天下のお膝元 ーー洛陽ーー
その洛陽にある宮殿の一室では、現在盛大な宴が開かれていたが、今はまるで一大決戦の前夜のような、緊迫した雰囲気が流れていた。
皆が皆、ある一点に注視し、ただ二人の人物にのみ視線が注がれていた。
(なんだか大変なことになってきたぞ、もうおうちに帰りたい……)
現在、多様な視線に囲まれている内の一人が彼、名門袁家の一人袁煕であるが、その心中は穏やかではない。
対峙するのは、何やら人の悪そうな、酷薄な笑みを浮かべた人物である。
(ふん……冀州では神童だ、とかなんとか呼ばれているようだが、所詮11のガキよ!兵法の基本でも説いてやれば泣いて逃げ出すに違いない……)
彼はある州において兵法家であり、常々自分の頭の良さを鼻にかけては、自慢話ばかり吹聴するような人物であり、悪評はかなりのものであった。
彼の後ろにも、他の州において我に並ぶもの無し、と常日頃から自尊心ばかりは高いもの達が、獲物をなぶるような目線を紅羽に投げ掛けていた。
(ようし……それでは軽くひねって見せよう)
「それでは袁煕殿……といったかな?例えば我が方の兵がこのような状況に陥った、貴方ならどう動かすか?」
男はふふん、と鼻を鳴らし陰険な笑みを浮かべて、紅羽を見る。
それに対して紅羽は、間を置かずに答えていく。
「ええ、そのような状況ならば…」
結果から言えば、大方の予想を覆し、袁煕の圧倒的な優勢となっていた。
一端の兵法家でも頭を悩ませるような難問にも、紅羽は理路整然と答えていく。
逆にその問題を出していた出題者に対して、一分の隙でもあれば見事に反論を繰り出し、遂には相手は何も言えなくなり膝を屈するしかなくなっていた。
(くそ! こ、こんなはずでは……)
驚愕の表情を浮かべる彼の後ろから、憤然やるかたない! とばかりに自称識者達が、次々と六博(将棋)や囲碁、知恵くらべや問答を繰り返すが、皆一様に完膚なきまでにこてんぱんにされていた。
「うん、やはり紅羽君は昔から変わらず賢い子だよ。またさらに磨きがかかっているようだね、こういうところはほんとに父さんに似て……」
「……驚いたわね、あの年にしてただ口が立つだけでなく、そのどれもが経験と実践に裏打ちされたものだわ。それに、幼いからこそ固定概念にとらわれず柔軟な発想ができる。まあ、相手が……」
「そう、それに比べて相手の情けないこと……ああいう奴らにこそ生兵法って言葉がお似合いってものよね~。まあ、あいつら自尊心ばっかり高くて、てんで口だけって、専らの評判だものね」
「え?そうなのか、孫策?にしても相変わらず、勝負になると容赦ない子だな~。私も昔は何度半べそかかされたことか……」
と、事の推移を冷静に見ていた面々は、それぞれの論評を口に出していく。
「おーっほっほっほ!! 流石袁家一門の最高傑作、紅羽さんですわ!!残りの人達もぽぽいのぽい! とやっつけてあげなさい!!」
(姉さんには帰ったら、自重という言葉を百篇は言って聞かせないと…)
紅羽の頭痛と胃痛はこの年にして留まるところを知らないのは、知己の面々には想像に難くないであろうが、この場においては蛇足である。
「ええい! 貴様ら揃いも揃って情けない! 小僧! 口は達者のようだが、将の本分を教えてやる! 表に出ろ !」
と、大声でがなりたてるのは、血の気の多い武官達である。
その数人が声をあげ始めたため、今度は一転して、庭に出ての木刀を用いた試合の様相となっていった。
(うわ~余計大変なことになってきた! 今度という今度はほんとに恨むからね !姉さん)
庭へと移動し、一人考えながら適当に使い勝手の良さそうな木刀を"二本"手に持ち相手に対峙する。
「貴様! 馬鹿にしているのか! 二刀流などと、見かけ倒しで俺を虚仮にしているのか!?」
「ムッ、この二刀流は母上から教えていただいた、由緒正しいものです。お疑いなら御身で試してみればよろしいでしょう!」
「どこまでも虚仮にしくさって! 精々後悔するんだな!」
「左様! 黙っていればこちらを小馬鹿にしおって! 似非名門の化けの皮を、我らで剥いでやる!」
(あーあ完全に乗せられちゃってるわね~。でもあの子も、あの細腕でほんとに勝てんのかしら?確かに相手も大したことは無さそうだけど……)
(うわ~ああやって顕奕に挑んでいって、勝ったやつってみたことないよなぁ)
「それでは尋常にはじめ!」
……その声が上がった瞬間、まさに一筋の風が走った。
その決定的瞬間を目に出来たのは、天から非凡な武の才を与えられた者か、尋常ならざる鍛練を積んだ、一角の者達だけであった。
(……なるほどね膂力が足りない、それを補う為の手数を増やす手段としての二刀流。それだけじゃなく圧倒的な早さ、相手が一合繰り出す間にあの子は四合、しかも、四方八方から人体の急所を、ほぼ正確に打ち据えている)
そう、相手からすれば、自分が何をされたかわからぬ間に昏倒させられていただろう。
紅羽はまず怒りに猛る相手の一撃を、一刀で受け流し、相手が姿勢を崩したところで、がら空きになったところを、すかさず残った一刀で一撃を食らわせ、相手の姿勢が整わぬ間に全く別方向に回り込み、また一撃を叩き込む。
これを、相手が昏倒するまで続けたのである。
(ふう……母上相手だとこうはいかないよね、全て受け流されて返す刀で昏倒させられる……)
彼がここまで至る経緯は、主に母との稽古にあるのだがそれについてはまた別の機会に語ることとしよう。
だが一つ言えるのは、質も量も、並大抵のものでは、決して無いことだけは、はっきりと窺えるのた確かだった。
「くそ !おいガキ !まぐれ当たりで勝ったといって調子にのるなよ !次は俺が相手だ!」
などと、猛り狂って挑みかかる武官たちだが、結局のところ結果は全て同じであった。
最終的には紅羽が五人ほど続けて打ち倒した辺りで、この宴の主催者でもある何進から告げられる。
「お見事! 袁顕奕殿は正に非の打ち所のない才児である!」
との声が何進他、曹操、孫策、公孫賛等の拍手と共に上がったため、その時点で終了と相成った。
先程の紅羽の勇姿を見て考えを改めたもの、未だ納得いかぬ!といった風体のもの等、様々な反応が有ることを、見てとった何進は紅羽に対してこう提案した。
「どうだろう、袁顕奕殿。以前私が袁家の屋敷に行った際の、あの剣舞をご披露してはどうか?ちょうど宴もたけなわといった感じだしね」
「わかりました、何進様きってのご提案でございます。皆様にご満足戴けるかはわかりませんが、僭越ながらご披露させていただきたく存じます」
そういって、紅羽は袁紹に怨みのこもった一瞥をくれた後に、その傍で控えていた炎樹に声をかけた。
「炎樹、"紅血剣(こうけつけん)"と"輪光剣(りんこうけん)"をここに……」
「は! 既にこちらへご用意させていただいております」
「ありがとう炎樹、それでは皆様方! 若輩の身ではございますがどうぞ御覧いただきますよう!」
といい放ち、二振りの剣を掲げた瞬間、会場はおお! というどよめきに包まれた。
紅羽が振り上げたのは母、朱禹より受け継いだ二振りの剣であった。
燃え盛る炎のような真っ赤な剣が「紅血剣」、夜を照らす太陽を思わせる眩い金色の剣が「輪光剣」。
その紅い、燃えるような耀きと、眩いばかりの金色の耀きに照らされた紅羽の、高貴であり、また堂々とした姿に、場にいる誰もが心惹かれる思いであった。
そして剣を掲げた勢いのままに紅羽の剣舞が始まった……
前半はまるで、大地の怒りを想起させるような、激しい舞いに皆一様に驚愕し、思わずおののく者達もいたが、その前半とは打って変わって、後半は大地を優しく照らす春の日差しを思わせるような舞いとなり、その姿に誰もが心打たれていた。
その中には感動のあまり、涙を流すものさえいたという。
そして誰ともなくこう呟く者がいたという、曰く「天の遣わした"光輝の皇子"である」と。
こうして、冀州に留まらず大陸、果ては洛陽におわす、帝に至るまで知らぬ者は無しとされる"光輝の皇子"誕生の瞬間であった。
しかし、それは彼の栄光と共に語られる、余りにも苦しい、苦難への道程の始まりでもあった。
追記:文章を改訂しました12/27