ハイスクールD³   作:K/K

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失笑、失望

 激昂するバラキエルが真っ先に行ったのは、マタドールへの攻撃ではなく周囲に結界を張り巡らすことであった。これにより周辺への被害が及ばず、また人々から気付かれることが無くなる。

 一見すれば冷静な対応。しかし、やはりバラキエルの行動は冷静さを欠いていた。

 彼が最初にすべきことは、マタドールと戦う準備を整えることでは無い。アザゼルにマタドールが出現したことを連絡し、援軍に来てもらうことである。今ならアザゼルと一緒に北欧の主神オーディンにも助力を得ることも出来る。

 だが、バラキエルはそれをしなかった。

 また、周囲から隠れる為に結界を張るという行動も、逆に言えばマタドールの存在をアザゼルたちに感知させにくくすることを意味している。

 バラキエルの行動は全て自分とマタドールが戦うことしか考えていない。死んだ妻と自分のかけがえのない日々を愚弄したマタドールを自ら手で葬るという激情に任せたものであった。

 場の準備が整った瞬間、バラキエルは右手を振り下ろす。雲一つ無い空間から無数の落雷が降り注いだ。

 

「ははははは! いきなり派手だな! 私好みだ!」

 

 雨の様に降る雷。文字通り雷雨の中を、マタドールはサーベルと赤のカポーテを構えて哄笑しながら走る。

 その動きはまさに人外であった。

 前方に雷が迫ると分かれば急加速。通過点に落雷が起きると分かれば速度を緩め、更にそこから一歩踏み出せば即座に急加速と同じ速度となる。

 緩急を交互に、それも滑らかで停止が一切無い。その動きも脅威であるが、雷の発生すらも見切るマタドールの動体視力──眼窩は空だが──が雷雨の中にある僅かな隙間を見通し、一筆書きの如く潜り抜けて行く。

 人体ならばとっくに壊れていてもおかしくない動きで、上位に近い存在でも黒焦げた死体と化しているバラキエルの雷光の猛攻を躱していく。

 

「ふはははははは! この程度かね?」

 

 遊ぶように楽しみながら挑発するマタドール。

 

「こちらの台詞だ」

 

 バラキエルが振り下ろした右手を逆に振り上げた時、地面を突き破り、マタドールに向けて光の槍が放たれた。

 雷と光を操るがこそ『雷光』の異名。外れた雷光を即座に光の槍へと変換し、第二射としてマタドールを狙う。

 大小様々な光の槍が、雑草の様にマタドールの周辺に現れており、それらが一斉発射される。更には頭上から雷も降って来る、三百六十度全ての角度からバラキエルの怒りがマタドールを襲う。

 

「くっ」

 

 だが、マタドールは笑う。危機、絶体絶命な状況でさえも。死をもたらす存在である魔人は、自らに迫り来る死など恐れない。迫る死に対する魔人の反応は個々様々。

 マタドールは四方八方から来る死を試練と受け取り、その先にある勝利へ向け情熱を燃やす。

 赤のカポーテが、雷と光の槍に振るわれる。たかが布切れ一枚──などと楽観視する者などこの場には居ない。

 はためくカポーテが雷に触れた瞬間、雷が軌道を変えた。光の槍に触れる。槍もまた軌道を変えた。実体の無い雷と光の槍が、雨粒の様に次々と弾かれる様に軌道を変えていき、外れるもしくは力同士が衝突し相殺される。

 闘牛士のカポーテは、本来なら闘牛を誘導させる為の物。決してこの様な使い方や力がある訳では無い。しかし、魔人マタドールが一度それを振るえば、あらゆるものの力の流れを変え、捌き、逸らす魔具或いは魔技と化す。

 逃げ場も無い密集されたバラキエルの攻撃を、無傷で切り抜けてしまうマタドール。集中的な攻撃の為、それを抜けてしまえばバラキエルとマタドールの間に妨げるものは何も無い。

 マタドールが踏み込む。瞬間移動の様にバラキエルの眼前に移動すると、既に構えていたサーベルから突きを放つ。

 銀光の残像が一直線にバラキエルの心臓目掛け伸びていく。バラキエルも動くが、出来たことはサーベルと心臓との間に腕を掲げること。

 マタドールの剣がバラキエルの腕に刺さり、その奥にある心臓を──

 

 

 ◇

 

 

「ッ!」

「どうしたの? 朱乃?」

 

 いきなりソファーから立ち上がり呆然とする朱乃に、リアスは心配した表情で聞く。朱乃の顔色は蒼白であり、冷汗を流している。

 リアスに声を掛けられ、我に返り周囲を見回す。オカルト研究部のメンバーほぼ全員が様子のおかしい朱乃を心配する様な眼差しを向けていた。

 

「──大したことないですわ」

 

 これ以上心配させまいと微笑む朱乃であったが、その微笑みはぎこちなく、余計に周りを心配させる。

 

「朱乃、瘦せ我慢せずに話しなさい」

「──ごめんなさい。リアス」

 

 朱乃の内心を見抜いていたリアスの言葉に、申し訳なさそうな顔で謝りながら朱乃は立ち上がったソファーに座る。

 

「何か、今、嫌な胸騒ぎがしたんです」

「胸騒ぎ?」

「私にも理由は分かりません。言葉に出来ない感覚が背中を駆け抜けていって、気付いたら……」

 

 ソファーから立ち上がったと言う。実父のバラキエルと再会してから様子がおかしく、いつも通りに振る舞えない朱乃を心配するが、同時にそれも仕方のないことであると朱乃の事情を知っている者は納得する。

 朱乃はまた心ここにあらずという状態になっていた。

 

「朱乃、やっぱり父親のことで落ち着けないのかしら?」

 

 側に座っている一誠に、リアスは小声で話し掛ける。しかし、返事が無い。

 

「イッセー?」

「は、はい! どうしました?」

 

 今気づいたといった様子で驚きながら反応する一誠。

 

「貴方もどうかしたの? 様子が変だったわ?」

「え? いや、そうですか? ちょっと考え事をしてたので……あははは」

 

 笑って誤魔化す一誠をリアスは訝しげに見ていたが、ふとあることに気付いた。

 

「そう言えば、シンはどうしたの?」

「間薙ですか? あいつなら野暮用を思い出したって言って少し前に出掛けましたよ?」

「この子たちを置いて?」

「ヒホ?」

 

 リアスは膝の上に座るジャックフロストを上から見下ろす。リアスの視線に気付いて、ジャックフロストは首を傾げながら見上げた。

 ジャックフロストだけでない。ピクシーは、小猫とアーシアと戯れ、ジャックランタンはいつものようにギャスパーに抱き締められている。

 

「まあ、いざとなったら喚び出すことも出来ますし、また戻って来ると言ってましたんで」

「それなら、いいけど……」

 

 朱乃の突然の行動、一誠の少しおかしな反応を連続して見たせいで、シンもまた何かしらの不調が有るのではと疑いと心配を同時に抱いてしまう。

 リアスは思い過ごしであることを心の中で願う。

 

(すみません……部長)

 

 一誠は心の中でリアスに謝罪する。一誠もまた妙な体調不良に悩まされていた。

 頭の奥がチクチクと痛み、言い様の無い不快感が込み上げてくる。

 

(どうなってんだ? これ……?)

 ──せ。──せ。──せ。

 

 耳の奥で囁かれる男か女かも分からない掠れ声。いきなり聞こえたせいで丸まっていた背中が棒でも突き刺された様に真っ直ぐに伸びる。明らかに不審な行動であった為、一誠は慌てて周囲を確認するが、リアスは朱乃の方に意識を向けており気付いていない。他のメンバーも様子がおかしい朱乃の方を気にしていた。

 

(良かったー……)

 

 ただでさえ朱乃のことを皆が心配しているというのに、これ以上心配の種を増やしたくない。

 

(さっきの声、一体何だったんだ?)

『声? そんなものが聞こえたのか?』

(ドライグは聞こえなかったのか?)

『ああ。どうやら、お前にだけ聞こえる様にしているようだな』

(何で俺だけに? というか誰の声なんだ?)

『誰の声かは分からないが、声の正体なら推測出来る』

(本当か!)

 

 答えがすぐに用意されたことに少し安心する。

 

『歴代の『赤龍帝の籠手』所持者の思念だ。それがお前の心に直接何かを訴えている』

(歴代の? でも、今までこんなこと無かったぜ?)

『それだけ神器との繋がりが深くなったということだ。禁手化することは、神器と深く結び付くことを意味する。だから神器内に残った所持者の負の感情が、お前に干渉し始めた』

 

 あっさりと言われたが、ドライグの説明には一誠にとって無視出来ない言葉が含まれている。

 

(負の感情って……)

『別に不思議なことではない。相棒も分かっているだろ? 大きな力を持つことはそれだけ色々な存在から目を付けられる。幸福になることよりも不幸になることの方が多い。実際に歴代の赤龍帝たちは自らが災厄に見舞われたり、仲間が自分の力のせいで悲惨な目に遭った。その時の感情が『赤龍帝の籠手』に刻み込まれるのさ。呪いの様にな』

(呪い……)

 

『赤龍帝の籠手』のおかげで助かったことが多々ある一誠からすれば『赤龍帝の籠手』が呪われているなど寝耳に水である。

 

『呪いは所持者を破滅に導き、破滅した所持者もまた新たな呪いと化す。負の連鎖がそうやって巡り続けていくんだ』

 

 一誠は左腕を見ながら唾を呑み込む。今も聞こえる囁き声が一誠を破滅の方へ誘っていくものだと思うと鳥肌が立ってくる。

 

『あまり耳を傾けるなよ、相棒。歴代の思念は煮詰まり過ぎて暗黒そのものだ。俺ですら手を焼く』

 

 今出来ることを助言として一誠に送るドライグ。

 

(とりあえずそうする)

 

 他に方法も浮かばなかったので、ドライグの助言に従い、囁きを紛らわす為にリアスたちと積極的に話し始めた。

 会話に集中するにつれて声も気にならなくなる。

『赤龍帝の籠手』の奥底から怨嗟に満ちた声が囁き続ける。

 

 ──せ。──ろせ。──殺せ。魔人を殺せ。魔人を殺せ。

 

 ──魔人(マタドール)を殺せ。

 

 

 ◇

 

 

 夜道を早歩きで独り進んで行くシン。

 自分でも何処に向かっているのか分からない。体の衝動に従い、動き続けていた。

 言い様のない不快感と背筋が粟立つ感覚。既視感を覚えるものであったが、はっきりと感じた訳でなく、まるでぼやけている様な曖昧な感覚でもあった。

 そんな曖昧なものによって動く自分を馬鹿だと思いつつも足を止めない。止めることが出来なかった。

 

「おい」

 

 誰かに声を掛けられ、ようやくシンは立ち止まる。

 声の方へ目を向ける。

 

「一人でどこに行くのかのう」

 

 アザゼル、オーディンの二人がそこに居た。

 

「嫌な感じがしたので」

 

 率直且つ簡単に説明する。正直、そうとしか言えなかった。

 

「成程。お前に俺たちがこうして顔を合わせたとなると、その嫌な感じは本物だな」

「わしらも一瞬だが不穏な気配を感じてな。だが、すぐに消えてしもうた。何かが感じにくくしとるらしい」

 

 数時間前に見せていたエロ爺の顔は消え、主神たる威厳に満ちた姿を見せるオーディン。アザゼルと共に真剣な表情をしており非常に頼りになる──これで顔にハッキリと付いた幾つもの口紅の痕が無ければ完璧であった。

 口紅の痕はひとまず見なかったことにし、真面目な話を続ける。

 

「お前の感じた気配、直感でいい。今まで会ってきた存在の中で近い奴はいたか?」

 

 アザゼルの言葉にシンは少し考える。あの嫌な気配、それに一番近しい存在は。

 頭の中で浮かび上がる候補が一気に黒く塗り潰されていく。そして、最後に残ったのは一つ。

 

「──魔人」

 

 ぼそりと呟いた時、アザゼルもオーディンも驚いた顔はせず納得した様子であった。

 

「やっぱりかー」

「本当に神出鬼没だのぉ」

「となると一番可能性が高いのはマタドールの奴か……」

「だろうなぁ。あ奴の戦いに対する嗅覚と勘は尋常ではないからのぅ。わしらの存在を嗅ぎ付けたのかもしれん」

 

 うんざりした顔つきで魔人に対して不満を洩らす二人。それだけで魔人相手に手を焼いていることが伝わってくる。そして、現れた魔人の候補としてマタドールを挙げる。それにシンも賛成であった。何せ、嫌な気配を感じる度にマタドールの顔が脳裏にちらつく。

 

「悪いニュースが続くが……さっきからバラキエルに呼び掛けても返事が無い」

 

 バラキエルとマタドールがこの町のどこかで交戦状態に入っている可能性が高いことを意味している。

 

「バラキエルの奴も、マタドールには因縁があるからな」

「本当に恨みしか買わない奴ですね」

「全くだ」

「恨みを買うことと喧嘩を売ることに関しては天才じゃぞ、奴は」

 

 タンニーンが我を忘れる程の憎しみを抱かれたり、バラキエルとの間に因縁があったりと、改めて悪辣な存在だと認識する。

 

「とりあえずバラキエルが最後に居た場所は見当がついてある。そこへ行くぞ」

「はい」

 

 三人が移動しようとすると──

 

「待ってくださーい!」

 

 大きな足音を出しながら、ロスヴァイセが駆け付けてきた。

 

「勝手に、行かないで、下さい……!」

 

 着くやいなや前のめりになって肩で息をする。全力疾走したせいで整えられた銀髪は乱れ、ぼさぼさになっている。

 

「お前はあの店で待ってろと言ったじゃろう」

「嫌です! 私はオーディン様の護衛なんですよ! どこへでも付いていきます!」

 

 顔を上げ、決意に満ちた眼差しでオーディンを見るロスヴァイセ。事情を知っているのか知らないのか、シンには分からないがロスヴァイセの真摯な気持ちは伝わってくる──これで頬に口紅の痕を付けていなければ言うこと無しであった。

 シンの視線に気付き、自分の顔に口紅が付いていることを思い出したのか慌てた様子で喋り始める。

 

「違います違います! 誤解しないで下さい! 私もお店には入りましたけど、お二人が見られ続けると気になるって言って仕方なく席に着いただけなんです! そしたら私にも女性の方が付いてしまって! それで話している内にお二人が盛り上がってキスされて! その流れで私もされただけなんです! 異性の方とのご縁はありませんが、まだそっちの道に入るつもりは無いんです!」

 

 聞いてもいないのに早口で言い訳し続けるロスヴァイセ。

 

「そうなんですか」

「本当ですからね! 本当のことですからね! 信じて下さい!」

 

 シンの素っ気無い態度をそういう風に見ていると誤解したロスヴァイセがしつこく食い下がってくる。シンとしては、とっととこの話を打ち切って魔人関連の話をしたかっただけである。

 

「お前はちょいと黙っておれ。すまんのぅ。こやつは少しポンコツな面がある」

「ポ、ポンコ──」

 

 ポンコツ呼ばわれされ、言葉を失ってしまうロスヴァイセ。かなりショックだった様子。

 

「んなことより、さっさと行くぞ。バラキエルが心配だ」

「え? バラキエル様がどうかしたのですか?」

 

 ロスヴァイセには、まだ魔人関連のことは伏せてあったらしい。とは言ってもほぼ確信したのは、シンと接触した後であったので仕方ない。

 

「ロスヴァイセ。もう一度言っておくぞ。今からでも遅くは無い。あの店で待っておれ」

 

 今までは孫に接する祖父という柔らかな感じで接していたオーディンであったが、上の立場として威圧を込めてロスヴァイセへ命じる。

 ロスヴァイセもオーディンの圧に一瞬怯みかけるが、すぐに表情を引き締めて言い切る。

 

「私は、主神であるオーディン様の護衛としてここへ来ました。たとえ主がそう命じたとしても、私は最後まで護衛の任務を全うします」

 

 すると、オーディンはシンとアザゼルの方を向く。

 

『なあ? こいつ堅物じゃろう?』

 

 声を出さずにロスヴァイセの生真面目さを半分呆れ、半分褒める。

 

「そこまで言うなら仕方ないのぅ。ちょいと魔人の顔を拝みに行くとするか」

 

 顎から伸びる長い髭を撫でながら、オーディンはロスヴァイセの同行を許可する。

 

「……え?」

 

 ここでようやく向かう先に魔人が居ることを知り、ロスヴァイセの目が点になる。

 

「魔人というと……あの魔人ですか?」

「魔人と言えばあの魔人しかなかろう」

「単独でこちらを攻めに来る……あの魔人ですか?」

「おうよ。しかも、多分待ち構えているのは、お前さんらと度々やり合っているマタドールだ」

「トール様と真っ向から戦える……マタドールですか?」

「だからそう言ってるじゃろうが」

 

 魔人と戦うかもしれないということでかなり動揺しているらしく、ロスヴァイセの言っている内容がワンテンポ遅く感じる。

 魔人。マタドール。ロスヴァイセはその情報を静かに嚙み締めた後、さめざめと涙を流した。

 

「長い様で短い一生でしたね……」

 

 逃げずに覚悟を決めている辺りは流石と言える。

 

「ほれほれ、行くぞ。安心せい。生娘を卒業するまではわしが守ってやるわい」

「バラキエルも早々にやられる様なタマじゃない。──タマじゃないが、流石に一人で相手するにはキツイ。とっとと見つけるぞ」

 

 アザゼルが先導し、バラキエルが居た場所へ四人は急いで向かう。

 

 

 ◇

 

 

 想像と現実が乖離した時、誰でも心に僅かな揺らぎが生まれる。

 マタドールにしてもそうであった。数多に振るってきた自慢のサーベルから放たれる突き。柔い腕の肉など容易く貫き、その奥にある心臓もまた造作も無く突き刺す。

 それがマタドールが刹那に見た幻想。現実は、マタドールの刃はバラキエルの腕半ばで止まっている。

 柔いと思っていた腕の肉は、合金の如き硬さと粘りを持っていた。

 予想外の手応え。予想外故にマタドールの心は弾む。安泰な勝利など退屈。苦難苦戦があってこそ得難き勝利となり、その勝利は己の成長へと繋がる。

 鋼の腕も貫いてみせようとマタドールが意気込み、刃を押し込もうとした直前、マタドールは体を仰け反らせ、突き込む筈であったサーベルがバラキエルの腕から押し出される。

 そのまま後方へ飛ばされていくマタドールだったが、数メートル移動した後に音も無く着地する。

 

「──効くな」

 

 マタドールが顎を開く、中から白煙が立ち昇る。その全身からも同様に白煙が上がっている。それは、バラキエルの雷を受けた証であった。

 バラキエルは、本来ならば外へ放出させる力を体内に満たすことによって自己強化を密かに行っていた。力や肉体の強度を上げる為のものであり、全力で行えば神滅具の禁手相手でも真正面から戦える。

 これにはもう一つ利点があり、体内の力をそのまま雷光へと変換することも可能なのである。これによりバラキエルはサーベルを通してマタドールに雷光を流し込んだのだ。

 

「肉を切らせて骨を断つ、という訳か」

 

 ダメージを受けたというのに嬉しそうにカタカタと顎を震わせるマタドール。

 上級悪魔でもただでは済まないバラキエルの雷光を流し込まれたマタドール。今ならば追撃を仕掛ける絶好の機会──と傍から見れば思われるかもしれない。しかし、今のバラキエルはマタドールに対して警戒を最大まで強めていた。

 

「ならば──」

 

 バラキエルは肩に灼熱感と温い感触を覚える。肩から腕に掛けて伝わっていく温さはどんどんと温度を失っていき、最後には冷たくなって指先から滴として落ち、地面に赤い点を作っていく。

 

「私の場合はどうなるのかな?」

 

 バラキエルの肩に出来た斬傷を見てマタドールは挑発する様に問う。

 マタドールがバラキエルから離れる一瞬、マタドールはバラキエルに対してサーベルを一振りしていた。反撃に対する反撃に、バラキエルも反応出来ずにマタドールの一太刀を受けてしまう。

 その反射速度と執念に背筋が寒くなる。容易く研鑽されたものではないことが嫌でも伝わってくる。改めて自分が魔人と対峙していることを実感させられた。

 

「肉の無い骨すら焦げる様な痛みと衝撃。懐かしさを覚える。今さらながら貴公と戦っていると実感させられるな」

 

 バラキエルの雷光を受けて逆に闘志を高めていくマタドール。それに応じて全身から放つ死の気配と魔力も高まっていく。戦えば戦う程、強敵であればある程にマタドールもまた己の力を高めていく。

 相手をする立場からすれば心底嫌な存在である。

 

「あの時を思い出すじゃないかバラキエル! 貴公との初めての戦いを!」

「──私にとってはどうでもよい過去だ」

「つれないなぁ、バラキエル。私はこれでも貴公には敬意を払っている。手負いの状態で私から逃れた時のことは鮮明に覚えている」

 

 懐かしむ様にして語るが、バラキエルからすればマタドールとは昔話に花を咲かせる様な間柄では無い。嫌悪している存在故にまるで友人の様な態度で接してくるマタドールに鬱陶しさしか感じない。バラキエルのこの反応は、マタドールを知っている者たちにとって共通のもの。出会った相手の九割以上が彼を嫌い、拒絶する。

 二人が対決したことに因縁などは無い。任務中に偶然出会い、マタドールの方から襲い掛かった。更にそこへ魔人と戦っていることなど知らなかった第三勢力の襲撃も加わり血みどろの大乱闘と化す。悪名轟く魔人であり凶悪な通り魔でもあるマタドールとバラキエルの戦いに巻き込まれて第三勢力は全滅。その最中にバラキエルも腹部に重傷を負わされたが、そこから何とか逃げ延び、その先で妻である朱璃に治療され、恋に落ち、夫婦となり子供を授かった。

 マタドールのキューピット発言はあながち間違いではないと捉える者もいるだろうが、バラキエルからすれば全ては朱璃の優しさによって生まれた切っ掛けであり、マタドールが関わっているなどとは死んでも認めるつもりは無い。

 

「──一つ聞きたい」

「うん?」

 

 過去を振り返っていたマタドールは、バラキエルのその言葉に意識を今に戻す。

 

「何かな?」

「あの日……朱璃を手に掛けたのはお前か……?」

 

 静かな言葉と共に返答次第では即抹殺出来る様、雷光を迸らせる。

 今にも目に焼き付く光景。血溜まりの中で事切れた朱璃。殴殺された術者と思わしき複数の死体。そして、血に染まりながらも無傷であった朱乃。

 何が起こったのかバラキエルが知る術は無い。ただ、血と死臭と共に残された魔人の気配が、マタドールがその場に居たことを示していた。

 だから問う。一体何が起こったのかを。

 

「……」

 

 マタドールは無言であった。先程まで高揚し饒舌に語っていたのが嘘の様な静かさ。

 次の瞬間、マタドールが自ら沈黙を破る。哄笑によって。

 

「ふははははははははははは! ふふふふふ! はははははははは!」

 

 心底可笑しい。それが伝わってくる程の笑い声。

 

「何が可笑しい!」

 

 朱璃の死を嘲笑っているかの様な笑いに、バラキエルは雷光を今にも放ちそうになる。

 

「ははははは! 勘違いをするなよ、バラキエル。これは失笑だ。言動が矛盾している貴公と、そんな貴公に多大な期待を寄せていた自分の愚かしさへの失笑だ」

 

 スイッチを切り替えた様にマタドールの笑いは消え、絶対零度の冷たさを帯びた言葉が吐かれる。

 

「矛盾、だと……?」

「私の目を欺けると思ったのか? それとも無自覚なのか? ならば言わせてもらおう。さっきの質問をした際、何故貴公は殺気と敵意を弱めた? 逆の筈だ。最愛の者を奪った相手ならば」

「そんなことは……」

 

 口では否定するが、マタドールの指摘に心臓を掴まれた様な気持ちになる。鼓動が乱れていく。

 

「無いとは言わせない。──貴公は本当は分かっているのではないか? 私にした問いの答えを?」

「何を馬鹿なことを……!」

「そうか。なら勝手に喋らせてもらおう。なに所詮は憶測。聞き流し、的外れで馬鹿な話と私を嘲ればいい」

 

 マタドールは剣先を突き付け、バラキエルの周囲を緩やかな速度で歩き出す。

 

「貴公は心の中で望んでいるのだよ。私が彼女を殺した、ということを」

「戯言を!」

 

 途端、雷光がマタドールに飛ぶが、既にその場所から二メートル程離れた位置にマタドールは移動していた。

 

「どうした? 攻撃が荒いぞ? おかげで欠伸が出そうな程遅い。戯言如きに心を乱してどうする?」

 

 雷光の精度が欠けていることを指摘するマタドール。バラキエルは再び雷光を放とうとするが、それよりも先にマタドールの言葉が耳に入ってきた。

 

「本当は、彼女が死んだ原因は自分にあると自覚しているのだろう?」

 

 バラキエルの全身に満ちていた雷光の輝きが一気に失せる。バラキエルの心境を現すかの様に。

 

「堕天使と人間。大昔ならいざ知らず、今の世では何かと問題が生じる。ましてや貴公のつがいは『姫島』の出。日本の五大宗家が外の血、それも異形の血が混ざることを許すとは、とても思えない」

 

 何故そのことを知っている、という質問が喉から滑り出そうになるがすぐに愚問だと悟る。戦いと勝利に固執するこの存在が、そういう情報を怠る筈が無い。

 

「朱に交われば赤くなる、この場合は黒か。得体の知れない混ざりものは排除すると考えるのが常道。さてさて。先程の質問を質問で返すことになるが、この場合一体誰が原因となるのかな?」

 

 バラキエルを嬲る様なマタドールの質問返し。

 

「……」

 

 その問いに、バラキエルは答えることは出来なかった。答えが分からないから答えられないのではない。答えが分かっているからこそ答えられない。

 

「答えは至って単純。バラキエル、貴公のせいだ。貴公の存在が愛する妻を死に追いやり、愛する娘を危険に晒した」

「やめ、ろ……」

「その事実から目を背けて、まさか敵である私に全ての責任を背負わせようとはなぁ! いや、違うな。私の言葉に縋ろうとしていたのか。自分の心を少しでも救う為に!」

「違う……!」

「情けないにも程があるぞ、バラキエル! そんな情けない男だからこそ、妻を救えなかったのだな!」

「違う……違う! 私は……!」

 

 未だに癒えないバラキエルの心の傷に言葉の剣を突き刺し、容赦無く抉る。

 

「私は愛や恋を否定はしない。それによって強くなる場合もある。だが──」

 

 マタドールはバラキエルを冷笑する。

 

「貴公の様な腑抜けを生み出す場合もあるのは考えものだな」

 

 バラキエルは反論しようにも出来なかった。その沈黙こそがマタドールの言葉を暗に認めてしまっていることを意味する。

 

「どうした? 何故そんな顔をする? 所詮は私の戯言。見当違いと言って笑い飛ばしたらどうだ? さあ、遠慮することは無いぞ? 盛大に嗤え!」

 

 両手を広げ舞台役者の様な大仰な動きをするマタドール。しかし、バラキエルはマタドールの言葉通りには動かなかった。

 

「……そういえば、貴公の娘は元気かね?」

 

 マタドールが朱乃のことを話題にしようとした瞬間、バラキエルのズタズタに裂かれた心に闘志の火が再点火する。

 最愛の妻を失ったバラキエルは、残された朱乃だけはどんなことがあろうとも守り抜かなければならない。父である自分を娘から拒絶されようとも、娘の幸福だけは命を賭して守る義務がバラキエルにはある。

 萎えかけていた闘志がバラキエルの瞳に宿るのを見て、マタドールは少しだけ愉快そうに笑う。

 

「娘だけは絶対に守る、と言いたげな目だ。だが、出来るのかな?」

 

 マタドールは口撃を緩めない。

 

「妻は死なせた男が、都合よく娘だけは守り通せるのか? 一度は両方とも失い掛けた貴公に?」

 

 事実を並べ、バラキエルを追い詰めていく。

 

「娘との仲は良好かね? まあ、ここに一人で居ることはある意味答えか。守ると思っていても娘から拒絶されるとは滑稽だ。そんな男が父親面するのは更に滑稽だが」

 

 まるで見てきたかの様に、バラキエルと朱乃の今の関係を憶測で語るマタドール。

 

「諦めろ、バラキエル。無駄な決意と覚悟だ。妻を救えなかった貴公に、娘は守れない」

 

 楔の様な呪いの言葉をバラキエルの心に打ち込んでいくマタドール。バラキエルは、それを受け止めるしか無かった。一度は認めてしまったこと。最早喚いて否定など出来ない。

 マタドールの言葉を受けて、バラキエルの中で蘇る記憶。息絶えた妻を抱き上げたとき、両手に伝わってくる死者の重みと冷たさ。

 命は助かったが、その心を救えなかった娘のバラキエルに対する失望と怒りの声。

 

『どうして! どうして母様のところに居てくれなかったの!』

『父様と私に黒い翼が無ければ母様は死ななかったのに!』

『嫌い! 嫌い! あなたも! この黒い翼も大嫌い! 皆大嫌い!』

 

 バラキエルの性格故に全てを受け入れるしかない。呪詛の様なマタドールの言葉を。だが、たとえどんなに朱乃から嫌われ様とも朱乃を守るということだけは折れない。それがバラキエルの最後の一線であり、最期に何も出来なかった朱璃への償いであった。

 これまで饒舌にバラキエルの心を切り裂いてきたマタドールであったが、バラキエルの反応を見て、これ以上どうこう言うのは無意味と悟る。

 バラキエルには覚悟が見えるが同時にまだ迷いも見える。だからこそ、マタドールの闘志は上がらない。一度萎えてしまったものが簡単に昂らせることは難しい。特に一度は失望してしまった相手である。もう一度同じ事が起きるかもしれないことを危惧していた。

 期待を裏切られてバラキエルに辛辣に接するマタドールだが、その期待はまだ完全に失せていない。

 

「はぁ……」

 

 マタドールが溜息を吐く。傲岸不遜なマタドールを知る者からすれば、珍しい行為であった。

 

「今日はここまでだ」

「──何だと?」

 

 戦闘狂のマタドールが戦いを中断することにバラキエルは驚く。同時に何かを企んでいるのか疑ってしまう。

 

「今の貴公を倒しても何の価値も無い。倒した獅子や虎の皮を飾るのは誉れかもしれないが、翼の折れたカラスを飾るなどただの恥だ」

 

 強者に対してそれなりに敬意を払うマタドールがバラキエルに堕天使の蔑称を使う辺り、かなり怒りを抱いているのが分かる。

 

「哀しいな、バラキエル。私は哀しい。認めていた男がこうも情けなくなってしまうとは。この傷心を癒すのにはしばらく時間が掛かりそうだ」

 

 マタドールがサーベルを振るう。空間を薙ぐ様に数度煌くと、バラキエルが張った結界に斬撃の痕が刻まれた。

 

「しばらくの間は大人しくするとしよう。追手を放っても構わないが、出来るならアザゼルぐらいの実力者で頼む。今の私では弱者など即殺してしまいそうだ。そうなれば可哀想だろう? 八つ当たりでいじめ殺される者達が。次に会う時は、少しはマシになっていることを願おう」

 

 赤いカポーテを振るうと旋風が生じ、亀裂が入った結界を内側から破壊する。

 巻き起こされた風から顔を守るバラキエル。一瞬だけ目を逸らした後、マタドールはバラキエルの前から去っていた。

 

(逃げられた……いや、見逃されたと言うべきか……)

 

『遅れたが貴公の質問に答えておこう!』

 

 その時、マタドールの声がこだまする。

 

『──私は彼女の最期を知る男だ!』

「何だと!」

 

 不意に聞かされた新たな事実。

 

「どういうことだ! 答えろ!」

 

 問い返すバラキエル。だが、もう答えが返ってくることは無かった。

 

 

 ◇

 

 

「動いたか、オーディン」

『それで、どうする?』

「言わなくても分かっている筈だ。主神殿は少々好き勝手が過ぎた。そろそろご隠居を願おう」

『いいのかぁ? 密かに手駒は創ってきたが、孤軍奮闘になるぜぇ?』

「構わん。他の者たちが口では不満を漏らしているが、オーディンとトールに何も出来ない腰抜けたちだ。当てになどならん」

『ヒャハハハ。その二柱を前にして強気でいられる奴なんていないさ。俺たち以外は、な』

「その通りだ。最早、オーディンとトールの時代では無い。北欧神話の未来を創造するのは、我々だ!」

 

 




マタドールのバラキエルへの態度は、『もうしっかりしてよね! でないと私が笑い物になっちゃうんだから! ――べ、別に貴方のことなんて何とも思ってないんだからね!』的なツンデレだと思って下さい。

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