ハイスクールD³   作:K/K

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劣化、模倣

 夜。一誠は自室のベッドで眠れずにいた。悪魔として活発化する時間だが、それよりも日を跨ぐ瞬間がどうしても不安を感じてしまう。残された日数が減る度に精神も擦り減っていく様な気がした。

 リアスたちやアザゼルたちはロキとの決戦に向けて準備を進めていっているが、一誠は自分が先に進んでいる自覚がなかった。

 トールとの勝負に勝つ自信は無く、その自信を得る為にマタドールに鍛えて貰っているが、こちらも終わりが見えない。神器も絶不調で、気を抜くとこちらの体を乗っ取ろうとしてくる。

 超えるべき山は見えるが攻略法の見えない断崖絶壁。登る為の道具は故障中。ダメ押しに山を越えた先にはもう一つ断崖絶壁の山が待っている。

 しかし、その山を越えなければアザゼルたちが進めている作戦が台無しになってしまう。絶対にやらなければ、と考えると使命感から気力が湧くが、それを上回る程の重圧も掛かってくる。

 ベッドから上体を起こす。隣では小さな寝息を立てているアーシアとリアス。無防備で無邪気で愛らしい寝顔を見るだけで心が暖まり、擦り減った部分が癒されていく。そして同時に、必ず彼女たちを守らなければならないと強く思う。

 その為には、とまたトールやマタドールのことを考えてしまい、折角埋められた箇所を自分でそぎ落としてしまう。

 

「俺は本当にMなのだろうか……」

 

 自分で自分を苦しめていることに自嘲を込めて呟く。

 マタドールに言われたことを思い出す。それ以外に誰かにも言われた様な気がした。誰であったのか全く思い出せないが。

 

「えっ」

「えっ?」

 

 自分以外の声が聞こえたので慌てて視線を動かすと、目を覚ましたリアスが目を丸くしていた。

 

「イッセー……私は朱乃ほどドSじゃないけど、貴方が望むなら……」

「違います! 違います! そういう趣味的な話じゃないです! 誤解です!」

 

 寝起きのリアスに先程のM発言を聞かれてしまい、変に誤解され始めたので急いで誤解を解く。

 

「さっきのMっていうのは、その、今の状況をグルグルと考えて、勝手に安心した癖に、自分から不安なことを考えて落ち込んだり、何というか、例えというか、比喩みたいな……ああああああ! Mで思い出しましたけど! 俺なんかよりも間薙はどうするんですか! あいつ、腕を骨折していますよ! 決戦が近いっていうのに!」

 

 上手く言葉に表すことが出来ないと悟ると、話を強引に逸らす為に友人を生贄にする。

 

「シンのこと? あの子には本当に困ったわ……」

 

 都合良くリアスもシンの話題に喰い付いてくれた。リアスの眉間の皺の寄り具合から見て、かなり怒っている様子。

 

「私に会いに来たら、一言目が『折れました』よ! 真横に折れた腕を見せられた時には心臓が止まるかと思ったわ!」

 

 アーシアが近くで寝ているのでギリギリまで声量を絞って喋る。リアスの全身から放たれる怒気に、一誠は自分に向けられた怒りでは無いのに冷や汗を流す。

 その時にはリアスだけでなくソーナも居り、急いでアーシアを呼び出して彼女にシンの腕を治療させたと言う。

 

「あれ? でも、あいつ腕を吊っていましたけど?」

 

 アーシアの神器なら骨折も完治出来る筈である。

 

「治療は最低限に留めてもらったわ。今日一日は動かせない様にね。治って同じ様なことをされたらたまらないわ!」

 

 完全には治さず、戒めの為にある程度傷を残した後、シンはリアスとソーナから長時間に渡る説教を受けたとのこと。

 一誠は自分が同じ立場だったなら、と想像し数秒後には恐怖で震えていた。説教の最中に現実逃避で口から魂が飛び出していたかもしれない。

 ヴァーリも同じく仲間の美候、アーサーからお叱りを受けたという。骨折した箇所もシンと同じ様に黒歌の仙術で最低限の治療を施され、暫くの間仲間の目の届く場所以外には行けないとのこと。

 

「何て言うか……ははははは」

 

 二人とも叱られ、仕置きを受ける。子供の喧嘩の後の様な顛末に思わず笑ってしまう。冷静沈着なシンと戦闘狂で超人的なヴァーリを知っているせいで、余計に笑いがこみ上げてくる。

 

「少しは気分転換になった?」

「え?」

「思い詰めていたけど、少しだけ明るい表情になったから」

「あー……はい。ありがとうございます」

 

 リアスの言われた通り、両肩に圧し掛かっていたものが少しだけ軽くなった気がした。思い返せば声を出して笑ったのも久しぶりな気がする。

 

「明るくなったと言えば、朱乃も少し晴れた表情をしていたわね。──何をしたの?」

 

 ギョっと目を剥き、視線を右往左往させ、リアスから顔をゆっくり背ける。

 

「……エッチはしていません」

 

 リアスの手が伸び、一誠の頬を抓まんで自分の方を向かせる。

 

「そういうことを言う時には、ちゃんと目を見て言いなさい」

「す、すみません……」

「じゃあ、もう一度」

「エッチはしていません……兵藤一誠は未だに童貞でございます……」

 

 絶世の美女を相手に童貞宣言。情けない台詞と拷問の様なシチュエーションのせいで涙が出そうになる。

 

「よろしい。信じるわ」

 

 一誠の言葉を信じてリアスは抓まんでいた指を離す。

 

「それで? 朱乃に何をしたの?」

 

「うえっ! それは……」

「怒らないから言いなさい」

「朱乃さんを……抱き締めました……」

「そう」

 

 リアスの声に怒気は無かった。だが、言い終えた一誠の全身から冷や汗が噴き出す。まるで罪を告白した様な気分である。

 

「イッセー」

 

 名を呼んで、リアスが両腕を広げる。

 

「……どうしました?」

「私にもしなさい」

「えっ!」

「朱乃だけなんて、不公平よ……」

 

 拗ねた口調。少し頬を赤らめるリアスの顔が愛らしく見える。

 

「じゃあ、失礼して……」

 

 国宝にでも触れる様に恐る恐る手を伸ばし、リアスの背に両手を持っていく。一誠が抱き締める前に、リアスの方から一誠の胸に飛び込む。

 この世で最も貴い胸だと一誠が思っているリアスの胸が、一誠の胸板に押し当てられ、至高の弾力を伝えてくる。

 

「ぶ、部長?」

「どう?」

「さ、最高です……!」

 

 目から熱いものが込み上げてくる。同時に鼻の奥からも熱いものが込み上げてくる。気を抜けば、落涙しながら鼻血を垂れ流すという恐ろしく不細工な顔をリアスに晒すことになってしまう。

 

「貴方の鼓動を感じるわ。凄くドキドキしている」

「部長のせいですよ……」

「でも、それだけじゃないわよね? 最前線で戦う恐怖。自分に課せられた役目への緊張も貴方の鼓動を早めているのが伝わってくるわ」

「……はい。こういう役目は光栄ですけど、やっぱり怖いです。俺が失敗したら皆がどうなってしまうのかを考えたら……」

 

 落ち着いた言葉で一誠は弱音をリアスに聞かせる。本当なら最後まで隠し通したかったが、リアスの前でだと自然に出てしまった。

 リアスの優しさと、彼女の持つ胸の感触が一誠を極度のリラックス状態にさせ、不安を取り払い、心を開かせる。

 

「俺はやっぱり、おっぱいドラゴンなんでしょうね。部長のおっぱいに触れたら色んなものが吹っ飛んで、凄くやる気が出てきました」

「それでもいいわ。イッセーが私の誇りであることは変わらないもの。貴方が強くなって最強の『兵士』になる、その夢を私はずっと信じているわ」

「部長……」

 

 リアスは少しだけ体を離し、一誠の頬に掌を当てる。

 

「そう考えると、スイッチ姫というのも悪くないかもしれないわね。貴方だけのスイッチ姫。貴方の強さの源になれるなら、こんなに嬉しいことはないわ」

 

 リアスは目を閉じ、ゆっくりと顔を近付ける。一誠も目を閉じ、顔を近付け、やがて二人の唇は──

 

 

 ◇

 

 部屋へ戻ろうとしていたシンは、その途中で思いも寄らない人物と会う。

 

「ん?」

「ヒホ?」

 

 ヴァーリたちの仲魔であるジャアクフロストは、シンの存在に気付くと同時に威嚇し始める。

 

「何だホ? 気安く俺様を見るんじゃないホ!」

 

 ジャックフロストと色以外の違いが殆ど無いというのに、その態度は愛らしさが欠片も無く、小憎らしい。

 

「あ、ヒホホホ! 聞いたホ! お前、ヴァーリに腕の骨を折られたんだホ! 弁えもせずにヴァーリに挑むからホ!」

 

 吊っている腕を指差し、小馬鹿にするジャアクフロスト。

 

「ヴァーリも肋骨折れているけどな」

「うるさいホ! あんなのお前に比べたらかすり傷みたいなもんだホ!」

 

 シンは無言でサスペンダーから抜き、ジャアクフロストの前で手を開閉してみせた。

 

「ヒホッ!」

 

 既に治っている腕に、ジャアクフロストは驚き、吊り上がっている目を丸くする。そういう表情は本当にジャックフロストにそっくりである。

 

「もう治っている」

 

 罰を込めて神器で最低限の治療しか施されなかったが、シンには十分であった。神器で折れた骨同士が薄く繋がれば、後は自前の再生能力であっという間に骨折部分は元通りになり、問題無く動かせる。

 恐らくはヴァーリも同じ様に既に完治していると思われた。彼が怪我をしたフリを続けるのは、罰を与えたリアスたちの顔を立てる為。そして、リアスやソーナの説教の中でも指摘されたが、少々はしゃぎ過ぎた自分を戒める為である。

 ヴァーリはそんなことなど気になどしないだろうが、シンがヴァーリと戦う気が無いのを察して合わせていると思われる。戦う相手が居なければ怪我が治っても無意味なので。

 

「──ちっ」

 

 自由自在に動く左手を見て、ジャアクフロストは舌打ちをする。非常にガラの悪い態度である。大方、怪我をして動けないシンの腕ともう治っているヴァーリの肋骨のことを比べてシンを嘲笑おうとしていたのだろう。それが出来ず不満げな態度を露骨に出す。

 つくづく可愛げの無い存在だと認識させられる。

 これ以上ジャアクフロストと話しても、その認識が深まるだけだと思い、さっさと離れようとするが、どうしてもジャアクフロストに聞きたかったことを思い出す。

 

「何でそんなにジャックフロストを嫌うんだ?」

「ヒホ……?」

 

 ジャックフロストの名を出された瞬間、ジャアクフロストの目の輝きが増した気がした。良い意味では無く悪い意味で、殺気染みた眼光を放った様に見えた。

 その滾った眼は雪だるまには不似合いに思える。

 言葉によってはこの場でジャアクフロストとの戦いが始まるかもしれないが、シンは構わずに続ける。

 

「異様なまでに敵視していると思って。敵視しているのは、ジャックフロスト個人というよりも種族全体か?」

「そんなこと、聞いてどうするんだホ……?」

 

 口調は落ち着いているが、内では激情が渦巻いているのが分かる。その証拠にジャアクフロストの足元が凍結し出している。感情が高ぶった時のジャックフロストと同じ癖である。

 

「ジャックフロストという種族がお前とあいつを除いて絶滅しているのも関係あるのか?」

「だから、そんなこと聞いてどうするんだホ!」

 

 今度こそ怒り出し、全身から冷気を発生させる。間近でそれを浴び、衣服の表面に氷が張り付く。

 

「怒るのはそっちの自由だ。だが──」

 

 冷気を浴びながらもシンはジャアクフロストに近付いていく。

 

「こっちも理不尽に仲魔を殴られて、何も思ってないと思うなよ……?」

 

 ジャアクフロストの顔を覗き込み、赤い目を射貫く様に見る。眼球が凍結しようと決して離さないし閉じない。

 何を理由にジャアクフロストがジャックフロストに暴力を振るうのかは知らない。ジャックフロストがジャアクフロストを絶滅を免れた同胞であると思っている以上、手出しも口出しもなるべくするつもりは無かった。

 しかし、それでも限度というものがある。少なくともジャアクフロストがジャックフロストの存在を拒む理由は教えるべきだと思った。それでも嫌といい、今まで通りに振舞うのならシンにも考えがある。

 

「……キングフロストは間違ってたんだホ」

「──何だって?」

 

 ジャアクフロストがポツリと洩らす。

 

「さっさと冥界に行けば良かったんだホ。自然の流れだとか摂理とかカッコつけて絶滅して何の意味があるんだホ」

 

 静かな口調。だが、段々と言葉に力が込められていく。

 

「誰も居なくなったらそれで終わりだホ。それを受け入れることが強さなのかホ? だったら俺様はそんな強さなんて要らないホ! 俺様だけの強さを手に入れるホ! ジャックフロストなんてどいつもこいつもバカだホ!」

 

 言いたいことを言って、ジャアクフロストは脇目も振らずに走り去ってしまった。

 

「悪いねぇ。うちの奴が騒がしくて」

 

 その言葉で美候がすぐ側にいることに気付く。気配を消していて、声を掛けられるまでこの距離でも気付けずにいた。

 

「……お前といい、黒歌といい、ヴァーリといい盗み聞きが趣味なのか?」

「トラブルが起きなきゃ来てねぇぜぃ。お仲間と揉めたり、ヴァーリと骨折り合ったり、ジャアクフロストとひと悶着起こしそうになったりしてるが、冷静沈着ってな感じの雰囲気な癖に結構なトラブルメーカーだな、お前」

 

 事実なせいで反論することも出来ない。美候の言う通り、短期間で一誠以上に問題を起こしている。

 

「……あー、ジャアクフロストのことなんだが悪かったな。でも、あんまり怒らないでやってくれぃ」

 

 ジャアクフロストの代わりに何故か美候が謝る。

 

「何でお前が謝る?」

「あいつは素直じゃないからなぁ。絶対に謝らねぇぜぃ。あいつが刺々しいのは怖いんだよ。自分以外の全てが」

 

 ジャアクフロストのあの態度は、自己防衛の一種だと美候は言う。

 

「絶滅危惧種のレア雪精だ。欲や悪意で色んな連中に狙われて、そのせいでヴァーリと出会うまでそうとう酷い目に遭ってきたみたいだぜぃ。それこそ白い体が黒く染まるまでな」

 

 純真であったジャックフロストにとって、この世界には恐怖が多過ぎた。

 

「でも、あいつ黒い体のことは気に入っているみたいだぜぃ。あいつにとっちゃ今まで生き抜いてきた強さの証みたいなもんらしい」

 

 厳しい環境で生きるにはジャックフロストではいられない。そして、黒を得て白を捨て、ジャックフロストの名も捨てた。

 

「あいつがジャックフロストを拒むのは多分怖いんだと思うぜぃ。ジャックフロストと関わることで自分の中の黒が薄れて、また白に戻るのが」

 

 ジャアクフロストにとって最も恐れることは、嘗ての自分に戻ること。弱くて、情けなくて、小さなジャアクフロストに。

 

「でも、あいつ、ヴァーリの強さに憧れているんだよなぁ。口ではライバルだって言っているが、あいつの理想はヴァーリなんだぜぃ」

 

 こっからは俺っちの想像だが、と前置きを入れる。

 

「……あいつはもしかしたら、ヴァーリの白に強く惹かれているのかもしれないぜぃ。もう二度と手に入らない白によぉ」

 

 

 ◇

 

 

「──いつにも無くやる気に満ちているな、赤龍帝」

「そうか?」

「普段からそれぐらいの気迫を見せてくれたら少しは期待できるのだが」

 

 廃墟内にてマタドールは一誠を観察する様に見る。マタドールの伽藍洞な眼窩は、一誠から立ち昇る魔力が見えていた。

 

「敵に期待するのかよ」

「敵……? はて? そんなものが何処にいるのやら?」

 

 マタドールはわざとらしい動きで周囲に視線を彷徨わせる。敵として一誠は眼中に無いと言いたいらしい。特訓の中で罵倒され続けているので嫌味の一つでも言ってみたら、悪意を上乗せされて返されてきた。

 

「今日こそ、その顔に一発入れてやる!」

「吼えるだけなら犬でも出来るぞ?」

 

 言葉でなく行動で示せ、という意味を込めた皮肉を言って、マタドールは一誠を指招きする。

 

『Boost!』

 

 開幕赤龍帝の籠手を装備し、倍化すると一誠は次を待たずに走り出す。二倍程度の身体能力ではマタドールに届かないことは重々承知しているが、今回の戦いでは珍しく策を以って挑んでおり、これも布石である。

 

「ふん!」

 

 真っ直ぐな正拳突き。小猫に学び、我流も混ぜた打ち方であったが、倍化した能力では一撃でコンクリートも砕く。

 マタドールはそれを難なく躱し、避け様に剣の背で一誠の背中を叩く。

 

「うっ!」

 

 加減していると分かっていても肉の鎧を突き抜けて骨まで衝撃が達する。マタドールは斬って致命傷を与えない代わりにわざわざ内部にまで浸透する打ち方をする。ある意味では斬る以上の苦痛を与えるものであった。

 初日は息が詰まり、動けなくなる程であったが、数え切れないぐらい打ち続けられたことで痛みに対する耐性を身に付け、今ではすぐに動ける様にまでなっていた。

 

『Boost!』

 

 二回目の倍化。能力が更に倍になる。さっきよりも移動速度は跳ね上がり、突き出す拳のキレも増す。

 だが、マタドールにとっては誤差程度。一誠が拳を一発放つ間に一誠の身を五回打ち、薄皮から血が滲む程度に五回斬った。

 斬られた箇所は左上瞼一箇所、右下瞼一箇所、右耳に一箇所。これは痛みではなく一誠に精神に恐怖を与えることが目的である。

 重要な器官を攻撃することで、あと一歩踏み込んでいたら、逆に動いていなかったら、マタドールの手元が狂っていたら失明していたかもしれない、という最悪の未来を連想させる為。耳を斬るのは、斬られる音を間近で良く聞かせ、恐怖を煽る為である。尤も、マタドールからすれば顔に落書きでも書いている様な感覚だが。

 当初、それをやられた一誠は躊躇してしまい、その間に体中を殴打され続けた。今ではマタドールならば失敗をしないという嫌な信用をしてしまった為、即座に行動出来る。

 肉体を打ちのめしながら精神を打ちのめす。それがマタドールなりの鍛え方であった。

 マタドールの虐待の様な鍛錬を受けつつ、一誠も倍化を重ねていく。やがて、倍化が限界で達する。

 

『Explosion!』

 

 倍化をそこで維持すると、それに合わせてマタドールの構えも変わった。さっきまではカポーテを後ろに回し、剣一本で一誠の相手をしていたが、ここからはカポーテを前方に出す。

 マタドールにすれば今までは準備運動の様なもの。一誠の体は大分痛めつけられているが。

 一誠が走る。駆け抜けた周囲の積もった埃が風圧で一気に舞い上がる。最高まで達した肉体が最高速を生み出し、一誠は最初と比べものにならない速度でマタドールに接近する。

 マタドールの頬を狙う一誠の横振りの拳。しかし、それを最初の時と同様に紙一重で避けられる。例え、能力を何十倍に引き上げても何も変わらないと言わんばかりに。

 戦っていてつくづくマタドールは性格が悪いと実感させられる。この特訓が終わったら、一生関わらないよう願わずにはいられない。

 左右の連打を繰り返し、突きを交えて攻撃のパターンに変化を加える。マタドールはそれを避け、脇腹を峰打ち。そこが隙だらけだと痛みで教える。

 歯を食い縛り、今だけは痛みを脳の奥底に押し込めておく。痛みで少しでも動きが鈍ればマタドールに追い付けなくなる。

 大振りの一撃。これもマタドールに軽々と回避されるが、それも想定内。狙いは拳の狙う先にあるコンクリート造りの柱。

 柱に拳を叩き付ける。めり込む拳。その瞬間に一誠は魔力を流し込む。内側から圧迫された柱が弾け、コンクリート片が散弾となってマタドールに飛ぶ。

 

「ふっ」

 

 マタドールは笑う。だが、決して嘲ったものではない。確かに一誠がやったことは小細工の類。しかし、マタドールはそういった小細工を見下したりはしない。小さな積み重ねが勝利へと繋がる。

 他者にとって悪足搔きに見えても、それ自体が勝利への布石になり得る。

 だからこそマタドールは油断せず、寧ろ気を引き締める思いで飛び散った破片にカポーテを振るう。

 カポーテに破片が触れると、常識を知る者ならば我が目を疑う程不自然に軌道を変え、全てマタドールから逸れていく。

 これは目晦まし、或いは注意を逸らす為のもの。当然、次が来る。

 

「おおおおおお!」

 

 わざわざ声を上げながら拳を突き出した一誠。自分からタイミングと位置を報せるものだが、破片に続いて真正面から攻めているので悪手とも言えなかった。

 馬鹿正直に真っ直ぐ攻めてくる一誠に、一抹の期待を抱きながらカポーテを翳す。

 一誠の左拳が、予定調和の様にカポーテに触れた。

 カポーテ越しに行われる力の逆転、反流、支配。一誠の体が面白い様に宙へ飛ぶ──ことは無かった。

 

(な、に……?)

 

 カポーテから伝わって来る力が、マタドールの想像しているものと異なり、遥かに弱い。寸止めが出来るタイミングでは無かった。ならば、何故こうも違うのか。

 僅かに動きを止めたマタドールに、一誠の右拳が迫る。

(──そういうことか)

 

 迫る拳よりも自分が見誤った原因を探り、答えを知った。

 カポーテに触れる左手、赤龍帝の籠手が解除されていた。解除することで倍化を強制解除し、マタドールのカポーテによる力の操作を狂わせたのだ。数日間、数え切れない程一誠の拳を捌いてきたせいで、一誠の左拳は赤龍帝の籠手とマタドール自身に刷り込まれたことで生まれた初めての隙。

 

(中々の捨て身──だが)

 

 マタドールは一誠の右拳を難なく避け、剣を手元で回し、柄頭を一誠の鳩尾に突き刺す。

 

「──ッ!」

「遅いな」

 

 カウンターを貰った一誠は、声を上げることも出来ずに崩れ落ちる。

 面白い捨て身の一撃であったが、次に続く攻撃がマタドールには遅過ぎた。ドラゴンの飛翔も、亀の歩みにまで落ちれば簡単に避けられる。

 倍化していない一誠の身体能力は、悪魔として最低ランクである。絶好の機会を生み出そうが、最低でも最大強化の身体能力が無ければマタドールには届かない。

 数日間掛けて作り上げてきたものが、マタドールの一撃によって呆気無く打ち砕かれた。

 そんな一誠が、今どんな顔をしているのかマタドールは覗き込む。

 表情は苦痛で歪んでいる。しかし、その両眼はまだ死んでいない。足掻こうという意思が宿っていた。

 不屈の闘志。それを見せられたらマタドールもここで手を抜くことは出来ない。容赦なく攻めることが戦士としての礼儀。

 一誠が触れている左拳。カポーテを巧みに操ることで、一誠は見えない何かに突かれた様に吹っ飛ばされる。

 

「うおっ!」

 

 受け身も取れず、何度も地面を跳ねながら転がっていく。数メートル程離れたところですぐに立ち上がった。

 

「くそ……」

 

 一度きりしか使えない捨て身の神器解除をあっさりと対処され、ショックが無い訳では無かったが、既に一誠は気持ちを切り換えていた。ショックを受けるのが烏滸がましい程力量差があることなど最初から承知している。それに、トールによって一撃で自信を砕かれた一誠には、これぐらいのことを耐えられる程度の精神耐性が出来ていた。

 

(でも、どうしようか……何か、こう、マタドールに効果抜群! みたいな技ってないか?)

『そんなものがあれば、最初から教えている』

(だよなー……)

 

 歴代の赤龍帝は、マタドールと戦う際に神器の能力と本人の技量でどうにか相手に出来ていた。酷な話だが、それが出来ないぐらい今の赤龍帝である一誠のレベルは低い。

 

(このままじゃ終われない……!)

 

 皆から掛かる期待に一誠はまだ何一つ応えていない。肩に圧し掛かるものを重圧と呼ぶかもしれないが、好きな人、尊敬する人、助けたい人から寄せられる期待を枷などと思いたくない。寧ろ、その期待を誇らしく思う。

 唇からあの日の夜の熱が戻って来る。リアスから贈られた熱い思い。それを無駄にしない為、一誠は──

 

(ん……?)

 

 リアスからキス。マタドールの赤いカポーテ。赤龍帝の籠手の能力。不思議とその三つが頭の中に浮かび上がる。直感がこれを何かのヒントであると告げていた。

 モヤモヤとした形にならない想像。繋がらない様で繋がるそれが結ばれる箇所を探してごちゃごちゃと頭の中で混ざり合う。

 一人悶々と考え込む一誠。それを黙って見ている程、マタドールはお人好しでは無い。

 

「戦いの最中に考え事か?」

 

 剣を構えたマタドールが目の前に立っている。

 

「ちょ、ちょっとタイム!」

 

 思わず出てしまった情けない言葉に、マタドールはため息を吐く。

 

「貴公は、しょうがない男だ」

 

 意外なことにマタドールが剣を収める。まさか、素直に応じてくれるとは思わず、目を丸くする一誠。

 次の瞬間、マタドールの蹴りが一誠の顔面を蹴り飛ばしていた。

 

「勉強になっただろう? これが不意打ちというものだ」

 

 蹴られた一誠は、鼻を押さえながら立ち上がる。最近殴られ続けたせいか、骨も折れていないし、血も出ていない。赤くなった程度である。

 

「……すげぇ勉強になったよ」

 

 マタドールの意地の悪さにも慣れた一誠は、言い返す余裕もある。

 

「教えて貰ったついでに、俺の勉強の成果も見てくれないか?」

「ほう?」

 

 マタドールが興味を抱いた声を出す。

 蹴られた衝撃で、めちゃくちゃに混じっていたものが一本に結ばれ、モヤモヤとした想像が全て繋がった。

 この数日間で得たものをぶっつけ本番で一つの形にする。

 

「ではその成果、見せてもらおうか?」

 

 

 ◇

 

 

 兵藤家に戻った一誠は、そのままオーディンの居る部屋へ一直線に向かい、勢いのままドアを開ける。

 

「何じゃ、急に?」

「どうかしたか?」

 

 部屋の中ではオーディンとアザゼルが打ち合わせをしており、側にはロスヴァイセも居り、突然現れた一誠に驚いている。

 

「爺さん。トール──様を呼んでくれ」

 

 開口一番で一誠はそう告げる。

 

「トールの試練に合格する目途が立ったのかのう?」

「合格してみせるさ」

「──分かった。少し待っておれ」

 

 オーディンはトールと連絡を取り、間も無くして以前の様にグレモリー領の訓練用バトルフィールドで戦うことになったのだが──

 

「……何でいるの?」

 

 シンとヴァーリを見て、一誠は言わずにはいられなかった。前回と違い、リアスたちも忙しいと思い、トールと戦うことは秘密にしていた。だというのに、一誠がバトルフィールドに来た時には、先にシンが居り、少し遅れてヴァーリも現れた。

 あまりのタイミングの良さに報せたのではないかとアザゼルとオーディンを少し疑ったが、一誠が二人の顔を見ると揃って首を振っていた。

 

「どうやって俺がもう一度トール様と戦うことを知ったんだ?」

「──そうなのか?」

「それは興味深いな!」

 

 初めて知ったという様子のシンとヴァーリ。どう見ても演技では無い。

 

「じゃあ、何で来たんだよ……」

「強いて言うなら──」

「敢えて言葉にするなら──」

 

 言葉を選ぶ為に少し考え、出た言葉は──

 

『勘』

「マジかお前ら……」

 

 預言の様な二人の勘の良さに一誠は引いてしまう。

 

「ギャラリーが来ちまうぐらいなら、いっそのことリアスたちも呼んじまうか?」

 

 苦笑しながらアザゼルが提案する。一誠の士気を上げる意図も含まれていた。

 

「まあ、部長や朱乃さんたちの前でカッコつけたい訳じゃないんで……」

 

 彼女たちに相応しいカッコイイ男で在りたいとは思っているが、だからといって形だけのカッコ良さを見せるのは違うと一誠は思う。

 

「そうかい。要らん気遣いだったな」

「いやー、それに急にミョルニルのレプリカを見せた方が驚くかな、と思って」

「ほう? 既に勝っている算段か。頼もしいな」

 

 姿は無く声だけだというのに、緩んでいた空気が一瞬で張り詰める。空間の歪みが出現し、そこからトールが姿を見せる。

 張り詰めた空気が、今度はひりつくものへと変わった。見ている者の総毛が逆立つ威圧感と神々しさ。

 人々が脅威を神という形に現し、信仰していた気持ちが分かった気がする。触れてはいけない存在への信仰は、恐怖の裏返しなのかもしれない。

 トールを前にし、瞬殺された時の苦い感情が心の中から溢れ出てくる。マタドールに何度も殴られ、貶され続け、その辺りの感情が麻痺してるかと思っていたが、全くそんなことは無かった。

 寧ろ、マタドールとの特訓は心の蓋を閉じる為のものであった。死に物狂いでする特訓が完敗の味を一時的に忘れさせた。

 

「また、挑ませて貰います……!」

 

 臓腑が爛れる様な熱く、粘り付く様な感情を押し込め、一誠は再びトールへ挑戦する。

 

「そうか」

 

 トールは一言だけ残し、一誠から距離を置く。

 数メートル程離れてトールは足を止めた。

 

「ルールは前と同じだ。全力で来い」

 

 トールに一撃与えれば一誠の勝ち。前回は一撃を与える前に、逆に一撃で倒された。

 

(二度と同じ負け方はしない!)

『Welsh Dragon Balance Breaker!』

 

 本来ならば時間が必要な筈の赤龍帝の鎧を、一誠は一瞬にして纏う。表面上は静かだが、体の内に燃え盛る激情が、神器に力を与えて時間を短縮させた。

 

『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』

 

 鎧が倍化を重ね始め、数秒で能力が最大強化をされた。

 倍化を終えた一誠は、その場から動かない。前は飛翔して自分から距離を詰めたというのに。

 

「──来ないのか?」

 

 攻めて来ない一誠を、臆したのかとトールは思った。

 

「……いつでもどうぞ」

 

 手招きをし、あろうことかそちら来いと挑発してみせた一誠。正気を疑う様な行動であったが、一誠も余裕を以ってやっているのではなく声が震えている。図太さよりも若干の悲痛さを感じさせる痛ましい挑発であった。

 

「──くっ」

 

 トールは、一誠の精一杯の挑発を小さく笑った後──それに乗る。

 トールの巨体は即座に雷光と化し、万物を砕く剛力を拳に込めた状態で一誠の真正面まで移動していた。

 この時、仮面の奥のトールの目が僅かに見開く。以前は全く反応出来ていなかった筈なのに、今の一誠はトールの拳を凝視していた。間違いなくトールの動きを目で追っている。

 

(たった数日で反応出来たか)

 

 本気では無いとはいえ全く手を抜いている動きでは無い。一誠の短期間の成長にトールは感心しながら拳をより強く握り締める。

 雷神から高い評価を受ける一方で、一誠の内心は余裕など一欠けら無かった。

 

(うわ! うわ! でかい! 早い! こわっ! こわっ! 逃げてぇぇぇぇ!)

 

 マタドールのスピードに慣れたことでトールのスピードにも反応出来たが、筋肉の塊の様なトールが握り締めても尚でかく見える拳を構える様は恐怖しか感じられない。反応出来てしまったせいで、前とは違って拳よりも先に強烈な重圧が飛んでくる。

 

(こえぇ! くそっ! 堪えろ! 行け! 行け! 行け!)

 

 マタドールの方が性格が最悪な分もっと碌でも無かった、と自らを鼓舞し、一誠は触れれば砕け散りそうな拳に向けて掌を突き出す。

 雷神の豪腕から、電磁加速砲かと錯覚する様な拳が発射される。

 直線で迫る剛拳に対し、一誠が行ったのは掌でそれに触れること。

 何千分の一の間の接触。その瞬間に一誠は全てを懸ける。

 

『Transfer!』

 

 その音声に誰もが耳を疑った。

 

(ここで譲渡だと!)

 

 アザゼルを初めとし、皆が同じ疑問を抱く。一体、何に譲渡し、何の能力を向上させようというのか。

 次に一誠が行ったことに、思わずヴァーリは前のめりになる。

 一誠はトールに触れた掌を下方向へ向けて振るう。その際に、籠手から発せられるドラゴンの赤いオーラの軌跡が赤布の様に残るが、それにヴァーリだけでなくシンも強い既視感を覚えた。

 更に驚愕すべきなのは、ただそれだけの行為でトールの拳の軌道が逸らされ、一誠の手の動きに合わせて真下に向かう。

 

「むっ!」

 

 トールは自分の意思とは無関係に動く拳に気持ち悪さを覚えながら、拳が足元を砕く前に急停止させ、すぐさま軌道修正をしようとするが、その頬に硬い感触がコツンと当たる。トールの仮面に一誠の右拳が押し当てられた音であった。

 

「──どうですか?」

「見事。合格だ」

 

 その瞬間、全ての緊張から解き放たれ、一誠は膝から崩れ落ちた。

 

「はあぁぁー……あぶねぇ……」

 

 一誠は左手を見る。トールの拳を逸らしたその籠手は罅だらけになっており、今にも剝がれ落ちそうであった。触れただけでこれである。鎧無しだったら運が良くて腕の骨が、悪ければ腕自体が粉砕していただろう。

 

『こればかりは、流石としか俺も言えないな、相棒』

「い、今、ほ、褒めないでくれぇ……色々と来ているせいで、泣きそう……」

 

 トールとの戦いからの解放の反動で涙腺が締まりの無い状態となっており、全身も震えていた。

 

「赤龍帝」

「は、はいっ! 何でしょうか!」

 

 トールに呼ばれると、一誠は跳ねた様に起き上がり直立不動となる。

 

「これを」

 

 トールの手の中にはいつの間にか一振りのハンマーが握られていた。幾つか装飾や彫り物がされているが、一誠の第一印象は工作で使う金槌である。

 

「これが……」

「ミョルニルの贋作だ。お前にはこれを受け取る資格がある」

 

 一誠は差し出されたミョルニルのレプリカに両手を伸ばす。トール直々に手渡され、緊張してしまう。

 ミョルニルのレプリカを受け取った瞬間、ずしりとした重量が両手に掛かる。すると、一誠の両手の中でレプリカがどんどん大きくなっていき、それに合わせて重量も増していく。

 

「ふぬぅぉぉぉ! 何ですかこれっ!」

「気を昂らせ過ぎだ。お前の魔力に影響を受けているんだ。抑えろ抑えろ」

 

 重みで前傾姿勢になっている一誠に、アザゼルがアドバイスを送る。戦闘後の高揚と解放感で一誠が無意識に放っていた力が、レプリカに影響を与えていた。

 アドバイス通り魔力を抑える一誠。レプリカの巨大化は止まり、今度は小さくなり始め、元の大きさまで戻る。

 小さくなったそれをアスカロンの様に籠手の中に仕舞う。剣にハンマーを収納した籠手。似合わない例えだが、十徳ナイフを連想させた。

 

「赤龍帝」

「は、はい! 今度は何でしょうか!」

 

 トールに名前を呼ばれる度に心臓が跳ね上がる。威厳と威圧があり過ぎて、自然と体が硬直してしまう。

 

「手を」

 

 そう言われ、意図が分からないまま一誠はおずおずと左手を出す。すると、トールの巨大な手が一誠の手を包み込んだ。

 

「私の力をお前に託そう」

 

 激励を込めたトールの握手。最強と呼ばれる雷神にそこまでされ、一誠は戦意が高まっていくのを感じた。

 

「──はい!」

 

 トールは一誠から手を放し、オーディンに顔を向ける。

 

「私はこれで。だが、いざとなれば──」

「安心せい。お主の力を借りんでもロキに灸を据えるぐらいできるわい」

「灸などと優しいことは言わず、この拳を直に叩き込んでやりたかったが……」

「お主ら本当に仲が悪いのう」

「相性が悪いだけかと」

「ただでさえロキの暴走で他の神々に恥を晒しとるというのに、そこにお主らの喧嘩など見せたら恥の上塗りだわい。お主は北欧に戻って他の者たちがこの隙に良からぬことをせぬか目を光らせておけい」

「──承知した。では」

 

 来た時と同じ様に歪みの中へ消えていくトール。

 時間は掛かったが、ミョルニルのレプリカを手に入れることができ、これで下準備はほぼ完了した。

 

「はあああ……」

 

 溜息を吐きながら一誠は禁手を解除する。まだ本番はこれからだが、一つの重圧が肩から下りた。

 リアスたちに早速ミョルニルのレプリカを手に入れたことを報告しようと振り返る。

 そこには目を輝かせ、好奇心に満ちた笑みを浮かべたヴァーリが立っている。

 

「……何?」

「さっきの技、出来ればもう一度見せて欲しい。というか俺に使ってほしい」

 

 頼んでくるヴァーリの雰囲気は、まるで手品を期待する子供そのもの。

 

「お前、骨折しているんだろう……?」

「あんなもの怪我の内に入らない」

「ええ……」

 

 骨折はかなり重い怪我の筈だが、何でも無い様に言い切るヴァーリ。

 

「おい、間薙! ──って居ねぇ!」

 

 見学していた筈のシンの姿が何処にも無い。

 

「あいつ、お前が合格したのを見たらさっさと帰っていったぞ」

 

 アザゼルに教えられ、一誠は頭を抱える。

 

「何でこういう時だけタイミングが悪いんだ! あいつは!」

 

 

 ◇

 

 

 人気の無い建物内でマタドールは独り佇む。

 

(ああいう成長をするとは、少々予想外だった)

 

 一誠がマタドールに最後に見せたのは、マタドール自身の技の模倣であった。それを見せられた瞬間、マタドールは極めて短い時間ではあるが柄にも無く動揺してしまった。

 その結果、一誠の拳を避けるのに僅かに反応が遅れ、衣服の一部に掠らせてしまった。頭の天辺から爪先まで全てに神経を張り巡らせているマタドールには、その微かな接触にも気付いてしまった。

 一誠本人は空振りしたと思っていたが、マタドール本人が掠めたことを自己申告したので特訓は合格となったのだ。

 別に一誠の頑張りを評して情けを懸けた訳では無い。マタドール自身のプライドの問題である。格下相手に触れられることよりも、それを隠すことの方が遥かにマタドールの自尊心を傷付ける。

 

(それにしても酷い技であった……)

 

 百点満点中限りなく零に近い一点。それが、マタドールの一誠の技の評価である。

 相手の力を利用し、そのまま自在に操るマタドールの技とは違い、相手の力を利用出来ない一誠は、その代わりに相手に自分の力を流し込む。他人の力は利用出来なくても、自分自身の力ならばまだ上手く操作出来る。

 それによってマタドールの赤のカポーテと似た様な捌き方をしたのだ。

 はっきり言って欠点だらけの技である。自分自身の力を利用するので大きく消耗すること。完全に初見向けの技であり、一度分かれば同程度の実力差でも覆せること。

 マタドールの技と比べれば劣化模倣もいい所である。

 

(だが、面白い)

 

 今はまだ劣化したもの。いずれは自分なりに技を理解し、より完成度の高いものへ昇華出来るとマタドールは予想していた。

 才能など全く無いと思っていたが、敵対する魔人の技を取り込もうとするその貪欲さは評価に値する。

 

(見せたと同時に合格して良かった。赤龍帝)

 

 マタドールは手首を回し、剣を一回転させる。その途端、天井、床に斬撃による線が刻まれた。

 

(もう少し粘っていたら、期待をし過ぎて自重出来なくなっていたかもしれない)

 

 マタドールは上機嫌そうに鼻歌を歌いながら剣を回す。その度に建物内に斬られた跡が出来ていく。マタドールからすればペン回しの様な感覚で建物を切り刻む。

 

(──ああ、そう言えば最後の約束はどうしたものか……)

 

 斬撃によって建物の耐久も限界に達し、崩れ始める中でマタドールは呑気に別のことを考えていた。

 一誠はマタドールとの特訓内で一つの約束を交わしていた。そして、特訓の合格と共にその約束も果たされている。

 

(姫島朱璃の死の真相を全て話す、か……聞かされた時の赤龍帝の顔。一体何を期待していたのやら?)

 

 落胆と安堵。それが半々に入り混じった表情を一誠はしていた。

 

(私が姫島朱璃の仇で無いこと、()()()()()()()()()()()()()()()()ことなど知ってどうなる訳でもあるまい)

 

 と考えるものの実のところ、一誠にも話していないことが一つある。それは最期を看取った朱璃の遺言である。

 冷酷無比で自己中心的な考えを持つマタドールでも、これは容易く他人に聞かせるものでは無いと思っている。

 

(しかしなぁ……)

 

 マタドールの当初の予定では、これを餌にしてバラキエルと戦おうと考えていた。だが、マタドールの予想に反してバラキエルが弱々しい姿を見せたので保留となってしまった。とはいえ、全て話すという約束を反故にするのもマタドールの沽券に関わる。

 

(──決めた)

 

 雨の様に降る大小の瓦礫を避けながら、マタドールは歩き出す。

 

(この戦いでバラキエルがもし生き残ったら、その時に教えるとしよう)

 

 自分の中で決め、それに納得すると崩壊していく建物を後にする。

 

 

 後日、マタドールが破壊した建物は、『謎の崩壊』という見出しで新聞の片隅に載ることとなる。

 




この章も中盤が終わり、終盤へと入っていきます。

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