「何だその格好は……」
出歯亀の集合場所へと着いたシンの開口一番の言葉がそれであった。
リアスは帽子にサングラス。アーシアは眼鏡。この二人は別に問題無い。紅髪や金髪が目立つが、一応は変装を呈している。
ゼノヴィアは前髪をヘアピンで留め、レンズの分厚い眼鏡。イリナはツインテールをポニーテールに変えていた。こちらも別にいい。一瞬気付かないかもしれない。
問題は残りのメンバーであった。
小猫はどこで調達したのか分からない覆面を被り、頭部から猫耳を出すというマニアック過ぎる変装をし、ギャスパーは二つ穴を開けた紙袋を被り、スカートを履いた不審者へ成り下がっていた。
シンに付いて来たピクシーとジャックフロストはその姿に爆笑する。因みにケルベロスは家で待機中。今回のことを話したら『クダラナイ』の一言で同行を断っていた。
「……すみません。顔を隠すのがこれしか無くて。……大丈夫です。気を操って気配を隠せるので」
「ひ、人の多い所に行くとなると、こ、これが無いと落ち着かなくて!」
仙術の応用で発見し難くなるからか小猫の変装は雑。引き篭もりで、対人恐怖症のギャスパーにとって紙袋はせめてもの御守りなのかもしれない。段ボール箱を被って歩き回るよりかはマシと考えるべきなのだろう。
「またこんなの被って~」
ジャックランタンがギャスパーの被っていた紙袋を引っ張り抜く。
「や、やめてよ、ランタン君! そ、それがないと僕は──!」
「少しは勇気を持ちな~」
「やだぁぁぁ! だったらランタン君を被る!」
そう言ってジャックランタンのローブの下に頭を突っ込む。
「いや~ん」
ジャックランタンは、ふざけているのか本気なのか判断し難い反応を見せながら、中のギャスパーごと左右にフラフラと揺れる。
ギャスパーとジャックランタンのじゃれ合いはとりあえず放っておき、最後に残った木場を見る。
一切変装をしていない普段着。その姿を見ただけで、今回のことについて乗り気では無いことが伝わる。
「いつも通りだな」
「間薙君の方こそ」
木場は苦笑を浮かべる。木場に指摘された通り、シンは濃い緑のパーカーに黒のズボンという組み合わせ。私服であり、帽子やサングラスや髪型を変えるなどの変装は一切していない。シンもまた他人のデートを盗み見することに全くやる気が無かった。
「待ち合わせは十時。それまで待機よ」
時計を見ると九時を少し回っていた。残り約一時間。一誠と朱乃の姿はまだ無い。デートの待ち合わせを待つという空しい時間である。
「今のうちに幾つか決め事を決めませんか?」
「決め事?」
「あくまで見ているだけ。何が起ころうとも妨害や邪魔は一切無しで」
シンが言った途端、リアスたちの顔が蒼褪める。
「も、もしイッセーさんと朱乃さんが手を繋いだら……?」
「見ているだけだ、アーシア」
「イッセーに朱乃がアーンをしたら?」
「それも見ているだけだ、ゼノヴィア」
「……イッセー先輩と朱乃先輩が腕を組んだら?」
「黙って見守るだけだ、塔城」
「イッセー君と朱乃さんがキ、キキ、キスをしちゃおうとしたら?」
「見ているしかないな、紫藤」
「万が一、それ以上のことが起きたら……?」
「諦めて下さい」
「……因みに決め事を破ったらどうなるのかしら?」
「俺と木場とギャスパーが全力で部長たちを遠ざけます」
いきなり巻き込まれた木場とギャスパーが揃って『えっ!』という顔をしたのが横目で見えたが、シンは無視する。
リアスたちはどうするべきか黙考し始める。その間に、急に巻き添えにされた二人が小声で話し掛けてきた。
「間薙君。部長がもし暴走したら、僕止められる自信が無いんだけど……」
「情けないことを言うな。それでもリアス・グレモリーの『騎士』か?」
「いや、部長を守る『騎士』であって、部長から守る『騎士』じゃないんだけど……」
「ぼ、僕もぶ、部長を止められる自信が無いですぅぅぅ!」
「灰になっても蘇る程の精神力を見せてくれ」
「灰になること前提なんですかっ!」
適当にあしらいながらシンはリアスたちを観察する。
女性陣全員苦悩する顔となるが、シンはこの条件を呑むだろうと思っていた。ヤキモチや嫉妬はするだろう、一誠は彼女らにとっての思い人である。しかし、朱乃の方も彼女らにとって共通の友人である。自分の恋路も大事だが、相手の恋路を踏み躙る真似はしないとシンは信じていた。
「……分かったわ。それで行きましょう」
重い沈黙を破ってリアスが提示された条件を呑んだ。他に反対する声は出ない。皆の総意と見て間違いない。
「それじゃあ、ルールを守って清く正しく盗み見と行きましょうか?」
現状への皮肉とも冗談とも取れる台詞を言う。当然ながら誰一人笑うことは無かった。
午前十時となり、待ち合わせ場所で一誠と朱乃が合流する。
朱乃は普段見ないフリル付きのワンピースを着て、束ねていた髪を下ろしていた。それだけで朱乃の年不相応にあった艶の代わりに可憐さが前面に出てくる。
一誠と並ぶと同い年どころか年下の彼女に見えてくるほどであった。
一誠も普段とのギャップで完全にやられたらしく、出会って早々に顔を真っ赤に染め上げる。
そして、デレデレしている一誠を見てリアスも真っ赤に染まる。怒りと悔しさのせいで。
リアスたちはバレないように遮蔽物の影から覗いているが、隠し切れない圧力のせいでリアスたちの近くを通る一般人は急に早歩きになる。出処不明の怒気に生存本能が刺激されての無意識の行動と思われる。
恐らく一誠たちも見られていることに気付いただろう。何故なら離れた場所にいるシンにもリアスの嫉妬の圧力が伝播してきたので。
そんなシンはリアスたちとは別の場所から一誠たちを見ていた。携帯電話を操作する振りをしながら横目で一誠たちとリアスたちの様子を窺う。側にはイリナとゼノヴィア、ピクシーとジャックフロストも居り、一般人には見えないピクシーたちはシンにしがみついて遊び感覚で一誠たちを監視し、イリナとゼノヴィアも一誠たちを盗み見しているが、リアスたち同様に気になるらしく前のめり気味になっている。
全員で固まっているとすぐに見つかるし不自然だという理由で、二つのグループに分かれたが正解であった。目立つリアスたちのお陰でシンたちはまだ気付かれていない。
そして、いざデートが始まると開始早々に朱乃が一誠と手を繋ぐ。リアスたちに見せつける様に。リアスの嫉妬心はより増し、殺意めいたものとなり、その近くではアーシアが涙目になっていた。覆面を被っている小猫の表情は分からないが、隣にいるギャスパーがオロオロしている様子から察せられる。
デート開始から荒れる周囲を放っておいて、一誠と朱乃のデートは進んでいく。
最初は服のブランドショップ。朱乃は一誠にどの服が似合うのか尋ね、気になる服があれば試着して一誠に見せる。リアスたちの存在を気にしていた一誠も、朱乃のファッションショーにすぐに夢中になってしまう。
朱乃の服選びの次は、一誠の服選びとなる。一誠に似合う服を朱乃が選び、時折一誠に当てて着た時の姿をイメージする。女子に服を選んでもらうという今までに無い体験に一誠は感涙していた。
「ふーむ。デートというのは、ああいうものなのだな」
「興味深いわー」
ブランドショップの外から中の二人を見ていたゼノヴィアとイリナが感心した様に呟く。教会に奉仕し、俗世との関わりが薄かった二人にはデートというものが新鮮に映っていた。
最初は一誠と朱乃が二人で会うことを不安視していたが、ゼノヴィアたちの方が逆に惹き込まれていた。いずれ来るその時の為の参考にしているのかもしれない。
その次は露店でクレープを買う。実に嬉しそうに財布から金を出す一誠。乳龍帝の番組が始まってから版権料という形で、とんでもない額が一誠の預金通帳に入っている。男相手だと渋るが、女性相手だと財布の紐がとことん緩くなる。
買ったクレープを一緒に食す。お互いに笑顔を向け合い味の感想を言い合っていた。
そのまま歩いていく二人。後を追おうとするシン。が、数歩進んで気付く。ゼノヴィアたちが付いて来ない。
振り返ると彼女らの視線はクレープ屋に釘付けになっていた。
「美味しそうだったな、イリナ」
「ええ。とっても美味しそうだったわ、ゼノヴィア」
「いーなー。アタシも甘いもの欲しいなー」
「ヒホ。オイラも欲しいホ」
合図していないのに、同時に四つ眼差しが揃ってシンへ向けられる。嫌なコンビネーションを見せつけられた。
「──選んでいる時間は無いからすぐに買うぞ」
却下すれば余計拗れると考え即決すると、ゼノヴィアとイリナはシンの腕を引っ張って電光石火でクレープ屋の前に行き、迷いなく注文する。手渡される五つのクレープ。そして、何故か代金はシン持ちであった。
そこから一誠たちはゲームセンターへ行き、UFOキャッチャーでぬいぐるみを取ってはしゃいだり、二人協力プレイのゲームなどをして仲を深め合っていた。
その姿をリアスたちが見るたびに、嫉妬を燃料にして怒気の炎を噴き上げる。もう隠れる気が無いのでは、と思う程に目立つ。とはいえ、リアスたちが目立てば目立つ程シンたちの存在が隠される。
ゲームセンターの次は水族館。そこで一緒に多種多様な魚を眺める。その間、ずっと手を握り合う二人。傍から見れば恋人同士にしか見えない。
終始緩んだ幸せそうな笑みを浮かべる一誠。今日の日のことを一生ものの思い出にすることが伝わってくる。
水族館を一通り回ると出入口へと向かう一誠たち。だが、外に出た途端、朱乃が一誠の手を引いて走り出してしまった。
やはり、監視の目に気付いていた朱乃。ここでリアスたちを撒く気でいた。
咄嗟のことで反応が遅れるリアスたち。周囲に人々が居ることもあって、悪魔の力も使えない。
「どうしよう! 見失っちゃう!」
「追うぞ!」
走り出そうとするゼノヴィアとイリナの肩を、シンが掴んで止めた。
「何故止める!」
「もう追わせている」
誰を、と言い掛けたがゼノヴィアたちはすぐに気付いた。シンの肩に乗っているピクシーの姿が見えない。
「次は空から覗き見だ」
◇
「ふんふーん」
上空からピクシーは一誠たちの後を追い掛けていた。右へ左へと何度も曲がり、リアスたちを追い掛けて来られない様にしているが、空から見下ろしているピクシーには無意味であった。また、リアスたちのことを気にして自分たちの周囲には注意を払っているが、真上への警戒は薄くピクシーの存在に全く気付いていない。
リアスたちを撒いたと分かると一誠たちは走るのを止める。当然ながらピクシーは上からそれを見ていた。
やたら煌びやかな建物の並ぶ場所まで来ており、その建物の前で一誠と朱乃は何かを話している。
流石に離れ過ぎていて声を拾うことは出来なかった。会話の中で朱乃は赤面し、一誠も同じくらい赤面し、それも限界を超えて鼻血を流す。
「何やってるんだろ?」
ピクシーは一誠の奇行に首を傾げる。
今居る場所がラブホテル街で、朱乃から『入ってもいい』と言われたことなど、俗世に疎いピクシーには想像も付かない。
「──あれ?」
彼女は気付く。一誠たちの横に立つ人々。一誠たちから目を離したつもりは無かったのに、いつの間にかそこに居た。
帽子に若々しいラフな姿をした老人。整えられた顎髭に大柄の厚みのある肉体をしたスーツ姿の男性。ロングストレートの銀髪にパンツスーツを着た女性。特に女性の方にピクシーは既視感を覚える。
老人の方が一誠たちに話し掛け、一誠と朱乃は動揺する。顔見知りなのかそこから会話が発生していた。
その間に大柄の男性が朱乃に詰め寄っており、真剣な声で何かを言っている。それに対し、朱乃の方も強く反発していた。
それを止める一誠。一誠と男性との間に火花が散ろうとしていたが、間に老人が入って二人を宥める。
すると、老人は一言、二言発した後、真上を指差す。
「あっ」
不味いとピクシーは思ったが、空に身を隠す場所は無く、老人の指差した方向に全員の目線が向けられる。
「あーあ」
観念し、空から降りていくピクシー。シンに見つかったことと変な三人が現れたことだけ伝えておく。
「お前!」
ピクシーの登場に、一誠と朱乃は驚く。彼女が居るということはシンもまた今回のデートを尾行していたことを意味しており、全く気付かなかった。
「ほっほっほっ。お前さん、確かあやつの仲魔じゃのう?」
「誰だったけ?」
「オーディンという名のしがない老人じゃよ」
老人こと北欧の主神オーディンは、ピクシーに向け快活な笑みを見せる。
「貴女は──」
「何じゃ? お前たち、顔見知りか?」
「はい。リアス・グレモリー様とソーナ・シトリー様の──」
「うーん。会ったことがある様な無い様な……」
「──ええ!」
ピクシーから無慈悲な反応をされ、女性は驚く。
「泣いている私を慰めてくれたじゃないですか!」
「そんなことしたかなー?」
首を傾げるピクシー。記憶に残っていないという仕草に女性はショックを受けた。
「そ、そんな……私って印象の薄いヴァルキリーだったんですか……」
忘れ去られたショックで半泣きになる女性。
「いい歳して泣くんじゃないわい」
「いい歳って言わないで下さい! オーディン様! うう……」
「あーごめん、ごめん。よしよし。あ、何か思い出しそう」
女性の頭を撫でて慰めるピクシー。それにより前にも同じ事をしていたのを思い出す。
泣くヴァルキリーと慰めるピクシー。それを見て笑っているオーディン。そんな状況のせいで、男はそれ以上朱乃に詰め寄ることはせず、諦めた様に溜息を吐いた。
◇
「第一印象は最悪だな」
「言わないでくれ。俺だって分かっている」
顔を両手で覆う一誠。その隣に座るシン。兵藤家の一階にあるキッチンで飲み物を呑みながら、朱乃とのデートについて話しつつ、少し前にあったオーディンたちのことも話していた。
オーディンが日本に来たことで一誠たちのデートは中断となり、兵藤家で全員合流することとなった。
一誠が落ち込んでいる理由は、オーディンのお供で護衛でもある男性の正体を知ってしまったからである。
グリゴリの幹部バラキエル。それが男性の肩書きと名。そして、もう一つ。
「あの人が朱乃さんのお父さんか……」
朱乃の実父である。
つまり、一誠は初対面の父親の前で、娘とラブホテルに入ろうとしている現場を目撃されたということである。
オーディンに付いて来たもう一人の女性の名はロスヴァイセ。戦士の魂をヴァルハラへと導く戦乙女である。
見た目はクールビューティーという言葉が似合う女性であったが、紹介の場でオーディンから彼氏居ない歴が年齢と同じ生娘であることをいきなり暴露され、泣き崩れたことでその印象も一気に剥がれ落ちてしまった。
オーディンの目的は、サーゼクスとミカエルの仲介で日本の神々と会談をすることである。本来ならばもう少し先の予定だったらしいが、北欧の神々の中ではオーディンのやり方に対し不服な者も存在しており、それらが事を起こす前に早めに行動したのが理由だと言う。
「一応トールの奴を置いてきて他に睨みを効かせておるが、どうなることやら」
というのがオーディンの談。ある程度の効果はあるが、効かない相手も存在する様子。
次の話題として最近の『禍の団』の襲撃についての話となった。
リアスの報告を受け、アザゼルは『禍の団』が禁手化目的で神器使いたちを襲撃させているのは概ね合っていると言う。
襲撃者たちを色々と調査したところ、殆どの人間が戦闘経験の無い一般人と変わらない者たちであることが分かった。『禍の団』によって拉致され、洗脳を施し、即席の兵隊として送り込み、見所が有れば魔法陣によって帰還させ、禁手の芽が出ないと分かれば『禍の団』に関わる記憶を全て抹消されるという細工までしていると言う。
殆ど素人集団の為被害が少ないが、英雄派と呼ばれる者たちが本格的に参戦したらどうなるかは分からない。とはいえ、相手の行動は目下のところ調査中。兵藤家内でどうこう言ってもどうにもならないのが現状であった。
「まあ、つまらん話はここまでにするかのう。折角、日本に来たんじゃあちこち周りたいのう」
「気分転換にパアっと行くか。爺さん、どこか行きたい所はあるか?」
「わしは前から日本酒というのが飲んでみたくてのう。あとは綺麗な娘がおれば良し!」
「はっはー! 分かってるなこのエロ爺! 芸者ガールも大和撫子も堪能させてやるぜ!」
「お触り有りか?」
「当然!」
「さっすが、アザゼル坊! 老骨が滾ってくるのう!」
真面目な話があっという間に女遊びの話と変わる。話題の百八十度転換に付いて行けず、誰もが啞然としていた。バラキエルなど頭痛を堪える様に頭を押さえている。
「酒と女ならマダの奴は呼ばんのか?」
「いやー、あいつ、この間冥界で悪さする寸前だったのがあいつの親父にバレてな。謹慎くらってる」
「何と!」
マダがこの世で唯一頭が上がらない存在からの直々の仕置きである為、逃走することも出来ない。内緒にしているが、チクったのはアザゼルである。流石に冥界でインドラこと帝釈天と一戦交えようとしたのは見過ごせない。因みにそこに混じろうとしたトールもまたオーディンから罰を受けている。トールを見張り役として置いてきたというのは表向きの理由、実際は罰である強制留守番であった。
「オーディン様! わ、私も付いていきます!」
ロスヴァイセが同行を求める。
「お前は残っとれ。アザゼルがいれば問題あるまい。この家で待機しておれ」
さり気なくもう一人の護衛のバラキエルも残る様に言っている。
「ダメです! 行きます!」
「刺激が強いぞぉ? ディープな世界だぞぉ?」
「生娘には耐えられんかもなぁ生娘には」
「何度も言わないで下さい! 絶対に付いて行きますからね!」
「じゃあ、行くか爺さん」
「ほっほっほっ! 楽しみじゃのう!」
オーディンはそれ以上何も言わず、アザゼルと共に退室していく。ロスヴァイセはその後を慌てて追っていった。
こうしてシリアスで始まった集いは、コミカルな空気で解散となったのだ。
それ以降は各自の自由となっており、ピクシーたちは広くなった兵藤家内を探検がてらに遊んでおり、シンもそれが終わるまで今の様に一誠と雑談をしている。
「それにしても、あんな形で姫島先輩とのデートが終わるとはな」
「ホントだぜ……。朱乃さん、中断されて残念がってたしお父さんと会ってからずっと不機嫌だし……」
一誠が言う様に、兵藤家に戻ってから朱乃はずっと険しい表情をしていた。バラキエルとは目を合せようとはせず、バラキエルとの間に拒絶の壁を張っていた。
「──因みにだが、お前から見てデートの内容とはどうだったんだ? 満足したのか? それでも不完全燃焼か?」
珍しく踏み込んで内容を聞きにきたので、一誠は少し戸惑いながらも今の心境を話す。
「そりゃまあ、不満が有ると言えば有るけど、でもあれは、その、まあ……」
ごにょごにょと言葉を濁す。恐らくは朱乃と一線を越える直前でおあずけを受けたことだと思われる。
「取り敢えずの感想は、そのー、うん、良かった」
一誠にとってデートの記憶と言えば、夕麻ことレイナーレとした記憶である。そのデートの日に人として殺され、悪魔に転生した。後にレイナーレ本人からそのデート内容を酷評されたが、言われた内容を記憶力が優れている訳でもないのに一語一句覚えている。覚えているというよりも刻み込まれているという方が的確なのかもしれない。
それが朱乃とのデートで完全に上書きされた──とまでは言わないが、少なくともデートとは楽しいものであると再認識出来た。
「微妙なラインだな……」
「何が微妙なんだ?」
「デートの成功の可否、がだ。アザゼル先生とお前のデートが上手く行くかどうか賭けていたからな」
「お前ッ! そんなことしてたのかよ!」
隠さず堂々と賭けのことを教えられ、一誠は賭けの対象にされたことを怒ればいいのか、嘆けばいいのか分からなくなる。
「──何を賭けたんだ?」
「食事の奢り」
「安いなぁ!」
「因みに俺は上手くいかない方に賭けた」
「そこは上手く行く方に賭けろよ! 友達として!」
気の置けない会話をする二人。そんな緩やかな空気が流れる中を──
「気安く名前を呼ばないで」
──冷たく拒絶する声が隙間風の様に通り抜けていく。
「──聞こえたか?」
「ああ、朱乃さんの声だ」
離れているせいで微かな声であったが、同じ階からではなく上の階から聞こえてきたものであることは分かった。
二人は同時に席を立ち、上へ向かって階段を昇っていく。微かな声が段々とハッキリ聞こえてくる。
そして、音の源である五階へ辿り着く。そこから覗くと廊下で朱乃とバラキエルが揉めていた。
その会話の内容に聞き耳を立てる。
「いい加減にして。貴方には関係の無いことだわ」
実の父親に対し、他人の様な態度で喋る朱乃。
「いや、そうはいかない。説明をしてくれ。やはり赤龍帝と逢引きをしていたのか?」
話の内容は、一誠と朱乃の関係を問い質すものであった。父親として娘の恋愛に無関心を貫けないのだろう。
「俺のことかー……」
「初対面の印象が悪かったからな」
あの状況で好感を持つ方がおかしい。
「貴方には関係の無いことよ。勝手でしょ? 貴方にはとやかく言う筋合いも権利も無いわ」
「彼に関しては噂をよく耳にする。女のち、乳房を糧にする破廉恥なドラゴンだと。乳龍帝という二つ名まで持つそうじゃないか」
変な誤解どころか、とんでもない誤解をしている。バラキエルの話では一誠だけでなくドライグにまで女の胸を好む癖があることになっている。
「──良かったな。初対面どころか会う前から印象最悪だ」
「うるせぇ!」
『な、何故だ……何故こんなことになったんだ……?』
一誠の内の中でドライグが震えた声を出す。知らず知らずのうちに不名誉が増えていく現状を恐れて。
「聞いてくれ、朱乃。私は心配なのだ。赤龍帝は娘の乳を狙い、その内なるドラゴンは娘の乳を食らい、糧にすると囁かれている。お前までもがその餌食になったら、私は……」
とんでもない誤解ではなく凄い誤解をしている。一体、どういう話を聞けば『赤い龍の帝王』と呼ばれたドライグが、女の乳が食糧の奇癖を持つ珍龍へと成り下がるのだろうか。
娘を心配するあまり、思考が突飛なものへと変わってしまっているのだろうか。
『おおおおおっ……うおおおおおおおおっ……誰か、誰か俺をこの無間地獄から救ってくれ……!』
一誠の脳内でドライグが慟哭する。
「彼をそんな風に言わないで。女性に弱いところはあるけどそれ以上に優しく頼りがいがある人だわ。──貴方と違って」
「朱乃、私はただ父として」
「今更父親ぶらないで! 自分が父親だって言うなら、あの時何で来てくれなかったの! あの時、貴方が居てくれたら母様は……全部、全部貴方が招いたことじゃない!」
「それでも、私は……」
感情的な言葉を発する朱乃。何かを言い掛けるが口を閉ざしてしまうバラキエル。過去に母親関係で何があったのかは分からないが、責める方も責められる方も古傷を抉っている様にしか見えなかった。
「感情的だな」
「あんな朱乃さん、初めて見る」
良くも悪くも身内にしか見せられない面と言えた。
「あまり良くない展開だ」
「ポロっと言っちゃいけないことを言いそうだな」
感情が昂ぶり過ぎて口走ることを懸念する二人。
「矛先をずらすか」
「え?」
どういう意味だ、と聞くよりも早く、シンは一誠の背を押して壁の陰から廊下へ出した。
「イッセー君!」
「ぬう! 乳龍帝! 私たちの会話を盗み聞きしていたか! 破廉恥な! そこを動くな!」
全身から音を立てて発せられる火花と放電。『雷光』の異名を身を以って示しながら、バラキエルは大股で一誠へと近付いていく。
「どうも」
そんな二人の間に滑り込む様にして入るシン。バラキエルの感情の矛先を一つから二つにする。
「お前なぁ……」
「ちゃんと俺も出て来ただろ?」
いきなり修羅場へ突き出された一誠が恨む様な声を出すが、シンはそれをさらっと受け流す。
「間薙、シンか……」
「ちゃんとした挨拶はしていなかったですよね? 初めまして」
いつの間にかバラキエルの雷光は消えていた。バラキエルはその両眼で、確かめる様にシンの眼を見る。シンも逸らすことなく、真っ向から受け止める。
不意に、バラキエルは自分の腹部を衣服越しに撫でた。それにより何かを思い返している。
「──その気配、やはり同類か」
ボソリと小声で洩らした言葉。その一言だけでシンはバラキエルにも魔人と交戦した過去があることを察する。
敵意、殺意は感じられなかったが上手く隠しているのかもしれない。流石にバラキエルの心中まで見通すことは不可能である。
「止めて!」
朱乃の声がバラキエルをハッとさせ、朱乃がすぐにシンと一誠を庇う様に二人の前に立つ。
「何をする気? 彼らは私にとって大切な人たちなのよ。彼らを傷付けるなら私が貴方の相手になるわ!」
「朱乃……」
「それが嫌なら消えて! まだ自分が父親だと思っているのなら……!」
バラキエルから気迫というものが完全に抜け落ちていく。それは、存在が色落ちしていくかの様であった。
「……すまん」
誰に対する謝罪か分からないまま、バラキエルは背を向けて去っていく。その背からは寂寥感を覚えさせられる。
「朱乃さん……」
朱乃は無言で一誠を抱き締めた。シンが側に居る状態で抱き締め返すのはどうなのだろう、と思いシンの方を見るが、音も立てずにシンは既にこの場から消えていた。
(いつの間に……)
友人の察しの良さと気遣いと行動の速さに舌を巻く。
一誠は朱乃に抱き締められたまま動かない。涙で濡れた顔が乾くまで、ずっとそのままであった。
◇
とあるビルの屋上。バラキエルは夜風に当たりながら夜景を見ていた。ただ、その眼球に目の前に広がる光景が映し出されるだけで、彼の心には何も染み入って来ない。
(こうなることは分かっていたというのに……)
娘から拒絶されることは分かり切っていた。しかし、オーディンの護衛として日本へ同行するという仕事が回ってきた時、それを拒むことは出来なかった。
成長した娘をこの目で見たいという欲求に負けてしまった為に。
拒絶されたことはショックでは無い。自分の存在が娘の心を傷付けたという事実の方が遥かにショックが大きい。
(
「随分と黄昏ているではないか、バラキエル」
背後からの声が脳に達した瞬間、バラキエルは旋風が巻き起こされる速度で振り返り、雷光が宿った右手を突き出す。それに合わせるかの様に、喉元に銀の刃が突き付けられ、雷光と刃の切っ先が互いを貫く前に寸止めされる。
「以前の貴公なら、声を掛ける前に私に気が付いていたぞ? 老いたか? 衰えたか? 腑抜けたか? バラキエル」
「マタ、ドール……!」
目の前に立つ魔人マタドールの名を、怒気を込めた声で吐き捨てるバラキエル。かつて、マタドールによって付けられた腹の古傷が激しく疼く。
「何をしにここへ来た……!」
「何やら闘争のニオイと気配を感じたのでね。どうやって、などと言う質問はしないでくれるか? あんな結界を突破した話など自慢にもならないからな」
町周辺に張り巡らされた結界を気付かれずに抜けることなど不可能──だが、常識の枠外にいる魔人に対しては、その不可能という言葉は無意味なものと化す。
「そういう貴公こそ、この町へ何をしに来た?」
「答える義理など無い……!」
「オーディンの護衛、だけではないのだろう? ああ、そうだ。思い出した」
マタドールの口調は芝居染みたものであり、わざとらしい。
「この町には貴公の娘が居るらしいな。幼少の頃一度見ただけだが、きっとさぞ美人になっているだろう。母親が美人であったからなぁ」
マタドールの口から妻と娘に関する言葉が出てくるだけで、腸が煮えくり返りそうになる。
「そういえば、貴公と妻の馴れ初めは、あの時の怪我が切っ掛けだったそうだな?」
「……それがどうした?」
「ふふふ。私が付けた傷が二人の男女を結び付けたと思うと感慨深いものがある。さしずめ私は貴公らのキューピットかな?」
瞬間、バラキエルは血が蒸発する様な怒りに呑まれた。長い人生に於いて、これほどの侮辱を味わったことがない。バラキエルを、朱璃を、朱乃を穢す言葉であった。
怒りのままにバラキエルは雷光を放つ。ほぼ零距離から撃たれる雷光に、マタドールも雷光に等しい速度で動く。
バラキエルに突き付けていたサーベルで、迫る雷光を真っ二つに斬り裂いた。神技とも言える反射速度。だが、雷光を斬ったマタドールも無事では済まなかった。
サーベルは帯電し、青白い火花を放ち、そのサーベルを持つ左手は、袖から腕に掛けて焦げ跡が付いている。
マタドールを以てしても回避ではなくダメージを覚悟で防がなければならない速度の雷光。それをその身に受け、マタドールは嬉しそうに声を上げる。
「ふはははは! この衝撃! 技は衰えていないようだ!」
「──貴様は殺す。存在そのものを許してはおけない!」
殺意に塗れたバラキエルの宣言に、マタドールは顎を震わせて笑う。
「人間の女性だけでなく、私の口説き方も分かっているな、バラキエル」
久しぶりのマタドールの参戦です。どう関わっていくのかお楽しみにー。