「……以上が、昨夜の一部始終でございます。つきましては明日、幽州の公孫伯圭様との会談の後に、追って報告させていただきます」
冀州 、袁家の屋敷。
その中でも一番広い、大会議場。
ここでは今、袁本初以下、本殿に出入りを許されている将の全てが集まり、大きな会議が開かれていた。
「……結構です顕奕さん、下がってよろしいですわ。」
先程の紅羽の報告により、会議場の場の雰囲気全体が、やや暗くなる。
しかし、そこに一つの声が上がった。
「お待ち下さい、本初様。袁熙殿、黄巾賊の対処はどうされたのですか?」
「……皆捕らえて、今は牢にいれてあります。それがどうなされましたか?郭図殿」
声を上げたのは、袁家きっての謀将、郭公則であった。
まだ、袁紹が王位についてまもない頃、この冀州を手に入れる案が持ち上がった。
その当時、冀州の統治者であった韓馥を、巧みな話術と謀略により懐柔し。見事、ここ冀州を治めることができたのであった。
しかし、そんな大功を遂げている彼ではあったが、彼の政敵は、尽く彼による讒言により、処断、或いは放逐されるなどして失脚の憂き目にあっていたため、袁家内からは悪評が絶えない人物でもあった。
細い、蛇のような目で紅羽を睨み付ける。
そんな郭図の視線に晒されて、思わず紅羽はぶるり、と身震いする。
「そうですか、それは結構です。して……その後の処分はいかがなされる?もちろん貴方の意見で構いませんよ」
そして怯んだ紅羽へ向けて、追い討ちをかけるように質問を放った。
それに対し、紅羽もできるだけ動揺を悟られないように、言葉を返していく。
「全ては本初様のお言葉一つです……ですが、僕の意見としては、彼らを処刑することは無いと思います。彼らも元は罪なき民です、大罪を犯した者については、それ相応の罰を勿論与えるべきだとは思いますが……」
「甘い……甘過ぎる! 奴らは天下に仇なす逆賊だ! 全員に死をもって断罪すべきだ!」
彼はここを好機と見てとったのか、突然人が変わったように捲し立てる。
紅羽もその変貌ぶりに驚愕したのか、二の句を告げられずにいた。
そこを郭図は見逃さずに、尚も捲し立てる。
「そもそも! 貴方の父、袁瑰が異民族や賊なんかを処刑もせずに、将として取り立てたりなどと、為さるからおかしくなるのです。……ああ、そういえば」
"貴方にも、その汚らわしい異民族の血が流れていましたね"
と、たっぷりの悪意を込めて紅羽に言い放った。
「…………」
郭図のあまりの剣幕に、当主である袁紹ですら言葉を発せずにいた。
言われた当人の、紅羽も先程からうつ向き、肩を震わせている。
その様子に郭図は、勝ちを確信したのか、にやりと笑い最後の言葉を告げようとする。
……が、口を開こうとした瞬間に、怒声が響き渡る。
「ええ……確かに僕には異民族の血が流れています。しかし! 母から受け継いだ、気高き血を! 誇りこそすれ、汚らわしいとは思ったことはありません! 即刻、今の発言を取り消していただきたい!」
その郭図の言葉に対し、紅羽は珍しく本気の怒りの表情を露にし、その小さな体に似合わない、怒鳴り声を発する。
郭図にとって誤算だったのは、紅羽の怒りの声により、先程まで支配していた場の空気を、完全に均衡した状態へ戻されてしまったことだ。
それにより、紅羽を擁護する意見が出ることを許してしまった。
「いくらなんでも言い過ぎですよ! 郭図さん、紅羽様に謝ってください!」
「そーだそーだ! 斗詩の言うとおりだぜ !紅羽様のお母さんは、確かに怖いけど、いい人なんだぞ、あやまれー!」
顔良と文醜の、その発言により、場の空気は郭図にとっては、都合の悪いものへとなっていた。
(ち、失策しましたか……気丈なガキですね。まあ、いいでしょう)
郭図は 誰からも目につかぬように、小さく舌打ちをし、先程までとはうってかわって柔和な表情になる。
「……ええ、これは申し訳ない。つい熱くなりすぎ、少し言い過ぎてしまいましたね……失礼いたしました」
「…………」
当然ながら、紅羽は拳を握りしめ、無言で郭図を睨み付け、怒りを露にする。
対照的に郭図は、余裕の表情でにこにこと、笑みを浮かべている。
場には一触即発の雰囲気が流れるが、不味い雰囲気を感じ取ったのか、袁紹が会議の終了を告げる声をあげる。
「きょ、今日の会議はここまでとしますわ。賊の処遇等については、追って通達することとします。それでは皆さんお疲れ様ですわ」
その声により、各自席を立ち、各々が部屋を辞去していくが、場に残った不穏な空気は、なかなか消えることは無かった。
(ふっ……今日はこれくらいで、勘弁してやりますが、これから覚悟することですね)
最後に、紅羽に対して笑顔で一礼していき、郭図は部屋を去っていった。
「…………」
紅羽は去っていった郭図の背中をいつまでも見つめ続けていた。
「はぁ~、全く郭図さんにも困ったものですわね……」
会議が終わった後、袁紹、紅羽、顔良、文醜の四人は袁昭の執務室に集まっていた。
四人は現在、新たに紅羽の幕下となった趙雲を迎えるため、この執務室にて待機していたのだ。
会議も終わり、暫く経っていたが紅羽の表情は晴れぬままだった。
そんな紅羽の様子を気にしてか、顔良が声をかけた。
「紅羽様、あんまり気にしちゃいけませんよ?あの人の口がわるいのは、今に始まったことじゃありませんから……」
と、顔良が心配そうに言うと、文醜もそれに同意を示した。
「そうそう!斗詩の言うとおり!あたいなんてこの前、あいつに馬の骨呼ばわりされたけど、全然気にしてないぜ!」
「まあ、私達って元々馬賊だったからね……袁成様に拾われてなかったら、今頃まだ平原を駆け回ってたかもしれないし」
今でこそ、"袁家の二枚看板"と呼ばれ、袁家の武官の筆頭となっているこの二人であったが、元は草原や平原を荒らし回る馬賊だったのだ。
あるとき、汝南の地方を彼女達の部族が荒らしていたとき、討伐隊の指揮をとり、その全てを捕らえたのが、袁紹の父である袁成であった。
その当時、汝南の治世を行っていたのは、名門袁家の三兄弟である、袁成、袁逢、袁瑰の三人であり、当時の汝南では武官の人材不足への政策として、賊をそのまま軍団へ登用する政策が採られていた。
勿論、それを行うためには、賊を殺さずに捕らえるだけの武力、高い教育の水準、人並み以上の徳が必要であったが、武力は袁成、教養は袁逢、徳は袁瑰がそれぞれ非凡なものを、為政者として日頃より発揮していた、そのため当時の袁家ではそれを行えるだけの土壌が整っていた。
そういった政策の成果が、今日の袁家の二枚看板を生み出す結果となっていたのだが、元が名家の血筋の多い袁家、その中でも特に血統主義の多い文官の間では、当時から批判が多かったのだが、三兄弟がいなくなった今では、更に反対する者が多くなり、その筆頭こそが郭図であった。
「"四世三公"……確かに血筋の良さもわたくしの誇りですわ。しかし! 真に必要なのは実務能力ですわ! わたくしだってどんなに血筋がよくても、お父様達に比べれば実力不足なんですから」
袁紹がその言葉を発した瞬間、三人は信じられない物を見るかのように、袁昭の方を向き、驚愕の声をあげていく。
「ど、どうしました!?麗羽様!悪いものでも食べてしまったんですか!?」
「れ、麗羽様……頭でもぶつけちゃったんですか!?」
「ね、姉さん……まさか、頭の使いすぎでおかしく…」
「むきー! 失礼ですわね!」
あんまりと言えばあんまりな三人の言葉に、袁紹は憤慨する。
しかし、そんな言葉をつい言ってしまう程には、袁紹の言葉は三人にとって意外なものであった。
「大体、いつも「血筋を誇るのはいいけど、それに見合った能力を持つことが一番重要だよ」と耳にタコができるくらいうるさく言ってるのは紅羽さんではなくて? あれだけ口うるさく言われていれば、わたくしだって偉大な父様や叔父様達にに比べてほんの少し、ほんの少~しは劣っていることだって自覚しますわ!」
と、袁紹が考えを述べていく。
そこまで言い切ると、最後に紅羽のほうを向き、こう締め括った。
「だからですわね……えーと、つまりわたくしが言いたいのは、紅羽さんは充分に頑張ってらっしゃるのですから、あんな言葉を気にする必要はありませんわ。貴方にも誇り高き袁家の血が流れているのですから、胸をお張りになっていればよろしいのですわ!」
そんな姉の言葉から、不器用ながらも確かな気遣いや、親愛の情をしっかりと感じ取れた紅羽は、胸の奥から暖かいものが込み上げてきて、先程までの陰鬱とした感情は、すでに霧消しており、姉への素直な謝意を口にした。
「……ええ、ありがとうございます、姉さん。そういっていただけると本当に、本当に僕は勇気づけられます」
「ふふん、分かればよろしいのですわ! さて、趙雲さんもそろそろ来る頃ですわ、このわたくしが、噂通りの人間かしっかりと見定めてあげますわ!」
袁紹なりの照れ隠しなのか、くるりと後ろに振り向き、いつも通りの高笑いを挙げる。
そんな姿を見て、紅羽はこう考えるのであった。
(こういうところは、姉さんにしか無い。凄く良いところだよね)
有明時までは冷たい風が吹いていた冀州の街も、今はすっかり温かな朝日が射しこみ、爽やかな薫風が若葉をそよいでいた。