ハイスクールD³   作:K/K

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熱波、抜剣

 放たれたシンの蹴りがユーベルーナに触れるか触れないかという直前、両者の間に火花が飛び散る。正確に言えば、それは火花では無く魔力の礫であった。

 足の先から感じる違和感にシンは目を凝らして接触箇所を見ると、そこには掌ほどの広さしかない魔力の壁によって阻まれているのが見えた。最速で展開した故に、十分な魔力で形成することの出来なかった魔力壁ではあったが、ユーベルーナ自身の技量によって、狙った箇所にピンポイントで張ることでそれを補う。それは幾度も戦いを経験した者にしか出来ない離れ業であった。

 防いだのを確認したユーベルーナはようやくそこで翼を広げ、地面に接触する前にその場で停止、そのままシンとの間に形成した魔力壁を変換し、攻撃用の魔法陣へと変えるとすぐさま反撃へ転じる。

 相手が攻めに入ったことを嗅ぎ取ったシンは、突き出した足を急いで引くと同時にもう一方の足で地を蹴りつけ、正面に描かれる魔法陣の攻撃の範囲外へと逃れる。ユーベルーナもそれを見て無駄な魔力を消費するのを嫌がったのか、展開した魔法陣を消し去った。

 その光景を見て、シンの視線が魔法陣からユーベルーナへと向けられる。目の前の危機が消え、次の危機へと注視すること自体は間違っていなかった。もし、間違っていることがあるとすれば、それを全体を見ずに行ったということであった。

 背中に駆ける突如の悪寒。間も無く鼻孔に入ってくる焼けついた空気の匂い。その悪寒が指し示す方向へと視線を向けたシンが目にしたのは、目の前を覆い尽くす炎の塊。避けようにも迫る炎の大きさのせいで不可能、『氷の息』で少しでも威力を削ぐという考えも浮かんだが、そんな間など最早ない。

 残る策は出来るだけ炎のダメージを最小限にして、炎の中から抜け出す方法のみ。息を吸い込み四肢に力を込めるシンであったが、前触れも無くシンの眼前で、突如として壁が現れた。

 突然の出来事に暫し立ち呆けていたが、炎を遮る壁が徐々に赤熱化していくのを見て、すぐに後退し炎の範囲から遠ざかる。

 壁が現れた方向へと目を向けると、上から下を覗き込む小猫の姿が見えた。

 

「お前がやったのか、塔城」

「……はい、瓦礫は先輩がいっぱい作って下さったので」

「先に行けと行ったんだがな……とりあえず礼だけは言っておく、助かった」

「……本当なら先に行く予定でしたが、アレに邪魔されました」

 

 顎で指す小猫。その先には炎の翼をはためかせたレイヴェルが居た。廊下を崩した影響で舞った土埃のせいで金髪も衣服もくすんだ色となり、怨敵でも見るかの様な視線をシンと小猫に向けてくる。

 

「よくもやってくださいましたね……! 貴方も、そしてそこの貴女も!」

 

 怒声を上げるレイヴェル。心なしか、シンに向けられた怒りよりも小猫に向けられた怒りの方が大きく感じられた。

 

「何かしたのか?」

 

 上から降りてきた小猫に事情を尋ねる。

 

「……あの人が妨害してきたので――」

 

 廊下が崩壊していく最中、事前に翼を広げていたレイヴェルは落下に巻き込まれず、一誠と小猫に対し先に行かせまいと攻撃を仕掛けようとしたが、それに気付いた小猫はその場から反転し、一誠を先に行かせて自分はその未然に攻撃を防いだという。

 

「その割にはひどい剣幕だな」

 

 お嬢様といった気品ある顔立ちは烈火の如き怒りに染まり、触れる者全てを焼き尽くそうという程のものであった。事実、仲間のユーベルーナもその怒り様に、どう声を掛けるべきか躊躇っているように見える。

 

「……思いっきり頭を踏みつけて邪魔したので」

 

 小猫の言葉にシンはレイヴェルの頭部をじっと見つめると、確かに靴跡らしき縞模様の汚れが金髪に描かれていた。

 

「成程」

「何が成程なのかしら!」

 

 シンの視線に気付き、怒りのまま炎を生み出しそれを肥大させていく。その光景は腕全体が炎と一体化でもしているかのようであった。それよりも先にシンと小猫は、足下にある拳大の瓦礫らを蹴り飛ばし牽制を入れる。数キロはある塊がサッカーボールの様に軽々と蹴り飛ばされ、散弾の様に散らばってレイヴェルへと迫るが、間髪入れずにユーベルーナの創り出した障壁がそれを防ぎ、レイヴェルも怒っている様で芯の部分は冷静であったのかそれを見越した上で、先制したシンたちの動きが戻る前に炎と化した腕を振るう。その軌跡に合わせて帯状となった炎は、現在シンたちが居る通路の幅全体にまで広がり、かなりの速度で進んでくる。

 シンは一歩踏み込んで、右腕を左肩の上にまで持ち上げた形の構えになると、帯状の炎に向けてその右手を鞭の様にして薙ぐ。高速で振るわれた右手の甲が炎に触れると、音も無く掻き消され帯状の炎に裂け目を生じさせる。しかし、振り抜かれたシンの右手も、触れたのはほんの僅かの時間でしかないのに、皮膚の一部分は焼け爛れ白煙を上げていた。

 だが、それに構う事無く更に踏み出して、レイヴェルたちとの距離を狭めようとするが、その一歩を踏み出したとき、爆竹の様な小さな炸裂音が響きシンの動きが止まり、踏み出した方の膝が折れる。

 見れば足の甲に数センチ程の直径の穴が開かれ、そこから夥しい血と焼けた匂いと共に煙が上がっていた。足の裏から甲まで貫通した傷の奥には赤黒く染まる廊下の床が見え、傷口の周囲には筋組織が纏わりつく白いものが見えた。認識してから襲い掛かる激しい痛み、それによって思考が中断されそうになるのを耐えながらも、その傷の状態からユーベルーナの爆破によるものであると判断する。

 動きが止まったシンにレイヴェルは炎の翼から無数の火球を生じさせ、その狙いをシンと小猫に定めていく。

 肌から汗が滲みでてくる感覚を覚えながら、小猫は急いでシンの下に寄り、この場から後退をしようと背後に一歩足を下がらせようとする。すると、いきなり足下から魔力の気配を感じることに気付き、小猫と共にシンは自分の足下に視線を向ける。そこに有るのはユーベルーナが描く魔法陣と酷似した小さな魔法陣、それが廊下の至る所に展開されつつあった。

 よくよく見れば、踏んでいる箇所の文字の色が赤く変化していき、輝きが放ち始めていることに気付く。それが何を意味するのか、既に結果を知っている二人の行動は迅速なものであった。

 通路脇の教室に目を向ける。そこには足下にある魔法陣と同様の物が壁やドアに張り巡らせてある。先に見た通り廊下には逃げ道はない。

 残る箇所は一つのみ。

 シンのせいで既にガラスが吹き飛んでいる窓に、躊躇う事無く飛び込む。窓の外には足場などは無く、そしてシンは空を飛ぶことは出来ず、何もしなければ落下するのみ。だが、窓の外に飛び出したシンがしたことは、右手を伸ばしたことであった。

 やがてシンの体が下へと落下し始めたとき、伸ばした手を掴む小さな手。黒い翼を羽ばたかせている小猫の手であった。シンは小猫が手を掴んだのを確認すると壁面に足を着け、まるで地面の上でも走るかの様に地面に対し水平に疾走する。ユーベルーナもすぐさま対応し、魔法陣をいくつか窓際に展開するが、それが爆発を放つ前に小猫がシンを持ち上げて高く跳び上がり、上の階の廊下が崩れていない場所に着地をする。その直後に複数の爆発音が響き渡り、立っている場所から振動が伝わって来た。

 上の階に逃げたのはいいが、シンと小猫はこれ以上相手との距離を放すことが出来なかった。これ以上距離を取って姿を隠す様なことがあれば、敵の矛先は自分たちでは無く、屋上にいるリアスたちに向けられる可能性がある。また、必要以上に時間を掛けて戦ってしまうと、戦う意思は無く時間稼ぎ目的と判断され、そのまま無視をされてしまう危険性もあった。故に、シンと小猫は短時間でこの戦いを終わらせなければならない。

 

「このまま屋上に行ってもいいんだぞ」

「……そんな顔色をした人は放っては置けません。それにもう私も標的にされています」

 

 シンが気遣って口にした言葉に、小猫は少々ムッとした表情で反論する。事実、シンの顔色は指摘通り優れてはいない。ユーベルーナから受けた傷からは絶えず血が流れ続け、連戦による肉体的疲労、負傷の痛みによる精神的疲労、そして廊下を崩す際使用した『あれ』のせいで、シンの疲労は限界に近づきつつあった。

 一誠の『赤龍帝の譲渡』による身体能力の向上で自らを騙しながらここまで来たが、その力の影響も刻一刻と弱まっている為、その反動が蒼白しつつある顔と熱以外で流れ続けている汗という形で目に見える段階まで来ていた。

 

「……勝つ方法はありますか?」

「――可能性が一つある。だが……」

 

 そこでシンは口籠る。その先の言葉を言うことに躊躇いがあった。

 相手を打倒する為の可能性。合宿の際に身に付けて現在のシンが使える最大の武器。完全な状態では全力を込めて放った場合、二回が限度の技ではあるがそれを補う程の威力を秘めてある。廊下を崩す際に味方を巻き込まない様に手加減をして一回放ったが、その御蔭で二回目の余力は辛うじて残っていた。

だが、それ故に欠点もある。

 

「……少なくとも十秒以上は集中しなければ使えない」

 

 めまぐるしく変わる戦場の中で、一切周りのことを気にせず十秒間以上集中し続ける。その無防備な姿を晒しつづけることが最大の欠点。

 

「……分かりました」

 

 小猫は頷き、下の階に居るレイヴェルたちの方向に歩き始めた。

 

「……その時間、私が稼ぎます。先輩は準備を始めてください」

 

 十秒以上時間を稼ぐ。言葉にすれば簡単にも思えるが、片方は自在な距離で爆破を操ることが出来る魔術のエキスパート、もう片方は不死の肉体に全てを灰燼と化す炎を生み出す不死鳥。一人で相手をするにはあまりに分が悪すぎる。

 

「塔城――」

「……ゲームの始めに助けて貰ったお礼が返せますね」

 

 その言葉を聞いてシンは喉まで出かかった、止めろという言葉を無理矢理胸の内に留めた。こちらに背を向け、その状態で見せる小猫の横顔は、いつもの無表情では無く淡く微笑んでいるように見えた。

 

「――まさか、その為にお前は残ったのか?」

 

 レイヴェルが妨害した為に屋上に行かず、シンの助太刀をするという形となったが、その真意はユーベルーナの爆破から偶然とはいえ、シンが小猫を救ったことに対する借りを返す為だったのではないかとシンは思いそれを尋ねる。

 

「……秘密です」

 

 小猫は真意を語らず、代わりに冗談のような言葉を言うとレイヴェルたちに向かって走り出していった。更に小さくなっていく小猫の背中を見ながら、シンは自分を守る為に他人に体を張らせているという現実に、自分の力の未熟さを実感した。

 

(我ながら情けない奴だ)

 

 自嘲する心中で言葉を吐いた後、気持ちを切り替え小猫が創り出してくれる時間を信じ、最大の一撃を放つ為の準備を始める。

 シンは右腕の袖を引き千切り、それを負傷した足に強く巻きつけ始める。流血を少しでも抑える為に、目の奥で白い光が見えるような痛みによる錯覚を感じながら縛り、簡素の応急処置を施す。

 その状態でシンは流れていく冷たい汗を拭い捨てると目を瞑り、右手に意識を集中し始める。それに込められた意志と力に呼応し、シンの右手の紋様は輝きを増していくのであった。

 

 

 

 

 小猫が崩れ落ちた通路付近まで来たとき、下の階からレイヴェルたちが姿を見せる。それを見た瞬間に有無を言わずに小猫は走る速度を緩めずに跳び上がり、レイヴェルの顔に拳を放つ。その時点になってレイヴェルは小猫の視界に収めるが、小猫の強襲にも焦りや驚きによる表情の変化は無く、小猫一人が現れたことを疑問に思う冷静な表情があった。

 小さな拳が数倍にも膨れ上がって見える圧力を持った正拳はレイヴェルの顔に直撃するかと思われたが、その間に割って入りレイヴェルを守護する魔力の障壁。小猫の拳が障壁に叩きつけられると一瞬波打ったかの様な振動が入るが、それだけに終わり障壁にはヒビ一つ入らない。

 ユーベルーナが守ることを予め見越していたレイヴェルは、炎の翼を広げるとそこから無数の火の粉を放つ。空中を漂うように現れた火の粉たちの速度は皆無に等しかったが、展開される範囲は広く、レイヴェルたちの周りを埋め尽くすように覆う。

 小さくとも不死鳥の炎。相手が怯むことを狙っての防御と攻撃を兼ね添えたものであったが、小猫は唇を強く引き締めると火の粉の壁に飛び込み、レイヴェルたちとの距離を最短の直線で縮める。

 『戦車』という眷属としての最強の防御力を持つ小猫の体であっても不死鳥の炎は熱く、そして苦しい。眼前で手を交差し目などに火の粉が入らないよう注意を払うが、漂う火の粉が僅かでも衣服や体に触れると一瞬でその箇所を灰にしてその奥の肌を焼き、そのまま弱まる事無く燃やし続ける。

 その焼けつく痛みは無表情の小猫の顔に見て分かる程の変化を与えるものであったが、それでも苦痛の声を洩らさず、レイヴェルたちを自らの拳が届く範囲に捉えようとする。

 火の粉の壁を突き破って小猫の拳が現れた。だが、それを見てもレイヴェルは眉一つ動かさず避ける動作も見せない。直後にレイヴェルの前方に現れた障壁が小猫の拳を弾き返し、その反動で小猫の体は後ろに仰け反るような形となる。

 

「ユーベルーナ! もう一人の姿が見えませんわ! 何か企んでいるかもしれません、速やかに探知しなさい!」

「お任せを」

 

 小猫の単独行動を疑問視したレイヴェルは僅かな可能性を摘み取ろうと、ユーベルーナへ索敵の指示を飛ばす。それに応じユーベルーナが口笛の様な澄み切った音を口から洩らすと、全身から魔力が発せられ、それが壁や床を伝わり校舎中へと広がっていく。

 

「見つけました。ここから数メートル先の物陰に居ます……お気を付け下さい! 何やら魔力を集中させています!」

 

 ユーベルーナの報告によりレイヴェルは鋭い目で小猫を睨みつける。それはシンの居場所と小猫の狙いが同時に看破された瞬間である。

 シンが欲した時間の半分程しか稼いでない小猫の頬から、一筋の汗が流れ落ちた。それは無表情の顔から滲み出た焦燥の証。

 

「ユーベルーナ! この『戦車』は無視しなさい! 貴方はもう一人の方を狙いなさい!」

 

 レイヴェルの指示でユーベルーナは指先を妖しく蠢かせながら独特な軌道を描く。遠距離にいる相手を狙う為の遠隔操作用の魔法陣を出現させる為の動作であった。同時刻、集中するシンの目の前に魔法陣が描かれていく。右手に意識を集中させながらも自分の前方で形成されていく魔法陣の気配を感じていた。

 この場から逃げ出すことは簡単ではあるが、もしもここから動き出せば、その瞬間に右手の集中が途切れてしまうことをシンは感じていた。あまり多くは残っていない魔力を消費して準備を進めている『あれ』が不完全に終わることがあれば、そのときシンにはもう『あれ』を放つ魔力は残っていない。故にシンはその場から一歩も動かず、近距離で完成しつつある魔法陣の前で自分のすべきことをし続ける。

 自分の為に体を張っている仲間の存在を信じて。

 

「……すみません。先輩」

 

 魔法陣を描くユーベルーナとそれを守護する為に立ち塞がるレイヴェルを前に小猫は小さく謝罪の言葉を呟いた。

 その謝罪が何を意味するのか。時間を稼ぐという約束を守りきれなかったことに対する謝罪か、あるいはこれから散ろうとしているシンへの謝罪か、この言葉の意味が明らかにしたのは次の小猫の行動であった。

 小猫が前に踏み出そうとする。それを見たレイヴェルは両の手に炎を生み出し、いつでも迎撃出来る姿勢をとる。

 小猫が一歩を踏み出した時、その脚力に込められた『戦車』ならではの怪力で小猫を中心にして校舎が揺れる。既にシンによって至る所に罅や破壊が生じている通路に、更なる衝撃が加えられた。その結果、小猫の足下からレイヴェルの足下まで一筋の亀裂が生じ、亀裂の右半分が陥没を起こす。そして、その陥没にレイヴェルの片足が巻き込まれてしまう。

 小猫に意識を向けていたレイヴェルの身に起こる突如のバランスの崩れ。片足が伸びきった状態を支える為にもう片方の膝を曲げ、何とか転倒を堪えるも、その隙を突かれて小猫の突破を許してしまう。だが、レイヴェルも黙っている訳も無く上半身を無理矢理背面に捻り、それと同時に殆ど狙いを定めずに手の中に生じる火球を放つ。

 

「っ!」

 

 だが、闇雲に放った火球は小猫の背中へと直撃し小猫を前のめりにする。小さな背中からは燃え上がり衣服の奥にある肌を焼き始めるが、小猫は苦しむ声を出さず、崩れた姿勢を辛うじて立て直し、爆破の準備を進めるユーベルーナに飛び掛かった。

 

「残念ね」

 

 ユーベルーナはその場から一歩引き、小猫の手を体に掠らせる程度で終わらせる。完全に勝利の芽を摘んだことを確信し、離れた場所に居るシンを爆破しようする。このときユーベルーナもレイヴェルも見ていなかった、小猫の顔が失敗の絶望に染まっているのではなく、自らの使命を全うした者の表情であることを。

 

「これで撃……!」

 

 その瞬間ユーベルーナは自分の心臓を押さえ、青白い顔をして言葉を途中で止める。ユーベルーナの変調、それは離れた場所で展開している魔法陣にも影響を与え、シンの目の前にある魔法陣は音も無く崩れていく。

 魔法陣から感じられる重圧が消える。シンは小猫の成果であることを確信し戦いの後に礼でも言おうと密かに誓う。

 蒼白となっていたユーベルーナであったが、それもほんの僅かの出来事であり、すぐに体調が戻ったユーベルーナは射殺す様な視線を小猫に向けると、背中に大火傷を負い、まともに動ける様子ではない小猫を中心にして魔法陣を展開する。それは先程の症状を起こしたと思える小猫の力を警戒しての行動。

 小猫も最早逃走は叶わないと悟ったのか、シンの居る方向と一誠たちの居る屋上へと視線を向けた後――

 

「……頼みました」

 

――と呟き、その身を爆炎の抱擁を受ける。

 この瞬間、十秒を経過する。

 炎と煙は消え、爆破跡に倒れ伏した小猫。その身体は『戦車』の頑丈さ故、まだ光に包まれてはいないが、それも時間の問題であった。

 一戦が終わりレイヴェルは気遣う様な視線をユーベルーナへと向ける。その視線に気付き大丈夫である、と言おうとするユーベルーナであったが、何かに気付き、弾かれた様に視線を前方へと向ける。それにつられレイヴェルも同じ方向へと目を向けた。

 そこには右手に爛々と白光を放つ魔力の剣を握り締めるシンの姿。その魔力の剣は魔術に長けたユーベルーナの視点から見て、余りにも不安定かつ無謀な形成が施されており、いつ暴発してもおかしくは無い。彼女から見れば今のシンは火の点いた爆弾を手に持っているのに等しい。

 そのシンがその手に持つ剣を振りかざし、それをレイヴェルたちに向けて振り下ろす――ことはせず、振りかざした状態でその動きが止まる。それを不審に思うレイヴェルたちであったが、その疑問はすぐに氷解した。

 それはレイヴェルたちのすぐ側に未だ消えずに残っている小猫の存在であった。倒れ伏した小猫を巻き添えにするという考えがシンの動きを制止させているのだと二人は瞬時に悟る。

 おそらくはシンの持つ魔力の剣を創り出す為に小猫は身を挺して時間を稼いでいたのであろうが、皮肉にもその小猫がそれの使用を踏み留めさせる足枷となってしまった。

 小猫の体が光に包まれ始める。あと数秒もすれば小猫はリタイヤとなるがその数秒さえあればシン一人屠るには十分。

 ユーベルーナは腕を振るうとシンの足元に魔法陣が描かれる。しかし、それを見てもシンはその場から動かず、そしてレイヴェルたちからも視線を逸らさない。

 ユーベルーナの乾いた指を鳴らす音。それに合わせ、シンの足元からは爆炎が噴き上がった。

 

 

 

 

 切り札を使用する直前に見た傷付き倒れた小猫の姿。小猫ごとレイヴェルたちに力を行使するという選択は非常に簡単なものである。だが、その選択をシンは選ばなかった。

 『あれ』を使用する為に身を削った小猫を更に踏みにじるという行為、少なくとも恩義を仇で返すというものはシンにとっては望むことではなく、それを含ませた安易な選択を選ぶということは自らの心の裡に陰りを落とすということを自覚していた。

 ならば自分の取るべき選択は何か。

 それは、あえて厳しい選択を選ぶということ。

 ユーベルーナの魔法陣が足下に描かれたとき、リスクは承知でシンはその選択を選んだ。容易く勝てるなど最初から思ってはいない。勝つという行為にはそれ相応に必要な物が出て来る。

 

(……上等だ)

 

 シンは歯を食いしばり、次に来る衝撃に備える。

 噴き上がる炎に視界が遮られた。轟く爆音に聴覚は音を拾えなくなった。焦げた匂いが鼻に突く、それが自分の焼ける匂いであることを理解した。

 

(……間違ってはいない)

 

 爆炎に包まれながら、シンは自らの選択に後悔をしていなかった。そして、同時にこの場にはいない仲間たちに感謝をする。

 

(礼を言う、お前が譲渡してくれたおかげで意識を失わずに済んだ)

 

 屋上でリアスを助けに行った一誠に。

 

(お前が時間を稼いでくれたおかげで集中することが出来た)

 

 身を張って時間を稼いだ小猫に。

 

(お前が戦ってくれたおかげで二人の手助けが出来た)

 

 一人残り、自分を先に行かせた木場に。

 

(貴方が奮戦したおかげで強敵の足止めが出来た)

 

 最強の『女王』に一人で戦った朱乃に。

 

(――そのおかげでこの場に俺が居る)

 

 灼熱の中、シンの右手の紋様が、心情を露わにするように更なる輝きを放つ。焼けていく体の引き攣る感覚を千切り飛ばす様にして、右手を再度振り上げる。

 視覚も聴覚も嗅覚も遮られ、シンが五感で相手の居場所を知ることは出来ない。だが、それ以外の感覚がレイヴェルとユーベルーナの位置を正確に伝えてくる。

 

(……そこだな)

 

 既に小猫の気配はこの場には無い。ならば、もう振り上げた右手を下ろすことを躊躇う理由は無い。

 握られた魔力の剣が、振り下ろされ地面へと接触したとき――

 

 世界が歪んだ。

 

 剣状の形をした魔力を器とし限界まで圧縮した魔力を、意図的に暴発させることによって起こす現象は、解放されて行き場を得た魔力を広範囲に拡散させ、そのどれもが定まった方向には向かわず、上下左右不規則な軌道をしながら狭い通路を蹂躙する。

 窓はガラスどころか壁ごと吹き飛び、教室内にあった机や椅子などは全て四方八方へと飛ばされ、ある物は壁に突き刺さり、更に魔力の暴風に押し潰され原型を留めなくなり、またある物は外へと飛ばされ、風に舞う枯葉の如く数十メートル程飛翔した後に落下し破砕する。

 人物もまた例外ではない。

 

「レイヴェル様!」

 

 彼女たちが見たものは、熱を帯びた大地が発するときに見える陽炎の如き空間の揺らめき。その波の様な揺らめきが通り抜けていく度に、その跡は無残に破砕されていく。必死の声を出しユーベルーナはレイヴェルの前に出ると魔力の障壁を創り上げ、それを防ぐ構えをとる。

 揺らめきが障壁と接触したとき弾かれた力が床や壁に逃げ、それらを瓦礫へと変えていく。障壁を創り続けるユーベルーナであったが翳す両手は細かく震え、徐々に押されていく。

 完全な状態のユーベルーナであればまだ防ぐことは出来たかもしれない、だが今のユーベルーナは度重なる連戦により体力も魔力も消費した状態。耐えられたのも僅かの間だけであった。

 均衡は周囲の建物ごと崩れる。許容範囲を超える衝撃でこの階の全ての床が下の階へと落下し一つの階が消滅する。足下が崩れたユーベルーナは直前に何かを呟いていたが、その甲斐も空しく障壁は破砕され、ユーベルーナの体は魔力の激流に飲み込まれ、弄ばれているかに様に宙で目まぐるしく体勢を変えられ、最後に下層の壁面へと叩きつけられる。

 背中から壁にめり込むユーベルーナは喀血し、虚ろな目で何かを見ていたが、やがて満足した表情を浮かべると目を閉じる。その身体は光に包まれて消えて行った。

 ここではない何処かにおいて『ヒートウェーブ』と呼称される技を放った後、崩落した瓦礫の上でシンは両膝を着き、天を仰ぐ。自分の技による崩落に巻き込まれながらも何とか無事であったが、既にその全身はユーベルーナの爆破により満身創痍であった。

 今すぐにでも横になってしまいたい衝動に耐えつつ、震える膝にシンは力を入れて立ち上がる。未だ戦いは終わってはおらず、そしてまだ戦っている仲間もいる。

 爆破の影響で霞んでいた視力も徐々に回復をし始めていくが、聴覚の方は未だに回復する兆候はない。その影響か、心なしか右手の紋様の光も輝きに陰りが見えた。

 不安な要素はあるが、回復の『神器』を持つアーシアの手を借りようと考え、シンは上へと昇る通路を探そうと振り向く。

 その目に映ったのは目の前を覆い尽くす紅蓮の炎であった。

 

 

 

 

 大きく肩で息をするレイヴェルは目の前で立ち昇る炎を見ながら、倒されたユーベルーナに心の中で、仇をとったことと助けられた礼を述べる。

 あの魔力による破壊の中、ユーベルーナは残り少ない魔力をレイヴェルの為に使用し、シンの攻撃の範囲外へと転送をさせていた。

 思いの外、遠くへと飛ばされたレイヴェルは急いで元の場所へと戻ったが、そこで見たのはリタイヤをするユーベルーナの姿と、重傷を負うシンの姿であった。

 疲労困憊とし全身をユーベルーナの爆破によって焼かれたシンをみすみす見逃す筈も無く、一瞬の隙を突いて焼き払うことに成功をする。

 真紅に包まれ倒れ伏そうとするシンの姿を見た後、レイヴェルは宣告通りに一誠も倒そうと屋上に向けて翼を広げる。

 そのとき、レイヴェルの耳に何かを踏み砕くような音が聞こえた。その音が聞こえた場所は自分の背後。

 咄嗟に振り返るレイヴェル。だが、先程とは変わらずそこにあったのは炎に焼かれているシンの姿。

 思わず溜息を吐く。知らず知らずのうちに神経が敏感になっている、自分への呆れが含まれていた。

 どう考えても、もう決着はついている。不死鳥の炎に焼かれて助かる術は無い。こうやって未だに彼は炎の中に居る。

 そこまで考えたとき、レイヴェルは自分の考えに違和感を覚えた。彼は間違いなく炎の中に居るのに、何故リタイヤをしていないのか、既に瀕死であってもおかしくはない筈なのに、強制転送は発動していない。

 

(どういうこと? 転送に何かトラブルが? 早くしなければ彼が死んでしまいますわよ! ……それとも……まさか――)

 

――未だ再起不能には至っていないのでは?

 

 そう頭の中で思ったとき、炎を突き破って出てきた甲から肘まで蛍火の輝きを放つ右手が、レイヴェルの右肩を恐ろしい力で潰すように掴む。

 激痛にレイヴェルは表情を歪ませる。そしてその右手の持ち主を睨みつけようとし凍り付いた。

 何も感情を滲ませない無貌の表情。しかし、それに相反して苛烈なまでに殺意を双眼から放ち続ける。その眼をレイヴェルが見たとき、全身からありとあらゆる力が恐怖によって抜け落ち、抗う気力を根絶させられる。

 掴む右手の輝きは蛍光から赤黒いものへと変化すると、シンはそのまま動けないレイヴェルを片手で持ち上げ、倒壊した壁へと向けて走り出す。壁の向こう側は足場など無く、ただ落下するだけしかない。

 しかし、シンは躊躇うことなくそこから宙へと飛び出すと、レイヴェルを地面の方向へと向け、その喉元に肘を押し付け急降下する。

 このまま落下し、その衝撃で相手の首の骨を折ろうとする。だが、起死回生の反撃はここまでであった。

 突如、糸が切れたかの様にシンの体は脱力し、そのまま光に包まれ強制転送をされてしまう。残ったレイヴェルはシンが居なくなると正気に戻り、すぐさま翼を動かして落下を防ぐとそのまま地面へと降り、その場で座り込んでしまった。

 

「な……なんでしたの……い、いまの……」

 

 震える唇を動かし懸命に言葉を出す。その身体は唇と同様に震え続け、しばらくの間そこから動くことは出来なかった。

 

 

 

 

「部長ォォォォォッ! アーシアァァァァァッ! 兵藤一誠! ただいま参上しましたぁぁぁぁっ!」

 

 屋上へと辿り着くと同時に声高らかに宣言をする。全身が汗に濡れ、荒い呼吸をしているものの張り上げた声からはそれを感じさせない力強さがあった。

 リアスはライザーとの戦闘で常に整えられた髪は乱れ、制服も裂けた部分や焼け焦げた部分もあり、顔色からは隠し通せない程の疲労が有る。アーシアはリアスに守られていたのか、あるいはライザー自身が攻撃する意思が無かったのか、目立った怪我などは無かった。共に一誠の登場に屋上に居たリアスとアーシアは歓喜の表情を浮かべ、その登場を心の底から喜んでいる。

 対照的にライザーは眉を顰め、不機嫌そうな表情となっていた。

 

「ここまで無事に辿り着いたのか、ドラゴンの小僧。レイヴェルが見逃したのか? ――いや、ユーベルーナが付いていてそんなことを見過ごす筈が――」

「お前の妹も『女王』も間薙と小猫ちゃんが足止めしている! あの二人もすぐにここに来るから覚悟しておけよ!」

 

 一誠からもたらされた情報で、思っていた以上に自分の眷属の戦況が良くないと理解したのか、ライザーは短く舌打ちをする。

 

「部長! まだ行けますよね!」

「ええ! もちろんだわ!」

 

 この場には居ない仲間たちの奮闘にリアスの闘志は高まっていく。それは主として眷属に恥じない戦いをする為の決意から来るものであった。

 次の瞬間、校舎に激しい揺れが起き、下の階から次々と机や教卓、窓ガラスや瓦礫などが外の校庭まで吹き飛び落下していく。

 

「な、何だこりゃ!」

 

 驚く一誠。アーシアもその場に座り込んで揺れに目を丸くしている。リアスとライザーは共に自分の足元へと目を向け、共にこの揺れの発生源の場所を見ていた。

 数秒間の揺れの後、アナウンスが鳴り響く。

 

『リアス・グレモリー様の『戦車』二名、リタイヤ』

 

 それを聞き、リアスたち全員が呆然とする。特に一誠は、ほんの少し前まで一緒に居て自分を先に行かせる為に戦ってくれた二人のリタイヤがショックであったのか拳を強く握りしめ、その眼の端からは涙が滲んでいた。

 

「どうやら二人の参戦は不可能のようだな」

 

 嗤いつつ揶揄するライザーの態度。それは敵を倒した自分の眷属への誉れが込められている。しかし、次のアナウンスが聞こえたときその表情は一変する。

 

『ライザー・フェニックス様の『女王』一名、リタイヤ』

「なに……」

 

 自分の最強の駒の敗北。それはライザーにとって予想外のことであったのか、表情が驚愕に染まる。そして、リアスたちは敗北した仲間の残した希望を知り、沈みつつあった表情に光が差しこんでいく。

 

「行けます……行けますよ! 部長! 皆がここまで繋いでくれたんだ! 俺も最後まで全力で戦います! この拳が握れなくなるまで絶対!」

「わ、私も皆さんの治癒しか出来ませんが、最後まで逃げ出したりしません!」

「よく言ったわ、イッセー! アーシア!」

 

 リアスは最高潮まで高まった戦意をそのまま貫くかのようにライザーへと向け、言い放つ。

 

「ライザー! 聞いての通りよ! 私には頼れる『兵士』と『僧侶』がまだ残っている! チェックメイトには程遠いわ!」

「……たしかにそうだな。リアス、予想以上の強さだ」

 

 怒りもせず、焦りもせず、ただ淡々と賞賛を述べるライザー。その思わぬ反応にリアスも鼻白んでしまう。

 

「正直、ここまで追い込まれるとは思わなかった。俺の予想では最悪でもユーベルーナとレイヴェルが残る筈だったが……まさか、俺の『女王』まで倒すとはな」

 

 ライザーが微かに笑う。余裕とは違う、事実を一つ一つ認めていく殊勝な態度。傲慢な一面しか知らない一誠たちから見れば裏があるのではないか、と疑ってしまう程のものであった。

 

「そっちのドラゴンの小僧――いや、赤龍帝も良く見れば目立った外傷も無いな。十日前までは俺の『兵士』に手も足も出なかったが……成程、良い成長だ」

「お、おお」

 

 いきなり褒められ調子が崩れてしまう。一誠の中でのライザーという悪魔はこのように冷静かつ大人びた印象は無かった。

 

「素直に認めよう、キミたちは強い。だが、同時にキミたちも認めなければならないことがある」

「認めなければならないこと?」

 

 笑みが消え、その下から滾る程の闘志を秘めた顔が浮かび上がる。

 

「俺の方がまだ強いということをだ」

 

 刹那、屋上全体が紅蓮の炎によって囲まれる。一切の予兆も無い、瞬間の出来事。瞬く間に屋上は業火の園と化す。

 同じ上級悪魔であるリアスすら感知出来ない程の高次元での炎の発生。それはリアスにある事実を知らしめた。

 

「ライザー……! 貴方は今まで手を抜いていたのね!」

「未来の花嫁の身体に傷を付けるのは忍びなかったからな」

 

 侮辱と判断し睨むリアスをライザーは焦熱の中、涼しげな態度で受け流す。

 

「だが、安心してくれ。それももう終わりだ」

 

 ライザーの背中から炎の翼が噴き上がる様にして顕現する。レイヴェルの翼とは違い、常に形を変えて燃え盛りその熱は空気を焦がす。

 

「リアス、そして赤龍帝。俺を……」

 

 ――今、この場に

 

「本気にさせたな」

 

 ――真の不死鳥〈フェニックス〉が舞い降りた。

 

 




主人公たちが頑張りすぎたせいで、敵も手を抜くのを止め本気になってしまったという展開でした。次回はライザーが凄いことになるかもしれません。
二巻の話もあと二、三話ぐらいで終わる予定です。

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