戦い終えたサイラオーグが眷属たちに囲まれる。何か喋っているが離れているので会話の内容は分からない。だが、サイラオーグが真剣な表情のままシンに砕かれた左手首を擦っている様子を見るにサイラオーグの怪我の具合について確認しているのだろう。
眷属たちは心配して医者や設備をただちに準備するとでも言っているが、サイラオーグはそこまで慌てる必要はないと宥めていると思われる。
暫くの間、サイラオーグたちは会話していたが、やがてサイラオーグの治療の為に地下トレーニングルームから移動し始める。
サイラオーグはサーゼクスに一礼し、眷属らもそれに倣う。
シンはそれをぼんやりと眺めていたが、突如殺気の籠った鋭い視線を感じた。視線を辿ればその先にいたのは、あの仮面の少年。
去り際にシンに警告でもするかのように睨んできた。シンは既に紋様を消して戦闘状態を解除しているが、仮面の少年の方はそれでも警戒を緩めていない。
シンは仮面の少年に対し、既知感のようなものを覚える。会ったことがない筈なのに会ったことがあるような、何故か知っているような存在感があった。
結局、その既知感の正体が分からないままサイラオーグと共に仮面の少年は行ってしまう。
シンはそれを何も言わずに眺める。
「──気になるかい?」
シンの様子に気付いてサーゼクスが話し掛けて来る。
「サイラオーグのあの眷属のことが」
シンが仮面の少年を気にしていることをサーゼクスは見抜いていた。
「……少しだけ」
「それについても説明しよう。サイラオーグの為の医療スタッフは手配済みだ。次は君の番だよ。──とその前に」
サーゼクスはシンの姿をジッと見る。その視線の意図をシンが考えたとき、気付いた。上着を脱ぎ捨てたままであったことに。認識してしまうとサーゼクス、グレイフィア、総司の視線がシンに何とも居心地の悪さを与える。
「どうぞ」
いつの間にかグレイフィアが傍に来ており、シンが脱ぎ捨てた上着を丁寧に折り畳んだ状態で差し出してくる。
「──ありがとうございます」
礼を言ってそれを受け取り、手早く羽織ろうとするが、サイラオーグとの戦闘で両腕に大きなダメージを負っているシンは両腕を持ち上げることが出来ない。
サーゼクスもそれに気が付き、グレイフィアに指示を出す。
「グレイフィア。彼に服を」
「はい。かしこまりました」
「いえ、流石にそれは……」
断って仲魔に頼もうとし彼らに目配せするが、ケルベロスはまず体の構造上無理なので選択肢に入っていない。次にジャアクフロストは人の頼みを聞くような性格ではなく、そもそもシンと目を合わせようともしない。
残る候補はピクシーとジャックフロストだが、この二人はニヤニヤ笑いながらわざわざ後ろ手に組んでアピールし手伝う素振りすら見せなかった。
仲魔になってそれなりの時間は経過している。信用、信頼も積み重なってきても根っこ部分は全く変わらず、シンが恥をかく姿を心待ちにしていた。
相手を慮るという言葉とは無縁な相変わらず我が道を行く仲魔たちである。
「……お願いします」
仲魔たちが頼りにならないので、結局諦めてグレイフィアに着せてもらうこととなる。
「失礼します」
腕は動かないので肩を動かして上手く袖を通してもらう。上半身を晒していたのを見られていたときも居心地の悪さを覚えていたが、グレイフィアに上着を着せられている今の状況の方がもっと居心地が悪い。
何よりもサーゼクスの視線が気になって仕方がなかった。グレイフィアはサーゼクスの妻であり、妻が上半身を晒していた男に上着を着せている光景をどんな目で見ているのか、何を考えているのか、知りたくは無いが気になってしまう。
戦いで上着が破けないようにする為だったといえ魔王の前で脱いだり、着たり、おまけに着せているのがその妻だったり。字面にすると凄まじく図太い恥晒しのようである。
シンが着替え終わると、サーゼクスは何事も無かったかのように話を続ける。
「さて、今度こそ移動するとしよう」
地下トレーニングルームを出て向かった先はグレモリー領の城。その中にある一室。内部は客を招く為の華やかさは無いが、気分が落ち着く雰囲気と清潔感があった。
因みにだが、そこへ向かう途中でピクシーたちがグレモリー領を観光したいと言ったので別れた。ケルベロスはピクシーたちのお守りの為に付き、ジャアクフロストも口では面倒くさそうに言っていたが、本当は興味があったので付いて行く。案内役兼護衛ということで総司もピクシーたちと一緒に行動してくれた。
室内にはシンとサーゼクスとグレイフィアの三人だけ。一気に同行者の数が減ったので室内がやたらと広く感じられた。
「治療しますので両腕をお見せください」
グレイフィアに言われるがままシンは両腕を出す。痛みに慣れたのかさっきよりも動かし易く感じる。
グレイフィアが魔法でシンの腕を治療している間にサーゼクスが話を始める。
「何処から話をするべきか……君はサイラオーグが私とリアスの従兄弟だというのは知っているかい?」
「はい」
サイラオーグと初めて会ったときにサイラオーグ自身からそう聞かされた。
「私の母はバアル家の出でね。サイラオーグの父君でありバアル家現当主の姉なんだ。ただし、サイラオーグの父君は本妻の息子であり、私の母は第二夫人の娘。つまり腹違いの姉弟だ」
第二夫人という聞きなれない言葉だが、シンは特に驚かない。悪魔が一夫多妻制なのは知っている。一誠もハーレムの為にそれを目指している。
「サイラオーグの母君──私の叔母であるミスラ・バアルは上級悪魔であり元七十二柱のウァプラ家の出であった」
元七十二柱同士の悪魔から生まれたのがサイラオーグ。血筋だけ見ればサラブレッドである。
「獅子を司る偉大な名家だ。……周りも生まれてくる子にさぞ期待したことだろう」
サーゼクスの口振りからして思い描いたようにはならなかったのが分かる。
「サイラオーグは強い。だが、彼は魔力を持たずに生まれてきた。バアルの特色であり、当主として受け継ぐ筈であった『消滅』の力を」
サーゼクスはそのせいで母子はバアル家に見捨てられ、バアル領の辺境の地に追いやられたという。サーゼクスはその間の詳細は省いた。恐らくは口に出したくもないのだろう。しかし、何があったのかは容易に想像が付く。差別、侮蔑、罵倒、あらゆる悪意が母子に降りかかったと思われる。
「グレモリーも、特に母上は二人に援助したかったがすげなく断られたよ。バアル家から離れて消滅の力を受け継いだ私たちの存在が癇に障ったようだ」
魔王を除けば家柄としてはトップであり大王という肩書を持つバアル家に口出しすることは難しいとサーゼクスは語る。しかも、強引に介入をすればサイラオーグやミスラがどんな目に遭うかも分からない。
その後にサイラオーグを待っていたのは飼い殺しの日々。欠陥品、一族の恥という扱いを受け、バアル領から出ることを許されず、母子と共に厳しい毎日を送った。
だが、それでもサイラオーグは逆境に折れることはせず、魔力が無いというハンデを覆す程に自分を鍛え上げ、遂には現当主と後妻との間に生まれた次期当主であった弟を下してその座を勝ち取ったとのこと。
話だけ聞けばサイラオーグの半生を語るものであったが、それが今回の中途半端な対決とどう結びつくのか分からない。
「サイラオーグさんのことを知れたのは良かったですが、それと今回の件とどう関係が? 話を聞く限りだとサイラオーグさんが自発的にやったようには思えないんですが?」
「君の指摘は正しい。本来ならば君とサイラオーグを全力で戦わせるつもりだったし、サイラオーグもそのつもりだった……横槍さえ入らなければね」
「横槍……もしかして、バアル家ですか?」
「正解だ」
魔王であるサーゼクスに口出し出来るとすれば、サーゼクスが説明していた最上位の家柄を持つバアル家しか思いつかない。
「今回の件はサイラオーグのほぼ個人的な私闘であり、外部にも殆ど洩らしていない。知っているとすれば私とディハウザーぐらいだ。……だというのに直前になってバアル家から君との対戦についての物申しがあった」
ほぼ完璧に情報規制していたにもかかわらず、バアル家の耳に今回の対戦が届いていたことはサーゼクスにとっても予定外のことであった。
「流石に長いことトップに君臨しているだけのことはある。バアル家が張り巡らしている根は長く、深い。私が気付けない程に。今回のことは私の落ち度だ。君やサイラオーグには申し訳ないことをした」
「気にしないで下さい」
サーゼクスが謝るが、シンは言ったように特に気にしていない。元々、戦いに拘るような矜持は持ち合わせていない。
「君とサイラオーグとの対戦に関して色々と話し合った結果、妥協するような形になってしまった」
「あれを話し合いと言いますか? いちいち回りくどい嫌味や皮肉をネチネチと言ってくるだけの現魔王への敬意が足りない無礼な行為だと認識していましたが?」
黙って治療をしていたグレイフィアが急に会話に入ってきた。サーゼクスは当時のことを気にしてない様子だが、グレイフィアは、魔王であり夫であるサーゼクスへの侮辱に未だに怒りを覚えている。裏を返せばそれだけサーゼクスへの愛情が深いことを意味している。
「愛されていますね」
「はっはっは。君にそう言われるなら、あの話し合いにも価値があったということだな」
シンの素直な感想に対し、サーゼクスは上機嫌に笑う。
「勿論、私の彼女への愛情も深いがね!」
良い顔をしながら言い放つサーゼクス。すると、グレイフィアはシンから一旦離れてサーゼクスの傍へ行き、その頬をつねり上げる。
「人前でそのようなことを言うべきではありません」
グレイフィアは無表情だったが、シンからすればどう見ても照れ隠しにしか見えなかった。
「やっぱり愛されていますね」
「まあね!」
頬をつねられながらも笑うサーゼクス。
「ですから……もういいです」
冗談でも揶揄いでも無く二人が本気で言っていることを察し、これ以上何かを言っても無駄と理解してシンの治療へ戻る。グレイフィアは無表情であったが、耳が赤く染まっていた。
「話の脱線もそこまでにしておくべきでは?」
グレイフィアに上目遣いに睨まれるシン。話を横道に逸らしたのは彼の一言が原因なので仕方がない。
「そうだね、確かに。では、話を戻そう」
のろけていた表情を一変させ、真面目な顔付きに戻る。
「バアル家の要求は単純なものさ。サイラオーグはリアスとのレーティングゲームを控えている。なるべく怪我の無いように収めてくれ。もし、サイラオーグがレーティングゲームを辞退するようなことがあれば、それは私たち側の責任だとね」
言い分としては特におかしな点は無いし、間違ったことも言っていない。とはいえやや過保護気味ではないかという感想もある。ある程度の怪我ならば魔法でどうにでもなるし、最悪フェニックスの涙を使用すればいい。サイラオーグとライザーが交友関係にあることをシンも知っていた。
「この話を先にサイラオーグにして、彼が了承した時点で私たちからは何も言えないよ」
サーゼクスの言う通り、対戦を希望していたサイラオーグがその条件を呑んでしまった時点で外野が口を挟むことが出来なくなる。
「次期当主であるサイラオーグさんを守る為……というような話じゃないですね」
万が一の可能性を挙げてみたが、言っている途中にサーゼクスの表情を見て的外れであったことを察した。
「サイラオーグの立場は微妙なんだ。表向きは次期当主になっているが、バアル家の者やそれに属する派閥の悪魔──大王派は裏では彼のことを未だに蔑んでいるよ。だが、サイラオーグの個人の突出した実力は勿論のこと、サイラオーグに心酔する若い悪魔も多い。バアル家にとっては大事な広告塔だからね」
サイラオーグが気付いていないとは思えない。恐らくは清濁併せ吞む覚悟でバアル家を後ろ盾にしているのだろう。
「分かっていてやっているんですね」
「ああ。サイラオーグが利用されているように、サイラオーグも彼らを利用している。バアル家の持つ他家へのパイプは馬鹿に出来るものではない。一つでも上を目指すというのなら必要になってくるだろう」
何とも関心の湧かない話である、というのがシンの思ったままの感想であった。全てがまどろっこしく感じる。既に作り上げられた仕組みだから仕方のないと言えば仕方が無い。
サイラオーグですらそうなのだから、目の前に立つサーゼクスもまた魔王という強者でありながら数え切れないしがらみに雁字搦めになっているのだろう。
そういったしがらみに縛り付けられることに憐れみを感じ──そうになるがすぐにそれを捨てた。
しがらみを敢えて受け入れ、その中で足掻いている者を憐れむなど上からの目線に過ぎない。そんな安い同情など無価値に等しい。
「まあ、バアル家が言っていたこと自体におかしな点は無いし、逆に真っ当だったせいでサイラオーグも受け入れざるを得なかっただろうね。サイラオーグも君と全力で戦う理由を用意出来なかったのも痛い」
レーティングゲームに二回しか出ていないほぼ無名の相手と真剣勝負を許可することの方が変なので仕方が無い事であった。
「リアス・グレモリーとのゲームを蔑ろにする気か、なんて言われたら真面目な彼のことだから、そんなことは無いと言うしかないさ。向こうはこれっぽっちも私たちに敬意なんて持っていないのにね?」
サイラオーグが戦いに秀でていても、交渉などの分野では海千山千のバアル家の方に軍配が上がる。サイラオーグも苦渋の選択をするしかなかった。
「……ただ、バアル家とサイラオーグの関係のみが今回のことに繋がった訳じゃない」
「というと?」
「バアル家が過敏になっているのは……君にも関係あるんだ」
「俺が? ……もしかして」
物事をややこしくする理由があるとすれば一つしか思いつかない。
「バアル家は薄々だが君の正体について勘付いている可能性がある。と言ってもまだ確信を持っていない様子だ。半信半疑という感じだね」
シンが魔人であることはサーゼクスによって情報が遮断されているのでまだ知れ渡っていない。しかし、前に警告されたように魔人と邂逅した者ならばシンの正体も察せられる。
だが、そうなると別の疑問が生じる。
バアル家は最上位の悪魔であり、冥界のトップだと説明された。それならば確信を持っていない、半信半疑などと悠長でハッキリしない結果では無くすぐに分かるのではないか、と思ってしまう。
「まだ半信半疑なんですか……?」
「あー……嘗て冥界ではマタドールが何度か襲撃する事態があったが、バアル家の者たちはマタドール、というより魔人と一切関わろうとしなかったからね。そのせいで、知らないんだよ、魔人の気配というものを」
知らないから分からない。実に単純な答えである。
「まあ、彼自身も権力という強さには興味無かったからね」
懐かしむように言うサーゼクス。口振りだけなら古い友人の話をしているようだった。
どうしてそんな風に語れるのか気になるが、同じくらい気になるのはグレイフィア。サーゼクスがマタドールの名を口に出した途端、露骨なまでに不機嫌になった。マタドールに対する怒りというよりも嫉妬に近い情念を感じる。
「今回のことは、そういった疑いもあったからバアル家は口を挟んだのさ。サイラオーグにもしものことがあったら困るのは彼らだしね。そして、サイラオーグはそんな彼らを無視出来ない。将来のことを見据えているなら尚更だ」
シンは理解した。過保護だと思っていたが実際は全く別。大事な広告塔にもしものことがあったら、自分たちの利益に関わるというもの。
くだらない、という言葉が口から出そうになったが何とか仕舞い込んだ。
ディハウザーの献身が無下にされた気分である。
「サイラオーグを責めないでやってくれ。きっと彼も自分を責めている筈だ」
サイラオーグからすれば自分から頼んでおいて自分の都合を優先したことに申し訳なさを覚えているのだろう。
「──分かっています」
シンからすれば特に気にすることではない。中途半端な結果だと思うが、サイラオーグがそれに納得し、シンがこれでいいと思えばそこで終了である。
「……そうかい。そう言ってくれるなら助かるよ」
会話が途切れ、沈黙が訪れる。
「終わりました」
沈黙は一瞬の間だけ。グレイフィアの治療終了の言葉ですぐに破られる。
シンは両手を握り締め、具合を確認する。痛みは無い。腕も持ち上がる。傷は完治していた。
「ありがとうございます」
「──いえ。礼を言われるようなことはしていません」
シンが礼を言うとグレイフィアは謙遜する。
「これからどうするんだい?」
「彼奴らを迎えに行きます。きっとあちこち彷徨っているでしょうけど」
召喚で呼び寄せることも可能だが、後々文句を言われそうなので最後の手段として取っておく。そして、ジャアクフロストは仲魔になっていないので呼び寄せられない。もし、一人取り残されでもしたら後が面倒である。
「そうか。君も遠慮なく観光したまえ。私が話を通しておくからグレモリー領内なら何でも無料にしてあげるよ」
サーゼクスの厚意にシンは軽く頭を下げる。そのままシンは部屋から出て行こうとするが、一つ聞きそびれたことを思い出して足を止めた。
「一つ、聞き忘れていたことがあります」
「サイラオーグの眷属──仮面の少年のことだね?」
シンは頷く。あそこまでシンを警戒するとなると何かしらの理由がある筈。サーゼクスの説明でそれについてのヒントが見つかれば、と考える。
「実を言うと、その眷属についての情報はあまり無いんだ。分かっているのは、仮面の少年が『兵士』であること。どうもサイラオーグは意図的に彼をレーティングゲームで使うことを避けている。そのせいでどういう風に戦うのか悪魔なのかも分からない。……見学に来ていた眷属の中に彼が混じっていたことは少し驚いた。表舞台に出ることが滅多に無いからね」
サーゼクスから齎された情報を聞いて、仮面の少年について分かったことはゼロに等しい。これでは分からないままだと思ったとき、サーゼクスが『ただ』と話を続ける。
「確証は無い噂同然の情報だが、彼を眷属にする為に消費した『兵士』の駒は、六つか七つと言われている」
駒の消費量は実力もしくは潜在能力を表すに等しい。サーゼクスの眷属である沖田総司は『兵士』の駒に換算すれば六つ分、一誠は『兵士』の駒八つで悪魔に転生した。
そうなると魔王の眷属級の実力があるか、神滅具所持者の一誠に近い潜在能力を持っているかのどちらかになる。
「噂も馬鹿には出来ない。事実、サイラオーグは彼以外の『兵士』は居ない。そうなると信憑性も高まる」
「ですね」
油断ならない相手と再認識し、聞きたいことを全て聞き終えたシンはサーゼクスたちに礼を言って部屋を出た。
部屋に残された二人は──
「グレイフィア」
「はい」
「治療、殆どやっていないね?」
「……はい」
サーゼクスの指摘にグレイフィアは少し動揺しながらも肯定する。
「私が間薙様の両手を診たときには殆ど治り掛けていました……」
シンは気付かなかったが、グレイフィアがやっていたのは治癒魔法のフリであった。グレイフィアが言うように魔法による治療をしなくてもシンの骨折は秒単位で治り続けていた。
「恐らく無意識にやっていたと思われます。──ですが、それでも異常な速度です。もし、意識して傷を治せるようになったら……」
「どんな傷も一瞬で治せるようになるかもしれないね。何とも便利なものだ」
サーゼクスは普段通りの飄々とした態度であったが、グレイフィアの方は深刻な表情をしている。
会話し、その人柄を知っており、そんな筈は無いと分かっていても考えてしまう。
もし、間薙シンという魔人が敵になったらどうなってしまうのか、と。
共感を覚えたくないが、バアル家のやったことも全く理解出来ない訳では無い。成長途中の彼は未知数の存在であった。
そんなグレイフィアの内心が分かっているのか、サーゼクスは彼女の肩に手を置く。
「大丈夫。大丈夫さ」
不安を溶かすような優しい声。だが、愛すべき者だからこそ優しさの奥に潜むサーゼクスの断固とした覚悟も見抜いてしまう。
万が一、シンが魔人として敵になったら、そのときはサーゼクスが──
◇
城内を独り歩くシン。外への道順は覚えているので進む足に迷いは無い。このまま何事も無く城の外へ──唐突に足が止まった。
順路を間違えた訳でも忘れた訳でもない。不意を衝くような再会に思わず足を止めてしまった。
「……」
シンの視線の先に立つのは敵意を露にする仮面の少年。
サイラオーグもまたこの城で治療を受けていた。そうなれば、その眷属とこうやって鉢合わせするのもおかしくない。
シンは一瞬、自分のことを探しに来たのかと思ったが、目を合わせたときに仮面の少年がほんの僅かの間だが硬直した様子からして偶々であり、向こうにとっても予期せぬ再会であったと思い直す。
シンは止めていた足を動かす。仮面の少年もまた歩き出す。向かい合う両者の距離はすぐに縮まった。
「確か、サイラオーグさんの『兵士』だったか?」
「……」
「聞いた話だとゲームに滅多に出ない切り札みたいな存在だとか?」
「……」
シンの方から話し掛けてみるが、仮面の少年は一切言葉を発しない。会話する気もない様子。シンはそんな態度に意を介さず一方的に喋る。
「そんな奴がどういう訳か俺に敵意を向けて来る。今日、初めて会ったにもかかわらず」
仮面のせいで反応が判り難いが、敵意が濃くなった気がする。それは仮面の少年の警戒が強まったことを意味する。
「でも、不思議だ」
視線を衝突させる二人。シンの方が仮面の少年よりもやや背が高いので見下ろす形になる。
「初めて会う筈なのに、妙な既視感を覚える。……同じような雰囲気を持つ奴と会ったことがあるからかもな」
探るようなシンの言葉。仮面の少年は黙ってそれを聞き続ける。
「赤龍帝と白龍皇。そして、曹操という男……この三人の共通点は何だろうな?」
殆ど答えを言っているようなものであったが、敢えて仮面の少年へ問う。挑発同然のシンの問いに対し、仮面の少年は──
「回りくどい言い方は止めろ」
──初めて声を出す。
「そうか。なら、単刀直入に言おう──神滅具所持者か?」
「だとしたら……どうする?」
「別にどうもしない……ただ、そうなると俺のことを敵視していたのも納得出来るだけだ……お前も俺のことに気付いているんだろう?」
神滅具の中にはドライグやアルビオンのように魂を封じ込められた物がある。仮面の少年もまたそういった類の神滅具であり、中に封じ込められた魂から過去の所持者が戦った魔人のことを知り、同じく魔人であるシンに強い警戒心と敵意を持ったのではないかと推測した。
「……お前は危険だ。お前のような魔人はきっとサイラオーグ様に災厄を齎す」
「……かもしれないな」
シンはその言葉を否定しなかった。死を齎す魔人の力が誰かを不幸にすることはあっても幸福にすることはない。少なくとも今まで戦って来た魔人たちを見れば、自ずとそんな答えになる。
「……サイラオーグ様は本当なら封印を解くつもりなど無かった。だが、サイラオーグ様は解いてしまった──いや、解かされてしまった。魔人に関わると全てが歪む。……こんなことならもっと強く反対すべきだった」
後悔を見せる仮面の少年。『もっと強く反対すべきだった』という台詞からサイラオーグとシンの対戦に反対だっただけでなく事前に警告をしていた様子。
もしかしたら、サイラオーグがバアル家の言う事を聞くのを後押ししたのは、この仮面の少年ではないかと思い始める。
「眷属として主に意見するなど以ての外だが、それでも強く言うべきであった。そもそも、こんな戦いなどさせなければ、サイラオーグ様があんな想いを──」
「そこまでだ。レグルス」
感情を昂らせ始めた仮面の少年──レグルスを制したのはサイラオーグ。
「すまない。俺の眷属が迷惑をかけた」
謝罪するサイラオーグ。主に謝らせたことで居たたまれなくなったのか、レグルスは顔を俯かせてサイラオーグに道を譲った。
「怪我はいいのか?」
「大丈夫です」
「大したものだな。羨ましさすら感じる」
シンの両腕が無傷なのに対し、サイラオーグは指先から肘まで包帯を巻いていた。薬品のニオイが微かに漂ってくる。包帯の下には薬を染み込ませた湿布が貼られていた。
そこで会話が途切れてしまう。サイラオーグは何を言うべきか迷い、シンはサイラオーグが何かを言うのを待っている。サイラオーグにとっては、重苦しい沈黙が続く。
「今回のことは……全て俺に責任がある」
全てを背負おうとするサイラオーグ。サーゼクスも似たようなことを言っていた。上に立つ者というのは何でもかんでも背負ってしまうものなのか、それとも背負える責任感があるからこそ上に立てられるのか、と考えてしまう。
「サーゼクスさんから全部聞きました」
「……そうか。なら、話は早い」
バアル家の横槍をシンが知っていたことにサイラオーグは一瞬目を見張るが、すぐに冷静な表情に戻す。
「横から口を挟まれたとしても、選択したのは俺だ。言い訳などしない。その結果、あのような半端な形となった。間薙シン、お前が折角俺の挑戦を受けてくれたのに台無しにしてしまった」
今回の罪の全てを被ろうとするサイラオーグに、シンが何かを言おうとしたとき──
「待って下さい! サイラオーグ様! 貴方の判断を迷わせたのは私です! 貴方は私の出過ぎた真似に真摯に応じて下さっただけです! 咎があるとしたら私にこそあります! ですから、全ての責任があるなどと仰らないで下さい!」
レグルスが堪らず声を上げた。そして、主の背負ったものを自分にも背負わせてくれと願う。
主従が良き関係を築いているのが良く分かる光景である。自分の仲魔だったらこうはならないだろう、とシンは確信してしまう。尤も仲魔とは主と眷属といった明確な上下関係ではなく対等という形なので仕方がないが。
「誰の責任だとかはどうでもいいです」
シンは切り捨てるように言い放つ。
「またやりましょう」
その言葉にサイラオーグは瞠目した。
「俺に……また機会を与えてくれるというのか?」
「白黒付けないのは気持ち悪いでしょう? それともサイラオーグさんはこの結果で満足ですか?」
「──いや、俺も納得していない」
「じゃあ、次の機会に」
言うべきことが済んだシンは出口の方へ歩いて行く。別にサイラオーグたちを気遣った訳では無い。シンもまたこの結果に納得していないだけのこと。白黒付けられるならばそれに越したことはない。
(とはいえどうするべきか?)
何か手を打たないと同じような結果になることは分かっている。サイラオーグがバアル家の指示を拒否すれば良いだけのことだが、そうなるとサイラオーグの将来に大なり小なり禍根を残すことになるかもしれない。
もしくは、バアル家がサイラオーグにシンと全力で戦うよう指示を下せば──そこまで考え、そんな都合の良いことなど起こらないと思った。
(あ……)
一つある方法を思い付く。ヒントはサーゼクスから聞いたバアル家の説明の中にあった。ただし、それはシンにとってリスクの大きな方法である。しかも、シンだけでなく周りの者たちにも飛び火する可能性もあった。
実行するとなると色々と話し合いをする必要がある。
独りであれこれと考えているとシンはいつの間にか城外まで出ており、グレモリー領内を考え事をしながら行く当てもなく無言で彷徨っていた。
「あ、シンだ」
声を掛けられたことで考えに没頭していたシンの意識がようやく外へ向く。
「何をやっているんだ? お前らは……」
目を向けた途端、シンの視線に呆れが入った。
ピクシーは自分の背丈ぐらいある棒付きのキャンディーを抱えながら舐め、ジャックフロストは両手にソフトクリームを持って交互に舐め、ケルベロスは口に買い物袋を掛けられ、それだけでは済まず尾にも何個か満杯に詰められた袋を下げており、ジャアクフロストは指の間全部に肉やら野菜やらが刺さった串を握っていた。
これでもかというぐらいに観光を堪能している仲魔たちの姿。一人真剣に考え事をしていた自分が馬鹿らしくなってくる。
「もう、傷は治りましたか?」
付き添いの総司が話し掛けてくるが姿は見えない。何故なら総司は、姿が隠れてしまう程の大量の買い物を持たされているからであった。
「お前ら……」
魔王の眷属を荷物持ちにするという悪魔が見たら卒倒しそうな光景。現に、すれ違った悪魔の何人かが荷物持ちをしている総司に、二度見をしたり啞然としたりする様子があった。
「えー。だってアタシたちだと全然持てないしー」
「ケルベロスももう限界だホー!」
「持ちたいっていうから持たせてやっているんだホ!」
「グルル……早ク帰リタイ……」
三人が観光を堪能する一方で荷物持ちをしているケルベロスは不満気。
「ちゃんとお土産買ってあるからー。もう少し、もう少し」
ピクシーがケルベロスの機嫌を直そうとする。
「すみません」
シンは急いで総司が持っていた荷物を預かる。半分くらい貰うとようやく総司の顔が見えた。
「そんなに気にすることはありませんよ。私から言い出したことですから」
総司の方は機嫌を悪くしておらず、最初に会ったときと変わらない微笑を浮かべていた。
「そうだ。間薙殿。君は、この後予定がありますか?」
「いいえ。特に無いですが……」
「なら、少しだけ私に時間をくれませんか?」
「時間を?」
「ええ。──実はサイラオーグ殿と君の戦いを見て、少し気になったことがあったので」
「気になること……?」
はい、と頷く総司。少なくとも口頭で済むようなことでは無い様子。その証拠というべきか、細められた総司の目には刀剣の如き光が宿っていた。
◇
次の日、駒王学園にて一人で歩いているシンを見つけて木場が近寄り、声を掛ける。
「やあ」
「──ああ」
シンの額や両頬に絆創膏が何枚もベタベタと貼ってあった。
「どうしたのそれ?」
「ちょっとな……」
心配そうに尋ねる木場にシンは曖昧な答えで返す。
「大丈夫ならいいけど……そうだ。間薙君にも頼みたいことがあるんだ」
「何だ?」
「今度のレーティングゲームの為の手合わせをお願いしたいんだ。イッセー君も付き合ってくれるし、間薙君にも──」
「パス」
「えっ!」
断られると思っていなかった木場は心底驚く。
「当分は刀とか剣とか見たい気分じゃない」
「ど、どういうこと? まさか、その傷が原因!? 一体誰が!?」
詰め寄って来る木場に、シンはボソリと名を零す。
「……沖田総司」
「……ええっ! 師匠っ!?」
予想外の名を出されたせいで木場は本日二度目の驚きの声を上げた。
現状、人修羅の治癒能力はムラがある感じです。