ハイスクールD³   作:K/K

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復活、吸血

 肉塊から伸びる人の腕の太さ程の触手。その速度はかなりのものであったが、『騎士』である木場の目から見れば遅い。

 触手の先端が触れる前に、木場は既に側面へと移動し、伸ばされた触手に聖魔剣を振り下ろす。

 

(硬いッ!)

 

 刃が触手の肉に触れた瞬間、その感触が即座に木場の脳へと伝わる。石や鉄などの硬度的な硬さでは無く、密度が高いゴムを彷彿とさせる強い弾力性を含んだ硬さであった。

 刃を弾かず、ある程度埋めてから止まる、というこちらの動きを鈍らせようとする地味ながらも厄介なものである。

 木場の判断は迅速であった。聖魔剣の刃が触手に食い込むと同時に手を放し、即座に新たな聖魔剣を創造すると、それで食い込ませている聖魔剣を上から叩く。

 火花が生じ、耳奥が痛くなる高音が響くが、木場の一撃で伸ばされた触手は切断された。

 斬れないことは無い。そう確信する木場だが、触手の断面と断面が蠢くのを見てすぐにその場から離れる。

 触手の断面から更に細い触手が何本も生え、木場を絡め取ろうとするが、木場が既に離れているせいで触手の群は空振りする。暫くの間は木場を探していたが、近くにいないと判断すると、断面同士の触手が結び付き、結び目が同化し、繋ぎ合わさって元の姿に戻る。

 雌雄同体の交尾の様な光景であり、その見た目のせいもあって傍から見ていた木場の気分を著しく害す。

 一方で、イリナの方も触手に苦戦を強いられていた。

 天使に転生したことで実力は底上げされており、速度も木場に劣らないが、力の方が今一つ劣る。故に、木場がやった方法でイリナは触手を切断することは出来ない。

 が、そんなことはイリナ自身、触手に『擬態の聖剣』を斬った時に気付いていた。

 ならばどうするのか?

 答えはイリナの中に既にあった。木場が自由自在に魔剣、聖剣を創り出せる様に、イリナの『擬態の聖剣』は変幻自在である。

 肉塊の触手が、イリナを叩き伏せようと持ち上げられる。イリナは触手が作り出す影の中で動かない。

 動かないイリナに、躊躇なく振り下ろされる触手。しかし、その触手はイリナを叩き潰す直前に動きが止まった。その触手の何箇所が絞られた様に細まっており、腸詰めの様な形になっている。

 イリナが『擬態の聖剣』で触手を斬ったときに、聖剣の一部を切り離し、細いワイヤー状にして触手に巻き付けていた。巻き付けた聖剣のワイヤーは、近くの瓦礫などにも伸びて巻き付いており、触手は自らの力と瓦礫の重みできつく縛られていく。

 痛覚が無いらしく縛られている状態で更に力を加えていく触手。それでもイリナに触れることが出来ず、最終的には自分の力で自らを何等分にも分けてしまった。

 輪切りとなった触手。地面の上で陸に上がった魚の様にのたうち回る。

 

「うえー……」

 

 生理的嫌悪を覚えるイリナ。遠巻きに見ていたディオドラの眷属たちも声に出さないが、イリナと似た様な顔付きになっている。

 すると、輪切りにされた触手も木場が斬った触手と同じく細い触手を伸ばし、繋ぎ合い、引き寄せて元に戻る。瞬きの合間にほぼ行われ、数度目の瞬きの後には繋ぎ目すら消えていた。

 

「何なのこれ!」

 

 イリナが思っていることを叫ぶ。見た目は生物なのだが、どうにもそれだけでは無い。木場もイリナもあまり認めたくない事実だが、現れた肉塊からは神器、悪魔を連想させる気を感じていた。

 醜悪な存在から自分が良く知る気配を感じ取ったことに不快感を覚えるが、重要なことである。

 そして、もう一つ見過ごせない気配がある。木場、イリナの感覚がそれを訴えているが、感情が思わず拒もうとする。

 木場たちの前で元に戻った触手。するとその表面が波打ち始める。嫌な予感がし、イリナと木場はすぐさまその場から離れる。

 波打った部分が盛り上がり、そこから新たな触手が枝分かれして伸びる。鞭の様に振るわれるのでは無く、先端が鋭利になり相手を貫く為のものに変化していた。

 既に間合いから離れていた木場たちは無事であったが、触手の柔剛を自在に分ける特性に一筋縄ではいかない相手だと再認識させられる。

 

「――木場君、あれには触れない方がいいかも」

「――やっぱりイリナさんも、そう思う?」

 

 見過ごせない気配。それは、あの肉塊から聖剣の気配が放たれているのだ。どうやら体の内に取り込んでいるらしいが、誰が、どうやって聖剣を手に入れ、何故この肉塊にあたえたのかまるで分からない。

 しかし、確かなのは木場にとって肉塊の一撃は強烈な毒が含まれているということ。それは、少し離れた場所にいるディオドラの眷属たちにとっても、であるが。

 肉塊の本体が、伸ばしていた触手を戻す。目や鼻などの器官は見えないが、何かで木場たちの位置を察知している様子であった。肉塊の表面に張り付いている半分溶けた状態の悪魔の顔たちを代わりに使っているという想像はしなかった。出来ればしたくはない、既に亡くなっている方が彼らにとっては救いであり、もし生きているとしたら――

 

(止めよう、こんなことを考えるのは。今はそれよりも優先することがあるじゃないか)

 

 悪い方向に向かおうとしている思考を木場は修正する。嫌なものを見ると、自分の中で嫌なものが生まれてくる。

 

「木場君。あの人たちのことだけど……」

「ああ、それは僕も考えていたよ」

 

 チラッとだがディオドラの眷属たちの様子を窺う。突然現れた肉塊に驚き、嫌悪しているが怯えは見えない。が、焦ってはいる様だった。

 彼女たちは、朱乃とリアスの魔術によって拘束され動けない状態にある。そんな状態で悪魔を捕食する肉塊が来たとなれば、彼女らは肉食獣の前に置かれた餌、俎板の鯉同然。焦るなというのが無理である。誰だって食われて死ぬという結末を迎えたくない。

 木場は一本の魔剣を創造する。飾りなど一切無く、真っ直ぐな刃と鍔と柄だけの、剣という言葉をそのままイメージして創られた様な素朴なショートソード。

 

「対魔術用の魔剣だよ。これで斬れば部長たちの魔術を解除出来る」

「……いいの?」

 

 ディオドラの眷属を生かしたい、話したいというのはイリナの個人的な意見であり、我儘である。それを叶えてくれたことは、リアスたちへ感謝し切れ無い。自分の我儘に巻き込まれて、更にここまでしてくれる木場に対しイリナは申し訳なさを感じ、思わず念を押す様に確認してしまう。

 

「彼女たちをこのまま死なせる訳にはいかないんだよね?」

 

 木場は悪戯っぽくウィンクをしてみせた。軽い態度で、イリナに責任を感じさせない様にする。余談だが、木場の整った顔でされたそれは普段からは想像出来ない子供っぽさがあり、彼に好意を寄せている女性ならば一撃で落とせるものであり、特に密かに木場を慕っている某副会長なら物理的にも落とせる。尤も純真で一誠に好意を寄せているイリナには効果は薄いが。

 

「僕の方に注意を惹き付けるから、その内にイリナさんは彼女たちを」

「ありがとう! 木場君!」

 

 木場から魔剣を受け取り、イリナはディオドラの眷属たちに向かおうとする。

 その動きを察知し、肉塊の表面が盛り上がり始める。触手を伸ばす為の前動作である。狙う先にはイリナとディオドラの眷属たち。

 

「させないよ」

 

 その声をきっかけに、木場の周囲に魔剣が創り出される。刀身が燃え盛る魔剣。刀身から冷気を放つ魔剣。刀身に紫電を帯びている魔剣。各属性を宿した魔剣が十ずつ創り出される。

 聖魔剣で斬っても効果は薄かった。ならばどれが一番効果的か試すだけのこと。焼いて、凍らして、感電させ、それでダメなら溶かすか、砕くか、微塵切りにするか。

 木場の想像が尽きない限り魔剣の創造は終わらない。

 紫電の魔剣と炎の魔剣を手に取ると、先制の一撃を肉塊に向けて放つ。

 凍気の魔剣が群となって肉塊へと突き刺さり、刺さった箇所を中心とした肉塊を凍らせ始める。

 肉塊の一部から生々しさが消えていくが、肉塊の動きは鈍らない。凍った箇所が罅割れても体を動かしていく。

 とことん痛覚が鈍い肉塊に不快感を覚えながら、木場は注意を自分に向けさせる為に動き続ける。

 宙に浮かぶ紫電と炎の魔剣を発射し、肉塊に突き立てていく。魔剣が帯びた熱によって焦げたニオイが場に漂い始めていく。

 電気、高熱を体内に流し込まれていく肉塊。だが、何かしらの変化は見えない。少なくとも動きは変わらないままであった。

 注意を向けさせるつもりだったが、肉塊の狙いを変えることが出来なかった為、すぐに移動し、イリナの背を守る様に立つ。と同時に肉塊から触手が伸ばされる。

 先程と同じく直線的動き――かと思いきや、伸ばした触手の表面が震え、そこから新たな触手が伸び、枝分かれしながら木場たちに迫る。

 それは肉塊なりに学習しての攻撃行動だったかもしれない。あらゆる方向から来る触手。しかし、木場から見ればそれは脅威では無い。

 

「甘いよ」

 

 木場が足先で地面を軽く叩くと、地面を突き破って様々な魔剣が飛び出し、下から肉塊の触手を迎撃する。下から現れた魔剣が触手に突き刺さり、上へ押し上げたかと思えば外れた魔剣が上から降り、地面に縫い付ける。

 木場自身も魔剣、触手の中は高速で移動する。油断すれば魔剣による大怪我か、聖剣の気配を纏う触手に巻き付かれる危険地帯を、その足を止めることなくすり抜けながら尚且つ両手に持つ魔剣で次々と斬り裂いていく。その間にも肉塊に創造した魔剣が次々と突き刺さる。

 電熱と炎熱によって触手が断たれ、地面に落ちていく。その断面が炭化し、すぐにくっつけられない様になっていた。

 初撃の様な腕の太さ以上ある触手なら、例え両手の魔剣でもここまで容易く切断出来ない。枝分かれをして一本ごとが細くなっているからこそ可能なのである。

 枝分かれの触手が、木場の顔面を貫こうとする。首を傾け、頬の皮一枚どころか髪一本すら掠らせない紙一重以上の回避をすると同時にその触手を切り落とす。すぐさま次の触手が鞭の様に振るわれるが、それよりも速く木場の魔剣が触手を斬る。

 

(ん?)

 

 しかし、他の触手よりも一回りほど太い為か、このままでは完全に斬り落とせないと即座に判断すると魔剣から手を放し、影すら追い付けないと思わせる速度で柄を蹴り付ける。

 蹴りで勢い付いた魔剣は、食い込んでいた触手を切断する。その勢いのまま回転し、大きな円となった。

 回転する魔剣に手を伸ばし、柄を掴むとそこから振るう木場。下手をすれば手首が斬り落とされていたかもしれない寒気立つ真似を、涼し気な顔でさも当然の様に容易くやってのせる。

 肉塊がイリナに触手を伸ばそうとしても、その矢先に木場が斬り落していく。遂には触手を伸ばす速度よりも、木場が斬り落とす速度が上回った。結果、本体である肉塊が無防備を晒すこととなる。

 木場は見上げる程の大きさがある肉塊の前に、その脚力を以て接近すると手に握る魔剣で肉塊に横薙ぎの一撃を与える。

 ジュッ、という焼ける音を立てながら、柄付近まで高熱の剣身を突き刺し、横に滑らす。

 肉塊に一文字の大きな裂け目が出来た。裂け目上下の断面は熱で焦げ、奥に行くほどその焦げは薄くなる。血というよりも体液そのものが無いことを、斬った手応えから感じる。

 そもそも肉の様な薄気味悪い色をしているが、どうにも違和感を木場は覚えた。見た目と手応えに何とも嚙み合わない感触がある。

 

(――まるで大きな口が出来たみたいだ)

 

 自分で斬った痕を見て、その様な感想を抱く。次の瞬間――

 

「き……ば……」

 

 ――裂け目が本当に口の様に声らしきものを発した。それも聞き取り辛かったが、自分の名前を言ったのだ。

 あまりに唐突過ぎたせいで、戦いの中だというのに木場は唖然としてしまった。

 自分のことを知っている。もし知っているとしたら、目の前のこの肉塊のことを木場も知っている可能性が高い。

 なら、この肉塊になる前は何だったのか?

 動揺のせいで、戦いの思考から肉塊の正体を探るという思考にずれてしまう。

 そのずれによって視野が狭まり木場には隙を、肉塊には機会を与える。

 肉塊の一部が触手を伸ばす。瞬時に最高速に達したそれは、発射と言ってもよい。

 狙いは木場では無く、ディオドラの眷属たちを逃そうとしているイリナ。イリナは肉塊に対して背を向ける格好であった。

 

「イリナさん!」

 

 木場が声を飛ばす。斬るよりもイリナに声を掛ける方が速い。自分で生み出したミスだが、伸ばされた触手をどうするかはイリナの実力に頼るしかない。

 ディオドラの眷属たちもまた自分たちの方に触手が伸びてきているのが見えていた。しかし、イリナはそれに背を向けた状態。このままでは貫かれるか、捕らわれる。

 

「逃げなさい!」

 

 ディオドラの『女王』が叫んだのは、悲鳴では無くイリナへの切羽詰まった警告の言葉。ふだが、既に触手はイリナの背後にまで迫っていた。

 手遅れ。その言葉が『女王』の頭を過ったとき、触手が花の様に開かれた。

 五つに分裂したのかと思ったが、違う。鋭利な刃で裂かれた断面となっており、イリナと反発する様に触れることが出来ずにいた。

 何が起こったのかと驚く『女王』。そのとき、光に反射し一瞬だけだが細長い糸らしきものが見え、疑問が一気に氷解する。

 先程イリナが見せた様に、彼女はディオドラの眷属たちを解放する傍らで、周囲に『擬態の聖剣』で作ったワイヤーを張り巡らせ、結界を作っていたのだ。

 幾重にも張ったワイヤーに触手が自ら突っ込んでいったことで裂かれ、そこから更に襲い掛かろうにも張ったワイヤーが絡まって身動き出来ない状態になっている。

 まったくそんな素振りを見せなかったイリナに『女王』は戦慄する。仮にイリナと戦えば、気付かぬ内に周囲一帯に罠を仕掛けられ、罠と気付いたときには首を落としているだろう。

 密かに慄いている『女王』をイリナはジッと見つめ――

 

「どうもありがとう!」

「――はい?」

 

 ――礼の言葉を送る。送られた方は、いきなりのことで困惑した声で返すことしか出来なかった。

 

「逃げて、って言ってくれたから」

「……言い間違えただけです」

 

 本意では無いと言うが、イリナは嬉しそうな表情のまま、素早く彼女たちの拘束を解く。

 

「さあ、行って!」

「捕らえた相手をわざわざ逃がすのですか?」

「いいから! 早く! あまり時間は無いわ!」

 

 聖剣のワイヤーから逃れ様とする触手。肉塊の追撃は、木場が次々に落としている。しかし、いつまで持つかは分からない。

 

「貴女たちは安全なところに逃げて! 生き延びて! じゃなきゃ、私たちの負け!」

 

 イリナはディオドラの眷属たちを誰一人死なせないと誓った。彼女たちの人生が不幸に塗れたまま終わっていい筈が無い。悲劇と苦難を味わった彼女たちを救うことこそが今のイリナの使命である。

 

「ですが――」

「早く!」

 

 何か言いたげであった『女王』だったが、イリナは言葉を被せて急かす。ワイヤーで拘束された触手が枝分かれし始めた。再び攻撃をしてくる。

 

「分かり、ました」

 

 『女王』が他の眷属たちに目配せをすると、全員が頷き、悪魔の翼を広げる。ディオドラの眷属たちが、この場から飛び立った直後に触手の攻撃が再開される。

 イリナは『擬態の聖剣』でそれを打ち落とし、別方向から迫ったものは軌道を逸らす。

 剣戟と羽ばたく音でイリナの耳には届かなかったが、去り際に『女王』はこう言い残す。

 

「貴女も、死なないで下さいね」

 

 四方から襲い掛かる触手を捌いていくイリナだが、数が多く拮抗するので精一杯であった。躱し、払い、斬る、の動作を速い動きと短い間隔で何度も繰り返す。その繰り返しはイリナの体力を激しく消耗させる。

 

「こ、の!」

 

 イリナの斬撃が触手に食い込む。

 

(あっ)

 

 同時にイリナは自分のミスに気付いた。触手に深く聖剣を食い込ませて過ぎたせいで、それを抜くのに体の動きが一動作遅れる。体に無駄な力が入ってしまいそれが剣に伝わった結果である。

 

「やばっ」

 

 逃げ場を埋め尽くす触手の群。捕まえられたら、肉塊に張り付いている悪魔たちの様になる。

 そのとき、赤熱と紫電の線がイリナの視界を覆い尽す程に描かれ、その線が触手を切り落としていく。

 

「ごめん! 大丈夫だった? イリナさん!」

 

 線を描いたのは木場であった。イリナが見たのは、速過ぎる剣速が空間に残したいくつもの残像であった。

 

「ありがとう! 木場君!」

「彼女たちは、無事逃げられたみたいだね」

「ええ! あとは目の前のあれを――あれ?」

 

 木場の魔剣創造を全力で使用された肉塊は、余すところ無く魔剣が刺さっており、地獄の針山を彷彿とさせる姿となっていた。

 肉塊に目を向け、イリナは戸惑った声を出す。イリナが何に戸惑ったのか、木場にもすぐに分かった。

 

「――小さくなってるよね?」

「――そうだね」

 

 無数の魔剣のせいで分かりづらいが肉塊が一回り程の小さくなっており、見上げる程であった大きさも木場たちと同じ目線の高さにまでなっている。それに伴ってか肉塊の表面に張り付いていた悪魔たちの残骸も消えていた。

 理由を考えるならば、魔剣の斬撃によって体力や肉体を消耗したせいという理由が思い付く。このまま行けば肉塊は収縮していく筈――という楽観的な考えを木場は出来なかった。

 あの時確かに聞いた自分の名を呼ぶ声。それが木場に胸騒ぎを与える。

 だが、そんなことを考える暇を肉塊は木場たちに与えない。肉塊の左右から触手が伸びる。今までとは変わりない行動だというのに、木場には肉塊から腕が生えたという印象を受けた。

 生えた触手は、伸びながら木場たちに向けて振るわれる。

 技術も変哲も無い一撃。木場は魔剣を交差しそれを受け止めようとし、イリナは聖剣で上手く軌道を逸らそうとする。

 触手が木場とイリナの剣に触れる。

 

『ッ!』

 

 その瞬間、木場は防御を、イリナは逸らすのを止め、即座に回避に切り替えた。

 触手の一撃が、先程よりも明らかに重くなっており、普通に受ければ防御を突き破り、逸らそうとすれば力で押し負けるというイメージが、二人の頭の中で閃光の様に浮かんだのだ。

 イリナは背中の翼を広げ、後方に向かって飛ぶことで回避。木場は、魔剣を一本にして触手が防御を突き抜けてくるまでの時間を僅かに稼ぎ、魔剣がへし折れるまでのその僅かの間で『騎士』の速度を生かして触手の間合いから離れた。

 木場とイリナの目が合う。互いに同じ行動をとったことで、自分が感じたものが正解であったことを確信する。

 

「何か……強くなってない?」

「――間違いないね」

 

 木場たちを逃した触手は、しばらくの間木場たちを探す様に左右に動いていたが、いないと分かると肉塊の方へと戻っていく。しかし、取り込まれる事無く垂れ下がる形で留まる。その垂れ下がる姿は、やはり両腕に見えた。

 肉塊は、木場たちが警戒している前で攻めてこないと分かっているのか、全身に刺された魔剣を、腕もどきで一本一本引き抜いていく。

 カチャン、カチャンと地面に放り棄てられる魔剣。肉塊の変化は、その間にも起きていた。

 まず、肉塊の下半分が急に縮まり始め、上の半分以下の太さになると二つに分かれる。それはどう見ても両脚であり、その二本で体を支える。

 そして、楕円状の上半部も細まっていき明らかに人の体へと近付いていた。

 無駄なものが削ぎ落されていくのではなく、完全なものへ成っていく肉塊。その姿に木場は既視感を覚えた。

 見るだけで嫌悪感が湧く既視。

 

「君は……誰なんだ?」

 

 

 ◇

 

 

「あー、あ、あ、あー、」

 

 何も無い空間で、白髪の青年が調子の外れた鼻歌を歌う。

 突然現れた羽の生えた連中は、既に全員白髪の青年によって殺され、喰われた。残るのは白髪の青年だけ。

 

「何だろー? 何だろうなぁー? 何なんでございましょう? あのグサグサ感アーンドアチアチビリビリ体験はー? 痛いし、熱いし、痺れるし、最悪なんですけど? 誰? 誰? どこの誰がやったの? 見えないインビジブルなSM嬢さん? すみませーん! どっちかっていうと僕、Sなんですよー! 攻守交代しましょー!」

 

 誰もいない空間で一人喋り続ける。自分で言っていて、自分が何を言っているのかさっぱり分からない。何故かすらすらと口から出てくる。だが、止める気は無い。

 これがしっくりとくる。この支離滅裂さが空洞となっている青年の中を刺激する。

 

「他に誰も居ないですよーん? 俺様お一人様ですよー? 先に何か性癖とかカミングアウトしてた方がやりやすいっすか? 言っても良いけど引かないでね? 割とハァァドなのが好きだから!」

 

 考えなくても口から言葉が滑り出てくる。他者が聞けば意味不明な言葉だが、白髪の青年にとっては言葉の一つ一つが彼にとって意味の有るものであり、言葉が飛び出てくる度に内にあるものが多いに刺激される。

 

「それとも予約が必要? あ、予約名なら、なら、なら……ならららららら?」

 

 だが、肝心の自分の名前だけは思い出すことが出来なかった。頭の中身を絞り出して思い出そうするが、最初の一文字どころか関連するものすら出て来ない。

 そのもどかしさは苛立ちになり、即座に怒りとなって爆発する。

 

「鬱陶しい! 鬱陶しい! 鬱陶しいんだよ! くそったれがぁぁぁ! 何で出てこないんだよ! 何で忘れてんだよ! 俺を苦しめるんじゃねえよ! おい! 名前! 名前如きが何様だぁぁぁぁ!」

 

 地団駄を踏み始めたかと思えば、思い出せない名前に怒りをぶつけて喚く。常人には理解し難い行動を、全力で、何の疑問も無く行っていた。

 

「あがああああああああああああああ!」

「黙れ」

「あああー……ああ?」

 

 叫ぶ青年に鋭い声が飛ぶ。声の主は、山高帽を被り黒のスーツを着た男性であった。

 

「どちらさんでしたっけ……?」

「馬鹿が極まったか。遂に私の名すら忘れたようだな、フ■■■」

「あ、それ」

 

 スーツの男が発した言葉。途中で雑音が混じった様に聞こえなかったが、間違いなくそれこそが自分の求めていたものだと分かった。

 

「それが俺の名でしょ? もう一度言ってちょうだーい」

「どうやら真の馬鹿になった様子だな。まさか自分の名すら忘れたとは……」

「うるせえ! 早く言え! それは俺のもんだろうがよぉぉ!」

「断る、と言ったら?」

「決まってんでしょ……?」

 

 フリードは口の両端を限界まで吊り上げ、凶笑を見せる。

 

「喰らって取り込むだーけ。そしたらそれは俺のもん」

「一度に取り込み過ぎて記憶が混乱しているのか? まあ、いい。私とお前、取り込んだ数に大差は無い。これが最後だ。お前を取り込んだとき、私は主導権を握り奴に復讐が果たせる!」

「奴? 奴ってなんだっけ? でも、何だかとってもイヤーな響き」

 

 腕を組みながら、何とか思い出そうとする。

 

「ま、いいか。あんたを殺れば思い出しそうだし」

 

 が、たった数秒でそれも止めてしまった。

 

 

「覚えておけ。奴を殺すのはこの私だ!」

「知ーりませーん! そんなこと! 先に殺ったもん勝ちでぇぇぇす!」

 

 残った二人は、ただ一人となる為に最後の戦いを始める。

 

 

 ◇

 

 

 肉塊の体は、既に人の形まで変化していた。人間が肉の皮を全身に被ったら今の様な姿になるだろう。

 

「人……だよね?」

「恐らくは……」

 

 肉塊の不気味な変化を警戒して木場もイリナも斬りかかれない。どんな反撃をされるか警戒し、攻めることよりも守る方に意識が傾けられていた。

 すると、肉塊が顔らしき部分を両手で掴み、左右に引っ張り始める。

 

「な、何?」

 

 頭を左右や前後に振り乱しながら顔を引っ張り続け、暴れる。離れた位置で見るそれは不気味としか表現出来ない光景であった。

 顔面を左右に回してもがく肉塊。やがて、布地が裂ける様な音が沈黙の中で響く。

 肉塊の頭頂部らしき箇所に裂け目で出来ており、そこから覗かせるのは間違いなく人の毛髪であった。

 あの肉塊の中に人がいたという事実に、木場とイリナは驚きを隠せない。

 裂け目が出来ればあとは簡単に引き千切られていく。左右に引っ張られる肉塊の表皮。中から現れたそれは――二度目の衝撃が木場たちを襲った。

 

「う、嘘!」

「ど、どういうことだ? 何故、君が……!」

 

 肉塊の皮の中から出て来たのは、二人もよく知る人物。目を惹く白髪、整った顔立ち、その顔立ちを台無しにする狂気染みた目付きと笑み。

 

『フリード・セルゼン!』

 

 木場とイリナが口を揃えてその人物の名を叫ぶ。

 フリードは、皮を引っ張るのを止め、木場たちの方を向くといっそ無垢とすら感じさせる満面の笑みを見せる。

 

「そうそう。それそれ! そんな名前だったわ!」

 

 

 ◇

 

 

 オーディンは、獣の穢れによって汚染された空間を正しくする為の魔術を頭の中で構築していた。片目を代償として、人間が一生を懸けても得られない魔術の知恵がオーディンの中にある。

 時間をかければもっとしっかりとした魔術を創造することが出来るが、今は一分一秒でも惜しいので、急場しのぎとなるが簡易且つ即席の魔術を創り出す。

 魔術の構築は済んだ。だが、魔術を使うには魔力が必要となる。その魔力は、獣の穢れのせいで内から外へと出すことが出来ない。

 ならば答えは簡単である。内から無理矢理魔力を引き出せば良いだけのこと。

 オーディンはグングニルを握り、その穂先を徐に掌へと向けた。

 力を込め、黄金の穂先を掌に突き刺し、その状態でグングニルを動かす。

 グングニルを伝わって滴る血。掌に刻まれていく傷。しかし、グングニルの動きは止まらない。

 掌に刻んで描かれた魔術文字。血の滴りで赤く染まった土に、その掌を当てる。

 

「さて、行くとするか」

 

 流れる血と共に体内の魔力を放出する。途端、それに反発し全身に痛みという負荷が掛かってくるが、オーディンは魔力を流すことを止めない。

 流血に込められた魔力と大地に染み込んだ魔力が繋ぎ合わさり、そこに発動した魔術が加わる。

 歪み、穢れた空間を正し、清浄化する魔術が大地に伝わり、その大地が空に影響を与える。

 一般人には何が起きているか分からないだろうが、オーディンの目には空間が点滅、歪曲を連続して繰り返している光景が見えた。無理矢理正そうとしている影響である。

 暫く間、目に悪影響を及ぼす光景が続いたがやがて間を置き始め、規模も小さくなり、最後には収まる。同時に体に掛かっていた負荷も消えた。

 

「――まあまあと言ったところかのぅ」

 

 即席の魔術へのオーディンの評価は、五十点といった所であり満足のいくものではなかった。

 あくまでその場しのぎもの。獣がタンニーンによって離されたことで穢れの濃度が薄まった影響も成功の理由であった。効果と速さを優先したせいで魔術自体の強度は脆い。

 

(さて、タンニーンの方まで届いているかのぅ)

 

 獣と真っ向から戦っているタンニーンにもこの魔術の効果が伝わって筈だが、こことタンニーンとの位置では穢れの濃度が違う。全く効果が無いまではいかないが、大分魔力を出し難くなっているだろう。尤も何もしなければいずれは獣の穢れのせいで魔術が破壊されるが。

 それを維持する為に動けなくなってしまうオーディン。それを歯がゆく感じる。せめて、シンの治療を、と考えたとき背筋に悪寒を感じた。

 魔人の気配。オーディンは、その気配の先へ反射的にグングニルを向ける。

 

「お主……」

 

 グングニルの先にはシンが立っていた。オーディンは、シンが魔人であることは知っている。知っているが、グングニルを向ける程の脅威を感じてはいなかった。魔人の中でもシンの気配は弱い。しかし、だというのに今のオーディンはシンにグングニルを向けている。

 

「足の怪我は――」

 

 オーディンの目線が下に向くと言葉が途切れる。シンの右膝から下は無い。だが、傷口から垂れた血が、雑に筆を走らせて描いた様な輪郭だけの右脚を作り、それがシンの体を支えている。

 地面に着いた血の右脚を中心に、ゆっくりと血溜まりが広がっていく。

 

「どうなっとるんだ、それは」

 

 シンの右脚の様子を確認する為に一歩前に出るオーディン。すると、オーディンの掌から垂れる血が霧状に変わり、シンの体に向かって伸びていく。

 その現象にオーディンは思わず前に出た体を下げる。すると、伸びていた血は空中で霧散した。

 

「あまり、近寄らない方がいいですよ。どうも、力を上手く制御出来ないので……」

 

 シンはオーディンと目を合わせないまま、そう呟いた。彼の目は、タンニーンと獣がいるであろう場所に固定されている。

 

「一体何が起こった?」

 

 魔人の気配を濃くさせたシンにオーディンが問う。その言葉には、シンに対する心配と警戒が含まれている。

 

「取られたものを、取り返してきます」

 

 シンの返答は、オーディンの問いに沿ったものでは無く、止める間も無くシンは目線の方角に走っていく。

 土を駆ける足音と、水が跳ねる様な足音が交互になり、走った後には血の足跡を残していく。

 シンの姿は、瞬く間に小さくなる。走り去るシンを、オーディンは止めなかった。声を掛けて制することもしない。

 重傷を負った魔人が再び立ち上がり、同種の存在に立ち向かう。この一連の流れ、まるで予め定めてあったかの様に出来過ぎている。

 魔人同士の運命かもしれない。しかし、その出来過ぎた運命の裏で誰かがほくそ笑んでいるのをオーディンは感じた。

 きっとシンとあの獣が戦えば、潜むものにとって望ましい展開になるかもしれない。この戦いに於いて、最良の結果となるかもしれない。

 しかし――

 

「あー、空気が美味い」

 

 思考するオーディンの側で、若干間の抜けた台詞が聞こえた。

 

「――大人しくせんでよいのか?」

「お陰様で、大分良くなりましたよ。それにしても、本当にここは空気が美味いっスね」

 

 獣の穢れによって一時的に戦闘不能寸前にまでされたデュリオが、普段通りの覇気の抜けた態度で戻って来ていた。

 

「それで、シンたんたちは、どこに行きました?」

「じっとしていろ。――次は堕天どころか魂ごと潰されるぞ?」

 

 獣ともう一度戦おうとするデュリオに、オーディンは視線を鋭くし釘を刺す。神滅具で穢れへの抵抗力があるが、それにも限界である。ただでさえ、天使という穢れに対して弱い存在ならばその抵抗力も更に落ちる。

 

「いやあ、やられっぱなしは嫌ですし、何より自分よりも年下が無茶をしているかもしれないと思うと、つい助けたくなっちゃうんッスよね」

 

 三枚目を気取る様にヘラヘラと軽薄な笑みを見せ、余裕がある風に振る舞うデュリオ。しかし、オーディンの目はそんな上っ面では誤魔化されない。血の通いが悪い蒼白い肌、時折乱れる呼吸、輝きが色褪せている天使の力、万全とは程遠い体調であった。

 大分良くなったと言っているが、実情は雀の涙程の回復なのが分かる。いつ倒れてもおかしくない状態を気力によって支えているのが、今のデュリオであった。

 天使たちにとって希少な神滅具所有の転生天使である。もし、ここでデュリオが死ぬような事態になれば、それを見過ごしたオーディンの責任になるし、天使と北欧勢力との間に溝が出来ることになる。

 警告し、絶対に獣の下へ行かせないように止めるのが正しい選択なのだろう。

 

「――そうか。無茶はするんではないぞ」

 

 正しい、正しいが、その正しさがこの状況を好転させてくれる訳では無い。魔人相手に無難な選択、分かり易い選択をして勝てる筈が無い。常識に則って勝てる相手ならばとっくの昔に魔人など全滅している。

 だからこそオーディンが選ぶのは大多数が選ばない選択。それを選んでこそようやく相手と同じ土俵に立てる。

 九十九パーセント失敗すると分かっていながら敢えて残りの一パーセントを選ぶ。そして、自分ならその一パーセントでも成功する、という傲慢なぐらいの自信がないと神などやれはしない。

 

「ま、死ぬつもりはサラサラ無いですよー。まだまだしたいこともやらなきゃいけないことも山ほどあるんで」

 

 死地に向かおうとする者とは思えないほどその言動は軽い。楽観視している様には見えない。死ぬかもしれないと分かりつつ自分らしく振る舞っているのだろう。

 

「行くなら足跡を辿ればよい。その先に二人はいる筈じゃ」

 

 オーディンに言われて、デュリオはここで血の足跡に気付き怪訝な顔をする。シンの足跡なのは分かったが、足跡は明らかに失われた右足の形をしており、それも血に塗れている。

 

「……脚、治ったんスか?」

「何とも言えんのぅ」

 

 曖昧な答え。だが、デュリオはこれ以上考えるのは止め、シンとタンニーンに合流することを優先し、足跡を追おうとする。

 

「ちょっと待て」

 

 直前にオーディンが呼び止める。

 

「お主にこれを渡しておく」

「――えっ!」

 

 デュリオはこの時ばかりは普段の飄々とした態度が消え、心底驚いていた。

 短い間に色々と驚かされたオーディンだが、それに振り回されるのも少々癪になってきた。今度はこちらから、この戦いに一石を投じる。

 

 

 ◇

 

 

 もつれあうドラゴンと獣。七つの頭がタンニーンの体に喰らい付く。二つの頭部は、タンニーンの両手が鷲掴みするが、残りの頭部は防げない。

 獣の牙がタンニーンの鱗に突き立てられる。ドラゴンの頑強な鱗を砕き、その下にある肉を獣の鋭い牙が穿つ。

 神経を一本ずつ火で炙られる様な噛む以上の痛みをタンニーンは感じた。獣は存在そのものが穢れに等しい。牙を濡らす唾液も猛毒以上なのだろう。心身共にどんな悪影響を及ぼすか分かったものではない。

 タンニーンは両手に掴んでいる獣の頭を叩き付け合う。二つの頭が一つに融合する。

 自由になった手で両脚に噛み付いていた二つの頭を鱗ごと剥がし、一方の開いている口の中にもう一方の頭の角を刺し、口蓋を貫いて頭頂部まで貫通させる。

 脇腹に喰らい付いていた頭の一つが、牙を離してタンニーンの腕に噛み付こうとするが、タンニーンはその頭を掴み、掴んでいる隙を狙って襲ってきた別の頭の口の中に捻じ込む。顎関節が限界以上まで開かれ閉じることが出来なくなった頭部を踏み付け、その重さで閉じるのを手伝う。獣の牙によってその頭部は切断され、首の断面からはどす黒い血が噴き出た。

 残り一つとなった頭は、首を見た目以上に伸ばしてタンニーンの喉元を食い千切ろうとするも、タンニーンはその首を片手で掴んで締め、伸びた頭はもう片方の手で掴み取ると同時に百八十度捻じ曲げる。

 七つの頭部をどれも無残な状態へと変えた後にタンニーンは獣から離れた。

 

「ふぅ……」

 

 一息入れる。ようやく()()()()()()()()

 バキバキと凄まじい音が鳴る。見ると、口に頭部を突っ込まれた頭が、その頭部を嚙み砕いていた。砕き、咀嚼し、呑み込む。すると、切断されて首の断面から黒い血が風船の様に膨らみ、弾けるとその中から無傷の頭部が現れる。

 次に剥がれる音と粘着音が合わさった不快音。二つに融合された頭部が剥がれ、顔を半分潰された状態のままタンニーンの方を見る。

 口内を角で突き刺された頭部は口の中からその頭部を吐き出し、無理矢理入れられた影響のせいで顎が外れており下顎が左右に揺れる。

 首を百八十度捻じ曲げられ真後ろを見ている頭部は、そこか更に首を百八十度回転させて正面を向く。首の表皮は螺旋状に重なり、骨の一部が内から突いているのか首を歪な形にする。

 

「……ふぅ」

 

 タンニーンはもう一息入れて戦闘態勢に入る。さっきからこれの繰り返しである。

 潰そうが貫こうが獣はその桁外れの生命力で死なない。一時的に動きを止めることは出来るが、少し時間が経てばすぐに動き始める。その間にタンニーンが出来ることがあるとすれば、小休憩程度であった。

 戦っていて分かったことだが、この獣は物理的な攻撃が一切効かない。効かないどころか物理攻撃の力をそのまま再生能力に反転させている節がある。一度半分に抉れた獣顔面を殴打したとき、他の部位とは比べ物にならない速度で再生してみせた。

 タンニーンの推測の域は出ないが、それ以降直接的な攻撃を控え、獣自身を利用した戦い方に切り替えている。しかし、文字通り火力を封じられているタンニーンは徐々に追い込まれている。

 生命力という点に関しては、間違いなくタンニーンよりも獣の方が上である。戦う度にタンニーンの傷は増えていく一方。近いうちに先に動けなくなるのはタンニーンの方である。

 どうにかこの状況を打破する方法は無いかと考える。そのとき、体に纏わりついていたものが消えた様な感覚を覚えた。

 

 

(オーディンか?)

 

 試しに喉の奥で炎を灯す。普段よりも力を消費するが、何時でもブレスを吐けることを確認出来た。タンニーンの体を張った時間稼ぎが実を結ぶ。

 

(まだいけるな……!)

 

 内に火が灯ることで、それがタンニーンの闘志にも燃え移る。戦いの手段が増えれば、それだけ勝つ手段が増える。

 獣の体が半壊している内にダメージを与えられるだけ与える為に、喉の奥の炎を更に燃焼させ、それを吐き出す。

 

「――んっ!」

 

 つもりであったが、視界にあるものが入り中断せざるを得なかった。

 獣は重傷の筈の身体を痛みなど感じない様に動かし、タンニーンに飛び掛かろうとするが、あることに気付く。

 体中の傷から血が煙の様に立ち昇り、どこかに向かっていく。幾筋の血が向かうのは獣の背後。

 獣は目の前のタンニーンよりも自分の体に起こった異変を調べることを優先し、振り返る。

 獣から出る血は、いつの間にか背後に立っていたシンの体に吸い込まれていた。

 

「俺の脚は美味かったか?」

 

 向かい合う獣に、シンは問う。獣は答える代わりに、シンの頭蓋を嚙み砕く為に襲い掛かった。

 獣が襲い掛かるのと、シンが前に踏み込むのはほぼ同時であり、シンは獣の懐に入り込む形となる。

 

「お前の血は不味いな」

 

 吐き捨てると共に、シンは真下から獣の腹を蹴り上げた。それも無い筈の右脚で。

 オーディンが見た時は、血の線で描かれた輪郭だけの脚であった。しかし、獣の力を取り込んだことで、輪郭の中が血で満たされて血の右脚と化し、その右脚で獣を蹴る。

 シンの登場に驚くも、タンニーンは獣に物理攻撃は効かないと声を飛ばすつもりであった。だが、その声は飛ぶ前に呑み込まれた。

 獣の口から血塊が吐き出される。タンニーンとの戦いでそんなのは見せたことが無い。どういう理由か、シンの攻撃が獣に効いていた。

 七つの頭が一斉に血を吐き、体が宙に浮きあがる。獣が落下し始めるとシンは同じ箇所をもう一度蹴り上げた。

 再び宙に浮き上がる獣。今度は両翼を羽ばたかせてシンから離れた場所に着地するが、四肢が地面についた途端、獣はもう一度血を吐いた。

 降り立った獣の方にシンは向き直る。右脚は鮮血の様な赤がいつの間にか乾いた血を思わせる赤黒い色に変色していた。

 蹴りの反動からか赤黒い脚に亀裂が生じる。すると赤黒い血が剥がれ落ち、中から無傷の右脚が現れた。だが、元の右脚とは異なっていた。

 回路図の様に膝から足先にまで伸びる紋様。両手と同じ、紋様に沿って蛍の様な淡い光を放っている。

 新しい右脚の感触を確かめる様に爪先で地面を数度叩く。前と変わらないことが分かると、シンは獣に向かって右足から一歩踏み込んだ。

 その一歩で間合いに入れたのか、獣の吐いた血がシンに向かって吸い込まれていく。だが、先程とは違いその吸い込む力は弱かった。

 無数に分かれて向かって来ていたのが数えられる程度になり、向かってくる血の量も薄い。明らかに力が落ちている。

 まだこの力を制御出来ていないシンは、これを不思議に思うがすぐに理由を察した。

 あの時は、無い右脚を直す為に大量の血を必要としていたのだ。しかし、直ったせいで必要が無くなった。要は空きが無くなり力が弱まった、シンはそう考えた。

 この力は、獣と戦う為に必要なものである。どうやってさっきまでの威力を維持すればいいのか。

 答えはすぐに出た。空きが無いなら作ればいい。

 シンは、己の首筋に右手の指先を当てる。そして、一瞬の躊躇も無く首筋を引き裂いた。

 

「なっ!」

 

 タンニーンはシンの蛮行に絶句する。

 

 引き裂かれた傷から大量の血が流れ出て、シンの衣服を赤く染め上げる。

 大量出血の途端、吸い込まれていく血の量が増す。

 

「これで、空きが出来るな」

 

 赤い獣の前に、自らの血で己を赤く染める魔人(ケモノ)が立つ。

 

 




人修羅は吸血を覚えませんが、吸魔の応用的な技ということで。
今だったら女神転生4のエナジードレインを覚えそうですね。

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