ハイスクールD³   作:K/K

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戦闘校舎のフェニックス編
特訓、不安


 荒い息を吐きながら学校指定のジャージを着たシンは住宅街を走り続ける。疲労と酸素不足で顔を何度も上げそうになるが、その度に顎を引き何とか顔を正面に向くように固定する。そんなシンの隣で走る一誠もまた似たような状況であり、息を切らしながらもシンと並走を続けていた。

 

「ほらほら、二人とも速度が落ちているわよ。今のままのペースで全部こなしていたら学校に遅刻するわよ」

 

 そんな二人の後ろからリアスの叱咤の声が飛ぶ。今のリアスは見慣れた制服では無く、髪の色と同じ赤いジャージを纏い自転車に乗って背後から二人を監視していた。

 

「がんばれー」

 

 今度飛んだのはピクシーの激励の声。いつものシンの肩という定位置にはおらず、リアスの肩に乗って、走る二人を面白そうに見ていた。

 

「あと五百メートルほど走ったら公園まで競争ね。負けた方はいつものようにダッシュ十本追加だから」

 

 笑顔でサディスティックなことを言うリアスにシンはいつものポーカーフェイスながらも顔色を悪くし、一誠は露骨に表情を引き攣らせた。

 二人がこのように体を鍛えることになったのか、事の発端は一誠であった。

 一誠という転生悪魔の夢は自分の周囲に女性を侍らすハーレム王になるというもの。常人が聞いたら距離を取るか、正気を疑うかどちらかであろうが、本人は至って真面目であり本気である。そんな無謀とも言える夢であるが、幸か不幸か一誠は偶然悪魔になったことで不可能な夢では無くなった。

 悪魔の中で実力を見せ、爵位を取る。それさえ出来れば一誠でも夢のハーレムを築くことが出来る。だが、ここで致命的な問題が発生した。上を目指す一つに知力、交渉力などの頭脳面を必要とするがお世辞にも一誠は頭が良くない。もう一つに高い魔力なども求められたが、一誠は悲しいことにその魔力も悪魔の子供以下という悲惨な状態であった。

 そんな一誠に唯一残された道は『力』であった。悪魔は強ければ上に昇れる。力=権力に繋がる世界であった。幸いにも一誠には『神滅具』と呼ばれる希少な『神器』をその身に宿し、他の選択肢に比べればのし上がる可能性は格段に高い。

 そこでリアスは、その『神滅具』の実力を十二分に発揮できるように一誠を鍛えることとなる。そこには、自分の下僕が弱いということを甘んじさせることをよしとしない考えも含まれていた。

 一誠の特訓が決まったその日にリアスはシンにも声を掛けた。先の戦いに於いて自分の体力不足で何度も周りに迷惑を掛けていたことを痛感していたシンは、リアスの誘いを二つ返事で了承した。一人で特訓するよりも競い合う相手が身近にいればより特訓の質が増すと密かに考えていたリアスにはシンの承諾は嬉しいものであった。また眷属では無く協力者という立場上、一誠とは違い強制的に参加させるのは気が引けたという理由もある。

 そして二人は現在汗だくとなりながら、基礎体力を付ける為にランニングを行っている。

 二人の視界の先に残り五百メートルの目印にしている看板が見えてきた。そして、競争の開始を告げるピクシーの声が聞こえる。

 

「よーい……」

 

 一誠とシンの視線が一瞬交差する。それは相手に対し、勝ちを譲らないという意思表示。

 

「どん!」

 

 合図と同時に両者はほぼ同時に駆けだす。

 既に二十キロ近く走ってきた二人の体は疲労困憊であり、足は前に進もうとする持ち主の意志に反して中々持ち上がらず、速度も想像を下回る程度。

 内心では死にもの狂いで走っているが、二人の隣で涼しい顔をして軽く自転車を漕いでいるリアスと、正面で後ろに向かって飛ぶという器用な真似をするピクシーの余裕な表情を見れば、彼らの体が気持ちとは裏腹に如何に鈍重かが分かる。

 奥歯を噛み締めたシンの右手が淡い光を増す。特訓にするに至ってシンは常時『悪魔の力』を発動し続けるようにリアスから指示をされた。理由としては通常のシンと転生悪魔の一誠とでは身体能力に大きな差がある為、それを埋めるのが一つ。

 もう一つは、シンの体に『悪魔の力』というものを馴染ませる為であった。この馴染ませるという行為は半ばリアスの独自の考えで、シンがより『悪魔の力』を使い、回数を重ねれば新たな能力〈チカラ〉が開花するのではないかというものであった。シンもこの考えに同意した。実際、何度かこの力を行使していたことで、レイナーレとの戦いの最中に口から『氷の息』を吐き出すという事が出来たからだ。

 しかし、あくまでこれは推測であり確証はない。何故ならシンの『悪魔の力』は、他の悪魔とは異なる性質を持っている。

 まず一つにシンは教会、祈り、十字架、聖水などの悪魔が拒むものが効かない。以前アーシアが今までの習慣から部室内で誤って祈りを捧げたとき、アーシア自身を含むメンバーが頭に痛みを感じたがシンには特に変化は無く、頭を押さえる皆を不思議そうに見ていた。

 もう一つに朝日を苦手としてはいない。

 それゆえにシンは朝日を苦手としている一誠との競争にも、徐々にではあるが差を広げている。しかし、同時に夜の恩恵も受けないので、もしも今が朝では無く夜であったならば、お互いの立ち位置は逆転をしていたのかもしれない。尤も、精神を鍛える為にあえて悪魔の苦手な朝を選んだリアスが、夜に特訓を行う可能性は低い。

 シンは右手の紋様から伝わる力を足に集中させるイメージをしながらひたすら前を見て走る。一誠も負けじと追い越そうとするが、朝の日差しで万全では無い体調では今一歩及ばない。

 心臓の鼓動は張り裂ける寸前まで高まるがシンは、それでも走る速度を緩めない。もし、一瞬でも気を緩めたらすぐに追い越される。そう感じさせる圧迫感が後ろを走る一誠から伝わってくる。

 流れる汗を拭う暇なく懸命に両手を振り、両足を前に押し出す。流れる汗で視界が狭まるシンの目にゴールとなる公園の入り口が見えてきた。

 

「ほら、一誠! もうすぐシンがゴールするわよ!」

「くぬ……おおおおおおおおお!」

 

 リアスの声に応えるように一誠の気合を込めた雄叫びが背後から聞こえてくる。

 

「シーン! あとちょっとだよー!」

 

 すでに公園の入り口まで飛んでいたピクシーがレンガ塀に腰掛けながら、シンを急かすよう言葉を掛ける。無論、シンは最後まで力を抜くつもりは無い。

 最後の一滴を振り絞るような気持ちで、地を蹴る。

 ゴールまで残り十メートルを切るが、背後から聞こえて靴音も大分近くにから聞こえてくる。

 振り向いて距離を確認する余裕も無く、全力で前へと進み続けるシン。残りは五メートルも無い。

 残り三メートル、まだ後ろから抜かれることは無い。残り二メートル、息遣いがより近くなる。残り一メートル、視界の端に何かが映ったような気がするが、気にする余裕どころかそれについて思考するほどの脳を動かす酸素が無い。

 残り零メートル――

 

「ゴール! シンの勝ち!」

 

 公園の入り口を抜けると同時にピクシーの勝者を告げる声がするが、それを聞く余裕はシンには無かった。

 顔は赤く染まり、汗は滝の様に流れ、少しでも呼吸しやすいように天を仰いで、赤子の歩みよりも遅い速さで公園内を歩く。一分程そのような状態を続けていたシンは、呼吸が落ち着いたのを実感するとようやく自分の背後に目を向けた。

 そこでは一誠がシンと同じような状態で、両膝に両手をつき大きく息を切らしていた。

 

「……今回も……俺の……勝ち……だな……」

「はーはー……ああ、くそ! はーはー……あと一歩だったのに……」

 

 お互いに苦しそうにしながら切れ切れに言葉を紡ぐ。特訓を始めてそれなりの日数が経つが、こうやって会話をするだけでも大きな進歩である。最初の方など走り終わった途端にお互い公園内で崩れ落ちていた頃に比べれば。

 シンは頬から顎に伝って流れる汗を拭う――とシンは拭った右手を見て動きを止め、右手に浮かぶ紋様を凝視した。

 シンが最初にこの紋様を発動したとき、蛍光色を纏った線は指先から手首の辺りまでしかなかった。しかし、今のシンの右手に浮かぶ紋様は手首から更に伸び、前腕の半ばまで来ていた。きっかけに心当たりが無い訳では無い、レイナーレとの戦いの最中に自身の体の変調を感じていた。この変化に気付いたのはレイナーレ戦後のことであった。

 紋様の変化で体に強い違和感を覚えることはなかった。むしろ逆に今までぎこちないと感じていた体内の力の流れが、変化後は滑らかに巡るような感覚となっていた。

 ゆっくりとではあるが着実に変わりゆく自分の肉体。この紋様が全て浮き出てきたそのとき、果たして自分は自分のままでいられるのか。

 まだ見ぬ未来に一抹の不安を抱く。

 

「さあ、二人とも、休憩は終わり。次はダッシュね」

「キャハハ! まだまだ終わりじゃないよー!」

 

 だが、それについて真剣に考えるよりも先に目先にある過酷なトレーニングと向き合わなければならない。

 シンは溜息を交えながら了承を込めて軽く手を上げ、一誠は二人が向けてくる晴れ晴れとした笑顔を引き攣った笑みで返すのであった。

 

 

 

 

「八十九……!」

「……九十」

「あ、あの重くないですか?」

「大丈夫、大丈夫! シンは頑丈だから」

「ほらほら、イッセー。腕が伸びてないわよ」

 

 公園内に二つの唸るような声が交互に回数を数え、鈴のような三つの声がそれぞれ気を遣ったり、叱咤したりする。

 一誠とシンはいまだ公園内で特訓を続けている。一誠の背中にはリアスが座り、シンの背中にはアーシアが座り、頭にもピクシーが座っている。

 トレーニングの締めに行う腕立て伏せは、いままでは一セットごとにリアスが一誠とシンの背中を乗り換えていたが、今回は偶然にもアーシアが用があって公園に来た為、リアスのあなたも乗りなさい、という一言でこのような状況となった。

 シンは顔を朱に染めながら一定のリズムで回数をこなす。時折、アーシアが申し訳なさそうに声掛けるが、シンが気にするなと言うか、ピクシーが陽気にアーシアの言葉を否定するかのどちらか。一誠の方も回数をこなしているが、リアスが背中に乗っているというシチュエーションに煩悩が沸き立つのか、下半身の辺りがたまに妙な動きをする。その度にリアスに臀部を叩かれるか抓られていたりするが、そのときの一誠の顔は何故か喜色が混じった苦痛の表情をしていた。

 それから十数分後、規定の回数を終えたシンと一誠が、タオルで汗を拭きながらアーシアが持参した水筒から注がれた茶で喉を潤していた。アーシアはリアスにも茶を渡し、ピクシーにも渡そうとするが丁度いい容器が無くオロオロとし始めたので、シンは持参して飲み終えたペットボトルのキャップを渡して、それに入れるように言う。

 容器でもないそれを使うことに戸惑いを覚え、アーシアは困ったような表情をするが、ピクシー本人が気にしないと了承したので、アーシアはキャップに注ぎピクシーに手渡す。ピクシーは喜んだ表情で両手で持ったキャップから茶を飲み、アーシアは喜ぶピクシーの姿を見て表情を綻ばせた。

 一時の間の穏やかな休憩が済むと、シンは座っている一同の中最初に立ち上がる。ピクシーもシンが立ったのを見て、手にキャップを持ったままいつもの場所であるシンの肩に腰を掛ける。

 

「それじゃあ、俺は学校へ行く準備があるので先に失礼します。部長」

「ああ、あとでな」

「間薙さん、お疲れ様です。」

 

 一誠、アーシアはすぐに応じたが、肝心のリアスからの反応は無い。リアスは何かを考えているのか手に茶を持ったまま微動だにせず、よほど根を詰めて考えているのかシンの声が届いていない様子であった。

 

「部長」

 

 先程よりやや声を大きくしてリアスに呼びかけると、そこで初めてシンに声を掛けられていることに気付く。

 

「――ッ! ええ、もう帰るのね。気を付けて帰りなさい」

 

 何事も無かったかのように振る舞うリアスの姿にシンは違和感を覚える。

 それは具体的にどのようなものかは説明できない程細やかものであったが、一誠もリアスのことが気になったのか怪訝な表情をしていた。

 シンは皆に軽く頭を下げ、ピクシーも手を振って別れの挨拶をし公園を後にする。

 帰宅中、リアスの何かを考えていた表情が、シンの記憶の中で小さな棘として刺さっていた。別段、あの表情自体珍しいものではなかったが、何故かシンの印象に残る。

 すっきりとしないものを感じながら、家へと向かう足を速くする。一刻も早く、体中の汗と共にこのもやもやとした気分を洗い流す為に。

 

 

 

 

 数日経ったある日の登校途中。

 シンはいつものように肩にピクシーを乗せ、歩き慣れた学園への道を歩いていた。ここ最近、学園ではある話題で持ち切りになっており、道を歩く度に周囲の学生からその話題に対する怨嗟に満ちた声が嫌でもシンの耳に入ってくる。

 

「……どうして……何故? アルジェントさんと兵藤が……!」

「アーシアさんが……アーシアさんまでがあいつの毒牙にかかるなんて!」

「リアスお姉さまも朱乃お姉さまも……そしてアルジェントさんも……」

「――うん、そうだ、兵藤を殺そう」

 

 男女混合で口々に漏れ出すのは世の理不尽さへの嘆きと嫉妬と怨念。

 そんな憎悪の念を一身に浴びるのは、シンの前方数メートルを歩く一誠。隣にはアーシアが並び楽しげに会話をしている。シンにとっては見慣れた光景であった。

 学園でも一、二を争う悪評を持つ男と学園に新たに入ってきた清楚な元シスターの美少女。そんなアンバランスな二人が共に毎日登校することでさえ、他の学生にとっては珍事であり、それゆえのこの騒ぎである。もし、一緒に登校する理由がアーシアと一誠が一つ屋根の下で一緒に暮らしていることだと知れば、どのような結果になるのか。

 

(……まあ、少々騒がしくなるだけか)

 

 真剣に考える程、シンが興味を持つようなものではなかった――実際、一誠からこのことを聞いた際も、「そうか」の一言で済ませていた――あっさりと考えを打ち切ると、シンは少し早足になって前を歩く一誠たちに近付く。

 

「おはよう」

「おはよー」

「よお! 二人とも」

「おはようございます、間薙さん、ピクシーさん」

 

 シンとピクシーの挨拶に機嫌よく一誠は挨拶を返し、アーシアも清廉な笑顔を浮かべ朝の挨拶をする。

 

「随分と人気者だな?」

「ふっ……嫉妬の視線が逆に心地良いくらいだ」

「あー、イッセー、調子に乗ってるでしょー!」

 

 シンの軽い皮肉にも一誠は余裕に満ちた態度を崩さない。それを指差してピクシーはからかうように指摘するが、一誠は笑いを堪えるように顔をにやけさせるだけであった。

 

「何か面白いことがありましたか? イッセーさん」

 

 含み笑いのような表情をするイッセーの顔を覗き込むアーシア。それを見た途端にさっきまでの余裕は嘘のように消え去り、赤面しながら慌てて今の学園生活の様子を尋ね、話を逸らして誤魔化す。ピクシーはその慌てる様が可笑しかったのかケタケタと笑い始める。

 

「普段の素行の割には初心な奴だな、お前は」

「うるせぇよ!」

 

 一同はアーシアの学園生活の話を聞きながら、教室へと入る。そこで待っていたのは一誠の悪友である松田と元浜。二人は慣れた様子でアーシアに挨拶をすると、アーシアも微笑んで挨拶を返す。その途端に二人の表情は蕩け、アーシアの挨拶の余韻に浸り始めた。

 そんな二人の様子を勝ち誇った表情で見る一誠。それに勘付いたのか余韻に浸る表情を一瞬で消した松田の拳が一誠の腹部にめり込む。苦悶の声を上げる一誠の背後に音も無く元浜が近寄ると、後ろから羽交い絞めにして動きを拘束、その隙に松田の拳が再度腹部を抉る。

 抗議の声を上げる一誠であったが、松田と元浜は嫉妬に満ちた笑みを浮かべ、何故いつもいつもアーシアと一誠が一緒に登校しているのかを尋問する。

 その問いを聞かされた一誠の顔に勝者の笑みが浮かぶ、同時にシンにはそれが罪人に首を斬り落とす処刑人のような顔にも見えた。

 

「それはな、俺とアーシアが一つ屋根の下で暮らしているからだ。なあ、アーシア、間薙」

 

 あまりに切れ味の鋭過ぎる言葉に松田と元浜は少しの間、一誠が何を言っているか脳が理解できずにいた。だが、徐々に言葉の意味を理解し始め、二人の顔から血の気が引いていくと共に絶望の色が広がっていく。そして、その言葉が嘘であると願う様に、アーシアとシンへ神に縋る信者のような眼差しを向ける。

 

「はい。イッセーさんのお家でご厄介になっています」

「本当だ」

「ほんとだよー」

 

 しかし、帰ってきたのは残酷な真実。頬を染めて肯定するアーシアに二人の精神は引き裂かれ、おおよそ冗談を言わない人物であるシンからも真実であると認められ、更に精神が穿たれる。そして、姿の見えないピクシーも態々聞こえない筈の肯定をする。

 松田はその場で悔し涙を流し、元浜も一誠から手を放しよろよろと後退すると、松田のように涙は流さないものの、手足は立っているのも不思議な程震えはじめる。

 止せばいいものの松田と元浜は一誠が美少女と同棲しているのを頑なに認めようとはず、少しでも一誠の言葉が嘘である可能性を求めるように一誠とアーシアに次々と質問をするが、返って来るのは優越感に満ちた一誠と顔を赤くし照れながらも嬉しそうなアーシアが話す真実のみ。その度に二人の表情は悪鬼のようになっていく。

 傍から見ていたシンも、自らの傷を抉るような松田と元浜に軽く同情する。

 やがて、一誠の言葉が真実であると認めたくなくても認めてしまった松田が、現実の理不尽さに耐えきれず叫び始める。

 

「いやだー! ふざけんなぁ! リアス先輩といい! 姫島先輩といい! 小猫ちゃんといい! 今度はアーシアちゃんといい! なんでお前は可愛い子と仲良くなれてんだよ! 俺が可愛い子とどうやってキャッキャッウフフするかシミュレーションしているうちに世界は一度崩壊して再構築されたのか! でなきゃこんなのおかしいだろ! 助けて! 誰か俺を助けて! このままじゃ俺、世界の理不尽さに壊されちゃう!」

 

 魂の絶叫とも形容できる松田の言葉。悲しいことにその言葉に心揺さぶられているのはこの場では側にいる元浜だけで、一誠は相変わらず勝ち誇った表情を崩さず、アーシアは突然叫び始めた松田に目を白黒させ、そしてクラスの大半の女子が白い目を向けていた。シンはいつもの発作の様なものだと軽く流し、ピクシーは松田の必死さを腹を抱えて笑っていた。

 元浜は幽鬼のように一誠へと近付くと、腹の奥底で様々な感情を煮え滾らせているような声で、一誠に女子を紹介してくれるように頼み込む。その声は相手の拒否を一切認めない必死さがあった。

 一誠は少しの間、考えているような表情をしていたが、携帯電話を取り出して部屋の隅へと移動する。そこで数分間会話をするとこちらに戻って来て、松田たちにこの相手を紹介すると言って自分の携帯電話を差し出した。

 シンは一誠の言葉に密かに眉を寄せる。シン自身悪いとは思ったが、一誠がいくら悪友だからといって他人に女性を紹介するような余裕は全く無い。シン自身の記憶の中でもオカルト研究部の面々以外での女性との交流など皆無に等しい。

 なんとなくシンも一誠の携帯電話の画面を覗き込もうとする。

 

「あっ! 間薙! お前も狙ってるのか!」

「駄目だぞ! これは兵藤先生から俺たちへの贈り物だ!」

 

 手早い動きで相手の番号とアドレスを入力する二人。先程までの悲壮な表情はあっさりと消え、敵意を向けていた一誠にも露骨なまでに掌を返す。一誠とシンの仲が良くなったことで、間接的にこの二人の態度もシンに対して幾分親しいものとなっている。

 

「ただの好奇心だ。あいつが女性を紹介するなんて珍しいと思ったからな」

 

 そう言って画面を見てシンは表情を凍らせた。そのまま無言でその場を離れ一誠の近くへと寄っていく。

 

「お前も残酷な奴だな」

「紹介出来る子を紹介しただけなんだけどなー」

「後でどんなことになっても俺は知らないからな」

「ええー! 『ミルたん』良い子じゃん、シン」

 

 何も知らず幸せそうに笑う松田と元浜に今度はシンも心の底から同情した。

 

 

 

 

 その日の深夜、悪魔の仕事を終えたシン、ピクシー、一誠、アーシアは家路にと着いていた。途中まで同じ道を通る為、一緒に帰宅しようという一誠からの提案であった。

 アーシアの隣はいつものように一誠では無くピクシーが代わりを務めており、その二人の数歩後ろを一誠とシンが並んで歩いていた。

 ピクシーとアーシアが何らかの談笑をしている。話の断片からピクシーがアーシアの悪魔としての初仕事の感想を聞いているらしい。ピクシーが何かを話し掛けるとアーシアは微笑んで楽しそうに言葉を返す。アーシアの今までの環境から考えると、話し相手となる同性がいることが嬉しいのであろう。

 そんな二人の様子を一誠は微笑ましく見ている。普段の異性を見る様な煩悩めいたものではなく、娘を見る父のようなやけに落ち着いた眼差しであった。

 

「嬉しそうだな」

「うん? まあな。アーシアの仕事も無事に済んだし、少し安心したかな」

 

 一誠は軽く背筋を伸ばし、その疲労感を心地よく感じながらシンに歯を見せて笑う。シンもそんな一誠を見て、微かに表情を和らげた。

 

「頑張れよ。俺も手助けはするが、アーシアが一番頼っているのはお前なんだからな」

「ああ、分かってるって!――そうだ。間薙、ちょっといいか?」

 

 一誠は途中で声を抑えて前を歩く二人に聞かれないようにし、シンだけに喋り始める。

 

「部長のことなんだけどさ……最近、少し変じゃないか?」

「具体的には、どこが変だ?」

 

 一誠はこのところ毎日のように声を掛けても気付かない程に考え事をしているリアスの様子に心配を抱いていると語る。シンも何度かその光景を目の当たりにしており、今日もアーシアが初仕事に行く前にその姿を見ていたし、帰宅前も何やら思い詰めたような真剣な表情をしていた。

 

「まあ、部長のことだから俺なんかが心配しても無意味なんだろうけど……やっぱり気になって……」

「心配するに越したことはない……俺も正直気になる。明日ぐらいにそれとなく聞いてみるか?」

「うーん……部長が素直に答えてくれるか?」

「駄目だったら、他のメンバーに心当たりがないか聞いてみるだけだ」

「……そうだな。駄目もとで聞いてみるか」

 

 結論が出ると同時にアーシアとピクシーの二人からの呼ぶ声が聞こえる。いつの間にか自分の家に続く別れ道の前まで来ていた。

 

「じゃあな。おやすみ」

「バイバーイ」

「ああ、また明日な!」

「間薙さん、ピクシーさん、お休みなさい」

 

 一誠とアーシアに別れの挨拶を済ませて、シンたちは自宅への道を歩きはじめる。

 

「ねえねえ、イッセーとなに話してたの?」

「大した話じゃない。世間話みたいなものだ」

「ふ-ん」

 

 特に意味も無く聞いたのか、それ以上ピクシーはシンを追及せず、いつものようにシンの肩へと腰掛け、眠そうに欠伸をする。

 シンは船を漕ぎ始めるピクシーを落ちない様に片手で支えながら、一誠との会話と最近の物憂げリアスの表情を思い出す。

 

(大事の前触れじゃなきゃいいんだがな……)

 

 自らの内に芽生えた一抹の不安。このシンの予感は翌日的中することとなる。

 

 

 

 

 翌日、目覚まし時計のアラームと同時にシンは目を覚ます。寝起きでやや固くなった関節を軽く回しながら、シンはベッドから降りた。

 ピクシーはまだシンの枕の横で猫のように体を丸めて眠っている。そんなピクシーを起こさない様に静かに動くシンであったが、そのとき机の上に置いてある携帯電話の画面が点滅をしていることに気付く。

 手に取って確認をしてみると、リアスからのメールが一通届いていた。内容を確認してみると簡素な文章で今日の訓練は中止にするという報告のみ。中止にする理由などは一切書いてはいなかった。

 昨晩、一誠とリアスの様子について疑問を抱いていたせいか、シンの表情は硬いものとなっていく。

 特訓が中止となったからといって二度寝をするような気分でも無く。シンは登校時間までの間、晴れない感情を胸に物思いにふけていた。

 朝の通学路、そこでシンはアーシアと一誠の姿を発見する。

 アーシアの方はいつもと変わらない様子であったが、一誠の方は妙にやつれた表情で、疲労感が体中から滲み出ている。

 

「おはよう」

「おはよー」

「あ、間薙さんにピクシーさん! おはようございます」

「……よお」

 

 見た目の通りに一誠からの返事に生気が足りなかった。シンは一誠の袖を軽く引っ張り、近くに寄せると小声で一誠と話し始める。

 

「昨日、あれから何かあったのか?」

「えっ! ああ、その……」

「部長絡みか?」

 

 言葉を濁していた一誠であったが、シンの一言で完全に言葉を詰まらせる。シンの言葉が確信を突いた証拠であった。一誠は言葉を選ぼうとしているのか表情を何度か変え、視線もシンに向けたり、アーシアの方に向けたりなど忙しない。

 短い時間考えていた一誠であったが、話す気になったのか閉じていた口を開く。

 

「――間薙、実はな」

「待て」

 

 一誠が何かを喋り始めようとするがシンはそれを制した。

 

「ここだとお前が聞かせたくない相手に聞かれるかもしれない」

 

 シンはそう言ってアーシアを顎でしゃくる。何度か一誠がアーシアに目を向けていた為のシンの判断であった。

 

「わりぃ……休みの時間に前に話した場所でいいか?」

「構わない」

「ねえねえ、さっきから何話してるの?」

 

 仲間外れにされていたことに痺れを切らしてピクシーが口を挟んでくるが、シンはそれを軽くあしらう。ピクシーはシンの性格を理解してこれ以上聞くのは無理と判断し、代わりに頬を膨らまして抗議を示しながらシンの肩に座るのであった。

 教室に向かう廊下に着いたとき、怒りと嘆きの混じった声で一誠の名が大音量で叫ばれる。その声は廊下中に響き渡り、声のした方を見れば、通路の先に般若のような形相をした松田の姿。

 その姿で大体の事情を察したシンは早歩きで廊下を進む。そんなシンの隣を松田が全速力で駆け抜けていく。背後では元浜の怒号も聞こえ、その後に一誠の呻くような声が聞こえたが、振り返らずにそのまま進んでいく。

 十数秒間の松田と元浜の怒りの声の後に一誠がシンの名を呼ぶのが聞こえたが、シンは正面を向いたまま背後に手を振って、助けるのを拒否。

 数秒後、鈍い音と歩いているシンの足下に小さな振動が伝わってきた。

 

 

 

 

 放課後、シンは最早常連になりつつある洋菓子屋で、いつものようにケーキを数個買っていた。理由は、シンの肩に乗る小さな同行者にある。

 あの後、放課後までずっと頬を膨らませて拗ね続けていたピクシーに流石にシンも精神的に疲れてきたので、手っ取り早く機嫌をとる為にピクシーにケーキを買い与えることとなった。効果は抜群であり、不満を露わにしていた表情は花のような笑みへと変わり、上機嫌で鼻唄まで唄うぐらいであった。

 そんな現金なピクシーに内心呆れつつ、シンは再び学園へと足を運ぶ。その道中、休み時間に一誠から聞かされた昨晩の出来事について思い出していた。昨晩、突如として一誠の部屋にリアスが押しかけ、何らかの要求をしたという。何らかという曖昧な表現になるのは、シンがそのことについて詳しく聞いても一誠が頑なに話すのを拒んだ為である。

 しかし、その要求が通る前にリアスの家の使いの女性――グレイフィアに阻まれる結果になったという。

 リアスの家が関わってくる問題。正直、シンは自分がどこまで踏み込んでいいのかが分からない。個人的にはリアスの味方でありたいという気持ちがあるが、他人の家の問題に土足で入るべきではない、といういつもの大人ぶった考えも生まれてくる。

 考えがはっきりとしないまま、シンが部室のある旧校舎に足を踏み入れたとき、シンの表情に険しさが混じる。

 シンの感覚で少なくとも十を超える悪魔の気配が、部室の方角から感じ取れた。その内の二つはリアスと同等、もしくはそれ以上の存在感を持つ。

 ピクシーも気付いたのか、肩を強く掴んでくるのをシンは感じた。

 廊下を早足で駆け、部室の前に立つ。扉一枚の向こう側からは多くの悪魔の存在がハッキリと感じられる。

 軽く息を吸い、数秒かけて吐き出すと、シンは扉を開く。

 

「失礼します」

 

 入室の挨拶と共に部屋の中を見渡す。部室内ではリアスと見慣れない男性が対峙し、一誠たちがそれに加勢するように背後で構え、男性の背後にも同じく十数人の女性が佇んでいた。そして、その間に挟まれるように居る見慣れない銀髪の女性。

 シンが最初に注目したのが見慣れぬ男性であった。リアスと同等の存在感を放つ男性の見た目の年齢は二十代前後、軽く後ろに撫でつけた金髪、切れ長で我の強そうな眼をし、甘く、それでいて野性味のある整った容姿をした美男子。上質そうな真紅のスーツを纏っているが、下に着たシャツはボタンをキッチリと止めず胸元を大きく開けて着崩している。一見だらしなく見えるそれもこの男性が着ると様になり、男性の魅力を十二分に発揮させるものとなる。

 その男性の背後には男性に従うように並ぶ十五人の女性。多種多様な格好をしているが全員から悪魔の気配を漂わせている。そして、全員が美女と称してもいいほどの容姿をし、男性の趣味が窺える。

 

(あいつが泣いて嫉妬しそうな面子だな)

 

 場違いとも言える感想を抱いているシンに、部室内全員の視線が刺さる。

 

「何だ? リアス、いつから人間を飼う趣味なんて始めたんだ?」

 

 露骨なまでに見下した口調の男性にシンの代わりにリアスが怒りを露わにする。

 

「ライザー! 彼は私の協力者よ! 侮辱は許さないわ!」

「協力者ねぇ……」

 

 ライザーと呼ばれた男性はリアスの怒りを受けても見下した笑みを崩さず、値踏みをするかのようにシンを見る。

 

「ふっ、まさかキミが人間の手を借りるとはな。面白い、一応名を聞いといてやる」

 

 上からの目線で尋ねるライザーにシンは一ミリたりとも表情を変えない。

 

「人に名前を尋ねるときまず自分から名乗るのが礼儀では? 話はそれからです」

 

 慇懃無礼なシンの態度にライザーの視線が見るから睨みつけるに変わる。シンもその視線に怯まず、射抜くような視線を返した。

 

 

 




ようやく原作二巻の話に入れました。
今後もこんな感じのペースで書いていきたいです。

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