ハイスクールD³   作:K/K

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難戦、参戦

「……見れば見るほど血がざわめくな」

 

 曹操が構える『黄昏の聖槍』を前にして思わずオンギョウキの本音が零れる。

 

「天界の熾天使ですらビビっちまう代物だ。──俺だってさっきから鳥肌が収まらない」

 

 イエスを貫いた槍であり、イエスの血で濡れた槍。神の子を刺し貫いたその槍は、この世で最も清められていると同時に最も罪深い槍であり、その相反する矛盾により神をも貫ける絶対性を手に入れていた。

 オンギョウキのように魔に属するモノ。アザゼルのように堕天して神のルールから外れたモノには聖槍の輝きを見るだけで本能的な畏れを抱く。これがもっと下位の存在なら聖槍を一目見ただけで背を向け、聖槍の威光が届かない場所まで裸足で逃げるであろう。

 逆に信仰心があるものが聖槍を見れば、信仰心や見る時間によって心を持っていかれ、聖槍の持ち主の意にままに操られる傀儡と化す。

 故にあらゆる勢力から危険視されている神滅具である。

 

「おい」

 

 アザゼルはオンギョウキにのみ聞こえる様に声量を絞る。オンギョウキは聞こえていない様に曹操を注視していたが、アザゼルのみに伝わる小さな反応を示す。どんな些細なことだろうと相手に悟られることはしない。

 

「お前がどれだけのことを出来るかは知らない。連携しようとしても失敗するだけだ。前以って言っておく。俺が全力で曹操に仕掛けるからサポートは任せる」

 

 それぞれの役割を最初に決め、同士討ちなどを避けるようにする。

 

「好きに動け。こちらもそちらに合わせる」

「頼もしいこった。──なら! 初っ端から全力で行くぜ!」

 

 アザゼルは十二の黒翼を羽ばたかせて真上に飛翔。そこからファーブニルの宝玉を用いて人工神器を発動させる。

 黄金の輝きを放った後、アザゼルの体は『堕天龍の鎧』を纏う。

 オンギョウキは表面上は平静であったが、内心ではアザゼルの人工神器に驚いていた。

 アザゼルが率いる『神を見張る者』が神器の研究を進めていることは小耳に挟む噂程度は知っていたが、禁手もしくはそれに近い力を発揮させられるぐらい研究が進んでいるとは思ってもみなかった。

 京都を守護する立場である為、京都から離れることが出来ないオンギョウキは、今更ながら京都の妖怪たちが外界と大きな技術の差が生まれ始めていることを痛感させられる。

 アザゼルは片手に巨大な光の槍を携えて急降下。光速で接近すると共に光の槍を突き出す。

 曹操はこの期に及んでも不敵な笑みを崩すことなく、絶対的な自信を以て光の槍に向けて己の聖槍を振るう。

 異なる光の力が真っ向から衝突。光同士が反発し合い、そこから強大な波動が発せられ、地面や周囲のものが吹き飛ばされていく。

 互いに力を押し付けあっていたが、やがて両者は弾き飛ばされた。ただし、アザゼルが振るった光の槍はアザゼルの手の中で崩壊してしまう。強過ぎる光の力に影響された結果であった。

 吹き飛ばされた曹操は何事もなかったかの様に無事に着地。堕天使総督の、それも人工神器で強化されたアザゼルの一撃を受けても特にダメージが無い。

 初撃の打ち合いは曹操に軍配が上がったと言える。

 曹操の目が左右に動く。アザゼルの姿は見える範囲に居るが、オンギョウキがいつの間にか消えていた。

 アザゼルだけに集中せずにオンギョウキも意識していたが、先程の打ち合いでどうしても意識が外れ、その隙に隠遁されてしまった。

 敵ながら見事なまでの消えっぷりである。

 

「さて……何処から来るかな?」

 

 影を伝って身を隠したり移動したりする技を持っているのは曹操も既に知っている。相手は凄腕の忍にして暗殺者。こちらの意識の隙間を狙って確実に仕留めようとしてくる。

 曹操の耳に聞こえる風切り音。反射的に聖槍を振るえば、穂先が何処から飛翔してきたのか分からない手裏剣を弾く。

 

「これは見事なものだ!」

 

 オンギョウキの気配が全く感じられない。見られているという感覚すらない。最初からオンギョウキはここに居なかったのではないかと己に問いてしまいそうになるぐらいの隠密の精度。

 

「そっちも大事だが、こっちも大事だろ?」

 

 真上から光に照らされる曹操。彼の頭上には巨大な光の槍が出現している。

 

「こちらも見事!」

 

 アザゼルが指を振るうと光の槍が曹操目掛けて落下する。大樹の如き光の槍を受けるよりも避けることの方を選択し、後方へ大きく跳躍する。

 受けて立ったとはいえ二対一の戦いである。消耗を抑えられるならなるべく抑えるべき、という曹操の判断であった。

 そして何事も無く着地──するかと思いきや、曹操は足が着く前に聖槍を地面へ斜めに突き刺し、柄の上に降り立つ。

 幅の狭い柄。しかも斜めの状態になっており、支えているのは地面に刺さっている穂先のみだというのに曹操は器用に乗っており、倒れる気配が無い。

 何故急にこんな大道芸染みたことをしたのか。当然、身体能力を見せつける為などという幼稚な理由では無い。

 

「危ない危ない。──全く、油断が出来ないね」

 

 曹操が降り立つ筈であった地面にばら撒かれている黒い鉄片。鉄片には鋭い棘が生えていた。

 所謂、まきびしという忍具であり、本来ならば追手を妨害する為の物であるが、オンギョウキが使えばこの様な罠と化す。

 咄嗟に気付き、踏むのを免れた。負ったとしても致命傷には程遠い怪我だが、この戦いに於いては少しの怪我による身体能力の阻害も馬鹿に出来ない。それに、忍の使うまきびしなのだから得体の知れない毒が塗られている可能性もあった。

 逃げ道すら与えないような容赦の無い攻め方にも冷静に対処してみせた曹操。まきびし地帯から離れようとしたとき、僅かな砂埃が舞うのに気が付いた。

 些細な変化であったが、それに悪寒を感じ取った曹操はすぐさま動こうとするが、その動きを先読みしたかの如く、舞っていた砂埃がつむじ風と化す。

 

「くっ!」

 

 巻き上がる砂塵によって曹操の視界が潰される。下手に目を開けることすら許されない。

 それでも目を細めて可能な限り視界を確保しようとする曹操。ぼやけた視界の中で幾つもの発光を捉えた。

 そこからの曹操の動きは迅速であった。光が何なのかを確認するよりも先に地面に突き立てられている聖槍の穂先から光を放出。

 地面がその光によって爆破され、その反動で曹操は砂塵のつむじ風を突き破る。直後に同じくつむじ風を突き破って飛び込んで来る無数の光の槍。あの発光の正体はアザゼルが攻撃する前兆であった。

 

「本当に組むのは今日が初めてなのか?」

 

 そう疑いたくなる程にアザゼルとオンギョウキの連携は嚙み合っていた。どちらも特に合図を出していないのに当たり前の様に合わせられることが恐ろしい。

 長年生きてきた経験による無駄のない連携に、曹操も防戦一方となるがその口元からまだ笑みは消えていない。

 

「勿論」

「むっ!」

 

 答えが背後から返って来る。曹操は振り返ろうとする前に後ろから三日月状の刃が付いた武器が伸ばされる。

 黒塗りの刃が狙うのは曹操の首。刃が手前に引かれると同時に曹操は背後から押され、自らも刃へ飛び込む形となる。

 曹操は咄嗟に聖槍を構え、柄で刃を防いだ。少しでも遅れていたら首が刎ねられていたところである。

 身を隠して行動していたオンギョウキが、曹操が跳び上がったタイミングに合わせて姿を現し、奇襲を仕掛けてきた。

 しかし、これも防いだ曹操であったが、オンギョウキにとっては予想通りの動きであった。

 オンギョウキに背中を蹴り押され、武具の刃を押さえるのに精一杯のこの状況。ましてや今は空中。曹操に逃れる術は無い。

 

「今だ!」

 

 自分も巻き込まれるかもしれないというのに、その指示に躊躇いなど微塵も無い。

 

「──あいよ」

 

 そして、その覚悟を無下にする程アザゼルは不粋では無い。

 アザゼルの手の中に光が集まって槍と成り、投擲の構えをとる。矛先を曹操へ固定する。

 息つく暇も、容赦も無いアザゼルとオンギョウキの戦いに曹操は惚れ惚れしそうになる。しかも、その暴力が自分という個人にのみ向けられている現状に誇らしさすら覚える。

 曹操は英雄の血を引く英雄の子孫。英雄の血が流れていると知っても、曹操はそれを別に誇らしいとは思っていない。

 その血統を利用することはある。血統というのは言葉に出来ない説得力を生むこともあった。

 しかし、それでも弱く、ちっぽけな人間であることは間違いない。人間が弱く、卑しく、どうしようもない面を持っているのを曹操は嫌という程知っている。

 曹操は人間賛歌をしない。彼はまだ人間というのがどういうものなのかを知ろうとしている途中なのだ。そして、自分がどれ程のものなのか試している途中でもある。

 だからこそ、人間よりも上位の存在に良くも悪くも特別扱いされてしまうと心が躍る。場違いな感情だと自覚しているが、嬉しくなってしまうのだ。

 少しだけ自分が特別であることを信じられるから。

 

「俺はまた先に進めそうだ。だいそうじょう」

 

 曹操は聖槍の柄に手首を擦り当てる。手首には数珠が巻かれており、擦れた拍子で数珠から一個珠が外れる。

 状況は絶体絶命。だが、命の危機など幼い頃から何度も経験しているし、何度も切り抜けてきた。今更、死に怯えることなど無い。

 外れた珠が落ちていく。その瞬間、珠から光が漏れ出す。

 

「ッ! 離れろっ!」

 

 投擲の最中であったアザゼルは、自らを止めることが出来ず光の槍を投げ放ちながらオンギョウキに逃げるよう叫ぶ。珠が発する光はアザゼルにとって見慣れたものであった。

 アザゼルの余裕の無い声にオンギョウキは即座に判断して曹操から離れる。

 オンギョウキが離れた直後に珠から閃光が放たれ、曹操を中心として球状の光が形勢された。

 

「これは……破魔か!」

 

 まごう無き破魔の光にオンギョウキは内心肝を冷やす。鬼にとっても破魔の光は猛毒である。

 アザゼルが投げ放った光の槍が破魔の光に阻まれる。同質の力とはいえ最上級の堕天使の光ですら破魔の光を破って中の曹操を貫くことが出来ない。

 見て分かる様に曹操が放った破魔の光は一級の僧ですら不可能な範囲と威力を持っており、逃げ遅れていたらオンギョウキも無事では済まない。

 オンギョウキは地面に降り立ちながら疑問を覚える。曹操が破魔の光を何故使用することが出来たのか、という疑問。

 確かに破魔の光は修業をすれば体得することが可能だが、誰でもという訳では無くましてや曹操が覚えるには若過ぎる。

 破魔の光の中から曹操が現われ、地面に着地する。

 

「ふぅー……危機一髪、という所だったかな?」

 

 口で言っている様に本当に危うい状況であったが、曹操の不敵な表情のせいでそうは見えない。実際、アザゼルとオンギョウキは曹操の言葉を皮肉として受け取っていた。

 

「その力……だいそうじょうから貰ったのか?」

 

 オンギョウキも知っている魔人の名前がアザゼルの口から出される。曹操が魔人とも繋がりがあることを知り、曹操の危険度が跳ね上がる。

 

「ああ、そうさ。この一つ一つにだいそうじょうの力が込められてある」

 

 アザゼルたちに数珠を見せ、隠すことなく肯定する。

 

「護身用に貰ったんだ。有り難いもんさ」

 

 どこが護身用だ、とアザゼルとオンギョウキは同時に内心毒吐く。そんな言葉で済ませられる様な代物ではない。あの数珠があればどれだけの悪魔が滅せられるか。

 

「随分と仲が良いことだな」

「それなりに長い付き合いだからね、俺と彼は。まあ、堕天使や悪魔からすれば極々短い時間だが」

 

 曹操とだいそうじょうの出会いは、曹操が聖槍の力に目覚め、それに目が眩んだ両親に売られて間もない頃からである。

 だいそうじょうが曹操を直接助ける様なことはしなかった。しかし、曹操が深手を負った際に遭った時は傷を治してくれた。

 曹操が『禍の団』に入るまで共に行動することは殆ど無かったが、それでも悪い関係では無かったとは言える。

 

「どうも俺と彼の力は相性が良いみたいでね……」

 

 曹操は数珠から珠を二つ外す。掌の上で転がすそれを不意に上と放り投げると、聖槍を一振りする。聖槍の一振りで珠をアザゼル、オンギョウキと、別々の方向へ飛ばすという器用さを披露する。

 小さな珠がオンギョウキへと飛ばされる中、珠が発光し再び破魔の光が発動する。

 急いで射程外へと逃れようとするオンギョウキ。しかし、珠が発する光は先程の時よりも強烈で範囲も広がっていく。

 一方でアザゼルへと飛ばされた珠からはドス黒く、昏い光が放たれた。見るだけで悪寒が走るそれは間違いなく呪殺の力。

 破魔だけでなく呪殺の力まで数珠に込められていることをこの時知る。破魔と呪殺という全く異なる力をこの世で唯一同時に操ることが出来る、だいそうじょうならば可能な芸当。

 その上に加えられる『黄昏の聖槍』の力。神の子を刺し、その血によって聖なる力を得たと同時に神の子の血で濡れるという大罪を犯した槍でもあり、聖槍と呼ばれながらも正邪の力両方に作用する。

 聖槍によって増幅された破魔と呪殺の力が、アザゼルとオンギョウキを滅ぼす為に広がり、二人を取り込もうとする。

 

 

 ◇

 

 

「落ち着けー俺! 落ち着け!」

『全く落ち着いていないぞ、我が分身よ』

 

 十メートルはあるだろう九本の尾を持つ金色の狐を前に匙は自らにそう言い聞かせているが、内にいるヴリトラが言う様に全く効果は無かった。

 

「いや、だってよぉ! うひょっ!」

 

 金色の狐が炎を吐き出してきたので、匙は全力疾走で炎から逃げる。

 

「向こうは全力で殺しに掛かって来てるのに、こっちは殺しちゃダメなんだぞ! 倒せるかどうかすらも分からないのに!」

 

 金色の狐こと八坂を救出するのが今回の作戦の目的であり、その命を奪ってしまったら本末転倒である。しかも、助ける筈の八坂はどう見ても洗脳されている状態であり、こちらに殺意に満ちた攻撃を仕掛けて来る。

 炎に延々と追われると思いきや、急に八坂が苦しみ出し、炎を吐くのを止める。

 

「何だ……?」

『どうやら何かしらの術式の要に据えられているせいで不調をきたしているようだ。先程から力を無理矢理注ぎ込まれているみたいだからな』

 

 ここに来る前のミーティングでアザゼルがパワースポットの気脈が乱されて二条城に集中していると説明していたのを思い出す。

 

「それって不味くないのか?」

『不味いな。あの狐が高位の妖怪だからこそまだ耐えられているが、いずれは器以上の力を満たされて──』

 

 そこから説明されなくとも分かる。ここで匙がどうにかしなければ、八坂の身が危ないのだ。

 

「……力を貸してもらうぞ、ヴリトラ。相手があんだけデカくて力が有り余ってんだ。あの人には悪いが、動けなくなるまでとことんやるぞ」

『無論だ。──しかし、気迫が増したな我が分身よ。与えられた責任の大きさに身が引き締まったか?』

「グレモリー眷属と関わると死線ばかりなのは勘弁だが……ま、学園の皆とかダチのこともあるけどよ……」

 

 脳裏に過るは九重の言葉。

 

『言われた……じゃが、母上の危機にじっとしてなどいられん! 頼む! 私も連れて行ってくれ!』

 

 そして、今の八坂の状態を知ればやる気が出ない筈が無い。

 

「俺も結構母親想いなんだよ」

 

 九重という狐の少女とは会って間もない。しかし、母親を想う気持ちならば共感出来る。

 

「狐のお袋さんよ、怪獣対決と行こうじゃねぇか! 『龍王変化』ッ!」

 

 匙の体が内から噴き出した黒い炎によって覆われる。黒い炎は大きく広がり、膨れ上がっていき、人から別の姿へ変わっていく。

 漆黒の炎が形を成していき、匙は長い胴を持つドラゴン──ヴリトラの姿へ変貌した。

 

『先ずは小手調べだ』

 

 ヴリトラの人格が表に出ると、鋭い眼光を八坂へ飛ばす。途端に八坂の周囲に黒い炎が発生する。八坂ではなく別のものを燃やすのが目的に見える。

 

『──駄目か』

(何をするつもりだったんだ?)

『あの九尾と術式との繋がりを断とうと思ったが、術式自体に自らを守る結界術が施されているな。随分と複雑な術式にしたものだ』

 

 八坂にパワースポットの力が強制的に注がれるのを止めてみようとしたが、ヴリトラの言う通り無駄に終わってしまった。ヴリトラの力が上手く通じない程の術式など脅威的だが、ただ単純に強固な訳でもない様子。

 

『結界は気脈の力を利用して中々に頑丈だ。……そして、生意気なことに我が炎への対策も施されているな。どうやら、連中は我らが術式を破壊しようとするのを見越していたらしい』

 

 行動を見透かされ、先手を打たれていたことを不愉快そうに語るヴリトラ。

 

(じゃあ、炎がダメなら蛇を使って弱らせるか?)

『九尾に流し込まれている力が多過ぎてすぐに破裂するのが目に見えている。兎にも角にも術式をどうにかするのが先だ』

 

 最初からヴリトラとしての戦いをいくつか封じられていることにヴリトラ内の匙は渋い顔をする。どうにかするべきなのだろうが、悔しいことに今の匙に名案は無かった。

 ヴリトラの出現に気付き、八坂は牙を剝いてヴリトラを威嚇する。

 未だに気脈の影響による不調は治っておらず呼吸が荒いが、正気を失った目を不気味に輝かせ、荒い呼気に炎を混ぜる姿には有名な妖怪らしい凄味があり、匙は思わず息を呑む。

 

『臆するな我が分身よ。恐れを抱くならば我を見よ。お前と並ぶは三界に名を轟かせた龍王よ』

(お、おう! 分かってる!)

 

 ヴリトラに鼓舞され匙も気合いを入れ直す。ここまで言われてまだビビっているのなら、ヴリトラの相棒として相応しくない。

 八坂は顔を上げ、喉を膨らませる。

 

『来るぞ!』

 

 反らしていた顔を正面に向けると同時に八坂の口から猛火が吐き出される。

 ヴリトラもそれに応じて黒い炎を吐き出し、真っ向から勝負を挑む。

 猛火と黒炎が衝突し、凄まじい衝撃を生み出すかと思いきや軽い音を立てて二つの炎は呆気無く消え去る。

 相手を燃やし尽くす猛火とヴリトラの力を奪う黒炎が絡み合った結果、相殺されてしまったのだ。

 

『互角か。獣の癖にやりおる!』

 

 相手の力量を褒めながらヴリトラは体の一部を変化させる。嘴の様な形をした器官が胴体の左右に作ると、嘴部分が開き中から『黒い龍脈』と同じラインが無数伸び出す。

 それらを一斉に伸ばし、炎の吐き出した直後の八坂に巻き付かせようとする。

 左右から挟み込む様にして逃げ場を封じ、手足や胴体にラインを巻き付けて動けなくする。

 その状態で力を吸い取ると──気の抜けた音と共に八坂の体は破裂して煙となった。

 

(何だこりゃ!)

『ちっ。化け狐の変化か!』

 

 何かを媒体にした変化に化かされていたことに驚く匙と不覚を取ってしまったヴリトラ。

 恐らくは炎を撃ち合った直後に入れ替わっていたのであろうが、変化が精巧過ぎるせいで気付くことが出来なかった。

 ならば、本体の八坂は何処にいるのか。ヴリトラたちが注意深く周囲を見回した時、ヴリトラの視界に何かが横切って行く。

 

(……蝉?)

 

 一匹の蝉が羽ばたいているだけのこと。大したことではない、と最初は思ったが、すぐに違和感を覚える。

 

(って! もう秋だぞ!)

 

 季節外れの蝉に嫌な予感を覚えた直後、蝉の体が炎に包まれ、変化を解いた八坂がヴリトラの胴体に噛み付く。

 

『ぐっ! そこまで変幻自在か!』

 

 十メートル程の巨体を虫の大きさにまで変えることの出来る八坂の変化に流石のヴリトラも騙されてしまった。

 胴体を揺さぶり、八坂の牙から逃れようとするも中々外れない。

 八坂はその状態から更なる追い打ちを仕掛ける。

 喰らい付く牙の隙間からどす黒い気体が漏れ出し、その気体はヴリトラの中へ流し込まれていく。

 

『これは……!』

(うっ……! げほ! げほ!)

 

 ヴリトラは異変に気付くと同時に中にいる匙が苦しみ出す。

 

『毒か……!』

 

 ヴリトラにとっては即座に効くような毒ではなかったが、ヴリトラと違って一体化している匙には大きな効果を齎していた。

 このままではヴリトラよりも先に匙の方が危うい。そうなればヴリトラも実体化を維持出来なくなる。

 

『やむを得ん!』

 

 ヴリトラの体が一瞬震え、次の瞬間には無数の黒い蛇となってばらけた。それにより八坂の牙が外れるが、代償として本体である匙を八坂の前に晒してしまう。

 八坂の正気の無い目がヴリトラの分身たちに紛れる匙の姿を捉えた。

 咆哮を上げ、匙を嚙み殺す為に大口を開いて突っ込んで来る。

 

「うおっ!」

 

 空中にいるので避けることも出来ないので反射的に両腕を翳して身を守る体勢となった匙。しかし、その程度の防御など八坂の牙の前では紙切れ同然。

 構わず匙を嚙み砕こうとした時、ヴリトラの分身である黒い蛇たちが八坂の顔に飛び掛かった。

 目の周りや鼻など重要な器官に噛み付く黒い蛇たち。それを嫌がり、八坂は匙への攻撃を中断して顔を左右に振るう。

 黒い蛇たちは噛み付いた状態から八坂の力を吸収し出す。だが、すぐに黒い蛇たちの胴体が膨れ上がり、ツチノコを思わせる体型となると破裂し消滅してしまった。

 ヴリトラが予想していた通り、パワースポットと繋がっているせいで八坂の力は無尽蔵にあり黒い蛇程度では吸収し終える前に過剰供給されて自滅してしまう。

 それでも匙から注意を逸らす目的は果たせており、落下してきた匙を下で待機していた黒い蛇の群が呑み込み、再びヴリトラの姿となる。

 

『毒の影響は無いか?』

(大丈夫だ……ちょっと体が怠いけど)

 

 ヴリトラの咄嗟の判断のおかげで匙への毒の影響を最小限に抑えられた。

 黒い蛇らを全て振り落とした八坂は、ヴリトラが顕現していることに気付き、もう一度噛み付こうとするが、その牙が届く前にヴリトラの尾が八坂の横顔へ叩き付けられ、殴り飛ばされる。

 

(おいおい……加減してくれよぉ……敵意剝き出しだけど洗脳されているだけなんだからな? 救出するのが目的なんだからもう少し優しくしてくれ……)

『あまり言いたくは無いが、龍王の中では我が一番非力だ。あの狐は気脈の影響で龍王と同等以上の力になっている。あの程度でどうにかなる程軟では無い』

(それならいいけど……え? 龍王以上なの? マジで……?)

 

 安心したのも束の間、ヴリトラから今の八坂が龍王以上だと教えられ、匙は顔色を悪くする。ますます抑え込むのが難題になってきた。

 横っ面を引っ叩かれた八坂が恐ろしい眼差しをこちらへ向けて来る。大妖怪が放つ本気の殺気に匙は心臓を握り締められた様な苦しさを感じた。

 

 オオォォォォォォォォォォンッ! 

 

 八坂が空に向かって吠える。すると、ヴリトラは額に冷たい感触を覚えた。

 

『雨……?』

 

 雲の無い空から急に雨が降り出してくる。天気雨、或いは古典などでは『狐の嫁入り』と言われている現象。

 八坂の鳴き声の直後に降ってきたので八坂が行ったものなのだろうが、小降りの雨を降らした所で一体何になるというのか。

 この時の匙とヴリトラはそう思っていた。

 ピシリ、という音が鳴る。それはヴリトラの間近で聞こえた。音は一度で止まず、何度も繰り返し聞こえて来る。

 

(何の音だ……?)

 

 内にいる匙と同じくヴリトラもその音が気になる。ふと、胴の一部に雨粒が落ちる。その直後にあの音が聞こえた。

 雨に合わせて音が鳴ることに気付いたヴリトラは、雨粒に濡れている筈の己の胴体を見る。濡れている筈の箇所が鼠色に変色──だけではなく凹凸がある表面に硬質化していた。

 

『これは……! しまった!』

 

 自らの油断を悔い、すぐに頭上に向けて黒い炎の壁を張ろうとする。しかし、途端に雨足が速くなり、ヴリトラの全身を濡らしていく。そして、濡れた箇所が変質していく。

 

(何だこれ! 何が起こってんだ!)

『奴の変化だ! 雨粒を石に変えて我らを石化させようとしている!』

(そんなのありかよ!)

 

 狐の変化は基本的には自分が対象である。しかし、例外として自分が出した力を媒体にした変化も可能である。八坂が身代わりを置いてヴリトラの目を欺いたが、あれは八坂が吐き出した火の粉を変化させたものである。

 そして、ヴリトラに起こっている現象もまたそれの応用。相手を変化させることは出来ないが、八坂が起こした雨粒を石に変化させることで疑似的な石化を行っているのだ。無論、これは気脈で力を増しているからこそ出来る芸当である。

 石化した部分に雨粒が落ちるとそれもまた石と化し、層の様に重ねられていきヴリトラの姿が岩に呑まれていく。

 

『ぐ、おおおおおっ!』

 

 全身から黒い炎を放つがそれすら呑み込み、ヴリトラは岩の中へと閉じ込まれる。

 その姿に、八坂は勝ち誇る様に遠吠えをした。

 

 

 ◇

 

 ……ア。……シア。……アーシア。

 

「う、うーん……?」

 

 誰かが名前を呼ぶ声が聞こえ、アーシアはベッドから体を起こす。

 

「あれ……? 私……」

 

 ベッドで目を覚ますことに違和感を覚える。こんな事をしている場合では無かった気がした。

 

「起きたか? アーシア」

 

 声がする方を向けば、一誠がこちらを心配そうに見ている。

 

「イッセーさん……?」

 

 また違和感を覚えた。何故、ここに一誠がいるのか、と。そして、見つめている一誠にも違って見える。彼女が知る一誠よりも落ち着いた雰囲気で大人びて見えた。

 

「イッセーさんって……また随分と懐かしい呼び方をするな」

「懐かしい……?」

「だって、それは俺達がまだ学園に通っていた時の呼び方だろ?」

「通っていた……? いえ、私たちは今も……」

「何十年も前の話だよなぁ」

「何十年って……」

 

 アーシアは言葉を失う。自分達はまだ学生であった筈だ。

 

「もしかして、寝ぼけいるのか?」

「いえ、そんなこと……」

 

 無い、と言おうとした時、脳内に覚えの無い記憶が溢れ出て来る。一誠の言う何十年分の記憶が怒涛となって押し寄せ、アーシアの戸惑いを消し飛ばしてしまう。

 

「ごめんなさい……ちょっと寝ぼけていたみたいです」

 

 アーシアは思い出す。一誠と自分は結婚して夫婦となったことを。最上級悪魔になったのをきっかけに冥界に移住し、日夜冥界の悪魔たちの為に働いていることを。

 そして──

 

「お父さーん。お母さん、起きた?」

 

 アーシアに良く似た容姿の少女が寝室へ入って来る。

 

「おー、今起きた所だぞ」

 

 少女はアーシアのベッドの傍まで来ると呆然としているアーシアを、小首を傾げて不思議そうに見つめる。

 

「お母さん。どうかしたの? 私の顔に何か付いてる?」

 

 アーシアは少女に手を伸ばし、そっと抱き寄せる。

 

「何でも無いわ。アイリ」

 

 自然と少女の名を呼ぶ。否、呼べて当たり前なのだ。アイリという少女は一誠とアーシアの愛すべき大事な娘なのだから。

 

「急にどうしたの?」

「気にしないで。──ちょっとこうしたかったの」

 

 いきなり抱き締められたことにアイリは最初は戸惑っていたが、すぐに満面の笑みを浮かべて小さな手でアーシアを抱き締め返す。

 幼い力の抱擁。その感触と温もりを感じるだけで幸福感が溢れ出てくる。

 一誠はそれを微笑ましく眺めていた。

 最愛の夫。最愛の娘。それによって創り出される家族。これ以上の幸せが何処にあると言うのだろうか。

 

 ──オン。

「……今、何か聞こえませんでしたか?」

 

 遠くで動物が鳴いた気がした。

 

「いや? 聞こえなかったけど?」

「何も聞こえないよー?」

 

 一誠とアイリは揃って首を横に振る。

 

「そうですか……」

 

 聞き間違いと思い、アーシアはアイリを抱いたままベッドから降りる。

 

 ──パオン。

 

 また遠くで動物が嘶いた気がした。

 

 

 ◇

 

 

 パオォォォォォォォ! 

 

『いい加減に目を覚ませ!』と怒気と共に大声量を発するギリメカラ。その対象となっているのは、ピラミッド型の結界の中心で眠っているアーシアであった。

 ギリメカラの咆哮など、そよ風よりも耳朶を震わせないといった様子で幸せそうなだらしない寝顔を晒している。

 それが余計にギリメカラを腹立たせた。だが、ギリメカラがアーシアを責めるのは少々理不尽なこと。何せ戦いが始まった途端にアーシアは結界の中に閉じ込められてしまったのだ。

 どう考えても予め罠が仕掛けられていた。ギリメカラすら発動されるまで気付かなかったぐらい綿密に隠された罠である。それを戦闘力の無いアーシアが気付くのは尚更酷なことであった。

 

「怒るのは大変結構。俺の胸がすく思いだ。だが、怒りに任せたまま結界を破壊することはお勧めしない」

 

 ギリメカラの怒りを更に煽るゲオルク。以前に屈辱を味わわされた立場もあって煽るゲオルクは、いつもの知的さを感じさせるクールな表情ではなく意地の悪さが見て取れる半笑いであった。

 

「その結界の強度は非常に脆い。お前が軽く小突けば簡単に破壊出来るだろう。今のアーシア・アルジェントの精神と結界は密接な状態にある。……結界を壊せばアーシア・アルジェントの精神も壊れるぞ」

 

 ゲオルクの説明を聞き、ギリメカラは心底面倒くさそうに単眼を細めた。

 

「そのまま眠らせてやってはどうかな? 今の彼女は幸福に満たされた夢の中にいる。全ての悪意と危険が無い文字通りの夢の世界だ。そんな夢から醒ますのは残酷では無いかな?」

 

 夢の世界に強制的に閉じ込めた本人が慮る様な台詞を吐くのでギリメカラは吹き出す。これ以上無い程に白々しい台詞であった。

 

 パオー。

 

『必死だなぁ?』と一応煽るギリメカラ。彼の指摘は間違ってはいない。

 ゲオルクからすればギリメカラとアーシアの組み合わせは最悪の一言に尽きる。並大抵の攻撃ではびくともしないギリメカラの耐久力。仮に傷を負っても即座に治癒することが出来るアーシアの神器。

 この二つが合わさってしまうとそれらを突き破る程の大火力を持っていない限り勝つことは不可能になってしまう。

 だからこそギリメカラとアーシアを引き離し、力を合わせることを出来なくした。アーシアを『絶霧』の禁手『霧の中の理想郷』に閉じ込めることが、ゲオルクにとって最も神経を集中させた作業であった。

 その甲斐あってギリメカラと一対一で戦える状況となっている。また、それとは別に『禍の団』の方針としてはアーシアを捕えたいという狙いもあった。

 アーシアの神器『聖母の微笑み』は稀少な神器であり、各陣営が血眼になって所有者を探している。小規模、大規模な戦闘が行われる中で回復要員は必要不可欠な存在になっている。

 押さえれば人員の消耗を減らすだけでなく逆に相手の人員消耗を加速させることになる。

 その為、ゲオルクも曹操からはなるべくアーシアを無傷で捕える様に言われていた。

 

「今度は勝たせてもらうぞ」

 

 ゲオルクは特に意味があって言った訳では無い。せいぜい意思表示程度ぐらいにしか意味を持たなかった。

 だが、反応はゲオルクすら予想出来ない程に劇的であった。

 

 パオォォ?(お前、生意気だな) 

 

 ゲオルクの体がビクリと一瞬だけ震える。常に怠惰な雰囲気を纏うギリメカラから本気の殺意を初めて向けられた気がした。

 ギリメカラからすれば、たかが回復要員の小娘一人封じられた程度で神滅具を所持しているとはいえ人間の魔術師風情の頭に勝利の二文字が過る時点で舐められているのも同然である。

 適当に痛めつけてやろう程度に思っていたギリメカラだったが、気が変わった。命は取らない。代わりに身の程を徹底的に思い報せることにした。

 ギリメカラは持っている片刃の剣を掲げ、そこに鼻を向ける。鼻から放出される黒い煙──毒ガスを剣に吹き付けた。

 鈍色の剣身が化学反応を起こしたかの様にどす黒く染まっていく。

 ギリメカラは黒く染まった片刃剣を水平に構える。ゲオルクはその光景に驚く。

 あの力押ししかしなかったギリメカラが技らしい技を放とうとしているのだ。

 嘶きと共に突き出される剣。瞬時に空気の壁を破るその突きは、地面が捲れ上がる程の衝撃波を生み出すと共に毒ガスによって猛毒を含まされているので、衝撃波が進む跡を毒によって汚染し、紫の色に染め直していく。

 猛毒を宿した破壊がゲオルクの誇りを砕き、穢す為に迫り来る。

 

 

 ◇

 

 

「はい☆」

 

 セラフォルーの冷気によってアンチモンスターたちが氷の塊の中へ纏めて閉じ込められる。

 二条城周辺でのアンチモンスター掃討は思いの外上手く進んではいなかった。

 アンチモンスターたちが強い、という訳では無い。セラフォルーや三鬼からすれば余裕を以て対処出来る程度の敵だが、厄介なことにアンチモンスター達には最低限の知能が宿っているらしく、強敵と判断されたセラフォルーや三鬼らと積極的に戦うことはせず、姿を見つけると一目散に逃げてセラフォルー達よりも弱い相手を見つけて攻撃するという狡い戦い方をしてくるのだ。

 それを守る為にセラフォルーはあっちこっちに移動する羽目になり、そのせいで余計に時間が掛かってしまう。

 

「もー、キリがない」

 

 鬱陶しいアンチモンスターも戦い方にセラフォルーも愚痴を零す。

 すると、セラフォルーの耳に悲鳴が聞こえてきた。またアンチモンスターらが京都の妖怪らを襲っている様子。

 

「待っててね!」

 

 悲鳴の許へ急ぐセラフォルー。十秒も掛からずにその場所へ着くが、そこでは今にも妖怪らがアンチモンスターの放つ光の力に消し飛ばされようとしている瞬間であった。

 間に合わない、とセラフォルーが思った瞬間、アンチモンスターの頭上に巨大な何か落ちてきたアンチモンスターを潰してしまう。

 呆気に取られる妖怪たち。セラフォルーも同じ気持ちであった。

 アンチモンスターを潰したもの、それは岩とも石とも分からない未知の素材で作られた巨大で太い足。

 視線を上げていくとその太くて大きな足にあったこれまた太く巨大な手も見え、全体を見ると十メートルはある巨人がそこに立っていた。

 その巨人の肩には三角帽子とマントを付けた少女──ルフェイが申し訳なさそうな表情で立っている。

 セラフォルーを発見すると、ルフェイは恐る恐る訊ねた。

 

「もしかして……私、遅刻しちゃいました?」

 

 

 




今回は前回書いてないメンバーの戦いとなっています。一部を除いてだいたい苦戦している感じです。

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