ハイスクールD³   作:K/K

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日常、転機

 季節は変わり、学年も変わり、そしてクラスメイトの面々も大きく変わった。そして、シン自身にも大きな変化があった。

 幼い頃より彼を悩ませていた謎の違和感、それがある日を境に突如として消失した。このことはシンにとって喜ばしいことであったが、それに代わる新たな悩みも出来た。

 今度は、何故か人に対して奇妙な違和感、あるいは気配といっていいものを感じるようになった。この新たな感覚で分からないのは、全ての人間ではなく、極一部の人間に対してのみ感じていた。シンの身近な人間でその気配を感じたのは元クラスメイトであり友人ともいえる木場、そして、木場と同じオカルト研究部へと所属しているリアス・グレモリー、姫島朱乃、塔城小猫、他にも複数の生徒からも感じていた。

 名を挙げた人物は、学園でも知らない人間はいないほどの有名人であるが、そういった人を引き付けるオーラといったものは全く異なる、どこか人とは擦れた超越的なものであった。

 一体自分の身にどんな変化があったのだろうか、表面上は静かに、しかし、内側では重く悩むシン。そんな彼の考えを遮断するかのように男の歓喜の声が、耳へと飛び込んでくる。

 

「すげぇ! これは! おおおおぉぉぉぉ……!」

 

 声の方向に目を向ければ、どう考えても教室で見るようなものではない本を広げ、興奮に鼻息を荒くしている三人の男たち。机には戦利品のように卑猥なDVDなどが山積みとなっている。丸刈り頭の男の名は(まつ)()、眼鏡を掛けているのは元浜(もとはま)、そして、最初に声を挙げ、三人の中で最も名の知れた男が兵藤(ひょうどう)一誠(いっせい)。三人とも悪い意味でこの学園で有名な人物たちである。

 男女の比率が3:7のほぼ女子が占めるこの学園において、一切周りを気にせずにエロ本や18禁DVDの貸し借りをする、その神経の図太さには、シンも呆れ半分感心半分であった。一応、クラスメイトになる前に何回か噂を耳にしていたが、実際に見ると何とも言えない気分へとなる。

 ふと、シンの視線に気付いたのか、一誠は見ていたエロ本から目を離し、シンの方を見る。

 

「あぁと……見る?」

「気持ちだけ受け取っておく」

 

 エロ本を指差す一誠にシンは軽く手を振り、丁重に断る。その途端、クラスの女子たちの怒声が響く。

 

「木場君のお友達の間薙君がそんな本、読むわけないでしょ!」

「このど変態ども! 変態の道に引きずり込もうとしないで!」

「エロガキ!」

「ほんと! 最低!」

 

 容赦の欠片もない女子の罵声。それに対し、今度は松田が吼えた。

 

「木場の友達がどうしたぁ! エロ本を回し読んで友情を深めるのはなあ! 古来から日本に伝わる由緒正しい男の儀式だ! それが理解できないような女子は去れ! 去れ! それとも無理矢理理解させてやろうか!」

 

 その後もギャアギャアと女子たちと松田たちが口論していたが、シンはそんな騒がしい光景を見ながらも、このクラスも悪くはないな、と密かに思う。

 少しだけ、シンの胸の奥にある悩みは忘れられた。

 

 

 

 

 ある日の放課後、いつも通りに学校を後にするシン。校門を出た辺りで、一誠、元浜、松田のいつもの三人と、見慣れない制服を着た女性が何やら会話をしていた。女性の隣に立っている一誠は顔をだらしなく緩ませ、勝ち誇ったような余裕に満ちた表情をし、対照的に松田と元浜はこの世の理不尽を嘆くかのような、驚愕と絶望に満ちた悲壮な表情をしていた。

 

「なんでこんな美少女がイッセーの彼女なんかにぃぃぃぃ!」

「世の中のシステムが反転したとしか思えない……。イッセー、まさか犯罪でも起こしたのか?」

 

 とても友人に向けて言うものとは思えない言葉を叫ぶ松田と元浜。しかし、一誠にとっては負け犬の遠吠えに等しいらしく、お前らも彼女作れよ、と余裕の言葉を返し、彼女を連れてその場を離れていく。後に残された松田と浜松は、死人のような目で去って行く二人を見ているのであった。

 共に歩く二人とすれ違うシン。シンの姿に気付いたのか、一誠の方からシンへと声を掛ける。

 

「よぉ! 帰りか?」

「まあな、そっちは……彼女か?」

 

 シンが尋ねると一誠は顔を破顔させ、機嫌よく隣に立つ女性を紹介する。

 

「そう! 俺の彼女! 夕麻ちゃん、こっちはさっきの奴らと同じ、俺のクラスメイトの間薙シンっていうんだ!」

「そうですか、初めまして! イッセーくんの彼女の(あま)()(ゆう)()です」

 

 そう言い笑顔で軽く頭を下げる夕麻。黒く長い髪にバランスのいい肢体、艶と初々しさを両立させた顔立ちは、十人に問えば十人が美少女と答えるであろう。しかし、シンが夕麻に感じた第一印象は、それらとは異なる真逆のものであった。

 容姿や態度が気に入らなかったわけではない。夕麻という女性が纏う見えない感覚に対し、シンは強い拒否感を覚えた。学園で見てきた人たちとは質の異なる感覚、内に毒を含んでいるかのような、触れることを躊躇わせるものがあった。

 

「じゃあ! 俺は、これから夕麻ちゃんと行くところがあるから、またな! 引き止めて悪かった」

「さようなら。間薙くん」

 

 二人はその場を去ろうとし――

 

「兵藤」

 

――シンの言葉で足を止める。

 

「ん?」

「気をつけろよ……いろいろと物騒だからな」

「え? ああ、うん」

「大丈夫ですよ。いざというときなったらイッセーくんが助けてくれますから。ねぇ、イッセーくん?」

「も、もちろんだよ! 夕麻ちゃん!」

 

 微笑み、腕を絡ませる夕麻に興奮する一誠。二人はそのままシンに別れを告げ歩き去っていった。

 去り行く二人の後姿を見るシン。その胸には言いようのない不安がざわめいていた。

 

 

 

 

 数日経ったある日、登校途中のシンは、同じく登校中の一誠の姿を見て、内心大きく動揺した。数日前まで一般の生徒たちと変わらない筈であったのに、今の一誠は、木場やリアスなどといった人物たちと同じ気配を纏っていた。

 唐突な変化に一体何があったのかと気になり、シンは一誠に近づく。一誠は異様に日の光を気にしながら歩いており、何度も空を見上げては露骨に顔を顰めていた。その為、シンの接近にも気付いていない。

 

「兵藤」

「うお! な、なんだ、間薙か!」

「おはよう」

「あ、ああ、おはよう」

 

 突然声を掛けられたことによほど吃驚したのか、若干声が裏返っている。そんな一誠をシンは観察するようにジッと見る。心なしか顔色が優れないように見えた。

 

「少し、雰囲気が変わったな」

「えっ!?」

 

 シンの探るような言葉に一誠の顔色が変わる。それは、シンの言葉に心当たりがあることを示していた。

 

「あのな、実は――ゴメン! やっぱ、なんでもない!」

「そうか、分かった」

 

 シンと一誠は特別親しいという間柄ではない、顔を会わせれば挨拶ぐらいはするといったぐらいの関係である。それゆえにシンは話すことを躊躇い、隠そうとする一誠の様子にそれ以上踏み込んで質問することはしなかった。

 

「まあ、話す気になったら、いつでも話に来ればいい。解決は出来ないかもしれないが、気晴らしぐらいにはなる」

「わりぃ、サンキューな!」

 

 その後、一誠は確かめたいことがあると言い、一人先に教室へと去っていった。

 再び一人となったシン。すると今度はシンに声が掛かる。

 

「やぁ、おはよう。間薙くん」

「木場か、おはよう」

 

 朝に相応しい爽やかな挨拶をしてくるのは、シンの元クラスメイトの木場であった。シンとは一年の時からの付き合いであり、二年になってクラスが別々になっても交流が断たれることはなく、互いに友人と呼べる立場にあった。

 

「今、走っていったのって間薙くんのクラスメイトかい?」

「ああ、兵藤一誠……知っているか?」

 

 似たような気配を持つ木場に対し、あえて一誠の名前を出し、相手の反応を確かめるように尋ねるシン。

 

「知っているよ。彼って結構、有名人だから」

 

 しかし、木場に目立った反応は無くあっさりと躱された。尤もシン自体、一誠のある意味での有名人ぶりは知っているのでこうなることは予想の範疇であった。

 

「おはようございます。木場先輩、間薙先輩」

 

 声をする方に目を向けると、そこには一見、小学生かと見間違える程の小柄さの少女がお辞儀をしていた。

 

「おはよう、小猫ちゃん」

「おはよう、塔城」

 

 少女は木場と同じ、オカルト研究部に所属し、一つ下の学年である塔城小猫であった。その体格、容姿からなる小動物的な可愛さから、一部の特殊な趣味を持つ男子生徒や女子生徒に絶大な人気を誇っている。シンとは木場を通じて知り合っており、少なくとも顔見知り以上の関係だった。

 

「そういえば、兵藤くんと一緒に話していたけど、彼とは結構親しいのかい?」

「意外です。間薙先輩と兵藤先輩が知り合いなんて」

 

木場のシンに対する質問に、小猫は無表情ながらも多少の驚きを混ぜた声を漏らす。

 

「そこまで親しいわけじゃない。まあ、よくある世間話みたいなものだ」

 

 詳しい話の内容ははぐらかし、三人で下駄箱の前まで適当な話をしながら歩いていく。やがて下駄箱前で小猫と別れ、木場とは教室前で別れた。

 教室に入ると一誠がいつもの友人二人と話しているが、少々様子がおかしい。一誠が困惑して話しているのとは逆に、二人は冗談でも聞いているかのように軽く笑っている。

 席に着いたシンに一誠が気付くと、困惑した表情のまま近づいてきた。

 

「な、なあ間薙……お前って、天野夕麻ちゃんってしっているよな……?」

「この間紹介してきた、お前の彼女の名前だろ? それがどうし――」

 

 シンの言葉が終わるよりも早く、一誠はいきなりシンの両肩を掴んだ。

 

「やっぱり! やっぱり居たよな! 俺の彼女!」

 

 必死な様子で叫ぶ一誠。その声でクラス中の視線がシンと一誠に集まってくる。

 

「元浜も松田も知らないって言うし! 携帯番号も消えてるし! それに――」

「分かった。とりあえず落ち着け」

 

 興奮する一誠を宥めるシン。そんな両者を見て、クラスのあちこちでは何やら女子たちがヒソヒソと話し合い、キャーキャーと言い合っている。

 

「ホームルームも始まるし、話の続きは休憩時間に聞く。それでいいだろ?」

「わりぃ……頼む」

 

 さっきと打って変わって、声が弱々しい。天野夕麻という少女の件で、一誠自身かなりショックな出来事があったのが見て取れた。

 一誠がシンから手を離すのとちょうど同じタイミングで担任教師が教室へと入ってきて、朝のホームルームが始まった。

 

 

 

 

 休憩時間になるとシンと一誠は共に教室を出ていく。教室内で話せば先程のように周囲の注目を集めてしまうことを危惧してであった。目指す場所は、屋上付近の階段の降り口、そこならば今の時間、人が来る可能性が少ない場所であった。

 屋上付近まで移動すると、シンは階段へと腰掛け、一誠もまたシンと同じく腰掛けた。

 

「改めて話を聞くが、彼女と何があったんだ?」

「実は――」

 

 一誠はシンに自分の身に起こったことを全て話す。初めて天野夕麻とデートをしたこと、そのデートの終わり際に彼女から『死んでくれないかな』と言われたこと、その彼女の背中から何故か黒い翼が生えたこと、彼女が自分の持つ何かを危険視し、彼女によって命が絶たれたこと、そして、死んだと思ったらいつの間にか蘇ったことを。

 

「夕麻ちゃんと連絡を取ろうにも携帯番号やメールアドレスとか全部消えてるし、元浜や松田に夕麻ちゃんのことを聞いても知らないってよ……初めはふざけてるのかと思ったけど、どうやらマジっぽいし……」

 

 シンも一誠が二人に彼女を紹介し、嫉妬で悶えている姿を目撃している。また、元浜と松田の性格上、彼女という存在を無視するという行為は似合わないと考えていた。

 

「どうりで、あんなに必死だったわけか」

「正直、間薙が知ってるって言わなかったら、俺は自分が異常者になったと思ったかもしれない」

「少なくとも、俺はお前が彼女を紹介したのを覚えてる。お前は正常だ」

 

 少しだけ、一誠の顔に生気が戻った。

 

「一体、何が起こったんだろうな?」

「正直、話を聞くだけだと全く分からないな」

「ああ……初めて出来た彼女だったのに……夢のハーレムへの記念すべき第一歩だったのに……せめて、せめてエッチなことの一つもしたかった……!」

「お前の頭の中もよく分からん」

 

 煩悩に塗れた泣き言を漏らす一誠に流石に呆れた様子のシン。

 

「まあ、そんな事を言えるぐらいなら、大丈夫だろう。これからどうする? 彼女を探すのか?」

「ああ! このままじっとしてられないしな! 片っ端から調べてやる!」

「当てはあるのか?」

「とりあえず、夕麻ちゃんが着てた制服の学校を探す! 元浜や松田に大体の制服の情報を教えれば、すぐに特定出来るはず!」

「そうか……手を貸そうか?」

「いや、大丈夫だ!」

 

 シンの提案を一誠は断る。

 

「話を聞いてくれただけでもスッゲェー楽になったし、これ以上頼ったら流石に悪い。後は自分で何とかするよ」

「分かった」

 

 一誠の決意にシンはこれ以上することは相手の決意に水を差すと判断し、簡素な答えを返した。

 

「まあ、何かあったらいつでも話は聞くさ、前にも言ったが解決することは出来ないが、話し相手ぐらいにはなる」

 

 そういうとシンは立ち上がる。

 

「そろそろ休憩時間も終わりだな」

「よし! じゃあ行くか!」

 

 一誠も立ち上がり、二人は教室へと戻っていくのであった。

 

 

 

 

 一誠の天野夕麻探しは、それから数日間は特に目立った進展は無かった。制服から学校を調べ上げて実際に行ってみたらしいが、在校生の中に天野夕麻という少女は存在せず、この結果、天野夕麻への手掛かりは呆気なく断たれてしまった。その後は地道に足で探していたらしいが、厄介なことに天野夕麻に関する記録は写真一枚も無いため案の定上手くはいかず、結局の所、完全に停滞した状態へとなってしまった。

 そんな状態の一誠は現在、教室内で悪友二人に囲まれ、二人が持ってきたご自慢のお宝(DVD)を机の上に積まれていた。

 シンも横目で一誠たちの様子を見ていたが、テンションの高い二人に比べ、一誠は今ある悩みのせいか表情に明るさは無い。そんな一誠を励ますためか、松田が自宅で秘蔵のコレクションの鑑賞会を提案、元浜もそれに賛成し、二人そろって実にいやらしい笑みと笑い声を出していた。

 初めは乗り気でなかった一誠であったが、二人に触発されたのか、声を張り上げ『今日は無礼講だ!』と言って二人の提案に賛同するのであった。

 

(さすがだな)

 

 盛り上がる三人を見ながら、シンは内心、松田と元浜の二人に感心する。もし、自分が二人の立場であったのなら、あのように奮い立たせることも出来ずに終わっていたと思えた。長年の友達だからこそ、互いの性格を知っているからこそ出来る励まし方であった。

 思春期特有の欲望によって更なる結束を得た三人。だが、その三人が窓の方を向いたとき、時を止められたかのように停止した。

 三人の目線につられて、シンもまた窓の外に目を向けた。

 窓の外にあったもの、それは真紅の美であった。

 リアス・グレモリー。この学園に通う者なら知らないものは誰一人いないと言っても過言では無い、学園の象徴とも言っていい存在であった。腰まで伸びた、見るものを振り向かせる鮮やかな真紅の髪、その対となるかのように白く汚れのない無い肌、見るものに嫉妬を通り越して、羨望を覚えさせる高貴な美貌、持つもの全てが桁外れであった。現に彼女が通学しているだけで周囲の人間は、男女関係なく動けなくなり、リアス・グレモリーの時間が動いていた。

 シンは、リアスを見て目を細める。確かに容姿は人間離れしている。しかし、それだけではない。身に纏う気配もまた人間離れをしていた。シンがこの学園の中で、何人か気配を持つ人間を見てきたが、その中で、リアスという存在が持つ気配が最も大きく、最も濃いものであった。リアスとも木場を通じて面識があるが、片手で数えられるぐらいの挨拶しかしていない。リアスの持つ巨大な気配にシンが危機感を覚え、意識的に避けてきた結果であった。

 不意にリアスが淡く微笑んだかのように見えた。何気なく、その微笑みが向けられた先にあるもの目で辿る。

 そこには一誠の姿があった。

 

(まさかな……)

 

 引っ掛かるものを感じたが、今のシンにはその答えを導く術はなかった。

 

 

 

 

「ありがとうございました!」

 

 コンビニ店員の声を背に受け、シンは店を出る。その手に持ったレジ袋には大量の缶コーヒーが入っていた。

 携帯電話を取り出し、時刻を確認すると、もう十時を過ぎていた。

 シンがわざわざ夜に買い物をすることになったきっかけは、自宅の冷蔵庫を開けたことであった。

 シンは、いつも冷蔵庫の中にお気に入りの缶コーヒーを何本か買い置きをしていた。いつものように飲もうと冷蔵庫を開くとそれが一本もない。今朝見たときには、まだ一本あったと記憶していたが、それが無くなっていた。

 恐らくは、自分がいない間に親が勝手に飲んでしまったのだと推測し、軽く肩を落とす。

落とす。

 そのまま諦めるのも一つの選択であったが、毎日の日課のように飲んでいるため、いざ飲めないと分かるともどかしいものを感じてしまう。

 

 ――買いに行くか。

 

 そうと決まると、シンは上着を羽織り、近くのコンビニへと足を運び、現在へと至る。

 少し冷たい夜風を身に受けながら、散歩がてらにマイペースで歩くシンであったが、その足が突如止まる。

 見えたのは、反対側の道を全力疾走する学生服の少年。

 

「兵藤か……?」

 

 夜の暗がりの中、ハッキリと顔を見ることが出来なかったが、一瞬だけ感じた気配に一誠の姿がシンの頭に浮かぶ。

 そのとき、頭上から更なる気配を感じた。一誠の持つ気配とは違い、感じた瞬間に寒気を覚える冷たい気配。ちょうど、天野夕麻と初めて会ったときの気配と酷似していた。

 その気配もまたすぐに消え去ってしまったが、代わりに不穏な空気が場に残る。

 このまま何も見なかったことにして家へと帰るのは、至って簡単である。シンと一誠は友人という関係ではない、それに不吉な気配を感じたとしてもただの杞憂で終わるかもしれない、行かない理由ならば山ほどある。

 だが、それでもシンは走り去って行った一誠の跡を追い、走る。

 ただ、黙って何もしないことが出来ない。

 それがシンという人間の性分であった。

 

 

 

 

 どれぐらいの距離を走ったのかは分からないが、シンの足はとある公園の前で止まった。その公園からは、一誠と、あの冷たい気配が微かに感じられた。

 シンは、迷うことなく公園の中を突っ走る。噴水と思しきオブジェが目に見えた、と同時に目的の人物もそこにいた。

 黒いスーツを着て、どういう理由か背中からカラスのような艶の無い黒い翼を生やした男。その男の前で蹲る一誠の姿。

 シンは走りながら、手に持ったレジ袋から缶コーヒーを一本取り出し、大きく振り上げ――

 

「兵藤!」

 

 ――投げ放つと同じタイミングで一誠の名を叫ぶ。

 シンの声を聞き、今まで背を向けていた黒スーツの男が振り返ろうとした瞬間、男の側頭部にシンの投げた缶コーヒーが直撃した。

 

「ぐおっ!」

 

 予期せぬ攻撃に男は悶絶する。その隙にシンは男の脇を抜け、蹲る一誠へと駆け寄った。

 地面に膝をついた一誠の腹部には、光り輝く槍のようなものが突き刺さり、それが臓器を傷付けているのか、口からは鮮血が溢れている。

 

「大丈夫か? 俺の声が聞こえるか?」

「ま、間薙か……なんで……ここに……」

 

 途切れ途切れではあるが、会話することが出来るのを確認し、すぐにこの場から逃げ出す為に肩を貸して、立たせようとする。

 次の瞬間、シンの耳のすぐ傍を何かが高速で通り過ぎた。

 目線だけを背後へと向けると、地面には一誠に突き刺さっているのと同じ、光の槍が突き立てられていた。

 

「仲間の気配がないと思っていたが――おまえ、その『はぐれ』の仲間か?」

 

 手に光の槍を持ち、敵意と殺気を漲らせる黒スーツの男。未だに痛むのか、空いた手で側頭部を押さえている。

 

「さあな」

 

 答える気が一切ないシンの態度に、男はより一層怒気を滾らせる。が、何かに気付いたかのように眉を顰める。

 

「おまえ……人間か? 一体、どういうつもりでそいつを庇う」

「さあな」

 

 変わらないシンの態度に男は短く舌打ちをし、手に持った光の槍を構える。

 

「まあいい、そいつを庇うならばおまえも同罪だ」

 

 まとめて葬る気か、男の構えた光の槍はより光を強め、輝きが増す。

 

「逃……げろ」

「……俺に気を遣っている場合か」

 

 一誠の前にシンが一歩踏み出す。

 

「盾のつもりか? 無駄だ」

 

 男の手から光が放たれる。

 眼前へと迫りくる『死』、自分の命を摘む為に輝く光。

 だが、それを前にしても不思議とシンの内に恐怖心が湧かない。体は動かず、奔る光も目で追えていないにも関わらず――。

 ――いつかどこかで感じたような既視感がシンの体内を走る。

 『それ』は危機を前にしてシンの命を守る為、本人の意志を無視して無理矢理その体を動した。

 

 胸の奥で何かが蠢いた。

 

 

「……なに」

 

 男の戸惑う声。

 槍はシンへと届かなかった。

 シンの額から数センチ離れた場所で、シンの右手によって掴まれ、その勢いを完全に殺されていた。

 

「おまえ……」

 

 男の視線がシンの右手へと注がれる。先程まで変哲の無いただの右手であったはずが、今では指先から手首まで刺青のような紋様が浮かび上がり、それをなぞるように淡い蛍光を放っていた。

 シンは握りしめた槍を地面へ投げ捨てる。握っていた手からは白煙が立ち昇っていた。

 

「さっきまで……おまえは、間違いなく人間だった……だが、今は――」

 

男の声はそこで中断された、いつの間にかシンの隣に立つ人物によって。

 

「その子たちに触れないでちょうだい」

 

 夜の中でも、陰ることのない真紅の髪。

 

「……グレモリー先輩?」

「こんばんは。意外なところで会ったわね」

 

 リアス・グレモリーが何故かこの場に現れた。

 

「……やはり、グレモリー家の者か……」

 

 リアスの存在を知っているのか、男は怨嗟に満ちた声で呟く。

 

「リアス・グレモリーよ。ごきげんよう堕ちた天使さん」

 

 浮かぶ笑みはいつもと変わらない。しかし、その碧眼は絶対零度の如く冷たく、普段の彼女を知っているならば、別人かと思わせる程であった。

 堕ちた天使と呼ばれた男は嫌味交じりの忠告をするが、リアスも次は容赦しないと釘を刺す。

 去り際に男は自らの名をドーナシークと名乗ると、黒翼を広げ空へと消え去った。

 ドーナシークが去ると、リアスは一誠の側へと近づく。このとき一誠の意識があったが、緊張の糸が切れたのか徐々に瞼が閉じていく。

 

「あら? 気絶してしまうの? 確かにこれは少しばかり危険な傷ね。ねえ、あなた――」

 

 一誠を運ぶのを手伝うよう、シンに頼もうとしてリアスは声を掛けようとするが、シンの顔を見た瞬間、声が止まる。

 シンは無表情ではあるが、息遣いは荒く、顔色は青白く染まり、冷や汗が絶え間なく出続けている。

 

「……はい……何ですか……」

 

 手の紋様が消えると同時にシンの膝が折れる。

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!」

「……大丈夫です」

 

 近寄って来るリアスを手で制し、体勢を戻して気遣いは無用であることをアピールするが、その死人のような顔色では全く説得力が無い。

 実際、口では強がってみるものの、シンの体内では心臓が今まで体験したことのない早さで鼓動を刻み、肺は何十キロも走った後のように、急速に酸素を欲して過剰に動き続ける。動かす舌すら鉛のように重い。先程まで体中を駆け巡っていた力は消え、後に残ったのは味わったことの無い疲労感のみ。

 徐々に力が抜けていく足を擦るようにして動かし、倒れている一誠の下へと行くが、その動きは蝸牛のように鈍重で、仔鹿のように弱々しい。

 

「あなた、本当に――」

「大丈夫……大丈夫ですから……」

 

 頑なにリアスの気遣いを受けないようにするシン。何故それほどまでに彼女を拒むのか。

 このような状況にあっても、いまだにシンの根底は彼女を危惧していた。彼女が苛烈なまでに強い力を持つ故に、シンの中にある本能のようなものが、彼女に後を委ねることを拒否する。

 獅子に寝姿を守らせる兎は居ない。

 しかし、どんなに気丈に振る舞っても、所詮は悪あがき。刻一刻と力が抜け落ちていく自らの体をどうにかする方法は、シンには無い。

 

「大丈夫――」

 

 シンの視界が暗転する。

 最後まで言い切ることは出来ず、糸が切れたかのように崩れ落ち、シンの意識は途絶えた。

 地面に転がる、二人の男子高校生。

 

「仕方ないわね……」

 

 それを見てリアスは短く溜息を吐くのであった。

 

 

 

 

 瞼越しに映る光で、シンは朝だと認識する。

 目を開け、起き上がる。買い物に行ったままの服装でいつの間にかベッドで寝ていたらしい。

 見知らぬ数々の物。少なくとも自分の部屋ではないことは分かる。半分寝惚けた目で隣を見る。

 何故か全裸で眠るリアスの姿。思わず目を逸らす。

 同じく全裸の一誠と目が合った。

 その場の空気が凍る。

 

「……ええと……おはよう?」

「……おはよう」

 

 そこには、現状に似つかわしくない挨拶を交わす、間の抜けた二人の男の姿があった。

 

 

 




本編に入りました。
版権キャラクターの表現は難しいですね。
3/16※一部加筆・修正


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