ハイスクールD³   作:K/K

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仲間と一回はもめる人修羅。


異名、傷心

 広々とした空間で相対する一誠とトール。トールは武という言葉を体現したかの様に静かに、だが威圧を放ちながら佇み、一誠の方が冷や汗をこれでもかと流し、血の気を失った蒼白顔で立っていた。

 

『私と戦え』

 

 ミョルニルのレプリカの使用を懸けて一誠はトールと勝負しなくてはならなくなった。

 相手は北欧神話最強クラスの神。一方で一誠は歴代の赤龍帝の中でも最底辺とまで言われているレベル。まさに比べ物にならない。

 そんな対極の二人が戦うのである。

 トールがこの話を出した時、当然ながら批判する声が上がった。アザゼルやリアスたち、主神であるオーディンもトールと一誠が戦うことを反対した。

 だが、トールはそんな反対意見に一切耳を貸さず、しなければ絶対にミョルニルのレプリカを渡さないという始末。更には、それでも欲しければ力尽くで奪えばいいとまで言ってきた。

 ロキたちとの戦いが控えているのにトールと総力戦など出来る筈が無い。ロキたちとの決戦を前に全滅する可能性すらある。

 

「俺……やります!」

 

 一誠はトールとの戦いを受けることを決断した。どうしようもない状況、唯一打破出来る方法は、一誠が勝負の申し出を受け入れることのみ。

 そうと決まると一誠とトールが戦う場所を決めることとなる。戦いの場所に選ばれたのは、以前ギリメカラとの戦いで使用したグレモリー領地下のバトルフィールド。

 そして、トールの方から戦いに於いて幾つかの条件が出された。

 一誠は禁手を使用すること。トールはミョルニルと雷の使用を禁じ、素手のみ。決着は一誠がトールに一撃入れたら勝ちとする。

 完全に一誠にとって有利な条件であった。禁手使用の上で一撃だけトールに与えればいいのである。

 その条件を聞いた時一誠は、やれるかもしれない、と密かに思った。

 しかし、今、トールと向き合ってその考えが甘かったことを知る。

 

(何だこりゃ……どう戦えばいいんだ……)

 

 向き合うだけでトールが二倍にも三倍にも膨れ上がったと錯覚する。だというのに戦い方のイメージが一切湧かない。

 こう攻めよう。この手順で隙を生ませよう。この角度から行こう。戦いの時はおぼろげながら頭の中にそういったイメージが浮かび上がる。しかし、トールを見ているとそれが一切出て来ない。

 

『気をしっかり持て、相棒。トールの気配に完全に呑まれているぞ』

(そうは言っても……どうすりゃいいんだ……)

 

 考えれば考える程、頭の中が真っ白になっていく。

 弱気になる心に喝を入れ、出来るだけトールを観察する。丸太の様な腕と脚。黄金の仮面から覗かせる翡翠の目。手足には白い手袋と靴。そして、白のマントを着ている。

 胴体のみを覆うスケイルメイルに似た鎧──とそこまで見て気付く。

 

(よくよく見るともの凄い格好してるな……何で気にならなかったんだろう……神様の威厳ってやつなのか? って、どうでもいいこと考えてるし……)

 

 際どい姿が気にならない程自然に見せるトールの立ち姿。冷静に現実と向き合った結果、どうでもいいことに気付く一誠。

 トールは一誠の禁手化を待っているが、一誠は未だに禁手を発動していない。

 そんな一誠の様子に、見守っているリアスたちも不安げな眼差しになっていく。

 大きく深呼吸した後に一誠は『赤龍帝の籠手』を装着し、禁手へのカウントダウンを開始する。

 約束通りトールはカウントダウンが始まっても全く動かない。その余裕に満ちた態度が一誠によりプレッシャーを与える。

 カウントダウンの音がやけに大きく聞こえ、一秒ずつ数えている筈なのに早く感じてしまう。それは、戦いへの恐れであることを一誠は自覚していた。

 禁手への準備に入った一誠をシンは黙って眺めていた。すると、その隣にヴァーリがやって来る。

 

「どっちが勝つと思う?」

 

 明日の天気でも確認するかの様な気軽な声、仮にも自分のライバルとなる男が戦おうとしているのに呑気と言える。

 

「考えるまでも無い」

「そうだな」

 

 シンの一言にヴァーリは同意する。二人とも既に結果が見えていた。

 

『Welsh Dragon Balance Breaker!』

 

『赤龍帝の鎧』を纏った一誠は、即座に倍化を行う。

 

『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』

 

 立て続けに鳴る倍化の音声。瞬時に能力を最大まで高める。

 

『JET!』

 

 背部の噴出孔から噴き出される魔力。直線限定なら騎士の木場の速度と同等以上が出せる。

 一気に最大加速まで速度を上げ、赤い閃光と化しながらトールへと突っ込む。

 加速の中で拳を構える一誠。相打ちを覚悟でトールの腹部を狙う。

 向かってくる一誠にトールは構えようともしない。

 一誠は拳を突き出し、そのままトールへ──

 

「……あれ?」

 

 視界一杯に広がる見慣れた天井。勘違いでなければ自室の天井である。

 最初は夢を見ているのかと思った。だが、背や手足に伝わってくるベッドの柔らかい感触が現実であると告げている。

 だが、どう考えても辻褄が合わない。ついさっきまでトールと戦おうとしていた筈なのに。いつの間にか禁手も解除されている。

 一誠は上体を起こす。

 

「うん……」

 

 眠気を帯びた声。横を見るとアーシアがベッドの縁にもたれ掛っていた。一誠が見ている前でアーシアは目を擦り、半眼を開けたかと思えば一気に見開く。

 

「イッセーさん! 起きたんですね!」

 

 喜び、一誠に抱き付くアーシア。普段なら抱き付くアーシアの暖かさに心を蕩かす所であるが、今の状況を全く呑み込めていないせいで、それに浸る余裕が無い。

 

「な、なあ、アーシア。何で俺ここで寝てるんだ?」

 

 アーシアを優しく離し、どうしてこうなったのかを訊いた途端、気不味そうに視線を伏せてしまった。

 

「俺、トールと戦ってたよな?」

「それは……」

 

 トールの名前を出した途端、片頬の辺りがじんわりと熱くなり、疼く。

 言い難そうにするアーシア。その顔から察せない程一誠は鈍くない。

 アーシアが答えられないなら、もっと身近な存在に訊けばいい。

 

「ドライグ……俺……負けたのか?」

『──ああ、そうだ』

 

 敗北をドライグに教えられ、一誠はフラフラとした足取りで自分の部屋から出て行こうとする。

 

「あ、あの……」

「ごめん。少しだけ、一人にしてくれ……」

 

 いつもは明るい一誠から出て来た深く沈んだ声を聞き、アーシアはそれ以上に何も言えず、何も出来ず、出て行く一誠の背を見ていることしか出来なかった。

 一誠は力無い足運びで玄関に向かって行く。その途中で──

 

「起きたのか」

 

 ──仲魔と一緒にいるシンと会った。

 

「──よお」

 

 応じる一誠の声に張りが無い。

 

「何処かへ行くのか?」

「……ちょっとな」

「そうか」

 

 それだけで済ませ、シンは一誠を止める気が無い。

 

「部長たちはどうしているんだ?」

「アザゼル先生たちや会長たちと、ヴァーリの仲間と今後のことを話している。俺は、こいつがまたジャアクフロストと衝突し始めたから引き離してここに」

 

 ジャックフロストの両脇を掴んで持ち上げる。ジャックフロストの瞼や額には、たん瘤代わりに雪玉がくっついていた。

 

「またやったのかよ」

「ヒホ! 絶対決着を付けるって言うんだホ! オイラだって黙って負けないホ!」

 

 ジャックフロストと引き分けになったのが余程悔しかったのか、ジャアクフロストが一方的に喧嘩を売ってきて、それをジャックフロストを買ったのだが、流石に重要の話をしている場だったので最後までやらせることはせず、ほとぼりが冷めるまでお互い離しておくことになった。

 

「あのジャアクフロストは、ヴァーリの言う事しか聞かないそうだ」

「ヴァーリは居ないのかよ」

「まだ、グレモリー領のバトルフィールドに居る。トールと一緒に」

 

 トールの名前を聞いて、またも片頬が熱くなるのを感じた。

 

「一緒にって……」

「またとない機会だとか言って、トールと実戦方式の特訓をしているらしい」

 

 ヴァーリの度を超えたバトルジャンキーっぷりに、逆に敬意を覚えそうになる。

 そして、一誠はトールとの戦いで気になっていることをシンに訊く。

 

「なあ、俺ってどうやられて負けたんだ?」

 

 自分の傷口を抉る質問であると分かっていた。しかし、聞かずにはいられない。知らなければ敗北であっても納得が出来ない。

 

「お前が殴ろうとして逆に一発殴られた。それで終わりだ」

 

 あの時の光景は、かなり衝撃的なものであった。

 最高速度で突っ込む一誠。次の瞬間には逆方向に最高速度以上の速さで吹っ飛んでいた。人体はこれ程までの高さで跳ねるのかと思う程、地面を何度もバウンドした挙句に、バトルフィールドの端の壁に体を埋め込む形でやっと止まった。

 トールが拳を握っていたことから反撃を受けたのが分かったが、雷神に相応しい雷光の速度で放たれたそれは、殴った部分だけを切り取ったかの様な錯覚を覚えた。

 その後、壁に埋まった一誠を引っ張り出し、兵藤家宅へと運んでアーシアに治療して何とかなった。殴られた直後の一誠の顔は、明らかに原型が変わっていた。

 

「はは、一撃かよ」

 

 一誠は乾いた笑い声を出しながら片頬を撫でる。頬にある熱と疼きは、トールの拳が残した爪痕だったのだ。

 自分ではそれなりに強くなったと思った。しかし、日々積み上げてきた自信は、皆が見ている前でトールによって一撃で粉砕された。

 プライドを粉々にされた一誠であるが、もしこの心境をアザゼルやマダなどに吐露したら、『自惚れるな』と一喝されただろう。雷神トールに勝てる存在など、あらゆる勢力の中でも極限られている。そんな相手に禁手を覚えた程度の新米転生悪魔が勝とうなど、笑い話にもならない。

 そうなっていたら今の一誠の気持ちも多少軽くなり、前向きになっていただろう。だが、この場にアザゼルたちは居ない。トールがどういう存在か一誠は詳しく知らない。話している相手は友人であり、ライバル視し、出来ることなら情けない姿を見せたくないシンである。

 悪い要素が重なった結果、一誠は普段よりもネガティブな気持ちになってしまった。

 

「……ちょっと外の空気を吸って来る」

「分かった」

「いってらっしゃーい」

 

 居た堪れない気持ちになった一誠は、リアスたちと顔を合わせることを避けるように兵藤家を出ようとする。シンはそれを止めることはせず、ピクシーは呑気な言葉を送る。

 それと入れ違う様にして朱乃がこの場にやって来た。

 

「今、誰か出て行きましたか?」

「イッセーが──」

 

 一誠の名を出すと、朱乃の顔付きが険しくなる。

 

「イッセー君が? 何故止めなかったの? 怪我をしたばかりだというのに……!」

 

 温厚、穏やかという印象が強い朱乃だが、最近実父のバラキエルのこともあって余裕を感じられなかった。それらが積もり、更には想い人の一誠のことも重なり、遂に感情を御し切れなくなり、シンに対してはっきりとした怒気を向けていた。

 今にも雷光が発生しそうな朱乃の怒りに、ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンはシンの後ろに隠れる。なおケルベロスは興味なさそうにそっぽを向いていた。

 シンへの怒りを押し殺して、朱乃は一誠を連れ戻そうとするが、シンが玄関前に立ち塞がる。

 

「──どきなさい」

「断わります」

 

 シンと朱乃。今まで衝突したことの無い二人が初めて真っ向からぶつかる。

 

「もう一度言うわ。どきなさい」

 

 同じ言葉を繰り返すのは、朱乃もシンと争うことを忌避している表れであった。

 

「誰にも追い掛けて欲しくないと思いますよ、今のあいつは」

 

 二度の警告を受けてもシンは退かない。

 

「一人になりたいって顔をしてたので」

「そんなの貴方の主観でしかないわ!」

「なら追い掛けますか? 今の情けない顔を先輩に見られたらあいつが傷付くかもしれませんが」

「そういう言い方は……卑怯よ」

 

 言い終える頃には朱乃の声は萎んでいた。一誠を慰めたいと思っている朱乃。逆に傷付けると示唆されると、その可能性を否定し切れなかった。

 

「イッセー君は、一人になってどうするつもりなの……?」

「単純に少し時間が欲しいだけじゃないですか? 気持ちの整理をする為の。何せ何も出来ずに一撃で負けたので」

 

 バッサリと斬る様な言い方に、朱乃は顔を顰める。もう少し歯に衣着せろと言いたげであった。

 

「トールに完敗したこと、あいつはちゃんと向き合うか目を逸らすか……姫島先輩はどちらだと思いますか?」

「何故、それを……私に訊くの……?」

 

 朱乃は両手を強く握り締める。シンの質問は、自分の現状への当て付けの様に朱乃には聞こえた。父親と向き合うことをせず、一方的に拒絶する朱乃を皮肉った問い。

 

「──深い意味は無いですよ。気分を害したのならすみません」

 

 シンは言うだけ言ってあっさりと引いた挙句、謝罪の言葉と共に軽く頭を下げる。しかし、深い意味は無いという言葉を朱乃は信じられなかった。一誠を通して朱乃に問い掛けた様にしか聞こえない。

 

「目障りならここから離れます。じゃあ」

 

 結局朱乃の答えは聞かず、シンは仲魔たちを連れて行ってしまった。一人残された朱乃。その頭の中にはシンの問いが何度も反響している。

 

「そんなこと……私が答えられる訳ないじゃない……」

 

 誰にも届かない程小さく、悔恨に満ちた言葉が朱乃の口から滑る様に零れ出た。

 

 

 ◇

 

 

「にゃにゃにゃ。ああいう場合は、優しくしてあげるのが男の子って奴にゃん」

 

 朱乃から離れた所でシンに声を掛けたのは黒歌であった。壁に背を預けながら腕を組み、わざとらしく胸を持ち上げ、その豊満さを強調している。

 

「あの子、赤龍帝にお熱にゃん。でも、ちょっと不安定な感じ。気の乱れで分かるにゃん。そんな不安定な所を突っついてあげれば──いやん、背徳的だにゃん」

 一人で盛り上がる黒歌を無視して、シンは先を行く。

 

「嫌だにゃー。その塩対応ー」

 

 頬を膨らませた黒歌が、シンの前に立ち塞がる。目の前を通り過ぎたというのに側を通っていく気配は無かった。

 

「折角、協力関係になったというのに親交を深めようという気持ちは少しはないのかにゃん?」

「無いな」

 

 一言で切り捨て、先を行こうとする。

 

「周りはちゃんと歩み寄っているのに、そういう態度はつれないにゃん」

 

 ジャアクフロストとジャックフロストとの喧嘩以降、ヴァーリの仲間たちとリアスの眷属たちとの間にあったギクシャクとした雰囲気は多少緩和された。

 美候はリアスをスイッチ姫と揶揄い、リアスはそれに怒って容赦無く美候を叩き、リアスの反応を面白がって悪びれる様子も無くまた揶揄うということを繰り返す。

 イリナはアーサーの持つ最後のエクスカリバーに興味津々であり、それを見せて貰って喜んでいた。側に木場とゼノヴィアも居て警戒はしていたが、その二人の目もエクスカリバーへと向けられていた。

 アーシアは怪我をしたジャックフロストを治した後、ジャアクフロストも治癒しようとしたが、ジャアクフロストから拒絶され、尚も食い下がるとジャアクフロストに怒鳴られていた。だが、決してジャアクフロストがアーシアに対し暴力を振るうことは無かった。ジャアクフロストの理不尽な暴力の矛先は、ジャックフロスト限定の様子。

 

「本当に素っ気ないにゃん。前と変わらず。それとも殺し合ったこと根に持っているのかにゃん?」

「別に」

 

 本気で殺し合ったことは今でも覚えているが、そのことに対して怒りや不満を持ってはいない。単純に信じていないだけである。

 

「君に会ったら聞きたいことがあったにゃん」

「聞きたいこと?」

「子供に興味ないかにゃん?」

「誰のだ?」

「私と君との」

 

 一瞬何を言っているのか分からず間が出来てしまう。他の仲魔たちも同様であった。言っていることを頭が理解した時、真っ先に行動したのは仲魔たちであった。

 

「きゃはは。モテてるじゃーん。シーン」

「ヒホ! 良く分からないけどモテてるホー!」

「ヒ~ホ~。お熱いお誘いだね~」

「盛ルナラ他所デヤレ」

 

 四者四様の反応しながらもシンに揶揄う様な言葉を言う。

 

「どっかの誰かさんと違って話の分かるお仲間さんだにゃん」

「何のつもりだ?」

 

 黒歌の皮肉を無視して話を先に進める。

 

「興味があるんだにゃん。強い子供への。ドラゴンの子も欲しいけど、人修羅の子も負けないくらい特別な子になりそう」

 

 目を細め妖艶な笑みを向けてくる黒歌。

 

「ヴァーリかイッセーにでも頼め」

「ヴァーリには頼んだけど断られちゃった。赤龍帝にも頼んだけど──」

「本人は鼻の下を伸ばしていたが、塔城辺りに釘を刺されて無かったことにされたか?」

「あれ? 見てた?」

 

 シンの予想は大正解であったらしい。

 

 

「色々と忙しくなるんだ。そんなことに時間を割いている暇は無い」

「にゃにゃにゃ。私の周りの男ってどうしてこうストイックというか、女の扱いが雑なのかにゃん。赤龍帝ぐらい素直な反応してくれたらいいのに」

 

 愚痴りながら溜息を吐く黒歌。そんな態度を気にする事無くシンはさっさと行ってしまう。今度は黒歌も止めず、去っていくシンの背中に向けて再び溜息を吐いた。

 

 

 ◇

 

 

 日も落ち始め、辺りが夜の闇に覆われていく。

 兵藤家地下広間では、一誠を除いたメンバーでロキへの作戦を話していた。

 トールと手合わせしていた筈のヴァーリも参加しており、トールと激しく戦った証として頬に大きなガーゼ、腕や体に包帯を巻いてある。何とかトールに雷を使わせた、とヴァーリは誇らしげに語っていた。

 内容としては、会場にてロキたちを待ち伏せし、シトリー眷属たちの力でロキとフェンリルを分断。ロキの転移先には一誠とヴァーリ。フェンリルの転移先には残ったメンバーを配置し、迎え撃つ。

 フェンリルの神殺しの牙を絶対にオーディンへ届かせない為の作戦である。

 対フェンリル用の強化グレイプニルの準備は順調に進んでいるが、ミョルニルのレプリカについては今のところ入手する手立てが無い。

 トールは何時でも挑戦を受けると言って既に北欧へ帰ってしまった。

 会議の中で、トールにロキの討伐を頼めばいいのでは? という意見が出たが、アザゼルとオーディンによって即却下される。

 理由は──

 

「町一つ消し飛ばせる爆弾を、町一つ吹き飛ばせるミサイルで破壊する様なもんだ」

「もしトールが動けば、確実にこの町は消滅する」

 

 ──というもの。北欧神話の勢力と、日本の神々、冥界の間に溝を生む結果になる。

 その為、トールにはロキ討伐を頼めない。仮にトールにロキ討伐を頼めば二つ返事で了承するとのこと。トールはトールでロキにまんまと出し抜かれたことに対し腸を煮えくり返している。

 

「ミョルニルのレプリカのことは……まあ、一先ず後回しにしておこう。イッセーの奴は大丈夫そうか?」

 

 アザゼルは、シンに一誠の最後の様子を尋ねた。シンの口から既に一誠が一人で何処かに行ってしまったことは聞かされている。ミョルニルのレプリカにしても、一誠にしても作戦の重要な存在であり欠かすことは出来ない。

 

「どうでしょう?」

 

 返って来たシンの解答は素っ気無い。折れても折れていなくともどっちでもいい、と言わんばかりであり、投げ遣りに聞こえた。

 

「お前な……」

「大丈夫に見えようが見えまいが、結局は兵藤一誠次第だ」

 

 そこにヴァーリが口を挟んでくる。

 

「俺たちがあれこれ心配しても意味が無い。それよりも万が一の場合を想定した策を考えた方がいいんじゃないか? アザゼル?」

 

 一誠を好敵手と認めている筈のヴァーリがシンに同調する。それどころか一誠が不在の場合の策を考えることを進言する。

 

「自分のライバルに冷てぇ反応だな、ヴァーリ」

「ベタベタ構うのは俺らしくない。それにだ、これでも俺は兵藤一誠が戻って来ると信じているんだ」

「ほう。その根拠は?」

「俺が戦いたいと思った奴がこれぐらいでへし折れる筈が無い。それだけだ」

 

 自分の見る目を信じると言い切ってみせるヴァーリ。そう言われてしまうと、周囲も言葉が見つからない。

 

「はっ。大した入れ込み具合だよ」

 

 ヴァーリの解答にアザゼルは笑う。小馬鹿にした笑いでは無く、無邪気に信じるヴァーリの様を微笑ましく見ている。

 その時、騒がしい足音を鳴らしながら誰かが階段を勢い良く降りてくる。

 

「遅れ、ましたぁぁぁぁ!」

 

 騒がしい勢いのまま一誠が広間へ飛び込む様にして入り、同時に皆に向けて頭を下げて謝罪する。

 

「イッセー!」

 

 慌ただしく会議へと参加した一誠。落ち込んでいると聞かされ心配していたリアスたちだったが、いつも通りの一誠に戻っていることに安心する。

 その反面、シン、アザゼル、オーディンは一誠が部屋に入って来た途端、眉間に皺を寄せた。一方でヴァーリは目を丸くした後顔を伏せ、口の端を歪めて微笑を浮かべる。

 

「お前……大丈夫なのか?」

 

 アザゼルが一誠に様子を尋ねる。何かを探る様でもあった。

 

「──はい。大丈夫です」

「……それならいい」

 

 それ以上追求することはせず、遅れてきた一誠にも作戦の内容を簡単に説明する。

 

「……ミョルニルのレプリカのこと、もう少し待ってくれますか?」

「どれぐらい時間が必要だ?」

「……会談前日までには」

 

 本当にギリギリの期限である。失敗すればミョルニルのレプリカを諦めることとなり、別の作戦を用意しなければならなくなる。

 

「それまでにトールへ一発入れるぐらいになれるのか?」

「してみせます……!」

 

 何かしらの手段を見つけたのか言い切ってみせる一誠。アザゼルはオーディンを見る。オーディンは無言で頷いた。一誠の言葉を信じることを選んだのだ。

 

「──分かった。この作戦前提で行くぞ。それでだ、作戦の成功率を少しでも上げる為に……匙」

「はい? 何ですか?」

 

 急に名前を出され、取り敢えず返事をする匙。その顔は戸惑っていたが。

 

「お前も作戦で重要だ。特にそのヴリトラの神器がな」

「え゛っ」

 

 そんな事を言われても匙は嬉しい筈も無く、全力で自分を下げ始める。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 俺には赤龍帝や白龍皇みたいなバカげた力なんて無いですよ! せいぜい嫌がらせする程度ぐらいです! それにロキやフェンリルが相手なんて! 俺、てっきり会長たちと同じで転移だけかと──」

「そう謙遜することは無い。匙元士朗。君は、ヴリトラの力を不完全ながらも引き出して赤龍帝の禁手と互角以上に渡り合ったそうじゃないか。胸を張ってもいいことだ」

「え? 何でこの状況でそんな援護を? 止めてくれ!」

 

 ヴァーリから高く評価される匙。こんな状況では嬉しくも何とも無い。

 

「最前線で戦えとは言わない。お前の目的はサポートだ。ヴリトラの力を使ってな」

「サ、サポートですか?」

「それにはちょっとした訓練が必要だが、それについては後で話す。問題はここからだ」

 

 アザゼルの表情が険しくなる。

 

「この作戦は、あくまでも順調に事が運んだ場合のものだ。今回の作戦には厄介なイレギュラーが潜んでいる。そいつは、必ず姿を見せる」

「魔人マタドール。よね?」

「ああ」

 

 どのタイミングで介入してくるのかは分からないが、確実に現れることだけは分かる。その日の為だけに身を潜め、戦意や殺意を煮詰め続けているのだから。

 

「俺が相手をします」

 

 全員の視線がシンへと集まる。

 

「マタドールが現れたら、俺が相手をして時間を稼ぎます」

 

 自殺志願に等しい宣言と言えた。シンの申し出に対し、ほぼ全員が否定的な顔となっている。例外としてヴァーリやその仲間たちはその決断に対し、楽しむ様な笑みを密かに浮かべ、一誠は親友が死に等しい志願をしたことに対し、誰にも表情を見せない為に俯いていた。

 

「──待て」

 

 それに待ったを掛ける者がいた。

 

「マタドールは私が相手をする。それは私の役目だ」

 

 バラキエルがマタドールの相手を買って出る。バラキエルの言葉に、朱乃は人知れず息を呑む。

 

「待て待て待て。この死に急ぎ野郎共」

「別に死ぬつもりは無いです」

「マタドールと戦うことが私の使命だと思ったまでだ」

「まだ話の途中だっただろうが。こっちが何も考えてないと思ったか? あと、お前らが名乗り出てくるのは予想通りだったよ。──全く、そういう想定内は勘弁しろ」

 

 教え子、戦友がこう言って来ることはアザゼルには簡単に想像出来た。だからこそ苦言を呈する。もう少し自分の命を大事にしろ、という意味を込めて。

 

「今回の目的はあくまでもロキたちだ。マタドール討伐まで入れたら作戦そのものが破綻する。まともに相手をせずに時間稼ぎだけすればいい」

 

 アザゼルは、マタドール用の対策を皆に教える為、携帯電話を弄り始める。だが、中々繋がらない。段々とアザゼルの表情に苛立ちが出始める。

 コールの回数が二十を超えた後、ようやく相手に繋がる。

 

『もういいかい? マーダだよ』

「……開口一番で下らねぇこと言ってんじゃねー」

 

 電話の向こうの人物マダは、しょうもない駄洒落を言いながら電話に出てきた。

 

「すぐに出ろ。事前に連絡しただろうが」

『へっへっへっ。わりぃ、わりぃ。こっちも立て込んでてなぁー』

「立て込むって、お前謹慎中だろうが……まさか……」

 

 電話の向こう側でマダ以外の声が聞こえてくる。女性の声であり、それも複数。

 

『マダ様ー? 嫌ですよ、中途半端なんてー』

『もう! 皆待っているんですからね!』

『早く続きをしましょう?』

 

 全員楽し気且つ色っぽい声でマダへ話し掛けていた。スピーカーにしているせいで、その声はアザゼルだけでなく広間全員に聞こえている。

 

『謹慎だからな。逆に招いた』

「言っておくが、これ、他の奴にも聞こえているぞ?」

『何だよ聞きたいのか? ならリアルタイムでこいつらの鳴く声、聞かせてやろうか?』

「やめろ」

 

 マダの品の無い発言に、アザゼルは顔を顰める。一対一なら簡単に流すが、リアスたちやソーナたちなどまだ純情な年頃の少年少女が居る場である。早い段階で釘を刺しておかないと、どんどんエスカレートしていく。ただでさえ、今のマダと女たちのやりとりで赤面している者たちが居るのに。

 へいへい、とマダは仕方ないといった様子でアザゼルに従う。そして、話の矛先を急に一誠へと向ける。

 

『おうおう。聞いたぜ、イッセー。トールにぶっ飛ばされたんだってなぁ?』

「す、すみません! マダ師匠!」

 

 相手が電話の向こうに居るというのに、一誠は頭を下げた。夏休み、冥界でタンニーンとマダによって鍛えられた。だが、トールにあっさりと完敗してしまったせいで鍛えてくれたタンニーンとマダの顔に泥を塗ることになってしまった。ある意味で自分が負けるよりもキツイものがある。

 

『ふーん……』

 

 意外なことに、マダの反応は簡素。寧ろ、一誠の態度に関心している。

 

『もっと凹んでいるかと思ったら、案外大丈夫そうじゃねぇか。それなら俺がどうこう言う必要はねぇな』

「もしかして……心配してくれました?」

『さあてな』

 

 意外、とは思わなかった。揶揄ったり、煽ったりしてくるマダだが、こちらのことを考えて鍛えてくれていたことは一誠なりに感じていた。言動が無茶苦茶ではあるが、師匠と呼ばれていることにそれなりの責任感を覚えているのかもしれない。

 

『ところで』

 

 マダが話題を変えようとする。何故だろうか。一誠は嫌な予感がした。

 

『そこにアルビオンは居るのか?』

 

 電話から話し掛けられるアルビオン。

 

『何か用か? ──私はお前と話すことは無いが?』

『おー。本当に二天龍が揃っているのか』

 

 ドライグとアルビオンが同じ空間に存在し、争っていないことにマダは少し驚いた声を出した。

 

『お前ら本当に丸くなったなー。仲良く共闘までする様になるなんてな。昔じゃあ、考えられねぇ』

『別に仲良くなど……なあ? 白いの』

『……』

『ほらな! 全然仲良くなどないだろ! 二天龍は今まで通りの関係だ! ふはははははは!』

 

 ドライグをやはり無視するアルビオン。ドライグはややヤケクソ気味に笑う。その空元気な笑いに、一誠やリアスたちは痛まし気に聞いていた。

 

『おいおーい。宿敵が悲しんでるぜぇ?』

『……私の宿敵に乳龍帝など存在しない』

 

 アルビオンの冷ややかな訂正。

 

『ま、待て! 誤解だ! 乳龍帝と呼ばれているのは宿主の兵藤一誠であって──』

『そうだぞ。勘違いをするな』

 

 マダがドライグの言葉を継いで──

 

『呼ぶならおっぱいドラゴンって呼んでやれ。その方が俗っぽくって親しみが湧く』

『マダァァァァァァ!』

 

 ──容赦の無い追い打ちにドライグが絶叫する。

 

『乳を突いて、禁手の覚醒をしたかと思えば、『おっぱいドラゴン』などというヒーロー番組のモデルになった今のお前を見ている私の気持ちが分かるか? 心が涙で溺れそうだ……』

 

 その後に聞こえるすすり泣く声。信じ難いことに、二天龍の片割れが涙を流している。

 

『な、涙を流したのがお前だけだと思うな! 俺は今も泣いているんだ! うおぉぉぉ!』

 

 二天龍が揃って泣き声を上げている。この場に居る全員は世紀の瞬間の立会人と化す。尤も、居た堪れない空気で満ちているが。

 

「最近のアルビオンは、少し情緒不安定なんだ。兵藤一誠をモデルにした番組を見てから特に顕著で……」

(残酷なことをする……)

 

 誰もがドライグとアルビオンに同情する中、そんな空気をぶち壊す様にマダは爆笑していた。

 

『いいじゃねぇか、いいじゃねぇか。最高に愛されているじゃねぇか。おっぱいドラゴンも乳龍帝も』

『ねぇ、マダ様ー? おっぱいドラゴンとか乳龍帝とかなんのことですかー?』

『ああ、本名はドライグっていうドラゴンなんだ。女が祀り、敬うと豊乳にし、逆に貶したり、馬鹿にしたりすると、その女の胸を食って貧乳にしちまう』

『やだ、怖ーい』

『やめろぉぉぉぉぉ! 俺に変な設定を付けるなぁぁぁぁ!』

『喜べよ、ドライグ! おめぇは百年後には豊乳と貧乳を司るドラゴンだ!』

『今すぐこっちへ来い! 俺が殺してやる!』

 

 マダは笑い、ドライグは怒り、アルビオンは泣く。

 自分たちは何をしていたんだろう、と自問してしまう程の混沌が地下広間で行われていた。

 

 

 ◇

 

 

「何か疲れました……」

「ええ……私もよ……」

 

 一誠とリアスは自室で大きな溜息を吐く。

 無茶苦茶になった作戦会議をアザゼルが強引に纏め、何とか終わることが出来た。

 アザゼルは、その後匙を連れてグリゴリの研究施設へと行ってしまった。今回の作戦のサポートになる匙をそこでトレーニングさせる為である。

 きっと今頃は過酷な修行をしていると思われる。アザゼルに連れて行かれるのを最後まで抵抗していた匙の泣き叫ぶ顔を思い出す。

 その回想から現実へ引き戻す着信音。画面を見ると知らない番号が映し出されている。取り敢えず出てみる一誠。

 

「もしもし?」

『マーダだよ』

『切れぇ! 今すぐ切れぇ! 相棒!』

 

 何故か一誠の電話番号を知っているマダからの連絡。マダが出た瞬間、ドライグが喚き始める。

 

「いや、でも、マダ師匠が──」

『頼むから切ってくれ! これ以上そいつの声を聞くと俺の中の何かが崩壊する!』

 

 懇願するドライグ。師と半身と言える相棒。一誠の中の天秤が傾いたのは──

 

「すみません! マダ師匠!」

『あっ』

 

 一誠は電話を切る。ドライグの気持ちを汲んだ結果となった。

 

『着信拒否しろ! 永遠に出るな! 相棒!』

 

 過剰なまでにマダの存在を忌避している。マダによって豊乳と貧乳を統べるドラゴンにされそうになっているのが効いているのが伝わって来る。

 そんな空気の中で魔法陣が出現し、中からグレイフィアが現れる。

 

「お嬢様。頼まれていたグレイプニルの資料を──何かありましたか? 御二人ともあまり顔色が優れていませんが?」

「気にしないで。ちょっとだけ疲れただけだから」

 

 リアスは苦笑いをしながらグレイフィアから資料を受け取る。

 グレイフィアが言うに、グレイプニルは当日、戦場に直接送り届けられるとのこと。

 リアスはグレイプニルに関する資料に目を通し、使い方などを頭に入れていく。

 ふと、一誠はこの状況が好機と思う。部屋にはリアスとグレイフィア、他には居ない。朱乃とバラキエルの関係を聞くにはまたとない機会であった。

 

「あ、あの部長とグレイフィアさんに訊きたいことがあるんですが……」

 

 リアスは資料を読む手を止め、グレイフィアと一緒に一誠を見る。

 

「何でしょうか?」

「朱乃さんとバラキエルさんについてです……バラキエルさんは、そんなに悪い人には見えないですし……どうして仲が悪いのかなって……」

 

 一誠はバラキエルから変な誤解で敵視されているが、それが娘を思ってのことだとちゃんと分かっていた。短い時間ではあるが、一誠はバラキエルに悪い印象を抱いていない。だからこそ、朱乃がバラキエルを拒絶する理由が知りたかった。

 リアスとグレイフィアは少しの間沈黙するが、やがてリアスは語り始めた。

 朱乃の母──朱璃は、ある日重傷を負ったバラキエルと出会い、彼の怪我の治療と看護をした。そんな日々を送る内に二人は親しい関係となり、やがて朱璃のお腹に朱乃が宿った。

 朱乃が生まれると三人は慎ましい生活を送り、日々を幸福に送っていた。

 しかし、悲劇が起こる。

 バラキエルと朱璃が結ばれたことを快く思わない者達が居た。朱璃は高名な術者の家系の出であり、その親類は、朱璃がバラキエルと結ばれたことを洗脳によるものだと思い込み、何人もの術者をバラキエルたちにけしかけたのだ。

 グリゴリの幹部であるバラキエルに高名とはいえ人間の術者では敵わず、返り討ちにしてしまう。襲撃の理由もバラキエルは理解していたので、術者たちに手心を加えてしまい、命までは取らず退けるだけで済ませた。

 そのことが一部の術者の誇りを大きく傷付けることとなり、屈辱を晴らす為に堕天使に恨みを持つ者全てにバラキエルの情報をばら撒いた。

 結果、バラキエルの家は襲撃されることとなる。運が悪いことにその日は偶然バラキエルが不在で在り、襲われたのは朱璃と朱乃であった。

 

「朱乃は、朱乃のお母様が命懸けで逃がしたから無事だったわ。でも、朱乃のお母様は……」

「その襲撃した奴らは、バラキエルさんが……?」

「──いいえ、違います。バラキエル殿が駆け付けたとき、全ては終わっていました。バラキエル殿が見たものは冷たくなった妻と骸になった襲撃者たちでした」

「えっ」

 

 逃がされた朱乃は何も見ておらず誰がやったのかは不明であった。術者たちの手によって朱璃が殺されたのか、それとも術者たちを殺した者が朱璃も殺したのかさえも。

 この結末は、朱乃にとってもバラキエルにとっても不幸であった。

 敵討ちをする相手が不明、もしくは既にこの世に居ない。ただ憤るしかない。

 バラキエルは行き場の無い感情を裡に留めたが、幼い朱乃は受け止めることが出来ず、心が壊れそうになった。

 故にバラキエルは、朱乃の心を守る為にその感情を全て自分が受けることにした。

 堕天使の幹部がどれほど他の勢力に恨みを抱かれているか語り、母親の死には自分にも原因があると告げた。

 それを聞かされた朱乃は感情のままにバラキエルを詰り、そして自分に流れる血の半分を呪った。その日以降、朱乃は堕天使を拒絶し、バラキエルにも心を閉ざしてしまった。

 朱乃は親を失い、住む家を失い、点々と各地を放浪しながらいつ来るか分からない刺客に怯え、数年の時を過ごした後リアスと出会った。

 

「私の下で悪魔として第二の生を送り始めてからは、少しだけ明るくなったわ。イッセー、貴方と出会ってからはもっと明るくなったし、アザゼルのおかげで少しずつだけで堕天使とも歩み寄ろうとしている。──でも、まだバラキエルは許せないみたい。どうする事も出来なかったことだと心の底では理解している筈よ。けれど、それを素直に受け入れられる程朱乃の心は……」

 

 想うが故にすれ違ってしまう親子の関係に一誠は言葉が出なかった。

 

「──ただ、この件に関しては一つ噂があります」

「噂?」

「──グレイフィア」

 

 リアスの鋭い声が飛ぶ。聞かせるべき話では無いという含みを持っていた。

 

「このことは一誠様の耳にも入れておいた方が良いかと」

 

 リアスは眉間に皺を寄せ逡巡する。沈黙の後溜息を吐いて、私から話すわ、と自ら話すことにした。

 

「出来れば朱乃には黙っていてね」

「朱乃さんに聞かせられないことなんですか?」

「聞かせたら、朱乃の命に関わるかもしれない」

「命……わ、分かりました!」

 

 そこまで言われたら絶対に黙っているしかない。

 

「その襲撃にはね、魔人が関与しているという噂なのよ」

「ま、魔人ですか……?」

 

 一誠は何故か鼓動が早まるのを感じた。猛烈に嫌な予感がする。

 

「朱乃のお母様の件については、堕天使たちが外部に情報を洩らさない様にしていたらしいわ。でも、極一部で得られた情報によると、あのマタドールがその場に居たらしいの」

「そ、そうなんですか……」

 

 一誠の反応に、リアスとグレイフィアは違和感を覚える。普段の一誠ならマタドールへ怒りの感情を向けるぐらいはしていただろう。しかし、今の一誠からはそういったものは感じられない。戸惑っている、というのが今の一誠の態度を表すのに一番適していた。

 

「──何かあったの?」

 

 リアスは思わず聞いてしまう。一誠は息を詰まらせた様な顔になる。

 

「特には……」

 

 やはり声が普段よりも弱々しく感じられた。リアスはグレイフィアを見る。彼女も怪訝な顔付きで一誠を見つめていた。

 

「……もしかして、トールのことをまだ引き摺っているの?」

 

 リアスは一誠の様子の違いをトール絡みのことと考えた。落ち込んでいると聞いたと思ったら普段通りの一誠で戻って来たが、それは空元気によるもの。そして、ミョルニルのレプリカを懸けてのトールとの再戦へのプレッシャー。それらが重なって若干ナーバスになっているのでは、と。

 

「そう、かもしれません……」

 

 一誠が気不味そうに肯定すると、リアスの両手が一誠の顔に伸び、顔を優しく包むと一誠を抱き寄せる。

 

「貴方には、色々と背負わせてしまっているわね……」

「──いえ、俺は大丈夫です」

 

 気遣うリアスに、一誠は気丈に振る舞う。体が触れ合う二人。甘い空気が場に漂い始める。

 

「コホン」

 

 二人っきりと錯覚しつつあったリアスと一誠を一気に目覚めさせる、グレイフィアのわざとらしい咳払い。忘れかけていたグレイフィアのことを思い出し、慌てて二人は離れる。

 リアスは空気を壊したグレイフィアを少し恨めしそうに見るが、グレイフィアの方はいつものクールな表情のまま一誠の方を見ていた。

 グレイフィアはどうにも一誠の態度が引っ掛かっていた。

 何かを隠している。グレイフィアの直感がそう囁く。

 

 

 ◇

 

 

 一誠はリアスとグレイフィアから朱乃の話を聞いた後、最上階に居るVIPルームに居た。

 そこで一人で作業をしているのは、匙をグリゴリの研究施設に送り込んできたアザゼル。

 一誠はリアスからバラキエルと朱乃、そして朱乃の母について教えて貰ったことを報せた。

 

「……俺が全部悪いのさ」

 

 アザゼルの口からも当時のことが話される。

 バラキエルが不在だったのは、アザゼルが任せたい仕事があるから招集した為であった。そのせいでバラキエルは妻と娘を失うことになった、と悔やむ様に語る。

 

「無理を言って呼び寄せたんだ。俺のことを煮るなり焼くなりする権利がバラキエルにはある。──でも、アイツは俺を責めなかったよ。……何でもかんでも背負わずに俺を責めればよかったんだよ」

「だから先生は、バラキエルさんの代わりに朱乃さんを見ようと?」

「父親の代わりなんておこがましい。自分の出来る範囲でしかやってない」

 

 自分を下げるアザゼル。一誠は、アザゼルが言っていることと裏腹に色々と甲斐甲斐しく世話を焼いていた様な気がした。

 そこで二人の会話が途切れ、VIPルーム内には作業をする音だけが響く。

 

「アザゼル、今戻った」

 

 沈黙を打ち消したのは、部屋に入って来たヴァーリ。

 

「ああ、お前か。どうだった?」

 

 アザゼルの問いに対し、答える代わりに手を翳し、そこに魔法陣を発生させる。魔法陣の紋様は北欧の神々が使うものと似ている。

 

「ロスヴァイセという戦乙女は大したものだ。教え方が上手い。おかげで予想よりも早く覚えることが出来た」

 

 ヴァーリが人差し指を曲げると紋様が変わる。今度は中指を曲げるとまた別の紋様に変わった。ヴァーリは短期間で北欧の術式を複数修得していた。

 北欧の魔術を覚えたのは、ロキの魔術に対抗する為である。前の戦いでは軽く見せる程度であったが、攻撃、防御、幻覚の魔術などを使用していた。それらを対処するには勝手が同じ魔術が有効である。

 

「そうか。それならロキにいくらか対抗出来るな」

「ああ。あと、あれにも利用出来る筈」

「あれ? 何のことだ?」

 

 気になり聞こうとするが、そのタイミングで何故かシンが部屋へとやって来た。

 

「ん? どうかしたか?」

 

 一誠が来た理由を尋ねると、シンは無言で携帯電話を取り出す。皆の視線が携帯電話へ集中すると──

 

『やあ、マダだよ』

『ごっはぁ!』

 

 電話向こうのマダの声に、ドライグが血を吐く様な声を上げる。

 

『何でお前がそいつと! 切れ! 今すぐ切れ! そして永久に着信拒否しろ!』

「出ないと嫌がらせみたいに着信やメールを入れてくる。どこで番号を仕入れたのかは知らないがな。こうした方が手っ取り早い」

『貴様っ! 俺を売るのか! 裏切るのか! 自分の保身の為に!』

「友達同士、仲良く会話でもしてくれ」

 

 ドライグの訴えにも耳を貸さず、シンは通話し続ける。

 

「……俺は作業も一段落したし、少し休む。後は若い者同士でな」

 

 アザゼルは場が混沌とする前にさっさと部屋を出て行ってしまった。残された一誠たちの間で微妙な空気が流れる。

 

「取り敢えずいつまでも立っていないで座ったらどうだ?」

 

 ヴァーリはソファーへ座る。一誠は少し離れた場所にある椅子に座り、シンも同じく椅子に座った。三人の間は微妙に離れており、互いの距離感を表している。

 

「それにしても──」

 

 この微妙な空気を変えたかったのか、真っ先に一誠が話し始める。

 

「悪神とはいえ、神と戦うことになるとはな」

「良い神も悪い神も、人が呼吸する様に神は自分の力を使っているに過ぎない。良い悪いの判断は、そこに人への恩恵が有るか無いかぐらいだ。所詮は人の視点で見た結果だ」

「だからって戦争するのか? 俺は悪魔だけど部長たちと普通に暮らして毎日楽しく過ごせればそれだけで十分だけど……平和ってのがそんなに嫌いなのか?」

 

 今の幸せを十分理解している一誠からすれば、戦争を起こそうとする連中の気持ちなど全く分からない。

 

「嫌いというよりも変化の無い退屈が嫌なのさ」

「お前もそういう考えか?」

 

 シンが話に入ってくる。

 

「ああ。そうだ。だからこそこの共同戦線には胸を躍らせている」

「早死にしそうな生き方だ」

「かもしれない。だが、きっと後悔は無いだろう」

「そうか」

「そういう君はどうなんだ? 平和が好きなのか? それとも戦いが好きなのか?」

「どうでもいい話だ。平和ならそれに合った生き方をし、戦うことが必要なら戦うだけだ」

「適応する、という訳か。だが、流された生き方とも言える」

「好きに解釈してくれ」

 

 互いの生き方に思う所はあるが、否定まではしない。しても無駄なことだと分かっているからである。自分の生き方をそう簡単に曲げる様な者たちでは無い。

 

「戦いが好きか……俺には良く分からないな、強い奴がわんさかいるってだけでも嫌になる。それこそトールみたいな神様がまだ居るんだろ?」

「だからこそ面白いんだ。強くなるには強い相手と戦わなければならない。俺は誰よりも強くなるつもりだ」

 

 堂々としたヴァーリの宣言に羨望に近いものを感じる。ここまでの目標を一誠は持っていない。

 

「北欧魔術をあれにも利用出来るって言ってたが、やっぱりそれも最強目指す為かー」

「いや、違う」

「え? 違うのか?」

「あれは完全に個人的な趣味の問題だ。最強とは別の極めたい事がある」

「最強とは別って……何だそれ?」

「まだ人に見せられる段階では無い。そのうち披露する時が来る。焦がれる存在との対話の時が」

「勿体ぶるなぁー」

 

 一誠はさも壮大なことを想像していたが、シンは違う。ヴァーリが何を目指しているのか大凡想像がついていた。

 あのラーメン屋で何となく言ったことを、ヴァーリが本気で追求していることが嫌でも伝わって来る。

 いつの日か、本当にヴァーリがラーメンと対話する日が来るかもしれない。

 片や女の胸と話す赤龍帝。片やラーメンと話す白龍皇。それが未来の二天龍。

 

「何だそのドラゴン……」

 

 小声であったが、思わず声が零れてしまった。誰にも聞こえなかったのが幸いである。

 

「そういう君はどうなんだ? 今は目標はあるのか?」

 

 ヴァーリが一誠の今後を訊く。

 

「俺は……最強は最強でも『兵士』の最強になりたい。んでもって上級悪魔になって俺だけのハーレムを! って感じかな」

 

 自分だけのハーレムはリアスの眷属になる時に決めた夢。最強の『兵士』になると誓ったのは、初めてのレーティングゲームで負けた時。これから先、もっと夢は広がっていくかもしれないが、今の一誠の目標はその二つ──

 

「あ、あと一つあった。俺、ヴァーリも間薙も超えたい」

 

 ──ではなく三つ。限りなく負けに近い引き分けとなったヴァーリ。禁手を得た今でもどうしても勝つビジョンが見えないシン。一誠がライバルと思っている二人に肉体的にも精神的にも負けたくない、それが三つ目の目標である。

 

「そう言われるとただ嬉しくなる。最初はこんな程度かと失望したが、会う度に力が増していく君を素直に面白いと思っている。それはきっと歴代の赤龍帝とは異なる成長だ」

 

 ヴァーリは密かに、自分とマタドールの関係を重ねる。きっと自分が赤龍帝に感じる喜びと同じ様なものを、マタドールはヴァーリに感じているのが分かった。

 

『はっきり言ってお前は歴代赤龍帝の中で一番才能が無い。身体能力などもからっきしだ』

「ああ、だからこそ自分がどうするべきなのかドライグと一緒に考え、対話し、共に成長しようとしているんだ。歴代の中で最も学ぼうとしている」

『へっへっへ。出来の良い奴よりも悪い奴を育てた方が、手応えがあって面白いってもんだぜ』

 

 改めて才能無しという事実を突き付けられても、自覚しているので特にショックでは無い。寧ろ認められていることに嬉しさと照れ、そしてプレッシャーを感じる。

 ドライグ、ヴァーリ、マダにこれ以上あれこれ話題されるのを恥ずかしく思い、一誠はシンに話を振る。

 

「お前はどうなんだよ? 何か目標はあるのか?」

「目標か……」

 

 そこから暫しの間沈黙する。最初の目標は自分の力を知ることであった。自分の力が魔人の力と知り、次の目標はそれを使いこなすことになっていた。様々な相手と戦う内に新たな力に目覚め、そして今は──

 

「最強や上級悪魔にならなくてもいい。だが……」

 

 ──どうしても倒さなければならない奴らがいる。何故そう思うのか分からない。その存在に触れたことで自分でも信じ難い程の敵意と殺意が宿る。

 シンは魔人との決着を望んでいた。得るものなど何も無い筈なのに、魔人という存在を倒すことを求めていることを自覚する。まるでそれが使命であるかの様に。

 

「だが?」

「おやぁ? お邪魔だったかのう?」

 

 そのタイミングでオーディンが部屋へと入って来る。後ろにはロスヴァイセも付いていた。

 

「爺さん」

「オーディンか」

「何か用ですか? オーディンさん」

『あ、人望ゼロのジジイだ』

「誰じゃ! どさくさに紛れて儂の悪口を言うのは!」

 

 最後のマダの言葉にオーディンが反応すると、シンは携帯電話をオーディンに見せる。

 

『事実じゃねぇか。ロキの野郎をきちんと躾ておけよぉ。反逆されてんじゃねぇよ』

「お主、マダか! 一々口の悪い奴じゃのう!」

「オーディン様、落ち着いて下さい」

『なあ? 実際のところ碌でもねえよな? この爺。そう思うだろう、御付きの嬢ちゃん』

「いえ、私は、オーディン様にお仕え出来たことは、光栄だと、思っています……」

『電話越しでも目泳がせて言ってんのがわかんぞ、嬢ちゃん』

 

 いい加減マダを黙らせないと場が騒がしくなると思い、シンは通話ボタンを切ろうとする。『切るんじゃねぇぞ』、とまるで見ているかの様にマダの制止の声が掛かった。というよりも自分が切られる様な会話をしている自覚がある様子。実に質が悪い。

 

「はあ……まあいいわい。所でアザゼルはどうした?」

「休憩しに行きましたよ」

「何じゃ入れ違いか」

 

 オーディンはそう言ってソファーへ座る。アザゼルに用があるらしいが、急ぎの内容では無い様子。ロスヴァイセは座らずにオーディンの側に立つ。

 オーディンは一誠、ヴァーリ、シンの顔を順番に眺め、感心して頷く。

 

「見れば見るほど不思議な光景じゃのう。赤白に加え魔人もこうやって顔を合わせて語り合っているのじゃから」

 

 オーディンが言うに歴代赤龍帝や白龍皇はかなりの暴れん坊だった。各地で戦い、山を平地にし、島を消滅させ、平野を荒地にし、終いには『覇龍』を発動し死ぬまで戦いあった。

 魔人たちは今も昔も好き勝手に振る舞い、神や悪魔の手を焼かせ血の雨を降らせてどっかに消えていくという害悪の様な存在。

 そんな傍迷惑な連中がこうやって暴力も無く語り合っている光景は、オーディンからすれば長生きを実感させるものであった。

 

「三人の情報が渡って来た時は、死闘も秒読みかと思われていました。片や欲望に忠実な卑猥なドラゴン。もう片方はテロ組織に与するテロリストのドラゴン。最後の一人は、何を考えているかいまいち分からない無愛想な魔人でしたから……あ、違いますからね! これは私の評価ではなく神々の間での評価ですからね!」

 

 最後に言い訳を付けるロスヴァイセ。嫌な名の通り方をしていることを今更知るが、否定が出来ない事実であった。

 

「ところで話は変わるが白龍皇。お主らは……どこが好きじゃ?」

 

 好々爺だった表情が悪ガキのそれに変わるオーディン。

 

「どことは?」

「女の体の好きな部分じゃよ。赤龍帝は乳じゃ。お主らもそういうのがあるじゃろう?」

『俺も知りてぇなー』

 

 オーディンの質問にマダが乗っかってくる。

 

「あまりそういうのは感心が無いな」

「好きになるとしたら、相手全体じゃないのか?」

 

 ヴァーリは特に興味を示さず、シンの方は特定の部位の好みなど無いと言う。

 

「何じゃい。その年で枯れとるのか?」

『つまんねぇぞー』

 

 オーディンとマダが文句を言ってくる。

 

「強いて言うなら──」

 

 言わなくてもいいのにヴァーリが真面目に答える。

 

「──ヒップ、腰からヒップまでのラインが女性の象徴的なところだと思うが」

「成程のぉ。ケツ龍皇というわけじゃな」

 

 オーディンに新たな称号を与えられ、アルビオンはヴァーリの中で絶句。

 

『乳と尻。女の上下。天と地。ふぅむ……乳の天龍ドライグと尻の地龍アルビオン……』

『ぐおっは!』

『がっはっ!』

 

 マダに無駄に荘厳な異名を付けられ、ドライグとアルビオンは重なっていく精神的なダメージによって喀血した様な声を出す。その後に咽び泣く声が部屋の中で聞こえ始めた。

 

「マダ師匠、爺さん。今、二天龍はとても繊細な時期なんです!」

「泣くなアルビオン。どんな名を付けられようとお前の偉大さは変わらない」

『うーん……ダメだ。もう少し親しみやすいイメージにしたい……具体的にはおっぱいドラゴンレベルのイメージが……』

「何を真剣に悩んでいるんだ……」

 

 マダの本気具合にシンは呆れてしまう。

 

『なあなあ、ヴァーリ。別に女じゃなくていい。他に好きなもんとか無いのか?』

「好きな物か……ラーメンだな」

 

 ヴァーリの口から庶民的な食べ物の名が出て、一誠たちは軽く驚く。

 

『ラーメンか……麵龍皇? 違うな……ヌードルドラゴン? 語呂が悪い……』

 

 真剣に悩むマダに対し、とっとと話を終わらせたいシンは投げ遣りな言葉を掛ける。

 

「なら省略したらどうだ?」

『省略……? ヌードラゴン……これだ!』

 

 天啓を得たりと言わんばかりにマダが叫ぶ。

 

『ぬおおおお! やめろぉぉぉぉぉ!』

 

 変な愛称を付けられたアルビオンが悲痛な声で止めようとする。

 

『マダ様ー? 何かあったんですかぁー?』

『ヌードラゴンって何ですか?』

 

 またもや女の声が電話の向こうから聞こえる。

 

『本名はアルビオンっていってな。裸の女を器にして麵を啜るのが大好きドラゴンだ』

『やだ、ひわーい』

 

 即興でとんでもない設定を捏造されてしまうアルビオン。

 

『マダ! きさ──』

『喜べよ、アルビオン! おめぇは百年後裸体とラーメンを司るドラゴンだ!』

 

 アルビオンにとって呪いに等しい言葉を残し、マダは電話を切ってしまった。

 VIPルーム内が静まる。ヴァーリと一誠は掛ける言葉が見つからず、己の半身に憐憫の感情を向けていた。

 オーディンとロスヴァイセは顔を引き攣らせ、全身を小さく震わせている。この空気の中で笑ってはいけないと自制し、必死に耐えようとしていた。

 

『ヴァーリ……』

「どうした? アルビオン」

『今すぐそいつを殺せ……』

 

 殺意の矛先はシンに向けられていた。

 

「それは……」

『そいつは、私たちに不幸を運んで来る災厄の使者だ! 今すぐ亡き者にしてくれ! それが嫌なら今すぐマダを殺しに行くぞ! 奴は存在してはいけない! それも嫌ならいっそのこと私を殺せぇぇぇ! うあああああああああ!』

 

 アルビオンの慟哭。

 

『う、う、う、うおおおおおおん! うううあああああああ!』

 

 それに触発されてドライグが泣き出す。

 限界が来たのかオーディンが噴き出してしまう。ロスヴァイセはそれを咎めるが声が震えていた。

 必死にドライグとアルビオンを宥める一誠とヴァーリ。

 

「続き、続きと──って何があった!」

 

 戻って来たアザゼルがVIPルーム内の混沌とした様子に驚く。

 

「……何があったんでしょうね?」

 

 説明するのも疲れると思ったシンは、他人事の様に返すのであった。

 

 

 ◇

 

 

 決戦の日が嫌でも近付いてくる。一誠はまだトールからミョルニルのレプリカを貰い受けていない。

 焦る気持ちは当然ある。しかし、自分がまだそれを得る段階に至っていないことも当然理解していた。

 だからこそ一誠はトールの試練に打ち勝つ為に、もう一つの試練を超えなければならない。

 人目を気にし、誰にも見られていないことを確認すると、一誠はとあるビルへ入っていく。

 中には何も無く、埃の積もり具合で年単位で人が無人になっていることが分かる廃ビルであった。

 灯りの無い廃ビルの中をどんどんと進んで行く。人気の無いせいでヒンヤリとした廃ビルの空気だが、奥へ行くほど別の冷たさへ変わっていく。

 そして、一誠の足が止まる。目的地へと着いた。

 

「来たぞ」

 

 真っ暗闇の中に一誠の声が響く。

 

「ふふふふふ」

 

 闇から笑い声が返って来た。

 

「来たか。どうやら貴公は地面を舐めるのが好きらしい。当代の赤龍帝は、かなりの被虐趣味の持ち主のようだ」

 

 一誠を嘲りながら姿を現すのはマタドール。顎をカタカタと鳴らし、一誠を嗤っていた。

 

「……お前に訊きたいことがある」

「ほう? 我が技を得るだけでなく更なる要求をしてくるとは……随分と欲深い」

 

 マタドールから刀剣の様な殺気が放たれ、一誠を貫く。奥歯を噛み締め、絶対にマタドールから目を逸らさない一誠。すると、殺気は急に消えた。

 

「だが、それで良し。貪欲でなければ強くなどなれない。勝利を得ることなど出来ない。いいだろう、私に指一本でも触れられればその時は貴公の望みを叶えよう。──さあ、赤龍帝」

 

 マタドールがサーベルとカポーテを構える。

 

「鍛錬の時間だ」

 

 




ドライグとアルビオンの新しい名を付けるのは悪ノリだと思ってください。

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