイにメールが来たので対応する。疲れたので区切りのいいところまで仕事をし、仮眠をとる。ちひろさんに起こされる。ソファーから身体を起こす。それが、今の現状。
「私、昨日帰る前に言いましたよね? プロデューサーさんも帰ってゆっくり休んでくださいねって」
「……ええ、まあ」
言いましたね、確か。俺に一声掛けてから帰りましたね、ちひろさん。俺はその時、メールの対応に追われていましたが。テキトーに相槌うった気がしますが。
「…………」
「…………」
ああ、無言の笑顔が怖い。
「……ゴメンナサイ」
「次、帰らないようなら首に縄をつけてでも連れて帰りますからね」
「イエッサー……」
「──ところで、もう何日帰ってないか、プロデューサーさんは覚えてます?」
「えーと……3日くらい、ですかね」
それくらいなら、765プロにいた時からやってるし、身体が慣れてしまっている。1週間帰らないなんてこともそれなりにあったし。
よくよく考えると、あっちにいた時も小鳥さんに注意されてたなあ、働きすぎだって。でもなあ、もうそれが当たり前になっちゃってるんだよなあ。
「もう今日で4日目になっちゃいましたけどね」
「それはそれは……あ、ありがとうございます」
ちひろさんがずっと持っていたらしいマグカップを受け取る。中身はブラックコーヒー、さすがにエナドリとかではなかった。早速一口。うん、苦い。
「いつか本当に身体壊しちゃいますよ?」
「……善処はします」
「……はあ、とりあえずプロデューサーさん、身嗜みはしっかりしましょうね。卯月ちゃん達に笑われちゃいますよ」
何故ちひろさんはため息をついたのだろうか。俺の言い分に御不満な点でもあったのかな。……まあ、いいや。
「そう……ですね。身嗜み、整えてきます」
「はい、行ってらっしゃい。さあさあ」
「っとっとっと」
ちひろさんに背中を押され、半ば強引に事務所から退出させられた。
「身嗜み……ね」
手を顎付近に持っていく。うむ、少しヒゲが伸びてしまっているな。剃らないと。
「あっ、それと」
事務所から、ちひろさんの声がする。しかし、扉は開かず。顔も見えず。
「はい」
「午前中の仕事は私がやっておきますので、プロデューサーさんは午後まで帰って来ないで下さい」
「はい?」
──ガチャっと、嫌な音がする。え、ちょっ、あなた今、扉に鍵をしませんでしたか!? ドアノブを回す。開かない。
「午後まで開けませんので、悪しからず」
「そ、それがアシスタントのやることですか!」
横暴にも程がありませんかねえ!?
「そうでもしないと、仕事するじゃないですか。後は私に任せて、ゆっくり休んで下さい。それも、アシスタントの仕事ですので」
「くっ……!」
確かに、身嗜みを整えたら早速仕事の続きを行おうとはしてたけど、だからってこんな……!
「…………」
でも、なにか言ったところで開けてくれることはないだろうな、そんな気がする。
──仕方ない、休めというなら休みましょう。全力で休んでやりましょう。その代わり、午後からは本気で仕事するからな! わかったかちひろぉ!
「なにか言いました?」
「イ、イエ、ナンデモ……」
感が良すぎるぞちひろぉ……!
…………。
それから、俺は気替えを取りにロッカールームへ向かっていた。替えのスーツや服は何着も用意してある。寝泊まりできるように、前もって用意しておいたのだ。歯ブラシや剃刀、ボディーソープやシャンプーなんかもある。改めるが、“寝泊まりできるように‘’、一通りのものは用意した。765プロからの伝統みたいなものだ。
あの頃も、事務所が我が家みたいなものだったから、必要だと思えるものは全部事務所に用意した。というか、家に帰る暇がなかったので、自然と荷物が増えたが正しい。住めば都というか、意外と事務所生活は悪くなかった。もちろん、今はもう荷物は全部撤去させてもらったが。もしかすると、何かしらは残っているかも知れない。コップとか。後で見つけたら処分するように頼んでおこう、小鳥さんにでも。
身嗜みのことをちひろさんに言われたからか、ふと、765プロでの出来事を思い出した。
身嗜みというか、だらしない姿をけっこうみんなに見られてたなあと。寝顔とか。寝起きの姿とか。脱ぎ散らかしたスーツとか。気替え中の下着だけの格好とか。……我ながら、どうしようもない。
「デリカシーがないって言うんだよな、こういうの」
「そうなんですか?」
「ああ、確か、それで合ってた──ってうわ、ビックリした!」
「ふふ、おはようございます、プロデューサー」
「お、おはようございます、楓さん」
完全に自分の世界に入っていたからか、近くに人がいることに気付かなかった。そう、俺に話しかけてきた、346プロ所属のアイドル、高垣楓さんに。
ちなみに、楓さんとは昨日ぶりである。あのぐだぐだ事件の張本人だ。本人はどこ吹く風というやつで、いつの間にかしれっと仕事に出かけてしまっていた。
「プロデューサーは今日も早いですね。あっ、もしかして、今日もですか」
「……ええ、まあ。そう言う楓さんも早いですね。昨日は飲まなかったんですか?」
お酒を。
「朝からモデルの仕事が入っていたのを知っていたので、一杯だけです」
「一杯は飲んだんですね」
「いっぱいは飲んでませんから」
「いっぱいいっぱい飲まれても困りますけどね」
…………。
「うふふ」
「あはは」
これが、俺なりの楓さんとのコミュニケーションである。俺のギャグが酷い、そもそも、ギャグになってない。自分でもよくわかってる。でもな、言っちまったもんは仕方ないだろう俺! そんな楓さんみたいに咄嗟に出てこないんだよ! 乾いた笑み!? やかましい! 思わず自分にセルフツッコミ。
「あっ、そうだ。プロデューサー、私、朝からいいものが見れました」
「いいもの? へえ、なんですか?」
楽しそうに楓さんが、俺の頭を指差す。……ん? 俺の頭? 何故?
「うふふ、寝癖がついてますよ、プロデューサー」
「あっ。ああ……」
俺、寝癖ついてたのか。身嗜みを整える──というか、まだロッカールームにすら到達してないから全く気づかなかった。髪に触れる。一部分がアホ毛みたいになっていた。うわ、恥ずかしい。
「縁起が良いですね。今日はなにか、良いことがありそう」
「嫌々、茶柱とかじゃないんですから」
茶柱=アホ毛はさすがに申し訳がない。全国の茶柱に怒られそうだ。全国の茶柱に怒られる状況が全然想像つかないが。あー、お茶をぶっかけられるとか? 地味に嫌だな、それ。
「──例えば、プロデューサーが私を飲みに誘って下さるとか」
「……つまり、飲みたいと」
「プロデューサーと、です」
「……まあ、考えておきます」
「よろしくお願いしますね。それでは、私はこれで」
楓さんが去って行く。その足取りは何故か、喜々としているようにみえた。それほどまでに楓さんは、お酒が好きなのだろう。何度かコミュニケーションの一環として楓さんと飲んでいるが、癖になったのだろうか。俺と飲むことを。それは、とても嬉しいことではあるが。
でも。
「あの人酒強いからなあ」
俺は少なくとも、楓さんほど飲めない。俺もお酒が強くなるべきなのだろうか。そんな自問自答をしつつ、空いてる日はあったかなと、ポケットから手帳を取り出すのだった。
※注意!
【妹】はアイドルマスターのアイドルではありません! やったね!