レオナルドの『魔獣創造』で創り出された魔人デイビットを、シンは警戒と同時に観察をする。
姿形は魔人そのものだが、マタドールやマザーハーロットと比べるとその表情が見えない。──比喩的な意味であり、あくまでシン直感による印象である。表情を作る皮も肉も無いのはマタドールたちも同じなのは変わらない。しかし、デイビットはそれよりも無機質に見えた。
デイビットは小鹿の様にレオナルドを中心にして跳ね回りながらヴァイオリンを演奏しており、激しく動いていても音がブレることはなく常に最高の音を出し続けている。
剽軽な印象を与える動きだが、シンから視点では操演されている人形の様に見えた。
演奏をするデイビットにレオナルドが何か指示を出す。小声と演奏のせいでどんな命令を下したのかは分からなかったが、指示を聞き終えたデイビットはヴァイオリンの曲調を変える。
(これは……)
軽快な演奏が静かで深みのあるゆったりとした演奏へ変わる。ヴァイオリン一本でここまでガラリと変えることが出来るのかと驚かされる程の変化。
シンの耳にその音が飛び込んで来た瞬間、感じたのは心地良さであった。
音が鼓膜を震わす度に張り詰めていた緊張が解けていく。
緊張からの解放は、次に全身の弛緩を誘発する。微睡の様な心地良さが脳へと広がっていき、体が重力に逆らえなくなり沈んでいこうとする。
目の前に広がる固い地面ですら極上の眠りへと誘う最上のベッドの様に思えてきた。
今すぐ何もかも放棄し、抗うことの出来ない眠りの世界へ突入しようとして全身の力を抜く。
体が重力の糸に引かれて前のめりになって倒れて行く──寸前、シンは力強く地面を踏み付けて倒れ行く体を支えた。
力が入り過ぎて地面にくっきりと足形が残り、蜘蛛の巣の様な亀裂が生まれているがそんなことなど今は気にならない。
数舜前の自分の行動に信じ難い気持ちになる。戦いを完全放棄し、敵の前に何の考えも無しに眠ろうとしていたのが信じられない。
ほんの少しだけ意識の手綱を握り締めることが出来たので最悪の状況は避けることが出来た、しかし、気を緩めればすぐにでもその最悪はやって来る。
何故ならデイビットはまだ演奏を止めていないからだ。
思考が鈍化する。今すぐにでも眠ってしまいたい欲求が頭の中を占めていく。命のやり取りよりも優先され、思考がそれに上書きされそうになる。三大欲求とはよく言ったものだと痛感させられる。
意図せずに瞼が下がって来るのでその度に上げる。己の瞼にこれ程の重みを感じたのは初めてであった。
意識を強く保ち、前のめりになった体を起こしていく。すぐに体勢を立て直さないとデイビットが何をするか分からない。至って危機的状況だが、その行為を何処か他人事の様に感じている自分がいる。
本気を出しているつもりなのに出し切れておらず、その出し切れていない部分が自分のことを冷めた目で見ている不思議な感覚。まるで、魂の一部が外に出掛かっている様な気分である。
人は寝ている間に魂が抜け出し、その魂が見ている光景が夢という言い伝えも存在するが、夢と現の間を行ったり来たりしている今のシンはその言い伝えを本気で信じてしまいそうになる。
デイビットの奏でる旋律がより穏やかなものへ変化する。今まで以上の睡魔がシンの中に広がっていき、保っている意識を断とうとする
思考の中に刹那ではあるが空白が生まれ、それが一定の間隔で繰り返される。シンの意識がほんの一瞬だが眠気で飛んでいる証であり、段々とその間隔も短くなっていく。
このままでは寝ていることすら気付かずに眠ってしまうと思ったシンは、止むを得ず強制的に眠気を覚ますことにする。
意識がある内に親指の爪を小指の爪の下に差し込み。深く入り込んだのを確認すると、シンは躊躇なく親指を上向きに弾いた。
千切れる音と共に白色の爪が剥がれ飛ぶ。爪を失った小指。爪下にあるピンクの皮下組織が外気に晒されるが、瞬く間に滲み出てきた血で覆われる。
拷問などで用いられる生爪を剥ぐという行為を自主的にやってみせたシン。爪を剥がされた痛みが刺激となって微睡でいる脳へ直撃する。
重かった瞼が少し軽くなった。だが、まだ足りない。デイビットの演奏が起こす睡魔を跳ね除けるには痛みという刺激がもっと必要であった。
シンは爪を失った小指に迷うことなく親指の爪を突き立てた。柔い皮下組織を親指の爪で抉ることで、痛みが脳内でスパークを生じさせる。
「……ふぅ」
ようやく靄がかかった思考が晴れて来る。抗うのに必死であった睡魔が消えて行くのを感じた。今もデイビットはヴァイオリンを奏で続けているが、それによって引き起こされる眠気も断続的に伝わってくる小指の痛みである程度中和出来る。
少なくとも戦いに集中出来る意識だけは取り戻せた。
デイビットは空の目でシンの方を見つめながらヴァイオリンを弾く。弦を押さえる指は止まることなく、それを弾く弓は踊る様に動き続ける。
引き摺り込む様な眠気が襲って来るが、その度に痛みで刺激を与えて無理矢理覚醒させる。
そして、思考がぼやけない内にシンは魔力剣を形成し熱波剣を放つ準備をする。一番慣れた技であり、最速で放てる為にこの技を選んだ。
時間にすれば一秒にも満たない。ヴァイオリンを奏でるデイビットへ放出される魔力の渦。並の相手ならば巻き込まれれば無事では済まないが、相手は魔人に酷似した存在。恐らくは大したダメージを与えられないだろう。
そのことはシンも分かっていた。ならば、何故分かっていて技を放ったのか。デイビットのすぐ傍にはレオナルドが居るからだ。
最速且つ広範囲の熱波剣がデイビットの本体であるレオナルドを呑み込もうとする。デイビットが強力であろうとも所詮は『魔獣創造』によって創り出された存在。使用者が戦闘不能状態になれば自然と解除される。
情け容赦の無いシンの攻撃。だが、レオナルドもそれを熟知している。『魔獣創造』を使用する上で最も狙われ易いのは自分であると曹操たちからも指摘されていた。
普段は数に物を言わせて周囲をアンチモンスターで守らせているが、デイビットが創造している間はそちらに力を注いでいるので他のアンチモンスターを創り出せない。
それでもレオナルドは焦らない。理由は単純。すぐ傍には百のアンチモンスターを超えるデイビットが居るからだ。
レオナルドはただ念じればいい。守れ、と。
その念が伝わったデイビットの動きは迅速であった。弓が弦を一際強く擦り、弦を大きく震わせる。
音が鳴り響く間にデイビットはレオナルドを己が持つヴァイオリンの様に丁寧に抱き抱え、熱波剣が作り出す魔力の渦の範囲外へ一足で移動してしまう。
レオナルドを助ける為に一時的に中断されるヴァイオリン。しかし、まだ音の余韻が残っている。余韻が消える前にヴァイオリンを奏でて音を繋ぐデイビット。あまりに違和感の無い繋ぎ方なので、そういう曲であると勘違いしそうになる。
デイビットはヴァイオリンを休むことなく奏で続けながら一言も発せずに人修羅を見つめる。喋れるのか喋られないのか。意志があるのか、無いのか対峙していて分からなくなってくる。
絶えず来る睡魔に我慢しながらシンはどう攻めるべきか回転の鈍くなった頭で考える。向こうはまだこちらの動きを阻害する行動しかしていない。いつ攻撃的に攻めて来るのか分からず、油断出来ない。
取り敢えずこの鈍った思考をハッキリさせようとした時、音楽の曲調が変わり始めた。
例えるなら、今までの音楽は夜の静寂の中で時折聞こえて来る虫、鳥、獣の鳴き声を表現した心地良い安らぎを与えるものだったが、デイビットが今奏でている曲は噴出するマグマ、燃え立つ業火、全てを焼き尽くす大火をイメージさせる激しい音。
相変わらずヴァイオリン一挺で演奏しているとは思えない迫力である。
聞かされているシンも熱を感じてしまう程の曲調。
(熱い……?)
というよりも本当に熱を感じている。その熱の発生源は──
「いつの間に……」
シンは本当に炎上している己の右手を見て、思わず言葉を零した。
◇
ジークフリートが魔剣グラムを抜いたのに応じて木場もまた聖魔剣を取り出して剣先をジークフリートへ向ける。
イリナも紐状にしていた『擬態の聖剣』を元に戻して、構えながらジャンヌと対峙。ジャンヌの方は武器を構えるどころか取り出す素振りすら見せず、勇ましい姿で聖剣を握るイリナを微笑ましく見ている。
ゼノヴィアも担いでいる得物から布を剥がす。呪文が書かれた布の下から群青色の鞘に納まった大剣が露わになる。
「へえ……」
「あらまぁ」
ゼノヴィアが取り出した大剣にジークフリートは幾分の好奇心を見せ、ジャンヌは物珍しそうな眼をする。
「それ、デュランダルかい? 少し見ない間に変わったね……」
「鞘なんか付いちゃって……暴れん坊で有名なデュランダルも大人しくなっちゃった?」
全体の形が変わっても変化の無い柄の形状と仄かに漂って来る聖なる気からデュランダルだと即座に理解する。そして、そのデュランダルが鞘に納まっていることを疑問視した。
そもそもデュランダルに鞘は不要。というよりもデュランダルが納まる鞘が存在しないのだ。
聖剣としての切れ味のせいで納めていた鞘が斬れるなど当然のこと。仮に切れ味の問題を解決しても今度はデュランダルが剣身から放つ攻撃的且つ膨大な聖なる気の問題が出て来る。無理矢理鞘に納めようなら聖なる気で鞘が吹き飛んでしまう。
切れ味と聖なる気への対策の両方をクリアする鞘はまず存在せず、ゼノヴィアを含めた歴代のデュランダル継承者はデュランダルを亜空間に仕舞っておく必要があった。
ゼノヴィアは鞘からデュランダルを抜く──と思いきや鞘に入ったままデュランダルをジークフリートへ向ける。
そのまま構えると鞘の各部がスライドしていき、変形を始めた。思ってもいなかった事なのかイリナ以外はその様子を目を丸くして見ている。
各部パーツが移動する度に激しい音が立ち、変形箇所からはジークフリートたちですら微かにしか感じなかった聖なる気が蒸気の如く噴出。
その勢いと大質量に気を感知する感覚を直接殴られたかの様な衝撃を覚えたジークフリートとジャンヌが顔を顰めた。
鞘の変形が終え、剣身が現れるデュランダル──だったが、デュランダルの剣身が纏って聖なる気の量と質が異常に高いせいで聖なる気に隠れて本来の剣身が見えない。
「実戦で使うのはこれが初めてだ。この剣の最初の一振り、食らっておけ!」
ゼノヴィアが新たなデュランダルを高く掲げると、纏っていた聖なる気が音を立てて膨れ上がった後、天高く伸びて行く。
「うっそー。ド派手過ぎ」
光の柱と化しているデュランダルに、余裕そうにしていたジャンヌも流石に冷や汗を流す。
「これはちょっと不味いね。失礼」
「きゃっ」
ジークフリートも見ただけでデュランダルの威力を把握し、グラムを納刀してジャンヌを抱き上げる。
そこへ振り下ろされる長さ十五メートル超の光の斬撃。地面に切っ先が触れると聖なる気が波動となって広がっていき、周囲の建物の公共物を纏めて消滅させながら地面も捲り上げていく。
光による大規模破壊は、使い手であるゼノヴィアや木場、イリナには被害を及ぼさなかったものの、破壊による衝撃は地面を大きく揺らし、体幹が鍛えられている木場とイリナが転倒してしまいそうになる程。
破壊されて尽くされた場所は、盛大に土煙が舞う。
「ふー」
ゼノヴィアが短く息を吐く。一仕事を終えたデュランダルの鞘が変形して元の形へ戻った。
「いやー……凄いね。凄いけど、『騎士』としては少し複雑な気持ちだなぁ……」
一瞬で更地を作り出してしまったゼノヴィアのパワーに、木場はその言葉の通りに複雑な表情をしている。
『騎士』は本来ならばスピードを重視した戦いをするが、ゼノヴィアは誰が見てもパワーを重視した戦い方になっており、『騎士』からかけ離れ始めている。
「安心してくれ。これでも制御をしている。威力を調整せずに本気で振れば、この周辺丸ごと薙ぎ払うことも可能だ。だが、そんなことをすればイッセーたちを巻き込んでしまうかもしれないからな」
パワー一辺倒ではなく、そのパワーを自らの意志で制御したことを心成しか得意気に語っている様に見える。言外に褒めてもいい、と言わんばかりであった。
「えーと、うん……初手としては最高だったよ」
「凄いわ、ゼノヴィア! まるで神話の破壊神みたいね!」
木場は取り敢えず褒める。イリナも純粋に讃えるが、微妙な褒め言葉であった。
「ふふ。まだ私の理想には遠いがな」
行き着く先にどんな理想が待っているのか、木場は若干の不安を覚える。このままパワー至上主義ではなく少しでもいいのでテクニックを学んで欲しいと心の中で願った。
「流石。その一言に尽きるね」
土煙の中から聞こえて来るジークフリートの声。倒し切れると思っていない木場たちは特に驚くことはせず、声に反応して反射的に剣を構えた。
舞う土煙に横一線の光が走る。大量に待っていた土煙はその光によって上下が分割され、更に光が走った方向へ吸い込まれる様に吹き飛んでいく。
消え去った土煙の向こう側でジークフリートとジャンヌが立っており、どちらも無傷。ジークフリートの手にはグラムではない別の魔剣が握られている。
恐らくは先程のゼノヴィアの斬撃を無傷で切り抜けたのは、その魔剣によるもの。その証拠にジークフリートたちの周囲のみ聖なる気の破壊を免れていた。
「多少なりともダメージを与えられると思っていたが、まさか無傷とは」
「僕は大丈夫なんだけど、ジャンヌがね……」
ジークフリートがジャンヌを横目で見ると、彼女は不機嫌そうな表情をしている。
「もう! 土汚れだらけ! 髪も埃っぽいし! お姉さんカンカンよ!」
攻撃されたことよりも、その後の土煙で汚れてしまったことを怒っている。度肝を抜いてやろうと思っていたゼノヴィアからすれば少々プライドが傷付く。
「その新しいデュランダル……エクスカリバーの力を使っているね? 聖なる気にエクスカリバー特有の気を感じたよ」
一回攻撃を受けただけで新しいデュランダルの特性について見抜いたジークフリート。特に隠すつもりは無かったゼノヴィアは、その指摘に頷く。
「その通りだ。この新しいデュランダルは錬金術により、エクスカリバーと同化したものだ」
「そうよ! デュランダルの剣身に教会が保有していたエクスカリバーを鞘の形で被せたのよ!」
聖剣同士を合わせると相乗効果で聖なる気が高まることは既に実践されている。それを応用し、デュランダルとエクスカリバーの聖なる気を高め合わせながら鞘となっているエクスカリバーを受け皿にして力の制御を可能とし、限界まで高まればそれを解放して先程行った様に凶悪な破壊を齎す一撃を放つことも出来る。
『えっ』
ゼノヴィアの言葉を継いでイリナが説明をしたら、その内容にジークフリート、ジャンヌだけでなく初耳であった木場も驚いてデュランダルの鞘を凝視し出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれないか? 教会が保有しているエクスカリバーは六本だったよね? その鞘には何本のエクスカリバーを──」
「全部だ」
「全部っ!? 六本のエクスカリバーを鞘に!?」
イリナの『擬態の聖剣』を除いたエクスカリバーが鞘に変えられた事実に木場は卒倒しそうになる。確かに一時期エクスカリバーを憎んでいた時もあったが、だからといってこんな末路になるとは予想もしていなかった。
「うっそー! 豪華すぎじゃない? デュランダルとエクスカリバーの合成なんてオンリーワンでしょ! バルパーのおじいちゃんが見たら卒倒するか頭の血管切れちゃいそう!」
限りある本数しかない聖剣を一本に纏めたことにジャンヌは目を丸くする。その横ではジークフリートが声を出さずに笑っていた。
「暫く離れていた間に、教会も随分と太っ腹になったね。僕が居た時には考えられなかったことだ。──因みにその聖剣にはもう名前が付いているのかな?」
意外な興味を示しながら尋ねるジークフリートに、ゼノヴィアはデュランダルを翳して答える。
「エクス・デュランダル──この聖剣をそう名付けた」
これ以上ないシンプルな名であったが、ジークフリートはその名自体には特に反応を示さない。
「──エクス・デュランダル。その聖剣がここにあるだけで君たち相手に選んで正解だったと言えるね」
意味深な笑みを浮かべるジークフリートに木場たちは訝しむ。すると、ジークフリートが構えている魔剣が震え始めた。
何か仕掛けてくるのかと身構える木場たち。だが、よくよく見ると魔剣が震えているのはジークフリートが手を動かしているからではない。魔剣そのものが震えているのだ。
「魔剣というのは中々厄介な代物でね。この魔剣はノートゥングという名前なんだけど極度の潔癖症でね」
ジークフリートが真横にノートゥングを振るう。すると、刃が触れることなく地面に深く、綺麗な断層が出来た。
「──と、こんな風に剣の癖に血とかで汚れるのが大っ嫌いなんだ」
ゼノヴィアの一撃をどうやって避けたのか今のを見て理解した。ノートゥングの凄まじい切れ味により聖なる気すらも斬り裂いたのだ。
グラムだけでも脅威なのにノートゥングの恐ろしさも理解して息を呑む。その反応に何故かノートゥングの震えが止まり、ジークフリートはノートゥングを鞘に戻す。
すると、鞘に納まって魔剣たちもカタカタと鞘ごと震え始めた。異様な光景に木場たちの表情に緊張感が走る。ジークフリートはというと魔剣らの震えに苦笑していた。
「魔剣というのは本当に扱い辛くてね。どいつもこいつも我と癖が強いんだ。気を抜くと使い手である僕にも噛み付こうとしてくる」
ジークフリートは鞘を震わせている魔剣の内、グラムを引き抜く。それが一番手に馴染んでいるのかもしれない。
「全員反抗的で僕のことを嫌っている。勿論、僕もこの魔剣たちのことは好きじゃないけどね。それでも僕に使われている。その意味が分かるかい?」
グラムの剣身から攻撃的な気が発せられる。それは木場たちに、そしてジークフリートにも向けられていた。
「今のところ、僕以上の使い手がいないからさ」
自信というよりも事実として言い放つ。扱いが困難な魔剣ですら嫌々ながらも認めざるを得ないジークフリートの腕前。
「そして、もう一つ。この魔剣たちが僕に協力的になる状況がある」
ジークフリートの視線はエクス・デュランダルへ注がれる。
「自分たち以外で強そうな剣が現れた時、まさに今さ」
我が強い故に魔剣、聖剣問わず強い気を発する剣に挑もうとする魔剣たち。この時ばかりはジークフリートに助力を惜しまなくなる。
「噂の聖魔剣に未知のエクス・デュランダル。僕の魔剣と一つ勝負と行こうじゃないか!」
「……その前に一つ質問してもいいかな?」
「このタイミングで? ……何だい?」
出鼻を挫かれたジークフリートは少し不機嫌そうにしながらも一応質問を聞く。
「見たところ、君の腰に差してある剣は六本。その内、五本は魔剣なのは分かっている。その六本目は──」
「ああ、これ?」
六本目の剣を鞘から少し抜く。剣身が光に覆われたそれは、フリードも使っていた教会の戦士が使っている対悪魔用の光の剣であった。フリードが使用していたのとは柄のデザインが異なっていたので木場は分からなかった。
ガッカリと安堵。二つの感情を混ぜ合わせた木場の表情を見て、ジークフリートは笑う。
「もしかして、僕のエクスカリバーを見たかったのかい?」
それは木場の求めていた回答。聖魔剣を握る木場の手に力が入る。
「やっぱり、持っているんだね? バルパーのエクスカリバーを……!」
「見たいかい? 見たければ──」
ジークフリートの姿が霞み、気付けば木場の眼前でグラムを振り翳している。『騎士』の木場ですら驚くジークフリートのスピード。
「まずは君の強さを見せてくれ」
横振りの斬撃を木場は聖魔剣で咄嗟にガードするが、ジークフリートは構わずグラムを振り抜く。
木場はそれによって弾き飛ばされ、数秒間空中を飛んだ後、先に地面に触れた靴底が地面を数メートル滑る間に削られていく。
飛ばされた木場を追撃するジークフリート。ゼノヴィアとイリナが止める暇も無く前方へ跳躍する様に移動。
ゼノヴィアは木場を助ける為にすぐさま後を追い、イリナも追おうとするが──
「だーめ」
何十もの聖剣が地面から生え出し、イリナの進路を塞ぐ。
立ち止まらざるを得なくなったイリナは、聖剣群を発生させたジャンヌに戦意が込められた鋭い眼差しを向け、背中から純白の翼を広げる。
「あら、可愛い天使ちゃん。やっぱり、お姉さんイリナちゃんを選んで正解!」
イリナがジャンヌと状況的に戦うことになった一方で、ジークフリートの戦いは最初から全速力であった。
飛ばされた木場へ瞬時に追い付いたジークフリートは、腕の振りすら見えない一撃を見舞う。
木場は最初の攻撃を受けた後ずっとジークフリートから目を離さなかった。故にその攻撃は見えており、不意を衝かれて不十分な防御をさせられた先程とは違って完璧なタイミングで防御が出来る。
グラムの刃を聖魔剣の腹で受け止めた木場。片手は柄に、もう一方の手は受け止めた剣の腹の裏に押し当てられていた。
下手をすれば手を真っ二つに裂かれていたかもしれない危険な行為。それを恐れず実行出来たのは、自ら創造した聖魔剣に対する自信によるものであった。
木場の聖魔剣がグラムを防いでいることに少し感心した様子のジークフリート。その間に背後から迫って来ていたゼノヴィアが、エクス・デュランダルを振るう。
ジークフリートは振り向きもせずに帯剣している魔剣を抜くと、エクス・デュランダルが振り抜かれる前に剣身を叩き付けた。
「何っ!」
両手で振るったゼノヴィアの斬撃を片手で容易く受けてみせたジークフリート。敢えて先にぶつけることでゼノヴィアの力が完全に発揮される前に分散させるという技術。
タイミングが少しでもずれれば押し切られていたかもしれないというのに、ジークフリートはそのことに微塵も恐怖を見せない。
木場が聖魔剣に自信を持っている様に、ジークフリートは自分自身に絶対的な自信を持っている。
ジークフリートはエクス・デュランダルを押さえたまま剣身を滑らせ、地面に剣先を突き立てる。
「──バルムンク。北欧に伝わる伝説の魔剣の一振りだよ」
魔剣の紹介直後、木場たちの足元が螺旋状に捻じれる。
「くっ!」
「なっ!」
「見ての通りの捻くれ者さ」
冗談を飛ばすジークフリートだが、木場たちは笑える状況ではない。螺旋状に捻じれた地面には隆起する箇所、陥没する箇所が多数且つ不規則に出来上がっており、まともに歩ける状態では無い。即ち、『騎士』の強みである機動力が生かせない。
木場とゼノヴィアの視線が捻られた地面へ一瞬向けられ、その後にすぐ顔を上げるが、そこに居る筈のジークフリートの姿が無い。
二人の視線はジークフリートを探して彷徨うことなく弾かれる様に上へ向けられる。頭上から殺気と剣気を感じれば嫌でも気付く。
上空へ跳躍しているジークフリート。その手にはバルムンクとは別の魔剣が握られている。
すぐに着地地点から離れようとする二人であったが、その動きを見越してジークフリートが新たな魔剣を振るう。
頭上から凄まじい重圧が発生し、移動しようとしていた二人はその重圧に捉えられ、咄嗟に動けなくなる。
「同じく北欧の魔剣ディルヴィングだ。男嫌いで苦労するよ」
木場とゼノヴィアの間に着地すると同時にディルヴィングが地面へ刺さる。地面にクレーターが生じる程の破壊が起こり、その衝撃波が二人を呑み込んだ。
このままクレーターとなっていく地面に同化して赤黒い染みになるのかと思いきや、そうなる前に二人は衝撃波を突き破り、範囲外へ逃れる。
不安定な地面と重圧によって上手く動けない木場たちであったが、脚を使って移動出来ないのであれば、それ以外の方法を使用すれば良いだけのこと。
木場は『魔剣創造』を足元で発動させ、地面から生えてきた魔剣の勢いと魔剣の柄を蹴る反動を利用して、ゼノヴィアはエクス・デュランダルの剣先を地面に刺し、そこから聖なる気を放出することで逃れた。
二人を仕留め損ねたジークフリートはクレーターの中心で素早く眼球を動かす。その眼は木場とゼノヴィアの現状を映す。
木場は聖魔剣を構えながらジークフリートの方を見ている。ゼノヴィアの方は着地に失敗をして立ち上がっている最中であった。まだエクス・デュランダルの力に慣れていないせいで出力を見誤っての転倒。
どちらを狙うか。答えは明白であった。
ジークフリートはゼノヴィアの方へディルヴィングを構える。この魔剣を振り抜けば、地を圧し潰す衝撃がゼノヴィアを襲うだろう。
ジークフリートの意識がゼノヴィアへ傾いた刹那、離れた位置いた木場が聖魔剣を振り上げてジークフリートの背後へ移動していた。
ゼノヴィアへ攻撃させない為に木場はジークフリートの背中を斬り付ける──が、聖魔剣の刃はジークフリートの体に通らなかった。
オンギョウキが言っていた刃を通さないジークフリートの体。だが、聖魔剣すら通じないのは予想外のこと。
そして、もう一つ予想が外れていたことがあった。
「ダメだよ。木場裕斗」
ジークフリートは前を向いたまま後ろの木場に声を掛ける。
「こんな簡単な誘いに引っ掛かっちゃ」
ジークフリートの狙いはゼノヴィアでは無い。最初から木場が標的だったのだ。ゼノヴィアを攻撃すると見せかけて、まんまと釣られてしまった。
ジークフリートの上着を突き破ってグラムが木場へと伸びて行く。反応が遅れた木場は避け切ることが出来ず、魔剣の刃が木場の脇腹を貫いた。
◇
「オラッ! オラッ! オラッ!」
ヘラクレスが拳で何かを殴る度に殴られたものが木端微塵に爆ぜていく。拳の中に爆弾でも仕込んでいるかと思える様な荒々しく派手な攻撃。
「──ヤカマシイ」
ケルベロスはそう吐き捨て、大振りの拳を空振りさせたヘラクレスの胸部に爪による斬撃を与える。
「うおっ」
それに怯むヘラクレス。
「下がってください!」
間髪入れずにロスヴァイセが魔法陣を多重展開させ、そこから炎、雷、吹雪、光の魔法を一斉発射する。
前方から迫って来る様々な魔法。ヘラクレスは避ける素振りを見せないどころか、それらの魔法に突っ込んでいく。
「ハッハッハー!」
豪快に笑いながらその身一つで魔法を突き破っていく。流石に無傷とはいかず、体のあちこちに小さな火傷や裂傷などを負うが、魔法の規模に対して受けているダメージが小さ過ぎる。
「北欧魔術を受けてもモノともしないなんて……!」
体の頑丈さのみで誇りを持っている北欧魔術が通じない光景は、ロスヴァイセの自尊心を酷く傷付ける。
「なら!」
魔法陣の数を増やし、攻撃に更なる変化を加えようとするが──
「いいねぇ! いい塩梅の魔法攻撃だが、ちょいとくすぐったいぜぇ!」
ヘラクレスが魔法に向けて拳を突き出す。すると、ヘラクレスに発射されていた魔法そのものが爆発し出し、その爆発の連鎖は逆流してロスヴァイセの方へ返って来た。
魔法陣の展開に集中していたロスヴァイセは、それを咄嗟に避けられない。
「しまっ──」
爆発に呑み込まれる直前、ロスヴァイセの体が真横に引っ張られる。ケルベロスがロスヴァイセの鎧の一部を咥え、爆発の範囲外へ助け出したのだ。
「あ、ありがとうございます」
「グルルルル。気ニスルナ」
「それと、もう大丈夫ですので……」
ケルベロスに腰辺りの鎧を咥えられているせいでへの字の体勢で吊られているロスヴァイセが少し恥ずかしそうに言う。
「ソウカ」
魔獣であるケルベロスは、ロスヴァイセの羞恥心に特に気付く事無くあっさりと口を離した。
「中々良い組み合わせじゃねぇーか! その犬ッコロが標的だったがおまけの方も思わぬ当たりだったみたいだなぁ!」
ケルベロスとロスヴァイセのコンビを相手に意気揚々と話すヘラクレス。
「ウルサイ」
「そうかい! そりゃすまねぇなぁ!」
冷たく吐き捨てるケルベロスにヘラクレスはわざと声のボリュームを上げる。互いに歯を剝き出しにして睨み合っている。とことん反りが合わない様子であった。
「これが英雄派……現代のヘラクレスですか……」
小声で呟いたが、ヘラクレスの耳にはしっかりと届いていた。
「俺の事を知っているのなら、そこの犬ッコロをちゃんと守ってやらねぇとなぁ? ヘラクレスの前じゃケルベロスは負け犬決定だ」
神話の英雄ヘラクレスの功業の中で冥界の番犬であるケルベロスを冥界から引き摺り出した話に因んだ挑発をしてくる。
「過去の英雄ヘラクレスはそれを為しましたが、現代では話は別です。それでもやれると思うならどうぞ。出来なければ、貴方の名もただの飾りですね」
ケルベロスとの仲は深い訳では無いが、この戦いでは助け助けられの関係。ケルベロスを侮辱する発言に対し、ロスヴァイセは痛烈な言葉で返す。
「はっ! 気の強い女は嫌いじゃねぇぜ。それが良い女なら尚更だ。なら、後で卑怯だ何だと言われるのも面白くないから教えてやる」
ヘラクレスは自身の大きな拳を見せつける。
「俺の神器は攻撃と同時に相手を爆破させる『
一誠などとは違い具現化しないタイプの神器。ヘラクレスの言う通り至って単純な能力だが、ヘラクレス自身の力と合わさって強力な神器に昇華されている。しかも、攻撃だけでなくロスヴァイセの魔法攻撃に使用した様に相手の遠距離攻撃も爆破して攻撃兼防御という応用も出来る。
「理解したか? 知らなかった、はこの先通じないぜっ!」
ヘラクレスは下から上へと掬い上げ様に拳を振るう。その拳は地面を砕き、砕かれた破片がロスヴァイセたち目掛けて飛んで来る。
牽制にしては稚拙としか言いようがないただの礫。しかし、飛んで来る礫を見て疑問を覚える。
ヘラクレスは殴った相手を爆破させる神器と説明した。だが、殴られた地面は爆破せず、礫も──そこでハッと気付いたロスヴァイセが急いで防御用の魔法陣を展開する。
「ケルベロス君! 私の後ろにっ!」
途端、飛翔する礫は次々と爆発を発生させる。殴れば即爆破するのではない。ヘラクレスによってその爆破までの時間はある程度コントロール出来るのだ。
爆発と爆風が魔法陣を襲う。至近距離で聞かされているせいで耳鳴りがする。
爆発をコントロールを出来る。ヘラクレスの言う通りそれを卑怯とは言えない。ヘラクレスは神器の能力の応用について考えなかった時点でロスヴァイセとケルベロスの落ち度である。
ロスヴァイセは馬鹿正直に相手の言ったことを鵜吞みにした自分の迂闊さを呪いたくなる。
連続して生じた爆発により煙が発生して視界が遮られる。相手が仕掛けるならこの瞬間しかない。
ただ先に述べた様に視界は煙によって塞がれ、耳は爆音によって麻痺し、最後に残されるはケルベロスの鼻でニオイを追う方法だが、それも焦げたニオイが充満しているこの場所では出来ない。
何処から来るのか。ロスヴァイセたちが警戒を強めた時、煙が二つに割け、そこからヘラクレスの巨体が突っ込んで来る。
(正面っ!)
周囲に意識を分散させてしまっていたせいで、逆に真正面から攻めて来たことに意表を衝かれてしまう。
ヘラクレスは片腕を横へ真っ直ぐ伸ばした状態でロスヴァイセの魔法陣に接触。その一撃によって魔法陣に綻びが生じる。ヘラクレスは片腕を当てた状態で踏み込み、腕に力を込めると魔法陣が砕ける。
防御の為の魔法陣を純粋な力のみで破壊してのけたヘラクレスは、咄嗟のことで動けなかったロスヴァイセの喉目掛けて叩き付ける。
俗に言うラリアットという技。しかし、ヘラクレスが使うのであれば破壊力が違って来る。
『巨人の悪戯』の効果により爆発が発生。拳だけでなく腕部でもその効果が発揮される。
零距離、しかも急所である喉で爆発を受けたロスヴァイセは、後ろで控えさせていたケルベロスの頭上を超えて吹っ飛ばされる。
ロスヴァイセが飛ばされていく様を反射的に目で追ってしまったケルベロス。これが致命的なミスを生む。
「余所見か犬ッコロ?」
「アオン!」
隙を見て近付いたヘラクレスが、ケルベロスの胴体に両腕を回す。そして、ケルベロスの体を持ち上げながらヘラクレス自身もジャンプした。
肩の高さまで持ち上げられたケルベロスは逆さま状態となり、ヘラクレスの落下に合わせて脳天から地面に落ちていく。
「吹っ飛べやぁぁぁ!」
ヘラクレスが両腕を振り下ろすタイミングでケルベロスの頭が地面に打ち込む様に叩き付ける。
それと同時にヘラクレスの神器も発動。文字通りのパワーボムによりケルベロスだけでなくヘラクレス自身も巻き込む大きな爆発が起きた。
今回はここまで。次回は登場していないキャラたちの話になります。
因みにこの作品内での魔剣の性格はこんな感じになります。
グラム→プライドが高い
バルムンク→捻くれもの
ノートゥング→潔癖症
ディルウィング→男嫌い
ダインスレイブ→人間嫌い