ハイスクールD³   作:K/K

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闘気、終了?

「沖田総司……」

 

 日本人ならば大概の人間が知っているだろう幕末の世で治安の為に不穏分子である攘夷志士らを斬ってきた人斬り集団。その新選組で一番隊隊長を務めていた悲劇の天才剣士。

 病に冒され、志半ばで散った筈の歴史上の人物がシンたちの前に立っている。しかもそれが木場の剣の師匠というのだから、世の中良く分からないものである。

 ピクシーやジャックフロストは『誰? 誰?』と聞いてきたが今は無視する。ケルベロスとジャアクフロストに至っては興味すら抱いていない。

 シンは総司の顔をジッと見つめていると、総司の方から話し掛けてきた。

 

「どうかしましたか? 何か顔に付いていますか?」

「──いえ。貴方のファンが貴方を見たら喜びそうだと思って」

 

 実物など誰も知らないが専ら美形というイメージがある沖田総司。少なくとも目の前の総司は、ファンが想像した通りの天才剣士沖田総司であった。

 

「あはははは。そうですか? それなら失望させないで済みそうです」

 

 笑うと一段と幼く見える。

 

「予想図は当てにならないですね」

 

 当時の証言や親戚やらの顔からイメージした沖田総司の顔とは似ても似つかない。

 

「あー、あれですか。あれについては仲間からも散々揶揄われましたね。私も勘弁して欲しいと思いましたよ。だからといって訂正出来ないですけど……」

 

 総司は当時を振り返って苦笑する。その時の顔が木場とよく似ている。剣だけでなく色々と師から影響を受けているのかもしれない。

 

「と、まだ色々と話したい所ですが、サーゼクス様やサイラオーグ殿を待たせているので移動しましょう。付いて来て下さい」

 

 総司に率いられてサーゼクスらが待つ場所へと向かう。

 道中、総司の方から話し掛けてきたのでシンも会話に応じる。内容は他愛のないものであり、木場の普段の様子やシンから見たリアス、一誠などについてのこと。シンは思ったままのことを言うと総司はクスクスと笑っていた。

 総司ばかり話題を振るわせるのも少し申し訳ないのでシンからも適当な話を振る。

 

「──グレイフィアさん以外のサーゼクスさんの眷属は初めて会いましたが、他の方々は?」

「グレイフィア殿以外は有事のとき以外には中々集まらないもので」

「サーゼクスさんの眷属は何人いるんですか?」

「『女王』、『戦車』と『兵士』が二。『騎士』と『僧侶』は一の合わせて七人です」

「『騎士』が一人ということは、沖田さんは──」

「はい。『騎士』の駒を二個消費して転生悪魔になりました」

 

『騎士』の駒は『兵士』の駒三個分に匹敵する。『赤龍帝の籠手』を宿した一誠が『兵士』の駒八個だと考えると、人間だった頃の総司の潜在能力は相当なものであったことが容易に想像出来る。

 

「あ、因みに今回の案内は私の方から立候補しました。是非とも貴方と会ってみたかったので」

 

 それはどういう意味で? という言葉をシンは心の裡で吐く。木場の友人だから会いたかったのか。それとも人修羅という魔人に会ってみたかったのか。サーゼクスの眷属ならば当然シンが魔人であることは知っている筈。

 

「そう警戒しないで下さい。貴方の素性は知らされてはいますが、危害を加えるつもりは全くありません。純粋にあの子の師として心の許せる友人が出来たことを嬉しく思っています」

 

 シンからほんの少し滲み出た疑いの色を鋭敏に察知し、シンの内面を正確に見抜いてくる。魔王サーゼクス・ルシファーの眷属なだけあって微塵の隙も見せられない相手である。

 

「……と、こんな事を喋っていたら逆に警戒されるだけですね。いやはや、刀ばかり振って来たせいで人と話すのが下手になってしまいました」

 

 自分自身に呆れて困ったように笑う総司。その表情を見ていると、シンは疑いを抱いた自分が馬鹿馬鹿しく思えて来た。

 これが演技だったのなら大したものだし、これで騙されたのなら仕方ないと開き直る。

 

「木場と知り合ってどれぐらいなんですか?」

 

 空気を変える為にシンから話題を出す。

 

「──確か、あの子が十三か十四の時からですね」

「聞きたい。聞きたーい! アタシ、その頃のゆーとの話、聞きたーい!」

「ヒホ! オイラも聞きたいホ! 聞かせてくれホー!」

 

 丁度良くピクシーとジャックフロストもその話題に食いつく。二人の脳天気さは場の空気を変えるのに最適であった。

 

「そう長い話は出来ませんが──」

 

 総司は前置きしてから話し始める。

 木場と総司の昔話を聞いている間も足は止まらない。グレモリー城へと入り、地下を目指す。

 グレモリー城の地下には広々としたトレーニングルームがあることをシンは知っていた。以前一誠から聞かされており、その地下トレーニングルームで一誠はサイラオーグと手合わせをしていた。

 

「話はここまでですね。そろそろ着きます」

 

 地下へ下りている最中に総司は間もなく到着するという理由で話を切り上げる。ピクシーとジャックフロストは『えー』と声を上げて不満を露わにしていたが、シンから窘められて渋々引っ込んだ。

 地下トレーニングに着く。一誠が言っていたように広々としており、天井も高い。禁手化した一誠とサイラオーグが十分戦えるだけのことはあった。

 見上げていた視線を戻す。

 

「やあ」

 

 シンの姿を見つけたサーゼクスがシンに向けて気さくな笑みを浮かべながら手を振っている。その隣にはグレイフィアが立っており、お辞儀をしていた。

 そして、その傍にはサイラオーグ──と複数の男女がいる。

 

「よく来てくれた。俺の我儘に付き合ってくれたことを感謝する」

 

 大声ではないが良く通る声で感謝を告げるサイラオーグ。

 シンは彼らの許に歩み寄りながら初めて見る男女の姿を観察する。てっきりサイラオーグだけだと思っていたので、思いの外大人数で来ていたことに少し驚いた。

 七名の男女は、サイラオーグから一歩引いた所に立って並ぶ様子からサイラオーグの眷属ではないかとシンは推測する。

 頭から足先まで甲冑に覆われた、見るからに『騎士』という姿。体格からして男性と思われる。

 重武装な隣とは違って軽鎧を着た金髪の優男。

 三メートル以上の体格で、常識から外れた太い前腕を持つ怪物染みた風貌の男。

 長い金髪を波打たせたスーツ姿の女性。

 体全体が、長いという印象を受ける男。

 杖を持った小柄で容姿の綺麗だが、少年か少女か良く分からない性別不明の子供。

 金髪を結んで後ろで結んだ女性。

 この六名もまたシンたちを興味深そうに眺めているが、一人だけ異なる視線をシンに向けている人物がいる。

 仮面を付けた少年。彼だけはシンに対し、強い意思を込めた視線を浴びせていた。肌で感じるそれは幾度も向けられたもの──敵意である。

 当然ながら仮面の少年とシンに面識など無い。敵視されるようなことをした覚えも無い。もし、敵意を向けられるようなことがあるとすれば、それは間違いなく魔人関連だと思われる。

 シンの脳裏に高らかに笑うマタドールとだいそうじょうが浮かび上がった。

 とはいえ仮面の少年は事を起こすつもりはなく、ただシンに鋭い視線を向けているだけである。主であるサイラオーグが居る手前、勝手な真似は控えている様子であった。

 サイラオーグの許に向かう短い間に様々なことを考えるシン。その足が止まり、彼はサイラオーグの前に立っていた。

 

「新顔がいるな」

 

 サイラオーグはピクシーとジャックフロスト、ケルベロスとは初対面ではないが、ジャアクフロストとは初めて会う。

 

「何だホー!?」

 

 初対面の相手なのに眼を飛ばすジャアクフロスト。可愛い顔をして態度が悪過ぎるのとサイラオーグに無礼を働いているせいで、サイラオーグの眷属たちは二重の驚きで思わず固まってしまう

 

「ほう?」

 

 生意気な口を叩かれたサイラオーグは、気分を害した様子は無くジャアクフロストを珍しそうに眺めた後、ジャックフロストの方を見る。

 

「お前の兄弟か?」

『兄弟じゃないホ!』

 

 ジャックフロスト、ジャアクフロストが口を揃え、語気を強めて否定する。同じ扱いをされることが心外なのが伺えた。

 

「そうか。すまなかった」

 

 サイラオーグにもそれが伝わり、あっさりと謝罪する。サイラオーグの大物な態度が気に入らないのか、ジャアクフロストは拳を振り上げて彼にいきなり飛び掛かった。

 

「すまんで済むかホー!」

 

 状況、場の空気など知った事かと言わんばかりの蛮行。ジャアクフロストを止める間もなかった。

 パシン、という音が鳴る。サイラオーグの掌がジャアクフロストの拳を受け止めていた。サイラオーグはジャアクフロストの拳を掴むことはせず、ジャアクフロストはサイラオーグの足元に着地して彼を睨みつける。

 サイラオーグの眷属たちは、流石にジャアクフロストの蛮行を見過ごせず殺気立った様子で動き出そうとするが、サイラオーグはそうなる前に手で制する。

 

「悪くはないが……まだまだだな。その枷を外せばどうなるかは分からないが」

 

 ジャアクフロストの帽子に付けてある金の輪がジャアクフロストの力を抑制しているのを瞬時に見抜く。サイラオーグ自身も両手両足に負荷がかかる封印を施しているので同種の力はすぐに分かる。

 

「それがどうしたホ! こんなのトレーニングに丁度いいホ!」

 

 それがどうしたと言わんばかりに吼えるジャアクフロスト。

 

「──ふっ。なら頑張るが良い」

 

 その一言でジャアクフロストを許してしまう。ジャアクフロストの言葉にシンパシーを感じたのかもしれない。

 ジャアクフロストは悔しそうに表情を歪める。器の大きさを見せつけられたこともあるが、サイラオーグから強者のオーラを感じ取っていた。それこそジャアクフロストがライバルと認めているヴァーリに匹敵する程の。

 弱者から這い上がってきたジャアクフロストにとって強さは憧憬そのもの。表には出さないが憧れと敬意を抱いてしまう。

 

「すみません」

 

 シンは謝りながらジャアクフロストの首根っこを掴んで引き離す。意外なことにジャアクフロストは抵抗しなかった。

 サイラオーグの強さを本物と認めてしまったせいでジャアクフロストは尊敬、嫉妬、悔しさなどの感情がごちゃごちゃに混ざってフリーズしていた。

 ジャアクフロストを後ろに向かって放り投げる。投げた先で待ち構えていたケルベロスが、背中で上手に受け止めた。

 ぞんざいな扱いをされてもジャアクフロストは怒ることをせず、複雑な感情を混ぜた視線をサイラオーグに向けている。そんなジャアクフロストを変に思ったのか、ピクシーとジャックフロストは目の前を通過したり、手を振ったりして彼の様子を伺っている。

 

「さて」

 

 思わぬトラブルがあったが、サイラオーグのその一言で場の空気が戻ると、サイラオーグの巌の如き手がシンへ差し出される。

 

「間薙シン。願いを聞き届けてくれたお前の温情に心から礼を」

 

 差し出された手を握り、握手を交わす両者。二人にとって二度目の握手である。

 サイラオーグの手は相変わらず見た目通り厚みがあり硬い。皮膚一枚の下にはマグマが流れているのではないかと思えるぐらいに熱い血潮が感じられた。

 一度目とあまり変わらない感想を抱いているシン。一方でサイラオーグの方は逆の感想を抱く。

 白く長い指。見ようによっては女性の手を間違いそうな手。握ればひんやりとした冷たい感触が伝わってくる。サイラオーグがその気になれば握り潰せそうに思えるぐらいやわそうな手に思える。だが、サイラオーグの直感が囁く。もし、そのようなことをすれば自分も痛い目では済まない反撃を与えられる、と。

 初めて会ったときよりもシンが強くなっているのが分かった。そして、まだその強さの底が見えない。

 この得体の知れなさがサイラオーグの求められているもの。一誠とは別種の魅かれる強さであった。

 

「この日を待ちわびていた。……互いに存分に力を揮おう」

(ん……?)

 

 サイラオーグが戦えることを喜ぶ好戦的な笑みを見せるが、シンはその笑みに違和感を覚える。喜んでいるが何処か喜び切れていないような、陰のある笑み。

 今回のことで何か不安、或いは不満を抱いている。シンはそんな気がした。

 

「そろそろいいかな?」

 

 サーゼクスが声を掛けると二人は握手を止める。

 

「対戦となっているが、名目上はスパーリングという形になっている。そして私とグレイフィア、総司が立会い人且つ審判として立たせて貰う」

 

 サーゼクスからのルール説明。紹介されたグレイフィアと総司が軽く頭を下げる。

 

「この対戦で禁止されていることはない。ただ、ここはレーティングゲームの会場とは違って戦闘不能と判断して転移させる術は施されていない。したがって、我々審判三人がこれ以上の戦闘は不可能した時点で終了とする」

 

 特に目立った決まりは無い。シンプル過ぎてあっという間に説明は終わる。最後にサーゼクスはシンやサイラオーグを見ながら──

 

「……頑張ってくれ」

 

 ──とのこと。サーゼクスは何か言いたそうな雰囲気があったが、結局言わずに無難な言葉で締める。シンはサーゼクスの態度にも違和感のようなものを覚えた。

 対決を望んだのはサイラオーグであり、サーゼクスも場所を用意してくれたがどちらもいまいち乗り気では無い気ように感じられた。

 疑問を拭えないままシンとサイラオーグはサーゼクスたちから離れ、トレーニングルーム中央へ向かう。

 両者無言のまま中央に辿り着き、向き合う。

 瞬間、サイラオーグの拳がシンへ放たれた。開始の合図もされていない不意を衝く一撃。

 当たる、と思われたときサイラオーグの拳はシンの目の前で寸止めされる。拳圧によりシンの髪が靡く。

 

「避けないか」

「当てるつもりもないのに避ける必要がありますか?」

「くっ、ははははは。確かにその通りだ!」

 

 シンが指摘した通りサイラオーグは拳を当てるつもりはなかった。シンの反応を探る為に仕掛けてみたが、シンはその場から一歩も動かず瞬きもしていない。

 サイラオーグが様子見の為の攻撃をしてきたことを即座に見抜いたシンにサイラオーグの眷属たちも目の色が変わる。

 彼らはサイラオーグが殆ど名を知られていないシンとの戦いを希望していることを密かに疑問に思っていた。リアスの協力者という立場だが、それならばリアスの眷属として有名な一誠や木場との戦いを望む方が理解出来る。

 しかし、今のやりとりでシンの強さの片鱗を感じ取る。もし、仮にシンの立ち位置に自分たちが居たら、あのような無表情を保つことなど出来ない。冷や汗もかかず平静でいられる自信が無かった。

 

「聞いていた以上に冷静だな。──安心しろ。次からは様子見などしない」

 

 サイラオーグはそう言い、着ていた貴族服を脱いで投げ捨て、グレーのアンダーウェア姿となる。胸や肩、腕全てが満遍なく鍛え抜かれ、男の理想を体現させたような肉体を晒す。

 それに同調するようにシンも上着を脱いで上半身を晒す。サイラオーグと比べると色白で貧相に映って見えた。

 

「ほう? 意外だ。あまりそういうタイプには見えなかったぞ」

 

 気合を入れる為に脱いだとサイラオーグから誤解される。

 

「服を着たままだと戦い難いので。服の替えもそんなに無いんで」

 

 右手の甲に紋様が浮かび上がったかと思えば、左手の甲にも同じ紋様が浮かぶ。黒い刺青のような紋様縁取る淡い緑の光。生きているように紋様は伸び始めていき、腕や肩、胸、背中、腹部、足へと根を張るようにシンの体を覆っていく。

 やがて、首を辿って左眼まで浸食した後に紋様は広がっていくのを止めた。

 少し前は人でありながらも微弱な魔を感じさせる程度であったが、今のシンからは完全な魔を放っており、それが人の気と混ざり合い表現し難い混沌とした気を放つ。

 

「面白いものを見せて貰った……と言うべきだろうか?」

「気色悪いもの、でも構いませんよ?」

 

 言葉を選ぼうとしているサイラオーグにシンは笑えない冗談で返す。

 その言葉を切っ掛けに二人の会話が途切れる。両者既に戦闘態勢。本来ならば審判であるサーゼクスが開始の合図を告げるべきなのだが、二人共戦闘への集中を始めており、声を掛けるのは不粋と判断し、戦闘開始を二人の意志に任せる。

 踏み込めば手が届く位置で視線をぶつける両者。シンもサイラオーグも構えをとらず自然体のまま立っている。だが、それだけなのに見ている者の心が緊張感で震えそうになる。

 シンの仲魔たちは、緊張が伝わったのかピクシーとジャックフロストは固唾を飲んで眺めているが、ジャアクフロストとケルベロスはこれから起こることを見逃さないように食い入るように見つめている。サイラオーグの眷属らは不動の姿勢のままサイラオーグを見守っているが、ある者は顔色を悪くし、ある者は冷や汗を流している。

 無言で睨み合っている二人だが、少なくともサイラオーグは相手の出方や隙を窺っている訳では無い。静かに体内の力を溜め込み、最速最強の一撃を放つ為の準備をしているのだ。

 やがて、サイラオーグの準備が整ったのか『行くぞ!』という言う意志を乗せた眼光を放つ。

 宣言せずとも遠慮なくやればいいのに、とシンは思いながらサイラオーグの実直さに敬意を込め、涼やかな目で『どうぞ』と応じた。

 刹那、風を切る──否、風を突き破る音が響く。

 疾風迅雷を体現させたかのようなサイラオーグの拳から繰り出される突き。『赤龍帝の鎧』に罅が入る程の威力を秘めている。

 生身のシンなら体の何処に当たっても罅では済まず、砕けるだろう。

 だが、それは当たったらの話。

 

「うっ……」

 

 小さく洩れるのは苦鳴の声。

 サイラオーグの突きは最初に見せた様子見の一発目と同様にシンの顔面中央目掛けて放たれていた。だが、拳の先にシンの姿は無く、シンは右斜めへ一歩前進してサイラオーグの拳を紙一重で避けながら自らの拳をサイラオーグの鳩尾に打ち込んでいた。

 サイラオーグの眷属たちは全員言葉を失った。目の前で起きたことが本当に現実なのか疑ってしまう。気付かない内に幻術を掛けられたのではないかと思う──否、願ってしまった。

 サイラオーグの眷属らにとって二つの有り得ないことが起こっている。

 一つはサイラオーグの拳を躱すどころか完璧なカウンターを入れていること。

 もう一つはサイラオーグがシンのたった一発の拳で表情を歪めていること。

 サイラオーグの眷属たちは当然ながらサイラオーグの力がどれ程のものか知っている。それこそ身を以って。

 眷属たちは、サイラオーグと実戦方式の訓練を何度も行っている。だからこそ他の誰よりも知っているのだ。

 サイラオーグの拳は空気の壁を容易く突き破りその拳圧だけで木々の葉を全て落してしまうことを、山のような岩すらも一撃で割るどころか粉砕してしまうことを。

 如何なる攻撃すらも体一つで受け切ってみせ、その硬さは『赤龍帝の鎧』を纏った一誠ですら破れない。そして、どんなダメージを受けても眉一つ動かすことはない。鋼の肉体と精神の持ち主。

 それが彼らが敬愛し、胸を張って若手悪魔最強と言えるサイラオーグ。

 一抹の不安が眷属たちに芽生える。だが、そんな不安を刈り取るのもサイラオーグ自身。

 浮かべていた苦痛の表情をすぐに戦士としての顔で覆い、シンの拳が打ち込まれたまま前進する。

 サイラオーグが踏み込んだことでシンの拳は押され、後ろへ引いた形となった。

 前へ進んだサイラオーグが次に放つのは、下から突き上げるアッパー。掠めただけで脳は揺さぶられ、当たれば下顎が上顎と一つに混ぜ合う程の威力を秘めている。

 シンは相手の力に逆らうことはせず、拳を開いて掌でサイラオーグを押す。その程度ではサイラオーグは止まらないが、反作用の力によりシンは後方へ飛ぶ。

 空振りする突き上げの拳。だが、離れていても拳によって巻き上げられる風がシンの顔を叩くように当たる。

 距離が開いた瞬間、シンは一気に息を吸い込み、吐き出す。吐息は冷気となってサイラオーグを凍らせる為に抱擁するように覆っていく。

 

「ふんっ!」

 

 突き上げていた拳を手刀に変え一気に振り下ろせば、冷気はその一振りによって断たれ左右に散っていく。

 サイラオーグは振り下ろした手刀を見る。触れたつもりはなかったが、表面が薄氷で覆われていた。拳に変えて強く握るとパラパラと氷が剥がれ落ちていく。

 初撃を与えたのはシンだが先に退いたのもシンの方であった。臆せず果敢に攻めたサイラオーグの気迫勝ちとも言える。

 サイラオーグはシンに殴られた箇所に触れる。さっきのような表情の変化は無かったが、僅かにだが眉が動いた。

 

「兵藤一誠が言っていた」

 

 サイラオーグはシンの方を見ながら呟く。その表情は嬉しそうに見えた。

 

「俺の拳よりももっと痛い拳を打つ奴を知っている、と。間薙シン、話に違わぬ──いや、想像以上の拳だったぞ……!」

 

 長い年月鍛え抜いて来たサイラオーグの体。鉄壁とも呼べるそれが、まるで薄紙を破るかのように貫かれた。純粋な拳による痛みが表皮を貫き、筋肉も貫き、骨を貫き、臓腑を貫き、最後は背中から抜けていく。兎に角、痛かったとしか表現出来ない。もしかしたら、サイラオーグの人生の中で一番の痛みだったかもしれない。

 

「お前の拳は冷たい。兵藤一誠の拳とは真逆だ。だが、分かるぞ。その冷たさは冷徹なまでに勝ちを狙っているからこそだ。本気で俺を倒そうとする意志の表れ……光栄だ!」

 

 だが、サイラオーグはその痛みを受けても心が折れることはない。逆に奮え、燃え上がっていく。シンの本気に応じて心に情熱がくべられていく

 

「俺もまだまだ鍛錬不足だ! それで良し! 俺はここで満足するべきではない! 俺は俺を信じ、今を超えていく!」

 

 何処までも先へ突き進もうとするその姿にサイラオーグの眷属たちも心が震える。一瞬だけでも不安を抱いてしまった己を恥じる。サイラオーグの不屈不撓の姿は求心力を生み、そんな彼らに眷属たちも惹かれ、忠誠を誓った。

 何も恐れることはない。サイラオーグの戦う姿を目に焼き付けるだけである。

 

「──詫びよう。この戦いにこんなものは不粋だ」

 

 サイラオーグの四肢に紋様が浮かんだかと思えば、それが消失する。すると、サイラオーグの体から淡い光が漏れ出し、やがて全身を覆う白い光となる。

 纏う白い光は魔力とは異なる。シンの感覚としては命のようなもの纏っているように感じられる。

 閉じていたものが一気に噴き出したせいか、サイラオーグを中心にして地面に大きな亀裂が生じる。その罅はシンの足元に届く程であった。

 サイラオーグが四肢に封印を施し、負荷を与える枷にしているのはシンも知っている。それを外したとなるとシン同様に本気で勝ちを取りに来たのだろう。

 

「あの若さであれだけの闘気を纏うことが出来るとは……見事と言うほかありません」

 

 サイラオーグが発した白い光の正体にすぐに気付いた総司は、戦う者としてサイラオーグがどれだけの鍛錬をしてきたのか闘気の密度で理解し、感動する。

 

「出し惜しみは無しか。思い切りが良い。サイラオーグをすぐにそう切り替えさせた間薙君を褒めるべきかもしれないね。──グレイフィア、君はどう見る?」

 

 サーゼクスに聞かれ、グレイフィアは少しの間考えた後に自分の意見を述べる。

 

「サイラオーグ様が封印を解く前であったのなら、間薙様にも勝機があったと思われます。しかし、封印を解いた今は間薙様の勝ち目は薄いかと。ですが、こうなってくると……」

 

 グレイフィアは言葉を濁すが、サーゼクスは彼女が何を言いたいのか分かっている。

 

「──仕方のないことだ。サイラオーグも納得している。そうなった以上我々には口を挟めない」

 

 彼らの間だけで通じる断片的なやりとり。

 

「……こうなってしまった以上、この戦いは長くはないだろうね」

 

 サーゼクスは両者を視界に収めながら少しだけ悲しそうに呟いた。

 サイラオーグから迸る闘気。それはシンの全身を突風のように煽る。

 

「流石だな。顔色一つ変えていない。そのポーカーフェイス、是非とも見習いたいな」

 

 皮肉や嫌味に捉えられる台詞だが、サイラオーグが言えば途端に本心からの称賛にしか聞こえなくなる。言葉の説得力というのは発する者の人格に宿るのかもしれない。

 力を完全解放したサイラオーグの実力がどれだけのものかは未知数。ならばこそ、それを測る為の一撃をシンは繰り出す。

 シンの右手に集束される力が一瞬にして剣の形となる。最早、手足を動かすぐらいの感覚で魔力剣を形成することが出来る。

 素手ではなく剣も使うのか、とサイラオーグが意外に思っているとシンはまだ間合いの外であるにも関わらず魔力剣を振り下ろす。

 閉じ込められていた力が解放され、破壊の力を持った波によりサイラオーグの視界が陽炎の如く揺らぐ。

 

「そういう技か!」

 

 面白い、と言わんばかりにサイラオーグは笑うとその場から一歩も動かずに構える。そして、目の前の魔力の波目掛けて拳を突き出した。

 空気が弾けるなどと生易しいものではなく、爆ぜるような凄まじい音が場に居る全ての者たちの鼓膜を震わす。

 実体など無い魔力の波がサイラオーグの突きによって全て霧散した。歪めていくものを強引に正すような圧倒的力の前に消し飛ばされる。

 驚愕の光景なのかもしれないが、技を放ったシンはそのことにショックを受けることなどせず、寧ろそれを目晦ましにしてサイラオーグに接近していた。

 

「流石だ!」

 

 動揺一つ見せないシンを褒めながらサイラオーグは拳で迎え撃つ。シンもまたそれに応じるようにして右拳を繰り出した。

 拳と拳が衝突する同時に空気が震え、遠くで見ていたサーゼクスの長髪を揺らす。

 シンは拳を叩き付けた瞬間、腕全体に音が鳴る。外ではなく内に響くものであり、指の骨が折れて腕の骨に罅が入ったのを感じた。

 サイラオーグが拳を打ち込んだとき、指先から肩まで衝撃が一気に駆け抜けていくのを感じた。闘気による防御すらもシンの拳の前では無力と化す。

 打ち付け合っていた両者の拳がまるで萎れるかのようにだらりと垂れ下がる。

 シンの意志に反して右腕に力を入れることが出来ない。骨折や罅だけでなくサイラオーグの拳の衝撃によって一時的に麻痺してしまった。

 サイラオーグもまた同じようなことが起こっている。シンとは違って骨に異常は無いが、体験したことのない熱がサイラオーグの右腕全体に籠っており、腕そのものが錘と化したような異常なだるさと重さを感じ、上手く動かすことが出来なくなってしまった。

 一度の打ち合いで二人の右腕は使い物にならなくなってしまう。そう判断した次の瞬間には二人は左拳を打ち付け合っていた。

 右拳と同じような結果が起こる──と思いきや、打ち負けたのはシンの方であった。右と左の微妙な差もあるが、ほんの数日前にシンは左腕を切断する程の大怪我を負っている。見た目は完治しており、シンも完全に治ったと思っていたが気付かないレベルでのダメージが残っていたと思われる。それがこの場面で表面化してしまった。

 だが、サイラオーグの左腕の具合も決して軽視出来る状態ではない。右腕と同じく異常なだるさを覚えていたが、それでもサイラオーグは気力で左腕を動かす。

 両腕が下がった状態のシンにサイラオーグの渾身の左拳が放たれる。拳の狙う先は、シンの胴体。

 シンの思考はこのとき冷静であった。サイラオーグの左拳。直撃すれば無事では済まない。意識が飛ぶ可能性が高い。客観的にそう判断する。

 守りを固めるべきだが、シンの両腕は今は使い物にならない状態であり、どうやってもその身でサイラオーグの拳を受けるしかない。

 一撃、たった一撃を耐える程の防御力を欲する。一撃耐えた後、どうなるかは考えていないが気絶してしまったら意味が無い。

 迫ってくる拳にシンは全身に力を込める。だが、これでは足らない。

 硬く。もっと硬く。シンは詠唱するかのようにそう念じる。

 すると、一瞬だがシンの体全体が青紫色の光柱に包まれた。サイラオーグは驚くも拳の速度は緩めない。

 サイラオーグの拳がシンの右脇腹へ突き刺さる。その瞬間、サイラオーグは拳に違和感を覚えた。

 今日に至るまでサイラオーグの拳はあらゆるものを突いてきた。岩や木、鉄板など。人体など数え切れないぐらいに叩いている。

 だからこそ突く前に凡その感触というものを把握していた。だが、今突いたシンの体はサイラオーグが想像していたものと違う。

 

(硬い……!)

 

 細身と言えるシンの体だが、内側に何か詰め込んだような硬い感触が伝わってきた。

 拳を打ち込んだサイラオーグは、シンと目が合う。その目は殴られた者とは思えないぐらいに冷静であった。

 危険を察知するが一歩遅かった。

 シンは前屈みになり骨と腹筋でサイラオーグの拳を挟む。一瞬だがサイラオーグの拳を固定すると、打ち下ろした肘と突き上げた膝でサイラオーグの左手首を同時に攻撃した。

 

「くっ!」

 

 生々しい音が響くと共にサイラオーグは今の攻撃により手首の骨が砕けたことを悟った。これにより自慢の拳も使えなくなる──

 

(それがどうした!)

 

 ──など浅慮。拳が砕けていても絶えず打ち続けた経験があるサイラオーグにとって、この程度のことは攻撃の手を緩める理由にならない。

 サイラオーグは力強く地面を踏み付けながら腰の動き、肩の動き、腕の動き全てを連動させ、拳が密着した状態から更に突く。

 シンは腹の上で爆弾でも爆発させられたかのような衝撃を覚えると共に鈍い音が体内を駆け抜けていったのを感じる。

 サイラオーグの一撃により肋骨がへし折られた。

 突かれたシンは後方へ飛ばされるが、十数メートル程移動させられた後着地する。

 一方でサイラオーグの左手首は歪な形になっていた。折れた状態から全力で突いた代償である。だが、サイラオーグは顔色一つ変えない。そして、シンもまた相変わらず無表情であった。

 我慢強いというレベルではなくどちらも精神力が肉体を軽々と凌駕している。

 このまま二人の戦いはより激しいものとなる。

 

「そこまでです。これ以上の戦闘は不可能と判断したので終了とします」

 

 かと思った矢先、いつの間にか総司が間に入って試合終了を告げる。

 

(これで終わり……?)

 

 いくら何でも早過ぎる判断にシンは内心驚く。人間の試合ならば骨折などすれば試合続行を不可能と判断されるだろうが、ここは冥界で戦っているのはどちらも人外の存在。良くも悪くも骨折ぐらいで試合を止める程常識的な存在ではない。

 明らかに不完全燃焼な戦い。サイラオーグが抗議すると思ったが──

 

「どうやらここまでのようだ。間薙シン。俺と戦ってくれたことを感謝する」

 

 ──あっさりと了承してしまい、闘気を消してしまう。

 何かがおかしい。試合を望んだサイラオーグがこんな中途半端な結果を受け入れるとは思えない。

 そう思っているとサイラオーグは背を向けて去って行く。

 そのとき、シンは見た。サイラオーグから陽炎のように揺らぐ有り余った闘気が立ち昇っているのを。口では納得している様子であったが、内心では大いに不満を抱いているのを感じた。

 しかし、それならばどうしてサイラオーグがこのような結果を受け入れたのか気になる。

 すると、サーゼクスがシンの傍までやって来た。

 

「本気のサイラオーグ相手にあそこまでやるとは流石だね」

 

 サーゼクスは称賛するが、シンはその言葉を素直に受け取れなかった。

 

「怪我の治療が必要だ。グレイフィア、場所を用意してくれ」

「かしこまりました」

 

 グレイフィアは一礼して準備に向かう。

 サーゼクスはシンの耳元に口を寄せ、静かに囁く。

 

「場所を変えよう。治療がてら君の疑問に答えるよ」

 

 サーゼクスの言葉にシンは黙って頷いた。

 




サイラオーグとの初戦はこんな感じで終了。
どうしてこうなったのかの説明は次回。
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