「ふん、俺に対して礼儀を語るか……人間が大きく出たな!」
「ただの人間かどうか、試してみますか?」
紅蓮の怒りを露わにするライザーと、対照的に氷の様に冷たく感情を露わにしないシン。両者の間で見えない火花が散る。
「なら……試させてもらおうか」
ライザーの右手から肘に掛けて炎が奔る。その炎は右手の中に収束し始め、拳大の炎球と化す。
「ライザー・フェニックス。この名をその頭に刻んでおけ!」
「待ちなさい! ライザー!」
リアスの制止よりも早く、ライザーは手の中の炎球をシンに向けて投げ放った。空気の焦げる匂いと共に迫る炎に対し、シンはその場から動こうとはしない。
直撃する。誰もがそう思った瞬間、シンは動いた。
「ほお? 人間風情と思っていたが、成程随分と面白い力を持っているな」
最初に言葉を出したのはライザーであった。
「自己紹介どうもありがとうございます。俺はグレモリー部長の協力者――」
紋様を輝かせた右手が、直撃するかと思われたライザーの炎球を掴み取っていた。
「間薙シンです」
シンも名乗ると共に手の中の炎を握り潰す。潰した拳の隙間からは白煙が上がる。
「ライザー! あなた――」
「部長、いいです」
ライザーの蛮行とも思える行動に抗議をしようとするリアスをシン自ら止める。シンは右手を開き、掌を埃でも払うかのように左手で払っていたが、開かれた右手には火傷一つ付いていなかった。
「あれは、見せかけだけでしたよ。たいして熱くも無かったです」
皆に見えるように右手の掌を見せ無事であることを証明した後、シンはライザーの方を見るが、ライザーは詰まらなそうな表情となる。
「せいぜい、慌てふためかせてやろうとは思ったが、顔色一つ変えないな。全く面白みの無い反応をする奴だな。お前は」
「よく言われますよ」
「ライザー様。あまりお戯れはよして下さい。リアスお嬢様の機嫌を損ねるだけです」
「失礼。つまらない挑発に乗ってしまったようです。以後は自重しますよ」
銀髪の女性の窘める言葉にライザーは肩を竦め、軽く謝罪をする。勿論、シンへの謝罪の言葉は無い。
視線をライザーへと向けたまま、シンはリアスたちの方へと足を進める。
「それで、一体どういう状況だ?」
部室に入って殆どその場の流れと相手の態度に反応して行動していたシンが、改まって今どういうことが起こっているのかの説明を木場に求める。
「手短に説明すると、彼は魔界の名家、フェニックス家の三男のライザー・フェニックス。部長と同じ上級悪魔で部長の一応の婚約者らしいよ。でも部長はそれを拒否している」
「それじゃあ、後ろの女性たちはライザーという奴の眷属か」
「……そうです」
木場の代わりに小猫が同意する。
「この様子だと穏やかに話し合いという雰囲気ではないな……あの女性は?」
シンはそう言って銀髪にメイドの格好をした女性を目で指す。
「あの人は両家の立会人で部長のお兄さんの『女王』のグレイフィアさんだよ」
「あの人が、か……」
今日、一誠に聞いた覚えのある名であったが、目の前にいるグレイフィアという女性は測りきれない存在感を持っていた。見た目は二十代前半、編んだ銀髪を一つに束ねた髪型に冷たさと鋭さを感じる眉目秀麗な顔立ち。しかし、シンにはその内側から隠すことの出来ない程の力を肌で感じていた。グレイフィアという女性はこの場に居る全員の中で頭一つ抜けた存在感があった。
「立会人というと……」
「部長は今、ライザー・フェニックスにレーティングゲームとの対決を了承したところさ」
木場の表情はいつにも無く真剣であり、笑顔など無い。シンと会話していても意識はライザーの方へと向けられていた。
(勝てば婚約破棄、負ければ部長は結婚か)
相手の眷属の数とリアスの眷属の差は一目瞭然。この対決自体、この婚約を望む者にとって都合のいい展開であることが分かる。
「ふん、詰まらない横槍が入ったが話を戻そう。この俺と俺の可愛い下僕たち相手に、たった五人の下僕で挑むわけか。精々対抗できるのは『雷の巫女』ぐらいだな」
聞き慣れない単語に疑問符を浮かべるシンであったが、ライザーの目線は朱乃へと向けられている。先程口にしたのは朱乃の異名であるらしい。
そして、もう一つ気になったことはライザーが言った『五人の下僕』という言葉。考えなくても分かる。ライザーはシンの存在を眼中には入れていないらしい。
ライザーは嘲笑を浮かべて、側に並び立つ眷属の女性たちの何人かを両手で抱き寄せ、その体を慣れた手付きで弄る。女性たちも嫌な顔を一つ見せず、むしろそれに喜んでいるようであった。
シンの耳に擦りあわせるような音が聞こえてくる。その音がする方へ目を向けると、一誠が嫉妬心を全開にして悔しそうに歯軋りをしている。その隣ではアーシアが目の前の光景に赤面し、顔を抑えて照れていた。
「ねえねえ、シン。なんであいつみんなの見ている前でベタベタし始めたの?」
「そういうのが好きなんだろ」
ピクシーが純粋に疑問に思ってシンに問い掛け、シンは殆ど適当に答える。婚約者がいる前で態々、他の女性とじゃれ合う神経など、今まで普通の環境で過ごしてきたシンには理解できない。ましてや、感覚が大きく違うピクシーから見れば、今の光景はさぞ不可思議なものであろう。
しかし、ライザーの行為は止まることを知らず、魔術師のようなローブを纏った女性を抱き寄せると、その女性の顎に手を当て唇を重ねようとする。
この行為にとうとう一誠の我慢が限界に達したのか、自らの『神器』の名を叫び、左腕に『赤龍帝の籠手』を装着する。
「てめー! いい加減にしろ! お前みたいな女ったらしは部長に相応しくない! 不釣り合いだ!」
「ああ? さっき俺の眷属たちを見て泣いて羨ましがっていた奴が言う台詞か? お前の夢だってハーレムだろうが」
ライザーの反論に一誠は言葉を詰まらせる。責めるつもりが手痛い反撃を食らう結果となってしまった。
「泣いて羨ましがってたのか……」
ボソリと呟いたシンの言葉に一誠は反応。慌てた様子で弁解を始める。
「いや! その羨ましがったというか……憧れたというか……泣いたというよりも感動したというか……間薙! あいつの言葉を信じるのか!」
シンは躊躇う事無く首を縦に振る。
「うん! だってイッセーだし」
ピクシーも駄目押しに肯定する。
「と、とーにーかーく! そんな部長の前で他の女に手を出しているような奴を認められるか! ましてやそれが結婚相手ならなおさらだ!」
強引に話を打ち切って、ライザーを指差し一誠が糾弾するが、それにライザーは顔色一つ変えずにせせら笑い、ただの下僕とのスキンシップだと言い切る。だが、一誠はそれでも納得はいかない。一誠の持つ性格か、ライザーへの嫉妬か、あるいは同族嫌悪か、それとも別の理由かは知らないが、一誠にとってライザーの在り方は認めがたいものであるらしい。
「英雄、色を好むという人間のことわざがあるよな? まあ、今の俺の現状は必然のようなものさ」
「お前のような種鳥野郎のどこが英雄だ! お前なんて焼き鳥で十分だ! フェニックスだしな!」
一誠の言葉にライザーの笑みは転じて、怒りに染め上げられる。格下と思っていた相手からの挑発に許せないものを感じたのであろう。
「種鳥に焼き鳥だと! あんまり舐めた口をきくんじゃねぇぇ! お前には目上に対する礼儀を知らないのか! 下僕の躾がなってないぞ、リアス!」
ライザーはリアスへと抗議するが、そんな抗議もリアスは鼻で一笑して話す必要も無いと言わんばかりに顔を背ける。
シンの肩ではピクシーが一誠の挑発とライザーの激怒した様子に吹き出し、指を差してケラケラと笑っている。その笑い声も癪に触ったのかライザーが凄まじい目つきで睨んでくるが、ピクシーは舌を出してさっさとシンの背後へと隠れてしまった。
「お前も使い魔の教育がなっていないようだな」
「すみません。正直者なもので。焼き鳥だのフライドチキンなど言われたのが面白かったのでしょう」
謝罪の念を感じない謝罪をして、さらりと言われていないことを付け足すシンの姿にライザーの頬が怒りで吊りあがる。
「お前――!」
「おい、焼き鳥野郎! てめぇの相手は俺がしてやる! ゲームを態々する必要もねぇ! この場で全員倒してやらぁ!」
一誠の気合と共に籠手に填め込まれた宝玉が紅い光を放ち、能力の倍加を告げる『Boost!』という音声が部室内に鳴り渡る。
構える一誠の姿をライザーは一笑し、ミラという名前を呼びながら指を鳴らす。ライザーの眷属の中から、手に棍を持った中華系の服を着た小柄な少女が一歩前に出る。身長は小学生並みであり、持つ棍は身長の倍近くある。
ミラと呼ばれた少女が棍を慣れた様子で構え、その先を一誠へと向ける。一誠は出てきた少女に一瞬困惑した表情を浮かべるがすぐに真剣なものへと変える。
(これは……)
二人の対峙を見たとき、シンの脳裏に一誠の敗北する映像が浮かぶ。ミラという少女が構えを取ったとき、その小柄な体が何倍に大きく見え、逆に一誠の姿が縮んだような錯覚を覚えた。戦いというものに対し、素人であるシンの目からでも感じ取ってしまう二人の実力の差。
皆が見ている前で一誠が行動に移ろうと重心を前に移動させ、それを見抜いたミラの足下の床が、足から伝わる力により微かに軋む音を上げる。一誠が拳を上げ、ミラがその力を解放しようとした瞬間――
「少しいいですか?」
場の空気を乱すシンの一声。僅かにタイミングが遅かったのかミラは既に行動を起こし、一誠の鳩尾の前で棍を寸止めしていた。一誠、そしてシンも始動からその突きに至るまでの動きを見切れることが出来ず、一誠は突如腹部に突き付けられた棍に驚愕し、同時に頬から一筋の冷や汗を流す。
「さっきといい今といい、つくづく空気の読めない奴だな、お前は」
勝負に水を差したシンにライザーが蔑むような視線を向けてくる。同様にライザーの眷属一同からも同じような目線が突き刺さる。シン自身、自分の行動の無粋さを理解している。
「それについては申し訳ないと思っています。それでも一つ気になっていることがあって……いいですか?」
少しの間ライザーはシンを睨んでいたが、やがて嘆息し、言ってみろと続きを促す。
「悪魔同士が戦うレーディングゲーム。それに人間である俺が参加しても構いませんか? 一応、悪魔と同じ力を持っていますが」
シンの質問に全員が目を丸くする。ライザーたちは勿論、リアスたちもシンの参戦希望に驚いている様子であった。
「シン、あなた……」
「本来なら、悪魔同士のレーディングゲームに人間が参加するなど論外です。例え悪魔と同じ力を持っていようと――ですが、これはあくまで公式ではなく非公式のレーディングゲーム。双方が合意すれば不可能ではございません」
シンの問いにこの場で唯一表情を変えていないグレイフィアが答える。グレイフィアの答えはシンにとって望ましいものであった。
「という訳なんですが、駄目でしょうか?」
リアス、ライザーの双方を見て、シンが改めて参戦の有無を聞く。リアスの表情は迷いが混じったものとなり、ライザーは一瞬真顔になって何か考えていた様子であったが、すぐに口の端を吊り上げ笑みを形作る。
「私は――」
「俺は構わないぜ」
以外にもライザーの方がリアスよりも早くシンの参戦を認める発言をする。これにはリアスたちも驚きを露わにした。
「――ただし、こういったものにはそれなりの誠意ってものを見せるのが人間界の習わしだろ? そうだな――せめて頭の一つぐらい下げたらどうだ?」
挑発を込めたライザーの言葉にリアス一同の顔色が変わる。シンは眷属ではないが共に行動してきた仲間故にライザーの言葉はシンを辱めるようなものであった。
「ライザー! あなた――!」
「どうかお願いします」
リアスがライザーへ怒りを当てる前にシンは深々と頭を下げ、ライザーへと頭を垂れる。リアスはシンの行動に二の句を継げなくなり、ライザーも一切の迷いも躊躇いも無く頭を下げるシンの姿に毒気を抜かれたような顔となり、短く舌打ちをするもそれ以上の要求をしてくることはなかった。シンはその沈黙を了承の代わりと受け取った。
「参戦を認めて頂いてありがとうございます」
ライザー自身、相手が少しでも躊躇うことを期待しての条件であったが、予想以上に簡単に頭を下げられ、逆に一杯喰わされたような気分であった。先程の言葉を反故にして、更なる屈辱的な行動を相手に強いるという選択もある。しかし、仮にも自分が出した条件ではあるが、相手が誰であれ軽々しくそれを自ら破るという事は、彼のフェニックスという名のプライドと沽券に関わるものであった。そして、なによりライザーは、相手を嬲るような趣味を持ち合わせていなかった。
「部長もいいですよね?」
「え、ええ」
頭を下げた状態のままリアスへと問い、リアスのシンの意志を汲み取り参戦の許可を出す。
「それでは、両家が認めたので例外ではありますが、あなたのリアス様方への参戦を許可いたします。改めてお名前を窺ってもよろしいですか?」
「間薙シンです」
下げていた頭を上げ、グレイフィアに自らの名を名乗る。この瞬間にシンのレーティングゲームの参戦が決まった。
ライザーはそれを聞いて鼻を鳴らし、軽く指を鳴らす。それを合図にして今まで一誠に棍を突き付けていたミラは棍を引き、どういう理屈は分からないがその小柄な体に自分の身長以上の棍をしまい込み、ライザーの下へと戻っていく。
「ま、待てよ! まだ終わってないだろうが!」
吼える一誠に再びミラが構えようとするがライザーはそれを制し、眷属では無く今度は自らが一誠に向かっていく。
面と向かう一誠とライザー。ライザーは身構える一誠を一笑し、その顔を覗き込むように見る。
「さっきのミラの一撃、お前には見えたのか?」
「――ッ! それは……」
「ふん。ミラは俺の『兵士』だ、お前と同じな。俺の下僕の中ではまだまだ未熟な方ではあるが、実戦を何度も経験している」
ライザーの語る事実に一誠は言葉を挟む余裕も無く、歯噛みし、ただ黙って聞く。
「分かるか? お前が『神滅具』なんて大層な物を持っていても相手よりも劣っていたら、そんなものはただの飾りだ。確かに『神滅具』は神や魔王を屠る力を秘めている。だがな、実際にそんなことを成し遂げた奴なんて一人もいない」
ライザーは一誠の右手を掴み上げる。
「弱かったんだよ。誰もが『神器』の力を完全に引き出せない程にな。お前と一緒だよ!」
突き付けられた言葉が、刃のように一誠の心に深く突き刺さる。ライザーの言葉を否定すること自体は簡単である。しかし、一誠はそれをしなかった。
何故なら、一誠も認めてしまっていたからだ。ライザーのお前は弱いという言葉を。
悔しさで表情を歪め、屈辱で震える拳を奥歯を噛み締めて、一誠は耐える。ここでライザーの手を振り切り、殴り掛かることも出来る。だが、それをしないのは一誠の精一杯の意地であった。
「はっ! 自分の弱さを受け入れるぐらいの度量はあるってことか。――少しは可能性というやつがあるわけだな」
ライザーは掴んでいた手を放し、嘲笑を潜め、思案する表情になる。
「――そうだな。リアス、レーティングゲームの開始は十日後ということにしないか?」
「……どういうつもり? 私たちに猶予を与えるなんて」
「別にそちらが望むなら、今日明日でもいいんだぜ?――ここは素直に俺の案に乗っていた方が得策だと思うが?」
無表情ではあるが怒りを潜めるリアスに、ライザーは子供に言い聞かせるような口調で接する。
「感情ってやつも大事だが、それだけでゲームに勝てる程、現実は甘くはないぞ。才能があろうと素質があろうと、キミたちは所詮ゲームの初心者だ。初心者相手ならそれなりの期間を与えるのがスジというものだ。じゃなきゃゲームも面白くなくなる」
ライザーはリアスたちに背を向けて歩き始め、ある程度離れると床に手を向ける。すると床に魔法陣が現れ、魔力の光を放ち始めた。
「十日の間にどれくらい仕上げられるか楽しみにしている。リアス、俺はキミを高く評価している」
リアスに言いたいことを言い終えると、ライザーの視線は一誠とシンに向けられる。
「リアスの『兵士』、覚えておけよ。お前の行動は全てリアスへと通じる。お前の恥はお前だけの物じゃない。――リアスの恥でもある」
ライザーの言葉は、一誠の胸に深く刺さる。だが、先程のライザーの言葉の様に抉るように刺さるのではなく、心の中に沈み込むように刺さった。ライザーがリアスの名誉の為を想っての言葉。一誠は認めたくないものの少しだけ、ライザーへの印象が変わった。
「そして、そっちの協力者。例え、特殊な力を持っていようとお前は人間だ。人間相手でも容赦はしない、今のうちに覚悟を決めておくんだな」
「お気遣いどうも」
シンは言葉だけの礼を送る。
「リアス、次のゲームでまた会おう」
最後にそう言い、ライザーは眷属の女性たちを連れて魔法陣の中に消えていった。
ライザーが魔法陣の中に消えた後も沈黙は続き、部室内の空気は重いものとなっている。
「今日はこれで解散ね」
最初に口を開いたのはリアスであった。メンバーの視線は自然とリアスの方へと向けられる。
「私は今からレーティングゲームに向けての対策を練るわ。あなたたちは今日はもう帰りなさい。考えが纏まったら各自に連絡をするわ」
リアスは、場の空気や不安を払拭するかのように快活な口調で皆に告げる。リアスの言葉で少しではあるが、部室内に明るさが戻る。
「イッセー、いつまでもライザーの言葉を気にしていたらいけないわ。彼がなんと言おうとあなたは私の『兵士』。私は、自信を持ってあなたを選んだ。だから、あなたも自信を持ちなさい。あなたの行動、決して私は恥だとは思わないわ」
部室内で恐らく、最も悔しさを感じている一誠にリアスは励ましと奮い立たせる言葉を掛ける。負の感情に包まれていた一誠は一瞬目を丸くし、その後ぐっと堪えるかのような表情を浮かべるが、すぐにリアスに深々と頭を下げ、その顔を隠した。
「――すみません……ありがとうございます、部長」
若干震えた声で謝罪と礼の言葉を言う一誠、下げた頭を上げたときそこには、少しだけ晴れた表情があった。
リアスは一誠の顔を見て軽く頷く。そして、朱乃に部室に残るよう指示し、他のメンバーに帰宅を促した。
「シン、少しいいかしら」
皆が帰ろうとしたとき、リアスがシンを呼び止める。一誠たちは先に出ると言い部室を出ていき、部室内にはシンとピクシー、朱乃、リアスが残る。
「朱乃も少し席を外してもらってもいいかしら」
「ええ、分かりました、部長」
リアスが朱乃の退室を頼む。シンはこのとき直感ではあるが、リアスが一対一で話したいのではないかと思った。側近であり、自らの片腕である朱乃を退室させるという行動からそういった考えに至る。例え思い違いであっても支障をきたさないと思い、シンは肩に乗っていたピクシーに手を伸ばす。
「ピクシー、お前も少し外に出てくれないか?」
「うん、いいよ」
特に嫌な顔をせずに了承をすると、ピクシーはシンの肩から手に乗り移る。そして、手に持ったピクシーを朱乃へと差し出す。
「すみませんが、こいつと一緒に行ってもらえますか?」
「ええ、いいですよ」
いつもの笑顔で快くシンの願いを聞き入れた朱乃は、渡されたピクシーを両手の上に丁寧に乗せ、部室の外へと向かう。
「あけのの手って、柔らかくってすべすべしてるね」
「うふふ、ありがとうございます」
そんなやりとりをしながら二人は、扉の向こうへと消えていった。
部室に残った二人は互いに向かい合い、目を逸らさない。
「シン、あなたに一つだけ尋ねたいことがあるわ」
「何ですか?」
「あなたは、協力者。あなたの個人の意思で動くことができるし、私もあなたに強制はしない。そんな、あなたが何故自分から危険へ向かう真似をするの? ライザーもあなたをレーティングゲームに参戦させる意志は無かったわ」
「興味があったので」
「嘘ね。その為に頭まで下げるの?」
「下げて価値の下がる程、立派な頭ではありませんよ。それに頭を下げて軽蔑する様な知り合いもいません。それに頭一つ下げただけで手駒が一つ増えるなら、部長にとって悪い話だとは思えませんが」
シンの言葉にリアスは少しだけ目を伏せる。
「……そういう言い方は好きじゃないわ」
「――すみません」
リアスは知りたかった。自分から悪魔同士の戦いに挑む理由を知りたかった。その為に態々皆の前で、頭を下げる行為までして参戦するシンの意志をどうしても知りたかった。
「部長がこの婚約に乗り気ではなくて、それを破棄する勝負をするから――という理由では駄目ですか?」
リアスは何も答えず、ただシンの顔を真剣な眼差しで見る。僅かの間、部室内で物音一つの無い状況が続いたが、やがてシンは軽く溜息を吐いた。
「出来ればこのことは誰にも言わないでくれますか?」
リアスは黙って頷く。
「さっき言った理由は決して偽りの気持ちで言ったわけではありませんが、本音とも少し違います。――簡単に言ってしまえば、俺はまだオカルト研究部の一員で在りたいんです」
シンはリアスを真っ直ぐ見つめ、感情の起伏は無いが確かな意思を感じさせる口調で言う。
「俺は、今の状況を居心地の良いものと思っています。色々と大変なこともありますが、皆が居るオカルト研究部で悪魔の仕事の手伝いをすることが結構好きです」
一誠が何かを失敗し、それをアーシアが急いで助けに行き、木場はそれを見て苦笑し、小猫は無表情で手厳しい言葉を言って、朱乃があらあらと頬に手を当て、リアスがそれを厳しさと優しさを兼ねた評価を下す、そんな光景や日常をシンは気に入っていた。
「いずれは部長たちも卒業して居なくなります。ただ、それまでの間に今の部が無くなるようなことがあるなら全力で防ぎたいし阻止したい、それだけです――どうしようもない位個人的な理由です」
シンは言い終えるのと同時に顔が熱くなっていくのを自覚した。心の裡にある本音というものを包み隠さず語るということには常に気恥ずかしさが伴う。
「……そう、分かったわ」
シンの理由を黙って聞いていたリアスが口を開いた。心なしかその表情は嬉しさが含まれているようにシンには見えた。
「――それじゃあ、俺も帰ります」
恥ずかしさ故に一刻も早くこの場から立ち去りたいシンは頭を軽く下げ、そそくさと扉に向かう。ドアノブを握ったときリアスから声を掛けられた。
「シン、あなたが個人的な理由だと言っても私から言うことがあるわ……ありがとう」
リアスの礼の言葉にシンは再度頭を下げ、部室から出て行った。
部室から廊下に出て、曲がり角を曲がったとき、シンは足を止める。そこには帰ったと思っていた一誠たちと朱乃、ピクシーが一緒に居たからであった。
「……お前たち、帰ったんじゃないのか?」
「あはは、先に帰るのも薄情だと思ったからね」
「……木場先輩の言った通りです」
木場、小猫の言葉にシンは目を細める。
「お前たち……盗み聞きしていただろ」
シンの言葉に一瞬、場の空気が凍り付く。
「いや、知らないよ」
「……間薙先輩、思い過ごしです」
「あらあら、そんなはしたないことしませんわ」
「そんなことしないよー、シン」
「勘違いだって、間薙!」
「そそそそそ、そんなこと、わわわ私たちしてません!」
約一名の激しく動揺する声。声の主であるアーシアを見ると、目は右往左往し頑なにシンと目を合せようとはしない。嘘の吐くことの出来ないアーシアの様子にシンは軽く息を吐き、先へと歩き出す。
「――まあ、いい」
シンはそれ以上の追及をすることはなかった。先程、リアスに対して話したことをこの場で蒸し返すのは、自分で自分の傷を抉るに等しい。この場で誰も何も言わなければ、シンにとってそれでよい。言葉にして色々と言われるのよりも頭の中であれこれ思っているだけの方がまだましと判断した。
「なあ、間薙」
「何だ?」
一誠の声にシンは足を止める。
「絶対に勝とうな」
「――ああ」
決意に満ちた言葉にシンは同じく決意を込め、短くも力強くそれに応えた。
◇
一夜明け、シンは自宅のリビングで静かに考え事をしていた。シンの前に置かれたテーブルの上では、昨日買ったケーキをピクシーが呑気に食べている。
帰り際、シンは木場から今回の婚約騒動について詳しい内容を聞かされていた。ライザー・フェニックスは悪魔の中でも特に貴重な悪魔と悪魔から生まれた純血の悪魔であり、リアスもまた同様の存在である。今回の婚約の原因はその血にある。
リアスには兄が存在するらしいが、現在何らかの事情で家を出ており、リアスが次期当主という立場にある。つまり、リアスに後継者が出来なくなった時点でリアスの家系、グレモリーの血は途絶えるということになる。ライザーの方には二人の兄がいる為、血が途切れる心配も特に無いという。
その状況を危惧し、リアスの父と兄が今回の婚約を強引に進める展開へとなった。
シンはこの話を聞いて正直な気持ち、婚約には強い否定をすることが出来なかった。古くから伝わって来たものを後世に伝わるようにする。その考えは決して間違ったものではない。伝わって来たものに尊敬と誇りを持ち、それを絶ってしまうことに先人に対する申し訳なさと無礼と思う考えからきたものであることは分かる。
だからといって、個人の未来を犠牲、あるいは糧にしてそれを紡ごうとすることには賛成できない。
どうも自分という人間は、他人が他人の運命〈みち〉を決めつけ、それを無理矢理歩かせようとすることに嫌悪に近い感覚を覚えるらしい。
「そんな経験なんて無い筈なんだがな……」
ボソリと小声で呟く。割かし自由な人生を歩んで来た自分にはそんなことは知らない筈であるが、婚約の話を思い出す度に、苛立ちの様な感覚が胸の奥で小さな火となって精神を炙るような気がした。
「シーン、誰か来たよ」
ケーキの破片ででべたべたになった顔でピクシーがシンを呼ぶ。そこでシンは初めて自宅のチャイムが鳴っていることに気付く。どうやら余程深く考え込んでいたらしい。
「どちらさまですか?」
インターホン越しではなく、直接玄関の扉を開けながら来訪者の姿を確認した。
「私よ、シン」
そこにはジャージを身に纏ったリアスの姿。その後ろには同じくジャージを着た一誠とアーシアの姿もある。アーシアや一誠の手や肩には荷物用の大きめのバッグが持たれ、掛けられたりしている。
「あなたも外泊用の準備をしなさい」
その言葉と格好でこれから何をするのか、シンは大体の把握をする。
「合宿ですか?」
「ええ、山でね」
シンはそれだけ聞くと、十分程時間をください、と言い玄関の中に戻ると、急いで自分の部屋から大きめのバックを取り出し、その中に着替えなどを詰め込んでいく。
「慌てて、どうしたの?」
準備をしているシンにピクシーが不思議そうな顔で尋ねて来るので、手短に内容を説明。聞き終えたピクシーは好奇心に満ちた顔で当然の様に自分も付いていくと主張、シンも置いていくつもりはなかった。
「行く前に、そのケーキ塗れの顔を洗ってこい」
「はーい」
十分後準備を終え、荷物を持ちジャージに着替えたシンが玄関から出て来る。
「お待たせしました」
「さあ、行きましょう。他のみんなは部室で待っているわ」
皆と合流する為に一旦学校へと向かうリアス一行。その途中、何やら神妙な顔付きでアーシアがシンに声を掛けてきた。
「間薙さん。私、間薙さんに聞いておきたいことがあります」
「何だ?」
「あの……間違っていたらすみません」
アーシアは真顔でシンを見つめる。
「間薙さんも狼なんですか?」
「……はあ?」
このアーシアの突拍子の無い質問に流石にシンも若干間の抜けた声を出してしまうのであった。
◇
「いくら……心配だからと言って……男は狼だなんて……教えるのは……極端じゃないのか……?」
「しょうが……ないだろ……アーシアは……少し無防備過ぎるんだ……危機管理能力を……上げておかなきゃ……アーシアみたいな……純粋な子は……すぐに危ない奴らの……餌食になっちまう……!」
共に顔中に汗を流し、土肌の斜面を大量の荷物を担ぎながら一誠とシンは山道を登っていた。荒く息を吐き、そして今度は息を吸い込むと、空気中に漂う青々とした木々と土の混じった匂いが肺の中に取り込まれていく。
部室に着くとすぐに魔法陣で移動し、着いた先が現在登っている山であった。そこで部長や朱乃などの荷物を手渡され、訓練の一環としてそれを運ぶように指示される。渡された荷物をシンと一誠で二つに分け、それぞれ持ち運ぶ。日頃の訓練の成果が出ているのか、運びながらの会話をするぐらいの余力は残っており、シンは朝、何故アーシアがあのようなことを聞いてきたのか、一誠に問い質していた。
「……過保護だな……正直……意外だよ……」
「……アーシアが悪魔になった責任は……俺にある……だから、せめて……アーシアが……笑って暮らせるようにしたいんだ……」
言葉だけでないものが伝わってくるのをシンは感じた。あの件について一誠なりの責任の取り方。アーシア本人にこのことを伝えれば、一誠自体に責任は無いと言い赦すのであろう。それ故に一誠はその想いをアーシアに語らず、胸に秘める。一誠の求めるのはアーシアの赦しではなく幸せなのだから。
それについてシンはとやかく言うつもりは無い。
ただ、これだけは伝えておく。
「まあ……ほどほどにな……あまり気を張るなよ……」
「ああ……サンキューな……」
「……お先に」
言葉を交わす両者の横を小猫が、二人を超える量の荷物を持って走り抜けていく。その荷物の頂上ではピクシーが腰掛け、足を揺らしながら山の景色と小猫の速さを楽しんでいた。
「キャハハ! こねこ速ーい! シンとイッセー遅ーい!」
この言葉が一誠の闘争心に火を点ける。
「負けるか! うおりゃあああ! 間薙! お前も負けるなよ!」
荷物をしっかりと持ち直し、山の斜面を全力で一誠が駆け出していく。それを呆れた様子で見ていたシンであったが、やがて大きく息を吸い、吐き出した後、一誠の後に続いて駆け出して行った。
◇
山道を登っていくリアスたちの姿。それを生い茂った草木の中から覗く双眸。リアスたちの姿が映る瞳には好奇心が満ち、興味深そうに斜面の向こうへと消えていくリアスたちを最後まで目で追っていた。
やがてそれは草木の中から飛び出し、去って行った一同が向かって行った方向を見て歩き始める。
先程までそれが覗き見していた場所に生えている草木には、春が過ぎ夏を迎えようとする季節の中、不思議なことに白い霜が降り立っていたのであった。
この話は真・女神転生Ⅳをプレイしながら書いていました。
今の所、Ⅳの要素を入れる予定はありません。