首から勢い良く流れ出る血は、首筋を伝うまではまだ温かさを感じられたが、衣服を伝う頃には熱が抜け、冷たさしか感じない。血は命であり、血が命を内包する証明がこの温かさだとすれば、今体を伝っているものはただの液体にしか過ぎない。
冷たい液体ならば気を向ける必要など無く、それを惜しむことも無い。
自ら手で首を裂き、流血させたシンはその無茶苦茶な理屈で自分を誤魔化す様に納得させ、体内から血を噴き出させながら動き始める。
手負いとなった獣に近づくだけで、獣の傷から血が気体となって強制的に吸い出され、シンの体に取り込まれていく。
意識を失ってもおかしくは無い量の血液を獣から搾取し、それで輸血しつつ塞がらない傷から体外へ流す。
暴走状態にあるこの力を利用し、シンは獣の命を削り続ける。
命を貪り、それを吐き捨て、また貪る。攻撃というよりも命に対する冒涜そのもの行為。他者に嫌悪感を与えても仕方の無い攻撃方法。しかし、それを迷うことなく実行するシンの精神は、本人も気付かぬ内に常識の箍が外れていく。
だが、獣の方も黙って自分の命を餌とはさせない。大量の血を奪われ続けているのに、それを感じさせることなく獣は穢れた咆哮を上げる。
獣の生命もまた通常の認識では測れない領域にあった。
タンニーンによって半壊した七つの頭が、一斉にシンを見る。シンはその目線を受けて立ち止まった。獣の目線に怯んだからでは無い。ここで迎え撃つという意思の表示である。
獣はそれに応じる様に、一対の翼を羽ばたかせ、その場で跳躍。数十メートルの高度まで跳び上がると、そこからシン目掛けて滑空した。
獣は、滑空しながら七つの内三つの頭が咆哮する。三つの咆哮は重なり合って増幅され、神経を削るだけでなく直接的な破壊も秘めた見えざる破壊へと変わる。
シンは右手に魔力剣を形成する。その最中に血が流れ込み、魔力と血が混じり合って魔力剣の中で霞の様になり、魔力の輝きに照らされて赤色の魔力剣と化す。
破壊の咆哮に向けて、同じく破壊の波をシンは放つ。
咆哮に衝突する赤く色付いた陽炎。ぶつかり合う箇所だけ光景が歪み、その歪みと歪みが互いを破壊する為に更に空間をおかしくさせていく。
力と力の押し付け合い。勝ったのは──無し。互いの力を消し去ることが出来ず、相殺してしまい、残ったのはシンの前髪と獣の体毛を僅かに撫でるそよ風程度のみ。
攻撃が掻き消されたと理解する獣。だが、何も問題は無かった。三つの頭が動くと同時に残り四つの頭も攻撃に入っていた。
獣たちの口内に輝きを蓄える。その光は、喉から青白い光が透かし見える程の光量。
互いの一手目が互角と分かった瞬間には、四つの口から青白い光──雷光が飛び出していた。
その速度は雷と同じ。光がシンの目に映ったときにはもう遅い。四条の雷がシンの体に刺さる。シンの耳に雷鳴が届いたのは、丁度そのときであった。
シンが雷撃を受ける姿に、タンニーンは言葉を失う。本来ならば自分が盾となるべきであった。しかし、シンの自らの命を顧みない行為に唖然とさせられていたこと、負傷した体が咄嗟に動かなかったことがタンニーンの反応を遅らせてしまう。
電撃の直撃を見て動けなかった自分への怒りと後悔が同時に襲ってくる。
胸部に二。腹部に一。右肩に一。そのうちの一つは心臓を直撃していた。
身を以ってその威力を知っているからこそ、次に見える最悪の光景が頭を過ってしまう。
しかし、その最悪の光景はシン自身によって覆される。
「何だと……!」
体を電撃によって貫かれたと思われたが、貫かれたのは衣服だけ。その下のシンの体に僅かな焦げ跡を残す程度。体内に流れ、全身の細胞を焼き尽す筈だった電撃は、シンの体表で留まっているのか体から白い火花となって音を立てている。
シンが獣から血を取り込んで得たのは失った右脚だけではない。電撃を放つ獣からその力も奪っていた。しかし、これはあくまで偶然のこと。シンも電気に強い耐性を持ったことを今知った。耐性があると分かっていて獣の電撃を受けたという訳では無い。
何せ、最初から相打ち狙いだったからだ。
ヒュー、ヒュー。と火花の音と混じりながら風が抜ける音が聞こえる。続いて溺れているとも泡立たせる音ともとれるゴボゴボという音。
その音は、獣の方から聞こえた。
獣の首に、いつの間にか反対側が見える穴が貫通している。風の抜ける音はこの穴から獣の呼気が抜ける音。溺れる音、泡立つ音はそこから零れ出る獣の血であった。
獣が電撃を吐くと同時に、シンは左眼で獣を凝視していた。視線は螺旋の様に絡み合う蛇へと転じ、蛇が獣の首を貫いた。
獣の喉から出た血が、シンに吸い込まれる。取り込んだ血が、シンの体に付いた僅かな焦げ跡を再生させる。
シンは、頭の中でイメージを描く。体中を蛇の様に駆け巡る電流を自由に操るイメージを。
その図に従う様に、帯電していたシンの体から電気が『放電』され、元の主であった負獣へ反逆を起こす。
獣の傷口を狙って飛び込む電撃。場には獣の肉が焦げるニオイが──しない。電撃に焼かれる筈の傷は、それで穴を埋める様にして再生していき、『放電』が終わる頃にはタンニーンとシンが付けた傷が半分ほど無くなっていた。シンが与えた喉の傷も完治している。
(……調子に乗ったつもりは無かったんだが、間違えたな)
素直に悪手であったと認める。打撃が効き難いだけでなく、電気に対して耐性どころか吸収し、自分の力に変える能力もあることを知る。
シンが獣から奪ったと思った力は、それの劣化した一部らしい。
(いや、やっぱり調子に乗っていたかもしれないな)
気付かない内に高揚していたとシンは客観的に見る。右脚を奪った相手への報復の一撃。失った物を取り戻したこと。知らない内に手に入れた力。それを新しい玩具の如く即座に使ったこと。
積み重ねたことが自分の判断を誤らせた。だが、そう分かっていても自分を止められる気がしない。
流れ出て滴る血は、こんなにも冷たいのに。体内を駆け巡る血はこんなにも熱い。血流の速さが摩擦を起こして熱を生じさせているのかと有り得ないこと思ってしまう。
或いは、今もなお吸い続けている獣の血に酔っているのかもしれない。獣の血を取り込む自分もまた獣に近づいているのでは、とシンは考える。
だが、それで良いと思った。敵であろうと他者の血を啜る様な真似など獣同然。ならば獣同士争い、殺し合い、共喰いし、最期にはどちらも死に絶えればいい。その方が世が少し平和になる。
破滅願望の様な死を想うシンに相対しながら、獣の七つの頭が天に向かって叫びを上げる。悲鳴、苦鳴、憤怒、嘲笑、悲哀、殺意、狂気全てが混じり合い、聞く者の心を穢し汚染させる、聞くに堪えない叫び声であった。
その聞くに堪えない声を上げながら、獣はシンへ突進する。接近すれば接近するだけ傷から吸い取られる血の量は増す。だが、命を削られようとも獣は全く躊躇しない。
死に対する恐怖が無いのか。底無しの生命力を持っているという自負か。
七つの頭が同時に牙を剥き、左右上下とあらゆる逃げ場を封じた時差の無い七連攻撃。捌き切れなければ肉片一つ残らず、守っても同じく一欠片も残らない。
シンが選んだ手段は──
ガチン、という牙がぶつかり合う音が七つ重なる。それは獣の攻撃は空振った証明。貪る筈であったシンの姿が無い。
何処に消えたのか。
七つの内六つの頭が一斉に残る一つの頭を見る。その頭の頸部にシンがしがみついている。
七つ攻撃に対してシンが選んだのは前進。前に進むことで自分から距離を詰めて、首同士の間が広い内にすり抜けたのだ。
頸部にいるシンを振り払おうと獣は首を左右に激しく振る。しかし、その程度のうごきではシンを引き剥がすことなど出来ない。
揺さぶられながらも、シンの目は頸部にある傷を見ていた。タンニーンとの戦闘で付けられた深く抉られた縦長の傷。
何を思ったのか、シンはその傷に喰らい付く。両腕だけでなく口まで使って文字通りに噛り付いてでも離れないという意思の表れか。
当然、そんな受け身の為の行動では無い。攻める為の行動である。
獣の傷に噛み付いたまま、シンは肺を絞り、その傷に息を吹き込む。吐き出される息は、吐息ではなく魔力によって過熱され橙色に燃え上がる炎の息。
傷から流し込まれた炎の息は、獣の肉を内から焼き崩し、内部に達すると獣の口から吹き込んだ炎が噴き上がる。
そのまま内部から焼き尽そうとするが、残りの頭部が大人しくされるがまま見学している筈も無かった。
顔半分が潰れている頭部が、シンの脚に噛み付き引き離そうとする。幸い、獣の首ごとシンの脚を噛んだせいで噛み切るまでには至らなかったが、それでも鋭い牙が脹脛に数本刺さり、その内の何本かは肉を貫通していた。
一気に噛み切られるまでの間が生まれたが、それも僅かなもの。獣がもう一度顎に力を込めれば、自分の肉ごとシンの足を食い千切るだろう。
そうなる前にシンは動く。貫かれる痛みも、猛毒に侵された様な傷口の熱も全て些末なこと。動かなければ痛みは死に昇華する。
シンは炎を吹き込んでいた口と片手を離し、脚に噛み付いている獣の潰れている側頭部にその手を突き入れる。内部の肉が手の侵入を拒む様に硬直するが、指先に魔力を集中させたことで、それを穿ちながら奥に進んで行く。
手が頭部中心まで辿り着く。ここまでしても獣の顎はしっかりとシンの脚を咥えており、力が緩まない。
それならば、シンの攻撃も次へと移るだけのこと。
指先に集中していた魔力を、掌全体に行き渡らせる。本来両手を使う技だが、今回は片手のみ。狙いも発動も安定しなくなるが、獣の頭の中ならば何の問題は無い。
掌の送られる魔力が一定量を超える。すると、内部の魔力の光が漏れ出したのか、獣の両眼が蛍光色の光を放つ。
直後、掌から撃たれる光弾。密着をゼロ距離だとすれば内部から放つマイナス距離の一撃が獣の頭部上半分を粉砕する。
頭を二つ潰すが、獣の動きが弱まることは無く、残りの頭部がシンに迫る。
頸部から降りて、獣の背に降り立ったシン。途端獣は叫び、激しく体を揺さぶる。そこに居ることを拒絶するかの様に。
感情を一切感じさせない獣に、初めて見えた感情的とも呼べる行動。獣の背に乗るということは何か獣にとって特別な意味を持っているのかもしれない。
しかし、シンにとってそんな事情などどうでもいいこと。五指を広げ、足元目掛けて右手を振り下ろす。
五指から放たれる収束された魔力が、獣の背に五本の裂傷を刻み込んだ。開いた傷からは赤黒い血が噴き出し、それがシンの体へと取り込まれる。血を取り込むことで、首の傷も、先程噛み付かれた脚の傷も塞がる。
もう一度、シンは右手を振り下ろそうとする。だが、横から伸びてきた獣の口が、右手を咥える。
牙が手に食い込むと同時に、右手にありったけの力を込めた。容易く噛み千切られ無い為に。
左手で右手を咥え込む頭部に仕掛けようとするも、その前に左肩に獣が噛み付き動きを制する。
両腕を動かせなくすると、脇腹、左脚に獣の頭が喰らい付く。
「くっ」
シンの口から呻く声が洩れた。痛みによって洩れた声では無く、無理矢理体を動かす為に洩れた声である。
傷などはどうでもいい。血を吸えば塞がる。寧ろ手間が省けたとすら思っていた。しかし、それでは追い付かない程のダメージを受けたら──
残る一つの頭が、大口を開けてシンの頭を噛み砕こうとしている。流石に頭部を失って生きていると思える程、シンは自分の生命力を過信していない。
獣の歪に連なった牙が、シンの頭ごと命を砕こうとする。
牙が届くまでの僅かの間、シンは右足で足元を強く踏み付けた。
反動で体が後ろに反らされ、噛み付いている獣の牙が傷を更に抉っていくが構わない。
仰け反った体勢から右足を蹴り上げる。獣の顎を下から蹴り、下顎を変形させ強制的に閉ざす。だが、この一撃では足りない。
砕かれた顎が、右足を除けて開こうとする。もう一撃、ダメ押しとなるものを放たなければならない。
ふと、脳裏に浮かび上がるイメージ。右足が帯電したかの様に輝き、その輝きを後ろ回し蹴りと共に放つ。
今までの一度も試したことが無いのにやたら具体的な映像であったが、今はそれについてあれこれと考える暇は無い。
イチかバチか。やったことは無いが、右脚にまで紋様が浮かび上がった今だからこそ可能なのかもしれない。
砕いた獣の顎に、収束された魔力が撃ち込まれる。右足から放たれたそれは、獣の顎を下から撃ち抜いたそれは、獣の顔も貫き消失させる。
魔力が通過した後には、白煙を上げ断面と化した獣の顔。
頭をまた一つ潰したシンは、体に噛み付いている残りの頭を狙い、その全身から魔力を放とうとする。
しかし、シンの動きに気付いた獣は、一つを除いて噛み付くのを止め、素早く頭を引く。残る右手に噛み付いていた頭は、頭ごとシンを振り回し、投げ飛ばした。
空中に身を投げ出されるシン。目線の下に地面が見える。上下逆さまになっている体勢を宙にいるうちに直し、勢いが弱まり落下すると両足から地面へと着地した。
着地してもまだ勢いは止まらず地表を滑っていく。爪先を立て速度を殺すが、それでも着地した場所から十メートル以上も離れていた。
(左足もこれだったらもっと早く止まれたかもな)
素足の右と靴を履いた左足を見る。地面に刻まれたブレーキの痕は、左よりも右の方が深かった。
(……左も右と同じになったらもっと戦い易くなるのか?)
何の疑問も抱かずにそんなことを考える。戦うことだけに没頭し始め、常識から思考が外れてもシンは何もおかしいと思っていない。
(いっそのこと……)
独りである故に誰も彼を止めることは出来ない。考えは過激になり、狂気を帯び、死に侵されていく。
自分の命を軽んじ始める。それはいずれ他者の命すら軽んじることへの一歩。その道を突き進むならば、シンという存在は本当の意味で魔人と成る。もし、ここに彼の仲魔がいればここまでならなかったのかもしれない。彼女らは、共に戦い庇護し合う存在であると同時に、シンにとってブレーキでもあった。
彼女たちが居ない今、シンは獣の暴力と死に引っ張られる形で自らもそれに染まっていく。ある意味で、獣の穢れに毒されていると言ってもいい。
シンの右手に力が込められていく。痛みも恐怖も無い。刀剣よりも鋭く、綺麗に斬り落とし──
「そこまでにしておけ」
背後から伸ばされた大きな爪が、シンの肩に置かれる。
タンニーンは、シンが何を考えていたのかを見抜いたのか、自分への凶行の前にそれを止める。
「……今の俺に近付かない方がいい。この力をまだ制御出来ていない」
タンニーンの傷口から血が奪われ、シンへと注がれていく。
「構わん。欲しければくれてやる。だが、代わりに俺の話を聞け」
シンは、右手から力が抜けていくのが分かった。
「お前の戦いは危なっかしいな。見ていてひやひやさせられる」
獣に対し、自ら接近戦を挑んでいったせいでタンニーンはシンを援護することが出来なかった。タンニーンの巨体から放たれる攻撃は、それに見合って規模も大きい。獣を攻撃してシンを巻き込む可能性が高かった。
「あまり綱渡りな戦いをするな。対応が難しくなる」
「俺は──」
「少し待て」
何か言おうとするシンを遮った後、タンニーンは口を開け、獣に向けてブレスを吐いた。
太陽を連想させる巨大な火の玉が、傷を再生しようとしている獣に着弾すると、大地や天を焦がす火柱となり、その中で獣を焼く。
無傷ならば獣は例え燃やされていようと行動出来たが、頭を幾つも失い、体の至る箇所を負傷している今の状態では流石にタンニーンの炎は応えるらしく、炎の中で身を丸める。それでも生きている辺り、やはり獣の生命力は次元が違う。
「これで時間を稼げるな」
さらりと言うタンニーンだが、獣に受けた傷からかなりの量の血が出ている。オーディンの魔術によって魔力封じの効果は弱まったが、それでも負荷はまだありタンニーンの場合は傷口が開くという形で現れている。
その流れ出る血が、シンへと吸収されるのだから、シンにとって最悪の気分である。
「いちいち気にするな。行動も結果も俺の責任で、俺の意思だ」
「だが──」
「少し黙って俺の話を聞け」
不満はあるが、シンは大人しく口を閉じる。
「いいか良く聞け。獣を倒す為にお前自身も獣になる必要は無い。力に溺れるな。血に酔うな。痛みに鈍感になるな。己を見失って獣へ堕ちることの醜さは、あの時の俺の醜態で学んだ筈だ」
自嘲と自虐を込め復讐心に憑りつかれてシンに襲い掛かったことを思い出させる。
「己を保て。もし保てなくなったら頼れ。少なくとも今はここにお前に手を貸せるドラゴンが一頭いる──少々傷モノだがな」
冗談を混ぜながらももっと他人を頼りにするよう忠言する。或いは警告なのかもしれない。
シンの人生に分岐点が在り、仮に今とは違う選択を選んだとき、シンは孤高の道を歩むこととなっていただろう。誰にも頼らず自分だけの力で切り拓く道。そのシンは、今のシンよりも数歩先を行く強さを得て、唯一無二の強さに至っていただろう。
しかし、代償として己を見失いシンはシンとしていられず全てを敵に回す。隣に並ぶ者は無い、先に立ち塞がる者は無い、後を追う者は無い孤独の強さ。
「──頭に血が昇り過ぎていたみたいだ」
だが、所詮はもしもの話に過ぎない。シンがその道に進むには、他者との縁を結び過ぎていた。
タンニーンから吸い出される血の量が減り始め、最後には無差別の吸血が止まる。立ち止まったことで、ようやく力の扱い方のコツが分かった。
「ちょっと手伝ってくれるか?」
改めて協力してくれるようにタンニーンに頼む。
「前に言った筈だ。必要があれば呼べ、尽きるまでお前の為に我が力を揮おう、と」
当然と言わんばかりにタンニーンはそれを受ける。
肩を並べ立つ魔人とドラゴン。とは言え、二人ともかなりの深手を負っており有利とは言えない状況。獣も方が重傷だが、あちらの方は生命力の底から分からない。本当に死ぬのかさえ疑問に思えてくる。
その疑問を深めさせるように獣が超高熱の炎を突き破る。その姿は悲惨の一言であり、表皮は焼け爛れ、傷を負った部分は完全に炭化している。赤黒かった見た目が、今はほぼ黒一色と化していた。
しかし、当の獣は傷などお構いなく接近してくる。その最中に炭化している前脚が踏み出した衝撃で崩れるが、次の一歩を踏み出すときには前脚の断面から骨が突き出し、二歩目で肉が絡まっていき、三歩目には脚の形となる。焼け爛れた部位や傷口が目で分かる速度で肉が盛り上がり、部品を交換する速さで元に戻っていく。
破壊された頭部も骨から再生していき、元の形にしようと蠢いている。
悲惨という感想が一瞬にして吹き飛ぶ程の再生能力の高さ。絶命させるには、少なくとも原型が無くなるまでダメージを与えないといけないらしい。
「──いけそうか?」
「──まあ、何とか」
いっそ羨ましさすら覚える程の再生を見せつけられ、体中の痛みを感じながらタンニーンとシンは軽く言葉を交わす。
冷静になると同時に、シンは魔人としての力も落ちた、もとい落ち着いたのを感じる。先程の様に傷を短期間で治す、ましてや脚を生やすことなど出来る気がしない。シンの精神が魔人に寄れば寄る程に肉体はそれに呼応する様子。早く魔人になれと肉体が催促しているように思えた。
使えないなら使えないで仕方が無いと割り切ることに決めた。ないものねだりはしない。今は今ある力で戦うのみ。
まともに動けるまで再生したのか、獣の速度が歩きから徐々に速まり走りに変わる。それでも剥き出しの四肢を含んだ足で奔る姿は痛々しさと悍ましさを感じさせた。
真っ向から迎え打とうとするシンとタンニーン。すると、二人の間をすり抜けてフワフワと飛んで行く小さなシャボン玉。
シャボン玉はそのまま走り寄って来る獣に向かって行き、獣に触れると儚く弾ける──ことはなく、瞬く間に獣を包み込む巨大なシャボン玉と化した。
「間に合ったかな?」
背後から聞こえる声。振り向きたいところだが、目の前に獣がいるせいで気軽には出来ない。獣は自分を閉じ込めるシャボン玉に爪を立てるが、シャボン玉の膜はその爪を通さず、突き立てた分だけ伸びる。喰らい付くが牙も通じず、吼えるが音すら通さず、雷撃を放っても膜の外に出ること無く内側で止められる。
薄い膜一枚によって獣は完全に閉じ込められていた。
「
非常に長い禁手名を言いながら、声が近付いて来る。その声の主は、シンとタンニーンの間に入ってきた。
「大丈夫なのか?」
「心配ありがとさん。ま、何とかね」
シンは隣に並ぶデュリオを横目で見ながら尋ねる。デュリオは軽い態度であったが、その両眼には、衣服の一部を破いて出来た布が巻かれており、それで視界を閉ざしていた。
「ああ、これ?」
目を閉ざされた状態でも布越しで視線に気付いたのか、デュリオが両眼の布に触れる。
「オーディン様の魔術を刻んだ即席の穢れ防止アイテムだよ。こうでもしないと影響を受けるからね。おかげでここまで来るのに時間が掛かったよ、ごめんね」
視界が使えない分、肌で獣の気配を感じ取り、デュリオはここまで来ていた。獣の気配を感じるだけでもかなり消耗したが、何とか尽きる前に辿り着けた。
「本当ならあのシャボン玉の中であらゆる天罰を受けてもらいたいところだけど、情けないことに、そこまで力は残って無いんだよね」
何千ものシャボン玉を出し、それに閉じ込め、中の対象に業火、突風、冷気、雷などありとあらゆる自然現象を次々に発生させるのが、デュリオの禁手『聖天虹使の必罰、終末の綺羅星』なのだが、獣の穢れによって体力を消耗しているデュリオにはシャボン玉を一個で獣を閉じ込めるのが精一杯であった。
「──でも、代わりにとびっきりの天罰を用意しといたから」
デュリオが指を上に向けると、シャボン玉が上に昇っていく。
「ま、天罰というよりは神罰かな?」
シャボン玉の中で空間の一部が歪み、そこから黄金の光が放たれる。目を覆いそうになるほどの輝き。その光はシンもタンニーンも見覚えがある。
「まさか──!」
タンニーンは驚愕する、シャボン玉の中に現れた三又の槍。勝利へ導く神の槍。
「グングニルか!」
「大正解」
密閉された空間の中で黄金の光が奔り、獣を貫く。
光は止まることを知らず、黄金の軌跡でシャボン玉の中を埋め尽くす勢いで疾走し続けた。
シャボン玉によって自由に身動きがとれず、避けることも出来ない獣はグングニルの必刺の一撃をその身に受け続ける。
「オーディンがグングニルを貸し与えるとは……それも他勢力に」
「俺も渡されたときは驚いちゃいましたけどね」
神のみが扱うことを許された武具である。その価値は神滅具に勝るとも劣らない。それを貸すなど以ての外。ましてや天使に与えるなど前代未聞である。だが、見方を変えるとそれが必要な程の相手だと意味している。
体中に穴を開けられながらも獣は抵抗し、飛翔するグングニルを止めようとする。しかし、獣が一動く間にグングニルは十穿つ。
「行けるか? このまま」
「無理。あれは本来俺には扱えない物だから、オーディン様が籠めた魔力の分しか動かないよ。そして、それもそろそろ切れる」
「分かった。なら、シャボン玉を限界まで上げてくれ。切れたと同時に俺とタンニーンが全力で仕掛ける」
「なら」
デュリオが上を指差すと、シャボン玉の高度が上がっていく。その間にもグングニルの猛攻は止まらない。
「あー、あと十秒ぐらいで終わりそう」
デュリオがグングニルの残り稼働時間を教える。
『十分だ』
シンとタンニーンは、揃って声を出し最大の一撃を放つ準備に入る。
シンがイメージするのは、獣との戦いで使ったあの一撃。襲われる間際の為不完全な溜めから放ったが、二度目は十分な猶予がある。
右足に体中の魔力を集束させていく。やっていることは今までとは然程変わらない。魔力剣、光弾、全身から放つ魔弾それらで培った技術を使う。
違う点があるとすれば、文字通り全身の魔力を籠めるということだけ。
右足に流し込まれた魔力が、行き場を求めて発光し、青白い火花を散らす。気を抜けば足の魔力が暴発して肉体すらも破壊しかねない危険な状態、それを冷や汗一つかくことなくやる。
「あと五秒」
タンニーンもまた出し惜しみすることなく全ての力をブレスに籠める。『魔龍聖』の名で通っていた頃のタンニーンの火の息は、隕石の衝撃に等しいとまで言われた。獣によって力に制限が掛かる状態で、その力を発揮するのは難しい。
難しいからこそ、敢えて超える。己の限界を超えてこそドラゴンであり、ましてや伝説と謳われた龍王に名を連ねていた。この逆行こそがかつての自分を超えるとき。
一度降りた龍王の名を、もう一度取り戻すにはそれぐらい超えてこそである。
四、三、二、一とデュリオがカウントダウンをしていく。
「──ゼロ」
デュリオが告げると同時にシャボン玉内を神速で飛び回っていたグングニルが元の位置へと戻っていく。同じタイミングで獣を包んでいたシャボン玉が割れた。
宙に放りだされた獣。シャボン玉で貫かれて溜まった赤黒い血が、雨の様に地面へ降り注がれる。
獣の動きを止め、攻撃の妨げとなっていたシャボン玉が消えると二人は動く。
先に動いたのはシン。
右足を軸にして体を大きく回す。獣に背を向ける形となると、軸足を右から左に切り変えて更に回転を強めながら右足を持ち上げる。
狙うは上空にいる獣。持ち上げられた右足が斜め上へ軌道を変える。
右足が真っ直ぐに獣へと伸ばされ、狙いが定まったとき右足に籠めた魔力が蹴りの加速によって撃ち出された。
獣の頭も吹き飛ばした魔力。その形は魔力の槍、あるいは尾を引きながら飛んでいく流星。収束された魔力は途中で無数の魔槍に分かれ、それぞれが直線、弧と異なる軌道を描きながらグングニルによって負わされた傷の中へと飛び込んでいった。
既に出来た入口から入り、獣の体を内側から蹂躙し、出てくるのは既存の出口ではなく新しく作られた出口。肩の傷から入った魔槍は腹から飛び出し、腹から入った魔槍は背から、首から入ったものは、眼から出るなどして獣の傷穴を倍にする。
己の血で赤黒く染まる獣であったが、全身を橙色に照らされる。獣の目に反射して映るのは押し固められた業火であり、圧縮された超高熱の塊。
触れる前から流れ出る血が乾くのを通り越して蒸発していき、獣の表皮が燃え上がっていき、塊を見ていた獣の目からは瞬時に水気が抜け切る。
「随分と風通しがいい見た目になったな」
タンニーンは口から残った炎を零しながら、獣を揶揄する。
「次は俺が火通りを確認してやる」
その言葉の後に、タンニーンの炎が獣を呑み込む。炎は傷から獣の体内に入り込み、内から焼き、更に外からも焼く。逃れられない内外からの劫火は、獣のありとあらゆるものを焼き尽す。
そのままバトルフィールドを覆う天井の結界まで打ち上げ、『絶霧』によって作られた壁へ衝突すると爆発を起こす。
天井が夕日色に染め上げられ、バトルフィールド内全体の温度が十度以上上がる。地表で放ったら確実に死者が出る規模の威力であった。
後に判明することだが、このタンニーンの炎は『絶霧』の結界の一部を焼失させていた。
数秒後、空から焼き尽くされた獣の成れの果てが地面へと落ちる。
獣は、動くことは無かった。
◇
協力するか否か。協力すれば知らないことを全て教える。ベルから持ち掛けられた取引。
(まるで悪魔との契約だな)
どちらを選ぶという悩みよりも先に、アザゼルはそんなことを考えていた。
全く心惹かれない、と言えば嘘になる。アザゼルとて一定の知的欲求はある。
「さーて、どうしたもんかね……」
わざとらしく言葉に出し、相手を焦らす態度をとるアザゼル。少しでも相手の反応を引き出し、ベルという存在を見極める為の一種の芝居であり挑発でもある。
向こうはそれなりアザゼルのことを知っているが、アザゼルはベルのことを何も知らない。故に今の態度である。
僅かな変化でも見逃さない、貴重な情報になる。アザゼルは、ベルがどの様な反応を示すか淡い期待を抱く。
すると、ベルはアザゼルを見上げるのを止め、視線を別の方向に向ける。気分を害した、という反応では無い。
「どうやらもうすぐに終わりそうだ。答えを聞くのは、彼が来てからでも遅くない」
「分かり切っていたこと。クルゼレイ、少し、我の力に酔い過ぎ」
いつの間にかオーフィスとルイもこちらに移動していた。ベルもオーフィスもだが、当たり前のようにアザゼルに感知されずに移動する。アザゼルとしては、実力を暗に見せつけられている気分であり、その差に軽く頭痛がする。
それを面に出さず、アザゼルもオーフィスたちが見ている方向に視線を移す。
下級悪魔ならばすぐに消し飛んでしまうだろうクルゼレイが発する魔力の奔流。その中でサーゼクスは無表情のまま立っていた。
クルゼレイは天に向けて手を掲げる。魔力の奔流は、その手の中に集い、渦巻く巨大な球体となる。
「消え失せろ! 偽りの魔王よ!」
クルゼレイが吼え、掲げた手をサーゼクスに向けて振り下ろす。破壊の為の力を圧縮したその塊が、サーゼクスへと放たれ──
「なっ!」
──霧散した。
魔力が急に消えたことは勿論だが、クルゼレイはもう一つの異変を感じ取っていた。あれ程体内で満ちていた魔力が無くなっている。
「こ、これは……! 一体何が起きたというのだ!」
自分の身に起きた異変にクルゼレイは焦る。
「貴殿の体内にあったオーフィスの『蛇』は、私の魔力で消滅させた」
「ば、馬鹿な! いつの間にそんな真似をっ!」
「……その言葉を口に出した時点で、貴殿が私に勝つことは絶対に出来ない」
絶対零度の言葉の刃を突き立てられ、クルゼレイは目を見開き、わなわなと体を震わす。
サーゼクスがやったことは至って単純なこと。微小の滅びの魔力をクルゼレイの体内に忍び込ませ、それによってピンポイントで『蛇』を消滅させたのだ。それも、それを一切相手に悟らせずに行うという。
クルゼレイも計り知れない差を知ってしまい憤怒の言葉すら、その差によって出てこない。
「……終わりだクルゼレイ」
その言葉に、糸が切れたかの様にクルゼレイが倒れる。体内にある滅びの魔力を操り、クルゼレイの内部を全て消滅させた。
何の爪痕も残せずあっけなくクルゼレイは絶命する。しかし、見方によっては当然の結末と呼べる。滅びはあらゆるものを消し去る。それが、恨み言や死に際の言葉であろうと。
クルゼレイの外身だけ残ったのは、サーゼクスの最後の慈悲と言えた。この世から跡形も無く消えるのは哀れに思い。
「……さて」
自分に向けられている視線は既に気付いている。サーゼクスは翼を広げ、その視線の主の下へと向かう。
「私に何の用かな?」
ベルの近くに降り立つサーゼクス。
「流石はルシファーの名を継いだだけのことはあるね」
クルゼレイを圧倒したサーゼクスに、ベルはほんの少しだけ声に嬉を滲ませていた。
「お世辞は結構。率直に言って魔王という立場からすれば、貴殿らの存在を見過ごすことは出来ない」
得体の知れないルイとベルの存在に強い警戒を抱き、滅びの魔力をその身から発するサーゼクス。
「アザゼルには言ったが、君にも聞こうか。僕たちに協力してくれないかい? 協力してくれるのなら、君に教えてもいい。君の知らない全てのことを」
滅びの魔力を全く恐れずに、アザゼルと同じ言葉でサーゼクスに協力を持ちかける。
「知らないこと、か……」
サーゼクスは横目でアザゼルを見た。
「俺はまだ答えてないぜ」
「君が来てから聞こうと思ってね」
「成程。では私が先に答えさせてもらおう『断る』」
悩む素振りを一切見せず、サーゼクスは即答する。
「理由を聞いても?」
「私は魔王として、他の悪魔たちを幸ある未来に導いていく義務がある。──気分を害するかもしれないが、貴殿らからはそういったものとは対極の様なものを感じ取れる……」
協力したとして、悪魔の未来が視えないというのがサーゼクスの理由であった。はっきりと言えば勘に等しい。
「残念だ。なら、君の答えは?」
「決まってんだろ、『断る』、だ」
サーゼクスに続き、アザゼルもまたベルの協力を蹴る。
「君もか。まあ、それなら仕方ない」
二人から協力を拒まれたベルであったが、特に不満を見せる様子は無く。至って平常。この結果が分かっていた様にすら見える。
「随分とあっさり引くな」
「こうなることは想像が付いていたからさ。ものは試しで言ってみただけだよ。そもそも、あまり公平とは言えない提案だったからね」
「公平じゃないだと?」
「いずれ答えに辿り着くと分かっているからさ。僕が持ち掛けたのは、それを少し前倒しにするだけのこと。それに、アザゼル」
ベルの目がアザゼルを捉える。
「君は、僕が教えようとしていたことを察しているんじゃないか? 僕の見立てでは、君は気付き始めている。いや、とっくに気付いているのかもしれない」
「……それは魔人絡みの話か?」
アザゼルが零した言葉に、サーゼクスは思わずアザゼルの方に顔を向けてしまった。
「僕たちと魔人、一体どんな関係があるというのかな?」
「簡単なことだろ? お前があいつらの親玉って話だよ」
ベルは、アザゼルの言葉に首を縦に振ることも横に振ることもなく、『はい』とも『いいえ』とも言わなかった。ただ、代わりに深い笑みを見せる。
そのとき、空を真っ赤に染め上げる程の炎が天井の結界に広がり、そこから反射した熱で周囲の温度が一気に上がる。
「あの炎! タンニーンか!」
「閉じた空間内であんだけの炎……まさか!」
タンニーンが全力で戦っているという事実に、ある予感が二人に浮かぶ。
「彼らは、魔人と戦っているよ」
二人の考えを先読みして、煽る様に事実を出す。
ベルの差し金かと聞きたい所であったが、それよりも先に引っ掛かる点があった。
「彼ら、だと……?」
「タンニーン以外に誰が……」
タンニーン、オーディンなら魔人でも遅れはとらないとは分かる。しかし、それ以外の人物だったのなら? 今すぐにでもその場に向かいたくなる。なるのだが──
「行くのは構わないが、僕らを放ってもいいのかな?」
ベルとルイという存在が二人に立ち塞がる。オーフィスとルイは、無関心という態度を貫き、ベルも殺気や魔力を一切出していない。だが、無視するには、この三人の存在は大き過ぎた。
「もう少しゆっくりしていくといい」
◇
帝釈天とマダ。一触即発の場面。神とそれに等しい力を持つ怪物が戦いあえば冥界も無事では済まない。しかし、この場においてそれを止めるだけの力を持つ者は居らず、この衝突は避けられない。
「お前との因縁、ここで断ってやるぜぇ!」
「笑わせんじゃねえぜ! その因縁、こっちがお前の命ごと断ってやるよ!」
業火と雷が今まさに衝突し合おうとしたとき──
「そこまでにしろ。見苦しくて見ておれん」
二人の間を割る様に、槌が床に突き刺さる。
「……何でお前がここにいんだよ」
「……おいおい。水を差すなよ」
昂っていた所に横槍を入れられ、不機嫌な様子で槌の主を見る。
「何やら良からぬ気を感じて来てみれば、貴様らだったとはな」
「この非常時に何をやっているんだ、貴様ら……」
テロ関係無く個人的な戦いに走っていた二人にトールは呆れる。
「うるせえよ、部外者。とっととあっちへ行くんだな」
「早くどっかに──ってあれ?」
マダが、トールの後ろに隠れるピクシーたちの姿に気付く。
「何でここにいんだよぉ……」
「事のついでだ」
「さっさと向こうに連れてけ……死ぬぞ?」
マダと帝釈天の力がぶつかり合えば、か弱いピクシーたちの存在は一瞬で消し飛ぶ。今も形があるのは、トールが殺気の防波堤になっているからだ。
「こ、これ、不味くない……?」
「ヒ、ヒホ……オイラ、溶けちゃいそうホー……」
「ヒ~ホ~……これは笑っていられないね~」
ピクシーたちも自分たちがどれだけ場違いな場所にいるのか分かっており、圧倒的力に震え上がっている。
「北欧の神トールは、いつから保護も司る様になったんだ? はっきり言って似合わんぜ」
「黙れ。いいから馬鹿なことはせず『禍の団』どもを倒せ」
「誰にもの言ってんだぁ? お前の言うこと聞くつもりはねえ」
「こればかりは、俺も同感だZE」
トールの指図を一切聞かず、帝釈天とマダは向き直る。
「お前たちは……」
トールはそう言った後──
「言っても分からんなら力尽くで従わせるまでだ」
「え! そっち!」
力技過ぎるトールの解決方法に思わずピクシーは声を出してしまった。
争いを止める筈なのにその争いに加わってしまったら本末転倒。だが、元よりトールの中に話し合いで物事を解決するという選択は無い。だいたい力でどうになってきたので。
「何だお前! お前もやるのかぁ!」
「上等だぁ! 誰が雷神最強か決めてやるよ!」
「ぬかせ! 貴様ら二人とも我が力に屈服させてやる!」
冥界の滅亡の危機から、三界滅亡の危機にまで上昇する。
無力なピクシーたちは、それが為される様を間近で見ているしかない。
いざ、三人が戦いを始めようとしたとき、急停止をする様に動きが止まる。
「うえ、くっせぇ……」
「何だ、この穢れたニオイは……?」
「この臓腑が爛れる様な悪臭は……」
幸か不幸か、大淫婦が解き放った悪意により、三界滅亡の危機は少しだけ引き伸ばされる。
一戦、一戦終わって話も終わりに近付いてきました。早く、次の巻に移りたいですね。