ハイスクールD³   作:K/K

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エピローグにするつもりでしたが、あと一話増えました。


戦友、王権

 グリゴリの幹部であるバラキエルが人との間に子をもうけた。

 そんな話をどこかで耳にしたのは何時であったのか、マタドールは今となってはハッキリと覚えていない。

 その話を聞いて、マタドールは日本で偶然出会ったバラキエルとの戦いを思い出す。重傷を負わせたが、バラキエルの反撃によって止めを刺すことが出来なかった不完全燃焼の思い出である。

 仕留め切れなかった敵というのはマタドールにとって価値ある存在。その話を聞いて、鎮火していたバラキエルへの闘争心が燃え上がり、すぐさま日本を目指す。

 来日したマタドールは、日本を守護する五大宗家から盛大な歓迎を受け、その歓迎に応えてマタドールも暴れた。

 特に四神の名を持つ者たちは強敵であり、その手応えはマタドールを大いに楽しませてくれたが、当初の目的を思い出し渋々退いたのはマタドールにとって苦い思い出である。マタドールはバラキエルと戦うつもりで日本に来たのであり、目移り程度の浮ついた気持ちで戦うには五大宗家の者たちは上物過ぎたのだ。

 しかし、五大宗家との戦いはマタドールにとって思わぬ幸運を齎す。

 バラキエルの居場所を知らなかったマタドールだったが、五大宗家の中ではバラキエルのことはそれなりに有名であったらしく、五大宗家の下っ端を何人か捕まえて、マタドールのやり方で少々可愛がれば全員喜んで喋ってくれた。

 バラキエルの住処を知ると、マタドールは早速そこへ向かった。バラキエルが居ようと居まいと関係無い。顔を出せば、バラキエルが家族を守る為に否応無く戦いを挑んでくると予想していた。

 マタドール自身はバラキエルの家族に害を為すつもりは無い。力を持たない女子供を手に掛けてもマタドールにとっては不名誉なだけ。戦士らしく挑んでくるのなら話は別であるが。

 舞い散る雪をその肩に積もらせながら目的の場所に辿り着いた時、マタドールにとって予想外の光景が広がっていた。バラキエルの伴侶と思わしき女性は術者たちによって半死半生となり、娘と思わしき子供も血に染まって意識を失っている。

 娘は命に別条は無いことは見て分かった。何千、何万の死を見てきたマタドールには一目で分かる。娘からは死の気配が無い。だが、その母親からは死の気配が立っていた。

 二人に止めを刺そうとする術者たちの足元に、マタドールが投げ放った剣が突き刺さり、足が止まる。

 

「何──」

 

 術者の一人はそれが最期の言葉となる。マタドールの白骨の拳が顎を突き上げ、その衝撃で脛骨が折れ、後頭部が背中に密着した状態で空中で何度も回転した後落下、絶命してしまったからだ。

 

「我が剣の錆にする程の価値も無いな、貴公らは」

 

 二番目に近くに居た術者の顔を掴むとそのまま縦に押し込む。亀の頭部の様に首が胴体へとめり込み、そのまま体が何度も折り返しをしながら押し畳まれる。

 肉体と魂を蹂躙するかの様な暴力。だが、マタドールの気は何一つ晴れない。

 考えれば今に至るまで幸運が続いていた。偶然バラキエルの現状を知り、訪れた日本では思いもよらない強敵と戦えた。心身ともに充実した状態で目的を達しようとした結果がこれである。

 その落差にマタドールの機嫌は最低最悪なまでに悪くなる。普段は使わない素手での暴力に至る程に。

 マタドールの姿に慄き、咄嗟に術を放つ前に顎を引き千切り、のたうち回る前に拳で殴り殺す。

 振り返って逃げようとする術者は、逃走の一歩を踏み出す前にマタドールの足裏を後頭部に押し当てられ、大地と一体と化すまで踏み続けられた。

 手応えの無さすぎる相手にマタドールの機嫌はますます悪くなり、バラキエルが居ないことに気付いて更に悪くなる。

 バラキエルは偶然グリゴリの仕事で不在であり、それを知った術者たちが混血である朱乃を始末しに来たが、自分たちが始末される羽目になった。

 両者とも目的を果たせず。要するにマタドールも術者たちも間が悪かったのだ。

 全ての術者を葬ると、マタドールは血に染まる女へと近付く。

 マタドールの存在を感じ取り、半死半生の女は蒼ざめた唇を動かす。

 

「貴方は……死神……?」

 

 マタドールは女の傍で足を止め、最期の言葉に耳を傾ける。

 

「実に絵になる光景ではないか。私に絵画の技術が無いことが惜しまれる。今すぐにでもこの光景を切り取って飾りたいぐらいだ」

 

 その様子を見て揶揄う様な言葉を吐く人物もまたマタドールであった。マタドールがマタドールを見る珍妙な光景であるが、それを不自然に思う者はこの場にいない。

 何故ならこれは、彼が見る過去の夢であるからだ。

 

「しかし、私も随分と追い詰められたものだ……流石はヴァーリ。その成長の早さには感動すら覚える」

 

 過去の夢を見る。それは、マタドールが意識を途切れさせる程の重傷を負った時に見るものである。何故それを知っているのか、それはマタドールが以前に一度同じ様な体験をしたことがあるからであった。

 その時の相手はサーゼクスであり、彼によって瀕死に近い状態まで追い詰められた時は、サーゼクスとの最初の邂逅の夢を見た。

 

「死がこれほど近くても貴方は笑うのですね……」

「おや? これは初めてだな。また貴女と言葉を交わす日が来るとは思わなかったぞ、セニョーラ」

 

 マタドールの隣に静かに立つのは、雪に横たわり静かに死を待っていた筈の女──朱璃。今も遺言を述べている朱璃とは違い、彼女の衣服には血の一滴も付いていない。

 

「あの時の死神は私であったが、今度は逆の立場らしい」

 

 皮肉が利いた状況に、マタドールは顎を震わせて笑う。

 

「他人の死も、自分の死も貴方にとってはその程度のことなのですね」

 

 死を笑うマタドールに向ける朱璃の眼差しは、嫌悪ではなく憐憫であった。そうとしか生きられない、その生き方しか出来ない哀れな魔人に対する憐み。

 

「くはははは。幾千、幾万の死を積み重ねてきた私が自分の死にだけ怯えるなど虫の良い話ではないか? 貴女も笑ったらどうだ、セニョーラ? 魔人が死に喰われようとする瞬間など滑稽であろう?」

 

 自虐、自嘲ではなく上等な冗句でも話しているかの様な雰囲気のマタドール。だが、それを聞いても朱璃の目から憐憫の色は消えない。

 

「話は変わるが、貴女は一体何なのだ? ここは私の夢。となると貴女も夢の存在と言えるが、不思議とそうは思えない。それとも死に近付いたせいで死者の魂を感知出来るようになったのか?」

「それは貴方の解釈に任せます。私から言うことはありません」

 

 朱璃は自らの存在をはぐらかす。

 

「ほう……?」

 

 マタドールは朱璃の顎下を指に乗せて上げ、顔を上向きにする。マタドールの眼窩が朱璃の両眼を覗き込む。

 

「勿体ぶってくれる──そそられるな」

 

 剣の如き殺気を朱璃の全身に突き立てる。常人ならば気絶と発狂を繰り返してもおかしくはない。だが、朱璃の目は漣よりも静かで落ち着いていた。

 

「くっ」

 

 マタドールは小さく笑い、殺気を消して朱璃から手を離す。

 

「我ながら無意味なことをしたものだ」

 

 夢の存在ならば己に向けて殺気を放つことを意味し、死者ならば死んだ相手に殺気を飛ばしていることになる。どちらも馬鹿馬鹿しい程に意味のないことであり、マタドールは失笑してしまった。

 

「──そろそろ終わりますね」

 

 朱璃が目を向けるのは過去の映像。マタドールが朱璃の最期の言葉を聞き届けた後、マタドールが彼女の遺体を丁寧に葬っている様子が流れていた。

 

「貴方も死を憐れむ心をお持ちだったのですか?」

「美しく散ったものが雪に埋もれて隠されるのも忍びないと思ったのでね。死の間際まで妻であり母であった女性への私なりの敬意だ」

 

 過去のマタドールが朱璃の遺体を横たわらせるとそのまま去っていく。まだ朱乃が近くで気絶しているが、マタドールは一瞥するだけで特に興味を示さず、足を止めることは無かった。

 マタドールと朱璃の最初で最期の出会い。過去の記憶はここで終わる、と思われていた。

 次の光景に今まで冷静を努めていた朱璃の表情に動揺が浮かぶ。

 マタドールが消え、暫くしてやって来たのはバラキエルであった。焦った様子で戻って来たバラキエルは、絶命する術者たちを無視する。彼の目には既に絶命している朱璃しか映っていなかった。

 バラキエルは朱璃の遺体を抱き上げ、抱き寄せて泣くが哀しみが強過ぎて声すら上げることも出来なかった。

 

「……貴方は酷い人ですね」

 

 この光景が映し出されているということは、マタドールもまたこの光景を見ていたことを意味する。

 

「あの人がここに現れ、悲しみに暮れる中、私の伝えて欲しかった言葉をわざと伝えなかったのですね」

「知らないなぁ。何処に私が認めた敵であるバラキエルがいる? まさか、そこで女の死体に縋りついて首を落としてくれと言わんばかりに泣く男のことか? 知らん、知らん。そんな情けない男など私は知らない」

 

 バラキエルの背中を見てマタドールはせせら笑う。

 

「愛する者の為に涙を流すことは、貴方にとって弱さですか?」

「それを力に換えることが出来なければ弱さだ。逆に私から貴女に訊こう」

 

 マタドールは剣先をバラキエルに向ける。

 

「最愛の女を救うことが出来なかった自責の念と、娘を凶刃から守ろうとする父としての在り方。この時の彼の中で天秤はどちらに傾いていたと思う?」

「……貴方があの人のことをどう思うと、私は彼が朱乃の為に戦ってくれると信じています」

 

 朱璃は迷うことなく言ってのける。

 

「──少しだけ妬けるな、バラキエル。こんなにも愛されていることに。そして、少しだけ同情する。失った者の大きさに」

 

 マタドールは苦笑を思わせる小さな笑い声を零す。すると、周囲の光景が急速に色褪せ始めてきた。目覚めの兆候である。

 

「私の言葉、ちゃんと伝えてくださいね?」

 

 全てが白く染め上げられる直前、朱璃のそんな声が聞こえた気がした。

 

 

 ◇

 

 

 マタドールは目を覚ます。と言っても眼球を覆う瞼も眼も無い。沈んでいた意識が白骨の中へと戻って来た。

 木々が生い茂っていた筈の場所は、木々が根こそぎ無くなり地面も深く凹んでいた。上空から見ると円形のミステリーサークルの様になっている。

 真っ平らの場所以外でも木々が根本から消失していたり、幹が綺麗に抉られていたりなど影響を与えている。

 ヴァーリのロンギヌススマッシャーとマタドールの血のアンダルシアの衝突は、二つの力を広範囲に拡散させており、ここが街などであったら多大な被害が生まれていただろう。

 マタドールは立とうとするが上手く立てないことに気付く。マタドールはそこで右脚が消失していることに気が付いた。ならばと腕を使って上体を起こそうとするが、これも上手く行かない。

 マタドールは左腕も失っていた。

 仕方なく剣を地面に突き立てて体を起こすと、そのまま杖にして体を支える。

 マタドールの視線が横を向く。向けられた先には仰向けになって倒れているヴァーリ。

 フェンリルの牙による傷から流血し続けている。背中が微かに上下しているのを見ると、魔力と体力を極限まで消耗したことによる気絶と思われた。

 放っておけばいずれは命が尽きるが、ヴァーリの生命力ならば一日、二日は持つだろうと考え、特に処置などはしない。

 

「長生きをしている分だけ私の方が早く目覚めたという訳か」

 

 意識を失ったヴァーリの首を断つなど今のマタドールでも造作も無いこと。だが、マタドールの剣は下に向けられたままでヴァーリに向けられる気配が無い。

 

「──この勝負、引き分けだな」

 

 生殺与奪の権利はマタドールに与えられた。だが、マタドールは片手片足を失い、ヴァーリは五体満足。傷の深さではマタドールの方が深刻である。それを鑑みて引き分けの判断を下した。

 近距離での力と力の衝突は強い反発を生み出し、逆に盾の機能を果たして彼らを守った。ヴァーリに比べ、マタドールの方の傷が深いのを見ると、純粋な攻撃力の高さならばヴァーリに分があることを意味している。

 

「く、くくく……! いいぞ! 素晴らしいぞヴァーリ! 恐るべき成長の早さ! 貴公の才能に肩を並べられる者などほんの一握りだ! 認めよう! 貴公の才は私をも超える!」

 

『覇龍』の状態で放たれたロンギヌススマッシャー八発同時発射を受けて形が残っていることでも十分化物と言えるが、魔人マタドールが畏怖されるのはその精神性。自分を超えるであろう強敵の誕生を祝福し、歓喜し、それが更なる力を自分に与えてくれると貪欲な確信をする。

 勝利を得ることが出来なかったが、とても価値のある引き分けであった。

 

「えらく上機嫌じゃねぇか」

 

 笑うマタドールに茶化す様な声が掛けられる。

 

「貴公も生きていたか」

 

 マタドールから少し離れた場所で木に背をもたれさせたマダが瓢箪の酒を煽っている。

 

「お前も一杯やるかい?」

「結構。酒にも戦いにも随分と酔わせてもらった」

 

 瓢箪を掲げるマダに、マタドールはきっぱりと拒否する。マダの力の影響とはいえ、酔った勢いでかなり無茶なことをしてしまった。無茶をすること自体マタドールは否定しないが、酔いに若干呑まれていたことは自省する。当分の間は酒に類するものは断つつもりであった。

 酒を断られたマダは肩を竦めた後、また瓢箪に口を付ける。その様子はマタドールが眺めている。

 

「おいおい。こんな無様な格好をジロジロと見るんじゃねぇよ」

 

 声を押し殺して笑うマダ。その姿はマタドールより遥かに重傷である。四本あった腕は右腕一本しかなく、左腕など左半身ごと消滅していた。両脚も膝辺りから無くなっており、生きていることが不思議にしか思えない惨状。

 そんな重傷でもマダは酒を飲むが、マダの胸部にある硬貨サイズの穴から飲んだ酒が零れ出る。拡散したヴァーリ、マタドールのどちらかの力が貫いた痕であった。

 

「んだよ、一気に飲むと出ちまう。勿体ねぇ。おい、ちょっと押さえてくんねぇか?」

「これでもいいかな?」

 

 マタドールは剣を見せつける。

 

「おいおい。俺は敏感なんだよ。指までなら許可してやる」

 

 互いに趣味の悪い冗談を言い合うと、意外にツボに入ったのか二人は小さく笑った。第三者が居れば全く笑える内容ではない。

 笑うマタドールの視線に横たわるフェンリルの巨体が入る。舌をダラリと垂らして動かないフェンリル。体の一部が抉れていたり、毛皮が剥がれている箇所もあるが、まだ生きている様子であった。

 マダによって押さえつけられたことで必然的に身を低くすることができ、マタドールとヴァーリの衝突の被害を、すぐ近くにいたマダを見るに最小限で済ませた模様。一方的に巻き込まれたフェンリルにとって不幸中の幸いと言える。

 力と力の最前線にいたヴァーリとマタドールは負傷を軽く済ませることができ、それを眺めている者が大きな被害を受けるという皮肉な結果である。

 

「アレも貴公の差し金かね?」

 

 マタドールが指したのは周囲に巡らされている結界である。多重に張られた結界によって力を内部に押し留められた。もし、結界が無ければ半径数十キロは爆撃でも受けた様な有り様になっていただろう。

 

「お前らと違って、こっちはちゃーんと周りのことの考えてんだよ。ここの中身があるからな」

 

 マダは自分のこめかみを叩いて小馬鹿にする。

 

「気遣い感謝する。そうだ、これから戦う時は貴公たちへ事前に連絡を入れるとしよう。必死になって場を整えてくれるからな。それも無償で」

 

 そんなマダの挑発も、マタドールの皮肉によって返される。

 

「──本当に不思議なものだ。神に匹敵すると言われた怪物が周りの為に動くなど。その挙句にそんな様になって貴公は何も思わないのか?」

「おいおい。勘違いしてるなぁ。俺は別に愛と平和に目覚めたなんて手垢の付いた設定の化物じゃねぇよ。善悪なんてどうだっていいんだよ。俺が面白い、楽しい、興味深いと思ったらそれが全てだ。頭空っぽにして暴れるよりも、頭空っぽにして暴れている奴を馬鹿にした方が楽しいからなぁ」

「成程。その結果、こうなろうともか?」

 

 マタドールはマダの喉元に剣を突き付ける。片足立ちになるが、微動だにしない。

 

「まあ、成る様に成るしかねぇよ」

「潔い。後悔は無いのか?」

「あるに決まってんだろう、馬鹿かお前は? 食いたいもんもあるし、飲みたい酒もあるし、抱きたい女もいるし、やりたい賭けもある。そして、何よりぶっ殺したい奴がいる」

「節操が無い……強欲だな」

 

 マダの尽きない欲望にマタドールは呆れた声を出す。

 

「それともそれが命乞いかな?」

「馬鹿が。そんなのこの世で一番俺に似合わねぇ」

「それは良かった。私にとってこの世で一番耳障りなのは命乞いだ」

 

 マタドールはマダの返答を気に入ったかと思えば、突き付けていた剣をあっさり引いてしまう。

 

「やんねぇのかよ?」

「貴公が強欲な様に、私も強欲なのだよ。負傷した貴公に勝っても私に後悔が残るだけだ。勝つならやはり万全な方が良い」

「へっ。お優しいことで」

 

 見逃されたことに感謝などせず、寧ろ不愉快そうに吐き捨てるマダ。マタドールは、その姿に気を良くし声無く笑う。

 

「さて、私は行くとしよう。赤龍帝、ロキ、人修羅、どれかは生き残っているだろう」

「まだ戦い足りねぇのかよ」

「足りる足りないの問題では無い。私は戦いたい。それだけだ。──それに窮地な程技や感覚が研ぎ澄まされ、一つ上の段階に上がれる。経験上の話だ」

 

 修行目的で挑もうとしているマタドールを心底理解出来ないマダ。これ以上関わりたくもなかった。

 

「分かった分かった。さっさと行け。そんで殺されて来い」

 

 手で払い、とっとと行く様促す。

 

「ああ、そうだ。ヴァーリのことを見ておいてくれ。万が一のことがあるかもしれないのでな。彼は私の大事な好敵手の一人だ」

 

 マタドールは後のことをマダに任せると片足を軽く曲げたかと思えば、一気に跳ね、数十メートルの距離を移動する。

 それを数度繰り返し結界近くまで来ると、剣を結界に向けて一閃。マタドールとヴァーリの衝突による限界近くまで消耗していた結界はあっさりと斬られて裂け目ができ、マタドールはそれが閉じる前に素早く結界外へ出てしまう。

 マタドールが結界の外に出たことを感じ取ったマダだが、出来ることはもう無いので大人しくヴァーリを見ながら独り酒を続ける。

 

「どうなるかねぇ」

 

 空を見上げながら呟くマダ。酒を飲もうとして、その手が止める。

 

「……ああん?」

 

 遠く彼方の雲の中を何かが駆け抜けていく。

 

 

 ◇

 

 

 ぼんやりと霞が掛かる思考の中、悲痛な声が耳に飛び込んで来る。

 

『──アーシア! 早く神器で!』

『分かっています! 分かっているんです! でも、でも……効かないんです! イッセーさんに私の神器がっ!』

『生命力がどんどん弱っていく……! イッセー先輩、ダメです!』

『そんな、こんなのって、嫌! 嫌よ! イッセー君!』

 

 涙に濡れた少女たちの声。どれもが知っている声である。リアス、アーシア、小猫、朱乃、それらの声だと認識すると鈍っていた思考が元の早さを取り戻し、シンは起き上がる。

 

「にゃっ!」

 

 シンが急に起き上がったので傍にいた黒歌が短い悲鳴を上げた。

 体の正面に薄い氷が張り付いていることに気が付いたシンはそれを払い落とす。

 

「な、何でもう動けるにゃん……? 冷凍マグロみたいになってたのに……仙術で回復させたけど最低限のことしかまだしてないんだけど……?」

 

 最低限の治療で動けるレベルまで回復してみせたシン。凍死してもおかしくない症状から後遺症も無く復活してみせた。

 

「何かもう怖いというか、気持ち悪いにゃん……」

「──礼は言っておく。助かった」

 

 酷い評価をされているが、それを聞き流して助けてくれたことに礼の言葉を送る。

 そして、状況がどうなっているかを確かめる。

 

「木場」

「あ……間薙君!」

 

 一点を見て呆けていた木場に声を掛けると輝きが失せていた目に光が灯る。

 

「良かった……! 君も無事だったんだね……!」

 

 木場は早足でシンに接近するとシンの両肩に手を置いて俯く。

 

「他はどうなっている?」

 

 シンはあくまで冷静に状況を確認する。

 

「君と同じく氷漬けになっていたケルベロス君とジャックランタン君は無事だ。タンニーン様も重傷だけど命に別条は無い」

 

 アーシアの神器に加え、木場たちが所有していたフェニックスの涙を与えることで彼らの命を何とか繋げることが出来た。

 ケルベロスもタンニーンも体に付いていた氷が剥がれ落ちている。タンニーンは切断された翼と腕に布や包帯で止血されている状態であった。完全に傷口を塞いでいないのを見ると、繋げることを前提とした治療である。

 ギャスパーはジャックランタンを抱き締めながら泣いていた。復活したばかりのジャックランタンはそれを嫌がりもせずにさせたいようにしている。

 

「間薙」

 

 声の方を見るとゼノヴィアが立っていた。その目に力は無く、焦点も合っていない様に見える。

 

「彼女を……」

 

 ゼノヴィアは両手の中にいるピクシーをシンに差し出した。

 

「命に別条は無い。消耗して眠っているだけだ……」

「そうか」

 

 シンはゼノヴィアからピクシーを手渡される。

 

「──あいつも消耗して眠っているだけか?」

 

 シンが指す方向にはリアスたちに囲まれた状態で仰向けになっている一誠の姿。

 

「イッセーは──」

 

 ゼノヴィアはそこで言葉を詰まらせたので、代わりに木場が言葉を継ぐ。

 

「……イッセー君は気絶したロキをここまで運んできたんだ。そして、神器を解除したら急に……」

 

 糸が切れた様に崩れ落ち、そのまま動かなくなり急速に衰弱しているのだと言う。

 

「ロキはどうした?」

「──ッ、匙君とロスヴァイセさんがヴリトラの力と魔法で何重にも拘束して監視しているよ」

 

 一誠の容態よりもロキのことを先に聞いたシンに一瞬だけ咎める様な視線を向けた木場だが、すぐに筋違いと思い視線を伏せながらロキの現状を教える。

 

「ほら。あそこで」

 

 木場が指差した方向を見ると、魔法陣の上で横になっているロキ。その体は黒い炎の鎖によって何重にも拘束され、地面に磔にされていた。

 魔法陣の傍ではロスヴァイセが監視し、匙が苛々した態度でロキを睨みつけている。匙は一誠のことで気持ちが落ち着いていない様子であったが、ロキから目を離すことは無かった。友人が命懸けで成し遂げたことを台無しにさせない為に心配する気持ちを押し殺している。

 

「──そうか」

 

 短くその一言だけ返しながら、シンの目は匙たちから離れ一誠へと向けられる。

 

「……イッセー君は僕たちの為に『覇龍』を使ったんだ。それだけじゃない。見たこともない雷の力までも……ロスヴァイセさんはトール様の気配を強く感じたって言っていた……『覇龍』に『雷神』の力まで同時に使用して無事で済む筈が無かったんだ……」

 

 木場の声には後悔と悲しみしかなかった。力が足りず全てを一誠に任せてしまったこと。その一誠が死の瀬戸際にいること。木場にとって過去にあった出来事のせいで友人を失ってしまうということは耐え難い苦痛と恐怖なのである。

 木場の両脚は今にも崩れ落ちそうな程震えていた。

 

「私たちは勝った。勝ったんだ……それなのに、何故、こんな……」

 

 ゼノヴィアは耐え切れなくなったのか地面に座り込み俯いてしまう。ゼノヴィアの言う通りロキには勝った。だが、その勝利に歓喜は無かった。

 

「ゼノヴィア……」

 

 イリナは座り込むゼノヴィアの傍に座り、彼女の頭を抱き締めた。

 リアスたちは必死になって一誠を蘇生させようとしている。泣き崩れている朱乃をバラキエルが痛ましげに見ていた。

 

「……女を泣かせるにしても、こんな形は望まないだろう?」

 

 空気に溶け込む吐息の様に小さなシンの声。

 

「──戻って来い」

 

 

 ◇

 

 

 白い空間の中で傷だらけの一誠が横たわっている。その傍で無言で見下ろすのは、歴代赤龍帝の残留思念。魔人への復讐に燃えていた筈のその残留思念は、憎悪が消えた穏やかな顔付きで一誠を見ている。

 その残留思念に近付く別の気配。

 

「──エルシャか」

 

 残留思念から魔人への憎しみ以外の言葉が出される。

 残留思念の後ろに立つのは若い女性であった。ウェーブのかかった長い金髪にスリットが入ったドレスを着ている。美麗という言葉以外思い付かない程の美女であった。

 エルシャと呼ばれた女性は、端整な顔を驚きの色に染めていた。

 

「貴方、正気を取り戻したの?」

 

 エルシャもまた、目の前の存在と同じ歴代赤龍帝の残留思念であった。ただし、他の歴代赤龍帝が虚ろで言語など発しない中、彼女は一、二を争う程強い赤龍帝であった為、残留思念になっても自我を失うことは無い例外である。彼女以外にもう一人存在するが、今は神器の奥に引っ込んでいる。

 この残留思念は他のと違い言語を話すことが出来たが、魔人への憎悪に染まり切っており、魔人への憎しみの言葉しか吐かなかったが、今の言葉にはちゃんとした理性があった。

 

「少しだけ」

「……貴方は魔人への憎悪が強すぎて心配だったわ。案の定、今の赤龍帝君に干渉して魔人と戦うなんて無茶をするんだから。途中で止めなきゃ私かベルザードが殴ってでも止めたわ」

「面目ない……今の赤龍帝にも随分と迷惑を掛けた」

「全くね。『覇龍』の詠唱も勝手に教えちゃうし」

「本当にすまない……」

 

 エルシャに頭を下げる。

 

「──いいのよ。貴方が教えていなければ今の赤龍帝君が危なかったしね。でも……」

 

 ロキへの勝利の代償は大きく、一誠の肉体は今にも死に掛けている。そして、精神の方にも深いダメージを負っている。この精神世界で一誠が目を覚まさない理由がそれであった。

 

「この子はもう……」

「大丈夫だ」

「大丈夫?」

「死なせはしない」

 

 眠る一誠に残留思念が触れる。すると、残留思念の体から粒子の様な光が飛び、一誠と同化していくが、それに反して残留思念の体は薄まっていく。

 

「貴方……自分を……!」

「せめてもの罪滅ぼしだ。残り滓の様な魂だが、命を繋ぎ止めることぐらいは出来る」

 

 消え行く筈なのに浮かべるのは穏やかな笑み。

 

「私の中には二つの怒りがあった。一つは魔人への怒り。もう一つは、私自身への怒りだ」

「貴方自身って、貴方は立派に戦ったわ……」

「君も神器から見ていたな、私の最期を。無様なものだ。大切な者を傷付けられ、命を賭して戦ったというのに、私は魔人に傷一つ付けることが出来なかった。……滑稽な話だ」

「私たちの中で貴方を嘲笑う者なんて誰一人居ないわ」

「──それでも、私は私を許せなかった……!」

 

 笑みが消え、自身への憤怒で歪む。どんな言い訳を並べようと無力だった事実は消し去ることは出来ない。

 

「だからこそ『覇龍』となって仲間を救う彼を見て、少しだけ救われた気になった……私が出来なかったことを代わりに彼が成し遂げてくれて……まあ、私の一方的な思いだがね」

 

 憤怒は消え、自嘲する。

 

「そんな彼を絶対に死なせちゃいけない。彼は生きるべきだ」

「……魔人のことはいいの?」

「両方を選べる程、私は大した赤龍帝では無いよ」

 

 一誠を生かす為に死して尚残っていた筈の恨みを捨てる。苦笑する残留思念に、エルシャは微笑む。

 

「──やっぱり、貴方も赤龍帝を名乗るのに相応しい人だったわ」

 

 エルシャに続いて二人にしか聞こえない声無き声が届く。ここには居ないベルザードの声であった。

 

「……光栄だ。君たちにそう言われて」

 

 残留思念の体が殆ど透明になり、一誠の体から殆ど傷が消える。

 

『逝くのか?』

 

 白い空間に響くドライグの声。

 

「ああ。長い間、恨み言ばかりですまなかった、ドライグ」

『気にするな。……相棒を助けてくれたことに礼を言う』

「……君から礼を言われる日が来るとは思っていなかった」

 

 目を丸くして驚くと、ドライグが苦笑を感じた。

 

『俺もそう思う』

「今の赤龍帝のおかげだな。大事にしてやってくれ。彼に君が必要な様に、君にも彼が必要だ」

『そうかもな……』

 

 存在が完全に消えそうになる前にドライグは言う。

 

『俺が変わったのは今の相棒のおかげかもしれない。だが、その相棒に繋げたのは過去の赤龍帝たち、つまりはお前のおかげでもある。──さらばだ、嘗ての戦友(とも)よ』

 

 ドライグの別れの言葉に驚き、そして晴れやかな笑みを見せる。

 

「その言葉を聞けただけでもこの世にしがみついていた甲斐があった。さようなら、戦友(とも)よ」

 

 そして、消える間際過去の赤龍帝は今の赤龍帝に言葉を残す。

 

「ドライグと今の仲間を大事にしてくれ。それが私の最期の願いだ」

 

 その言葉の後、完全に消えてしまう。最早、思い残すことは無いと言わんばかりに。

 

 

 ◇

 

 

『──安心しろ』

「え?」

 

 一誠の手の甲に丸い緑色の光が灯るとドライグの声が涙を流すリアスたちに届く。

 

『相棒は戻って来る』

 

 その言葉の後、閉ざされていた一誠の瞼が動き、ゆっくりと開けられる。

 

「……あれ?」

 

 自分が仰向けになっていることを疑問に思い、そんな自分を涙で濡れた瞳で覗き込むリアスたちに驚き、慌てて体を起こす。

 

「部長? どうしたんですか? アーシアに朱乃さん、小猫ちゃんも? というか俺、寝てたんですか?」

 

『覇龍』を解除した後の記憶が無いらしく、何で皆が泣いているのか全く分からない一誠。死に掛けていたというのに間の抜けた反応をする一誠に、リアスたちは脱力した後、一斉に抱き着いた。

 

「バカっ! 本当にバカっ! 死んだかと思ったじゃない!」

「そうです! バカです! イッセーさんはバカです!」

「イッセー君のバカ! もう、本当に……バカっ!」

「……イッセー先輩。バカ……!」

「な、何で急にバカバカって、アーシアまで! いだだだだだだ! 締まる! 締まる! 止めてぇ! ロキにやられた傷がっ! あああああああっ!」

 

 響き渡る一誠の悲鳴。湿っぽくシリアスだった雰囲気が一転して乾いた笑いが起きそうなコメディチックな空気に変わる。

 

「はあっ……はははは」

 

 木場は脱力した様に俯き、誰にも顔を見せずに笑う。安堵の拍子で涙腺が緩んでいるのを誤魔化す為である。

 イリナとゼノヴィアは急いで立ち上がり、一誠を中心とした塊に向かって突撃。一誠の悲鳴が再び上がる。

 

「はぁー。喜んでいいのかどうか分かんねぇぜぃ」

「まさか死の淵から生還するとは。赤龍帝の生命力は侮れませんね」

「にゃー。ヴァーリは嬉しがるけど、これから敵になる身としては複雑だにゃん」

 

 一誠の生還を素直に喜べないと言っているが、美候たちは微笑を浮かべている。

 

「おーい。人修羅ー」

 

 美候が小声でシンに呼び掛ける。シンは目線だけ美候たちに向けた。

 

「ロキも倒したし、これで共闘も終わりだぜぃ。何か俺たちは場違いだし、このままヴァーリを拾っておさらばさせてもらうぜぃ」

 

 美候たちなりに今の空気を壊さないように気を遣っており、アーサーは音も無く抜刀して空間に裂け目を作り出す。

 

「んじゃな」

「次はお互いどういう立場になるか分かりませんが、お元気で」

「バイバイ。白音によろしく言っておいてにゃん」

 

 そして、空間の裂け目は閉じてしまう。

 美候たちが静かに去り、シンも目線を戻そうとするが──

 

「……うん?」

 

 ──滑る視線が一点で止まる。そこには仰向けになって寝ているジャックフロスト──の隣でうつ伏せになって寝ているジャアクフロスト。

 最初は口の悪いジャアクフロストを懲らしめる為の軽い悪戯かと思った。だが、時間が経過していく毎にその考えも薄れていく。美候たちが戻って来る気配が全く無い。

 そして確信してしまった。ジャアクフロストは美候たちに忘れられ、置き去りにされてしまったのだと。

 色々なことが連続して起こってしまったせいで、ジャアクフロストのことまで気が回らなかったのだろう。いずれは気付いて戻って来ると信じ、今は見なかったことにした。

 視線を動かし、一誠たちの方を見る。一誠は集団抱擁からようやく解放されていたところであった。

 

「いや、ホント、全然覚えていないけど心配をお掛けました」

 

 リアスたちに頭を下げて謝罪し顔を上げると、リアスたちは驚いた表情になり、その後オロオロと動揺し始める。

 

「ご、ごめんなさい! 本当に痛かったのね!」

「大丈夫ですか! どこが痛いんですか!」

 

 急に体のことを心配し出すリアスたちに、一誠は困惑する。ふと、頬にむず痒い感触を覚え、指で擦る様にして掻く。頬に触れた指先は何故か濡れていた。

 

「あれ?」

 

 反対側も同じ様に触れるとやはり濡れている。一誠は自分が涙を流していることに気付いた。

 悲しいことなど無く、寧ろロキに勝ち皆の許へ生還出来たことで嬉しい筈なのに、拭っても拭っても涙がとめどなく出て来る。

 自分ではない何かが一誠に涙を流させていた。

 

『悪いな、相棒』

 

 一誠の脳内にのみドライグの声が聞こえた。

 

『そのままにしてやってくれ。今のあいつらは弔う術は無い。だが、消えていった同胞に何かをしてやりたかったんだ』

 

 神器を通じ、一誠の体を使って別れの涙を流させる過去の赤龍帝。何か一つでも消えていった者に送りたかったのだ。

 

「消えていったって……」

『ドライグと今の仲間を大事にしてくれ。それが私の最期の願いだ』

「あっ……」

 

 聞き覚えのある声が頭の中にこだまする。その言葉で気付いてしまった。その声の主は最早何処にも居ないのだと。

 決して良好とは呼べない関係ではあった。魔人を憎み、一誠の体を使って暴走しようともしていた。しかし、ロキの戦いの中で『覇龍』への祝詞を教えてくれ、ロキに勝つきっかけを作ってくれた。最後に少しだけ歩み寄れた気がしてならない。

 名を聞くことすら出来なかった過去の赤龍帝。そのことを思うと、流れ出る涙に一誠自身の涙が自然に混じる。

 

「女を泣かせた後に今度は自分が泣くのか?」

 

 そんな彼を揶揄う様な声。一誠の近くにいつの間にかシンが来ていた。

 

「う、うるせぇなぁ。色々とこみ上げてくるものがあるんだよ!」

 

 照れ隠しの様に大声で返すが、一誠は涙を拭おうとはしない。ドライグの頼みを律儀に守っていた。

 その行為に何かしらの思いを感じ取ったシンは、『そうか』と短く言ってそれ以上の言うことは無かった。

 やがて、一誠の涙も自然に止まる。神器内の過去の赤龍帝による弔いは済んだ。

 

「何かまた死にかけちまった」

「お互いにな」

「お前、よくあんなカッチンコチンになっても生きてたなぁ?」

「そうだな。不思議なものだ」

「他人事みたいに言いやがって……」

「今、生きているなら問題無い」

 

 何でもない様に言うシンに一誠は呆れた表情をする。話を聞いていたリアスたちも似たような表情をしていた。もっと自分を労われと顔に書いてある。

 唐突にキン、キン、キンという金属を叩く音が聞こえて来た。連続して聞こえるそれはまるで拍手でもしているかのよう。

 不自然な音に皆が訝しみながら音の方に目を向け、全員凍り付く。

 いつの間に現れたのか分からない。

 

「祝福しよう。よく生き延びた」

 

 気配も音も無く不意打ちで現れたマタドールが、手に持つ剣を左腕の骨で叩き、拍手代わりにしていた。既に戦闘を行っていたのか手足を消失させており、衣服も破け、ほつれている。

 だというのにみすぼらしいという感覚にはならなかった。全身から放つ殺気と闘志がその感覚を麻痺させる。

 

「良いタイミングだ。互いに条件は五分。──さあ、始めようか?」

 

 さっきまでの戦勝ムードが一気に吹き飛び、殺意の冷たさと闘気の熱を帯びた戦いの空気となる。

 事態の急展開に殆どの者が付いて行けない中、バラキエルは朱乃を守る為に彼女の前に出て、シンは静かに拳を握り締め、今の自分がどれほど戦えるのかを確認し、一誠はいつでも神器を発動出来る様に気持ちを切り替える。

 

「では──」

 

 マタドールが一歩踏み出そうとした時、音を超えた何かが彼を貫く。

 

「──くっ!」

 

 腹部から突き出す光で出来た鏃。彼を貫いたのは矢であった。矢は一本で終わらず、胴体を貫いた直後に、足と両肩にも突き刺さる。

 両足を負傷して立っていられなくなり、マタドールはバランスを崩し前のめりになるが、剣を突き立て、意地でも倒れることを拒む。

 しかし──

 

「ふんっ! カスがっ! 往生際の悪いっ!」

 

 容赦無き罵声と共に空から白い影が飛来し、唯一己を支えるマタドールの腕に落下。

 その後に嘶くのは体中に目を付けた異形の白馬。白馬の蹄によってマタドールの腕は踏み砕かれる。

 異形の白馬に跨るのは弓を持ち、黒衣を纏い、黄金の冠を被る白骨。

 眼球無き黒穴が、事態について行けなくて呆けてしまう一誠らを睨み付け、釘を刺す。

 

「お前らっ一言も喋るなっ! 一歩たりとも動くなっ! 路傍の石に徹していろっ! そうすればすぐに済むっ! 出来なければ殺すっ!」

 

 黙示録の四騎士の一人──ホワイトライダーはその言葉を以ってこの場を支配する。

 

 




空気を読まない奴を同じくらい空気を読まない奴が制裁する話ですね。
次で七巻の話は終わらせます。

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