ハイスクールD³   作:K/K

149 / 190
意地、助人

 オォォォォォォンッ! 

 

 天まで届く咆哮を上げ、八坂は口から炎を吐く。それは真正面から見れば津波を吐き出している様な光景であった。

 炎の津波の正面に立つオンギョウキ一人を屠るには過剰過ぎる程の火力。

 オンギョウキは光さえ吸い込む様な黒い装束を炎で赤く照らされながら臆することなく右手の人差し指と中指を二本立て、眼前で構える。

 印、というものに近いがこの構え自体には深い意味は無い。オンギョウキの心を鎮め、即座に力を練り上げ、集中力を高める為のスイッチの様なもの。オンギョウキは構え一つでそうなる様に自らに刷り込んでおり、この構えも数ある内の一つであった。

 腹の奥底で練り上げられた力がせり上がり、オンギョウキの口から突風として吹き出される。

 ただの強い風ならば八坂の炎にあっという間に呑み込まれるだろう。オンギョウキの吹き出した風はつむじ風と変わり、勢いを強めてやがて竜巻へと派生する。

 炎の津波が竜巻に触れると、竜巻は炎を巻き込み、取り込んだ熱や火を上空へ放出。竜巻が炎を巻き込んだことで炎の津波の一部に裂け目ができ、オンギョウキはその裂け目を通ることで無傷で切り抜けてみせた。

 しかし、炎を無事切り抜けたオンギョウキを待ち構えていたのは、八坂の巨大な前足。

 振り下ろされた前足はオンギョウキに逃げる暇も与えず、地面ごとオンギョウキを打ち砕く。

 厚みすら無い程に地面と完全に同化してしまったのが容易に想像出来る。

 最強の忍の呆気無い最期──かと思われた。

 八坂は異変を感じ取る。圧殺したオンギョウキの姿を一目見ようと前足を上げようとしたが、何故か足裏が地面に張り付いて取れない。

 もっと力を込めようとした時、パキパキという音が耳に入って来る。それは叩き割られた地面から聞こえてきた。

 その瞬間、足裏に痛みに等しい冷たさを感じる。その冷たさは八坂の足を這い上がり、周囲の水分を凝固させ八坂の足を氷漬けにした。

 氷は肩付近まで登り、片足を完全に動けなくさせる。

 八坂は炎を吐いて氷を溶かそうとするが、目の前に白い靄が漂ったかと思うと口の周りを拘束具の様に氷が覆い、炎を吐けなくさせる。

 更には四方から糸の様に氷が伸び、八坂の体を縛り付ける。その様子は宛ら蜘蛛の巣に引っ掛かった獲物のようであった。

 その様子を木の上から見ているのは先程潰された筈のオンギョウキ。

 炎の津波が迫っていた瞬間に密かに分身と入れ替わっており、その上で分身には破壊されると冷気による術が発動するよう仕込んでいた。

 オンギョウキは八坂を傷付けるつもりは無い。無傷で戦いを終わらせる為に拘束したのだ。しかし、術による拘束も一時的なもので長くは持たないことをオンギョウキは理解していた。

 現に氷の術で縛られた八坂は力でその拘束を解こうとしている。四肢に力を込めており、氷がメキメキと音を立て、氷の一部が剥がれ落ち始めていた。

 目に狂気を宿らせながら力に物を言わせる姿は理性無き獣。京都の妖怪の長として聡明な八坂の姿を知っているオンギョウキからすれば今との差に八坂を心底不憫に思う。

 そして、オンギョウキには懸念していることがあった。理性無き獣なら暴れ狂いいずれは力の底が突くが、匙からの情報で八坂には特殊な術が施され、京都中の力が集められており、ほぼ無限に等しい力を得ている。しかし、それこそがオンギョウキにとっての不安であった。

 いくら力が無限に供給されるとしてもそれを使用する器には耐久力というものがある。仮に人が無尽蔵の体力を手に入れたとしても無限に走り続けるのは不可能。走る過程で足や膝にダメージが蓄積し、壊れてしまう。そうなれば無尽蔵の体力も意味を為さない。

 それと同じ事が八坂の身に起こるかもしれない。常に全力を出し続けているからこそ、八坂の肉体の方が先に壊れる危険性があった。

 

(時間を掛けるべきではないが……)

 

 時間を掛ければ八坂が壊れてしまう可能性は高まる。だからといって暴走する八坂を野放しには出来ない。

 悔しいことだが今のオンギョウキに出来ることは二つ。信じる事と耐える事。

 元凶である曹操を一誠が倒すことを信じ、八坂の体がそれまで持つことを信じ、耐え続けるしかない。

 そんな事を考えている内に八坂は力任せに氷の拘束を破壊し、自由になる。

 木の上に立つオンギョウキを睨むと口輪になっていた氷を砕いて炎を吐いた。

 オンギョウキは重力を感じさせない軽やかな動きで跳躍して炎を躱す。宙を飛ぶオンギョウキに八坂は続けて炎を吐くが、オンギョウキは風に舞う木の葉の様な動きで空中に居ても炎を回避する。

 木の葉の様なゆったりと舞う動きをしていたかと思えば、突如として空中を矢の様に移動して着地。

 オンギョウキが着地したのは八坂の前足付近。無謀な間合いへ自ら飛び込んできたオンギョウキに対し、八坂は前足を振り上げようとするが──

 

「──申し訳ございません」

 

 一言詫びた後オンギョウキは前足が振り上げられる前に、得物の柄部分で人間で言えば脛に当たる部分を強打する。

 

 オオオォォンッ! 

 

 八坂の口から苦鳴が上げられる。骨まで響く痛みを感じているのだから無理も無い。

 だが、オンギョウキの攻撃は痛みを与えるだけで倒すには程遠い。現に八坂はすぐに動いており、逆に痛みへの恨みを晴らす為に怒りで力を増す始末。

 逆効果としか言えない結果であるが、オンギョウキは焦る様子は微塵も無い。

 八坂は受けた痛みを返す為に口を大きく開き、炎を吐こうとする。オンギョウキはそれを正面から見ているだけ。

 炎が吐かれる間際、何故か八坂の体は大きく傾き、正面に吐かれる筈であった炎は空に向かって測れる。

 傾いた巨体はそのまま転倒。地響きと土煙を上げた。

 

「──不動剣」

 

 オンギョウキは誰にも聞こえない声量で呟く。

 横に倒れた八坂は立ち上がろうとするが何故か上手く立ち上がることが出来ない。体を支える為の前足が動かすことが出来ず、そのせいでバランスを崩してすぐに転倒してしまうからだ。

 今の八坂は足が片方消失した様な感覚に囚われている。その片足は先程オンギョウキが武器の柄を叩き付けた方であった。

 不動剣。それは文字通り相手を動けなくさせる技。オンギョウキの体内で練った気を相手の体内に流し込み、四肢の自由を奪って麻痺させるというもの。本来ならば斬撃と共に放つ技だが、相手が八坂であるので傷付けない為に柄の方を使った。

 そのせいで大分効果は薄れてしまい、四肢の一部を麻痺させる程度の威力になっていた。

 因みにではあるが、この技はオンギョウキが独占しているものではなく教えを請われれば京都の妖怪限定ではあるが教えている。その為オンギョウキ以外にも武芸の腕が立つ妖怪も覚えている。尚、オンギョウキの部下であるキンキ、スイキ、フウキにも教えたが似ても似つかない技として修得された。

 片足の感覚が無くなっていることに悪戦苦闘している間にオンギョウキは黒い風となって八坂を通り抜けていくと、すれ違い様に残りの四肢に得物を打ち付けた。

 痛そうな叫びを上げると八坂の巨体は四肢を大きく広げる形で大地に腹を着ける。これで暫くの間は身動きが取れなくなった。

 ただし、これもまた氷で縛った時と同じく時間制限がある。先に述べた様に本来ならば斬り付けて相手の体内に気を打ち込み、毒の如く蝕む技である。打っただけでは効果時間は半減か三分の一程度まで短くなる。

 

(これで少しは時間を──)

 

 そこまで考えた時、八坂の体が燃え上がる。

 

「むっ」

 

 炎上する八坂に思わず駆け寄りそうになるが、オンギョウキは寸での所で自らを止めた。

 八坂は炎上しているのではない。八坂自身が炎となっていることに気付いたからこそ止まったのだ。

 輪郭が崩れ炎そのものと化した八坂。すると、炎は飛礫の如く周囲へ放たれる。

 

「変化か」

 

 人の頭程の大きさの炎の飛礫が数多となって押し寄せてくるが、オンギョウキは俊敏な動きによって飛礫の隙間がある位置まで移動し、柔軟な動きにてその細い隙間を掻い潜る。

 外れた飛礫は建物や木々、地面に大穴を開けていく。数発浴びれば殆ど形が残ることは無いだろう。

 

「お見事でございます」

 

 避けながらもオンギョウキは八坂の変化の精度を讃える。見た目だけでなく、変化対象そのものと化しており、飛礫の傍を通る度に炎の熱が感じられる。

 オンギョウキは八坂の変化を見た事が殆ど無い。あったとしても簡単なものであり、せいぜい衣装を変えるぐらいのもの。実のところ、八坂の九尾の狐となった姿も初めて見た。この様な状況でそれを目にし、オンギョウキの心中は複雑である。

 長である八坂が戦いの場に出る機会は殆どなく、そうなる前の汚れ仕事は全てオンギョウキや他の三鬼達がやっていた。

 オンギョウキはそれで良しと思っていたし、争いごとに八坂が出ないことが一番だと思っている。

 いざ自分が戦うとなると難敵である。京都のパワースポットから力を貰っているが五大龍王と引けを取らない実力だろう。

 オンギョウキは印を組んだ後、息を吹く。吐かれた息は小さな旋風となり、やがて砂利や木の葉などを取り込んで竜巻となって可視化される。

 先程の炎の津波を割った様に風の力を借りて、炎となった八坂を引き寄せようとしていた。

 オンギョウキの目論見通り、炎の礫が竜巻に吸い込まれていく。だが、間もなくして竜巻が四散する。

 四散した竜巻の後に飛び出してきたのは無数の刀剣。和洋中問わず様々な形の刀剣が竜巻を内側から切り裂いて周囲を無差別に斬り付けていく。

 

(流石に二度も同じ手は通じないか)

 

 実物と変わらない八坂が変化した数多くの刀剣を避けながら自分の考えの甘さを反省する。自我を縛られているが、戦いの思考まで縛られてはおらず獣同然の行動をしながらも時折知識の片鱗が垣間見えた。

 地面を滑る様に移動して刀剣を回避した後、木の枝へと飛び移るオンギョウキ。そこに刀剣が飛翔し、オンギョウキの背中に突き刺さって彼を幹に磔にする。

 が、その直後に磔にされたオンギョウキから厚みが無くなり、幹に張り付く影となる。すると、刺さっていた刀剣は影の中へと沈み込み、それを入れ替わって影の中から本物のオンギョウキが出て来た。

 最早、忍術というより魔術、奇術の類のような奇怪な光景。

 

「──どうしたものやら」

 

 オンギョウキは思考を巡らせる。どうやって八坂を傷付けずに無力化させるか。現状ほぼ不可能に近いことだが、それでも考えることを放棄しなかった。

 飛び回っていた刀剣が一箇所に集まり、狐の顔を形作る。その目付きはオンギョウキに対して怒りが込められている。

 操られているとはいえ八坂からそんな目を向けられるのは少々悲しく思う。同時に八坂をこんな目に合わせた英雄派への怒りが煮え滾って来る。

 不思議なもので八坂を救う方法は中々導き出せないが、英雄派の面々を生き地獄に叩き込む方法なら幾らでも湧いて来る。自分にこんな陰惨部分があったことに驚くぐらいに。

 狐の顔を作っていた刀剣がばらけ、再びオンギョウキを襲う。

 オンギョウキはそれらを避けながらひたすら八坂を救う手段を模索する。

 未だに解決の糸口は見えない。

 

 

 ◇

 

 

 

「こっちでいいんだな?」

「そうじゃ。あっちじゃ」

 

 匙は走っていた。肩車している九重の指差す方角に全力疾走する。

 九重は時々耳を動かして何かの音を拾い、鼻で何かを嗅ぎ分けながら匙が行くべき道を指し示す。

 

「ここじゃ!」

 

 やがて二人は目的の場所へ辿り着いた。そこは殺風景な場所であり、周りにはこれといった物が置かれてもいない。見ても数秒後には記憶の中から抹消される様な寂しい場所である。

 

「本当にここなんだな?」

 

 あまりに何も無い場所だったので匙は九重を下ろしながら念入りに確認する。

 

「間違いないここじゃ! ここが力の流れが交わる地点じゃ!」

「そうか。ありがとよ」

 

 戦いの場所である二条城は京都という都市に多く存在するパワースポットが生み出す気を意図的に乱して流入させている。

 その気は二条城全体に張り巡らされた結界や八坂を操り、力を注ぐ為に利用されている。

 匙は九重に頼み多くの気が流れる場所を探してもらった。九重は京都に長年住んでいること、また潜在能力が高いのでそういった気を読むことに優れていた。

 気の流れを探す中で九重は多くの気が交わる地点を見つけ出し、そこに匙を案内したのだが、九重は匙がここで何をするのかまでは知らない。

 

「お主、ここで一体何をする気なのじゃ?」

 

 すると、匙は口の端を吊り上げて笑うと『黒い龍脈』を装着する。

 

「ここに流れている気が英雄派の奴らにとっての要なんだ。これがあるからお前の母ちゃんもおかしくなっている。──だからここを滅茶苦茶にすんだよ」

 

『黒い龍脈』からラインが伸びる。

 

「今からラインとここを繋げる。そんでもって気の流れを吸収する」

「なっ!」

 

 九重は驚き、すぐにそれに待ったを掛けた。

 

「止めよ! 京都中から集めた気じゃぞ! そんなものを大量に取り込んだらお主も持たん!」

「取り込むつもりはねぇよ。別のラインから片っ端から外に流していく」

 

 そう言ってもう一本のラインを見せるが、九重の意見は変わらない。

 

「そういう問題では無い! そもそもお主の体を通す時点で無謀なのじゃ! 気が流れ込んだ瞬間にお主の体が耐え切れずに爆ぜるぞ!」

「……まだそう決まった訳じゃねぇ。俺だってヴリトラの器なんだ。乗り越えてみせるさ」

 

 そう言ってまだ笑う匙に九重は激昂する。

 

「そんなものは自殺行為じゃ! 命を粗末にするだけじゃ!」

「死ぬつもりねぇっ!」

 

 九重の怒声に対し、匙は更なる声量で返す。九重が思わずビクリと体を震え上がる程のものであった。

 その反応を見て『悪い』と一言詫びてから、少し冷静になって匙は話す。

 

「勘違いしないでくれ。確かに俺は命懸けでやるつもりだが、死ぬつもりなんてさらさらない」

 

 命懸け、死ぬ気でやる覚悟はあるが死ぬつもりないと矛盾したことを言う。

 

「死ぬ気でやるには未練があり過ぎんだよ、俺は。家族を置いて先に逝ける筈も無いし、認めさせたい奴らにカッコいい所も見せていない。……好きな人に告白だってしてねぇ。まだ数え切れないぐらいに生きる理由があるんだ」

 

 この時になって九重は気付いた。匙がふてぶてしく笑っているのではないと。これからすることへのリスクを正確に理解し、その恐怖から顔を引き攣らせているだけなのだと。

 

「でも俺は弱いから……そんぐらいの覚悟しなきゃやれるもんもやれねぇんだよ」

 

 生にしがみつく理由は数え切れないぐらいある。だが、匙自身が出来ることは限られている。そこから一歩踏み出すには、恐怖を覚悟しながら背負っているものを零してしまうぐらい前のめりになって前進するしかないのが分かっていた。

 一誠の様な愚直に突き進み壁を突き破る様な力も、シンの様な自分の命をギリギリまで消耗して壁をこじ開ける力も無いのだから。

 

「それなら、それならお主がやらなくとも良いではないか……。巻き込まれたお主がそこまでする義理など……」

「しょうがねぇだろ! 気付いちまったんだから! これなら俺にも出来るかもしれないって! そう思ったんなら……もう目を逸らせねぇ」

 

 逃げるのは簡単である。あの時、何もせずに九重とじっとしていればいいだけだった。だが、匙はそうしなかった。すれば自分が惨めな思いをすることを理解していたからだ。

 ここで逃げたら想い人にもライバルにも顔向け出来ない。

 匙の強い意思が伝わり、九重は何かを言おうとしたが口を閉じてしまう。少しの間、黙った後、九重は表情を引き締め、こちらをまた覚悟を決めた表情となる。

 

「そこまで言うのなら、私はもう止めん! 如何なる結果になろうとも私はお主を見届けよう!」

 

 堂々と九重は宣言する。匙の覚悟を聞いて、あれこれ言うのは最早無粋。目の前の男の覚悟に九重も感化され腹を括る。

 九重は、どのような事態になったとしても匙のことを恨むつもりはなかった。

 

「──ありがとよ」

 

 礼を言った後、匙はラインを地面へ伸ばしていく。

 

「こんな時にだが」

「うん?」

 

 ラインを伸ばしている最中に九重が話し掛けて来る。

 

「お主の名、きちんと聞いていなかった」

「ああ……」

 

 一誠が二人の名前を言っていたので気にしなかったが、思い返すとちゃんとした自己紹介をしていなかった。

 

「匙元士郎だ。よろしくな、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃんではない。九重だ」

「ふっ。そうだったな。よろしく、九重」

「うむ。それで良い、匙」

 

 引き攣っていた匙の顔が僅かに緩み、微笑を見せる。九重の方も曇らせていた表情が微かに晴れた。

 張り詰めた状況の中でほんの一時だけ出来た穏やかな時間。

 だが、それも何かを感知した匙によって消し飛ばされる。

 

「来た……!」

 

 伸ばしていたラインがパワースポットの力を嗅ぎつける。そして、ラインが気の溜まりに触れた。

 

「──ッ!」

 

 匙は言葉にならない叫びを上げると同時に空に向けて伸ばしていたラインから膨大な量の気が放出される。ラインが気の流れに触れ、匙の体を通して外へと流され、匙の思い描いた通りになる。

 しかし──

 

「匙! 匙! 気をしっかりと持て!」

 

 九重が泣きそうな声を出す。

 ラインで気を取り込んだ瞬間、匙の体は膨大なエネルギーによって満たされ、鼻孔が目から流血する。額や体中の血管が膨張し、場所によっては裂けて内出血を起こしたり、血が噴き出したりなどの肉体の破壊が起こる。

 それだけでも大変な苦痛であるが、取り込んでいる気は純粋なエネルギーである為に破壊された箇所がそれによって再生され、治ると同時にまた破壊される。

 再生と破壊が同時に起り、匙に無限地獄に等しい苦痛を与える。

 

(甘く、考えたか……?)

 

 言葉に出来ない激痛を体感しながら自分の見通しが甘かったことを文字通り痛感させられていた。

 ラインが吸収する量を調整しようにも怒涛の如く入り込んで来るので調整出来ず、逆に放出の方は取り込んだ量に反して少ない。気の影響のせいで『黒い龍脈』の操作が上手く行かない。

 頑張れば、必死になれば、それ相応の成果を出せると思っていた。少なくとも匙の短い人生では上手く行っていた。

 だが、いつかは失敗してしまう時が来る。そんな事をぼんやりと思ってしまう。

 

(ああ、やべぇ)

 

 意識が薄れると共に過去の記憶が蘇って来る。走馬燈が頭の中で巡り出し始めた。

 家族との思い出。ソーナとの出会い。生徒会メンバーとの出会い。一誠達との出会いが次々と思い浮かんでは消えていく中で、最後まで残る匙の中の思い出。

 

『こうやって戦ってみて改めて思った。お前は強いよ。だから挑みたい! 勝ちたい! 超えたい! そう思うのはおかしいか?』

 

 一誠と全力を尽くしたレーティングゲームの記憶。匙が初めて命懸けで戦った時の記憶。

 ソーナの為、そして自分の為にも何が何でも勝ちたかったライバルとの死闘。

 

『まだまだやれんだろ! 匙!』

 

 一誠に言われた言葉が蘇って来る。

 

『──お前が強いからだよ』

 

 ライバルが言ってくれた最高の賞賛。それが折れ掛けていた匙の心を奮い立たせる。

 あの時と違って見守ってくれるソーナは居ない。超えたい一誠も居ない。それでも──

 

(いや、居るじゃねぇか)

 

 ──目の前に半泣きになって声を掛けてくれる九重が居た。耳がおかしくなっているので声は聞こえないが、自分の名を呼んでくれるのは伝わって来る。

 

(そんな顔すんなよ……もうかっこ悪い姿は見せねぇからよぉ!)

 

 意地を張らなければならない。泣きそうな子供を前にして匙の気力が湧き上がる。

 体への激しい負担に耐えながらも精神を落ち着かせ、強制的にラインへ入り込んで来る気の量を絞り込み、放出する気の量を増やす。

 それだけで体への負担が大分減る。

 気の遠くなる作業だが、足掛かりは出来た。ここから先は──

 

「おうおう。随分と活きの良いことしてんじゃねーの」

 

 ──年老いた男性の声が頭上から聞こえて来る。

 匙は見上げる余裕は無く、代わりに九重が上を見上げた。

 匙が放出させた気は周囲を覆っている結界に衝突していたが、その結界に裂け目ができており、そこから緑の鱗を輝かせ、細長い胴体を持つ東洋のドラゴンが出て来ている。

 

「な、なんじゃあれは!?」

 

 一瞬唖然とした後、当然のリアクションをする九重。

 

「そうコンコン喚くなや、子狐。長候補なら、もっとどんと構えとれ」

 

 頭上から聞こえて来た声が今度はすぐ傍で聞こえる。

 九重が声の方を見ると、小柄な、本当に小柄な猿の様な老人、若しくは老人の様な猿が匙の肩に手を置いている。

 金色に彩られた体毛。黒い肌。首回りには珠の大きな数珠を掛け、素朴な法衣を纏っているが、だが顔にはそれと相反する近未来的なサングラスを掛けていた。

 

「あ、あれ?」

 

 匙は猿の老人が触れた途端に一切の苦痛が消えたことに驚く。

 

「若いからって無茶しやがってぇー。そういうのは嫌いじゃねぇーが、生き急ぐのは感心しねぇーな」

 

 匙の無茶に対し、口元で煙管を吹かしながら説教する猿の老人。

 

「あ、あの、何をしたんですか?」

 

 突然の乱入者に戸惑いながら敬語で尋ねる匙。あれ程体を苦しめていた気の行方を聞く。

 

「ちょいとばっかし儂が預かってる。一人で無茶してないでさっさとヴリトラを呼ばんか」

「嘘……」

 

 京都中から搔き集めた気を体の中に押し留めているとあっさりと言われ、思わず疑ってしまう。こんな小柄な体にあれだけの量が収まるとは到底思えなかった。

 

「と、というかお主は誰じゃ!」

「た、確かに! 誰!」

「何じゃ? アザゼルから聞いとらんのか? 助っ人が来ると」

「助っ人! じゃあ、貴方が……?」

 

 匙もそのことはアザゼルから聞いていた。想像とは大分違った助っ人である。アザゼルが言っていたので、てっきり堕天使関連だと勝手に思っていた。

 

「早くヴリトラにならんか。出来るのは聞いとるぞ?」

「いや、ヴリトラは俺は庇って今眠ってて……」

『ウソだろ! あのヴリトラが?』

 

 凄まじくハイテンションな声が落雷の如く降って来た。

 

『あの陰気ドラゴンが自分の器だからって人を庇うようなことすんの! マジ信じらんねー!』

 

 声の主は宙を舞うドラゴンである。荘厳な見た目の割には口調は俗っぽいというか若者の様な軽い口調。

 

「ぎゃあぎゃあ喚くな。ヴリトラも色々あって変わったということじゃろう。お前さんと違って」

『やかましいわ、クソジジイ! オイラはいつだってありのままなんだよ!』

「はいはい、分かった。分かったからお前の龍の波動でヴリトラを起こしてやれ。流石の儂もいつまでもこうしてはおれん」

『だったら余計なこと言ってんじゃねぇ! ファッキンジジイ! ゥオラ! 陰険ヴリトラにオイラから直々に活入れてやんよぉぉ!』

 

 緑のドラゴンから光が匙へと降り注がれる。その光は匙の体へ溶け込む様に消えて行き、やがて匙の体から黒い炎が噴き上がる

 

 ……気付けとしては最悪だな

「ヴリトラ!」

 

 頭の中で響き渡るヴリトラの声に匙は歓喜するが、ヴリトラの声は二日酔いしている様に非常に気分が悪そうなものであった。

 

『ィィヤッホー! 目ぇ覚ましたかぁ? ヴリトラァァ! お眠の時間は終了だぜぇ?』

 お前か玉龍……どうりで騒がしい波動な訳だ。

『おいおい。先ずは言う事があるだろーう?』

 そうだな。──喧しい。

『ファァック! 起こしてやったことへの礼の言葉だろうがよぉ! 陰気のヴリトラ!』

 事実を言っただけで喚くな。隠居の玉龍(ウーロン)

 

 玉龍と呼ばれたドラゴンは怒りでますますテンションと声が高くなり、ヴリトラの方もますます不機嫌な声になっていく。

 

「玉龍……西海龍童(ミスチバス・ドラゴン)の玉龍か!」

 

 あのドラゴンが五大龍王の一匹である玉龍だと知って匙は驚く。聞いた話では早々に隠居して外との関わりを断ち、表には出なくなったと聞いていた。

 匙と九重の驚きを余所にヴリトラと玉龍の険悪さが増していく。どうにも馬、もとい龍が合わないのだろう。

 

 相変わらず口の減らない若造だ。

『ジジイってのはどいつもこいつも口煩くて敵わないぜぇ! オイラの耳にもタコが出来るなぁ!』

「ヴリトラ! 揉めるのは後にしてくれ!」

「そこまでにしておけ。これ以上喧嘩すらなら褒美の京料理を食べさせてやらんぞ?」

 

 二人に仲裁され、二匹のドラゴンは渋々と言った態度で言い争うのを止める。

 

 ちっ。まあ、奴のことはもういい。それよりも我が半身よ。やるならさっさとやるぞ。復活した我が力で荒らしてやる。

「うん? 俺が何をしようとしているのか分かってんのか?」

 朧気ながらな。無謀、無茶の極みだ。お前と我が一心同体だということを忘れていないな? 

「それは……ごめん」

 ふっ。まあ、その結果こうやって話すことが出来たから良しとしよう、我が半身よ。

 

 匙の行ったことは確かに無茶なことであったが、結果として見ればファインプレーとも言える。

 吸い出した気を放出したことで玉龍達は匙を見つけ、また結界が放出された気を当てられることでその箇所だけ弱まっていたので玉龍も容易に侵入することができ、それが匙の命を繋ぎ、ヴリトラ復活へも繋がった。

 勿論、そのことを匙本人は知らない。そして、助っ人が遅れたらどうなっていた──まさに紙一重の幸運と言えよう。

 

「それじゃあやるか!」

 いつでもいいぞ。

「爺さん! 預かっていたものを返してくれ!」

「あいよ」

 

 猿の老人に溜め込まれた気が一気に匙へ流れて行く。先程までだったら匙は自壊していただろうが、今はヴリトラが居る。

 

龍王変化(ヴリトラ・プロモーション)っ!」

 

 匙の体から噴き出していた黒炎が激しさを増し、彼を包み込んでいく。猿の老人はそのタイミングで手を離す。

 吸い上げた気の力を黒炎で燃焼させながら匙はヴリトラへと姿を変えた。

 

『ふんっ』

 

 ヴリトラは、匙がラインを伸ばしていた地面目掛け自身の体から無数のラインを放つ。ヴリトラのラインが匙と同じく気の流れに到達すると、ヴリトラは匙とは違い吸収するのではなく自身の力を流し込んだ。

 ヴリトラの力は気の流れの中で黒い蛇となり、周りの気を吸収する。限界まで気を取り込んだ黒い蛇は取り込んだ力を使って分裂。分裂して再び気を吸収。後はこれを無限に繰り返していき、気の流れを黒い蛇の群が喰らい尽くしていく。

 

「おお!」

「流石は五大龍王って所じゃな」

 

 瞬く間に気が枯渇していくのを感じ取り、九重と猿の老人は感心する。

 そこで九重は改めて猿の老人を見た。

 

「さっきも聞いたが、本当にお主は何者なのじゃ?」

 

 玉龍を従え、匙の危機をあっさりと救い、アザゼルが助っ人として呼ぶほどの存在。それが只者である筈が無い。

 すると、頭上の玉龍が爆笑し出す。

 

『うひゃははははははは! そんな露骨な恰好してんのに誰だって! やっぱそのグラサンか? グラサンのせいか? だっせぇもんな! それ! あひゃひゃひゃひゃ!』

「うるさいぞー。玉龍」

 

 猿の老人を小馬鹿にした様に玉龍は笑っているが、猿の老人は大して腹を立てていない様子。それだけ器がでかいのか、それともそういう軽口を言い合える関係なのかもしれない。

 

「闘戦勝仏と言えば分かるか?」

 

 それはとある存在が難行苦行の果てに釈迦から与えられた戒名である。

 

「誰じゃ?」

(誰?)

 

 ──が、馴染みの無い言葉だったせいで九重と匙にはピンと来なかった。

 

「……」

 

 その反応には流石にショックだったのか猿の老人は閉口してしまう。その姿を見て、玉龍は長い腹が捩じ切れそうになるぐらいに笑っていた。

 

『孫悟空、と言えばお前達にも伝わるか?』

 

 哀れに思ったのかヴリトラが助け舟を出す。猿の老人こと孫悟空とは面識があったらしい。実力者は実力者を知る。

 

『孫悟空っ!?』

 

 その名は匙も九重も知っていたらしく同時に驚いた後、九重の方は顔を真っ青にしていた。格上の相手に対して自分がとんでもなく失礼なことをしてしまったと自覚したからだ。

 

「その、色々と失礼を……」

「まあ、気になさんな。名はそれなりに通っているが意外と儂の姿は知られとらんしのー。ましてや若い者だしの」

 

 孫悟空は特に怒った様子を見せなかったが、玉龍は相変わらず笑っている。

 

『知名度ばっかは伸びてんだけどなー! このジジイは! いっその事もっと分かり易い恰好したら? ほれ! あんだろ! あの有名なの! ドラグ・ソボールの空孫悟! あの姿して持ちネタをドラゴン波したら完璧よー!』

「何で本家がパロディーの真似しなきゃならん!」

 

 玉龍の茶化しに孫悟空も流石に少し怒った。

 

 

 ◇

 

 

「む?」

 

 オンギョウキは八坂の細やかな変化を鋭敏に感じ取る。

 

(力が落ちている?)

 

 常時満たされていた八坂の力に翳りを感じた。殆ど感覚的なものであったが、オンギョウキはそれを自らの都合の良い解釈とは思わなかった。

 その証拠に刀剣に変化して動き回っていた八坂が刀剣を一箇所に集めて変化を解き、元の九尾の姿に戻っている。

 本能的に力の消費を抑えようとしているのだ。

 

(誰かが術を壊したのか?)

 

 その割には八坂の暴走は続いている。そうなると気の流れに何かしらの不具合が生じた可能性が出て来る。

 自分の推測を確かめる為にオンギョウキは口から唾を飛ばす。

 唾は飛ばされている最中に氷の礫となり、瞬く間に大きくなって人の頭程の大きさと化した。

 それが数個八坂へと飛んで行くが、八坂は炎を吐いてすぐにそれを溶かし、蒸発させてしまう。

 

「やはりか」

 

 八坂の力が弱まったのを感じた。さっきよりも確実にそれが分かる。

 潮目が変わった。

 だが、油断は出来ない。ここで、確実に八坂を抑える。

 

「もう暫くの辛抱です。八坂様」

 

 オンギョウキが印を結ぶ。すると、周囲のありとあらゆる影が生き物の様に蠢き始める。蠢く影が平面から立体となり、オンギョウキの姿と化す。影が全てオンギョウキの分身となった。

 

「私も出し惜しみをしません」

 

 夜の闇に溶け込もうともオンギョウキの眼光は赤く輝き、狙うべきものから目を離さない。

 




残り二、三話でこの章を締めたいですね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。