ハイスクールD³   作:K/K

146 / 190
人間、成長

「イッセー!」

「八坂様!」

 

 大口を開け、ずらりと並ぶ牙で一誠を嚙み砕こうとする九尾の狐こと八坂。そうはさせまいと鼻先を両手で掴み下顎を両足で踏み付けることで抵抗する一誠。

 八坂は頭を左右に激しく振り、一誠の抵抗を妨げる。

 

「こ、の……!」

 

 上下左右お構いなく視界が揺さぶられ、頭の中身どころか体の中身すらシェイクされそうな気分になりながらも両手両足の力を片時も緩めない。

 噛み潰すつもりであった八坂も一誠が顔に張り付いているのがいい加減鬱陶しくなってきたのか、閉じようとしていた口を逆に限界まで開く。

 

「げっ!」

 

 八坂の喉の奥まで見通せる様になると、暗い喉奥から橙色の輝きと吐息に混じった熱風を感じ取る。

 一誠は両手で八坂の鼻を突き飛ばし、その反動で八坂の顔から離れる。一誠が離れた直後に八坂の口から炎が吐かれた。

 空中に飛び出した一誠はすぐに背部の噴射孔の向きを調整し、孔の向きを真横に変える。噴射孔から魔力が噴射され一誠は横へスライド移動し、直進してきた炎を避けた。

 八坂は首を動かし一誠を追う。舌の代わりに炎が動き、舐める様にして一誠を溶かそうとする。

 

「当たってたまるかぁぁぁ!」

 

 不規則な動きに変わった炎に対し、一誠は噴射孔の角度を次々と変えるという荒技により急旋回、急停止、高速平行移動という動きを駆使して炎から逃れる。

 無茶な動きを連発するので一誠は鎧の中で骨は軋む音を聞く。だが、止まれない。

 何とか攻撃して相手の攻撃を阻止したいが、敵である八坂は英雄派によって操られているだけの被害者であり、九重の為にもなるべくダメージを抑えながらも無力化させないといけない。

 こういう時に自分の火力の高さが恨めしくなる。そのせいで選択肢が大幅に減ってしまった。

 ここに来る前にアルビオンの半減の力を試してみたが、半減させた途端に失った分の力をパワースポットから送られて無力化されてしまった。そのせいで隙を作ってしまい喰い掛けられた。

 木場だったら多種多様な魔剣を創造して戦い方の幅があり、シンならば特に迷うことなく攻撃するだろう。最終的に助けられればそれで良し、という考えで。

 だが、一誠は木場では無いしシンでも無い。二人の真似をせずに自分らしいやり方を模索しなければならない──この灼熱の炎を掻い潜りながら。

 

(どうする? どうする? 何か方法は……あっ!)

『何か思いついたのか?』

 

 一誠はふとある可能性を思い付く。

 

(あれだ! 『洋服崩壊』!)

『何故その技を……』

 

 出された一誠の技にドライグは困惑するが、少しの間を空けた後、一誠の意図に気付いた。

 

『成程……あの九尾が掛けられた洗脳を、魔術を纏っている状態即ち衣服の延長線上にあると拡大解釈するということか』

(その通り! 流石ドライグ! 良く分かったな!)

『ふふふ……はっ!』

 

 褒められ上機嫌に笑っていたドライグだったが、何かに気付いて愕然とする。

 

(どうかしたのか?)

『当たり前の様に理解してしまった……どう考えても頭のおかしい発想なのに……俺は、俺は……すっかり染まってしまった……』

 

 説明せずして意図を察するということは一誠との仲が深まった証であるが、『相手に掛けられた術を衣服に見立てて脱衣専用の技で脱がそう』という常人にはまず出来ない発想を理解出来てしまったドライグは心身共に一誠の相棒に相応しい存在になりつつあった。

 

(何かすまん! でも、ショックを受けるのは後にしてくれ! 早く九重の母ちゃんを救わないと!)

『う、うう……そうだな……』

 

 自爆したドライグを取り敢えず説得しつつ、一誠は『洋服崩壊』を当てる機会を探る。

 炎を連続して吐き続けていた八坂は、息が続かなくなったのか炎を吐くのを一旦止めて大きく息を吸い込み出す。

 この動作を一誠は好機と見た。一誠と八坂の間はそれなりに距離があったが、魔力を最大噴射すれば次に炎が吐くまでに間に合う。

 

「行くぞっ!」

『おう!』

 

 背部の噴射孔から一気に魔力が放出されたことで爆発の様な光が生まれ、それを背に受けた一誠は瞬時に最大速度に達する。

 そして、一誠は八坂に触れ、能力を発動。

 

「『洋服崩壊』!」

 

 何かが割れる音がし、八坂の目から狂気が失せる。

 成功した、と思われた時、八坂の目は再び狂気によって覆われた。

 

「失敗した!」

『ちっ! どうやら相当な数の術を仕込まれているみたいだなこの九尾は! 俺達が壊したのは薄皮一枚程度だったということだ!』

 

 何重にも術を施されてせいで『洋服崩壊』の効果もせいぜいその内の一枚突破するのがやっと。だが、それでも一応の効果はある。ダメもとでもう一度やろうとした時のことであった。

 

「──え?」

『なっ!』

 

 一瞬にして八坂の姿が遠ざかる。それだけではない。一誠は八坂が吐き出す炎の射線状にいつの間にかいた。

 何が起こったのか分からず戸惑い、動きが止まってしまった一誠を炎が容赦なく呑み込む。

 

「あっ!」

 

 だが、その様な事態にはならなかった。一誠の前に光の壁が出現し、壁が炎を防いでくれている。

 

「イッセー! すぐに離れろ! 長くは持たん!」

「アザゼル先生!」

 

 八坂との戦いに集中し過ぎていた一誠は、この時になってアザゼルの存在に気付く。

 アザゼルの言われた通りに光の壁から離れ、アザゼルの許へ飛んで行く。光の壁は一誠が離れて間もなくして八坂の炎に消し飛ばされた。

 

「アザゼル先生! ──とオンギョウキ、さん?」

「合流出来てなによりだ……と言いたいとこだがあんまり余裕はねぇな。オンギョウキ! 一旦隠れるぞ!」

「──承知」

 

 オンギョウキが掌を地面に叩き付ける。すると、地面を突き破って巨大な霜柱が無数に伸び出してきた。続いて地面が裂けて炎が噴き出し、高熱によって霜柱は一瞬で溶けて蒸発し大量の水蒸気と化す。

 オンギョウキが大きく息を吸い込み、吐き出すと突風が生み出され、水蒸気を拡散して辺り一面を濃い霧で覆い隠した。

 眼前に翳した手ですらハッキリと見えなくなる程の濃霧。すぐ近くにいる筈のアザゼル、オンギョウキの姿が見えなくなり、一誠が驚くも束の間急に腕を引っ張られて移動させられる。

 

「うおっ!」

「声を潜めろ。把握される」

 

 囁く声がオンギョウキの声と気付き、慌てて口を閉じ引っ張られるまま移動する。一誠はせめて足音が聞こえない様に浮遊する。オンギョウキやアザゼルもすぐ傍に居る筈なのだが、足音も気配もしない。腕を引っ張られなければ存在すら認識出来なかっただろう。

 暫くして比較的霧の薄い所まで連れて来られる。周囲は木々で覆われており三人はその陰に潜む。

 一誠は自分が来た方向を見る。ある空間だけ濃霧が結界に広げられており、恐らく八坂はそこで足止めを受けている。

 

「いつまで保つ?」

「気配を辿り難くする隠遁術を施し、何人か分身を潜ませておいたがいつまでも欺く程奴と八坂様は甘い相手ではない。数分が限度だ」

「それでもあの短い時間でやったのなら完璧だ。──マジで『神の子を見張る者』に来ないか?」

「世辞として受け取っておこう」

 

 アザゼル達と分かれてそんなに時間は経っていないが、両者の間に信頼感が生まれ始めているのを一誠は感じていた。二人共出来る大人なだけにシンパシーの様なものがあり、打ち解けるのも早いのかもしれない。

 

「赤龍帝、一つ尋ねる。……九重様の行方は知らぬか?」

「九重とはさっきまで一緒に居ました。ただ、八坂さんとの戦いで離れ離れになって……」

 

 この時、一誠とアザゼルはオンギョウキの顔が一瞬歪んだのが分かった。仮面の様な無機質な顔で表情など分からない筈なのだが、それでも伝わってしまう程に苦悩している。

 八坂の解放を優先すべきか九重の保護を優先すべきか、どちらにするのか即座に判断出来ないぐらいに迷っているのだ。元々、両者とも天秤に載せても傾くことが出来ない存在。秤に載せること自体が無礼であるとオンギョウキは思っている。

 強者であるオンギョウキですらこれに関しては即決即断は許されることでは無かった。

 

「あの、傍には匙の奴も居ますし……多分大丈夫かと……」

「信用出来るのか……?」

「龍王ヴリトラの器だ。今の段階でもかなりやるぜ?」

「ああ……でも……実は匙、八坂さんに負けて大分消耗しているんですよね……」

「マジかよ。今のヴリトラが負けるのか? いや、まあ、生き延びているなら良かったが……」

 

 本来ならばオンギョウキを迷わせるだけの言うべきではない情報だが、真剣に悩むオンギョウキを見て隠しておくことは出来なかった。真剣に悩み、その為の決断を本気で考えることが出来る者なら全てを知っておくべきだと一誠は思ったのだ。

 

「──先ずは今有る情報を交換すべきだな。悠長に思えるかもしれないが、一気に状況が変わり過ぎた。今のまま戦ったら痛い目を見る」

 

 それを見兼ねてアザゼルが提案をする。言っていることは最もだが、どちらかと言えばオンギョウキが決断を下すまでの時間を与えている印象を受ける。

 

「そうですね……じゃあ、俺から──」

 

 一誠はここに来るまでの経緯を軽く説明した。九重と一緒に影を操るサングラスの男の禁手と戦ったこと。その後に八坂と戦っている匙と合流したこと。匙が八坂の術でかなり消耗してしまったので代わりに自分が八坂の相手を継ぎ、この場に乱入してきたこと。

 

「そういうことか……あんまり良い状況じゃねぇな。俺達はここで曹操と戦っていた。そこに九尾の狐も加わるとなると……」

「曹操が!」

 

 八坂との戦いに集中し過ぎて曹操のことなどまるで気付かなかった一誠。一方でドライグの方は曹操というか聖槍の気配で居ることを感知していたが、丁度八坂との戦いの真っ只中であり、言っては悪いが強敵二人を前にして一誠が器用に立ち回れると思えない。

 集中力を欠くと考え、伝えるのを後回しにしていた。結果として見れば八坂に対しあと一歩の所で邪魔が入るという良くも悪くも無いものであったが。

 

「彼奴も厄介なことになっている。一部だが禁手の力を引き出しやがった。お前が八坂の炎の前に転送させられたのはその能力のせいだ」

 

 一誠は気付かなかったが、離れていたアザゼルとオンギョウキは一誠の傍に曹操が出現させた球体が接近している光景を見ていた。一定の距離に近付くと一誠の姿は消え、吐き出された炎の先に転移させられていた。

 

「能力は球体の範囲内に居る奴を曹操の思い通りの場所へ転移するものだろうな。俺も実際喰らったから間違いない──嫌な力だぜ」

 

 危うく味方に首を刎ねられる所だったのを思い出し、首筋をさする。

 

「禁手の力を限定的に引き出すって、ヴァーリみたいなことを……」

「前例が在るってことは不可能じゃないってことだからな……あんまり居て欲しくないが」

「でも、今の所相手を転移させる能力だけなら……」

「あんまり甘く考えるなよ? 引き出せる能力が一つだけとは限らねぇ。まだ隠しているだけかもしれないからな。そもそも、あいつの禁手は記録に残っている聖槍の禁手とは異なる亜種だ。何を隠してるのか俺もさっぱり分からん」

 

 豊富な知識を持つアザゼルですらお手上げ状態と知り、一誠も言葉を失うしかなかった。

 

「……まずは曹操と八坂様を分断するのが先決だ。八坂様の傍に曹操が居るのは不味い」

 

 今まで黙っていたオンギョウキが口を開く。彼は既に決断していた。この場に留まり、八坂を救うことを優先したのだ。

 

「確かにな……俺達との戦いを後回しにして先に目的を果たしちまうかもしれねぇ」

「目的……?」

「曹操の野郎、八坂と京都の力を利用してこの空間にグレートレッドを呼び寄せるつもりだ」

「ええっ!」

『なっ!』

 

 英雄派達の目的を初めて知り、一誠だけでなくドライグも愕然とする。

 

『何を考えているんだ連中は……』

 

 英雄派の命知らずの行動にドライグは彼らの正気を疑った。好奇心云々で気軽に呼び寄せていい存在では無い。

 

「グレートレッドを呼び寄せたら……京都はどうなります?」

 

 一誠は恐る恐る訊ねる。

 

「運が良ければ何も起こらない。──本当に運が良かったらな? だけど考えてみろよ? グレートレッドは次元の狭間で好き勝手にふらふら飛んでいるのが好きなこの世で一番自由な奴だぞ?」

「……それが何の了承も無く現世に引きずり出されたらどうなるか分かるな? 自由の対になる言葉は束縛だ」

 

 つまりそんなことをすればグレートレッドの機嫌を大きく損ねることとなり、グレートレッドの気分次第では良くて京都全滅、悪ければ被害は日本全土に、否それを飛び越えて世界に及ぼすかもしれない。

 

「えーと……万が一の場合赤い龍繋がりでドライグが説得出来ない……?」

『俺はグレートレッドとまともに会話したことが無い』

「ダメそうだな……」

 

 最初は八坂を救出するのが目的だったが、いつの間にか京都の未来或いは日本の未来を背負う戦いに変わっていた。双肩に掛かる重みが増したが、その重圧に屈する様な程、一誠が潜り抜けてきた修羅場は生温くない。

 

「じゃあ、誰が誰の相手をします?」

 

 気持ちを切り替え、この後の作戦を尋ねる。

 

「もっと戦力が欲しいのが本音だが、この際他の奴らが合流することは無しで考えるぞ──曹操側に援軍が来た時は腹を括れ」

 

 戦況が分からない以上今の手札と状況で考えたことを前以って言う。楽観的に思われるかもしれないが、何も把握出来ていないので仕方のない判断であった。

 

「まず曹操は一誠、お前が行ってくれ。聖槍相手でかなりキツイのは分かっているが、神滅具は神滅具で対応するのが一番無難だ」

 

 悪魔として聖槍と戦うことは自殺行為に等しい。だが、現状で当てる相手は一誠が最も相応しい。

 

「はい! 分かりました!」

 

 アザゼルの指示に一誠は恐れることなく了承する。アザゼルからしてみれば恨まれてもおかしくはない内容であったが、一誠はアザゼルに対する不満を見せない。それは一誠からアザゼルに対する信頼の表れであった。

 

「安心しろ。サポートには一人付けるつもりだ。それは──」

「八坂様の相手は私がしよう」

 

 アザゼルの言葉を遮り、自ら志願するオンギョウキ。

 

「……いいのか?」

 

 アザゼルは一誠の補助役にはオンギョウキを付けるつもりであった。多種多様な術を持ち、技術も長けて初めて組む相手とも上手く連携することが出来るオンギョウキならばうってつけと言える。

 同時にアザゼルなりの気遣いでもあった。八坂との戦うこととなれば大なり小なり迷いが生じる可能性が有る。そして、最悪の場合も想定される。そうなった場合の汚れ役をアザゼルは引き受けるつもりであった。

 

「心遣い感謝する、アザゼル殿。……しかし、京都の主を正すのは同じ京都に住まう者としての役目。ここは私に任せてくれないだろうか?」

 

 真摯に頼み込んでいるが、双眸に宿る光はこちらに有無を言わせない威圧感があった。下手に出ている様で実際は脅迫している様なもの。鬼らしいやり方とも言える。尤もアザゼルからすれば媚びられるよりも分かり易い態度である。

 

「この戦いの中でいやぁ俺達は対等だ。お前さんがそこまで言うなら俺としても頼むしかない。──いいんだな?」

 

 覚悟を問うアザゼルにオンギョウキは躊躇無く頷いた。

 

「じゃあ、話は終わりだ。すぐに行くぞ」

 

 これ以上の確認は不粋と思い、戦いへ赴こうとするアザゼルとオンギョウキ。

 

「あの! ちょっといいですか!」

 

 それに一誠が一旦待ったを掛ける。

 

「どうした? 何か気になることでもあるのか?」

「アザゼル先生の言った事は特に気になったことは無いんですけど……」

 

 一誠の目はオンギョウキの方へ向けられている。

 

「私がどうかしたのか?」

「──九重のお母さん、絶対に無事に助けましょう」

 

 改めて言う事では無いので、オンギョウキの方も怪訝そうにする。

 

「無論、全力は尽すつもりだ」

「いや、それは、そうなんですけど、何というか……」

 

 一誠の煮え切らない態度。伝えたいことはあるものの上手く言語化が出来ていない様子。

 

「何が言いたのだ、お前は」

「お前が最悪九尾の狐を殺っちまいそうな表情をしてたのが不安になったんだろ?」

 

 一誠の言いたいことをアザゼルが継ぐ。

 

「気負い過ぎだぜ。鈍いイッセーですらお前の顔越しに心が見抜けるぐらいに思い詰めてんな」

「そんなことは──ない。それにそうなったとしても本当に最悪の場合のみだ」

「こいつからしたら、その選択自体がハナッからあるのが気に喰わないんじゃねえか?」

 

 殺してでも止める、というネガティブな決意を一誠は何となくだが見抜いていた。

 

「八坂さんもそうですけど、オンギョウキさんにも何かあったら九重が哀しみます!」

 

 そして、そうなった場合責任をとって自らの命を絶つことも見抜かれている。

 

「お前の言う、絶対に無事に助け出すということか」

「そうです! それにオンギョウキさんは腹が立ちませんか! 英雄派達に好き勝手され続けることに! 俺だって皆と楽しい修学旅行をして良い思い出作りをしたいんです! そんな奴らの為に台無しになんてさせません! 曹操や英雄派に勝って、その上で楽しい思い出も作る! それで俺達勝ちなんです!」

 

 英雄派の事件に巻き込まれ、それをただ解決するだけではマイナスである。その先にある日常と幸福を手にしてこそ初めてマイナスは消え、完全勝利したこととなる。

 戦う前から勝ったことを考えるのは甘い、というのはオンギョウキの感想である。手を尽くしたとしても割に合わない結果など多々ある。

 しかし──

 

「……思えばここ数日、九重様は泣いてばかりであったな」

 

 八坂が誘拐された後、代行として京都の妖怪らを束ねようと気丈に振る舞っていたが、その陰で母恋しさに泣いていたことをオンギョウキは知っている。

 

「甘っちょろい考えに聞こえるかもしれねぇが、偶にはこういう若者に感化されるのも悪くはねぇと思うぞ? じゃなきゃ色々錆びちまう」

 

 アザゼルも一誠の考えに賛同し後押しをする。

 

「──ふっ。そうかもしれん。偶には若者の口車に乗るのも一興か」

「そうこなくっちゃな」

「ありがとうございます!」

 

 目的を一つとした三人。合流前には考えられなかった程の明るさと戦意の高まり。

 三人が放つ力強さは、暗雲に満ちた未来を切り拓く可能性を見させるものであった。

 

 

 ◇

 

 

 濃霧が覆う空間内。曹操は八坂の足元で待機したままであった。

 聖槍を肩に担ぎ、構えようともしない。その片目からは今も流血している。治そうと思えば治せるが、曹操は敢えて傷を放置していた。

 脳髄の奥を錐で突く様な断続的な痛みが生じているが、痛みに関しては特に気にしていない。寧ろ、激痛が走る度に脳内物質が分泌される感覚がし、感覚が鋭くなってきている。

 曹操は死角で何かが動いた気配を察する。八坂は唸り声を出すが、曹操は構えもしない。霧に紛れて動く影、姿は間違いなくオンギョウキなのだが曹操は感覚的にそれが分身であることを感知していた。

 視界が半分になった代わりに得た今までにない鋭敏な察知能力。死に近付いたことで普段閉じていたものがこじ開けられた気分であった。

 

(こういうのも悪くない──ただ、少し興奮し過ぎかもしれないな)

 

 脳内物質のせいで興奮状態になりつつある自分を客観視しながらある程度冷静さを保つ。

 冷静になりながら自分が置かれている状況を整理する。

 

(コンラは負けたか……ゲオルクも退避したという連絡も入っている。声に覇気が無かったことを考えればよっぽど屈辱的な負け方をしたらしいな)

 

 ゲオルクは戦線から離脱したが、別の場所からこちらのサポートを続けている。赤龍帝に敗れたコンラは既に回収され、ヘラクレスもまた大きなダメージを負い、ゲオルクの判断で回収されたとのこと。

 ゲオルクを退けたアーシアとギリメカラはまだ仲間と合流出来ずに彷徨っているらしいが、ギリメカラの方は既に戦闘する意志は無くアーシアの影に引っ込んでしまっていた。

 ヘラクレスに大ダメージを与えたケルベロスとロスヴァイセのペアもまた自身も大きなダメージを受け戦闘続行は不可能な状態。

 レオナルドはシンとの戦いで敗北したが、間一髪の所でマザーハーロットの赤い獣によって救い出されたという。これは曹操にとっても意外であった。

 

(マザーハーロットが見ているとなると、貴方もこの戦いを何処かで見ているのかな? だいそうじょう?)

 

 残っているのはジャンヌとジークフリートのみ。これだけ戦力が減ってしまったのならこの段階で計画を発動するべきなのだが──

 

「いや、まだだ。それには早い」

 

 一人呟く。これが自らのエゴであることは理解している。しかし、この命懸けの戦いの中で力が覚醒していく感覚があった。

 その証拠が自分の周りを浮かぶ球体である。これが禁手の一部が顕現したものであることは曹操も知っているが、ここまで精密に操れたのは初めての経験であった。

 今もどうやってコントロールしているのか口では説明出来ない。本能が手綱を握っている状態であり曹操の思考一つで簡単に動かせた。

 この感覚を出来れば手放したくない。もっと深く握るには先程以上の死線を潜り抜ける必要がある。

 そうすれば、と曹操はそこで余計な考えを止めた。濃霧の中からひりつく様な殺気が漂い始めたのを肌で感じ取る。

 時間稼ぎを止め、一誠達が攻めに入ってきたのだ。

 

(来るか……!)

 

 興奮と重圧と期待で脳、というよりも心が熱を発する。

 視界一杯に広がっていた濃霧が一気に消え失せ、曹操の視界がクリアとなる。オンギョウキが術を解除したことで一メートル先も見えない白い闇が払われた。

 何百メートル先も見通せる様になったが曹操の視界の先には誰も居ない。てっきり誰かがいるものかと思っていた曹操はつい目で探してしまう。

 背中を突き抜ける様な寒気を覚え、曹操はその感覚に従い空を見上げる。そこには埋め尽くす様に並ぶ数え切れない程の光の槍。一本一本が人間である曹操を絶命させるのに十分な威力を秘めている。

 

『Transfer!』

 

 光の槍に混じる赤い魔力。一誠の『赤龍帝からの贈り物』による力の譲渡によって光の槍の威力は更に引き上げられる。

 

「容赦無い」

 

 一本で数度死んでもお釣りが来る程の威力にまで高められ、苦笑いを浮かべる曹操。そんな時、頭上の脅威とは異なる悪寒を覚え、咄嗟に球体の能力を使用し自らを転送。

 移動した距離は精々五メートル程。曹操はさっきまで自分が居た場所を見る。いつの間にか接近していたオンギョウキが影から姿を現している。

 光の槍がそのままオンギョウキを貫くかと思ったが、届く前に霧散してしまう。

 八坂は真下に現れたオンギョウキに反応し、前脚を叩き付ける。しかし、オンギョウキは振り下ろされる前に既に八坂の側面へ移動していた。

 攻撃を空振りした八坂はすぐにオンギョウキを見つけ、今度は炎を吐こうとするがオンギョウキは素早く射線状から離れ、八坂の目を惹き続ける。

 離れ間際にオンギョウキは口から空気の塊を吹く。空気の塊は八坂の目の下へと当たり、乾いた音を鳴らす。威力自体は無いに等しいが、八坂を挑発して怒らせるには十分であった。

 八坂は口から炎を溢しながらオンギョウキを追い掛ける。

 

(成程。目的は俺と九尾の狐を引き離すことか)

 

 相手の目的を察する曹操。やろうと思えば八坂の意思を操って相手の目論見を潰すことは出来る。だが、事は曹操の思った通りには進まない。

 第二の光の槍が曹操へと投擲されていた。

 曹操は慌てず球体の能力を発動し、射程外へ逃れる。聖槍で払うことも出来たが、転移の能力に慣れる為にそちらの方を使った。

 転移した直後の曹操の耳に風を突き破る様な音が飛び込んで来る。視線だけそちらへ向ける。一誠が拳を突き出した体勢のまま猛スピードで突貫してきた。

 最もシンプルでありながら十分な破壊力を秘めた攻撃。

 それに対し曹操は拳が迫って来たタイミングで聖槍を器用に回し、聖槍の柄で一誠の腕を叩く。

 その攻撃で一誠の進路が大きく横にズレ、曹操の隣を通り過ぎてしまう。

 一誠はすぐに軌道を変えて反転し、曹操に再び突貫しようと試みが、反転した直後の一誠の眼前には聖槍が突き付けられていた。

 

「いっ!」

 

 自ら串刺しになろうとするのを避ける為、一誠はすぐに逆噴射をしてその場に無理矢理留まろうとする。

 急制動により鼻先に触れる寸前で止まることが出来たが、曹操からすればささやかな抵抗に過ぎない。刺されに来ないならこちらから突き刺せばいいだけのこと。

 腕を伸ばし、聖槍を突き出す。だが、一誠もそう来ることは分かっており、首を真横に倒す。聖槍の穂先は兜の側面を削る。紙一重が顔面を貫かれることは避けられた。

 

「へえ」

 

 至近距離の突きを避けた一誠に曹操は意外と言った声を洩らす。決して手を抜いた訳では無いが、曹操は一誠には真正面の戦いはまだ経験不足だと思っていた。

 曹操の読みは概ね当たりであり、曹操との技量の差を比べれば一誠は隙だらけと言っていい。しかし、命懸けの時の場合は並外れた集中力と反応を発揮出来る。

 これは以前マタドールを師事した際に修行という名の嬲り殺しを経験した際に身に染み付いたものである。何せ一秒でも気を抜いたら本当に死にそうな目に合わせてくるのだ。死に掛けた経験が一誠に生へしがみつく本能を目覚めさせてくれた。

 既に拳が届く所にいる曹操へ一誠は反撃の突きを繰り出す。赤い魔力で輝く拳が曹操を砕く──ことはなく虚しく空を切った。

 

「なっ!」

 

 驚く一誠。すぐにそれが転移能力によるものだと気付き、曹操の姿を探す。

 その時、一誠は首筋に悪寒を感じ取った。振り向かなくても分かる。曹操が今まさに自分の後頭部へ聖槍を放とうとしている。

 先端が兜に触れる寸前、何故か曹操はその場から離れる。直後に曹操が居た場所へ光の槍が通過した。

 

「あぶねぇなー」

「ありがとうございます! アザゼル先生!」

 

 一誠は、窮地を救ってくれたアザゼルに礼を言う。

 

「残念。惜しかった。だが──」

 

 ガシャ、という音を立てて一誠の頭部から兜が外れる。落下する兜は地面に落ちる前に砂の様に崩れて消滅してしまった。

 

「ちょっとした槍の攻撃だけでも『赤龍帝の鎧』は壊せるようだ」

 

 聖槍が兜を少し傷付けたのは一誠も知っている。しかし、あの小さな傷だけで兜が容易く消滅してしまった。聖槍の前には鎧の防御力も無意味となる。

 

(ドライグ、悪いが兜を修復してくれ)

 

 気休めにしかならないかもしれないが、ドライグに修復を頼む。

 

『……分かっている。だが、聖槍の効果だと思うが、少し手こずりそうだ』

 

 ドライグから嬉しくない返事が来る。神滅具の最上位に位置するだけのことはあって厄介な効果を秘めている。

 修復まで待っていられず素顔を晒した状態で一誠は臆さず突貫。その行動に合わせてアザゼルが光の槍を投擲し一誠を援護する。

 数本の光の槍を聖槍の一振りで払い除ける曹操。聖槍を振り抜いたタイミングで一誠が接近し、右拳を一閃させる。

 膝を曲げるという最小限の動きで一誠の拳の下へ潜り込むと、そこから聖槍を喉元目掛けて突き上げる。

 一誠は伸ばしていた右腕を動かし、聖槍の刃にぶつける。軌道が変わり、喉元を貫く筈であった穂先は左肩上部を通過していく。

 一誠はすぐに右手で聖槍を掴み取り、左拳で曹操の顔面を打ち抜こうとした。だが、この時に右腕部の装甲が一気に剥がれ落ちる。軌道を逸らした時に生じた傷が原因であった。

 赤龍帝の鎧越しではなく素手で聖槍に触れてしまった一誠。右手から水に入れられたドライアイスの様な白煙が上がる。

 

「いつ! ぐううう……!」

 

 それでも離そうとしない一誠であったが、強固な意思とは裏腹に聖なる気で焼け爛れた掌が捲れ上がってしまったせいで聖槍が一誠の手の中から滑り出る。

 一誠は慌てて左拳を繰り出す。曹操の顔を打ち抜いた、と思ったが拳に感触は無くギリギリの所で転移をして範囲外へ移動してしまっていた。

 

(い、いてぇぇ……)

 

 掌は重度の火傷を負った様に爛れ、皮が捲れた状態になっている。だが、ある意味では幸運だったかもしれない。あれ以上聖槍を掴んでいたら右手が消滅していた可能性があった。

 一誠は急に体が重く感じる。素手で掴んだ際に少量ながら聖なる気が流れ込んでしまったらしく、それが肉体に悪影響を及ぼす。

 咄嗟に動けない一誠を見て、曹操は球体に向けて聖槍を振る。すると球体の紋様と色が変化し、形も楕円形に変化。

 聖槍の先で一誠を指すと楕円が視認出来ない速度で撃ち出された。

 不味い、と思った瞬間、一誠の前にアザゼルが立ち塞がり楕円を光の槍で受け止める。次の瞬間、アザゼルが纏っていた『堕天龍の鎧』がアザゼルの体から剥がれ落ちて消滅する。

 

「──ぐっ」

「アザゼル先生っ!」

 

 楕円が光の槍を砕き、アザゼルの脇腹を抉って曹操の許へ返って行く。咳き込んで血を吐くアザゼルを一誠は慌てて支えた。

 

「しくった……あの珠、武器破壊に特化した能力か……イッセー、あれに触るんじゃねぇぞ」

「そんなことよりも自分の心配をして下さい!」

 

 自分に起こったことを冷静に分析し、それを伝えてくるアザゼルに一誠は悲痛な声を上げる。

 

「どうやら今の俺では一つずつしか使えないみたいだ」

 

 楕円から球体に戻し、周囲を巡らせながら自己分析をする。禁手の能力を併用することが出来ないことが分かったが、曹操にとっては特にマイナスではない。幾つも手段があるせいで混乱するよりも最初から割り切った方が使い易い。

 

「うん……?」

 

 頬に違和感を覚えて触れる。指先に血液が付く。頬の皮膚が捲れ上がってそこから滲み出た血であった。一誠の拳を避けたと思ったが、微かに触れられていたらしい。

 

「ふふっ」

 

 アザゼルの負傷からしてこれ以上の戦闘続行は不可能。ここから先は一誠との戦いとなる。そう思うと自然と笑いが込み上げてくる。

 

「イッセー……離れろ。俺が居ると足手纏いになる……」

 

 アザゼルは大怪我を負っているにも関わらず、一誠を突き放して一人で立つ。大きく抉れた脇腹からは大量の血が流れ、今にも臓腑が飛び出してきそうであった。

 

「無茶しないで下さい!」

「俺じゃなくて奴を見ろ……。俺の事は気にするな……」

 

 脇腹の傷を抑え、何とか出血を抑えるアザゼル。

 一誠の表情が歪む。本当ならすぐにでもアザゼルを安全な場所へ連れて行くか、アーシアの神器による治療を受けさせたい。しかし、それは曹操が許さない。

 アザゼルの命を救う最短の道は曹操を倒すことしかない。

 

「……アザゼル先生。もう少しだけ待っていて下さい」

「焦るな……お前のペースでやれ。こっちは気にするな……のんびり待ってるからよ」

 

 激しい痛みが起こっている筈なのにアザゼルはいつもの様な不敵な笑みを浮かべる。一誠はそれに笑い返すと、曹操目掛けて飛んで行く。

 

「曹操ぉぉぉ!」

「臆せず来るか!」

 

 迎撃の為に突き出されて聖槍を紙一重で避け、胴体目掛けて突きを放つが曹操はひらりと己の身体能力で躱してしまう。

 回避と同時に球体が弾丸の様に飛んで来る。触れれば禁手を解除されると分かっているので、事前に溜め込んでいた魔力によるドラゴンショットを片手から発射し、球体ごと彼方まで吹き飛ばす。

 

「あらら」

 

 球体を遥か遠くまで飛ばされてしまった曹操は苦笑を浮かべるが、すぐにその顔目掛けて一誠の腕が振るわれた。

 薙ぎ払う様な一撃を聖槍の柄が受け止める。

 

「聖槍の怖さは十分知っていると思うけど、案外ビビらないもんだね」

「怖いに決まってんだろ! でもな! ビビってらんねぇんだよ! お前の顔に一発入れないと皆に怒られそうだからな! きついが赤龍帝やってんならこんぐらい出来ないとなぁ!」

 

 腕を振り抜いて曹操を弾き飛ばす。

 空中で体勢を変え、聖槍で地面を突いてブレーキを掛け、勢いを弱めると何事もなかったかの様に着地した。

 心がざわめくのを感じる。一誠の感情の昂ぶりが更なる力を引き出し、自分もまたそれに触発されている。

 悪魔でありドラゴン。人間として実に挑戦し甲斐がある存在。この世には悪魔やドラゴンだけでなく天使、堕天使、神など多くの超常的存在がいる。

 それに挑むのはいつだって人間だった。

 

「──そう。人間でなければならない」

 

 独り言を洩らす曹操に一誠が突撃してくるが、曹操は見向きもせずに指を弾く。一誠に向かって何かが飛ばされた。高速で動きながらも一誠は反射的にそれを目で追う。

 飛ばされたのは小さな珠。だいそうじょうの力が込められた珠である。

 それが何か事前に知らされていた一誠は急停止。直後に珠から白光が溢れである。その輝きは破魔のものであった。

 ギリギリ射程外に居て免れた一誠であったが──

 

「ごほっ」

 

 光の中から伸びた聖槍が一誠の腹部を深々と刺し、一誠の口から大量の血が吐き出される。

 破魔の光が消えるとその中から曹操が現われる。

 

「ここで散ってくれ、兵藤一誠。人間(オレ)成長(エゴ)の為に」

 

 

 




あと4、5話ぐらいでこの章を終わらせたいですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。