ハイスクールD³   作:K/K

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長くなりそうだったので前後編にしました。
続きは今月中に投稿する予定です。


幕間 少女、求友(前編)

 雑踏賑わうとある繫華街。そこで頭まで覆うローブを纏った怪しげな集団が、怪しげなチラシを配っている。

 差し出されたチラシをスルーするのが大半だが、中にはそれを見て見ぬふりすることを悪いと思うお人好しな人たちや、差し出されたチラシを反射的に受け取ってしまう人たちもいた。

 そうやってチラシを受け取った者たちはチラシを見て書かれた内容に首を傾げる。

 

『あなたの願いを叶えます!』

 

 という謳い文句と奇妙な図形が描かれているだけで具体的な内容は一切書かれていない。怪しい宗教団体なら、その宗教の名、拠点、目的や教え等が書かれているだろうがそういうのは全く無くその一文のみ。

 怪しいことは怪しいが何が目的なのかサッパリ分からない為、受け取った人たちはチラシをポケットや鞄の中に捻じ込んでしまう。

 この怪しい集団こそリアスたちの使い魔が人の姿へ変化した者であり、彼女たちが配っているのはリアスたち悪魔を召喚する為の簡易魔法陣であり、悪魔としての仕事を為す為の地道な活動である。

 ここでのチラシ配りも殆ど終わり、場所を変えようとした時──

 

「それ、一枚くれる?」

 

 ──不意に声を掛けられ、リアスの使い魔は驚いて体を硬直させた。誰もいないと思っていた筈なのに突然、目の前に両手を後ろに組んで立っている少女が現れたのだ。

 ダークブルーのワンピース着た外国人の少女。セミロングの金髪に吸い込まれそうな程綺麗な金色の瞳が透き通る様な白い肌とよく合う。

 長い人生で一度会えるか会えないか、そう思うことが大袈裟ではない完成された容姿の少女。

 視線を下げるぐらいに小柄な少女な為、見逃してしまったのかと思いつつ、リアスの使い魔はチラシを少女に差し出す。これ程までに目を惹く存在なのに、と内心で首を傾げながら。

 

「どうもありがとう」

 

 人形の様に整った顔立ちの少女が微笑む。木漏れ日の中で咲く花を思わせる可憐な微笑であった。見ている者全てに幸福感と至福を与え、その微笑を見たリアスの使い魔もつられて微笑んでしまう程。

 少女はそのチラシを無くさない様に大事そうに両手で抱えて去って行く。

 その去り際に──

 

「バイバイ。蝙蝠さん」

 

 ──リアスの使い魔の正体を見抜いているセリフを残して。

 リアスの使い魔は驚き、改めて少女を見ようとするが、さっきまでそこに居た筈の少女が居ない。現れた時とは真逆にいつの間にか消えてしまった。

 しかし、空耳で無ければリアスの使い魔の耳に微かに届く少女の声。

 

「うふふ……」

 

 無邪気な、それでいて背筋が凍り付く様な楽しそうな笑い声であった。

 

 

 ◇

 

 

「こんにちは。ロスヴァイセ先生」

「ひゃい! ひょ、ひょんにちは! 間薙、君……!」

 

 放課後、オカルト研究部へと足を運んで途中、ロスヴァイセの後ろ姿を見つけたシンは彼女に後ろから挨拶をする。不意打ちだったらしく、ロスヴァイセは声を裏返らせ、噛みながら挨拶を返してきた。

 言い終えた後に思いっ切り返事を失敗してしまったのが恥ずかしかったのか赤面するロスヴァイセ。

 駒王学園に教諭として就任してから、その容姿と真面目な態度。そして、今の様に抜けている面を見せることからすぐに学生の間で人気となった。

 シンも時折廊下で男女問わず学生に囲まれて勉強についての質問をされている姿を見かけていた。

 肩を並べて二人は歩き出す。

 

「こ、これから部活動ですか?」

「はい。ロスヴァイセ先生もですか?」

「い、いえ。私はまだ少し仕事があるので」

 

 そこで会話が終わり、沈黙が訪れる。

 

(か、会話が終わってしまった……!)

 

 ロスヴァイセは内心で叫ぶ。

 

(ど、どうすれば……! 何かこの年頃の男の子に合った話題を……! でも、間薙君は普通の年頃の男の子とは違うし……!)

 

 ロスヴァイセはシンのことが少々苦手であった。嫌っている訳では無いが、シンの素性を知っているせいで嫌でも緊張してしまうのだ。そんな状態でこの沈黙は、彼女の精神を紙やすりの様に小さく削っていく。

 一方でシンの方は沈黙を苦痛としていないので特に気にしていない。そして、ロスヴァイセがどういう性格かも把握していないので、この沈黙を自ら破ろうともしない。

 ロスヴァイセはこの沈黙を恐れる。年齢はロスヴァイセの方が上だが、グレモリー眷属としてまだまだ新米。先輩であるシン相手に黙っているのは新米としてあってはならないこと。

 と、ここでロスヴァイセは自分が勘違いをしていることに気が付いていない。シンはリアスたちの協力者という立場であり、眷属ではないのだ。リアスとソーナのレーティングゲームの際にシンがソーナ側で出ているのを見ていた筈だが、そのことをすっかり忘れてしまっていた。尤も、それだけシンがリアスの眷属たちと馴染んでいるということだが。

 

「そ、そう言えば、あの子たちを見ませんね!」

 

 必死に話題を探した結果、絞り出せたのはシンの仲魔たちの不在である。それを皮切りにして話を膨らませようと考えたが──

 

「ピクシーとジャックランタン、ケルベロスはまだ万全では無いので家で寝かせています。ジャックフロストとジャアクフロストは顔を合わせると喧嘩しかしないので、ジャックフロストは生徒会室に預けています」

「そ、そうですか……」

 

 事務報告の様に淡々と返され、ロスヴァイセはそれしか返せなかった。

 

(また会話が終わっちゃった!)

 

 再び訪れる沈黙。ロスヴァイセはポーカーフェイスで表向きは凛とした表情をしているが、内心では頭を抱えて悶えていた。

 

(ああー! 教諭という立場として何か会話のリードをしないと! でも、ぜんぜん話題が思い付かないー!)

 

 ロスヴァイセの女性としての経験値不足がここで嫌でも露呈する。何を話せばいいのか分からず、軽くパニックになってしまう。とはいえ、仮にロスヴァイセが経験豊富な女性であったとしてもシンの態度や反応が特に変化することは無い。

 ロスヴァイセは横目でシンを見る。鉄仮面を思わせる無表情からは何も情報を読み取れない。

 

(何だかんだ言ってオーディン様の護衛は楽だったのかなー)

 

 オーディンが好き勝手動き、神らしくない振る舞いをすればロスヴァイセが小言を言う。それだけで、両者のコミュニケーションは完了していた。好意的に考えれば、あれがオーディンなりの下の者たちへの距離の詰め方だったのかもしれない。

 

(オーディン様。色々と振り回されてきましたが、今思えば気不味さとは無縁の仕事でした。──でも、置いて行かれたことは許しませんけど!)

 

 置き去りにされた恨みだけは忘れない。

 

(──って! そんなことは今はどうでもいいんです! 何か、何か話を! 何でもいいから! ああ! この沈黙が痛いっ! 怖いっ!)

 

 話題、話題と頭をこれでもかと働かせ、絞り出したロスヴァイセの話題は──

 

「きょ、今日は! い、いい天気ですねっ!」

 

 ──天気の話題というあまりにしょうもないもの。

 因みに本日の天気は快晴ではなく、灰色の雲が太陽を覆い隠す曇りである。

 言った本人も直後に今の天気を思い出し、ポーカーフェイスを崩して『しまったぁぁ!』という心の叫びが顔に書いてあった。

 

(……変に気を遣い過ぎたか)

 

 盛大に空回るロスヴァイセを見て、シンは内心で少し反省する。

 学園内、そして生徒と教諭という立場から可能な限り消極的に接していた。また、ロスヴァイセはリアスの眷属内で数少ないシンが魔人であると知っている人物である。魔人という存在と積極的に関わらない方が良いと独断したが、返って裏目に出てしまった。なお、当のロスヴァイセはシンが魔人であることを、このとき完全に忘れていた。

 このままロスヴァイセが空回り続けるのも見ていられないので、話題に乗ることにする。

 

「そういえば──」

 

 今まで聞き手であったシンから話を振られ、ロスヴァイセは一瞬硬直する。

 

「日の光には慣れましたか? 今日ぐらいの天気なら大丈夫そうですが、間もない内は朝日が大分キツイらしいので」

 

 これはシンが一誠から聞いた話である。

 

「あ、はい! 今は大丈夫です。確かに間薙君の言う通り最初に二、三日はちょっと大変でしたね。完全な夜型に切り替わってしまったので。悪魔に転生して初めての夜は、かなり高揚してしまって、お酒の力に……いえ! 何でも無いです!」

 

 思わず口を滑らせてしまうロスヴァイセ。シンは聞かなかったことにして、悪魔関連のことで話を膨らませていこうとする。

 

「じゃあ、今はもう大丈夫ということですか?」

「はい。ワルキューレの時には無かった力で戸惑いもありましたが、少しでも早く順応出来る様に色々と試してみました。悪魔の翼というのは不思議ですね。今までに無かったもの、それこそ新しい手が生えて来る様なものなのに、まるで最初からあったかの様に使えるのですから」

 

 悪魔に転生し、魔力を得たロスヴァイセは自主的に悪魔としての性能試しを行い。自分の現状をほぼ完璧に把握している。

 その話を聞いてロスヴァイセはやはり生真面目な性格であるとシンは再認識する。真面目過ぎて若干空回る部分もあるが。

 この会話でロスヴァイセも少し緊張が解け、シンとの会話も弾み出す。

 他愛の無い内容の会話であったが、オカルト研究部部室まで着くまで途切れることは無かった。

 部室のドア前に立つと中から悲鳴と怒号が聞こえてくる。

 

「ヒホ! いい加減出て来るホ!」

「ヒィィ! 止めてくださぃぃぃぃ!」

 

 怒号はジャアクフロスト、悲鳴はギャスパーのもの。

 

「ジャアクフロスト君がまた喧嘩を!」

 

 止めるべくロスヴァイセが慌てて部室の中へ入っていき、シンも続く。

 オカルト研究部部室内ではジャアクフロストが段ボール箱を何度も蹴り付けている。他にメンバーが居ないのを見ると、一番乗りはギャスパーであった様子。

 

「この引きこもりホ! 隠れてないで姿を見せるホ! そして、殴らせろホ!」

「嫌ですぅぅぅぅ! 殴られると分かっていて出ていかないですぅぅぅ! 間違えたのは謝るから許してくださいぃぃぃぃ!」

「だから、殴らせたら許してやるって言っているんだホ!」

「誰かぁぁ! 誰か助けて下さいぃぃぃ!」

 

 段ボール箱内のギャスパーが悲痛な叫びで助けを求める。

 

「ジャアクフロスト君! 暴力はダメです!」

 

 ゲシゲシと蹴飛ばし続けているジャアクフロストをロスヴァイセが後ろから持ち上げて段ボール箱から引き離す。

 

「大丈夫か?」

「そ、その声は! 間薙先輩とロスヴァイセさんですかぁ!」

 

 ギャスパーが段ボール箱から飛び出し、シンへしがみつく。

 

「一体何があった?」

「そ、それが、ぼ、僕が部室に入った時に、ひ、一人で暇そうにしているジャアクフロスト君を見て、こ、声を掛けたんです! そ、そしたら言い間違えて、『ジャックフロスト君』って……」

 

 あまりに下らない理由にシンは黙り、ロスヴァイセも呆れた表情になってしまう。

 

「今のあいつなら、ギャスパーでも倒せるが……」

「ご、ごめんなさいぃぃぃ! ぼ、僕にはそんな暴力的なことは……!」

「なら、魔眼で停止させたらいいんじゃないのか?」

 

 ギャスパーの向きを変え、ジャアクフロストの方を向けさせる。

 

「あ゛あ゛んホ!」

 

 目を向けた途端ドスの効いた声とガンを飛ばしてきたジャアクフロストに、ギャスパーは魔眼を発動させる前に目を逸らしてしまった。

 

「……ギャスパー」

「す、すす、すみませぇぇぇん! 練習で使っている訓練用のロボットなら出来るんですぅぅぅ! でも、ロボットは睨んで来ないんですぅぅぅぅ!」

 

 泣きべそをかきながらまたシンへしがみつくギャスパー。最初に会った時よりも臆病さは多少マシになったが、ジャアクフロストの様な分り易い乱暴者にはまだ腰が引けている。

 シンは小さく溜息を吐いた後、暴れるジャアクフロストを抱き抱えるのに苦戦しているロスヴァイセへジャアクフロストを下ろす様に頼む。

 

「そいつを離してもらえますか?」

「ですが……」

「お願いします」

「ヒホー! ヒホー! 言われた通りに離すホ! ……だったらこうしてやるホ!」

 

 ジャアクフロストはロスヴァイセの胸に後頭部を押し当てたかと思えば、頭を勢い良く左右に振るう。当然のことながらロスヴァイセの胸もその動きに合わせて揺れる。

 

「きゃああああああ!」

 

 辱しめられたロスヴァイセは堪らずジャアクフロストから手を離してしまい、ジャアクフロストは自由となる。年頃の男性──片方は女装しているが──がいる環境下で生娘のロスヴァイセが耐えられる筈が無かった。

 

「ジャアクフロスト君! セクハラですよ!」

「知るかホ! そもそも俺様はお前の体なんてどうでもいいんだホ! 使う予定も無いのに無駄に肉なんて付けているんじゃないホ!」

「今は無いだけです! いずれ使う時が来るんです! ……って何を言わせるんですかっ!」

 

 ジャアクフロストと言い争ったせいで変なことを口走ってしまったロスヴァイセは、赤面していた顔を更に赤くする。

 

「ジャアクフロスト」

「……何だホ?」

 

 ジャアクフロストの傍若無人を見兼ね、シンはジャアクフロストを呼ぶ。声に反応したジャアクフロストが見たのは、貫く様なシンの眼光。

 

「自分が今どういう立場なのか理解をしているか?」

 

 威圧を込めた声でシンはジャアクフロストを窘めるのではなく脅す。

 

「大人しくしていろ」

 

 死を匂わせる気配がシンの体から漂う。シン本人はこのやり方を好まないが、ジャアクフロストがこれ以上暴れるのならやむを得ない。

 しかし、そんな眼光を浴びせられてもジャアクフロストは震え一つ見せず鼻で笑う。

 

「やりたければやればいいホ。お前たちとの根性の違いを見せつけてやるホ!」

 

 したければ暴力でも拷問でも何でもしろとジャアクフロストは言い切ってみせる。瘦せ我慢には見えないし、現実を見ていない様にも思えない。

 ジャアクフロストの気概を見た気がした。

 シンはそれを見て威圧感を消す。脅し程度ではジャアクフロストは屈しない。元々何かをするつもりも無かったが。そして何よりジャアクフロストの様な性格は嫌いではない。

 

「何だホ? 結局やらないのかホ?」

 

 ジャアクフロストがシンを挑発する様に短い両手でシャドーボクシングをする。

 

「ヒーホー! 口先だけの奴ホ!」

「生憎、弱い者イジメはしない主義だ」

「弱っ──!」

 

 何気ないシンの一言に、ジャアクフロストの吊り上がった眼が更に吊り上がる。

 

「誰が弱いホ!」

 

 弱い、という言葉自体がジャアクフロストの地雷であるらしく、ジャアクフロストは怒りに任せてシンへ飛び掛かった。

 跳躍と同時に拳を振り上げるジャアクフロストだったが──

 

「ヒ?」

 

 ──その拳が届くよりも先にシンの掌がジャアクフロストの額に押し当てられる。

 シンが素早く掌を突き出すと、ジャアクフロストの体が勢い良く縦回転し始めた。

 

「ホォォォォォォォォォォ!」

 

 赤、黒、紫の色が混じり合った丸と化すジャアクフロスト。回転したまま床へと落下していく。

 

「ギャスパー」

「は、はい!」

 

 名を呼ばれて察したギャスパーは邪眼の力を発動させ、ジャアクフロストが床に衝突する十数センチ手前でジャアクフロストを時間停止させ、空中に固定する。

 その間にシンはソファーへと移動しクッションを一つ取るとジャアクフロストと床との間に置く。

 

「ヒホ! ……ヒホ?」

 

 時間停止が解除されて床に落ちたジャアクフロストは落下の衝撃を覚悟していたが、いつの間にか置かれたクッションによってそれが防がれ、疑問符を浮かべる。

 戸惑った様に周囲を確認していたが、シンの姿が目に映るとまた飛び掛かって来る。

 

「ヒホォォォォォ!」

 

 そして、シンはその拳が届く前にジャアクフロストへと触れ、回転。

 

「ギャスパー。次は逆さ状態で」

「えっ!」

 

 止め方をリクエストするシン。ギャスパーは一瞬だけ驚いたが、すぐに意識を集中させ、邪眼を発動。シンのリクエスト通りジャアクフロストは頭を真下に向けた体勢で空中に停止させられる。

 前までは出来なかった邪眼の精密な操作。アザゼルとの訓練の成果がきちんと出ている。

 

「ヒホッ!」

 

 またもや頭からクッションに落ちたジャアクフロスト。しかし、二度目は困惑ではなく怒りに染まっていた。

 

「またやったなホ!」

 

 飛び掛かるジャアクフロスト。それを軽くいなすシン。そして、シンのリクエスト通りの体勢でジャアクフロストを止めるギャスパー。ロスヴァイセは止めるべきかどうか分からず、迷いと良い様に翻弄されるジャアクフロストを可愛く思ってしまうのを半々に混ぜた何とも言い難い表情をして眺めている。

 因みに、その光景はリアスたちが来るまで延々と繰り返されていた。

 

 

 ◇

 

 

「初仕事、頑張ってねロスヴァイセ」

「は、はい! 頑張ってきます!」

 

 夜。悪魔として活動する時間となる。オカルト研究部部室中央では転送用の魔法陣が仄かに光を帯びている。

 ロスヴァイセが転生悪魔となって初めて仕事へ向かう。何もかもが初めてのロスヴァイセは顔に緊張の色を浮かばせていた。

 

「大丈夫よ。サポーターとしてシンも同行するから」

 

 そして、シンもロスヴァイセの初仕事に同行することとなっていた。色々なメンバーと共に仕事を熟してきたシンが居れば、まず失敗は無いというリアスの判断である。

 

「よ、よろしくお願いいたします! 間薙君!」

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

 

 一応、緊張を解く様に言葉を掛けるが無難過ぎる言葉であった為、ロスヴァイセの緊張をあまり解せなかった。

 

「そうなんですけど……失敗したらどうしようかと思うと……」

 

 真面目過ぎるせいか最悪のケースも想定している様子。ヴァルキリーの時や北欧にいた時と勝手が違うのも彼女を不安にさせる要因になっている。

 

「まあ、前代未聞の大失敗をしている奴がいますしただの失敗ぐらい無いに等しいです」

「……おい。その前代未聞の大失敗って俺のことを言ってるのか?」

 

 近くで会話を聞いていた一誠が口を挟んでくる。

 

「その通りだ。自転車通勤」

「止めろぉぉ! 俺に思い出させないでくれぇぇぇぇ!」

 

 魔力が全く足りなかったせいで魔法陣で転送されず涙を流しながら自転車で依頼人の許へ向かった時のことを思い出し、一誠は頭を抱える。未だに苦い記憶として彼の中に刻み込まれていた。

 そんな一誠を朱乃やアーシア、小猫が慰めている。ジャアクフロストから守る為に小猫に抱き抱えられているジャックフロストも一誠を励ます様に頭をポンポンと叩いていた。

 ふと、無事なジャックフロストの姿を見てシンはジャアクフロストを探す。ジャックフロストの顔を見る度に喧嘩を仕掛けているジャアクフロストが今夜は大人しい。

 視線を動かしてジャアクフロストを探すと、部屋の隅で一人睨む様にこちらを見ているジャアクフロストを見つけた。

 シンはその様子に嫌な予感を覚える。だが、注意するよりも先にロスヴァイセから声が掛かる。

 

「じゃあ、行きますよ」

 

 表情を引き締めたロスヴァイセが転送魔法陣に移動する。シンもジャアクフロストが気になったが、後に続いて魔法陣の中に入った。

 いざ転送──となった瞬間。

 

「あっ」

 

 と声を出したのは誰であったのだろうか。それを確認する間もなくシンは迫り来る怒気を肌で感じ取り、視線をその方向へ向ける。

 部屋の隅で息を潜めていたジャアクフロストが、シンに向かって飛び掛かっていた。シンに軽くあしらわれたことを根に持ち、油断する時を待って転送される直前に仕掛けてきた。

 ジャアクフロストの奇襲はある意味では成功であった。シンもまさかこのタイミングで殴り掛かってくるとは思っておらず、少し反応が遅れてしまう。

 ジャアクフロストの小さな拳をシンの掌が簡単に受け止める。その結果、ジャアクフロストを転送用魔法陣の外に追い返すことが出来ず、三人とも転送されることとなってしまった。

 三人が転送し終えた魔法陣を見て、リアスは溜息を吐きながら天を仰いだ。

 

 

 ◇

 

「もう! 何を考えているんですか! ジャアクフロスト君!」

 

 転送直後のロスヴァイセの口から出て来たのはジャアクフロストへの説教であった。

 

「ちっ! 失敗したホ!」

 

 ジャアクフロストはロスヴァイセの説教に耳を貸さず、舌打ちをする。因みに、今のジャアクフロストはシンに後頭部を鷲掴みにされて持ち上げられている状態である。

 

「折角、依頼人の方に良い印象を……」

 

 そこでロスヴァイセは言葉を止め、周囲を見る。

 枯れかけた木々が生えた舗装されていない地面。殺風景過ぎて数分で記憶から消えて無くなりそうな場所に三人は立っていた。

 

「えーと……」

 

 ロスヴァイセは困った様子でシンを見る。

 

「聞いていたのと大分違うのですが……」

 

 転送魔法陣で飛ばされる先は簡易魔法陣が描かれた依頼人の許と決まっている。大概が自宅内のケースである。

 

「……おかしなことになっていますね」

「いきなりですか! 私、初仕事なんですが!」

 

 慣れたシンの口から異常事態が起きていると教えられ、ロスヴァイセはショックを受ける。流石に最初の仕事から異変が起これば仕方がない反応であった。

 とは言え、シンの方は以前に似た様な状況に遭ったことがある。あの時は、ピクシーと初めて会った時であった。

 

(まさか、それと同じことが起こっているのか?)

「ヒホ。何だアレホ?」

 

 ジャアクフロストが何かに気付いて指差す。ジャアクフロストが指した方に二人が目を向けるとアンティークの木の扉のみがそこに立っている。

 

「間薙君……私の記憶が間違いでなければ、さっきまであんなのは無かった筈ですが……?」

「──そうですね」

 

 ロスヴァイセに同意する。周囲を見回した時、確かに木の扉など無かった。あればすぐに気付いている。

 

「……実はこれはリアスさんたちが用意したサプライズで。扉の向こうでリアスさんたちが歓迎会の準備をして待っている、ということがあったりしませんか……?」

「仮にそうだとしても、露骨過ぎると思います」

「そう、ですね……」

 

 シンが否定すると、少しガッカリした表情をするロスヴァイセ。

 

「……されたかったですか? 歓迎会?」

「そ、そんなことないですよ! 新入りの分際でそんな烏滸がましい!」

 

 されたかったらしい。今度それとなくリアスに言ってみるかとシンは思った。

 

「……それでどうするんだホ? 入るのかホ? 入らないのかホ?」

 

 足をぶらつかせたまま冷めた言葉でジャアクフロストが二人に訊く。

 流石にあれだけ怪しい扉に入る気がしない。

 

「一度ここは戻った方がいいでしょうか……?」

「近くに依頼人もいないみたいですしね。あれだけ怪しいと罠にしか見えません」

 

 扉の方からそこはかとない嫌な気配を感じるシンたち。折角のロスヴァイセの初仕事であるが、初仕事故に慎重に進める必要がある。

 ここが何処か確認する為に一旦振り返るシン。そこで足が止まる。

 背後にある筈の木の扉が目の前にあった。

 シンは振り返る。やはり、そこにも木の扉があった。

 今度は掴んでいるジャアクフロストだけに背後を見せる。

 

「あるか?」

「あるホ」

 

 ジャアクフロストの真っ赤な目には木の扉が映り込んでいる。

 

「これは、まさか『禍の団』の罠では?」

 

 ロスヴァイセは木の扉を凝視したまま、最も高い可能性を出す。

 

「かもしれませんが可能性は低いかと……」

 

 誘い込んで一人一人狩る、という方法も無くは無いかもしれないが、あのチラシの魔法陣は呼び出す者の強い願いに反応する仕組みになっている。もし、仮に『禍の団』が使用したら、その強い願いの中に込められた殺意などを魔法陣が読み取り、逆にリアスたちに報せる仕掛けになっている。

 悪魔に対する殺意を押さえながら強く願う者が『禍の団』に居れば話は別だが、そんなピンポイントな人物などそうそう無い。

 

「じゃあ、別の勢力が……えっ?」

 

 ロスヴァイセが呆けた声を出す。彼女が一回だけ瞬きをした間に木の扉が消えていた。

 

「間薙君! 扉が!」

「無くなりましたね」

 

 シンも見ていたが、消える瞬間を切り取られたかの様に前触れも無く扉が消えてしまった。

 

「ヒホ……。俺様たちで遊んでないかホ?」

 

 ジャアクフロストは、木の扉の出現と消失に虚仮にされていると感じた。

 

「今のうちにここから離れましょう!」

「……いや、少し遅かったみたいです」

「遅かった……?」

 

 シンの視線が下に向けられていることに気付き、ロスヴァイセも足元を見る。

 

「なぁっ!」

 

 シンたちの足元はいつの間にか大地ではなく木の扉へと置き換わっていた。

 

「ま、間薙君! ここは落ち着きましょう! 一歩も動かない方がいいです!」

「お前が落ち付けホ」

 

 徐々に焦り出してきたロスヴァイセに、ジャアクフロストが冷めた言葉を掛ける。

 

「取り敢えず、扉さえ開けなければ──!」

 

 ロスヴァイセの喋るのを中断せざるを得なかった。扉部分が消失し、足場が無くなる。扉の向こうにあるのは真っ暗な世界。

 

「きゃああああああ!」

「──ご丁寧にどうも」

「ヒーホー! ワクワクしてきたホー!」

 

 ロスヴァイセは悲鳴を上げ、シンは木の扉の主に皮肉を吐き、ジャアクフロストは扉の向こう側にある未知に興奮しながら全員落下していく。

 暗闇の世界へと落ちていく三人。加速しながら暗闇の果てを目指す。

 

「間薙君! 手を!」

 

 ロスヴァイセがシンに手を伸ばす。悪魔の翼でこの穴を抜けるつもりであった。

 突如、落下する速度が緩まり、緩やかに降下し出したかと思えば、辺りの暗闇が幕を上げたかの様に消え去り、果ての無い闇の底に地面が現れた。

 三人は緩やかな速度のまま地面に降り立つ。

 

「ここは……?」

 

 暗闇の幕が上がった世界は、幻想的なものであった。

 遠くには西洋の城が幾つも並び、その隣には観覧車が建ててある。大きな湖の側にはコテージが置かれており、そのコテージの近くにはサーカスのハウスが設定されている。

 木々が疎らに並んでいるが、中には逆さに生えた木もある。大きな岩も並んでいるが、真球の様に綺麗に整えられた不自然な岩も転がっていた。

 青々とした空には雲が漂い、太陽が輝く──と同時に爛々と輝く月も出ており、満月から新月に至る月の満ち欠けを頻繫に繰り返している。

 おとぎ話の様な幻想的な世界であると同時に何もかもが滅茶苦茶で気色悪さを覚える世界でもある。

 

「うへぇ。悪趣味だホ」

 

 ジャアクフロストは気に入らないのか、舌を出して嫌がる表情をしていた。

 

「不気味な空間ですね」

「早く脱出するべきです」

 

 シンとロスヴァイセは警戒しながら周囲を探る。少なくとも生命が存在する気配が無い。

 

 うふふふ。来てくれた。

 

 鈴を振る様な少女の声が虚空から聞こえた。

 何も無い筈の空間が扉の様に開き、中から人形の様な少女が出て来る。

 人形の様な、と評したのは精緻に整った容姿もあるが、少女からは生気を感じ取れない為でもある。

 少女は三人を見ると、ダークブルーのワンピースの裾を摘み、左右に広げながらお辞儀をする。カチューシャの様に頭部に付けられた白いリボンが少女のお辞儀に合わせて揺れた。

 

「いらっしゃいませ。アリスの世界へ」

 

 見た目は可憐な少女。だが、シンたちは警戒を最大まで上げる。この世界を創り出した存在であると同時に、アリスと名乗った少女からは既知感を覚える気配があった。

 

「間薙君……彼女は……」

「……近いものを感じます。俺と」

 

 アリスから漂う死の気配。それは魔人と限りなく似たものであった。

 

「ヒホ……嫌な感じだホ……」

 

 ジャアクフロストもアリスから魔人に似た気配を察知し、顔を顰める。挑発の様な悪口をすぐに言わないのは彼なりの警戒の現れであった。

 

「やっと来てくれたお客様。ワタシ、とっても嬉しい。だってだってずっと退屈していたの」

 

 アリスが微笑む。少女の笑みは凡人ならば見惚れ、特殊な趣味のある者ならより人格を狂わせる無邪気さと魔性を兼ね揃えたもの。しかし、シンたちはその笑みを向けられて背中が粟立つ気分であった。

 

「かっこいいお兄ちゃんに」

 

 いつの間にかアリスがシンの顔を覗き込んでいる。

 

「綺麗なお姉さんと」

 

 今度はロスヴァイセの目の前に移動しており、急なことでロスヴァイセも固まる。

 

「可愛らしい雪だるまさん」

 

 最後にジャアクフロストの帽子を指先で突く。

 

「気安く触るんじゃないホ!」

 

 その手を乱暴に払い除けるが、その前にアリスは元の位置に戻っていた。

 

「うふふ。乱暴さんね」

 

 アリスは邪険にされても愉し気に笑っている。

 

「あの、アリスさん──」

「アリスって呼んで。そんな他人行儀な呼び方は嫌よ」

「では、アリス。貴女に聞きたいことがあります」

「何何? 何でも聞いて」

 

 アリスは後ろに手を組み、小首を傾げて可愛いらしい態度を見せる。

 

「……出口は何処でしょうか?」

 

 ロスヴァイセが至極当然の質問をした。何が待ち受けているのか分からない得体の知れない世界である。一刻も早く脱出したいのは当たり前のことである。

 

「ええー」

 

 すると、アリスはあからさまに表情を曇らせると、姿を消す。

 

「どこに──」

「ワタシ、退屈なの」

 

 アリスはシンの背中に乗り、彼の首に腕を回していた。

 温度も体重も感じない。幽霊でも背負っている様な気持ちになる。

 

「ワタシと遊んでよー。ねえねえ」

 

 シンの背にしがみついたまま足をバタバタと動かす。

 

「その……貴女と遊んだら出口を教えてくれるのでしょうか?」

 

 話を聞くのはあまり得策ではないが、どうすればいいのか分からない以上アリスの話を聞くしかない。

 

「うん! ワタシと遊んでオトモダチになったら教えてあげる」

 

 シンの背中から離れ、ロスヴァイセを下から見上げるアリス。ほんの少しでも目を離すと別の場所に移動してしまう。

 

「じゃあ、遊びましょう! そうしたらワタシとオトモダチになれるわ!」

 

 その言葉と共に周囲が黒く塗り潰される。自分以外が見えなくなる闇が全てを覆った。

 


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