聖槍に刺されたシャルバは、自分の体と繋がる聖なる気が具現化した穂先を呆然とした目で見てしまっていた。目に光が入るだけで眼窩の奥に針が突き刺さるような痛みを覚える。しかし、同時に神に仕える者でも悪魔に堕ちた者でも目を惹く神々しさとも魔性とも呼べる輝きがシャルバの視線を捉えて離さない。
時間にすれば刹那の時間だが、我を失っていたシャルバ。聖なる気の痛みにより正気を取り戻すが、刺さるそれを抜こうにも抜けない。穂先だけでなく槍そのものが聖なる気を帯びているので抜こうとして握れば、たちまちシャルバの手は爛れ、最悪の場合消滅する。
どうすればいいのか葛藤しているシャルバを嘲笑うかのように曹操は聖槍を押し込んだ。
刺さっていた聖槍の穂先がシャルバの体を貫き、さっきまでの比ではない聖なる気がシャルバの体内に流し込まれる。
シャルバの目、耳などから蒸気に似た煙が立つ。聖なる気で体内が煮立っているようであった。
サイラオーグとヴァーリは微かに眉根を寄せるだけだったが、一誠は露骨に顔を顰めていた。聖なる気の痛みを知っているのでその時の嫌な記憶と痛みがフラッシュバックしてしまう。
曹操は聖槍で貫いたままシャルバの様子を観察するように見ていた。このままだと聖なる気によりシャルバは消滅する。そうなったらそうなったで曹操には都合が良いが、そう簡単に終わらないだろう、と曹操の勘が囁く。
その時、視界の端から何かが飛んで来るのが見えた。
「おっと」
曹操は避けようとはしなかった。飛んで来たのは複数の黒蝿であり、触れれば接触箇所が消滅する危険性があったが、曹操に届く前に黒蝿らの方が蒸発してしまう。
聖槍が放つ聖なる気を曹操の体を通して放てば膜状に展開され、黒蝿らは飛んで火にいる夏の虫の如く次々と聖なる気で自らを消滅させていく。
黒蝿らの群れでは曹操に触れることが出来ない。だが、聖なる気を体からも放っていることで穂先に集中していた気が若干弱まった。
これによりシャルバに流し込まれる聖なる気が減少する。白目を剥いていたシャルバの目がグルリと動き、自分を刺している聖槍の柄を握って一気に引き抜く。聖なる気の量が減っている今ならば短時間だが触れることが出来ると判断したからだ。
「むっ」
シャルバの大胆な行動に曹操は僅かに驚く。聖槍を直に握るなど命知らずな行為。現にシャルバは抜いた直後に手を離したが、指の何本かが聖槍から離れずに癒着してしまい結果として手の指を複数欠損することになった。
「ぐううううううっ!」
聖なる気による激痛で獣のような声を出すシャルバ。ただ、その甲斐もあり聖槍が抜けたことでシャルバの体は僅かながら自由を取り戻した。
曹操はすぐさま二撃目を繰り出す──のを直前に止め、馬宝の能力で転移してシャルバから離れた。
シャルバの翅が羽ばたき、呪いを含ませた風が突風となって先程まで曹操が居た場所を吹き抜けていく。
風が通り抜けた後、そこにある木々や建物が枯れ果てて塵となっていく光景を曹操は離れた場所から見ていた。
「危ない危ない」
口調は軽いが、内心では冷や汗を掻いていた。並の悪魔なら即消滅、魔王級でもまともに動けなくなる量の聖なる気を流し込んだ筈なのだが、シャルバは瀕死の状態でも反撃してきた。
二撃目を繰り出す前に直感が危険を感じ取り、急いで離脱をしたが正解であった。
(サポート程度で済ますつもりが上手くいったせいで欲をかいたかな? 反省反省)
シャルバに痛い思いをさせられれば満足すると思っていたが、自分でも思っている以上に鬱憤が溜まっていたらしい。苦しむシャルバを見てつい止めを刺す誘惑に駆られてしまった。
(あんな危ない呪いが込められた風に煽られたら生身の俺じゃあ骨も残らなかったかも)
自他共に認める脆弱な人間の体にあの呪いの突風は刺激が強過ぎる。いくら全身を聖なる気で覆って防御したとしても呪いの方は兎も角突風の方に吹き飛ばされ、地面か壁の染みになっていたかもしれない。
(それにしても少し強くなっていないか?)
曹操が観察している間にシャルバは全身を黒蝿に喰わせ、再誕して聖槍から受けた傷を完治させようとしているが、その速度が増している気がする。また攻撃の方も強力になっているように思えた。
シャルバの怨み、怒りが増していく度にシャルバが成長している気がする。
(──まあ、あまり健全な成長には思えないけど)
悪魔の枠から外れて別のナニカに変容していっているように感じ、悍ましさを覚える。全ての発端はシャルバの背から生える翅なのだろが、一体何処でそれを手に入れたのか未だに謎である。
(幸い数はこちらが上。おまけに質も良い。ゲオルクは結界の維持をさせながらどうにか立ち回って──)
その時、曹操はゾクリとする。視線とそれによる悪寒。曹操は刺さるような視線の方に目を向け、顔を顰める。
視線の主と目が合ってしまった。その目が言葉の代わりに何を言おうとしているのか嫌でも伝わる。
「……はいはい。誠心誠意サポートさせてもらうよ」
視線の圧、もとい脅迫に曹操は苦笑いをしながら言った通りサポートの準備に入る。
丁度その頃、何度目かの復活を果たしたシャルバ。死の淵に追い込んだ曹操の姿を探している。
「そこか……!」
間もなくシャルバは曹操を発見するが、角度的に見ても曹操はシャルバの視界に入っていない。首を動かしている訳でもないのにシャルバには曹操が見えていた。
シャルバの片目は既に人外のものと化している。複数の個眼が集合した昆虫の複眼。それから得た広い視野が曹操を捉える。
シャルバは翅を羽ばたかせ、攻撃ではなく推進力とする。一つの羽ばたきでシャルバは視認出来ない速度に達し、反応出来ていない曹操へ一直線に飛ぶ。
貫かれた借りは同じ方法で返す。シャルバは手刀を構え、曹操の胸を加速したまま突き破ろとした。
シャルバの手刀が曹操の胸に伸びる。次の瞬間、その手刀が触れる寸前の所で止まったのだ。
高速で駆け抜けようとしていたシャルバが突如何かに引っ張られて勢いを殺された。
一体何がシャルバを止めたのか。
「か、あ、がっ……」
シャルバは呻く。シャルバ自身も自分の身に何が起こったのか把握し切れていない。ただ突然視界が真っ暗になった。目の前が暗くなる直前に果実の潰れるような音がシャルバの頭の中で響いたが──
「良いタイミングだ」
「……それは良かった」
曹操と──シンの声だけが閉ざされた闇の中で聞こえて来る。
何も見えてないシャルバが一生拝むことはないだろう曹操の引き攣った笑み。そして、どうしてそんな顔をしているのかも分かることはないだろう。
シャルバの背後に立つシンのその右手はシャルバの頭を鷲掴みにしており、尚且つ人差し指と薬指がシャルバの目の中に突っ込まれている。シャルバが聞いた果実の潰れるような音、それは自身の眼球が突き破られた音であった。
シンが突然シャルバの背後に現れたのは曹操の馬宝の転移能力によるもの。事前に曹操に視線を送っていたのはシンである。アイコンタクトという生易しいものではない。曹操がシンの意図を汲んでいなければ目からの光線で曹操を射抜くつもりであった。
ただの脅迫である。
だが、曹操は完璧なタイミングでシンを転移させ、シャルバは攻撃が届く前にシンにより強制中断させられる。
シャルバも最初は自分の身に何が起こったのか気付いていなかったが、目の奥の灼熱感と喪失感により理解し始め──
「貴ッ──」
──吼える前にシンの左手がシャルバの喉を掻っ切り、裂け目が出来るとシンはシャルバの背中を蹴り押しながら右手を引っ張る。
肉が千切れる音、骨が外れていく音。それらを噴き出す血ごと間近で浴びせられる曹操。
一際大きな音を立ててシャルバの首が引き千切られる。
「無くなった部位は補填されて再生するのか、それとも無からは再生しないのか。どっちだと思う?」
シャルバの頭を持ったままシンは曹操に訊く。
「……さあね。見てきた分だとシャルバの全身ありきの再生だった」
返り血を浴びせられて少し不機嫌になりながらも曹操は一応答える。
「なら確かめてみるか」
シンはそう言った後、シャルバの頭を全力で投擲する。そして、曹操を一瞥した。
「はいはい……」
曹操は残ったシャルバの体を投げられた頭部とは真反対の方向へ転移させる。
すると、大量の黒蝿が二手に別れて頭部と胴体を追いかけていく。少なくとも無からは再生出来ず、シャルバの肉体が無ければ復活しないと推測出来る。
頭部と胴体を引き離したのでシャルバ復活まで時間は稼げた。今のうちに一誠たちとこの後の戦いについて話をする必要がある。
ただ、その前にシンは曹操の方を見る。
「もう何処かへ行っていいぞ」
手で払う仕草もして曹操を追い払おうとする。
「……ここまで雑な扱いをされたのは、俺の両親以来だよ」
曹操が何かを言っていたがシンは無視し、離れていかない様子なのでシンの方から離れる。
「もう手助けしないよ?」
曹操がまた何かを言っていたが、シンはやはり彼の言葉を無視した。
シンが向かう先には一誠、ヴァーリ、サイラオーグ、アザゼルが既に合流している。
「お前、えげつないな……」
シンが合流して早々に一誠が引いた様子で先程の一部始終を見た感想を洩らす。
「肉体を基にして再生するのなら燃やして灰にしておけばよかった」
「気にすんな。零から復活したら別の何かになっていた可能性もある。やるからには一気にやらんとな。こうやって時間を稼げた分だけ上等だ」
「灰にしなくても別の方法もある」
「生半可な攻撃では却って予期せぬ変化を生むかもしれんな……」
一方で一誠を除く他の者たちは先程の様子を冷静に分析していた。黒蝿により何度も復活するシャルバを如何にして葬るかを短い時間の間に考える。
「お前だったらどうする? イッセー?」
「ええっ!?」
アザゼルから急に意見を求められた一誠は戸惑ってしまう。客観的に見てもこのメンバーの中で一番頭が悪いと一誠は思っていた。それでも公平に意見を聞いてくるアザゼルの為にも何か言うべきだと考えた挙句──
「あの……復活出来ないぐらい徹底的にぶちのめす……とか?」
──思考を完全に放棄した力によるごり押しを案として出してしまった。
「今のイッセーの案に賛成の奴挙手」
事もあろうに皆に賛成反対をとるアザゼル。
学級会で吊し上げられているような心境になり、一誠は心の中で『やめてくれ!』と叫ぶ。
結果は反対多数で──
「全員賛成か。それで行くぞ」
「うえぇぇ!?」
そんな一誠の心の裡とは裏腹に真逆の結果で決まる。見ればシン、サイラオーグ、ヴァーリ全員が挙手していた。
「間薙! いいのか!?」
「一番妥当だろ?」
良く考えればシンは冷静沈着だが暴力等に躊躇いがない。あれこれ考えてシャルバの倒し方を探るよりも最初から徹底的に殺る方が効率的と判断したのだろう。
「ヴァーリもいいのか!?」
「シンプルで良い案だと思うが?」
ヴァーリは生粋のバトルジャンキー。命懸けの戦いに喜びを見出す変態。こちらもまた暴力に躊躇いがないので一誠の案が非常に性格に合ったものと思えたのだろう。
「サイラオーグさん! 本当にこの案でいいんですか!?」
「……? 何か問題があるのか?」
サイラオーグは寧ろ一誠が不安がっていることを疑問に思っている。サイラオーグはまるで暴の化身。一誠はそれをレーティングゲームで身を以って知っている。サイラオーグは思慮深いが彼もまた暴力を得意としている。
今の面子を見て改めて気付いた。自分を含めて力押しが得意な者ばかりなことに。ここまでストレートに暴力が振るえる面々が揃っていると心強い反面これでいいのか、という不安も覚える。
「アザゼル先生……本当にいいんでしょうか……?」
不安になった挙句この中で最も賢いと思われるアザゼルに最終確認をする。
「数も質も揃ってんだ。下手に小細工せずに正面突破が一番勝つ確率が高い」
アザゼルも一誠の考えに太鼓判を押して来る。
「それにな、あんまり時間も掛けられねぇ。冥界のこともある」
「冥界? 何かあったのですか? アザゼル殿?」
事情を知らないサイラオーグがその言葉に不穏なものを感じ取り、訊く。
「ああ、そうか。実はな──」
アザゼルは手短に説明した。英雄派のレオナルドがシャルバと協力し、冥界に『魔獣創造』の禁手によって生み出したアンチモンスターを冥界を破壊する為に送り込んだことを。
「何と……!」
サイラオーグは驚き、苦悩し、そしてそれだけで人を殺せそうな視線を曹操に向ける。
「フォローするつもりはないが、曹操の奴は関与してないと思うぞ。……まあ、利用するかもしれんが」
「……申し訳ない。焦りを覚えてしまいました。まだまだ俺も未熟です」
そういうサイラオーグの眉間にはまだ苦悩の皺が深く残っている。鋼の塊に罅が入っているように見えた。
サイラオーグの頭の中に過るのは冥界に残した母と眷属たち。冥界が襲撃されたとあればすぐに眷属たちが母を保護している──筈。自慢の眷属たちならば簡単にはやられることはない──恐らく、きっと。
筈、恐らく、きっと、多分。目も手も届かない所に居るので断言出来ないのがもどかしい。
サイラオーグは自分を責める。人間世界に来てしまったことを。だが後悔はしない。すれば連れて来てくれたライザーに申し訳ない。全ての発端はライザーに気を遣わせてしまった自分の責任と己を容赦なく責める。
サイラオーグは良くも悪くも他人のせいに出来ない男であり、背負わなくてもいいものすら背負うとしてしまう。
サイラオーグの苦悩を感じ取ったのか、一誠は何かを言おうとする。
「あの──」
「イッセー」
だが、それにアザゼルが釘を刺す。
一誠が何を言おうとしているのかアザゼルには分かった。『ここは俺たちに任せて冥界へ』と言おうとしているのだろう。だが、それは責任感の強いサイラオーグをより深く悩ませると分かっていたので言わせなかった。
アザゼルの視線に今言おうとしていることが禁句だと察し、一誠は口を閉じて言葉を呑み込む。
場が自然と沈黙する中でそれを破る一言。
「全部あの蝿が悪い」
シンが色々と難しく考えているサイラオーグに対し、シンプル且つ尤も意見を出す。
「早く駆除しよう」
真面目過ぎるサイラオーグにシンなりの気遣いをする。
シンの発言に対し、それを聞いていた者たちの反応は様々であった。
サイラオーグは難しく考え過ぎていたと反省し、微笑。一誠は物騒な発言ながらも気遣いで言っているギャップが面白くて噴き出し、ヴァーリは最初からそのつもりだったので口角を上げて好戦的な笑みになる。
思っていることは異なるが三人共通して笑っており、それを傍から見ていたアザゼルは、こんな状況でも笑うことが出来る彼らが実に頼もしいと思いながら苦笑していた。
「──さて、方針も決まった。なら徹底的にやるぞ」
空気を引き締めるアザゼルの言葉の後、漂う空気のニオイが変わる。臓腑を侵すような腐敗臭。溢れる程の怨念が空気を穢している。
五月蝿の羽音。音は二つの方角から聞こえてくる。離れ離れになったシャルバの肉体を回収し終えた二つの黒蝿の群れが一つとなる為に空を移動している。
「どうしますか?」
この場に於いてリーダーポジションにあるアザゼルにシンは確認をとる。
「先手必勝。合体シーンは見守るのもお約束なら邪魔するのもお約束だ」
アザゼルはそう言って光の槍を作り出す。シンもまたアザゼルとは別の群れに掌を向けた。
アザゼルの光の槍とシンの光弾が同時に放たれ、二つの黒蝿の群れに飛んで行く。
一つに集おうとしていた群れはアザゼルとシンの妨害により再び二つに分かれた。すると、塊となっている黒蝿らの中が青白く発光し出す。
「──まあ、妨害に対処してくるのも当たり前だな」
雷鳴が轟き、放たれた電撃が広範囲にばら撒かれる。
触れれば黒焦げになるだろう高威力の雷が、枝分かれをしながら視認出来ない速度で迫る。
再誕を邪魔させない為の牽制だが、この雷だけでも並の相手なら一掃出来るだろう。
ただ、生憎シャルバが相手している者たちは誰一人として並で納まる者たちではなかった。
『Divide!』
ヴァーリの半減させる力が瞬時に複数回発動し、電撃の威力を一気に弱体化させる。雷に等しかった攻撃は、届く前に静電気程度まで威力が弱まる。
ヴァーリが腕を一振りすれば電撃は小さな音を立てて霧散する。だが、ヴァーリのターンはこれで終わりではない。
半減により奪われた力は吸収されてヴァーリの力となる。余剰分或いは不要な力は光翼から外に排出されるが、ヴァーリは力の排出を行っていない。つまり先程の電撃の殆どがヴァーリの体内にある。
その証拠にヴァーリの右腕が青白い光を放ちながら帯電している。ヴァーリは人差し指で黒蝿の群れを指す。
白い閃光が辺りを照らし、既視感を覚える雷鳴が再び轟く。ヴァーリの人差し指から吸収された雷が放たれ、電光石火の速度で群れを貫く。
黒蝿の群れに開く大穴。大量の黒蝿が燃えながら落ちていく。相手の攻撃をそのまま返すというヴァーリの恐るべき技。ただ真に恐ろしいのはヴァーリにとってこれは小技程度の認識ということである。彼本来の戦闘スタイルではないので自身で過小評価をしていた。
ヴァーリの反撃の雷により黒蝿の群れに混乱が生じており、群れが上手く統一されていない。追撃をするなら絶好のチャンスである。
「兵藤一誠。俺はいつでも行ける。タイミングは任せた」
「──え? は、はい!」
急にサイラオーグからそんなことを言われ一瞬戸惑うもすぐに腹を括る。伊達に何度も死線を潜ってきた訳ではない。
一誠が両手を合わせてクリムゾブラスターの構えになるとサイラオーグも拳を握る。
魔力と闘気。二人はそれを手に集中させていく。チャージしているだけで肌が粟立つ威圧感が放たれ、溜められている力がどれだけの威力を秘めているのか感じ取れる。
だが、それは敵であっても同様であり、一誠とサイラオーグの力を敏感に感じ取った黒蝿の群れは本能的な危機感により群れの意思を統一させ混乱を治める。
予想よりも早く向こうが立て直したことに一誠は焦りを覚える。充填はまだ十分ではないが先手を取られる前に先に仕掛けようか迷いを覚えた。
「安心しろ」
「え?」
一誠の心の中の迷いを集中の揺らぎから見抜いたサイラオーグが一誠に声を掛ける。
「俺とお前が力を合わせれば大概の脅威は真正面から打ち破れる」
一誠と戦ったことがあるサイラオーグだからこそ彼は一誠の実力を高く評価していた。そして、今まで積み重ねてきた研鑽により得た自信を以って如何なる脅威だろうと乗り越えられると背中を押す。
「──はい!」
この信頼に応えなければ男が廃る。先に相手がどんな攻撃をしてこようと準備が完璧に整うまで我慢してすることを決断した。
黒蝿の群れは自分たちに迫る危険に対し排除行動に移る。シャルバを復活させる方が優先すべきことなのかもしれないが、如何に特殊な蝿であったとしても所詮は虫。複雑に考える思考は皆無であり、あるのは本能を基にした反応だけ。
防衛本能に従い黒蝿の群れは羽を共振させる。小さな羽の振動は不気味なぐらいに揃えられていき、やがて一つの音として重ねられると羽が生み出す羽ばたきは強風と化す。
電撃の時もそうだが強風もまたシャルバが使っていた。黒蝿の群れもまた本体と同じようなことが出来る。しかも、本体と比べて威力に遜色がない。
黒蝿の群れが発した強風は、一旦地面目掛けて降下。そこから跳ね返るようにして角度を変えて一誠たちに向かっていく。
地面が捲れあがる程の風があらゆる瓦礫を取り込みながら一直線に向かう。突風というよりもほぼ竜巻のようなものであった。
取り込まれれば一瞬で捻じ切られるか瓦礫に摺り潰される。
一誠とサイラオーグが力を溜める後ろではシン、アザゼル、ヴァーリがその様子を見ていた。誰も逃げる様子はない。微動だにしないまま一誠たちが事を起こすのを待つ。
先生からの信任。友人からの信頼。好敵手からの期待。ともすれば重圧と変わらないものが無言で一誠の肩に乗っかって来る。
『頼られているな』
(有り難いこった!)
それらを笑って受け止め、応えようとする意思を熱い想いに変えて一誠の充填は完了する。
「行けます!」
「おう!」
最高まで高められた魔力と闘気。その二つが同時に放たれようとする。
「──その前に」
『Transfer!』
「むっ」
倍加によって高まった力をサイラオーグに譲渡する。これによりサイラオーグの白い闘気に一誠の紅色の力が混じる、闘気の量が跳ね上がる。譲渡した分はすぐに倍加によって取り戻されるので一誠の弱体化もない。
一誠からの思わぬ贈り物に微笑をした後、今度こそ二つの力が解き放たれる。
「はああああああっ!」
「おおおおおおおっ!」
一誠のクリムゾンブラスターとサイラオーグの闘気は光線となって真っ直ぐ突き進む。その最中に二つの力が接触し、互いに相殺することなく一つに重なり合って勢いと威力が増大する。事前に一誠の力が譲渡されたことにより異なる力は互いの力で反発することなく調和、合一したのだ。
それは一誠、ヴァーリ、サイラオーグが三人同時に放った攻撃と似ているようで異なる。あの時は同時に攻撃しているが見方を変えれば単発の攻撃を並行して当てているだけ。これは二つの力を混合させ相乗効果によりその時と同等以上の破壊を秘めている。
一誠とサイラオーグの合体技が黒蝿の群れが生み出した竜巻と正面から衝突する。
拮抗──などしなかった。竜巻を真正面から突き破り、黒蝿の群れを貫く。呑み込まれた黒蝿らは問答無用で消滅するが、貫いた際の余波だけで消し飛ぶ黒蝿もおり、結果として半分以上が消滅する。
一度は混乱して統制が乱れ、強大な力に対抗する為に再び一致団結をしたがそのせいで一か所に集まり過ぎてしまい多くを失う結果となったのは皮肉と言える。
「おーおー。凄まじいな、おい」
若手悪魔の即席の合体技が魔王級、下手をすればそれ以上の威力を出したことにアザゼルは舌を巻く。
「俺たちの時以上の力じゃないか──少し妬けるな」
三人で同時攻撃した時よりも威力が上回っていることに少し疎外感と嫉妬を覚えるヴァーリ。
シンは塵すら残らない黒蝿らを無言で見ている。
シャルバの復活には黒蝿らが必要不可欠だが、半数以上を失ったとなると復活の可能性も低くなる。
とはいえ眷属の黒蝿らはまだ活動しているところを見るとシャルバはまだ健在の様子。ただ黒蝿の減少はシャルバの復活に何らかの悪影響を及ぼすと予想していた。
大きなダメージを与えたとは思う。しかし、今のシャルバは実体を持っていない。どれだけのダメージなのか判別し難い。それに数は少なくなったが黒蝿も残っている。
「徹底的に潰さないとな」
追い打ちをかけようとそれぞれ攻撃体勢に入る。逃げ惑うように左右に動く黒蝿らから狙いを外さないようにしっかりと目で追い──次の瞬間、雷鳴と共に強い閃光がシンたちの目を焼いた。
思いもよらない小細工によりシンたちの視力が一時的に奪われる。目に強い光の跡が残っているので目を開けていてもものがはっきりと見えない。
「くそっ! やられた!」
アザゼルは自分の迂闊さを呪いながら目を擦る。生きるという本能が為せる技なのか電撃を応用して強い光に変えて目晦ましをされた。慌ただしく動いていたのは注目させる為の行動だったのだと今更気付く。
目がダメなら耳で追おうとするが途端にあれだけ五月蠅かった羽音が消える。追い詰められたせいか異様に的確な行動をとってくる。
強い光によって残された影は時間の経過と共に薄れていく。悪魔や堕天使なので人間よりも視力の回復は早い。しかし、それでも十数秒間も敵を見失ってしまっていた。
「ゆる──さん──私を──」
シャルバの声が聞こえてくるが、酷く聞き取り難い。言葉と言葉の間に蝿の羽音のような雑音が混じっている。
「殺す──必ず──殺す──私が──」
雷光で焼かれた視力が元に戻った時、誰かが息を呑む音が聞こえた。視線の先に居るのはシャルバであってシャルバではなかった。
顔の左半分は蝿そのものと化しており、その面積の大半は大きな赤い複眼であった。左半身もまた虫に近いものとなっており、左腕は節のある外骨格であり骨のように細くその指は三本しかない。腹部からは新たな腕が左右に一対ずつ生えており、置き換えられた左腕と同じく虫のような腕であった。
左脚もまた大きく形を変えており、甲殻のような見た目で膝から下が湾曲しておりそれによって無理矢理左右の高さを揃えている。
シャルバの口から収まり切らない長い物体、舌が変化したと思われる口吻が垂れ下がっている。
完全に見た目が変わっており、前の名残があるとすれば背中の片翅ぐらいである。
復活したシャルバの姿は復活前と大きく異なる異形と化していた。シンが予想していた通り復活前に黒蝿を大量に消滅させたことにより影響が出ていた。復活するのに必要なものが大きく欠損していたのを黒蝿で埋めた、否置き換えたことで蝿に近い外見になってしまったのだろう。
不完全な変態による歪な生命体。その醜悪な外見からは嫌悪感しか感じられない。
「うっ……」
一誠が短く呻いたのが聞こえた。兜を被っているので表情は見えないが、恐らくは蒼褪めている。
「見た目なんて気にするな」
シンが気を紛らわせるような言葉をかける。
「すまん……グロいのには慣れてないんだよな……お前は大丈夫なのかよ?」
「蝿がより蝿らしくなっただけだ」
「流石……」
シンの身も蓋も無い言い方に一誠も褒めるしかない。もとよりそんなことで怯むような性格とは思っていなかったが。
「先祖返りというか、悪魔堕ちというか……何というか随分と分かり易い見た目になったもんだ」
人々が持つベルゼブブという悪魔のイメージを体現したようなシャルバの姿に関心と呆れと憐れみを混ぜたような視線をアザゼルは向けていた。あそこまで変質してしまったら最早元の姿に戻ることは出来ない。
ベルゼブブという名と血に誇りを強い誇りを持つシャルバにとってそれが幸か不幸かは分からなかったが、少なくとも我を失いかけている姿を見ると幸福には感じられない。
「殺──殺──殺────」
辛うじて聞き取れていたシャルバの声も最後の部分はほぼ虫の羽音に変わってしまう。だが、何を言おうとしているのかは理解出来る。
「話し合いなんて無理な奴だったが、遂に不可能になったな」
アザゼルが皮肉を言った直後、シャルバの羽根が高速で振動し出す。大きな岩や瓦礫は空気を通じて流される振動により砕けて小さくなり、小さくなった石や破片は更なる振動で砂や粉状になる。シャルバを中心にして周りのものが崩壊し出す。
「強くなっているな……」
「見た目はあれだが強さは本物だ──昂ぶってくる」
サイラオーグは冷静に見極め、ヴァーリは間もなく始まる戦いを前に高揚を隠そうともしない。
「予定通り徹底的にやるぞ。蝿一匹でも逃すな」
シャルバの羽音が僅かに変わる。周囲にばら撒いていた羽音が指向性を得てシンたちを直接狙う。
物体を崩壊させるベルゼブブの羽音が音速で迫って来るが、シンたちも既に迎え撃つ準備は出来ていた。
吸い込んだ息を肺から吐き出す時、空気が声帯を震わせて声となる。それを桁外れのレベルで行った時、声は武器にして凶器と化す。
「──ッ!」
人がかつて持っていた獣性の名残。大声というには原始的過ぎる。メンバーの中でも比較的細身で中性的な容姿をしているシンだからこそのギャップ。
雄々し過ぎる叫びが大気を震わし、シャルバの羽音を打ち消す。
シンの雄叫びは残響となって広がり、まだ生物としての意識があるシャルバはその雄叫びを聞いて反射的に体を硬直させる。意思の強い弱い関係なく本能を直接刺激することで起こる反応。現にシンの傍に居る一誠たちも雄叫びを聞いた瞬間、反応に差はあるものの体を硬直させた。
開戦の合図はシンたちに軍配が上がる。シャルバの硬直が残っている間に一誠たちが同時に動き出す。連携など細かい指示など出し合っている暇はない。互いの実力を信じてアドリブだらけのチームワークが始まる。
先行するのは一誠とヴァーリ。二人は事前に溜めていた魔力を噴射させ、最短距離を最速で突き抜ける。
瞬きよりも速く近距離まで詰める最初に仕掛けたのは一誠。肘の撃鉄を上げながら『戦車』級の拳をシャルバへ繰り出す。
シャルバは動かない。だが、その赤い複眼は動かなくとも一誠の動きを追っていた。今のシャルバは首や眼球の動きなど無しにほぼ真後ろまで見える。
右の拳が弧を描くように振り下ろされる。だが、シャルバの腹部から生える新たな腕と変質した腕が一誠の拳を受け止めた。
硬い。それが拳を叩きつけた一誠の感想。外骨格のような見た目はだけではなく自身の鎧と同等の強度を持っていることが拳から伝わって来る。
『怯むな! 撃て!』
(おうよ!)
肘の撃鉄が打ちつけられ拳から第二の衝撃が放たれる。同じ箇所への連続衝撃。しかし、シャルバは爪先がかぎ爪のようになった変質した足で地面を掴み、二度の衝撃に耐える。
打った方の一誠が自身の放った衝撃により右拳が後方へ弾かれる。
(まだだっ!)
弾かれた勢いを利用して腰を回転させ、今度は左拳を下から突き上げる。
先程打ち込んだ箇所に三度目の打撃。そしてすかさず肘の撃鉄により四度目の衝撃が叩き込まれる。
同じ箇所に四度の衝撃。これにはシャルバの外骨格も持たず、三度目の時点で外骨格に罅が入り、四度目で砕けて外骨格の下から血とは異なる色をした体液が飛び出た。
「やるじゃないか兵藤一誠」
一誠のすぐ隣から聞こえて来るヴァーリの賞賛。ヴァーリは開いた右手をシャルバへ伸ばす。
シャルバはヴァーリの右手から圧を感じ取り下がろうとするが、一誠の攻撃を受ける際に足で強く地面を掴んでしまっているので咄嗟に動けなかった。
ヴァーリの右手がシャルバの指先に触れるか触れないかの寸前、その力が発動する。
『Half Dimension』
右手の先にある空間を対象にして縮小を発動。範囲を球体状にイメージし、その内部のみを限定として縮小を短時間で連続して行う。
球体内部の空間ごと縮小されることで内部に向かって引き寄せられる現象が起こり、次の瞬間には球体内部に取り込まれていたシャルバの半身は抉り取られるように消滅した。