局所的に降り注ぐ雨。その雨に濡れたヴリトラの全身は石化していた。九尾の狐である八坂による変化の力の応用により、全身が固められていた。
ヴリトラの石像が出来上がったのを見て雨は止み、八坂は勝ち誇ったかの様に咆哮を上げる。
そんな中、ヴリトラの石像の一部から破片が落ちる。八坂から死角になっている箇所なので気付かない。
パラパラと剝がれ落ちていく破片であったが、やがて内側から強い力で突き破られた。破片が剥がれた箇所からは人の足が突き出している。
足場を求める様に足を上下に動かしていたが、少し地面から離れた箇所だったので届かず、やがて諦めたのか突き出した足を中に戻し再び突き出して周りを蹴り砕いて穴を広げていく。
それを数度繰り返して一回り以上大きな穴になると足だけでなく手が出てきて穴の縁を掴む。手の甲の血管が浮き上がる程に力を込めて引っ張ると中から無傷の匙が顔を出し、勢い良く引っ張り過ぎたせいで穴から転がり落ちる。
「いっ──」
頭から落ちたので思わず声を上げそうになったが、慌てて口を押さえてそれを押し留めた。隠れているヴリトラの石像のすぐ傍には今も八坂が正気を失っている瞳を輝かせながら勝利の遠吠えをしている。
(やっべ……これからどうする……?)
八坂の思わぬ能力によって匙とヴリトラはかなり追い詰められていた。
八坂が変化による石化を行った際、ヴリトラは黒炎を内側に溜め込むことで本体である匙を守ろうとした。
結果としてその判断は正しかった。八坂の石化は表面だけでなく内部まで侵攻してくる非常に凶悪なものであったが、黒炎の力によってその侵攻を遅らせることが出来た。
その間に匙は実体化していたヴリトラの体から先程の様に脱出する時間を稼ぐことが出来た。出来たのだが、かなり重い代償を支払うことになってしまった。
(おい、ヴリトラ。大丈夫か?)
『ああ……問題無い……我が分身よ』
(どう聞いても大丈夫そうじゃねぇ……)
ヴリトラのあまりに弱々しい声。石化から逃れる為に大半の力を犠牲にしてしまった。匙には影響が少ないが、ヴリトラからすれば自分の身を削ぎ落すのに等しい行為である。
(くそっ! 俺を守る為に……! すまねぇ、ヴリトラ……!)
ヴリトラが身を呈して守ってくれたことを嬉しく思うが、それ以上にこれ程まで消耗させてしまったことに不甲斐なさを覚える。
『お前が無事なら……我はいくら消耗してもいずれ回復する……謝る必要など無い……』
謝る匙を逆にヴリトラの方が気遣って来る。
『今は……ここを切り抜けることのみに集中しろ……』
(ッ! ……分かったよ。お前も今は休んでいてくれ)
その後、ヴリトラが喋ることは無かった。匙の言う通りに休眠状態に入った様子。
(さて……ああ言ったものの、どうする? 俺?)
正直なところ現在の匙は全くのノープラン状態。状況が緊迫しているせいで策も思いつかない。
(落ち着け……! まずは今出来ることを把握しろ、俺!)
未だに石像前でうろついている八坂に震えながら匙は自分の状態を確認する。真っ先に試したのは神器が発動出来るか否か。
結果として神器は発動することは出来た。出来たが──
(やべぇ……)
発動出来たのは元々の匙の神器である『黒い龍脈』のみ。後付けされた他のヴリトラ神器は反応すらしない。
そして、『黒い龍脈』にも問題が起こっていた。
(弱体化してる……)
ヴリトラが消耗している影響か匙の手の甲に発動しているのはデフォルメされたトカゲの様な神器。これは『黒い龍脈』の初期状態である。
やれることがあるとすればラインを伸ばして相手の力を吸収すること。ヴリトラ覚醒状態ならラインを黒い蛇にして切り離し、遠隔操作も出来たが当然そんなことこの状態では無理である。
(このまま上手くやり過ごして、ラインを繋げたら……?)
すぐ近くには力の塊である八坂がいる。『黒い龍脈』のラインを繋げて力を吸収し、ヴリトラへ送れば復活する可能性もある。
匙は気付かれない様にこっそりと八坂の動向を窺う。石像を挟んで反対側には正気の代わりに殺気を宿した目を爛々と輝かせ、長い口吻から覗かせる牙の隙間から涎ではなく炎を垂らしている。
(うん。無理だ)
浮かんだ案が無謀であると即決した匙は、取り敢えず身を隠すことを最優先にする。ヴリトラの力があって互角に戦えたが、それも出来ない今はそれが一番の得策に思えた。
幸い八坂の方はヴリトラへの勝利で興奮状態にある。何処か隠れられる場所を探し、八坂の視野が狭まっている内に身を隠せば──と考えていた時、匙は空気の変化に気付く。
(あれ……暖かい……? いや──)
異空間内では夜の様なひんやりとした空気が流れている筈だが、匙の頬に感じた空気は真昼の様な暖かさがあった。否、それどころでは無かった。
(熱いっ! まさか!)
匙は慌てて石像の端から覗く。そこには勝利に昂る──どころではなく昂り過ぎている八坂が興奮状態のまま口を開いて今にも炎を吐き出そうとしている。
余韻に浸るどころか昂りに身を任せてヴリトラの石像を焼き払うとしているのだ。
(やば──)
八坂の口から激しい炎が吐き出される。炎はバーナーの様にヴリトラの石像を炙り、熱と炎の勢いで石像を崩していく。
立派なヴリトラの石像が炎によって変形していき、飴細工の様に柔らかくなっていき、最後には原型が分からない石の塊と化した。
相手の尊厳を徹底的に踏み躙る破壊に満足した様子で咆哮を上げる八坂。
オオォォォォォ──
大きく長く響く鳴き声であったが、唐突に中断される。
八坂の瞳が地面へと向けられていた。石像だったものから離れた箇所でうつ伏せに倒れているのは匙。
八坂が炎を吐く寸前に範囲外に逃れていたが、慌てて飛び出してしまったせいで思いっ切り転倒してしまっていた。このまま上手いこと気付かれずにやり過ごすことを願っていたが、現実は甘くなく厳しい様子。
圧だけで焦げ付きそうな視線を背中に受け、匙は内心『嫌だ嫌だ』と喚きながらもぎこちない動きで体を反転させる。焦げそうな視線を正面から受け、心臓が凄まじい勢いで鼓動を早めて逆に止まりそうになる。
「ははは……どうもー」
こんなどうしようもない状況に追い込まれると、自然と出て来るのは愛想笑いなのかと変に冷静な部分が客観的に自分を分析する。
当たり前のことだが、そんな愛想笑いなど八坂に通用することなく人体など軽く裂けそうな鋭い牙を剥き出しにした威嚇を返される。
八坂の喉が膨らむ。それに同調し周囲の気温が上がる。そして、匙の血の気が引く。
九尾の狐からすれば匙など地面を這う蟻に等しい存在。だが、攻撃の手は一切緩めない。そもそも手加減するという理性を持ち合わせていない。正気を失っている彼女にとって目の前で動くものは全て全力で排除すべき敵なのだ。
「くそっ! 容赦ねぇぇぇ!」
匙は『黒い龍脈』からラインを伸ばし、最も離れている木の幹に巻き付ける。そして、伸ばしたラインを一気に縮める。大地に根付いている木の方へ引き寄せられる匙。
直後、八坂が豪快に炎を吐き出す。ラインに引っ張られて炎の直撃は避けられたが、広がる炎が匙を追って来る。
靴底が炎で炙られた瞬間、匙は全力でラインを巻く。
「うおおおおおおおおっ!」
そんなことをすればどうなるか分かっているが、後のことなど考えてなどいられない。黒焦げにされてしまったら考えることすら出来ないのだ。
その甲斐あって広がる炎の範囲からギリギリ逃れることが出来た匙。しかし、ここからが問題である。止まることを一切考慮していない全力の巻きである。そうなるとどうなるか。
間もなくして匙は全速力で木の幹に衝突することとなった。
「ごっへっ!」
胴体を強かに打ち付ける。木の幹に抱き着く様な格好になっていた匙。巻き付いていたラインが解かれるとそのまま仰向けに倒れた。
「げほっ! げほっ!」
脱臼したのかと思える様な肩の激痛。胸の腹を強打したせいで咳き込むのを止められない。
危機一髪の状況を抜け出した代償として考えれば軽い──本当に危機を脱していたらの話だが。
匙はダメージを負いながらも必死に動こうとしている。彼自身まだ状況が変わっていないことを理解しているからだ。
匙に攻撃を避けられた八坂は敵意で滾った瞳を起き上がろうとしている匙に向けている。匙が体を張って避けたことなど八坂視点からすれば鬱陶しい羽虫が生意気に逃げたとしか映らない。
八坂の口から焔が零れ出る。二度目の猛火を放つ準備に入っている。相変わらずの手加減の無さで匙を灰すら残さずに焼き尽くそうとしていた。
八坂から向けられる殺気に、匙は冷や汗を流しながらももう一度同じ方法で逃げようとするが、衝突の際のダメージが匙の動きを阻害し鈍らせる。
匙が『黒い龍脈』を構えてラインを伸ばそうとした時には、既に八坂の口から炎が吐かれる寸前であった。
「ちくしょう……」
理不尽な現実に悪態が零れる。
叶えたい夢にまだ指先すら届いていない。まだ戦っている一誠達や戻って来るのを待っている生徒会メンバーが居る。
ここで終わる訳にはいかないというのに、冷酷な炎は今にもその匙の悔しさごと焼き尽くそうとしている。
「ちくしょう……!」
二度目の言葉に込められたのは怒り。そして、もっと力が欲しいという嘆き。
八坂はその叫びの余韻すら消し去る炎を吐き出す──
「おおおおおおおおおおっ!」
間際、横から飛翔してきた赤い光が八坂の頬に激突し、炎を明後日の方向に吐き出させる。
八坂の頬にしがみつくのは匙が良く知る姿。
「ひょ、兵藤ぉぉぉぉぉ!」
感極まって思わず叫んでしまった。こんなタイミングで来たら叫ばずにはいられない。
「無事か! 匙!」
「──ああ、当たり前よ!」
一誠の手前勢い良く言うが完全に虚勢であった。一誠が間一髪で助けてくれたと分かった時、少しだけ泣いてしまったのは匙だけの秘密である。
八坂は頬に張り付いた一誠を振り落とそうと激しく頭を揺さぶる。一誠はしっかりとしがみつきながら拳を固め、八坂の顔に放とうとするが──
「母上!」
──九重のその叫びに振り下ろすことを躊躇ってしまう。匙の危機に真っ先に飛んで行った一誠から遅れての到着であった。
その間に頭を上下左右に振り続ける八坂。このままでは一誠が振り落とされるのは時間の問題である。
「──なら!」
一誠は振り上げた拳に魔力を込める。赤いオーラが腕全体を覆う。その手を今度こそ振り下ろす一誠。しかし、拳という形ではなく八坂の足元にドラゴンショットを放つ形でであった。
クゥオン!
八坂の間近でドラゴンショットが着弾する。直撃ではないが発生した衝撃波によって八坂の巨体が吹き飛ばされる。更に着弾によって地面が破壊され、その際に大量の粉塵が舞う。
即席の煙幕を張った一誠はすぐに八坂から離れ、魔力を噴射しながら飛び、近くに居た匙を回収。そして、九重も拾い上げる。
八坂が転倒し、粉塵によって一誠達を見失っている隙に八坂の視界外まで移動して身を隠そうとした。
八坂は起き上がり軽く頭を振るう。すぐに攻撃を受けたことへの怒りが湧き、唸り声が洩れる。正気を失っていても怒りの感情までは消えない。そもそもそれ以外湧かない様に洗脳されている。今の彼女にとって起こること全てが腸が煮えくり返る程の怒りに変わる。
すると、どういう訳か八坂の足元に一誠の姿があった。逃げることもせずに棒立ち状態になっている。八坂はそれを見てすぐに一誠を踏み付けた。
呆気無く踏み潰される一誠。それに満足して溜飲が下がる八坂──と思いきや少し離れた場所にさっき踏み潰した筈の一誠が立っていることに気付き、怒り再燃する。
すぐにその一誠も踏み潰すが、また少し離れた場所に一誠が居た。というよりも一定の間隔で複数の一誠が置かれてある。
どう見ても異常な光景であるが、今の八坂にそれを気にする程の思考能力は無く、噛み付きや踏み付けなどで一誠を次々に消していく。
「行ったか……」
離れて行く八坂を見ながら一誠は安堵の息を吐いた。彼らは八坂が移動した方向とは真逆の位置に隠れている。八坂が追って行った一誠は九重が木の葉を媒介にして作り出した幻である。
「大丈夫か? おい?」
「マジで死ぬかと思った……」
顔面蒼白になっている匙の様子に本当にギリギリであったことを一誠は知る。
「何故じゃ! 何故母上があの様な姿になっておる! お主! 何か知らぬかっ!」
そんな彼の襟首を掴んで激しく揺さぶる九重。死に掛けていた匙に対して容赦の無い仕打ちであったが、その涙混じりの声に一誠も一瞬止めることを迷ってしまうが、このままにしておく訳にもいかず、九重へ手を伸ばす──が、匙本人がそれを手で制止し九重のしたいようにさせる。
「わりぃな……お前の母さん、何としたかったけどダメだった……」
その一言は激情に駆られていた九重の心を冷ますのに十分であった。自分のしていることを恥じる様に手を離し、申し訳なさそうに目を伏せる。
「すまぬ……」
「いいって、いいって。母親が大事だって気持ちは俺にも分かるから」
生徒会メンバー以外知らないが、五年前に匙の両親はほぼ同時期に事故に遭い、父は死亡し母は障害の残る怪我を負った。生まれてからずっと知っている母の姿が病院で全身に包帯を巻かれた痛々しい姿になった時の記憶は今でも忘れられない。
九重もまたその時の自分と似たような気持ちになっていることを匙は理解しているので九重に対して同情してしまう。
「お前とヴリトラが負けるのかよ……」
信じられない気持ちであった。一誠は匙の強さも知っているし尊敬もしている。そんな彼らがここまで追い詰められていたことを事実であっても認めたくなかった。
「ヴリトラが言ってたよ。この子の母親には京都のパワースポットの力が全部流れていて龍王並の力になっているって」
「マジか……」
嬉しくない情報である。一誠も何とか無力化する方法を考えていたが、タンニーンやヴリトラ並の強さを持っているのだとしたら手加減など出来ない。下手をすればこちらがやられる可能性すらある。
『ヴリトラはどうした? さっきから気配が感じられない』
異変を感じ取り、ドライグが匙に訊く。
「ヴリトラは俺を助ける為に力を使い過ぎて眠ってる。だから、今の俺はこれしか使えない」
『黒い龍脈』を掲げる匙。二対一ならと考えていた一誠は、その考えが既に破綻していたことを知って頭を抱えそうになる。
「あ、じゃあ俺の神器の力を使えばどうだ? 匙、お前の神器で力を吸い取ってさ!」
解決法を見つけ出し声を明るくする一誠であったが、匙とドライグの反応は思った様なものでは無かった。
「ヴリトラを起こすことは出来るかもしれないが……」
『龍王の力を完全に取り戻すとなると相当な力が必要になるぞ? もしそんなことをすれば禁手の時間が殆ど無くなる』
「それは……」
一誠の禁手はこの戦いに於いては重要な戦力である。ヴリトラを起こして戦力を確保するのは重要だが、それによって一誠の禁手が解除されてしまったら本末転倒である。
「悔しいが俺達よりもお前らの方が強い。やることがまだあんだろ? ──無駄な力を使うな」
「匙……」
「今の俺じゃお前の足手纏いにしかならねぇ。悪いが俺の代わりに止めてくれないか?」
一誠は匙がどれだけ自分のことを評価してくれているのか知っている。そして、匙が追い付く為に努力しているのも知っている。そんな匙が恥を忍んで一誠へ託そうとしている。
これに応えない理由が無い。
「任せとけ!」
「──ああ、頼む」
一誠には見えない角度で匙は強く手を握り締めた。頼むことしか出来ない自分の情けなさと悔しさで。
『了承するのはいいが策はあるのか? 無傷で押さえ付けるとなると骨が折れるぞ?』
「ええっと……ヴァーリの能力を上手く使えば……」
『白いのの力か……ふん、まあ仕方あるまい』
アルビオンから奪った半減の力を活用すれば何とかなるのではないか、という一誠の考えにドライグは一応賛成する。現状、この方法しか思いつかない。
オオォォォォォン!
離れていた筈の八坂の声が段々と近付いて来る。九重が用意した幻を全て潰し、本物が居ないことに気付いて戻ってきた。
「匙、九重を頼む」
「ああ」
「九重、匙を頼めるか?」
「任せろ。……じゃが」
「分かってる。お前の母さんは俺が助ける」
一誠は魔力を噴射し、八坂の許へ向かう。
残された二人。九重の方は先程八つ当たりに近い真似をしてしまったので気不味そうにしている。
「なあ?」
「な、何じゃ?」
匙の方から声を掛けられ、九重は驚きで飛び跳ねそうになった。
「聞きたいことがある。お前ってさ──」
質問の内容に九重は訝しげな表情になる。
「それなら分かるが……お主は一体何をするつもりなのじゃ?」
その言葉に匙はニヤリと笑う。ヴリトラという大きな力を失ってしまった彼であるが、目は死んでいない。寧ろ、反撃の炎を瞳に宿している。
「このままじゃ終わらねぇ……連中に一泡吹かせてやる!」
◇
聖剣を組み合わせて人の形に仕上げた聖剣人形が剣で出来た腕を真っ直ぐ突き出す。
その突きは無慈悲にイリナの心臓を貫いた。
「あら?」
戸惑った声を出したのは刺されたイリナではなくそれを命じたジャンヌの方であった。ジャンヌは聖剣人形が刺した光景に違和感を覚える。
ジャンヌの違和感が正しかったと告げる様に刺されたイリナの姿がブレて消える。本物ではなく細く伸びた『擬態の聖剣』が生み出したイリナの偽者であった。
「はっ!」
本物は翼によって空へ移動しており、降下と共に『擬態の聖剣』と光の力を凝縮した光の剣を振るい聖剣人形をバラバラにする。
聖剣人形を破壊し、すぐさま二本の剣先をジャンヌへと向けるイリナ。ジャンヌは聖剣人形を破壊されたことに顔色一つ変えず、それどころイリナへ拍手を送っていた。
「わあ、凄い! 天使ちゃん、素直そうに見えて意外とトリッキーなこと出来るのね! お姉さんすっかり騙されちゃった!」
嬉しそうに笑うジャンヌ。そこには余裕しか感じられなかった。イリナからすれば褒められているというよりも馬鹿にされた様な気持ちになる。
「な、舐めないでね! 私は天使長ミカエル様のAなんだから!」
「へぇー、ミカエルさんの。その若さでなんて偉いねー」
目を丸くした後、子供を褒める様に言うジャンヌ。やはり、その笑みを消すことは出来ない。
「見くびってたら痛い目見るんだからね!」
「じゃあ、そんな天使ちゃんに少しサービス!」
ジャンヌがパチンと指を鳴らす。ジャンヌの足元から新たな聖剣が創造される。それらは一斉に放たれイリナの方へ飛んで行く。
イリナは驚き、慌てて後方に下がるが聖剣は突如軌道を変えて地面の方へ向かっていく。
「え?」
地面にはイリナが破壊した聖剣人形の残骸。その中でまだ無事であった聖剣と新たに創られた聖剣が絡む様に合わさっていく。
「天使ちゃんに合わせて、はい、鳥ー!」
聖剣人形の残骸から三羽の鳥が新たに誕生する。嘴、翼、尾羽に見立てられた聖剣が銀色の反射光を出す。
「行け、行けー!」
ジャンヌの号令で三羽の聖剣鳥が羽ばたき、イリナに向かって飛翔していく。
聖剣で出来た翼でイリナを切り裂こうとした時、イリナに触れる前に翼が根本から切断された。
「まあ」
イリナに触れることも出来ずに聖剣鳥らは逆に空中で斬り裂かれ、ただの破片となり地面に散らばった。
「言った筈よ! 舐めないでって!」
イリナがそう叫ぶとジャンヌは何かを察知し、その場から大きく後退する。
「見くびってたつもりは無いんだけどー、イリナちゃんって思っていたよりも結構『擬態の聖剣』を器用に使うねー。お姉さん、ちょっと反省」
肉眼ではほぼ確認することが出来ない程に極細となった『擬態の聖剣』の一部。それを操り、聖剣鳥を破壊し今もジャンヌを拘束する為に伸ばしていた。しかし、ジャンヌの方はそれを敏感に感じ取り、間合いの外へ逃げてしまった。
「今のちょーっとだけ危なかったかも。聖剣の気を感じ取れなかったら今頃お姉さんどうなっていたんだろうね?」
『擬態の聖剣』の妙技を目の当たりにしてもジャンヌの余裕は崩れない。否、ほんの少しだけその目が鋭さを増した。イリナに対する警戒レベルが一段階上げられた証明である。
「……聖ジャンヌ・ダルクの魂を引き継ぐ貴女に聞きたいことがあるわ」
「なぁに?」
「どうして貴女は『禍の団』に? 災禍を齎す様なテロリストになった貴女と戦うことに、天使として複雑な気持ちになるわ!」
「うーん……理由か……」
ジャンヌは少しだけ考える素振りを見せる。
「……お姉さん自身が決めたことだからかなぁ?」
「……どういう意味?」
「色々とあったんだけど、神の声とか天使の声とかじゃなくて自分で決めたことがこれってことなの。お姉さんはお姉さんが決めた道を歩くことにした、それだけのこと。はい! この話はこれでお終い!」
口調は軽いが深く追求することを許さない圧がその言葉には含まれていた。イリナもそれが分かり、これ以上の問答は無駄だと悟る。
「なら私はミカエル様と皆の為に貴女と戦うわ! 平和が一番!」
「天界の望む平和と人間の平和って違うってお姉さんは思うけどねー」
イリナの台詞に茶々を入れながらジャンヌは手を翳す。
足元から生える聖剣。そして、空中にも次々と出現し出す。その数は今までとは比べ物にならない。
「でもまあ、天使ちゃんも思ったよりやるみたいだし好き勝手される前に早めに倒しちゃおう。ということで大サービス!」
イリナへウィンクすると大量の聖剣が移動し出し、ジャンヌの背後に集まって行く。
「お姉さんの神器『
無数の聖剣が重なって行き巨大な何かを形作っていく。
「まさか、禁手化……!」
「せーかい!」
全ての聖剣が収まるとそこには一対の翼を持ち、巨体を四肢で支える銀色のドラゴンが出来上がっていた。聖剣人形や聖剣鳥とは見た目から違う生物そのもの外見をしている。
「この子は私の禁手。『
記録に残っている『聖剣創造』の禁手とは異なるジャンヌのみが成せる亜種禁手。彼女の特性として聖剣を剣として扱うだけでなく、組み合わせて自在に操ることに長けていた。
彼女が見せた聖剣人形や聖剣鳥も禁手一歩手前のものであり、扱い易さから好んで使用していた。見た目からして精度の違う聖剣のドラゴンは、イリナの力を認めて出し惜しみをせずに全力で倒しに掛かることを決めた表れである。
「さあ、いっけー!」
聖龍が跳び上がり、ジャンヌの背後から前方へと移動。地面を叩き割りながら着地する。
イリナを無機質な瞳で睨むと喉を膨らませる。ブレスの予兆にイリナは翼を羽ばたかせて飛翔。直後に聖龍は口を広げてブレスを放つ。
聖龍が放つブレスは火球などではなく種類の異なる聖剣の束であった。聖剣の集合体であることを考えると妥当な攻撃である。
イリナが移動したことで吐かれることで勢いを付けた聖剣らが柄辺りまで地面へと突き刺さっていた。もし人体に刺さったのなら貫通どころか刺さった周辺ごと持っていかれるだろう。木場が『魔剣創造』の使用時に見せる魔剣の発射。聖龍が行っているのはそれの強化版である。
飛ぶイリナに聖龍は首を動かしてブレスで撃墜しようとする。無数の風切り音が一つとなって鳥肌が立つ騒音となってイリナを追って来る。
しかし、飛翔するイリナの速度に聖龍のブレスは追い付かない。
聖龍の喉の膨らみが無くなり吐き出す聖剣も無くなる。一度にブレスとして吐き出せる聖剣の量には限りがある模様。
イリナはこの間に聖龍へと接近。自慢の翼の速度であっという間に聖龍の目の前まで近付く。
ジャンヌを倒すにはまず盾となっている聖龍を破壊しなければならない。そう考えたイリナは『擬態の聖剣』と光の剣を握り直し、聖龍の頭部目掛けて最大の力を込めて二刀を振り下ろす──ジャンヌの狙い通りに。
「──え?」
二刀が空を切る。そこにある筈の頭部が無くなっている。
聖龍は頭部から胴体に掛けて体を自ら真っ二つに割き、イリナの斬撃を空振りさせたのだ。
生物ならばあるまじき回避方法。だが、聖龍は聖剣の集合体であるので何の問題も無い。しかし、こんな方法で回避するとはまず考えないだろう。
聖龍の見た目は限りなく生物に近い。そのせいで先入観を抱いてしまう。聖龍の動きを生物限定として考えてしまうのだ。
故に初見に於いてこの聖龍の回避行動は絶大的である。
「しまっ──」
己の迂闊さに気付くと同時に聖龍はその場から一歩移動する。イリナの位置が左右に分かれた聖龍の内部へと移る。
その瞬間、聖龍の銀色の断面から一斉に聖剣が生え出し、分かれた体を閉じ始める。
さながらそれは『鋼鉄の処女』。尤も拷問などでは済まず、閉じれば串刺しを通り越して原形を留めることも許さないだろう。
(ごめんなさい……!)
逃げるタイミングを完全に失ってしまったイリナは、不甲斐ない結末になってしまったことへの謝罪を心の中で上司、戦友、想い人へと送り固く目を閉じる。
その時、何かが叩き付けられる様な音がした。
イリナは閉ざしていた目を開ける。囲う様にして並ぶ無数の聖剣の切っ先が間近にまで迫っていたが、それ以上動こうとしない。
何が起こっているのか分からなかったが、二度と無い脱出のチャンスを逃す訳にもいかず、ある程度の傷は覚悟で聖剣の隙間を通って真上から抜け出す。
手足などに浅い切り傷が出来たものの死に比べたら軽過ぎる代償である。そして、イリナは何故自分が脱出出来たのかを知る。
「な、何、あれ?」
白亜の巨人が棍棒と手で聖龍の開いた体を押えている。イリナが脱出出来たのはこの巨人の力であった。
「大丈夫ですかー?」
巨人から声を掛けられる。巨体に似合わない穏やかそうな少女の声──よく見ると巨人の肩に魔法使いの格好をした少女が立っている。
「え? ど、どちら様?」
「話と自己紹介はあとでしますねー。今はこのドラゴンさんをどうにかしないと。アーくん!」
少女の声に従い巨人が手を離す。聖龍の割れていた体が元に戻ると、巨人はその横顔に棍棒を叩き込んだ。
聖龍の巨体が傾くが、踏み止まり転倒には至らなかった。
「あらあら。ルフェイちゃーん、お姉さんの邪魔をしに来ちゃった?」
「そうでーす。でも、最初にちょっかいかけて来たのはそっちですよ?」
「もう! 曹操が心配症だから、可愛いルフェイちゃんとも戦うことになっちゃたじゃない!」
ジャンヌが曹操への不満を洩らす。とは言え本気では無い様子。
イリナは少し離れた所で二人のやり取りを見ていた。助けてくれた魔法使いの少女──ルフェイとジャンヌは顔見知りなのは分かった。一応、間一髪の所を救ってくれた点を考えれば味方だが、ジャンヌとの会話のせいでハッキリと断言出来ない。
「何でしたら手加減しても良いですよ、ジャンヌ様」
「ルフェイちゃん生意気ー。それってこっちの台詞だと思うんだけど?」
美女に従うドラゴンと巨人が睨み合う。その圧だけで周囲の気温が下がった様に感じる。
「いっけー! 頭から丸齧りにしちゃいなさい!」
「アーくん! ぼっこぼこにしちゃってー!」
聖龍と巨人による巨大同士の対決。
「え? え? 私、どうしたら良いの?」
いきなり始まったそれにイリナは完全に置いてけぼりになってしまい、どうすればいいのか本気で迷ってしまうのであった。
◇
苛烈。神器を解放したジークフリートの動きを表すのはその一言に尽きる。
「遅いよ。遅い、遅い!」
一撃で木場を防御ごと払い飛ばしたかと思えば、そこから瞬時にゼノヴィアの懐へと飛び込み、ゼノヴィアを斬り付ける。間一髪の所でエクス・デュランダルで防ぐことが出来たが、その場で踏ん張ることが出来ず力負けして飛ばされる。
「くっ!」
「重い……!」
『龍の手』の能力は所有者の力を二倍にするという単純なものだが、ジークフリートはそれにより腕力だけでなく自らのスピードも倍以上のものとしていた。シンプルな能力故に持ち主の実力が露骨に反映されるが、ジークフリートぐらいのレベルとなると解放前よりも数段力が増している。
『騎士』である木場とゼノヴィアが辛うじて反応出来る程の速度から繰り出される『戦車』以上の重い斬撃。受けた木場達の腕は未だに痺れていた。
それに加えて厄介なのは彼が振るう『折れる聖剣』。一撃繰り出せば代償として壊れるが、その際に飛び散る細かな破片が木場、ゼノヴィアの体に食い込んでいた。流石に破壊と同時に聖なる力は急速に失われるが、刺さる際に僅かに残った聖なる力が毒の様に木場達の体を蝕む。
「しまった……振り損ねた」
背中から生える第三の手『龍の手』を見せる様に振り回す。木場とゼノヴィアもそれが振るわれる前に飛ばされてしまった。ある意味では運が良かったのかもしれない。
しかし、それは裏を返せば二人がジークフリートの攻撃に全く耐えられなかったことを意味する。ジークフリートにとって想定外だったのは二人の非力さに対するものであった。
木場とゼノヴィアもそれが分かっており、表情には屈辱が滲み出ている。
「さて、次は──」
言い掛けたジークフリートが急に顔を顰める。そして、長い溜息を吐いた。
「あまりせっつかないで欲しいんだけどね」
ジークフリートは何を思ったのか『龍の手』が握る『折れる聖剣』を地面に突き立てた。代わりに鞘に納めていた魔剣を引き抜く。
「僕からすれば我儘を言わない聖剣の方が使い易いけどね」
ジークフリートは愚痴りながらも右手でグラム、左手でバルムンクを引き抜き、『龍の手』で三本目の魔剣ノートゥングを抜く。
「本当に困った奴らだよ。普段は言う事聞かない癖に、僕が他の剣を振るっていると嫌がらせしてくるんだから……信じられるかい? 僕が『龍の手』を使っているのにグラムは龍殺しの力を流し込んでくるんだよ? この状態だと毒になるって分かっている筈なのに……」
心なしか口調が早い。感情が昂っている証拠と言える。ジークフリートの言っていることが嘘では無く本当のことなのが伝わってくる。
名の有る魔剣故にそれ相応の扱い辛さ。それともジークフリートと単純に相性が悪いのか。
「全く──」
ジークフリートはそこで言葉を中断し、木場とゼノヴィアが前方に居るというのに顔を後ろへ向ける。ある者の気配を鋭敏に感じ取っていた。
足音が近付いて来る。緊張感に満ちていた木場とゼノヴィアの表情が緩まる。ジークフリートが笑みを深くする。
「追加参戦は有りか?」
堂々と現れたシンに対し──
「大歓迎さ」
──ジークフリートは抱擁でも求める様に魔剣を広げた。
軽い気持ちでマタドールに挑んだら瞬殺されました。
人修羅への道はまだまだ遠いです。