ハイスクールD³   作:K/K

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雪精、登場

 初日の特訓が終わり、二日目の朝。その日一番の特訓はシンと一誠の実戦形式の訓練から始まった。

 しかし、実戦形式とは言ってもお互いに制約が掛けられ、一誠は『赤龍帝の籠手』の使用禁止。シンは『氷の息』の使用禁止を始める前に告げられていた。

 両者が互いに睨み合う光景を、少し離れた場所でリアスたちが見物をしている。

 一誠は左手を引き大きく足を開いた我流の構えをとり、それとは反対にシンの方は構えらしい構えをとらず、両手を脱力した状態で垂らしていた。

 

「それじゃあ、始めて」

 

 リアスの開始の声と同時に一誠がシンへと一直線に突っ込んでくる。その迷いの無い行動は一誠の人格を良く現していた。だが、シンの方もその迫力に怯むことなく、後方へと下がって一誠との距離を開けるのではなく、逆に前へと飛び出した。

 懐へと一気に距離を詰めたシンの行動に完全に攻撃のタイミングを外された一誠は、その場で急停止すると同時に左手の甲をシンの頭部目掛け振るう。その反撃を読んでいたのかシンは振るわれた左手の甲に突き出した肘を当て、防御と同時に一誠の左手にダメージを与えた。

 その痛みに僅かに硬直する一誠のジャージの襟元を片手で掴むと一気に引き寄せ、膝を一誠の鳩尾に叩きつける。が、その攻撃は一誠の右手が受け止め、直撃を辛うじて回避する。しかし、シンはその状態で一誠の左手を掴み、動きがままならない様にすると立て続けに膝を何度も打ち込み始めた。

 最初の方は防御が出来ていた一誠であったが、徐々に片手で防ぐことに限界が見え始め、遂にはシンの膝が一誠の鳩尾に突き刺さった。

 

「ぐっ!」

 

 苦鳴の混じる一誠の声。その声で相手が怯んだと確信した瞬間、シンは一気に勝負に出た。

 シンは掴んでいた左手を離し、そのまま左拳を先程膝を入れた鳩尾に容赦なく叩き込む。手加減無しで放った拳は一誠の体を少しの間だけ宙へと浮かせた。シンの耳に再度一誠の苦痛に満ちた声が聞こえたような気がしたが、シンの動きは止まらない。

 左の拳の次は右の拳を同じ場所へと捩じ込み、その右を引けば左を突き入れる。その左右の繰り返しを、息と体力が続く限り全速力で行う。

 暴れまくる右と左の拳撃。

 やがて息が続かなくなり限界が見えたと同時にシンは強く踏み込むと、両腕を交差するように構え、そのまま一誠の胸元に飛び込む。

 だが、一誠も黙ってやられる訳も無く、飛び込んでくるシンに対し防御ではなく、迎撃をすることを選択。左手を拳の形に固めると向かってくるシンの顔面へとそれを放った。

 交差する二人。しかし、それは瞬き程の間だけであり、一誠の拳はシンの頬を浅く切り裂いただけに留まり、一誠の胸元にはシンの交差した両腕が深々とめり込んでいた。

 一誠の体は後方へと飛び、そのまま近くの木に背中から衝突、そのまま崩れ落ちた。

 この瞬間にシンの勝利が決まった。

 

「あー、いってー!」

 

 アーシアの『神器』で治療を受けている一誠が集中的に狙われた腹部をさすっている。ジャージを捲り、外気に触れさせている一誠の腹は、シンの拳の痕がいくつもの青痣となって視覚的に痛々しく映る。

 一誠が怪我を回復させている間にシンはリアスたちから、先程の戦いの良かった点、悪かった点について指導をされる。リアスからは基礎体力の不足を指摘され、実戦ならば長期的な戦いは無理であると言われる。その後に戦いの中で冷静な判断は出来ていたことを褒められた。木場は、足運びの基礎を学べば更に素早く動けると言い、小猫は肘や肩の動きをもっと連動させれば疲労を抑え、威力を高められるとアドバイスした。

 全員からの指摘が終わると、一誠の方も治癒が終わったらしくアーシアを連れてリアスたちの方へと歩いてくる。

 一誠が合流するとすぐさまリアスたちからの指摘の嵐。思いっきりはいいが、その後が続かないのはダメ、動きが直線的で読みやすい、などなどの目立った点を指摘され、一誠は一つ一つどの様に改善していけばいいのかを聞いていく。

 その光景を少し離れた場所でピクシーと見ていたシンであったが、いつの間にか側にアーシアが近づいていた。アーシアは、そのままシンに何かを言いたそうな表情をしながら視線を往復させていた。

 

「どーしたの?」

「あ、あの――」

 

 アーシアの様子に肩に乗っているピクシーが尋ねる。シンはこのとき内心で、一誠を殴り飛ばしたことに文句があるのではないかと思っていた。アーシアにとって一誠は大事な人であり、自分のことを救った存在である。そんな一誠を訓練とはいえ目の前で殴り続けるのを見ていて気分など優れる筈など無い。

 文句や罵声の一つを覚悟していたシンであったが、アーシアの言葉はシンの予想を裏切るものであった。

 

「間薙さん! 頬を怪我していますよ!」

「……ん?」

 

 アーシアに言われて反射的にシンは頬を指先で触る。触った指先には確かに少量の血が付着し、怪我が有ることを示していた。怪我の存在を認識すると、今まで感じなかったひりひりとする痛みが頬から伝わってくる。

 

(ああ、あのときか)

 

 シンの脳裏にかすっていく一誠の左拳の映像が浮かぶ。戦いの中で高揚していた精神のせいで、傷の痛みを全く認識などしていなかった。

 

「すぐに治しますからね」

「ええ、こんな傷で『神器』使うの? あたしが治すよ?」

「すみません、ピクシーさん。皆さんの傷を治すのは私の役目ですから」

 

 そう言って笑うアーシアに、シンは何とも言い難い気持ちになる。あえてこの気持ちを言葉にするならば『恥ずかしい』というものに近かった。

 アーシアは『神器』を発動させると手から緑色の光が溢れ出し、その魔力をシンの頬へと当てる。元々、大した傷では無かったので一秒もかからずに頬の傷は消え、痕一つ無い状態となっていた。

 

「すまないな」

「いえ、気にしないでください」

 

 シンとしては傷を治してもらったことに対する礼の意味での言葉ではなかったが、アーシアはそう捉え、童女を思い起こす様な純真な笑みをシンへと向ける。

 

「ねえねえ、アーシアはシンがイッセーのことボコボコにしたこと怒ってないの?」

 

 シンが聞き難かった質問をあっさりと口にするピクシー。正直、シンもそのことについて詳しく聞きたかった為、ピクシーのことを咎めることが出来ない。むしろ、その質問をしたことに感謝する気持ちもあった。

 ピクシーの質問にアーシアは目を伏せ、困惑とした表情になる。流石に直球過ぎる質問だったとシンは思い、アーシアに答えなくてもいいという言葉を掛けようとする前にアーシアが口を開いた。

 

「本当のことを言えば、イッセーさんが傷付くのを見たくありません。でも、間薙さんが傷付くのも見たくありません。……特訓の為だから仕方ないことは分かっています。お二人が強くなろうとするのは部長さんのためですし、私も部長さんの力になりたいと思っています。イッセーさんや間薙さん、部長さんたちも私を助けてくれた大事な人たちですから」

 

 アーシアの言葉を聞いていく度に先程の『恥ずかしい』と似た気持ちが強くなっていく。シンは、今更であるがあることを認識した。

 

(自分はどうやら、とことん人を見る目が無いらしい)

 

 心の裡で自分を嘲笑する。

 

「だから、私は私の出来ることをします。皆さんが傷付いたら必ず私が治して見せます。それが私の唯一出来ることですから……」

 

 アーシアが思いを語り終わるとパチパチと小さな拍手が鳴る。

 

「アーシア、カッコいい! ねえ、シンもそう思うでしょう?」

「――ああ、確かにカッコいいな」

 

 二人から褒められたことにアーシアは照れから赤面し、あたふたとし始める。

 

「そ、そんな、わ、私なんてカッコよくありませんよ!」

「ええー、さっきのアーシアカッコよかったよ! アーシアカッコいい! カッコいいアーシア!」

「も、もう! ピクシーさん! からかわないでください!」

 

 カッコいいと連呼するピクシーにアーシアは赤面した顔で抗議する。ピクシー本人は囃し立てるつもりではないと思えるが、言い続けられる言われ慣れない言葉にアーシアは顔だけでなく耳まで朱に染めるのであった。

 その時、リアスたちからの指摘を終えた一誠がこちらへと歩いてくる。赤面をしているアーシアに一誠は不思議そうな顔をして、どうしたんだと尋ねたが、アーシアはしどろもどろとなって言葉を濁すばかり。それを見ていたピクシーが意地悪な笑みを浮かべ、先程のやりとりを一誠に話そうとする。しかし、普段の行動からは想像出来ない程の素早さでピクシーの口を押えると、その場からピクシーを連れて離れていってしまった。

 その光景を一誠を口を開け、ポカンとした様子で見送る。

 

「なあ、何かあったのか?」

「別に大したことじゃない。ああ、それと」

 

 シンもまたその光景を見ながら一誠に言うべきことだけを言っておく。

 

「部長のこともいいが、あの娘も大事にしてやれよ」

「ん? おう、そりゃ当たり前だけど」

「それならいい」

 

 改まって言ったシンに一誠は当然の様に答え、そのままそそくさと歩いていくシンの後姿を首を傾げて見ていた。

 シンは愛だの恋だの、そういった類の感情から今の台詞を言った訳では無い。ああいった存在にはそれ相応の幸福な結末があって欲しい。

 ただ、それだけの願いである。

 

 

 

 

 早朝の実戦形式の特訓が終わり朝食を食べることとなったが、そこで小さな事件が起きた。朝食の準備をしていた朱乃がクーラーボックスを開いたとき、小さくではあるが疑問を持った声を出したからだ。

 その声をたまたま聴いたリアスがどうしたのかと訊くと、朱乃は野菜が数本無くなっていると告げた。

 料理の材料を仕入れたのは朱乃とリアスであり、購入の際にどれほどの量を買ったのかをしっかりと記憶していると朱乃は言う。念の為にリアスの方も確認をするが、やはり昨日の時点の本数と今朝の時点での本数に誤差があった。

 

「野菜泥棒ですか? 部長」

「確定はしていないけど、多分そうね」

「野生の動物の仕業とかの可能性は……」

「……動物の匂いはしません」

 

 全員が誰の仕業かに心当たりがあった。

 シンはピクシーの名を呼ぶ。ピクシーはシンの肩から降りるとクーラーボックスの前まで飛び、そこで鼻を動かす。

 

「うん。やっぱり昨日と同じ匂いがするよ」

「そう、なら決まりね」

 

 ピクシーの言葉で、やはり野菜を盗んでいったのが昨日の正体不明の傍観者であることが確定する。が、決まった所で一体どうするのか、全員の間に微妙な空気が流れる。

 害があれば謎の存在を探す、リアスはそう決め、皆もそれに同意した。確かに害らしい害があったが、あまりに小さな被害である。盗まれたのは野菜がたった二、三本、正直これぐらい無くても飢えることなど無いし代用できる山菜などが山に大量にある。わざわざこれ位の被害で限りある時間を消費し広大な山から犯人を捜すのは割に合うものではない。

 

「――もう少しだけ、様子を見ましょうか」

 

 訓練と犯人捜しを天秤に掛け、リアスの天秤は訓練の方へと傾いた。皆もその決定に反対することはなかった。

 午後からは昨日と同じ木場と小猫からの直接指導という予定で、午前はリアスたちから悪魔などについての知識を学ぶ勉強会を行うこととなった。

 少しでも実力を付けなければならない時に態々勉強などをしていていいのかと言う意味を含んだ言葉をリアスに問い掛ける。

 

「あら? あまり強がりを言っちゃ駄目よ」

 

 返ってきた答えにシンは返す言葉が無かった。その一言で、シンの現在の体調について見抜かれていたと言ってもいい。昨日の深夜まで及ぶ特訓で、シンの体はあちこちで筋肉が痛みを訴えていた。シンの体調がこうであるならば、必然的に一誠の方も似たような現状であると思われる。

 朝一の実戦形式の特訓ではその痛みを押し殺して戦っていたが、やはり分かる者にはシンと一誠の動きのぎこちなさが分かるらしい。

 抜けきっていない疲れを取る為、ただしその間に出来た時間を無駄にしない為の勉強会。そんなことをしていていいのかと問い掛けたシンではあったが、内心休む時間を得られたことに喜ぶ節があったのでリアスの言葉を大人しく聞き、ノートを広げてシャープペンシルを手に持つとリアスたちの悪魔についての話を聞くのであった。

 それから一時間後。

 数分で勉強に飽き、テーブルの端で眠るピクシーを余所に今までのおさらいをする。

 

「じゃあ、イッセーくん。天使の最高位とそのメンバーは?」

「最高位は『熾天使(セラフ)』だろ……で、メンバーはミカエル、ラファエル、ガブリエルに……あとウリエルか」

「正解」

 

 眉間に皺を寄せながら、蓄積させた知識の中から正解を取り出す一誠。答えが合っていたことに問題を出した木場は満足そうに頷く。

 

「続いて僕らの『魔王(サタン)』さま。『四大魔王』さまの名前を言ってみてくれるかな」

「おう! ルシファーさま、ベルゼブブさま、アスモデウスさま、そして紅一点のレヴィアタンさま!」

「うん、正解」

 

 続けて正解を言った一誠に木場は小さく拍手を送る。側で聞いていたアーシアも木場に倣って拍手を送った。その拍手に一誠は照れた笑みを浮かべ、少しだけ恥ずかしそうに頭を掻く。

 

「では、今度は間薙くんの番だね。堕天使の組織名と幹部を全部言ってくれるかな?」

「組織名は『グリゴリ(神の子を見張る者)』。幹部は、一番上がアザゼル、その次がシェムハザ。その他の幹部はアルマロス、バラキエル、タミエル、ベネムエ、コカビエル、サハリエルだろ?」

「正解」

 

 さっきと同じく木場とアーシアが小さな拍手を送る。今度は一誠も加わって三人からの拍手。人から素直に褒められると、何ともこそばゆい気持ちが心の中に湧いてくる。一誠が少しだけ恥ずかしそうにしていた気持ちが分かる。

 天使、悪魔、堕天使についての勉強が済んだ後、今度は先程まで一緒に学んでいたアーシアが前に出て、少し緊張した面持ちで『悪魔祓い(エクソシスト)』についての講義を始めた。

 基本的に『悪魔祓い』には二種類有り、聖書、聖水などを用いて人の体に憑りついた悪魔を祓う、人に聞かれたならば真っ先に思い浮かぶのが『表の悪魔祓い』。そして、以前戦ったフリードの様な堕天使から力を授かり、その力で捻じ伏せにくるのが『裏の悪魔祓い』である。

 『悪魔祓い』について教え終わると、次に講義することとなったのは悪魔が苦手とする聖書と聖水についてであった。聖書はアーシアが持参したバッグから何冊か取り出し、聖水はリアスが慎重な手付きでどこからか持ってきた。アーシアの説明を聞く限り、リアスが持ってきた聖水はアーシア自作のものであるらしい。

 

「持ちますよ」

 

 シンはリアスから聖水の入った小瓶を受け取る。シンが体質で聖水が効かないことを知っていたリアスは小瓶を渡し、一言礼を言った。一秒でも長く持っていたくないという気持ちが見て取れる。上級悪魔でも聖水の効果はやはり脅威であるらしい。実際に見たことはないが、悪魔が聖水に触れると人間が劇薬に触れた様な反応を示すとシンは聞かされていた。

 アーシアの講義を聞きながら持参した聖書の一つを手に取り、シンはそれに目を通す。一誠たち悪魔は聖書の文自体を読むことでもダメージがあるらしく、一文でも目に入るものなら目に強力な光を当てられた様な状態となる。更に運悪く脳内に記憶として刻まれようものなら、延々と頭痛に苦しむ羽目になるという。

 悪魔の持つデメリットに同情しながら、手にしている聖書の一節を試しに声に出さず口だけ動かして読んでみた。

 その瞬間、シンを除く全員が頭を殴られた様に頭を押さえる。

 

「悪い」

 

 その光景を見てシンは反射的に謝るのであった。

 アーシアの講義も終わり、午前の勉強会から午後の特訓へと移ろうとしたとき、朱乃がリアスを呼び止めた。

 

「部長、あの『存在』については教えないのですか?」

「アレのこと?――教えても良いことなんてないわ」

「僕としてはもう少し後でもいいかと思いますが……」

「……私は早めに知っておいた方がいいと思います」

 

 珍しく意見が割れる。リアス、木場は朱乃が口にした『存在』というものに関してあまり良い感情を持っていないことが見て分かる。だが、教えることを進める朱乃と小猫も決して良い感情を持っていない。共通して嫌悪の感情が持たれていた。

 

「あの、部長。俺、悪魔になってまだ日が浅いですけど、少しでも早く悪魔やそれに関することを知りたいです。……部長が良ければですけど」

 

 おずおずと手を挙げ学びたいという意思を伝える一誠、アーシアも一誠の意見に賛成、シンも特に何も言わず、態度で聞く意思があることを示す。

 リアスは難しい顔をしていたが、やがて溜息を一つ吐き、一誠たちに向き直った。

 

「出来ればもう少し後で教えるつもりだったけど――分かったわ。あなたたちの意志を尊重するわ」

「ありがとうございます! それでアレってなんのことですか?」

 

 一誠はリアスに頭を下げた後に気になった言葉の意味を尋ねた。

 

「あなたたちも悪魔として生きるなら決してこの名前は忘れてはいけない。覚えておきなさい『魔人』という名を」

 

 その言葉を聞いたとき、シンの心臓は理由も無く跳ね上がるかの様に鼓動を増した。リアスの口から出てきた初めて聞く言葉。その筈にも関わらず、黒く纏わりつく様な既視感がシンの心の裡に湧いて出てきた。

 

「『魔人』ですか? それって何です?」

「悪魔、天使、堕天使、共通の敵の呼称みたいなものよ。詳細については一部の存在にしか知れ渡っていないけど、『魔人』という存在の恐ろしさだけは全てに伝わっている。――小さい頃にお母様に叱られたときによく言われたわ、『悪いことをすると魔人が攫いに来ますよ』って」

「それって、おとぎ話の存在ってわけじゃないですよね……」

「『魔人』の存在は昔の戦争で確認されているわ。それ以降も度々目撃されている。現在で確認されている数は九体よ」

「どうしてそんなに恐れられているんです?」

「彼らが敵味方なく全てを殺しにかかるからよ。戦争のときも三つの陣営に襲いかかったり、『魔人』同士が争って周りに被害を与えたり、存在そのものが死を撒き散らす害悪そのものだから」

 

 ごくりと唾を飲み込む音が一誠の喉から鳴った。アーシアもリアスの言葉にただならぬ恐ろしさを感じたのか、一誠の服の端を掴んでいる。

 

「現在、九体の内の四体は戦争以降姿を見せていない。そして、天使側と堕天使側も共に一体ずつ『魔人』を封じている。でも残りの三体の行方は不明、三体の内の二体は数年に一度くらいしか確認されていないけど、この残りの一体は今でも活動し続けている」

「今も……ですか?」

「そう、いまだに悪魔や天使、堕天使を見境なく殺し回っている」

 

 リアスの言葉にアーシアは身震いする。服の端を掴まれている一誠の顔色も優れない。その様子にリアスは軽く息を吐く。

 

「怖がらせたみたいね。だからあんまり教えたくなかったのに、聞いていてあまり気分が良くなるはなしじゃないでしょ?」

「ま、まあそうですね、なあ、間薙」

 

 一誠が同意を求め、声を掛けるが返事が無い。一誠がシンの方に顔を向けるとシンは思い悩むように、微動だにせず考え込んでいた。

 

「間薙?」

「――ん? ああ、そうだな」

 

 どこか気の抜けた返事をした後にシンは、再び沈黙する。その姿にしばし疑問を持つ一誠であったが、リアスが午後の訓練を開始する号令を出した為にそちらの方へと意識が向けられ、疑問の方は頭の隅に追いやられてしまった。

 シンもリアスの声に従い動き始めるが、思考の方は未だ『魔人』という言葉について考えていた。寝ていたピクシーを揺すり目を覚まさせながらも、心の一部は何処か別の場所に移されたかのように答えの分からない思考を繰り返す。

 その日、一日の訓練中、シンの中から『魔人』という単語が消えること無かった。

 

 

 

 

 ソレは、昨日の様に草木の陰から覗いていた。

 二日前からやって来た、見慣れない存在。ソレが何度か見てきた人間とは違った気配を纏い、その気配からは何故かソレは引き付けられるものを感じた。

 昨日は草叢から覗いていたが、危うくばれそうになったので、今は少し離れた高い木の枝の上から覗いている。

 彼らと接触し、近くで見るという選択肢もあったが、ソレは未知に対する好奇心と共に彼らについて何も知らないという怖さを胸の中に抱いていた為、直接的な接触にはやや慎重な態度を取っていた。

 昨日は違い、長い棒を持った男が手に不思議な模様を刻んだ男と戦っている。男が振るう棒を模様の男が素手で受け止め、空いた手で殴り返していた。

 ある程度見ると、それは木から降りて別の場所に歩いていき、目的の近くまで着くと再び木によじ登っていく。

 ソレの視界の先には小さな女性と声の大きな男性が戦っていた。男性は力一杯に拳を振り下ろすが、小さな女性はその腕をあっさりと掴むとそのまま近くの木の幹に男性を背中から叩きつける。叩きつけられた男性は背中を押さえて悶絶し、痛みのせいで体が反り返っている。

 

「ヒホホホホホ!」

 

 その姿が面白かったのかソレは腹を押さえて笑っていたが、少々笑い声が大きかったのか小さな女性の目がソレのいる方向に向けられた。

 

「ヒホ!」

 

 慌ててソレは木から降りると一目散に走り、その場から逃げた。

 短い足を動かしどれほどの距離を移動したのかは分からないが、ソレは限界まで走りきった後に後ろを振り向く。背後からは誰かが追いかけてくる気配は無かった。

 ソレは安堵の息を吐くとそこから周囲を見渡し、目印になるものでも見つけたのか再び走り出す。

 生い茂った草木を抜けた先にあったのは、山壁に空いた横穴であった。大人が入るには少々窮屈な大きさではあるが、ソレが入るのには十分な大きさである。

 ソレが、横穴の中に入ると壁面を眺め始める。横穴の壁面には石か何かで描いたのか、子供の落書きの様な壁画がいくつも描かれていた。壁面の絵は共通して、丸を二つ縦に並べた二頭身の二又に分かれた帽子を被った雪だるまの絵、それが何十も描かれていた。

 ただ、一つだけ違う絵もあった。その絵は多くの雪だるまたちの中心に描かれ、帽子では無く、王冠を被っている。

 ソレは少しの間その絵を眺めていたが、やがて絵から目を離すと徐に短い手を前に突き出し、それを引くと共に反対の手を突き出した。

 それは先程まで見ていた者たちの真似であった。その行為が何を意味するのかは、やっている本人にしか分からないことである。しかし、何度もそれを繰り返すソレの黒い瞳には強い決意が確かにあった。

 

 

 

 

「あー、生き返るー」

 

 二日目の夜。訓練で流した汗を温泉で洗い流す男子一同。湯船に浸かり頭に手拭いをのせた一誠は、溜まった疲労を吐き出すかの様に声を出していた。

 

「ふふふ、お疲れ様」

 

 いつもの爽やかな笑みのまま、木場は一誠の苦労を労うのだが、一誠は目を細めて木場を見る。

 

「何がお疲れ様、だよ。涼しい顔しやがって……お前に喰らった箇所が未だに青痣になって残ってるぞ」

 

 そう言って一誠が右肩を指差すと、そこには長く縦に伸びた痣の痕。よく見れば他にも円形の痣がいくつもあった。おそらく円形の痣は小猫の拳によるものと思われる。

 

「ははは、ゴメンね。特訓と分かっていてもたまに寸止めが出来ないことがあるからね」

 

 申し訳なさそうな表情になる木場。シンも午後の特訓の最中に木場から、脇腹に強烈な一撃を貰い、一誠と同じくその箇所は青紫色に変色をしていた。尤も一誠やシンも悪魔の力があってこそ、その程度の怪我で済ますことができた。

 しばらく談笑していた三人であったが、その耳にある声が入ってきた。

 

「うーん、やっぱ広いね!」

「あらあら、はしゃいじゃ駄目ですよ」

「ふふふ、急がなくても温泉は逃げないわよ」

「ピクシーさん! せめてタオルぐらい巻いて下さい!」

「……その格好は、はしたない」

 

 男湯と女湯を隔てる木の壁一枚向こうから聞こえてくる女子たちの楽しげな声。その声に反応し、一誠の顔は湯以外の原因で朱に染まっていく。

 

「こ、これは……」

 

 血走った一誠の目は向こうを見透かすかの様に壁を凝視し、生唾を飲み込む。

 

「イッセーくん、駄目だよ」

 

 木場が一誠の内心を見通した上での一言。

 

「ば、ばばば馬鹿野郎! お、俺は覗きなんてしないぞ! そ、そんなことをしたら嫌われるだろ!」

「落ち着け」

 

 覗きなどという言葉など一言も言っていないのに、動揺して要らぬことを口走る一誠。しかし、初日に小猫に釘を刺されていたせいか、ある程度の自制は出来ている様子であった。

 悶々としている一誠に木場は苦笑し、シンは黙って目を瞑り温泉を堪能する。すると――

 

「おーい! そっちはどう?」

 

 ――隔てた壁の上からピクシーが男湯を覗き込みながら声を掛けてきた。

 

「うおっ! やめろ! 今の俺を見るな!」

「あはは……ちょっと恥ずかしいね」

 

 慌てて頭に乗せていた手拭いを湯船に突っ込む一誠と、異性に覗かれているということに少し羞恥心を見せる木場、シンは片目だけを開け、少々面倒くさそうにピクシーの方を見た。

 

「ピ、ピクシーさん! そんなことしちゃ駄目です!」

 

 壁の向こう側からアーシアの驚く声。

 

「えー、いいじゃん別に。あたしは恥ずかしくないし」

「それでも駄目ですー! 降りてきて下さい!」

「じゃあ、あっちに降りるね」

「それはもっと駄目です!」

 

 男湯に入ってきそうになるピクシーを必死に呼び止めるアーシア。しかし、その努力の甲斐も空しくピクシーは壁を飛び越えようとする。

 

「きゃん!」

 

 しかし、寸での所でピクシーの顔面に湯が当たり、そのまま女湯の方へと戻してしまった。

 

「風呂場で騒ぐな」

 

 シンがぴしゃりと言い放つ。その右腕は軽く曲げられ、さきほどの湯を当てたのがシンであることを示していた。

 

「お前も容赦ないな」

「確かに」

 

 一誠と木場の二人が軽く笑う。シンは肩まで湯に浸かり直すと再び目を閉じる。

 

「風呂場ではしゃぐ方が悪い」

 

 

 

 

 三日目の朝も前日と同じく、シンと一誠の実戦訓練から始まった。一進一退の攻防であったが、一瞬の隙を突いてシンは一誠に勝利をした。

 昨日の様に悔しがる一誠であったが、シンの目にはその顔に陰のようなものが見えた。

 そして、その後に朝食の時間であったが、その際にあるものの確認を行った。前日と同じくクーラーボックスを外に出していたが、今回はあえて外に出していた。

 中身を確認すると、やはり野菜が数本無くなっている。今回は野菜の他にも菓子類や肉などを入れてあったが、手を出していたのは野菜のみであった。

 

「ベジタリアンなのかしらね」

 

 リアスの率直な感想。得体の知れない存在が山の中に潜んでいるという割には、やや緊張感が欠けたものであったが、何となくではあるが皆、野菜を持っていく存在からは悪意というものを感じ取れなかった。

 

「今日も試してみましょう」

 

 笑顔で提案するリアス。本来の目的からずれ始め、殆ど野生動物への餌付けのようなものへとなっていた。

 その日の特訓の最中にも視線を感じたが、特に誰も追うことも無く訓練に集中をしていた。そうすれば、いつの間にか視線の主は何処かへと行ってしまうのが分かったからであった。

 四日目の朝、お決まりとなった三回目の実戦訓練が始まる。

 

「おりゃあああ!」

 

 踏み込んで突き出してくる一誠の左の拳を右に滑る様にして回避するシン。そのまま前のめりになった一誠の側頭部に狙いを付け右拳を繰り出すが、一誠はその瞬間を予め狙っていたのか、重心となっている足を軸にして九十度回転し、右腕でその攻撃を防ぐ。そして同時に左拳をシンの顎目掛けて突き上げた。

 シンは数歩後ろに下がってそれを回避するものの、足を止めた先にあった大きめの石を踏みつけてしまったことで体勢が揺らぐ。その隙を逃さず一誠は、距離を一気に縮めて仕掛ける。

 僅かな間に回避は無理と判断したシンは、己の右手に意識を集中させる。するとそれに反応して魔力が右手の中に収束し、始めは球状であったものが形を変え、一メートル程の長さの剣の様な形となる。

 シンはその剣状になった魔力を躊躇う事無く、向かってきた一誠の腹部へと突き刺した。

 

「いっ!」

「イッセーさん!」

 

 シンの凶行に一誠は驚愕の声を出し、見学をしていたアーシアも悲痛な叫びを出す。が、すぐに一誠の表情は驚愕から困惑へと変わった。

 

「あれ?」

 

 その間にシンは一誠の胸元を掴むと両足を払い、宙に浮いた一誠の体を背中から地面へと叩きつけた。衝撃に息を無理矢理吐き出させられる一誠の顔面に拳を振り下ろすが、当たる直前で寸止め。それを見ていたリアスから特訓終了の合図が出されるのであった。

 終了と同時に血相を変えたアーシアが駆け足で一誠に近付き、刺された部分を見たがそこには傷一つ無く、それどころか服に穴すら無い。

 

「驚かして悪いが、これじゃあ傷なんて付けられない」

 

 シンはもう一度手から剣状の魔力を作り出すと、自らの左腕に振り下ろした。魔力の剣が腕の中心まで届き、骨まで達しているかの様に見えたが、シンの表情には苦悶一つ無い。

 シンは振り下ろした魔力の剣を上げる。剣が食い込んでいた筈の左腕には何も無く、代わりに剣の方が、腕の形に合わせて抉れていた。

 

「見ての通りの張りぼてだ」

 

 この技は木場との特訓での際に編み出したものである。一誠とは違い、木場からは剣術ではなく武器を持っている相手に対して素手で戦う方法を学んでいた。この点は自分の可能性を知ろうとする一誠と、可能性を絞って研鑽するシンとの違いであった。

 木場が木刀に魔力を纏わせていたのをヒントに、シンは魔力を剣の形に変えるという技術を身に付け、相手の意表を突くという考えの下、木場との実戦にも使ってみた。

 結論から言えば大失敗であった。

 まず魔力の剣自体に攻撃力が無く、触れれば剣の方が消失するほどに脆い。木場曰く、もっと魔力を圧縮すればそれなりの硬さにはなるらしい。次に維持し続けるのに魔力をかなり必要とする。常に手の平に魔力を送り続けなければ、剣の形を留めることが出来なくなる。

 使用方法に難が有り過ぎ、先程の一誠の様に怯ませる程度にしか使い道が無く、しかも同じ相手には見てくれだけと理解されているので二度以上使えない。編み出した本人すらも使い道に悩む技であった。

 シンは一応、この魔力の剣について一誠に説明をしたが一誠は軽く笑い、それでも大したもんだ、とシンを褒めた。が、シンにはその一誠の表情に昨日以上の陰を感じ、どこか無理をしている様子に見えた。

 シンは声を掛けようとするが、一誠は足早に特訓場所へと移動していく。結局この日、シンは一誠に話し掛けることは出来なかった。

 その日の深夜。シンは喉の渇きを感じ、目を覚ました。

 疲労で重くなった体を慎重に動かし、周りで寝ている木場と一誠を起こさない様に水のある場所を目指す。

 キッチンに着き、水を一杯飲むとそのまま寝室へと戻ろうとするが、そのときシンの耳に物音が入ってくる。

 音の場所は恐らく外、何かを漁るような音であった。シンの脳裏に連日の謎の存在の姿が浮かび上がる。

 シンは出来るだけ音を殺しながら移動し、別荘の外に出る。悪魔と違い、あまり夜目が利き難いシンであったが、クーラーボックスの付近で確かに何かが漁っているのが見えた。シンは気配と息を殺し、それとの距離を詰めていき、届く間合いまで接近すると一気に飛び掛かった。

 

 

 

 

『イッセー、いらっしゃい』

 

 それを見たとき、一誠は夢であると認識した。何故なら、目の前に一糸纏わぬ生まれたままのリアスがいたからだ。

 

(ああ……まだ、あれが記憶に残っているのか……)

 

 いつぞやのリアスが迫ってきた光景を思い出す。その記憶を元に再現された目の前のリアス。自分のエロ方面の記憶力の良さと日常生活での応用の出来なさを実感してしまう。

 そんなことを考えているうちに目の前のリアスが一誠の両手を掴み、そのまま自分の胸にと持っていく。

 夢であると分かっていても一誠はやはり興奮し、出来ればまだ醒めないことを祈る。

 

『触ってもいいのよ』

 

 その言葉を合図に一誠は煩悩に身を任せ、両手で思いっきり目の前の物体を掴む。しかし、返ってきた感触は柔らかい、すべすべしている、ではなく。

 

(冷たっ!)

 

 その感触で一誠は夢から醒めた。

 

「んん……?」

 

 起きた一誠の目に最初に飛び込んできたのは、アーモンド形の黒い目。続いて三日月形の大きな口とそこに見える八重歯。次に見えたのは丸々とした白い二頭身の体と、その頭に乗っている二又に分かれた青い帽子と同色の前掛け。

 それが一誠の布団の上に座っている。一誠はそこで初めて、自分がその物体の顔を両手で挟んでいることに気付く。

 

「……誰?」

「オイラ、ジャックフロストだホー! よろしくだホー!」

 

 寝惚け半分の声で尋ねるとそれは元気よく応じる。

 

「……」

「ヒホ?」

 

 一瞬の間、その後――

 

「だああああああああああああああ!」

「ヒホォォォォォォォォォォォォォ!」

 

 完全に覚醒し、ジャックフロストと名乗った存在に驚き一誠は絶叫。その絶叫に驚いてジャックフロストも絶叫。

 早朝の別荘の中に二つの絶叫が響き渡った。

 

 




タイトルで完全にネタバレしてますね。
マスコット的存在の彼がようやく名前有りで出せました。
合宿編は次で終わりの予定です。

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