ハイスクールD³   作:K/K

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王様、号泣

 二つの絶叫が別荘内に響き渡ったとき、一誠を除く他のメンバーはリビングに集まっており、全員が一誠の起床を確認した。

 

「あら、驚かせちゃったみたいね」

「あらあら、凄い声ですね」

「だ、大丈夫でしょうか……」

「へーき、へーき! アーシアは心配し過ぎ」

「……うるさかったです」

「イッセーくんは朝から元気だね」

「あいつを行かせたのは失敗だったか……」

 

 朱乃の淹れたお茶を口にしながら、各々が感想を洩らす。数十秒後、がちがちと歯を鳴らしている一誠が両手でジャックフロストを掴んだ状態でリビングへと駆け込んできた。その体には至る所に薄い氷が張り付いている。

 

「ぶ、ぶぶぶ部長! へ、へへへ変ないいいい生き物がががが!」

 

 一誠は両手で持ったジャックフロストをリアスに突き出し、寒さから歯の根が合わず舌もあまり回らない様子で必死に目の前の存在について訴える。

 

「変な生き物じゃないホー、オイラはジャックフロストだホー」

「そそそ、それはささささっき聞いた!」

「今更遅いが、そいつは驚いたり興奮したりすると体から冷気を噴出するぞ」

「み、身を以てけけけ経験したわ!――って」

 

 シンの遅い忠告に歯を剥いて怒る一誠であったが、そこでようやく周りと自分の反応の差に気付く。見たことも無い生物だというのにリアスたちに驚いた表情は無かった。

 

「その子のことは、今朝シンから聞かされたわ。イッセー、その子が私たちのことを見ていたり野菜を盗んでいたりしていた犯人よ」

 

 リアスの言葉に一誠は目を丸くし、突き出していたジャックフロストを自分へと向き直す。

 

「ヒホ」

 

 片手を挙げて独特の言葉で挨拶をするジャックフロストを見た後に今度はシンの方を見た。

 

「お前が捕まえたのか?」

「昨日の深夜に偶然な――頭からクーラーボックスに突っ込んでいたから思わず捕まえた」

 

 

 

 

 昨晩、シンが見たのはクーラーボックスに顔を入れて中の野菜を拝借しようとしている動く雪だるまの姿であった。正直、抵抗をするなら手っ取り早く二、三発程殴って大人しくさせようと考えていたシンであったが、頭を突っ込んで短い足をじたばたさせている雪だるまの姿にその気は萎え、仕方なく首根っこを掴んで持ち上げた。

 その際、驚いて体から冷気を噴き出させた雪だるまであったが、逃げられる、と思ったシンがすぐに人指し指で雪だるまの額を弾くと、低く威圧感のある声で――

 

『やめろ』

 

 ――と一言。額を押さえて涙目になったジャックフロストはすぐに冷気の噴出を止める。おかげで、シンの手が氷漬けになることを防げた。

 その後にシンは雪だるまを一旦地に降ろし、改めて素性を尋ねようとするのだが、ここで予想外のことが起きた。

 

「ご、ご、ごめんなさいだホー! ――ヒホォォォォ! ヒホォォォォ!」

 

 まさかの号泣。この事態には流石にシンも内心で動揺した。

 幼子をあやす術を知らないシンの中で、ピクシーと初めて会ったときの記憶が蘇る。目の前の酷似した光景にただ棒立ちしながら、必死に泣き止ます方法を考える。

 

「何をしているの?」

 

 そこに泣き声を聞きつけたリアスが、朱乃を連れて現れた。

 

「――あー、その――」

 

 咄嗟に何かを言おうとするが言葉が思いつかない。リアス、朱乃の目には小さな雪だるまを泣かすシンという奇妙な構図が映っているのは間違いなく、この状況を説明するのにどういった風に説明すればいいのか、流石に悩んでしまう。

 

「間薙くん、とりあえずその子とここで何があったか話してくれますか?」

 

 落ち着いた態度の朱乃に空回りする考えがやや落ち着く。そこでシンは思考を一旦止め、軽く深呼吸をした後に起きてから雪だるまを捕まえた経緯を順番に話した。その間に朱乃は泣いている雪だるまの頭を撫でて、気持ちを落ち着かせていた。

 

「そう、分かったわ」

 

 リアスはシンの話を聞き終わると、朱乃にあやされ落ち着きを見せ始めた雪だるまに近寄ると、目の前でしゃがみ目線を同じ高さにする。

 

「ねえ、あなたが野菜を盗んでいたの?」

「ご、ごめんなさいホー! 山の木の実以外の食べ物があったから美味しそうに見えたんだホー!」

 

 頭を押さえて、小鹿の様に身を震わせる雪だるま。その姿は愛らしく保護欲を誘うものがあり、質問しているリアスや側にいる朱乃も徐々に表情が柔らかくなっていく。

 

「最近、私たちを見ていたのもあなた?」

「そうだホー、この山で人間以外を初めて見たからだホー」

 

 いつ怒られるかという恐怖心から終始ビクビクしている様子の雪だるま。その姿に怯えさせる原因となったシンは罪悪感を覚え始め、雪だるまに近付きリアスの様にしゃがむと片手を前に出す。

 それに驚いて体をびくりと跳ね上げる雪だるまであったが、出されたシンの右手に胡瓜が握られていることに気付くと、不思議そうにシンの方を見た。

 

「俺が言うのもなんだが、そう怖がるな。俺たちはお前に危害を加えるつもりはない。ただ、お前のことを知りたいだけだ……それとさっきは叩いて悪かったな」

 

 しばらくの間、差し出された胡瓜とシンを交互に見ていた雪だるまであったが、やがてその胡瓜を受け取ると、ぽりぽりと食べ始めるのであった。

 その様子をしばし見物する三人、そのうち雪だるまも胡瓜を一本食べ終えてシンたちの方を見る。その体からは先程の震えは消えていた。

 

「おいしかったホー! ごちそうさまだホー!」

 

 きちんと礼を言う雪だるま、その無邪気な姿にシンは仲魔のピクシーを連想した。

 

「じゃあ、落ち着いたところで聞かせてくれる? あなたの名前を」

「オイラはジャックフロストだホー!」

 

 聞かされた名にリアス及び朱乃は目を丸くして驚きを示した。シンは聞かされた名よりも二人の驚きの方に注目してしまう。

 

「有名なんですか?」

「それは……」

「なんて言ったらいいんでしょうか……」

 

 シンの問いに二人は口籠り、何やら言いにくそうに互いに目配せをする。その様子を不審に思うシンであったが、それについて質問するよりも早く新たに木場、小猫、アーシア、ピクシーの四人がやって来た。

 

「どうしたんですかこんな夜更けに?」

「ふぁぁ……外でごちゃごちゃうるさいよー」

 

 アーシアやピクシーまだ眠気が残っているのか目を擦りながらシンたちに尋ねてくる。後に続いてきた小猫と木場もいつもの表情ではあるが、やはり眠気を感じているのか目尻が二人とも下がっている。

 四人はシンたちの側にいるジャックフロストとの存在に気付き、驚きの表情を浮かべた。

 ジャックフロストは新たに増えた人物にやや緊張した様子で忙しなく交互に見ている。立て続けに人が現れて軽いパニックを起こしているらしく、その影響からかジャックフロストの足下に霜が降り始めた。

 

「とりあえず、外で話し続けると体を冷やすわ。一旦中に入りましょう?」

 

 リアスの言葉に従い、皆が別荘の中に戻っていく。シンは状況を把握しきれていないジャックフロストを持ち上げると、そのまま別荘に連れて行く。

 

「悪いが、あそこでもう少し話を聞かせてくれないか?」

「ヒーホー!」

 

 ジャックフロストはシンの提案を快諾し、元気の良く返事をするのであった。

 

 

 

 

「……で、俺が寝ていた間にそいつの話を聞いてたのか、俺も起こしてくれてもいいんじゃないのか?」

 

 一人仲間外れにされていたのが不満らしく、一誠は唇を尖らせ同室で寝ていた木場に咎める様な視線を送る。

 

「ごめんね。あんまり気持ちよさそうに眠っていたから起こすのも悪いと思ったんだ。イッセーくんも毎日頑張ってたから疲れていると思ったし」

 

 爽やかかつ思いやりが込められた木場の言葉に、一誠の返す言葉が無い。ばつの悪そうな表情をする一誠は、話題を変える為にジャックフロストに話し掛けた。

 

「なあ、お前が今まで俺たちの特訓を見てたんだろ? 何で見てたんだ?」

「ヒホ! 強くなるためだホー!」

 

 一誠の質問にジャックフロストは素直に答える。

 

「強くって――どういうことだ?」

「オイラは元々、強くなるために山に入ったんだホー! でも、入ったのはいいけど強くなる方法がよく分からなかったんだホー! そしたらリアスたちの姿を見つけてこっそり見てたらオイラ思ったんだホー、これを真似したら強くなれるかもしれないとホー!」

 

 すでにリアスの名を呼ぶぐらいに打ち解けているジャックフロスト。いまいちジャックフロストの話を理解できないのか、小声でシンに話しかける。

 

「なあ、何で強くなる為に山に入ったのに特訓とかしなかったんだコイツ?」

「恐らくだが、山籠もりのことを曲解したんだろう。口振りから察するに山に入れば自動的に強くなれると勘違いしていたみたいだ」

 

 あまり賢いとは言えないジャックフロストの思考に一誠は困惑と呆れを半々とした微妙な表情となる。

 

「すいません、部長。俺、ジャックフロストなんて名前初めて聞きましたけど、どんな存在なんですか?」

「ジャックフロストというのはね――」

 

 ジャックフロストはピクシーと同じくイングランドの伝承の中で語られる寒さ、霜、雪などの妖精と伝えられている。悪戯好きではあるが基本的に無害な存在と言われているが、一度でも怒らせるとその相手を生きたまま凍らせるという怖い一面を持つ。

 リアスからの説明を聞いた一誠は、やや恐れを持った目でジャックフロストの方を見る。

 

「生きたまま氷漬けって……可愛い顔してエグイことをするんだな、お前」

「ヒーホー! オイラそんなことしたことないホー!」

 

 一誠にジャックフロストは目を吊り上げて怒った表情で一誠の言葉を否定する。怒っていてもその容姿は可愛らしく、普段無表情の小猫さえもジャックフロストの怒る姿を心なしか柔らかい表情で見ている。

 

「じゃあ、お前の仲間はするのか?」

「それは、その……ヒホー……」

 

 そのことを聞かれた途端、怒っていたジャックフロストは冷水でも浴びせられたかのように大人しくなり、それどころか言葉から勢いと元気が無くなる。一誠の質問に答え辛そうにし、はぐらかす態度を取っていた。

 その態度を不審に思った一誠は踏み込んだ質問をジャックフロストに投げ掛けようとするが、それの前に朱乃が突然ジャックフロストを抱き上げた。

 

「ごめんなさい、イッセーくん。まだ、この子について体調などを調べないといけないの。その質問はまた後でして下さいね」

 

 微笑んで一誠に頼む朱乃であったが、その微笑みには相手に有無を言わせない威圧が込められていた。それを察した一誠は勢いよく首を縦に振り、朱乃に従う。

 

「じゃあ、少しだけ私と付き合ってくださいね?」

「ヒホ、分かったホー。でも、痛いのは嫌だホー」

「大丈夫です。酷いことはしませんよ……部長、あとは任せます」

 

 朱乃とリアスの視線が交差する。その僅かなことで相手の考えを悟ったのか、リアスは分かったわ、と朱乃に告げると朱乃は再度微笑み、ジャックフロストを連れてリビングを後にした。

 

「少し、みんなに聞いてほしいことがあるわ」

 

 朱乃が去ると、リアスは真剣な面持ちとなる。

 

「あの子のことで知っていてほしいことがあるの」

「ジャックフロストのことですか?」

「ええ、そうよ」

 

 真剣なリアスの態度に触発されたのか、聞いた一誠の表情も硬い。

 

「妖精のジャックフロストはね――」

 

 少し間が空く。

 

「――既に絶滅したと言われている妖精なの」

 

 

 

 

 木場の横薙ぎの一閃がシンの顔に迫る。辛うじて目で追える速度のそれをシンはギリギリまで引き付け、直撃するかと思われた瞬間に上体を後ろへと逸らした。しかし、それでも完全に避けきることが出来ず木刀の切っ先が額をかすり、浅い切傷を付けられる。

 額から目蓋に伝わってくる暖かい血の感触も、目の前に立つ木場に集中しているシンには気に掛ける余裕は無い。シンは剣戟を外されたことで僅かに体勢が揺らいだ木場に対し、胴体を狙って右の爪先を穿つように放つ。だが、それも木場にとって予想の範囲内だったのか、木場は流れる様な足運びで体勢を変えると、シンの蹴りは空しく先程まで木場の立っていた位置を通過するだけであった。

 突き出されたシンの足の側面へと移動していた木場は、シンの右足の脛部分を柄頭で強打する。右足から脳まで突き抜けていく激痛と叩きつけられた衝撃で宙にあった右足は地面へと落ち、大きく足を開いた状態になったシンは前のめりの体勢になる。慌てて体勢を戻そうとするシンが見たのは、自分の首に木刀を押し当てた木場の姿であった。

 

「僕の勝ちだね」

「ああ、そうだな」

 

 清風の様な声で勝ちを告げる木場、それにやや悔しそうな声音でシンは自らの敗北を認める。合宿も六日目に入り、期限まで半分が過ぎる。シンもそれなりに技術を吸収してきたという自覚はあるが、未だに木場、小猫に勝てなかった。一矢報いることもあるが、結局は手痛い反撃を受けそのまま敗けるというのが、この頃定番となりつつある。

 

「また敗けたか……」

「でも、最初に比べれば間薙くんもイッセーくんも強くなってきたと僕は思うよ。さっき僕の剣を避けたけど、合宿に入って初めのときの間薙くんだったら当たっていたはずだ」

 

 敗北を噛み締めているシンに木場は励ましの言葉を掛ける。シンが自覚はしていなくても、敗けという結果に気分が暗くなっているのを言葉に滲ませていたのを敏感に木場が悟った故の行為であった。

 シンの方も、相手に気を遣わせていることを理解しており、自分を情けなく思う。既に何十もの敗北を重ねているというのに、まだ敗けるということに開き直れず悔しがる自分、シン自身この合宿で、自分の負けず嫌いな一面に初めて直面した。

 そして、もう一つ敗北以外でシンを悩ませることがある。

 

「それでさっきのことなんだけど――」

「ヒホ!」

「ああ、確かにそれで――」

「ヒホ! ヒホ!」

「うん、だから――」

「ヒホホホホ!」

「――少し静かにしてろ」

 

 木場の助言の最中に聞こえてくる気の抜ける掛け声。声の方を見ると、シンと木場の特訓を見学していたジャックフロストが、その辺りに落ちていた木の枝を手に持って上下に振る素振りらしきものをしている。

 既に皆から認知されたジャックフロストはこそこそと隠れて特訓の様子を見ることは止め、堂々と見学をしていた。出会って最初の日は視界の隅にチラチラと映り気になったものの、一日中そうしていると案外早く慣れてしまった。オカルト研究部の面々の性格とジャックフロストの意外と人懐っこい性格で打ち解けるのも早く、シンも五日目の中ジャックフロストがアーシア、小猫、朱乃、リアスの膝の上で撫でられているのを一誠と共に目撃をしている。それを見て一誠が、凄まじく羨ましいが絵になる、と嫉妬の感情と可愛いものを愛でる美少女という構図に胸を熱くする感情とが合わさった奇怪な表情となっていた。

 木場との特訓を始めて二時間近く経つが、偶にジャックフロストの方を見ると今の様に木場の真似をしていたり、シンの真似をして短い手足で構えをとっている姿が映る。同じ妖精であるピクシーとは違い、飽きずにずっとこの行為を繰り返している。ピクシーの方はと言うと、木陰の下で夢の世界の中に入り浸っていた。

 

「オイラも特訓だホー! 少しは強く見えるかホー!」

 

 手に持った枝を地面に置き、両手を腰と思わしき部分に当て胸を張ったポーズをする。その姿を木場は少し困った様に微笑み、うーん、もう少し特訓が必要かな、と律儀に答える。

 

「分かったホー」

 

 その言葉にジャックフロストは素直に従い、置いた枝を拾うと再び素振りを始めた。シンはその姿を何気なく見ながら、近くに置いておいた水筒で水分を補給しようとし水筒を持つが途中で手が止まる。何度かこまめに水分補給をしていたせいで、水筒の中が空になっていることに気付いたからであった。

 

「取ってくる」

「ああ、それなら僕が行くよ。ちょうど僕のも空になっていたみたいだしね、間薙くんは少し休憩してくれるかな」

 

 木場の申し出にシンは一瞬断ろうと考えたが、あまり汗をかいていない木場の顔を見て、あくまで水を取ってくるのは建前であり、本当の目的はシンを休ませることであることを悟る。思い返してみれば、水分を補給した回数は圧倒的にシンの方が多く、木場が水を飲んでいる姿は僅かしか見ていない。そんな差があるのに同じタイミングで空になることは考え難い。

 相手の思いやりを無下にすることも出来ず、素直にシンは木場に水筒を渡す。別荘の方へと歩いていく木場の後姿を感謝と申し訳なさが混在した瞳で見送ると、シンは近くにあった大き目の岩に背をもたれさせて座った。

 

(足りないな……)

 

 シンは自分の現状を考え、決定的に不足しているものを実感していた。それは切り札となる武器である。木場の『神器』に小猫の逸脱した腕力、朱乃の魔力、一誠の『神滅具』、アーシアの様な非戦闘員を除けば、皆強力な武器を備えている。しかし、今のシンに出来ることは氷の息を吐き出すことと、見た目だけの魔力の剣を創り出すことしかない。戦いの中で使うことを考えれば、いまいち心許無い。

 使える手札は多ければ多いほどいいが、肝心の手札を増やす術をシンは思いつかない。身体能力、技術が伸びていく一方で、それに反比例するように、このことに対する焦りの気持ちは日々大きくなっていくのであった。

 そんなことを独り考えているシンの視界の端で、ジャックフロストは最早聞き慣れた掛け声で木の枝を縦や横に振っている。強くなるという理由の為に一生懸命に行動をするジャックフロストを見て、シンは朝にリアスから聞かされた内容を思い出していた。

 妖精という種族は、未だに人の住む世界に生息をする数少ない存在である。だが、昨今その数は減少の一途を辿っていた。原因として挙げられたのは、生息をしている環境の変化により妖精が自然発生する確率が激減している、とのことだった。

 その中でジャックフロストという妖精は、数年前に悪魔たちの調査の結果、その存在は完全に絶えたという報告がされた。事前に悪魔たちは、人の世界では無く悪魔の棲む冥界に移住するように呼び掛けていたが、ジャックフロストたちはその提案を拒否し人間界に留まり続けることを選択したという。

 そんな存在が現在、自分の目の前にいる。そう考えると奇妙な気持ちがシンの心の中で生まれてくる。

 

「なあ」

「ヒホ?」

 

 その奇妙な気持ちに後押しされてシンはジャックフロストに声を掛ける。ジャックフロストは素振りを止めて、小首を傾げながらシンの方を見た。

 

「何でお前は強くなりたいんだ?」

 

 胸の中に湧いた奇妙な気持ちの名が、好奇心であることをこの質問をしたときにシンは確信をした。そして、口に出してしまったことを今更ながら後悔した。相手の心中に踏み込むことはシン自身好むことではない故に。

 聞かれたジャックフロストは少しの間沈黙し、シンから目線を外すと木の枝を振る動作を続ける。

 気分を害してしまったかと思うシン。そのときジャックフロストはぽつりと呟いた。

 

「……オイラ、王様になりたいんだホー」

「王様?」

 

 シンは思わずジャックフロストの言葉を復唱する。純粋というよりは子供染みたといった方が適切なジャックフロストの願い。だが、それを呟いたジャックフロストの横顔は子供というには余りに切ないものを含んでいた。

 

「オイラの王様が言ってたんだホー、強くなればいつか王様になれるってホー。――そして、王様になったらオイラがジャックフロストたちを……」

 

 そこまで言ってジャックフロストは振るっていた手を止め、俯いた。その様子を訝しげに見ていたシンであったが、ジャックフロストの足下に出来ていく雫の痕で、初めてジャックフロストが泣いていることに気が付いた。最初にあったときとは違い、静かに耐える様に泣くジャックフロスト。

 シンは涙を止める方法を知らない。だからシンは泣いているジャックフロストに何も問わず黙って見守る。ジャックフロストが泣き止むまでシンが側から離れることはなかった。

 しばらくの後、ジャックフロストは俯いていた顔を上げる、既にその顔に涙は無かった。

 

「ごめんだホー、ちょっと悲しくなっちゃったんだホー」

 

 泣いたことを恥じているのか、ジャックフロストの声は消えてしまいそうな程小さいものであった。

 

「泣き虫だな、お前は」

「違うホー! オイラは泣き虫じゃないホー! さっきのはたまたまなんだホー!」

 

 涙を流した理由は聞かず、代わりにからかう様な言葉を言いながらシンは立ち上がる。ジャックフロストは泣き虫と言われたことを強く否定し、手足をじたばたさせながらシンに抗議をする。

 そんな二人の様子を帰ってきた木場は初め不思議そうな顔をしていたが、微笑ましく映る両者のやりとりを見ているうちに穏やかな笑みへと変わり、その笑みのまま帰ってきたことを二人に告げるのであった。

 

 

 

 

 日も落ち始めた夕方、シンは独り川辺に立って自分の右手を見つめていた。木場、小猫との特訓が終わり夜に行う特訓までの合間の休憩時間、ピクシーやジャックフロストはリアスたちに預け、シンは体を休めることなく戦う術について考えていた。

 木場との特訓で身に付けた魔力を剣状へと変える技術、シンはその見た目だけの技術をどうにか実戦でも使える様に出来ないか思案していた。

 触れるだけで消える脆い魔力の剣、木場は強い魔力を込め続ければある程度は実戦に使用できるかもしれないと言っていたが、今のシンの技術では込めることはできても維持し続けるのは難しいという意見も述べていた。

 この魔力の剣が出来る様になってから、幾度か木場の言っていた様に魔力を込め続け、剣に攻撃力を付与する試みをしてみたが、底の空いた容器に水を流し込むかの様に送った魔力は剣に留まらず、空気中へと霧散し悪戯に消費をするだけであった。

 シンは右手に紋様を浮かばせると、右手の中に魔力を集め剣の形にする。そして、それに更に魔力を送り込むが剣に変化は全く無く、白く発光した光のままであった。繰り返す失敗に流石に少々苛立ってくる。

 今まで一定の量の魔力を送るという方法で剣を形創っていたが、シンは半ば投げやりで一度貯め込んだ魔力を一気に剣に送るという強引な方法をとった。その結果――

 

「――あっ」

 

 右手に集まった魔力は一瞬だけ剣の形となったがその形はすぐに揺らぐ。不味いとシンが判断した瞬間、剣の形は崩れ、解放された魔力が音も無くシンの体を吹き飛ばした。

 視点が激しく変わっていくなか、朱乃の言っていた魔力の暴発という言葉をシンが思い出したと同時に、頭から川の中へ着水するのであった。

 数秒後、川の中からシンが現れる。ずぶ濡れとなっていたシンはそれに構う事無く、川の中から急いで出るとある場所を目指して勢いよく走る。

 失敗に思えた先程の出来事、それはシンにとって思いもよらぬ天啓であった。

 走り続けたシンが辿り着いたのは別荘、そこで目当ての人物を探そうとするとタイミングよくその人物の方からシンの前に現れた。

 

「あらあら、どうしたんですか、間薙くん。びしょ濡れですよ?」

 

 シンの目当ての人物――朱乃は、未だに水を滴らせているシンの姿に目を丸くし、驚いた様子で話しかけてきた。

 

「すみません、姫島先輩。少し聞いてほしい話があるのですが」

 

 魔力に対しての見識が深い朱乃に、シンは自らの脳裏に閃いた考えを朱乃へと聞かせる。初めはいつもの笑みを浮かべていた朱乃であったが、話が進むにつれ笑みは無くなっていき、最後まで聞き終えた朱乃の顔は難しい表情となっていた。

 

「間薙くん、はっきり言います。あまりその方法はお勧めできません」

 

 教え子の行為を叱る教師を思い浮かばせる、感情からではなく常識を逸脱した行為を窘める口調。思いついた本人も口に出し、実際に人に聞かせていくうちに自分の発想の危うさを自覚していったせいか、朱乃の否定的な言葉に対し強い反抗心は湧かなかった。

 しかし、危険であると分かっていても他の方法は思いつかず、合宿の残り日数を考慮してもこれが唯一といって言い程の考えであった。

 

「確かにその方法ならば、強力な武器になります。でも、同時にあなたを傷付ける諸刃の剣にもなる可能性があります。……ですから、それに拘らずもっと別な方法を――」

「危険は覚悟の上です。先輩は言っていました、魔力の源流は想像であると、残された日数で俺は必ずその想像を形にしてみせます。――だからお願いします。俺にその為の助言を下さい」

 

 自らの意思を示し朱乃に頭を下げて頼むシン、そこには鋼鉄を連想させる、いかなる言葉や説得でも曲げない意志の不変さを感じさせた。その姿に朱乃は複雑な表情をしていたが、やがて溜息を吐き、シンに頭を上げるように言う。

 

「分かりました。これ以上言っても間薙くんの意志が曲がらないようですね。ですが、私の言ったことはきちんと守ってください。それがあなたに私が教える上での条件ですわ」

「はい」

 

 シンは念を押す朱乃に首を縦に振る。その言葉を聞き、いつもの笑みを浮かべる表情となった朱乃はいくつかの助言をシンへと聞かせた。シンはそれを真剣に聞き入れ、全て覚えると実践の為、先程の場所に戻ろうとする。が、そこで朱乃が呼び止めた。

 

「間薙くん。熱心なのはいいですが、とりあえず着替えましょうね」

 

 その言葉で今更ながら自分の全身が濡れていることを思い出す。

 

「……了解です」

「うふふ、素直で結構です」

 

 

 

 

 その日何度目の失敗であろうか。

 シンは、川の中で沈みながら少しずつ遠くなっていく水面をそう考えながら見つめていた。背中に川底に石が当たる感触が伝わると、シンは両手を川底に強く叩きつけ、その反動で水面へと飛び出した。

 まだ入るには冷たすぎる川の水であるが、そこに浸っているシンに寒がる様子は無い。それに気を掛ける時間をも惜しみ、再び練習を始めた。

 シンは朱乃から指示された様に、右腕全体に魔力を纏わせるイメージを頭の中で作りながら、体の中に流れる魔力を操作する。そのイメージの通りに魔力が動き出したのならば、今度はそれを収束させ、礫のように小さな魔力を一つの塊にする想像へと切り替える。そして、塊になったそれを一気に押し出し、右の掌の中に留めずにそのまま剣の形へと変換した。

 ここまでは朱乃から指示された様に出来る様にはなった。問題はこの後、それを維持し、自分の決めたタイミングで使用できるようにすること。

 一気に力を流し込んだことで形が不安定になる魔力の剣を押さえようとするが、努力の甲斐も空しく、僅か一秒程で魔力は形を失い暴走するただの力と化す。シンの前の景色は魔力の影響で揺らいだかと思えば、突風の如き衝撃がシンの全身を打ちつけて再度シンを川底にと沈めた。

 

「……ふう……」

 

 川底から自力で川辺へと上がったシンは、その場で仰向けとなり軽く息を吐く。仰向けとなったシンの目に映るのは無数の星。明るすぎる街ではまず見られない程、はっきりと輝いていた。

 

「無茶するねー」

「ヒホー」

 

 そんな光景に突然影が覆ったかと思えば、仰向けになったシンの顔をジャックフロストとその頭に乗ったピクシーが覗き込んでいた。

 

「夜の特訓終わったのにまだ特訓するの?」

「シンは頑張り屋さんだホー」

「一応、部長から許可は貰っている」

 

 夜の特訓の後にも特訓をしたいという申し出にリアスはあまり良い顔をしなかった。それは過密な特訓でシンの体が壊れるのではないかという心配故。それでも熱心に頼み込むシンにリアスの方が折れ、条件として活動時間の指定と、もしもの為に監視をする存在をつけるように言ってきた。その監視役に立候補したのが、その会話を偶然にも聞いていたピクシーとジャックフロストである。ピクシーの方はシンの仲魔であるという理由、ジャックフロストの方は特訓という言葉に惹かれたという理由で志願をしてきた。

 そして現在シンはピクシーとジャックフロストの監視の下、先程の様な特訓を出来る様になるまで何度も繰り返している。

 

「もうそろそろ時間だよ」

 

 ピクシーが適当な岩の上に置いておいた腕時計を指差す。腕時計が示す時刻は後数分でリアスが指定していた時間を超えることを指示していた。シンは短く息を吸って吐いた後に立ち上がる、その時になって今更ながら水を吸って肌に張り付くジャージを不快に思いおもむろに脱ぎ捨てると、上半身を晒したまま濡れたジャージを手に持って別荘へと戻っていった。

 その道中、シンは朱乃からの助言と、その助言を貰う際に絶対に守るよう言われた約束について思い返す。特に念を押されたのは、特訓に使用する場所と特訓の方法についてであった。場所は周りの被害が少なくシン自身にも危険が及びにくい条件を満たす所、シンは衝撃で飛ばされることを想定して、太腿位までの深さがある川の中を選んだ。次に特訓方法であるが、朱乃はシンが見つけた方法を行う際、必ず溜め込んだ魔力は外部で形成し、決して体内で行わない様に忠告した。そうしなければ、精密な魔力の操作が出来ないシンでは、制御に失敗をすれば内側から弾けると言われた。

 半ば思いつきでやった方法が、知らず知らずのうちに片手が無くなるか否かの瀬戸際であったことを朱乃に聞かされてシンは初めて知った。

 

「ヒホ、シン。ちょっと聞いてもいいかホー?」

「――何だ」

 

 ジャックフロストの問い掛けに、シンの意識が内から外に向けられる。

 

「どうして、シンは強くなろうとするんだホー? シンだけじゃないホー、他のみんなも強くなろうとするんだホー? みんなも王様になりたいのかホー?」

 

 何故強くなろうとするのか、単純であるが答え難い質問であった。シンは少しの間、考えの為黙っていたが、やがて口を開く。

 

「皆が王様になりたいって訳じゃない。月並みな言い方だが、今よりも強くなければ大事なものを失ってしまうから、強くなろうとしているんだと俺は思う。――本当ならそんなことをしなくても守れればそれが一番なんだがな……だが、それは通じない。どんなに高尚な考えを持っていても、どんなに優れた人格でも、結局争う力を持っていなければ意味がないんだろうな……」

 

 考えを言い終えたシンはジャックフロストの方を見るが、当のジャックフロストはあまり言っている意味を理解していないのか首を傾げていた。

 

「ヒホー、じゃあ、やっぱり王様になるには強くなければいけないのかホー」

「それが全てとは言わないが、まあ、必要なものの一つなんだろうな」

「てかさー、ジャックフロストってなんで王様にこだわるの?」

 

 何度も王様、王様と連呼するジャックフロストにピクシーも気になったのか疑問をぶつける。ジャックフロストはその場から数歩移動した後に足を止めた。

 

「……オイラが生まれたとき、溶けていく王様が言ってたホー。『お前が最後のジャックフロストだホー、お前が最後の希望だホー、お前はこれから旅をし強くなっていずれ王様になるんだホー。お前が王様になったとき、ジャックフロストたちは再び生まれるホー』。オイラは生まれたときから他のジャックフロストを知らないんだホー……オイラは、どうしても自分以外のジャックフロストに会いたいんだホー。だから、オイラはどうしても王様になりたいんだホー!」

 

 もし、生まれた瞬間に自分が孤独であると知らされたとき、どのような気持ちになるのであろう。悲壮、絶望、恐怖、そういった負の感情に塗れてもおかしくは無い筈なのに、目の前の雪精はそれに屈せず、泣きながらも前に進もうとしている。その姿はシンには眩しく見えた。

 

「……そうか」

「……ふーん、意外と頑張ってるんだね」

 

 ジャックフロストの背中を見ながら、シンとピクシーはそれぞれ短く言葉を述べるだけであった。同情や悲しみの言葉を掛けるのをなんとなくであるが無粋と判断した為である。

 

「なら、さっさと休むとするか。明日も早いからな」

「ヒホー!」

「ふぁーい」

 

 シンの言葉を欠伸を噛み殺してピクシーは賛同し、ジャックフロストも変わらない元気の良さで返事をする。

 深夜の特訓を終えたシンの心の中には上手くできないことに焦りという感情があった。しかし、ジャックフロストとの会話を終えたシンの心の裡は不思議なことに、その焦りは穏やかな波の様に静まっていた。

 

(我ながら現金だな)

 

 単純ではあるがシンはジャックフロストの話に触発されているのを実感していた。頑張っている奴がいるから、自分も頑張ってみよう、そう考えるシンの足取りは少しだけ軽いものとなっていた。

 

 

 

 

 合宿が始まって一週間以上が経とうとする深夜、シンはいつもの様にピクシーたちとの追加練習を終えて、別荘へと戻ってきた。成果は順調とは言えないものの、確実にではあるが形となっていた。

 濡れた上着を肩にかけ、静かに別荘内を移動していくシンたちであったが、リビングに近付いたとき、会話らしきものが耳に入ってくる。

 リビングを覗き込んでみると、中は薄暗くキャンドルの灯りしかない状態であった。リアスたち悪魔程の夜目は持っていないシンではあるが大体の輪郭で把握でき、そこにいたのがリアスと一誠の姿であることを確認する。声でも掛けようかと思うシンであったが、次に聞こえてきた声にその動きを止めた。

 

「部長…、俺ダメです。……山に来てからてんでダメです」

 

 それはシンが初めて聞く程、弱気に満ちた一誠の言葉であった。それを皮切りに一誠は内側に押し込んでいた自らの弱さを相手へと曝け始めた。

 山の特訓で初めて知った小猫、木場、朱乃との圧倒的な差、アーシアやシンとの成長の差、今までひた隠しにしてきたが時間が経てば経つほどにその差を実感し、それを埋めることが出来ない自分の実力を恥じ、そして悔しく思う。一誠の声は震え、涙声となっていくのが分かる。

 シンはこの時間に戻ってきたことを後悔した。一誠の弱音に側にいたピクシーも笑うようなことはせず神妙な顔付きとなり、ジャックフロストも目尻を下げ心配そうな表情となっている。

 

「不安なのね、イッセー。大丈夫、あなたは弱くないわ、ただ今の自分に少しだけ自信が無いだけ。イッセー、私がそばにいてあげるから今は少しでも休みなさい」

 

 優しく、慈しむリアスの言葉、リアスは泣く一誠を抱きしめる。その包み込む優しさに一誠の方も落ち着いたのか、リアスの言葉以降、一誠の声は聞こえてはこない。

 どれほどの時間が経ったのかは分からない。シンは、その場所から一歩たりとも動かないまま、リアスたちの様子を静観していた。あまり趣味のいい真似ではないが、下手に動いてばれるのを警戒した上での結果であった。

 やがて、一誠はリアスから離れるとリビングから部屋に戻ろうとする。それを察知したシンはピクシーたちを連れて身を隠した。一誠が部屋へと戻ったのを確認すると、シンも部屋へと戻ろうとする。

 

「立ち聞きは趣味が悪いわよ?」

 

 既にシンたちの存在に気付いていたリアスがからかう口振りで密かに移動しようとするシンたちに声を掛けた。

 

「……気付いてたんですか」

「一応ね、でもイッセーのこともあったから黙っていたけど」

 

 シンはばつの悪そうな表情でリビングに足を運ぶ。キャンドルの灯りの近くまで移動すると初めてそこでリアスが眼鏡を掛け、真紅のネグリジェの姿であることを知った。暗い中で細かい部分を把握していなかった為シンは軽く驚き、自分がいま上半身を曝け出していることを思い出して急いで濡れた上着を着る。

 

「ふふふ、そんなこと私は気にしないのに」

「――俺が気にするだけです」

 

 少し慌てていた様子のシンの姿が面白かったのかリアスは軽く笑う。

 

「……正直に言えば、あいつがあれだけ精神的に参っていたなんて知りませんでした」

「イッセーも男の子だからかしら、あなたや祐斗にはそういった所を見せたくなかったんでしょうね」

「まあ、それはそうでしょうね」

 

 同性として相手に見せていい一面と見せたくはない一面があることはシンも理解している。先程の一誠の弱音は間違いなく後者であった。

 

「ねえねえ、リアスも何でこんな時間まで起きてたの? 眼鏡なんてしてたっけ?」

「ふふふ、これは習慣みたいなものよ、ピクシー。起きていた理由はこれ」

「ヒホ? なんて書いてあるホー、オイラ読めないホー」

 

 リアスがテーブルの上を指差すと、いくつかの資料が置かれている。そのどれもこれもがレーティングゲームに向けてのものであることが見て分かる。

 

「ゲームへの対策ですか」

「そういうこと。……でも一番の悩みどころはフェニックスの力よ……なにせ『不死身』の能力を持っているから」

「そうですか」

 

 不死身、それを聞かされてのシンの感想は非常に淡白なものであり、ことの重要性が分かっていないのかと思わせるものであった。

 

「――随分とあっさりとした反応ね」

「慌てた所で相手が不死身じゃなくなるわけではありませんから。それに部長も敗けるつもりはないですよね?」

 

 挑発とも取れる言い方であったがリアスは特に機嫌を害した様子は無く、小さく笑った後表情を真剣なものへと変えた。

 

「明日、イッセーに『神滅具』を使用させるつもりよ。……でも、戦う相手はあなたではなく祐斗にさせるわ」

 

 その言葉でシンはリアスの言葉に含まれた意味を察する。それは『赤龍帝の籠手』を使用した一誠にシンが敵わないことを示していた。

 

「分かりました」

「あなたにとってショックなものを見るかもしれないわ。……それでもいいのかしら」

「だとしてもいずれ追い付きます……負けっぱなしは趣味ではないので」

 

 確認するリアスにシンは自らの意思を告げる。リアスはそんなシンに、そう、と一言だけ言った。

 

「もう寝ます。お邪魔をしました」

「そんなことはないわ――おやすみなさい」

 

 

 

 

 合宿も後二日で終わろうとしている早朝、陽が昇り始める時刻にシンは誰よりも早く起きて特訓場所で特訓を始めていた。その様子をいつもの様にピクシーとジャックフロストが見守っている。

 朝食までの時間の間に少しでも感覚を掴む為に訓練を何度も繰り返すが、その成果は芳しくは無い。最初に比べれば制御する時間は長くなっていたが、それでも実戦に使えるものとしては程遠いものであった。

 本日三回目の制御の失敗で、頭から川の中に突っ込んでいったシンが川辺から陸に上がる。水を吸って重くなったジャージに、特訓の疲労のせいもあって本来の重量以上の重さを感じながら、足底を引き摺る様に移動して近くの岩に背を預けた。

 

(全然だな)

 

 自らの実力を客観的に評価するシンの脳裏には、一誠がこの合宿で初めて『赤龍帝の籠手』を使用した映像が浮かんでいた。

 連日の特訓で『赤龍帝の籠手』を能力を発揮するのに必要な器を作り上げてきた一誠の実力は、木場に一撃は与えられなかったものの均衡していると言ってもおかしくはないほどに喰らい付き、最後の一撃として放たれた魔力の塊は、外れたものの離れた山の形を一瞬にして変えてしまう程の威力を見せた。

 一定時間経たなければその実力は発揮できないものの、チーム戦ということを考えればその弱点を補うことが出来る。

 リアスからチームの要と称された一誠の表情からは暗さが抜け、並々ならぬやる気が満ちていく。自信を取り戻した一誠の姿にリアスは淡く微笑んだ後にシンの方を見た。シンはそのリアスの視線に自分は心配ないと示す様に片手を軽く振る。

 そもそもシン自身、『赤龍帝の籠手』を使用する一誠には勝てないかもしれないという考えがあった為、はっきりとした実力の差を見せつけられても左程の衝撃は無かった。

 焦ってもしょうがないという考えもある。しかし、現状を楽観視することも出来ない。シンは独り行き詰っていた。

 

「大丈夫?」

「ヒホー……」

 

 もたれたまま動かなくなったピクシーとジャックフロストの声で、シンの脳裏から過去の映像が消える。

 

「――ああ、少し疲れただけだ」

 

 心配させないように言うシン。実際、ここ数日の早朝と深夜の特訓で肉体が参っているのを実感しており、今も瞼が重く体が睡眠を欲していた。

 

「あんまり無理せずに休んだら?」

「そうだホー」

「……そうだな、少しだけ休憩する。十分経ったら起こしてくれ」

 

 そう言って瞼を閉じた瞬間、強烈な眠気がシンを襲い、瞬く間にシンを眠りの世界へと引き込んでいった。

 自分は夢を見ている。現実と夢の狭間にある曖昧な意識の中、シンはそう感じていた。

 シンは、特訓をしている川の岸からぼんやりと流れる川を見つめていた。そんなシンの横を誰かが通り過ぎ、川の中へと足を進めていく。

 その人物に明確な形は無かった。ただ、白い靄の様なものが集まり辛うじて人らしき輪郭を作っているだけの存在。

 それは川の中心まで歩くと、シンに見せつけるかの様に己の右腕を高々と掲げる。不思議なことにそれの右腕だけは曖昧な形では無く、ちゃんとした人の腕をしている。

 それの右腕が目を瞑りそうになるほどの閃光を放つと、それの右手の中にはシンが理想として描いたものと寸分違わぬ魔力の剣が握られている。シンとは違い制御の不十分さで揺らがず、しっかりとその形を固定し続ける。

 それは完成した魔力の剣をおもむろに水面へと突き刺す。その瞬間、飛ばされそうになる程の突風が襲い掛かり、思わず身を固めてそれを耐える。その突風はシンの周りを覆っていた景色をガラスの様に砕き、剥がれ落とさせる。剥がれた景色の中から現れたのは光の無い闇の世界。

 それはいつの間にかシンの目の前に立ち、自分の右手をシンへと差し出す。それを見ていたシンの体がシンの意志を無視して動きその手に触れた瞬間、それの靄が薄れていき中から人が現れる。

 現れたその人物の顔は――

 

 

「ッ!」

「ヒホッ!」

「うわ! ビックリした!」

 

 突然跳ね起きたシンにジャックフロストとピクシーは驚きの声を出す。シンはしばしの間周りを確認していたが、やがて軽く息を吐いて、置いてある腕時計を手に取る。示していた時間からシンが眠っていた時間は五分にも満たない。

 

「急にどうしたの? 変な夢でも見た?」

「――夢は見たな……」

 

 夢は見たという記憶はある。だが、肝心の内容の方は全く覚えていなかった。何か衝撃を受けた様な記憶だけがシンの頭の中に残っている。

 

「大丈夫かホー? 汗が一杯で出てるホー」

「大丈夫だ……心配するな」

 

 シンの顔を覗き込んでくるジャックフロストの肩を軽く叩いて、シンは立ち上がり特訓の再開を始める。

 川の中心まで移動したとき、シンは奇妙な既視感に捉われた。

 

(何だ……?)

 

 理由は分からない。しかし、シンの頭の中に自分がどう動くべきかという考えが浮かび上がってくる。それは数分前までにはありえないことであった。

 

「ピクシー、ジャックフロスト」

 

 岸で待機している二人の名を呼ぶ。

 

「少しここから離れていてくれないか」

 

 

 別荘内で疲れから熟睡している一誠を起こしたのは、下から突き上げてくる振動であった。地震かと錯覚する程の揺れに一誠は、ベッドから転がるようにして慌てて起き上がる。

 

「な、何だ!」

 

 別荘はその振動で未だに揺れ、柱や天井の板が軋む音を上げている。

 

「木場、間薙、地震だ」

「間薙くんならいないよ」

 

 慌てる一誠とは対照的に落ち着いた声で現状を伝える木場。木場の言ったようにシンのベッドは空であった。

 

「え、あいつ何処行ったんだ? もう逃げたのか?」

「この時間なら彼はもう外にいる筈だよ」

 

 木場はリアスから聞かされているが、一誠はシンが時間外に特訓していることを知らない為、安否を確認する為に別荘の外に向かう。その途中でこの揺れで起きたリアスたちとも合流し外に出ると、一誠は真っ先にシンの名を呼んだ。

 

「おーい! 間薙! 無事か!」

 

 しかし、返答はない。もう一度呼ぼうとする一誠をリアスが制した。

 

「彼のいる場所なら知っているわ」

 

 事前に訓練場所を教えられていたリアスは他の部員たちを連れ、シンが訓練をしている場所に急行する。数分程走ったきたリアスたちが見たものは、大きく円形に抉られた大穴の中に一人佇むシンの姿であった。本来なら川であった場所は跡形も無く失われ、大中小の石が並んでいた川底も地肌が露出し、飛ばされた石は周囲の木々にめり込んでいたり貫通したりなどし、完全に地形が変化していた。

 

「シン……これはあなたがやったの?」

 

 静かに立っているシンにリアスが声を掛ける。

 

「――ああ、すみません。起こしましたか?」

 

 そこで初めてリアスたちの存在を認識したのか、どこか力の無い言葉でシンは返事をする。

 

「間薙くん、成功したみたいですね」

「ええ、まあ」

 

 朱乃の言葉にシンは肯定するが、その顔に喜びの色は無い。代わりにあるのは戸惑いに近い感情であった。

 

「あー、びっくりした!」

 

 リアスたちの側にある岩の陰からピクシーが両耳を押さえた状態で顔を出す。

 

「お前もいたのか、てか間薙の奴、一体何したんだ?」

「知らなーい、岩に隠れてたからあたし見てない」

「じゃあ、ジャックフロストは?」

「こっちも知らない。だって、気絶してるし」

 

 一誠が岩陰を覗き込むと、そこではジャックフロストが目を回して倒れている。

 

「びっくりし過ぎてこうなっちゃった」

「仕方ねえな」

 

 一誠は気絶しているジャックフロストを抱え上げる。

 

「とりあえず詳しい話は別荘でしましょう。シン、いいわね?」

「――はい」

 

 やや歯切れの悪い返事をしつつ、抉れた穴からシンはリアスたちの方へと歩き出す。

 そのシンの心の中は、ずっと成功させようとした技の成功に対する喜びは無く、代わりにあったのは正反対の不快感であった。

 つい先程まで出来なかったものがあまりにも呆気なく出来る様になる。都合がいいというにも限度がある。体の一部が入れ替わったかのような不快感、以前『氷の息』を使えるようになった時の比では無い。シンは自分に起きた事態が、ただただ不愉快であった。

 

(気持ちが悪いな……)

 

 その感覚は中々消えることはなかった。

 

 

 

 

 合宿最終日の夜、普段は女性陣が夕食を作っていたが、今回はそれの礼の意味を込めて男性陣が夕食を作っていた。主に調理を担当するのは自炊経験のある木場とシン、一誠とジャックフロストは下準備を担当をする。

 

「はいだホー」

「おっ、サンキュー」

 

 ジャックフロストから手渡された大根を一誠が礼を言って手に持ち、少しの間大根を集中して見ていると、どういう理屈か大根の皮が一瞬にして剥かれた。一誠はその結果に満足そうな笑みを浮かべ、大根を木場へと手渡す。

 

「ほいよ」

「ありがとう、イッセーくんもいつの間にか器用なことが出来る様になったね」

「まあな――だが、本来の使い方は別にあるんだぜ……ふふふふ」

 

 いつか見せた煩悩が前面に押し出された一誠の含み笑い、それだけで碌な使い方はされないことが見て分かる。

 

「本来の使い方……対戦相手の生皮でも剥ぐのか?」

「ちげーよ! 発想がグロイわ!」

 

 半ば本気で言ったシンの考えを力の限り一誠が否定する。その間にも三人は手を休めることなく料理の準備を続けていた。

 

「それはそうと……あいつはどうするんだ」

 

 一誠は手に持った人参の皮を剥きながら、少し離れた場所に移動しているジャックフロストを横目で見つつ声を潜めて尋ねてくる。

 

「どうだろうね……少なくともこの山はグレモリー家の縄張りの一つだから他の悪魔がやってくる心配も少ないし、このままにするという選択肢もあるけど」

 

 木場はまな板の上で手慣れた手付きで大根、人参、牛蒡などの野菜を切り、切り終えた野菜をシンへと渡す。

 

「どうするかを決めるのはあいつ次第だ。……ただ、ここから降りる前にあいつの意思を聞かなくちゃいけないがな」

 

 シンは野菜を沸騰した鍋に入れ、おたまで適当に掻き回す。ある程度野菜が柔らかくなったら、リアスが獲った猪肉を味噌を入れ味を整える。

 

「ヒーホー! 美味しそうだホー!」

 

 匂いに釣られたのか、いつの間にかジャックフロストが鍋を口の端から涎を垂らして見ていた。流石に火や湯気に近付くのを嫌ってか少々離れた位置に立っていたが。

 

「味見してみるか?」

「するホー!」

 

 シンはお椀に具と汁を注ぐとジャックフロストへと手渡す。ジャックフロストが現れたからの数日間、ジャックフロストもメンバーと一緒に食事を摂ることがあったがそのときはいつも生野菜を齧っていた。その為、温かい食べ物はどういう風に食べるのかという好奇心がその場にいる全員に芽生え、ジャックフロストが食べる姿を注視してしまう。

 

「ヒホー」

 

 お椀を受け取った瞬間にそのお椀に向けてジャックフロストの口から息が吐き出され、その息が掛かったと同時に湯気が出ていた汁は凍結し、湯気の代わりに冷気が立ち昇っている状態となった。

 

「いただきますホー!」

 

 ジャックフロストは大口を開いてお椀の中身を口の中に滑らせ噛み砕く。しゃりしゃり、がりがり、ごりごりといった、およそ汁物を食べているとは思えない咀嚼音。

 

「ヒーホー! 美味しかったホー! ――どうしたんだホー?」

 

 満足そうなジャックフロストとは反対に三人は何とも複雑そうな表情を浮かべているのであった。

 その日の夜、風呂上がりのシンはジャックフロストが別荘の外に出ていくのを見かける。気になって跡を追うと別荘のすぐ近くで膝を抱えて座っていた。

 シンはその隣に立つ。

 

「どうした、そんな場所で」

「……シンたちは、明日山から下りちゃうんだホー?」

「――ああ」

「そうかホー」

 

 小さく呟く声は微かに震え、泣くことを耐えているようであった。

 

「……一緒についてくるか?」

「……」

 

 返事は無い。シンも即答できるものではないと思っていた。

 

「……オイラ、王様になりたいんだホー」

「ああ、知ってる」

「シンたちについていったら王様になれるホー?」

「それは分からない。ただ――」

「ヒホ?」

「――どうやったらお前が王様になれるか一緒に考えることは出来る」

「オイラ……オイラ……」

 

 ジャックフロストは立ち上がり、その場から逃げるようにして走り去っていく。シンはそれを止めようとはせず、独り呟く。

 

「迷えばいいさ。だが、やっぱり独りは寂しいと思うがな」

 

 

 

 

 ジャックフロストはある場所を目指し、一生懸命に走っていた。途中転ぶこともあったが、それでもすぐに起き上がり走っていく。

 ジャックフロストが辿り着いたのは、今まで寝泊りをしていた横穴であった。ジャックフロストは転ぶようにして中に入り、いくつものジャックフロストが描かれた壁の前に立つ。

 

「ヒホー……ヒホー……」

 

 乱れた息のままジャックフロストは壁に両手を付けた。

 

「みんな……ごめんだホー……みんなを蘇らせるのは少し遅くなるかもしれないんだホー……」

 

 ジャックフロストの瞳から涙がこぼれ始める。

 

「いろんなことが初めてだったホー、凄く楽しかったし、面白かったんだホー……オイラは王様にならなくちゃいけないのは分かっているんだホー。でも、でも……」

 

 ジャックフロストは自分の中にある正直な気持ちを思いの丈を全て吐き出す。

 

「やっぱり、独りは寂しいんだホー!」

 

 横穴の中でジャックフロストは赤子の様に泣き続けるのであった。

 

 

 

 

「みんな、帰りの準備は出来た?」

 

 リアスの確認に皆が完了の返事をする。決戦を明日に控え、それぞれが様々な思いを内に込めていた。

 その中で一人、シンだけは先程から周囲をひっきりなしに見渡している。

 

「いたか、あいつ」

「いや」

 

 昨日の夜から姿を見せないジャックフロストの安否を心配しているシンや一誠たちであったが、明日のことを考えたのならば探す時間も無く、また居なくなったということはそれがジャックフロストの選択であると考えていた。

 別荘を後にし、山道を下っていこうとしたとき、脇の茂みががさがさと揺れ始め、中から飛び出すようにジャックフロストが現れた。

 

「ヒーホー! 置いてくなんて酷いホー!」

「あ、来た」

 

 ピクシーは突然現れたジャックフロストに目を丸くしていたが、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みになる。

 

「どこにいってたのー!」

「ごめんだホー! 少し考え事をしてたんだホー! 引っ張っちゃダメホー!」

 

 ジャックフロストの頭に乗って帽子を引っ張るピクシー、それに必死に抵抗するジャックフロスト。それを見兼ねたシンがピクシーの首根っこを掴み上げる。

 

「ここに来たってことは、一緒についてくるんだな」

「色々考えたホー、オイラはやっぱり王様になりたいんだホー、でもオイラだけじゃ王様になる方法が思いつかないんだホー、だから――」

 

 ジャックフロストの短い手がシンに差し出される。

 

「一緒に考えてくれるかホー」

「俺だけじゃないさ」

 

 差し出されたジャックフロストの手をシンの手が握る。その手はひんやりとした感触であったが、不思議と暖かみが感じられた。

 

「ここにいる全員が一緒に考えてくれる」

 

 ジャックフロストはオカルト研究部全員の顔を見渡す。そして――

 

「オイラ、ジャックフロスト! 今後ともよろしくホ!」

 

 

 




気付けば一番長い話になってしまいましたが、これで合宿編は終わりです。
ようやくレーティングゲーム編に入っていきます。
ハイスクールD×Dの十五巻も発売し早速買って読みました。
本編では足りなかった魔法少女成分が補充できたので、またあの漢の娘がメインの話を書いてみたいと思っています。

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