今日から本格的な京都での観光が始まる。だが、アザゼルやセラフォルー、京都の妖怪たち英雄派などの存在が気になって折角の修学旅行に集中出来ない──などという軟で繊細な神経の持ち主など少なくともシンの知っている中にはいなかった。
「見ろ、アーシア! 清水寺だ! 異文化と異教徒の文化の粋が集まった寺だ!」
「は、はい! 文化の歴史を感じます!」
「異教徒万歳ね!」
引っ掛かる言葉を言いながらも感動してはしゃいでいる異教徒三人娘。もしかしたら、妖怪や『禍の団』が襲って来るかもしれない、という恐れを抱いている様子は無い。
日頃、襲撃を受けているせいで良くも悪くもその辺りを上手く切り替える術を覚えていた。
裏で何が起こっているのか全く知らない松田、元浜、桐生も学生らしく修学旅行を満喫している。尚、この観光にケルベロスは同行していない。一応付いてくるか確認をしたが『興味ナイ』と一蹴されてしまった。今頃は高級なベッドの上で丸まって寝ている頃であろう。
松田は絵になる三人娘を写真で撮っていると、桐生が不満そうに松田を突く。
「ちょっと、私は撮らないの?」
「お前だけ撮ってもなー」
半眼で文句を言う桐生に対して松田も気が乗らないという態度をとる。とは言ってもどちらも本気では無い。悪友同士のじゃれ合いみたいなものである。
「じゃあ、追加で」
桐生は一誠とシンの腕を引っ張って松田の前に立つ。
「桐生と野郎二人かよ」
松田は不満を言っていたが表情は半笑いであった。
「ほれほれ。アーシアとばっか撮られていないで兵藤も偶には私と写りなさい」
「へいへい」
「間薙君もね。ほれ、ピースピース」
桐生に促されてシンが仕方なくピースサインをした途端、カメラを構えていた松田が噴き出した。
「ブホッ! お、お前……すっげぇピースが似合わねぇな……! ぷ、くくく! ビックリしたわ」
たかがピースサイン一つで松田が過剰に反応──している訳でなく、松田の隣にいた元浜も笑っていた。何なら一誠とピースサインを進めた桐生も笑っている。言われたからしたというのに何とも酷い反応である。
シンがピースサインを止めると一誠と桐生がそれを止めようとする。
「悪い、悪い。そんな拗ねんなって」
「笑っちゃってごめんねー。何か凄い珍しいものを見たような気分になったから。という訳で気を取り直して、ほらピースピース」
色々と不満があるがここで揉め続けるのも仕様もないことだと思ったので、仕方なくまたピースサインをする。
そして、撮られる記念の一枚。被写体よりも写真を撮っている松田の方が最後まで笑い続けていたのである。
◇
観光は順調そのものであった。清水寺の次は銀閣寺へ向かった。そこでゼノヴィアが銀閣寺が銀色でないことに酷くショックを受けていた姿が銀閣寺よりも印象に残ったのがシンとしては何とも言えない。
銀閣寺が銀じゃないショックを引き摺ったまま今度は金閣寺へ着く。
「金だっ! 今度こそ金だぞっ!」
金閣寺を見たゼノヴィアの開口一番がそれであった。銀閣寺で期待を裏切られていた分、期待通りであった金閣寺に異様なテンションになる。
「金だぞぉぉ!」
子供の様にはしゃぐゼノヴィア。そんな無邪気な様子を松田が写真に撮っている。
「チョー喜んでいるな、ゼノヴィア」
「……ああ」
ゼノヴィアの喜び具合に圧倒されて苦笑している一誠がシンに話し掛けるが、シンの方はやや硬い声で返す。その微妙な声の変化に一誠はシンが何かに警戒していることを悟った。
シンは徐に携帯電話を取り出し、金閣寺を見ているゼノヴィアを写真に撮る。そして、写し出された画像を一誠に見せるが、写し出された画像はゼノヴィアを中心に撮っておらず、見知らぬ観光客らしき女性が中央に写っていた。
「──見ろ」
声量を抑え、一誠にしか聞こえない様にする。
「この人がどうかしたのか?」
一誠もそれを倣い小声で話す。
「銀閣寺からずっとこちらを監視している」
「マジかよ……英雄派か? それとも京都の妖怪か?」
「直感だが……後者の感じがした。雰囲気からして人じゃない」
「金閣寺も妖怪さんの縄張りか……」
一誠は気付かれない様に写真に撮った女性を見る。一旦気付くと四方八方から似た様な視線を浴びせられていることにも気が付いた。
(ドライグ)
『ああ、間違いなく見られているな。安心しろ。相棒の自意識過剰では無いぞ?』
ドライグが冗談交じりで返しに小さく笑うが、現状は全く笑えるものではない。他に観光客が居る状況ならいきなり襲って来る可能性は低いと思われるが、こちらには事情を知らない一般人の松田、元浜、桐生が居る。
観光故にいつまでもこの場に留まっている訳にもいかず、ここから離れたら相手がどう動くか分かったものではない。彼らが巻き込まれることを危惧しておく必要がある。
「オンギョウキさん、説得に失敗したのか……?」
「分からない」
「もし、そうだとしたらアザゼル先生やレヴィアタン様は大丈夫なのか……?」
「それも分からないが、先生ならトラブルが起きたらすぐに俺たちに連絡を入れる筈だ」
アザゼルの抜け目無い性格は二人も良く知っている。
「──ああ、そうだな」
一誠もシンの言っていることに同意した。
「なら、アーシアたちには教えておかないと」
シンは少しだけ考えた後に自分の考えを言う。
「今は止めておけ。もしかしたら向こうに勘付かれるかもしれない」
シンの考えも一理あるとは思うが、このまま三人を無防備にすることへ難色を示す。
「……大丈夫か?」
「これだけ視線が向けられているんだ、今ははしゃいでいるがゼノヴィアとイリナなら気付く筈だ」
教会の戦士として鍛えられてきたゼノヴィアとイリナなら不自然な視線に気付くと判断する。
「それなら、まあ、そうかなぁ……」
歯切れが悪いが一応理解は示していた。
「こういう時に小猫ちゃんがいれば、誰が妖怪か分かるのに……」
ないものねだりをし、溜息を吐く一誠。
「正確性に欠けるが似た様なことはお前にも出来るだろ?」
シンにそんなことを言われ、頭にクエスチョンマークを浮かばせる一誠。
「ほら、あるだろう。女性限定で心の声を聞くアレが……」
わざわざ遠回しに言うのはシンがその名を口に出すのも嫌だと思っているからである。
「あ、そっか。『乳語翻訳』なら!」
当の本人がやっと気付く。少なくともそれを使えば女の妖怪の数を把握出来るし、相手がこちらに対して敵対心を持っているかどうかも分かる。
「バレずにやれよ」
「おう! 行くぞ!」
一誠は目を閉じ、脳内に魔力を集中させていく。これにより一誠を中心にして摩訶不思議な空間が広がっていく──筈だったのだが。
「──くっ!」
眉間に皺を寄せて苦悶に満ちた表情をする一誠。表情が段々と険しくなり、力を込めているせいで顔が真っ赤になっていく。
「駄目だ……! 出来ない……!」
一誠は悔しそうな表情で『乳語翻訳』の不発を告げる。
「どうかしたのか?」
「力が……力が足りない……乳の力が……!」
頭の悪過ぎる言葉にシンはこの時点で真面目に会話する気が無くなるが、やれと言ったのは自分の方からなので一応続きを聞く。
「……どういう意味だ?」
「一日……たった一日、部長と朱乃さんと離れただけでここまで力が低下するなんて……! くそ! 離れてから初めて気付くなんて! どれだけ俺はあのおっぱいに支えられていたんだ……!」
一人でシリアスに語っているが内容は変態過ぎて今度こそ会話する気が失せる。
女性の胸関連で天井知らずに上がっていく一誠の魔力もリアスが居ない今は伸びが悪い。加えて他の女性たちの胸で補充しようにも同室にシンが居たせいでそれも叶わなかった。
ならば自慢の妄想力でそれをカバーするしかないが、残念なことに今の一誠の現実は一誠が妄想で思い描いていたものよりも過激で素敵なものであった為、現実が妄想を超えてしまったことで妄想力もすっかりと落ちてしまった。
「突けば……突くことが出来たのなら……」
上がらないモチベーションに一誠は嘆く様に言葉を零す。
「……お前の相棒は本当に馬鹿だな」
『……言わないでくれ』
シンの改まった感想に対し、ドライグは泣きそうな声で答えるも否定することはしなかった。
結局、乳語翻訳が不発に終わり、周りの視線を感じながら休憩所のお茶屋で一休みすることとなった。
抹茶と和菓子を楽しむ桐生たち。アーシアは慣れない抹茶をチビチビと舐める様に飲んでいる。
同じくゼノヴィアとイリナも食べ慣れていない抹茶と和菓子に手を付ける──ことはせず真剣な表情で目だけを動かして周囲の確認をしていた。
「そんなに怖い顔をするな……バレるぞ」
ゼノヴィアたちもまた監視されている状況に気付いたのが分かり、シンは抹茶を飲みながら日常会話の様に注意する。
一誠とシンがこの状況を分かっていることを知り、ゼノヴィアとイリナは不自然にならない様に和菓子と抹茶を食し出す──が相変わらず怖い顔付きをしていた。
「バレるバレる。取り敢えず笑っておけ」
一誠が仕方なくアドバイスを送る。それに従って笑顔を浮かべる二人だったが──
「どうだ?」
「どうって……何というか……」
「人を殺せそうな笑顔だな」
一誠の思っていることをシンが代弁する。
鋭い刀剣の様な眼差しのまま口を引き攣らせて笑うゼノヴィアは仕事で人を殺しそうな顔。一見すると笑顔だが目の奥が全く笑っていないイリナは趣味で人を殺しそうな顔、という印象であった。
シンの容赦の無い評価に二人は少なからずショックを受ける。
「そんなに酷かったか……?」
「私、そんな顔をしてたの?」
ペタペタと自分の顔を触る二人。その年相応の振る舞い方が返ってカモフラージュになる。
いつまでこんな状況が続くのかと考えていた矢先、何かが倒れる音がした。
桐生、松田、元浜がいつの間にか横たわって眠っている。先程まで軽口を言い合っていた三人が急に眠るなどあり得ない。
異常事態だが周りに心配する者はいなかった。お茶屋の中の他の観光客もまた桐生たちと同じ様に眠っている。
ならば外の観光客ならば異変に気付くのではないかと思われたが、外の観光客は何も疑問に思わずにお茶屋の前を通り過ぎて行く。お茶屋の出入口で眠っている観光客が居るにも関わらず。
どうやらこのお茶屋全体に外と隔離する結界か術が施されているらしい。
シンは静かに女店員の方を見る。女店員の頭部からは獣耳が生え、大きな尻尾も出ている。もう姿を隠すつもりは無い様子。
桐生たちと店員の変化に驚いているアーシアを背後に隠し、ゼノヴィアとイリナが前に立っていつでも武器を取り出せる様に構える。
一誠も左拳を握り締めており、いつでも『赤龍帝の籠手』を顕現出来る状態となっていた。
「待ってください」
それに待ったを掛けたのはシンたちも良く知る声。
「ロスヴァイセさん!」
ロスヴァイセの登場。一誠らは店員たちを警戒しながらもロスヴァイセの方を見る。
「警戒を解いて下さい。私たちに対する誤解は解けました」
ロスヴァイセの言葉に一誠たちは安堵の息を吐く。最悪の状況を想定していたが、事態は上手く運び停戦となった。
「九尾のご息女が貴方たちに謝りたいと言うので、アザゼル先生の代わりに迎えに来ました」
ロスヴァイセが告げると女店員が前に出て深々と頭を下げる。
「私たちは九尾の君に仕える狐の妖でございます。先日は申し訳ございませんでした。つきましては正式な謝罪の場を我らが姫君がご用意しておりますので、どうか私たちについてきて下さいませ」
早く言ってくれれば無駄に気を張る必要も無かったと思ったが、襲撃を受けた昨日の今日の話である。京都側も悪魔側が素直に自分たちの話を受け入れるとは思っておらず話が拗れることを恐れてロスヴァイセの口から伝えられるのを待っていたのであろう。
「ついて来て欲しいって何処へ?」
「我らが京の妖怪が住む裏の都です。魔王様も堕天使の総督殿も先にそちらへいらっしゃっております」
妖怪側の遣いに言われるがままお茶屋から出る。桐生たちは取り敢えずお茶屋で寝かせておいた。
向かった先は金閣寺の外れにある人気の無い場所。そこには古びた鳥居が設置されていた。
案内役の妖怪に先導されて鳥居を潜ると世界が一転して別世界へと繋がる。
今となって希少と言える古い家屋群。光源の少ない薄暗い空間にそれに合ったひんやりとした雰囲気の独特の空気が流れている。
人の住人は居らず、目に映るのは河童や立って歩く狸、一つ目の巨大な顔などの妖怪たちのみ。
本や話の中で登場する生物たちがこちらに好奇の目を向けてくる。
狐の女性に先導されて九重のいる場所へと向かうシンたち。光源が少ないが悪魔で夜目が利く一誠たちにとってはあまり不便ではない。
狐の女性が言うにこの空間は悪魔がレーティングゲームで使う専用空間を作り出す技法と同じ様な技術を使用しており裏街、裏京都と呼ばれて多くの妖怪が身を置いているとのこと。勿論、この裏京都以外にも住む妖怪が居ると説明する。
歩いているとシンの視界の端に提灯が映る。顔を向けると吊り下げる場所も無く浮いていた。
すると、提灯に目と口が現れて突然笑い出す。
「うきゃきゃきゃきゃ」
提灯お化け、或いは化け提灯と呼ばれる妖怪であった。シンを驚かそうとする提灯お化けであったが──
「うきゃきゃきゃ」
「……」
「うきゃきゃきゃ」
「……」
「うきゃきゃ……」
何一つ反応を見せずに無言で見ていると提灯お化けの方が怖くなったのか、涙目になって逃げる様に何処かへ行ってしまう。
「お前、少しぐらい反応してやれよ……」
見ている方が居たたまれなく程のノーリアクションだったので一誠はシンを肘で小突きながら窘める。
「柄じゃない」
シンは素っ気無く返すだけであった。
家屋が建ち並ぶ場所を抜けると小さな川が見え、目的の場所はそこを通過した先の林の中にある。
林の中を進むと金閣寺で見た鳥居よりももっと巨大な鳥居が見え、その向こうには威厳と歴史を感じさせる屋敷が建っていた。
鳥居を潜った先にアザゼルとセラフォルーが待っている。
「お、来たか」
「やっほー、皆☆」
アザゼルはスーツ、セラフォルーは着物と柄は違うが同じ格好をしている。大丈夫なのは分かっていたが、実際に無事な姿を見ると一安心する。
そして、二人の奥には金髪狐耳の少女──九重が立っている。昨日の巫女装束ではなくお姫様を連想させる豪華な着物を纏っていた。
九重の姿が見え、一誠はギョッと目を剥く。九重に驚いたのではなく、彼女を守る様に三方向に立つスイキ、フウキ、キンキの姿に驚いたのだ。
周りをデカい鬼が囲っているせいで九重が余計に小さく見えてしまう。
三鬼は一誠の姿を見つけるとスイキは馴れ馴れしく手を振り、フウキはニタニタと笑い、キンキは眼中に無しと言わんばかりに無視する。
三鬼とも態度は異なっているが、共通していることは一誠を襲ったことに対して何一つ悪びれる様子が皆無な点である。
「九重様。皆様をお連れ致しました」
報告を済ますと狐の女性は炎と共に消えてしまう。
「私は表と裏の京都に住む妖怪たちを束ねる者──八坂の娘、九重と申す」
何度か名前を聞かされてきたが、本人の口から自己紹介という形で初めて聞く。九重は名乗った後に深々と頭を下げた。
「先日は申し訳無かった。お主たちを事情も知らずに襲ってしまった。魔王レヴィアタン殿、堕天使総督アザゼル殿、そして我が忠臣であるオンギョウキの執り成しが無ければ取り返しのつかないことをしてしまったかもしれぬ。どうか許して欲しい」
先日会った時の感情的な印象はすっかりと消え、今は意気消沈している様に見た。本人も間違いであったことを認め、大いに恥じている様子。
小さな身体が余計に縮こまって見える。
そして、小さな子供が頭を下げている傍で命令されたとはいえ、直接暴力を奮ってきたスイキたちは頭を下げることなく他人事の様に棒立ちしている。
自分たちの主が頭を下げているのにこの態度である。図太いと言うべきか、無神経と言うべきか。
(こいつら……)
礼儀に対してうるさい一誠では無いが、反省の色が皆無のスイキたちの姿を見ると文句の一つも言いたくなってくる。
刹那、風が吹き抜けたかと思えば突然スイキたちの顔面が地面へと叩き伏せられ、一誠たちに土下座をする格好となる。
「私からも謝罪致します。この度のこと誠に申し訳ございません」
いつの間にかオンギョウキが一誠たちの前に現れたかと思えば、その場で躊躇することなく土下座して謝罪する。
前に出会った時の堂々とした隙の無い立ち姿とは異なり、額を地面に擦り付けて謝罪するオンギョウキの様に優越感など覚えずに罪悪感の方を覚え、逆に申し訳ない気持ちになってしまう。
「や、止めよオンギョウキ! お主までそんな真似をする必要なぞ無い!」
「いえ。主が頭を下げているのに臣下である私が頭を下げないなど道理ではございません。──そうだな? お前たち」
オンギョウキが念を押す様に問うと、スイキは地面に顔を付けたままくぐもった声を出す。
「その通りですー」
「申し訳ないー」
「スマナカッタ」
一応は謝る三鬼。
一誠たちもそれ以上は責める気もなかったので全員に頭を上げる様に言う。
「ほ、本当に良いのか?」
九重はまだ気にしている様子であった。
一誠は九重の目線を合わせる為に軽く屈む。
「まあ、色々と気にすることはあるだろうけどさ、九重は謝った! 俺達は許した! それでこの話はお終いだ。な?」
笑顔で言い切る一誠に九重は顔を赤くしてもじもじしながら答える。
「……ありがとう」
お互い納得し、この話は終わる。
「流石はおっぱいドラゴン。子供の扱いが上手だな」
「ちゃ、茶化さないで下さいよ。当然のことを言っただけですから」
揶揄い半分感心半分で褒めるアザゼルに対し、一誠は謙遜しながら恥ずかしそうにする。
それでもアザゼルが褒めるのを止めないと、それに便乗してアーシア、イリナ、ゼノヴィアも褒め出す。終いには子供を慰める一誠の態度のロスヴァイセも見直す。
「だから止めてくれって……間薙も何か言ってやってくれ」
「安心しろ。俺の中ではお前はずっと破廉恥な奴だ」
「それはそれでどうなんだ……?」
極端過ぎる評価の差に一誠はどう反応していいのか困ってしまう。
一誠がおっぱいドラゴンらしさを見せる一方で焦燥を覚える者たちも居た。
「い、いけないわ! こんなの絶対におっぱいドラゴンを好きになるじゃない! 魔女っ子テレビ番組『ミラクル☆レヴィアたん』の主演として女の子のハートをガッチリ鷲掴みどころか引っこ抜くぐらいのことをしないといけないのに! 負けていられないわ……! ピクシーちゃんたちという強力なマスコットキャラを仲間にしたから、その次は──」
セラフォルーは一誠に強烈なライバル意識を燃やし──
『あーそらがきれいだなー』
ドライグは定着しつつあるおっぱいドラゴンという名から全力で目を逸らしていた。
緊張していた空気も和み、九重は一誠たちを屋敷に招こうとする。
「九重様」
「何じゃ?」
「私は少し遅れて参ります──この者たちに少々説教があるので」
「あまり厳しくするのでは無いぞ? こやつらは私の為に色々としてくれた」
「分かっております」
オンギョウキたちのことが気になりつつも九重は一誠たちと共に屋敷へと入って行く。
「全く、お前らは……」
九重に対して敬意の無い態度をとるスイキたちに苦言を呈する。スイキたち自身は九重を疎んじている訳では無い。寧ろ、可愛がっていると言ってもいい。九重の方もスイキたちにちゃんと懐いている。
しかし、接し方が問題である。スイキたちが行っているのは上の者への接し方ではなく大人が近所の子供と遊ぶ様な接し方であった。それも良くない遊びを教える様な柄の悪い類の。
オンギョウキはスイキたちが九重を酔わせた時のことを思い出す。スイキたちが美味そうに飲んでいる酒に興味を持った九重に対し、スイキたちがそれを面白がって九重に自分たちの酒を舐めさせたのだ。鬼は酒精が強い酒を好むので、その一舐めで九重は酔ってしまい、オンギョウキが気付いた時には九重は顔を真っ赤にし、スイキたちはそれをゲラゲラと笑っていた。
その後オンギョウキは何度も八坂に謝罪し、スイキたちを別の意味で真っ赤に染めてやった。
顔に土を付けたまま不貞腐れた様子でオンギョウキの前に座る三鬼。
「全くお前らは……」
口を酸っぱくして何度も態度を改めさせようとしてきたが、三鬼は反抗する様に態度を変えることが無い。
数え切れない程した説教をまた言おうとした時、スイキの方から喋り出す。
「前から思ってたが、大将は何か勘違いをしていませんかぁ?」
「勘違いだと……?」
今までとは異なる展開にオンギョウキは内心でやや戸惑う。
「俺達が忠誠を誓ってんのは八坂様でもお嬢でもねー」
「確カニ御二方ニハ世話ニハナッテイルガ、ソレトコレトハ話ガ別」
「俺らが忠誠を誓ってんのは、俺達を倒した大将! あんたにだ! あんたがおひい様や八坂様の下に着いているから俺らもそうしているにすぎねぇんだ!」
鬼として今まで彼らなりに真面目に尽してきたが、それでもフラストレーションが溜まって来る。今回の件で溜まっていたものが噴き出し始めていた。
彼らからすれば鬼が礼儀正しく振る舞うことこそ滑稽なもの。普段の立ち振る舞いもオンギョウキのやり方を彼らなりに模倣しているに過ぎない。鬼としてはオンギョウキの在り方こそ異端であった。
「──答えはお前たちが言っているだろう。私は八坂様と九重様に忠誠を誓っている。その私の軍門に下ったからにはお前たちもあの御二方に忠誠を誓うのが道理だ」
「そりゃあそうですが、俺達が惚れ込んだのはあんたの強さなんだよ! 大将!」
「八坂様ハ強イ。ソノ血ヲ引クオ嬢様モ将来有望。シカシ、真ニ我ラガ強イト思ッテイル御方ハ違ウ!」
「俺達は大将を『鬼の大将』ってだけの小さな肩書きの御山の大将で終わらせたくないんですよぉ! 大将を本物の大将にのし上げたいと思っているんですよ!」
「黙れ」
三鬼たちの叫びをその一言で切って捨てる。
「私はそんなものを望んではいない。私は影として己を捧げることをとうに決めている」
しかし、オンギョウキのその言葉を三鬼は鼻で一笑する。
「宝の持ち腐れとはこのことですなぁ! 正直な話、大将が滅私奉公する程京都の妖怪たちに価値があるとは思えん!」
「ソノ通リ」
「おうおう。もっと言え言え」
その瞬間、銀光が一条を走る。スイキたちの喉元には浅い切り傷が出来ていた。オンギョウキの手には振り抜かれた得物。スイキたちはそれを取り出す動きすら見えなかった。
それ以上喋れば首を切り落とすという脅しである。だが、スイキたちはその脅しに屈することなど無かった。逆に上機嫌そうに笑い出す。
「良く分かっているじゃないですか、大将? 耳障りの良い言葉を吐こうが阿呆な戯言を吐こうが耳の痛い正論かまそうが結局は力で黙らせればそれで終わりなんですよぉ!」
「死人ニ口無シ」
「どんなに文句を言おうが、力さえ見せ付ければそれで良いんですよー、大将。京都の妖怪であんたの力に逆らえるもんなんていねぇー」
三鬼がここまで反抗してきたのは初めてのことであった。今回の件で三鬼なりに色々と不満が見えてしまった結果とも言える。
「そもそも大将は今回のことをどう思っているんですかねぇ?」
「八坂様ノ穴ヲオ嬢様デ埋メヨウトシテ重責ヲ背負ワセルコトニ納得シテイルノデ?」
「正直な話、あんな幼児にまで責任を果たさせようとする京都の古妖怪共は見ていられませんでしたなぁ!」
フウキが吐き捨てる様に言う。オンギョウキは九重が京都の妖怪たちを率いることに何も思わなかったと言えば嘘になる。スイキたちの言っていることも一理あることも認める。ただ、八坂の血筋という分かり易い威光があったおかげで裏と表の妖怪たちがバラバラになることを最小限に治めることが出来たとも思っていた。
とは言え実力主義であるスイキたちはその血統というもののみを評価されるのが気に入らないのだろう。或いは、その程度の理由で親が行方不明になった九重を八坂の後釜という重役に引っ張り出したのが気に食わないのかもしれない。
「魔王と堕天使の総督を上手いことおひい様と引き合わせたのも大将が裏で何かやったからでは?」
「俺らが赤龍帝たちと戦った後、大将は監視すると言って独りで動いていましたからなぁ!」
「十分ニ考エラレル」
スイキたちが言っていることに何の証拠も無い。アザゼルやセラフォルーにはキチンと口止めもしている。オンギョウキの行動を疑っているのはスイキたちの勘に過ぎない。その勘が当たっているからこそ厄介であった。
「私は九重様が望まぬ限り動くことは無い。今回はレヴィアタン殿とアザゼル殿が京都の妖怪たちと争いを好まず説得と交渉に徹したまでのこと。そして、九重様も血が流れることを好まず、真に倒すべき相手を見極めたということだ」
「……そうですかぁ。まあ、そういうことにしておきますよ、今回は」
明らかに納得していない様子。彼らからすれば悪魔や堕天使と肩を並べて戦うことも気が乗らないらしい。寧ろ、正面に向かい合って戦うことを望んでいる節がある。
「そして、今までの話も──」
三鬼は息を呑み、それを吐くことは出来なかった。一ミリでも体を動かせば殺られると思わせる殺気がオンギョウキの視線に乗って三鬼を射抜く。
薄暗い裏京都のせいで爛々と赤く輝くオンギョウキの両眼。三鬼が望む通り力によって彼らを屈服させる。
「──聞かなかったことにしておく」
そう言い残しオンギョウキは歩き出す。途中、影の掛かる場所を通り過ぎるとオンギョウキは音も無く消え去っていた。
オンギョウキが居なくなり数秒経つが三鬼は固まったまま動かない。一分を過ぎた時にようやく三鬼は息を吐き出した。
「ふはぁー! 寿命が縮むかと思った!」
「だが、あれでこそ俺達の大将よ!」
「鬼神ノ如キ強サニ陰リナシ!」
オンギョウキが居なくなると今までの悪態が嘘の様にオンギョウキを褒め出す。オンギョウキに言ったように彼らが慕っているのは紛れもなく本音である。ただ、そんなオンギョウキが実力を発揮することなく自ら日陰者になろうとしているのが許せないのも三鬼の本心であった。
「さてさて。どうするものか? ちょいとばかし怒らせ過ぎたかもしれねぇ」
「何だ? 後悔でもしたか?」
「今サラダナ」
「馬鹿を言え。後悔なんぞする筈もねぇ。言いたいことも言えたし寧ろ清々しているぐらいだ」
下手をすればオンギョウキに粛清されてもおかしくない状況であったが、辛うじて命を繋ぐことが出来た。ただし、二度目があるとは思っていない。
「まあ、大将も目を光らせているだろうし、ちょっとの間は大人しくしていようや」
「ソウダナ」
「あーあ。その間にもっと楽しくて派手なことが起こればいいよなぁ?」
平穏よりも騒乱を望む三鬼。かつてオンギョウキに倒されてもその気質が変わることは無い。
彼らの力も上手く使えば世の為になるだろうが、不満が溜まりつつある今どちらに転ぶか分からない危うい力と化していた。
◇
金閣寺にて色々とあったシンたちであったが無事にホテルまで帰って来ることは出来た。
裏京都では九重から八坂奪還の協力を求められ、九重と京都の妖怪たちに協力するという約束をした。
八坂は九尾の狐として京都という大規模な力場のバランスを保つ存在であり、九尾がこの地を離れるか、殺害される様なことが有れば異変が起こるという。幸い、異変が起きていないことから九尾と英雄派は京都から離れていなかった。逆に言えば彼らが京都で何かをするという意味でもあるが。
考えると今日一日はほぼ問題無く京都を観光出来た。英雄派が今も京都に潜伏しているのならいつ襲撃があってもおかしくない。それが無かったことから考えられるに英雄派にはそんなことをする暇が無く、別に進めることがあるのかもしれない。そこに九尾の狐である八坂が関わっているのは間違いないと思われる。
シンはホテルのラウンジに置かれてあるソファーに座って今日の観光の思い出と共にそれを思い返していた。
就寝まで時間があったので静かな所へ来て黙考する。ついでに部屋にずっと閉じ込めていたケルベロスを散歩目的で連れ出していたが今は傍に居ない。一般人には姿が見えないことを言い事にホテル全体を縦横無尽に駆け巡って運動不足を解消している。
「こんばんはー」
そんなシンに声を掛ける者がいた。声からして少女のものである。声の方に顔を向け、シンは微かに表情を険しくした。
好奇心で輝く青い瞳。カールさせた金髪。一目で外国人だと分かる可愛らしい容姿をした中学生ぐらいの少女。これだけだったら特に不審を抱かないだろうが、問題なのは彼女の格好であった。
頭には鍔の広い三角帽子。それこそ魔女が被っている様な帽子である。ただし、少女の趣味か黒い布地ではなく青空の様な爽やかな水色に、星やリボンといったアクセサリーが帽子に付けてある。
どこかの学園の制服を着ているが、その上に魔女帽子と同じ色のマントを纏っており、マントには花弁の飾りが無数に散りばめられていた。
まさに魔法使いという出で立ちの少女。だが、ラウンジにはまだそれなりの人がいるというのに誰も注目しない。普通ならば目を惹く存在なのだが、まるでそこに居ないかの様な無関心さであった。
少女はシンの視線が向くとニッコリと微笑む。
「初めまして。私はルフェイ。ルフェイ・ペンドラゴンです。ヴァーリチームに属する魔法使いです。以後、お見知りおきを」
堂々とヴァーリの仲間と自己紹介する少女ことルフェイ。つまりは彼女もまた『禍の団』ということになる。
「あ、もう会っているかもしれませんが、アーサーは私の兄です。兄共々よろしくお願いしますね」
兄妹揃ってヴァーリの仲間だと聞いてもいないのに教えてくれる。シンはそれを聞いて『敵だ。殺れ』と戦闘態勢に移行することは無かった。まだ周りには一般人が何名かいる。それにわざわざ声を掛けてきたのは何かしらの意図があってのことだと思われる。
戦うのならそれを聞いてからでも遅くはない。
「間薙シン様でよろしいでしょうか? ヴァーリ様のお友達の」
「……何の用で来たんだ?」
ヴァーリの友達発言は流して本題に進める。
「はい! ヴァーリ様の命で曹操様たちへ罰を与えに来たんです!」
「罰?」
「曹操様ったらヴァーリ様が何度も邪魔をするなと警告していたのに、うちのチームに監視者を送っていたんですよー!」
少し怒った様に言うルフェイ。英雄派たちとヴァーリのチームは同じ『禍の団』であるが仲は良好では無い様子。現時点の戦力を考えるならば曹操たちがヴァーリたちを警戒するのもおかしくないと考えられた。ましてや、ヴァーリは良くも悪くも一誠を特別視している。
それにしても曹操たちに罰を与えるという目的でルフェイ一人を送ってきたのだとしたら、彼女ならばそれが可能という自信があるのだろう。
見た目からは想像が出来ない実力、もしくは切り札を有している可能性があった。
「ヴァーリ様も最近少し不機嫌だったので、曹操様がしたことが余計に腹が立ったんです」
「不機嫌?」
「はい! ヴァーリ様の御友人であるマタドール様が行方不明になってしまったので」
ヴァーリとマタドールの関係を友人と表す者など数少ないであろう。そして、行方不明になったマタドールの安否を心配しているのはこの世でヴァーリ唯一人だろう。大概の者は居なくなってくれることを望む。シンも勿論後者であるが、その内戻って来るだろうな、という不本意な予感があった。
「それでわざわざ俺に話し掛けた理由は何だ?」
「ヴァーリ様が言うに、場合によっては赤龍帝と人修羅に協力すればいいと仰っていたので、なら一言挨拶をしようと思いまして」
いずれあるだろう英雄派の襲撃に関して戦力が増えるのは良いことなのだが、それを簡単に信じていいのかという考えもある。
「あと個人的なことなんですが──」
笑顔を潜め、神妙な態度になったのでシンも話に集中する。
「私、『乳龍帝おっぱいドラゴン』のファンなんです! 出来ることなら握手を! もっと望めるのならサインが欲しいんです!」
目を輝かせて興奮した様子で言い切った。
「……ああ、そうなのか」
警戒していた自分が馬鹿馬鹿しく思える程の正直さに、取り敢えずこちらを騙す気は無いと判断する。もしこれが全て噓や演技だとしたら今後一生『おっぱいドラゴン』が好きと言う相手を信じることは無いだろう。
(……取り敢えず先にアザゼル先生と会わせるか)
危険を感じられない為いきなり一誠と会わせても良かったが、一応目の前少女もまた『禍の団』の所属している。アザゼルに報せておくのが無難な選択である。
シンはソファーから立ち上がってルフェイを見て──
「──待て」
「はい。分かりました。ここで待っていますね」
ルフェイは知る由も無いがシンの口から考えていたことと真逆の言葉が出ている。
「だから待て」
「えーと……私はここで待つつもりですが?」
同じ言葉を繰り返され、ルフェイも少々困惑する。
「待てと言っている──この子はまだ敵じゃない」
「え?」
ここでルフェイはシンが自分を見ているのではなく、別の誰かに視線を向けていることに気付いた。同時にルフェイの両肩に何かが乗せられ、動けなくなる。
「グルルルル。動クナ」
ルフェイの背後で後ろ足で立ち上がったケルベロスが両前足をルフェイの肩に乗せて押さえつける。ルフェイのマントに軽く爪を突き立て、いつでも引き裂けると言わんばかりに警告する。
ケルベロスが散歩から戻った直後にシンが知らない少女と話していた。それだけなら別に気にすることは無かったが、少女からヴァーリ、美候、黒歌、アーサーなどのニオイがしたので即座に敵と判断した。
特にケルベロスが嫌っているフェンリルのニオイも混じっているので頭を嚙み砕いてやろうとした。シンが止めなければ頭に嚙みついていただろう。
「誰ダコイツハ? 何故止メル」
「説明するからちょっと待て」
ルフェイは首だけをゆっくりと後ろに向け、自分を見下ろしているケルベロスを見て体を震わす。
ケルベロスのことをどう説明すべきかとシンが考える前にルフェイは声を発していた。
「あ、あの! 『ミラクル☆レヴィアたん』に出演なさっているケルベロス君ですよね! 宜しければこのまま写真を一枚お願いします!」
どうやらケルベロスについて説明する必要も無い。ルフェイが体を震わせたのは恐怖ではなく歓喜からであった。
普通、巨体の獣に襲われそうになったら怖がるのが当たり前な筈だが、それよりも有名人──もとい有名犬と出会えた喜びの方が勝っていた。
「……お前も有名になったな」
「嫌味カ」