「ふっ」
短く吐かれた息と共に、小猫の小さな手から作られた拳が下から突き上げられる。小さな拳にもかかわらず、シンの目にはその拳が何倍もの大きさに見える程の迫力がある。
咄嗟に両腕を交差し、防御の構えをとるシン。シンの両腕と小猫の拳が接触をした瞬間、シンの両足は地面から浮き上がった。
軽く見てもシンの体重は小猫の倍以上ある。そんなシンの体が浮き上がった理由は、単純に小猫の腕力から来るものである。以前も小猫は両手で長椅子を持ち上げ、なおかつ放り投げるという芸当をシンたちの前で見せた。それに比べたならばシンの体重など紙切れに等しい。
「ッ」
両腕から伝わってくる衝撃と痛み。筋肉は潰され、骨に響く打撃に奥歯を噛んで耐えても、僅かであるが声を洩らす。
そのまま後方へと三、四メートル程飛ばされ、足から何とか着地するものの、このときシンの視線は小猫から外れ、着地した足下を見てしまう。次にシンが顔を上げたときには小猫の姿は眼前にあった。
反射的に後ろへ跳び、距離を広げようとするも途中でその動きは急停止する。小猫の手がシンのジャージの胸元を指先で摘むようにして掴んでいた。実質、親指と人指し指、中指の三本でシンの動きを止めたことになる。
「……遅いです」
そのままシンの体を引き寄せると、反対の手でシンの腕を掴み、片足でシンの両足を蹴り払う。投げられるシンの視界が上下逆さまとなり、その後背中から地面へと叩きつけられ、肺の中の空気を無理矢理吐き出された。
その状態のままシンは数秒間、放心したかのように空を見上げる。背中だけでなく体中から聞こえる悲鳴にしばし動くことができなかった。
「……大丈夫ですか」
動かないシンを心配してか、見上げるシンの顔を小猫が覗き込んでくる。その顔はいつもの無表情では無く、少しだけ変化があり此方の安否を気遣うものであった。
「大丈夫だ……もう立てる」
いまだ体は痛みを訴えているが、それを無視してシンは立ち上がる。そして、体に異常がないか軽く確かめ、小猫の方へと向き直る。
「……間薙先輩、どんな状況であれ相手から目を離してはダメです。相手の動きが分からなければ、相手より一手以上遅れます」
普段の無口ぶりが嘘の様に言葉をつらつらと並べていく小猫に、シンも真剣な様子でその助言を聞く。
山での合宿が始まり、リアスから最初に命じられたのが実戦訓練であった。基礎体力を鍛える訓練も勿論怠らないが、一誠もシンも眷属の中で圧倒的に技術と経験が劣っている。ほんの少し前までただの学生であった二人だと考えれば仕方の無い話ではある。
そこで少しでも経験を積むために、一誠と木場、シンと小猫に別れ、時間交代制で実戦及び技術指導を受けることとなった。小猫と木場は、はぐれ悪魔との戦いを何度も経験し、実戦での実力もアーシア奪還戦のときに一誠もシンも確認済みである。
小猫との実戦形式の訓練が始まって既に七度も地面へと叩きつけられているシン。自分の背丈よりもはるかに小さな女子にいいようにやられていた。普通ならば学ぶ意識よりも先に屈辱感の方が芽生えそうなことであるが、そういった感情に対して鈍重であるシンは、今の動作の何が悪かったのかを叩き伏せられる度に聞き、少しずつではあるが自分の糧としていった。
本日、八度目となるシンと小猫との立会い。シンは紋様の浮かぶ右拳を握り締め、小猫に左半身を前にした構えをとる。この構えをすることによって小猫の拳打の当たる面積を最小限にし、尚且つ右拳を隠す状態となる。対する小猫は左拳を前に出し、右拳を引いたオーソドックスな構えをとる。特筆した点の無い構えではないが、代わりに弱点らしい弱点の無い構え。
構えたまま睨み合う両者。場に静寂に満ちる。
その状態のまま、一分、二分と時間が過ぎていく。しかし、両者に動きは無い。より正確に言えば、このときシンは小猫を攻めあぐねていた。相手から視線を逸らさず、僅かな動きすら見落とさない様にしていたシンであったが、小猫の単純であるが堅牢な構えに攻めて勝つ方法が見いだせていなかった。
経験不足から来る発想の貧困。どこから攻めるか、どこを狙うか、本来なら短時間で導き出す答えをシンは未だ出せずにいる。
小猫から攻めてこないのは、その考えを導く為の猶予であり、この時点でシンに対して手加減をしていることが分かる。
その事実にはシン自身も気付いており、時間が経過していく度に自身の未熟さを嫌でも実感させられていくのを理解する。
(失敗も勉強か……)
このままただ睨み合っても埒が明かず、悪戯に時間を消費していくだけである。このときシンはあえて迎撃をされるのを覚悟で行動に移る。
シンは軽く息を吸い、吐くと同時に右足で地面を蹴り飛ばす。その反動で小猫に向かって地面を滑る様に飛んでいくとともに、浅く握った左手を小猫の顔面目掛け、牽制の意味で放った。無駄に力を込めず殆ど威力は無いが、速度だけは充分なものがあり、相手の体勢を崩すことを狙った攻撃。
しかし、小猫はそれが分かっていたのか体を後ろに引いて躱すのではなく、逆に前へと飛び出し、顔面へと直撃するかと思えた瞬間に体を沈め、それを回避する。
そして、それと同じタイミングでシンの右脹脛を右足で蹴りつけた。右足から伝わってくる鋭い痛み、シンが狙った様に小猫がシンの体勢を崩す。
それでも助言通りに小猫から目を離さなかったシンであったが、体勢を崩された状態で小猫に右腕を掴まれ、小猫はその状態で跳びあがると両脚をシンの右腕に絡め、その状態で小猫は体全体を捻る。小猫の力に逆らえば右腕を破壊されると思い、咄嗟にシンもその回転に合わせる。結果、シンは今日で八度目となる背中からの地面への着地をし、瞬く間に小猫に関節を極められる状態となった。
シンは右腕ごと小猫を持ち上げようとする。今の状態のシンならば、不安定な状態でも小猫ほどの重量など苦にならない。実際、小猫の体が地面から浮き上がるが、その瞬間に肘の関節が悲鳴を上げた。
当然、小猫もシンの抵抗を見逃す筈も無く、掴む手に少しだけ力を加えてシンの関節を軋ませるのであった。
「……間薙先輩。最初の牽制にパンチは良かったですが、今度は狙う場所を注視し過ぎです。経験のある人ならすぐに先輩の狙いが見破られます」
腕ひしぎを極められた状態のまま、小猫はシンの良かった点と悪かった点を挙げ、先程のシンの行動を評価する。
「――肝に、銘じておく」
自分よりも小さな女の子に関節技をもらっているという、客観的に見て非常に滑稽な姿のまま、シンは小猫の教えを噛み締める。
「……次です」
そう言って小猫はシンを解放した。シンは極められていた肘の部分を擦りながら立ち上がり、文句も弱音を言う事無く小猫と適当な距離を離れ、戦う姿勢を見せた。
本日、九度目となる実戦訓練を開始する――かに思えた。
「……む」
「……」
小猫とシン、二人同時に同じ方向に視線を向ける。視線の先にあったのは鬱蒼と緑が生い茂った草木の壁。
「……間薙先輩」
「ああ、分かっている」
その草木の向こう側からシンたちは確かに誰かの視線を感じた。野生動物のものとは違う、こちらを監視するかの様な感情を感じさせるかのような視線。
シンと小猫は一旦訓練を中断し、視線を感じた方向へと足を運んでいく。壁の様に立ち塞がる草を素手で掻き分け、向こう側に抜けるがそこは既にもぬけの殻であった。しかし、確かにそこには誰かがいたのか、地面から生える雑草の一部が踏まれて折れており、シンたちの見ている前で元の形に戻ろうとしている。
小猫はその場所で二、三度鼻を動かし、傍観者の痕跡を探ろうとするが、無表情な顔の眉を寄せる。
「……すみません、追跡は出来ないです。ただ――」
「ただ、何だ?」
「――確実に動物などではありません。……匂いが全くしません」
レイナーレのとき、黴臭い地下道でアーシアの匂いを判別した小猫の人外の嗅覚で追えない相手。悪魔ですら固有の匂いがあると語る小猫の言葉から考えるに、相手は動物でも悪魔でも無いということになる。
「……どうしますか?」
「一応、部長たちの耳にも入れておこう」
小猫の問いにシンは無難な回答を出す。
「……この辺りを探し回りますか?」
「まだ、こちらに対して敵意があるかどうか分かってはいないからな。下手に刺激するのは止めておこう」
「……そうですね。私、一旦部長に話してきます」
小猫も元々追う意思が無かったのかシンの考えを肯定し、このことをリアスに報告する為にこの場から離れていく。
残されたシンは周囲を軽く見回すが、特に変化も無く木々の葉が擦れる音だけが耳に入ってきた。
「ピクシー」
仲魔の名を呼ぶ。しかし、返事は無い。
「ピクシー」
今度はさっきよりも声を大にして仲魔の名前を呼んだ。すると、シンの近くにあった木の葉が何枚か落ち、その後に寝起きなのか半眼のピクシーが目を擦り、欠伸をしながら現れた。
「ふぁぁ……何? シン」
熟睡している所を起こされたせいかピクシーの機嫌は悪いらしく、声のトーンも若干低い。ピクシーも最初はシンの特訓を見ていたが途中で見飽き、近くの木の枝の上で昼寝をすると言ってシンのもとから離れていった。その寝ていた木が、ちょうど謎の傍観者が居た近くにあったのだ。
「ピクシー、ここで変な奴を見なかったか?」
「うーん? あたし、ずっと寝てたから見てないよー」
殆ど駄目元で聞いたことであったが、結果はやはり駄目であった。シンは大人しく小猫の帰りを待とうとしたとき、ピクシーがふらふらと傍観者が居たと思わしき場所に飛んでいく。
「あれ? うーん」
ピクシーはその場で止まり、考える様な表情となる。
「どうした?」
「あのね、ここにいたのはあたしと同じかも」
ピクシーの発言にシンは軽く目を張る。
「分かるのか」
「うん。あたしと似た匂いがするし」
「塔城は何も感じなかったぞ」
「分かるわけないよー。妖精の匂いは妖精にしか分からないし」
ピクシーの言葉で、この場居たのが間違いなく妖精であることが判明する。そして、次に湧いた疑問をシンはピクシーに問う。
「同じというと、お前と同じピクシーか?」
「違うよ」
シンの疑問をあっさりと否定する。
「同じ妖精でもあたしも初めての匂いだもん。絶対にあたしと同じピクシーじゃないよ」
一つの疑問が解決し、また新たな疑問が浮かび上がる。この場に居たのは間違いなく妖精であるが、ピクシーとは別の妖精。その妖精が一体何の目的でこちらをみていたのか。合宿初日にもかかわらず、また一つ厄介なことが起きるのではないかと思い、シンは心の裡で溜息を吐くのであった。
◇
「おりゃああ!」
気合だけは十分と感じさせる一誠の叫びに合わせ、上段に構えた木刀を木場の頭上目掛けて振り下ろす。剣術に関しては初心者である一誠の剣戟ではあるが、悪魔の力によって降ろされる速度は熟練者のそれに匹敵する。
直撃すれば脳天が割れるだけでは済まない一撃を、木場はいつもの爽やかの笑みを浮かべたまま、その場で半歩だけ後退をする。ただそれだけの動作で、一誠の攻撃は木場の鼻先をかすることなく外され、木場に対して出来たことと言えば、剣の風圧で僅かに前髪を揺らしただけであった。
狙いから外れた木刀は勢いよく地面に打ち下ろされ砂利と土を巻き上げ、その反動を前のめりになっている一誠の腕へと伝えていく。
「いっ!」
その衝撃に一誠が痛みを訴えようとするよりも速く木場の木刀が、一誠の木刀を握っている利き手ギリギリの部分を打ちつけ、一誠の手から木刀を叩き落とす。
「余分な力は、相手に反撃をする機会を与えるよ」
木場は一誠への助言と共に木刀の切っ先を一誠の喉元に突き付けた。
あっさりと敗れてしまった一誠、その顔には悔しさが滲みでているが、それと同時に木場の技量を素直に驚いている部分もあった。
「ああ、くそ! また負けた!」
片手で髪の毛を激しく掻き乱しながらも、もう片方の手で落とされた木刀を拾い上げる。技量の差を見せつけられながらも、放棄することなく自分を研鑽しようとする一誠の態度に、木場は感心をする。
何気ない態度でその人間の物事に対する気持ちが浮き彫りになって見えてくることがある。一誠は何度も木場にあしらわれながらも、その度に頭を捻りながら文句を言わずに練習の続行を促す。そういった姿勢に木場は好感を持つのであった。
「まだ終わりじゃないよ。次、いくよ?」
「かかって来い!」
木場に勇ましく応える一誠。木刀を握りしめ、変わらない気迫を見せる。
「いくぞ! うりゃあああ――」
「ごめん、待って」
「――りゃああ! ……ああ?」
いざ開戦と言わんばかりに飛び込もうとしてきた一誠に待ったをかける木場。その視線は一誠から外れ、近くの茂みに向けられていた。視線を向ける木場には笑みは無く、威圧を込めた真剣な表情となっている。
「どうしたんだ?」
「視線を感じたんだ。あそこからね」
木場の視線は依然、茂みに固定したまま。只事ではない雰囲気に一誠の表情も緊張を帯びたものになり、木場と同じ場所に視線を向ける。
「そこにいる誰かは分からないけど、今から三つ数えるよ。それまでに姿を現さなかったら少々手荒な真似をさせてもらう」
茂みに向かい警告をする木場。しかし、変化はない。
「一つ」
茂みに変化は無く、その向こう側にいる相手は出て来る気配を見せない。
「二つ」
自然と一誠の木刀を握る手に力が入り、固唾を飲んで見守る。
「三つ」
数え終えた瞬間、茂みは激しく揺れ動き、左方向へと葉を揺らし何者かが駆けていく。それを見た木場は即座に行動を始める。『騎士』の能力を最大限にまで生かし、葉の揺れ行く先に先回りをすると、その木刀で隠れている存在を曝け出す為に茂みを薙ぎ払う――が、葉を宙に舞わすだけの結果に終わり、剣戟によって裂かれた茂みの中には誰も居ない。
「んー、一杯喰わされちゃったかな」
木場から先程の真剣な表情は消え、困った笑みを浮かべて木刀の先を動かして、茂みから何かを出してくる。
「何だこりゃ?」
「氷の塊だね」
木場の言う様に茂みから出てきたのは拳ほどの大きさの、丸く固められた氷であった。これで派手な音を出し、注目を集めてその隙に逃げたんだろうね、と木場は氷の塊からそう推測した。
「氷って……今の季節じゃありえないだろ」
「そうだね。ただ、作るのは不可能という訳でもない。僕らみたいな存在だったらね」
木場の言葉にハッとした様な表情になりながら、一誠は目の前に広がっている森へと目を見る。
「この山には何かがいるね」
◇
グレモリー家所有の別荘の前で、一誠、シン、アーシア、ピクシー、朱乃は座り、朱乃から直々の魔力についての説明を受けていた。
この場には居ないリアス、木場、小猫は、木場や小猫たちから聞かされた不審者の話を聞き、リアスが念の為にその存在を探す為に山の中を探索している。
ただし、あくまでこの山での目的は訓練の為であり、探索自体朱乃の訓練で空いた時間が出来たために、とりあえず行っている。
向こうがこちらに対して、明確な悪意を持った行動をとらない限り、こちらも本腰を入れて行動はしない。それがリアスの考えであり、皆も特に反対することなくその意見に賛成した。気にはなるが、今の所はただ見られていたというだけに過ぎない。
あくまで優先するのはライザーとのレーティングゲームに向けての特訓である。
「あらあら、そんなに乱暴に魔力を集めてはだめですよ」
顔を真っ赤に染め、唸りながら左手に力を込める一誠の様子を見て、やんわりとした口調で朱乃は注意をする。
「魔力には流れというものがあるのよ。それに沿って意識を集中させ、一点へと集める。イッセーくんのやり方だと、例え集められても魔力が止まり続けることが出来なくなって暴発してしまいますよ。肝心なのは魔力の流れをイメージすることですよ」
「ぼ、暴発ですか」
「はい、下手したら死にますわ」
朱乃の物騒な発言に一誠から冷や汗が流れる。そのせいで赤く染まっていた顔は逆に青褪めていた。
何度も朱乃から魔力の扱い方のコツを聞かされていた一誠であったが、なかなか感覚を掴むことが出来ずに苦戦をする。そんな中、アーシアが出来ましたと声を張った。
一誠たちの見ている前で、アーシアの手の中に緑の光を放つ魔力の塊が作り出される。大きさは拳大程であり、揺らぎなどなく一定の形を維持し続ける完璧なものであった。
上々の出来に朱乃はアーシアを褒め、ピクシーもまた朱乃と一緒に褒める。
その様子を見て一誠も負けじと魔力の塊を作ろうとするが、出来たのは目を凝らさなければ見えない程の極小で今にも消えそうな魔力の塊であった。
「ダメダメだね」
それを見ての直球なピクシーの評価。その言葉に一誠は肩を落とし、その拍子に魔力の塊も消える。
「ピクシー、お前も朱乃さんみたいにアドバイス出来ないのか?」
「無理! だって生まれたときから出来て当たり前のことなんて一々説明できないよ」
ピクシーは右手の人指し指を立てそこに魔力を容易く集めると、それを簡単に青白い火花へと変え、小規模な雷を生み出す。普段から特に考えずに行っている呼吸の仕組みを正しく理解し、なおかつそれを他人に完全に理解させるのが至難の技の様に、ピクシーは魔力というものをほぼ無意識に理解して使用しているため、それを上手に扱う才は有ってもそれを教えるという才は無かった。
ピクシーの言葉に脱力する一誠が横目でシンの出来も確認する。シンは黙って右手を見ていたが、やがてその掌から白色の光を放つ魔力の塊が現れる。アーシアとほぼ同等の大きさのそれを睨む様に見詰め、更に何かをしようと集中し額から汗が流れ落ちるが、魔力の塊に変化は無く、シンもこれ以上は無駄だと思ったのか掌の魔力を掻き消してしまった。
「あらあら、間薙くんも出来ましたね」
「――はい、一応」
朱乃が褒めるが、シンの反応は若干薄く、歯切れも悪い。
シンは少し考える様な仕草を見せた後、軽く息を吸い込み一誠たちから顔を背けると誰もいない方向へと向かい吸った息を吐き出す。吐き出された息は冷気と化して白く染まり、どのようにして飛んでいくかを宙に軌跡を描いて示す。軽く吐き出した為、冷気は二、三メートル程の距離で霧散した。
「うおっ! いきなり何してんだ! ってお前、そんなことが出来たのか!」
突然の奇行とも取れるシンの行動に一誠、アーシアが目を丸くする。今更ながら、この力を二人に見せていないことをシンは思い出し、どういった経緯で使える様になったのかを軽く説明をした。
「やるなら事前に何か言えよ、いきなり吹き出すから吃驚しただろ。……何かお前、俺よりも悪魔らしくないか?」
「凄かったです、いまの! 私も出来るようになるんでしょうか?」
既視感を覚える両者の反応。そこに朱乃が自分の頬に手を当て尋ねてきた。
「私も使う所を見るのは初めてでしたから驚きましたわ。でも、何故いきなりその力を使ったんですか?」
「少し、確認したいことがあったので――」
シンは皆に何故この様なことをしたかの説明をする。シンは、先程魔力の塊を生み出した際その魔力を冷気に変換できないか、試していた。が、予想に反して魔力は塊のまま一切の変化は無く、その後以前の様に吸い込んだ息を冷気に変えて吹き出してみたが、こちらの方は拍子抜けがする程簡単に出来た。
魔力の変換と操作には強く、明確な想像が必要となる。これにより先程のピクシーの様に魔力を電撃に変えたり、火や水を何も無い場所から生み出すことが出来る。だが、シンの場合、何故か体内で取り込んだ空気を冷気に変換することは可能なのにもかかわらず、魔力そのものを冷気には変換できなかった。
「もしかしたら、間薙くんの体内でそういう風に変化する仕組みが出来上がっているのかもしれませんね」
シンの説明を聞いての朱乃の意見、その意見には非常に心当たりがあった。実際、この力を身に付ける前にあった体の不調、その不調の間に自分の体が内側から知らないうちに改造されているたのかと思うと、ますます自分が人間離れしていくのを嫌でも実感してしまう。
「でも、それが出来るならいずれ魔力を変化させることもできますわ。まずは焦らずに魔力の操作から始めましょう。何事も段階を踏むのが一番ですわ」
そう言って朱乃も右手の人指し指を立てる。すると、ピクシーの指の先で火花を散らせていた雷が朱乃の指先へと伸びていき、ピクシーと朱乃の間に雷の線を作り出した。
「すげぇ……」
その光景に素直に一誠は驚き、アーシアも感動した表情となる。二人の羨望の眼差しが心地よいのかピクシーは自慢げに胸を張るが、実際に凄いのは朱乃であり、自分の手柄の様にしているピクシーにシンは呆れた視線を向けた。
そして、シンとアーシアは魔力操作の練習の為に朱乃から水の入ったペットボトルを渡され、それの中の水を操作するようにと指示を出された。
言われた通りに練習を開始するシンとアーシア。その最中、ふとシンは一誠の方へと目を向けた、そこでは何故か一誠が朱乃から様々な種類の野菜を手渡されている。
「それで何かするつもりか?」
気になりつい声を掛ける。
「ふふふ、今は秘密だ」
そう言って笑う一誠の顔が邪念に塗れて見えたのは、決してシンの見間違いではなかった。
その後、リアスたちが探索を終えて戻ってきたが成果は無しであった。広い山の中で探すのは人数的にも時間的にも限界があり、この件は直接的な被害が出るまで一旦保留するという形になり、喉に引っ掛かるものを感じつつも目の前の訓練に集中することとなった。
◇
「はいはい、二人とももっと速いペースで登りなさい!」
手を軽く叩きながら、シンと一誠を叱咤するリアス。その声を聞いて二人はペースを上げるが、その変化は微々たるものであった。しかし、それは無理も無いことであった。一誠は背中に巨大な岩を縄で括りつけられ、シンの方は手頃な岩が無かったので代わりに水が満タンに入ったポリタンクを体に幾つも巻きつけられた状態で山を登っている。
荒く息を吐き、絶え間なく汗を流しながら、黙々と山を登っていく二人。その甲斐あってか二人は途中で潰れることなく頂上に着くことが出来た。
「頂上に着いたわね。シン、とりあえずあなたはその状態で腕立て伏せね」
シンのみに指示を出すリアス。当然、指示の無かった一誠はリアスの顔を見る。
「あの、部長。俺は?」
「あなたの相手はこの子」
リアスが指差すと、そこにはいつの間にかピクシーが飛んでいた。
「思いっきりやればいいんだよね?」
「ええ、でも少しだけ手加減してあげてね」
リアスとピクシーのみに通じる会話に一誠は疑問符を浮かべるが、次に起こしたピクシーの行動にその疑問も吹き飛んだ。
「えい!」
ピクシーが指を向けると、そこから電撃が発せられ一誠の足下に直撃。土の一部は焦げ、穴が開く。
「え…えっ! ちょっ、ちょっと待てピクシー!」
「一誠、そのままピクシーに追い掛けられながらさっきの山道を往復してきなさい。それとその間、ピクシーが適当なタイミングで電撃を飛ばしてくるから避けてね」
容赦の無いリアスの言葉。一誠の顔が青白くなっていくが、それすら許そうとはしないピクシーの二発目の電撃が否が応にもリアスの言葉に従わなければならないということを示した。
「い、い、いってきまーす! おりゃああああああ!」
「きゃははは! 待て、待てー!」
ヤケクソな一誠の叫びとピクシーの楽しそうな笑い声が、夜の山道の中へと消えていく。
「シン、あなたの腕立て伏せもイッセーが戻ってくるまでの間だから。その後はイッセーと交代よ」
「――はい」
実に悪魔らしい容赦の無い訓練にシンは首を縦に振って従い、運んできたポリタンクを全て背中に乗せられた状態で黙々と腕立て伏せを行い始める。
数十秒後、一誠と思わしき悲鳴が夜空に木霊した。
◇
「美味ぇぇぇ!」
一日中続いた特訓を終えた一誠が、夕食の川魚の塩焼きに噛り付いた一声がそれであった。
シンの方も一誠の様に言葉に発しなくとも、テーブルの上に置かれた数々の料理に舌鼓を打つ。心なしかその表情はいつもの無表情ではなく、分かる者にしか分からないが、幾分か柔らかい表情であった。
シンは川魚の塩焼きを齧る。養殖の魚とは違い油は少ないが、野生で育った無駄の無い引き締まった身が心地よい歯ごたえを感じる。次に更に盛られている焼かれた肉を箸で摘み、口へと放る。リアスが山の中で仕留めたという猪の牡丹肉は、きちんと血抜きをしてあるのか獣臭さは感じず、胃の中に流れ落ちるかの様にさらりとした脂身に、豚肉とは違う赤みの味わい、塩というシンプルな味付けのおかげで、猪の旨味を直に感じられた。
一誠は箸を止めず、ひたすら目の前の料理を食らっていく。小猫は淡々としたペースで箸を進めているが、食べた量はいつの間にか一誠を超えていた。木場はマイペースで箸を進め、リアスはがっつく一誠を微笑ましく見ている。
この数々の料理を作った朱乃は美味そうに食べる一誠を楽しげに見て、一誠のお椀が空になりそうになったら、椀にご飯を盛っていく。その様子をどこか寂しげに見ていたアーシアが何やら二、三言一誠に言うと、一誠は何かに気付いた表情となりテーブルに置かれているオニオンスープを手に取って一気に飲み干し、賛辞をアーシアに送るとアーシアは赤面した顔でおかわりを空いた容器に注ぐ。それを見ていたピクシーは小分けされた山菜のサラダを食べる手を止め、アーシアに声を掛ける。
「アーシア、あたしもちょうだい!」
「はい! 少し待ってて下さいね。おかわりは十分にありますから!」
騒がしくも楽しい夕食を終え、食後のお茶を朱乃が淹れると皆の前に置いていく。リアスはそれを一口飲むと、一誠、シンに話し掛けた。
「さて、二人とも。今日一日の特訓はどうだった? 率直な意見を聞かせて」
シンは持っていた茶をテーブルへと置き、一誠はそれを一気に飲み干してからそれぞれの思いを言う。
「色々と足りない部分が多すぎでした」
「……俺が一番弱かったです」
一誠の言葉に、微かにシンの眉が跳ねる。しかし、それは微弱なものであった為、誰も気付くことはなかった。
「確かにそうね」
二人の意見にリアスは頷き、肯定をする。
「朱乃、祐斗、小猫はゲームの経験は無くても実戦の経験は豊富だから、ゲームとの間に有る差はすぐに埋められる筈だわ。シン、あなたはイッセーとアーシアよりも実戦を経験しているけど、まだまだ技量は足りないわ。でも、未熟な状態でも窮地を生き抜くことができる力や技量以外のものを持っている。それは、中々身に付けることができないもの、あなたにとっての武器になるものよ」
力や技量ではない武器。その言葉がシンの頭の中に残る。
「イッセーとアーシアは実戦経験は皆無だけど、二人とも『神器』を持っているわ。アーシアの『聖母の微笑み』、あなたの『赤龍帝の籠手』。その二つは相手にとっても無視できないもの。最低でも、それを活用して逃げるぐらいの力は欲しいわね」
逃げるという言葉に少なからず抵抗感を覚える一誠であったが、リアスは逃走も戦術の一つであり、相手から逃げ切ることも実力であると丁寧に説明する。逃げる時に逃げずに戦い、反撃の機会を失う方が無謀であり、強敵に背を向けてただ逃げるのもまた無謀。
この合宿の間にきちんとした逃走の方法を教え、そして、真正面から戦う術も教えるとリアスは言う。一誠とアーシアはその言葉にきちんと頷き、了承の意志を言葉にする。それを見てリアスも満足そうに頷いた。
「じゃあ話も終わったから、お風呂でも入りましょうか。ここは温泉だから素敵よ」
その一言で、今まで神妙な顔をしていた一誠の顔が一気に煩悩で染まる。
「僕は覗かないよ」
「同じく」
その表情から一誠の内心を悟り牽制をする。一誠の煩悩に染まった顔が今度は動揺一色となった。
「あら、イッセー。一緒に入りたいの?」
どこか悪戯っぽく聞いてくるリアス。内心を聞かれた一誠は縮こまるが、別に構わないわ、というリアスの言葉に愕然とした表情になる。
続いてリアスが朱乃に混浴することを聞くと、あっさりと了承、一誠の表情が喜色に染まる。その次にアーシアに聞くと、恥ずかしながらも了承、喜色の色が更に濃くなる。三番目に聞いたのはピクシー、即答で了承。ついでにシンも一緒に入るよう誘ってくる。一誠の喜色は更に増し、シンは顔を顰めた。
そして最後に聞いた小猫の返答は――
「……いやです」
――断固とした拒否。
喜色に染まりきっていた一誠の表情は、亡者の如く全てを失ったかの様な絶望一色となった。
それでも諦めきれない様子の一誠であったが、覗いたらどうなるかを言外に示した小猫を前に呆気なく消沈。女子一行が温泉へ行くのを指を咥えて見ているしかなかった。
落ち込む一誠の肩に木場が手を置く。
「イッセーくん、僕と裸の付き合いをしよう。背中を流すよ」
「――木場、マジで殺すぞぉぉ!」
「許してやれ。木場は冗談のセンスだけは皆無なんだ」
怒り狂う一誠を宥めながら、シンたちも汗を流す為に温泉へと向かう。
そして、誰もいなくなり静まった食事の場。
それを見計らって木陰から何かが出て来る。その何かは置かれていたクーラーボックスを開ける。その中からキュウリやナスなどの野菜を両手一杯に持つと、何かは独特な歓声を上げてその場から去って行ったのであった。
「ヒーホー!」
合宿編が本格的に始まりました。
大体、二、三話で終わりライザーとの戦いに入っていく予定です。
前回、最後に出てきた存在には殆どの人が分かってましたね。
次回も待っていて下さいヒーホー。