ライザーは暗い闇の中にいた。その闇は彼が閉ざした瞼によって出来たもの。意識はあるのだが、今のライザーは指一本どころか瞼一枚上げることすら出来ない。
動かそうとすると人生の中で味わったことのない激痛が脳を焼き、肉体への信号を遮断してしまう。
痛みを治そうにもシャルバによって付けられた呪いの傷は、フェニックスの再生能力を阻害するのでライザーの意思に反して一向に治りが進まない。
痛みとはほぼ無縁の人生を送ってきたが、ここまで長い苦痛を味わうのは禁手化した一誠との戦い、シンとの戦いに次いで三度目である。
(どう……なっている……?)
意識はあるので目を閉ざしたままの状態でも周囲の状況を凡そ把握することが出来た。また炎と風を司るフェニックスなので漂ってくる風が彼に様々な情報を運んできてくれる。
現在、リアスの『僧侶』であるアーシアと『戦車』の小猫、そしてライザーの見覚えがない二人──黒歌とルフェイにより何とか傷の悪化は抑えられている。
必死に呼び掛けてくるレイヴェルの声。彼女自身、瀕死の重傷を負っていたのでそこから復活したことはライザーにとって喜ばしいことであり、何とかしてレイヴェルの声に応えたかったが、瀕死状態のライザーは声一つ発することが出来ない。いつの間にかレイヴェルとの立場が逆転してしまった。
(ああ……泣いているのかレイヴェル……俺の為に……)
レイヴェルはライザーの『僧侶』である。かなり俗物的な考えで眷属になって貰ったが、ライザーとしてはレイヴェルが望めばいつでも独立してくれても構わなかった。
一誠との決闘で敗北し、引き籠ってしまった時は愛想を尽かされてしまったが、引き籠りを脱却してからは兄としての名誉は大分回復した様子。少なくとも泣いてくれるぐらいには。
(くそっ! 俺は何をしているんだ!)
胸の奥底に怒りが積もる。自分への不甲斐なさに憤りを覚えるが、どんなに怒っても現実は変わらず今もライザーは目を開けることすら出来ない。
(あいつはどうした!?)
半ば八つ当たり気味に一誠を探す。レイヴェルの想い人である一誠ならばどうにか出来るだろう、と自分のことを棚に上げて。
(っつ!?)
巻き起こる風を通じてライザーは感じ取ってしまった。暴走した一誠の悍ましいオーラを。最早魔王、もしかしたらそれ以上の存在に成り果ててしまった一誠の『覇龍』としての魔力を。
(何だこれは……!? 何故こうなった!? どうしてこうなる!?)
シャルバを倒して全てはハッピーエンド──ということにはならず、何処の誰かも分からない者によって引き起こされる強制的なバッドエンドルート。
その理不尽にまた胸の奥で怒りが積もる。
(何をやっている! 俺から妹と婚約者を奪っておいて無様を晒すな!)
心の中でいくら一誠に叫んでも届くことはない。
(あいつは! あいつは何をやっている!?)
シンを探すが、シンは疲労した状態でヴァーリと共に立ち止まっていた。
それに対して何か言いたかったが、何を言うべきか思いつかない。虚しさが言葉を詰まらせる。
ライザーは分かっていた。一番情けないのは誰かを。それは自分自身。喚くだけで何も出来ない、怒るだけでその怒りを晴らすことも出来ない、狂おしいまでの怒りで身を焦がすだけの無力な自分が一番情けない。
(俺は……ここでこんなことをすることしか出来ないのか……?)
妹を傷付けられ、自分自身のプライドを傷付けられ、ライバルたちを虚仮にされた。それが分かっていても何も出来ない。誰にも負けない怒りを燃やしながらもそれを外に向ける力が無い。
胸の中で燃え盛る怒りがライザー自身を焼く。晴らすことの出来ない怒りは無念となって腹の奥底に沈んでいく。
何もかもが理不尽に思える。その理不尽がライザーに尽きない怒りを与え、ライザーの心はその怒りによって焼かれ続ける。不死鳥であっても心までは再生出来ない。
理不尽な現実とそれに抗うことすら許されない自分の無力さが、己と己以外を焼き尽くそうとする怒りを生み続ける。
イ……カ……リ……
何か聞こえたような気がした。
イ……カ……リ……ヲ……
また聞こえた。幻聴にしてはハッキリと聞こえる。
ソノ……イカリ……ヲ……
暗い闇の中に小さな炎が灯る。吹けば消えそうな程の火の粉。だというのにライザーはその炎に恐れを抱いた。その炎に込められた熱。彼の知る炎とは質が違う。感じるだけで怖気が走る。
ソノ……イカリヲ……ヨコセ……
今度は紛れもなく聞こえた。火の粉がライザーに対して言葉、というよりも意思を発している。
(俺の怒りを?)
溢れんばかりに燃え盛るライザーの怒り。火の粉はそれを求めている。
イカリ……イカリダ……ソノイカリガ……オレヲ駆リ立テル……
火の粉の声が段々と聞き取れるようになってきた。ライザーの中の怒りと同調し始めているのかもしれない。
(俺の怒りで、お前は何をするんだ?)
ライザーの中の怒りを以って何を為すのか問う。
果タサレナカッタ……無念ノ怒リヲ果タス……ソシテ見セテヤロウ……スピードノ向コウ側ヲ……
言っていることはあまり理解出来ないが、ライザーが為せなかったことを代わりに為してくれる、と言っているように思われる。
(……そんなに欲しいならくれてやる。だが、その前に一つ約束しろ!)
この様な状況で囁かれる言葉は悪魔の誘惑に等しい。悪魔である自分がそんな誘いを受けるのはどんな皮肉だ、と思いながらも簡単には飛びつかない。
悪魔は約束、契約を大事にする。それを交わせば簡単には裏切れない。
ライザーは得体の知れない存在の言うことを聞く前に一つだけ約束事を決める。それを告げると火の粉から返事が返ってきた。
イイダロウ……ソノ約束モ果ソウ……
何処まで信用していいのか正直分からない。だが、動けないライザーに出来ることは精々ここまで。後はこの火の粉が約束を守ることを信じるしかない。
(なら持っていけ……俺の
心の中で溜まりに溜まった怒りを解き放つ。暗闇の世界を灼熱の色に染め上げるライザーの怒り。噴き出した怒りは火の粉へ全て吸い込まれていく。
小さな火の粉はライザーの怒りを取り込み、大火となる。その大火は形を変えていき、全く別の姿へ変貌していく。
(ああ……お前だったのか……)
怒りの感情全て解き放ったせいか感情の揺れは極端に小さくなり、火の粉の正体を知って驚きはしたものの、それ程強く反応することは出来なかった。
勇み足だったかもしれないと後悔するが、最早手遅れ。虚無に近い精神状態になりながらもライザーは怒りの化身に言う。
(約束……守れよな……)
返事の代わりにけたたましいエキゾーストノートが聞こえた。
◇
「むっ」
一誠を殴りつけたオーフィスは直後に小さく唸る。殴られた一誠の方は攻撃する為に伸ばしていた砲身をたった一発の拳、しかもそれが生み出した衝撃波によって全て破壊された上に殴り飛ばされていた。
攻防一体の翅で自らを覆っていたことでオーフィスの拳の直撃は避けられたが、威力を殺すことは出来ず、砲撃の為に深く踏み込んでいた両足は地面を抉りながら地面を高速で後退させられ、数百メートルも移動した後に一誠はゆっくりと仰向けに倒れる。
「まだその姿」
そんな一誠を見下ろすオーフィス。翅に閉じ籠っている一誠を見ながらオーフィスは再び拳を握る。
一誠に振り下ろされた小さな拳。一誠に命中した瞬間、隕石でも落ちたかのようなクレーターが出来上がる。
「むっ、まだ」
もう一度オーフィスは拳で叩く。地面が波打ったかのような揺れが起こった。
「まだ」
噴火の予兆のような揺れが一定の間隔で起こり、オーフィスと一誠がクレーターの中に沈んでいく。
「ちょ、ちょっと待って! オーフィス!」
最初はオーフィスの無事とその圧倒的な力に高揚していたが、あまりに容赦のない追い打ちに思わず声を掛ける。このままでは一誠を救う前に死んでしまう。
しかし、その声もオーフィスが光と共に発した爆音によって掻き消される。
地面に埋め込まれた一誠に、オーフィスは拳を光らせたかと思えば、それを叩き付ける。
次の瞬間、天を突くような土砂が舞い上がり、大地が揺れる。その揺れで今までの戦いで半壊していた建物が軒並み倒壊していった。
爆心地となった場所は、落ちれば地球の中心まで落ちていきそうな底が見えない程の大きな穴が空いていた
『……』
全員言葉を失ってしまう。オーフィスなら何とかしてくれるかもしれないと思っていたが、思っていた以上のことを仕出かしてくれた。
「我、失敗した」
先程まで一誠を殴っていたオーフィスがいつの間にかリアスたちの傍に居た。
失敗した。その言葉に全員激しいショックを受けた。つまり、一誠の救出は出来ず、そのまま死亡したことを意味する。
「オーフィス! 何てことを……! あれじゃ、イッセーが──」
「赤龍帝とドライグは生きている」
「え?」
オーフィスは失敗したと言っているのに一誠たちは生きている。そうなると失敗の示す意味が分からなくなる。
「なら失敗したとはどういう意味なんだ?」
アザゼルが皆を代表してオーフィスに問う。
「我、かなり消耗している。一気に決めてドライグたちを元に戻したかった。でも、無理だった。ドライグ、ベル、ルイの力は硬い」
「あー、つまり息切れする前に倒したかったが、ダメだったってことか」
アザゼルが要約するが、内容としてはかなり深刻である。オーフィスの参戦は有り難いが、そのオーフィスが全力を出しても一誠を元に戻す程のダメージを与えられなかった。この場合、一誠が頑丈であることもそうだが、オーフィスの消耗も激しいということである。
「お前がそこまで消耗するか……サマエルの奴はどうした?」
オーフィスは今の今まで『神の毒』と呼ばれるサマエルと戦っていた。皆が戦いに巻き込まれないように隔離した異空間で戦っていたが、オーフィスが帰還したということは彼女は勝ったのだろう。
オーフィスの暴れっぷりに気付けなかったが、元々かなり際どい感じのゴスロリ風の衣装はかなり悲惨な状態になっている。ひらひらした布が体に張り付いているに等しい。
「サマエル、ここ」
オーフィスは自分の首を指差す。首には黒いチョーカーが巻かれているだけで──
「ん? うおおおおおおっ!?」
──指差した部分を凝視していたアザゼルが悲鳴染みた声を上げる。
黒いチョーカーと思われたもの、それは体を小さくしてオーフィスの首に巻き付いているサマエルであった。
「ど、どういうことだ!?」
『無限の龍神』と『神の毒』が一緒にいる、というか一緒になっていること自体前代未聞。どうしてそうなったのかアザゼルの頭でも全く分からず、オーフィスに訊く。
「今のサマエル、危険じゃない。サマエル、我と契約した」
オーフィスは簡単ながらに説明する。
隔離空間内で熾烈な戦いを繰り広げていた両者。弱体化しても二天龍よりも二回り程強いと言ったオーフィスでもサマエルには苦戦を強いられた。対ドラゴンに特化したサマエルの毒は龍神であるオーフィスでも危険であり、なるべく接近しないようにした結果戦い方を大分制限された。
サマエルの方も我を失っている状態では戦闘技術など皆無であり、専ら毒をまき散らすという単純な戦闘しか行わなかった。ただ、それでもドラゴンならば何千、何万と屠れる毒を撒いており、相手がオーフィスでなければとっくに決着は付いていた。
攻め手に欠けながらも時折、オーフィスは良い一撃をサマエルに当て、それに激昂してサマエルが暴れ狂い、そこで大きな隙が出来るとまたオーフィスが良い一撃を与えるという戦いが繰り返されていた。
何度も何度もオーフィスの強烈な一撃を受け続けると、サマエルも段々と冷静になっていき最終的にはオーフィスと言葉を交わせるぐらいには大人しくなった。
そこでサマエルはオーフィスの口から神が死んだことを告げられた。
自分を忌み嫌い、悪意によって呪いを与えた聖書の神。途方もない時間をコキュートスの深奥で過ごし、正気すら失ってしまったサマエル。その果てに待っていたのは神の死。
これを聞いた瞬間、サマエルの心の中は全て空になった。あらゆる感情は失せ、代わりに虚無によって満たされる。
その時からサマエルはオーフィスとの戦闘を完全放棄。一切のやる気を失い、その場で死んだように横たわる。
見かねたオーフィスがサマエルにこれからどうするのか尋ねた。
サマエルは最早この世の全てに興味はなく不干渉する、とオーフィスに返した。
もう一度コキュートスに封印されるのかと訊いたが、サマエルはそれを拒否する。封印されることも呪うこともドラゴンを殺すことも全て拒否。何一つやるものか、と無気力そうに言う。
この先サマエルは如何なる勢力にも味方をしない。また敵対もしない。完全な傍観者という立場を貫く。それこそ世界滅亡の危機が目の前で起こっていても無視するぐらいに徹底的に。
ただ、この世界に於いてサマエルは異端。全ての勢力が全力で封印しに来てもおかしくない。それを面倒だと思ったサマエル。だが、解決方法はすぐ目の前にあった。
サマエルは即座にオーフィスと契約を交わした。契約はオーフィスの庇護に入るというもの。オーフィスならば如何なる勢力であっても簡単には手出し出来ない。代償としてサマエルが払うのは、オーフィスがいつの日か次元の狭間に帰る際にグレートレッドを倒す協力をすること。オーフィスは二つ返事で了承した。サマエルの毒と呪いならグレートレッドにも通じる、オーフィスは実体験でそれを確信した。
こうしてサマエルはオーフィスと協力関係になった。体を縮めてオーフィスの装飾の一部となりいずれ来るその日まで非協力を貫く。
オーフィスの説明を聞き終えた皆は全員沈黙する。
(これ……滅茶苦茶やばくねぇか?)
アザゼルは冷や汗を垂らしていた。この世で唯一無敵の存在に通じる力を持つ者がその無敵の存在と協力関係を結ぶ。神ですら手を出せない不可侵の存在が誕生してしまったかもしれない。
「すまん……少しいいか?」
サイラオーグが何か言いたそうにしている。ただ、若干気まずそうにしており、彼には口ごもっている。
「どうしたの?」
「彼女の名はオーフィスと言っていたが……『禍の団』の首領のオーフィスなのか?」
サイラオーグの質問に全員少しの間沈黙した。
『あっ!』
という声を上げそうになるのをリアスたちは堪えた。一緒に戦っていたせいで気付かなかったが、サイラオーグはオーフィスのことを知らない。勢力間の混乱になるのを恐れて外部に情報が洩れないようにしていたので仕方がないことだが。
リアスたちが普通にオーフィスと、しかも少し親しそうに喋っている。事情を知らないサイラオーグからすれば不意打ち過ぎる新情報である。
「うん、我、オーフィス」
何とか誤魔化そうと思ったが、それよりも先にオーフィス自身が認めてしまった。尤も、少女の姿から発せられる桁違いの力に誤魔化すことなど最初から無理だっただろう。
「……そうか。お初にお目にかかる」
サイラオーグは冷静にそれを受け止め、判断を下す。
「面倒な話は後だ」
このサイラオーグの一言に誰もがサイラオーグを大人だと感じた。
サイラオーグの発言で気付かされたが、オーフィスの事情を知らない者は他にも居る。リアスたちはさり気なくデュリオの方を見る。
デュリオは明後日の方向を見ながら両耳を押さえていた。何も見ていないし、聞いてもいないとアピールしている。
実は風を操って先程の会話を聞いてしまっていたが、デュリオ一人で処理するには重過ぎる内容だったので、取り敢えずタイミングも悪いので無かったことにする。
思わぬ不発弾が爆発しそうになったが、状況を見て後回しにしてくれたので面倒事は避けられた。裏を返せば全てが済んだらちゃんと説明しないといけないので、アザゼルとリアスはその事に思い至って胃が重くなったが、それよりも一誠救出が優先なので一先ず忘れることにした。
「──話を戻すぞ。オーフィスがイッセーに大きくダメージを与えたが、それでもまだ戻っていねぇ、鎧も健在だ。あれ以上の攻撃となると……オーフィス、出来るか?」
「難しい。我、曹操たちに力を奪われた上に、サマエルと戦って消耗した。さっき以上の攻撃となると、かなり休みが必要」
現状、オーフィスが出せる全力は最初の攻撃程。曹操たちに嵌められて力を半分以上奪われた上にその状態でサマエルと戦った後でも『覇龍』以上の力を持っているのは流石の一言だが、それでも弱体化が目立つ。『無限の龍神』と呼ばれた彼女は無限に等しい力に底を付けられたのが現在のオーフィスであり、彼女は初めてスタミナ切れを経験している。
スタミナの回復速度は脅威的だが、消耗はそれ以上である。攻撃する度にインターバルが必要となった。
「それに、赤龍帝とドライグに、我のさっきの攻撃、たぶん通じなくなっている」
「……どうしてだ?」
オーフィスから急に齎された不穏な情報。これ以上状況が悪化するというのだろうか。
皆が見ている前でオーフィスは小さな手を見せる。手の甲の部分、そこから血が流れ出ていた。
「赤龍帝とドライグ、我の血を取り込んだ」
「オーフィスの力まで吸収したっていうのかよ……!」
オーフィスが攻撃した際に生じた小さな傷。そこから流れ出た僅かな血を一誠は見逃さず、攻撃を受ける際にその血を奪っていた。
量としては極めて少量だが、龍神の力と結び付くことでドライグの力は更に活性化をする。しかも一誠たちには『赤龍帝の贈り物』という対象に倍加を譲渡させる能力を持っている。それを使い、オーフィスの力を倍加させたとしたら。
オーフィスに地中深くまで埋め込まれた一誠が今も静かなのは何故か。オーフィスの血を取り込んで順応している最中だとしたら。ただでさえ救う手立てどころか倒す目途も立たない一誠が更に凶悪になる。
最悪というのはどうしてこうも重なるものなのか。アザゼルは既に死んでいる神に恨み言を吐きたくなる。
その時、世界そのものが震えているような揺れが起こる。下から突き上げて来るような揺れは、まるで鼓動のようであった。
何人か立っていられなくなり、体勢を低くする。その間にも揺れは激しさを増していく。
全員立っているのも困難になり、空へ逃げようかと思い始めた時、今まであった揺れが不自然な程あっさりと治まる。
激しい地震があったのが嘘のような静寂。それが却って不気味であった。
「……来る」
オーフィスのみが予兆を感じ取り、全員に警告する。
「何処からだ!?」
「ここ」
オーフィスが足元を指差した時、全員反応するよりも先にその場から急いで離れる。直後、地面が爆発するように突き破られ、一誠が飛び出した。
繭のように覆っていた翅を広げる。オーフィスの力まで取り込んだせいか鎧の色がますます黒に近くなっている。そして、新たに鎧に浮かび上がる黒蛇のような紋様。それは生物のように鎧の上を移動していた。
無感情な目で誰から狙うか選んでいた一誠の頭上に、聖魔剣が大量に発生する。
木場による迅速な対応。無防備な一誠の頭に聖魔剣が降り注ぐ。
一誠はただ手を払った。それだけで手から広範囲に魔力を含んだ突風が発生し、聖魔剣の軌道を狂わせ全て一誠から逸れていってしまう。
続いてゼノヴィアがエクス・デュランダルを振るう。聖なる気による長大な刃が一誠に迫るが、一誠は掌でそれを軽々と受け止めてしまった。
そこに朱乃が雷光を落とす。私心を押し殺した手加減無しの聖なる雷が一誠の体を貫いた。しかし、朱乃の雷光を浴びせられても一誠は平然としている。
悪魔の弱点である光の力や聖なる気そのものの刃を掴んでも一誠は苦しむ様子もない。数少ない弱点に対して耐性が出来ている。
一誠はゼノヴィアが見ている前で聖なる気の刃を握り潰す。当然ながら一誠の掌に傷一つ付いていない。
「兵藤一誠!」
サイラオーグが名を呼び、突っ込んで行く。呼び掛け、注意を誘う狙いは成功し、一誠の視線はサイラオーグに集中する。
闘気を宿したサイラオーグの拳が一誠の顔目掛けて突き出される。決まった、と思われた瞬間、手を打ち鳴らしたような軽い音がなった。
打ち砕く筈であったサイラオーグの拳は、一誠の掌によって軽々と受けられている。しかもあれだけ満ちていた闘気が嘘のように消えていた。
サイラオーグ自身もその異常に気付いていた。命中する直前まであった闘気が、一誠に触れられると同時に消失した。まるで吸収されたかのように。
なら、吸収された闘気は今何処にあるのか。
サイラオーグの全身に悪寒が走る。いつの間にか腹部に押し当てられている一誠の二本の指。
サイラオーグは頭の中の警鐘に従い、身を捩って指先から逃れようとする。その瞬間、一誠の指先が白い火を噴く。
「っ!?」
サイラオーグの脇腹を抉り、大量に出血させる。
一誠の指先から放たれたのは紛れもなく闘気。貰ったサイラオーグがそう感じたので間違いない。危険を感じて咄嗟に動いたサイラオーグ。怪我を負ってしまったが、何もしなかったら胴体に穴が空いていた。
どうして一誠が闘気を使えるのか。サイラオーグの頭に恐ろしい答えが浮かぶ。
先程消失したサイラオーグの闘気。一誠はそれを吸収してサイラオーグに返したのだとしたら。
ヴァーリから奪った半減の力。未完成であったその能力をオーフィスの血を取り込んだことで完成させ、相手の力を奪って返す力に強化された可能性がある。
サイラオーグは大きく負傷しながらも踏み止まった。しかし、これはあまり正しい選択とはいえない。サイラオーグが立っているのなら一誠は追撃をする。
誰もがそう思ったが、すぐに追撃は起きなかった。
先程闘気を返した腕。鎧の隙間から白煙が上がっている。脅威に見えた吸収からのカウンター攻撃は未完成の攻撃であった様子。サイラオーグの闘気を吸収して返すことが出来た闘気はサイラオーグの脇腹を抉る程度。全て返していたら今頃サイラオーグの上半身と下半身は別れていた。
返し切れなかった分の闘気が一誠の腕の中で暴発し、一誠の腕を負傷させていた。だが、傷はすぐに治ってしまうだろう。
リアスは動けないサイラオーグを助ける為に一誠へ紅の魔力弾を放つ。避けて距離が空けることを願っての攻撃であった。
一誠は一番の脅威と認識したサイラオーグを凝視したままリアスの魔力弾の射線上に自分の魔力を発生させる。魔力同士が衝突し、呆気無く相殺してしまったことでリアスの目論見は外れてしまう。
誰もが必死になって一誠を救う為に手を伸ばす。だが、どれだけ手を伸ばしても一誠は遠くへ行ってしまう。
最早、救う為の手では彼に届かなくなっている。なら、どうすれば触れることが出来るのか。
負傷して動けないサイラオーグにとどめを刺すつもりなのか五指を向ける一誠。危ない、という言葉よりも先に一誠とサイラオーグの前に立ち塞がる白い影。
ヴァーリが瞬間移動したかのように間に割って入る。だが、現れたのはヴァーリだけではない。
ヴァーリの肩に置かれた手。手に力が込められる別の影がヴァーリの頭上を超える。
シンもまたヴァーリと一緒に移動してきていた。
高く跳び上がったシンは、そのまま一誠の脳天へ拳を叩き込む。
剛柔備わった兜を突き抜けていく衝撃が脳を揺さぶる。まだ生物としての部分が残っている一誠は意識が消失し掛け、前のめりになる。
それを迎えるのはヴァーリの爪先。こうなることが分かっていたかのように正確な位置、そして最も威力が乗るタイミングで蹴りを出していた。
一誠の顎下にヴァーリの爪先がめり込み、後頭部が背中に叩き付ける勢いで蹴り上げる。一瞬ではあるが首が明らかに可動域を超え、曲がってはいけない段階まで曲がっていた。
蹴りを放った直後、ヴァーリは蹴りのキレが増していることが分かった。シンが『力を貸してやる』と言い、ヴァーリに触れてから力が増している気がする。
仰け反り、視界が真上を向いている状態の一誠。無防備になった胴体に追撃をするシン。跳び上がった後にすぐに駆け出し、勢いを殺さないまま両足を地面から離し、地面と水平のままミサイルのよう速度で両足で蹴る。
俗に言うドロップキックという形だが、シンの場合はただのドロップキックでは終わらせない。
両足を通じて一誠に流されるシンの魔力。最初に使用した際は地面の上で行ったが、一誠を地面に見立てて応用する。
流し込まれた魔力はやがて内側から鎧を圧迫し、一誠の鎧に亀裂が生じてそこから流し込まれた魔力の光が漏れ出す。
だが、一誠もされるがままではなくシンの両足を掴む。人外の握力で握り潰されるシンの足。何もしなければこのまま両足が千切れる。しかし、シンは構うことなく魔力を流し続ける。足が千切れたらその断面からでも魔力を打ち込む覚悟であった。
「焦るなよ」
そうなる前にヴァーリが一誠に高速の拳打を打ち込む。ピンポイントで一誠の指も狙っており、殴られたことで一誠の指が折れ曲がり、シンの足から指が剥がれる。
一誠の手がシンから離れたことを確認するとヴァーリはギアを上げ、更なる連打でシンを押し込む。
ヴァーリは自分の力と速度が増していることを再確認する。そして、同時に別のことも確認出来た。
ヴァーリは蹴りを放とうとする。一誠もそれに気付いて防御しようとしているが、防御に移るまでの反応が鈍い。構えるよりも先にヴァーリの蹴りが一誠の胴体に打ち込まれて、一誠の体がくの字に曲がる。
ヴァーリ自身が強化されているのもあるが、一誠もまた反応が鈍くなり、防御も柔くなっている。強化と弱体化で両者の間にかなりの差が生じていた。
(これも間薙シンの仕業かな? 戦いだけじゃなく、こういった器用なことも出来るなんてね)
限定的ながらも一誠の倍加や自分の半減と似たようなことが出来る上に治癒まで出来る。見た目に反して補助まで出来る器用さにシンへの評価が更に上がる。
とはいえ一誠の方も自身が弱体化されていることに気付いたのか、自身の能力で弱体化させた分を補う。
『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』
連続して発動する倍加。これにより弱体化は解消されたかと思われたが──
「させると思うかい?」
『Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide!』
強化した分をヴァーリが片っ端から半減、吸収により打ち消していく。これにより一誠の弱体化は維持され続ける。
体が折れ曲がっている一誠の顎にヴァーリの膝が突き刺さる。同時に肘も振り下ろされており、顎と脳天を挟み込まれ二重の衝撃が一誠の頭部で炸裂する。
最初はヴァーリの猛攻に歓声を上げそうになっていたリアスたちであったが、ヴァーリの容赦の無い攻めに徐々に不安を覚える。その前のシンの攻撃もそうであったが、手加減無しでは戦えない相手なのはリアスたちも分かっているが、ヴァーリとシンの攻撃はリアスたちとは何処か質の違いを感じてしまう。
一撃一撃に殺意が込められて過ぎている。そうなると心の中で思ってしまう。『彼らは本当にイッセーを救う気があるのか?』と。
リアスたちの不安とは裏腹にシンたちも救う気はあった。ただ、本気で殺すつもりで戦わなければそこに手すら届かないと思っているからだ。
だからこそ本気で戦う。その過程でもし一誠を殺してしまったとしても、その全てを背負うつもりであった。
皮肉なことに救う気で戦うよりも殺す気で戦う方が最も一誠を助ける可能性が高い。
後ろに下がろうとする一誠。その動きが見えていたので、ヴァーリは一誠の足を踵で潰し、下がれないようにする。
後退を中断され、ガクンと引っ張られたように止まる一誠に、そうなることが予め分かっていたシンが飛び込みながら顔面を拳で打ち抜く。
複眼となっている目の辺りに拳が命中し、破砕音ではなく膨れ上がったものが潰れるような破裂音が鳴った。
シンの一撃で兜の片目が破損する。包皮が破れたように捲れ上がった片目痕。その下から覗かせるのは生身の一誠の目。
あれ程苛烈で荒々しく、獣のように暴れ回っていた一誠。しかし、兜の下の目は死んでいた。光も無い虚ろな眼差しで何処を向いているのか、見えているのか分からない漆黒。
兵藤一誠の活気と生命に満ち溢れている目の輝きを知っている者たちはその落差に息を呑む。
「──嫌な目だな」
傀儡にさせられた友人を憐れみながらもシンの握る拳は緩まない。寧ろ、見てしまったからこそより強く握られる。
「同感だ」
ヴァーリもシンに同意し、鳩尾に渾身の横蹴りを入れる。逃げ場のない状態でのヴァーリの蹴りの直撃。一誠の口から血反吐がまき散らされる。
内臓にも大きなダメージが入り、このまま追い詰めようとした時、一誠の翅から黒い鱗粉のようなものが放たれる。
飛んで来たそれをシンは反射的に手で払ってしまう。黒い鱗粉は払い除けられずにシンの腕に張り付き、シンの腕の皮膚が黒い鱗粉に喰われ、肉が剝き出しになる。
黒い鱗粉はヴァーリにも飛んで行き、ヴァーリの鎧に付着。硬い鎧もまた黒い鱗粉が付着した箇所から崩れ出す。
シンとヴァーリはこれ以上の追撃は逆に深手を負うと判断して退く。
シンは血だらけになっている腕に纏わりつく鱗粉を凝視する。注意深く観察すると黒い鱗粉が蠢いているのが分かる。
黒い鱗粉と思われたものは鱗粉ではなかった。コバエよりも更に小さい異形のドラゴン。目は蝿の複眼、ドラゴンの翼、手足は計六本、長く伸びた口の先から牙が飛び出している。蝿とドラゴンを掛け合わせた見た目をしており、それらが大量にシンの腕に纏わりつき、その牙で血肉を削り取っている。ヴァーリの鎧もまた同様のことが起こっていた。
シンは無事な手に炎を灯し、異形のドラゴンたちに被せる。幸い、小さ過ぎるせいで耐久力は皆無に等しくあっさりと焼き尽くされる。ヴァーリの方も鎧からオーラを噴出させると全部消し飛ばしてしまった。
次から次へと手札の尽きない一誠に疲労感を覚える。戦いの中でどんどん新しい能力を開花させているような気がしてきた。
こちらが持てる手札、手段を全て使い切るつもりで戦っているのに、相手はそれに対処するように新たな手札と手段を見せて来る。どれだけ差を縮めようとしても縮まらない。
それでも全員諦めることなく挑み続けようとした時──シンは突如として発生したとてつもなく恐ろしい気配に一誠から目を離してそちらの方を見てしまう。
一誠を前にしてシンが全く別のものに過剰な反応を示し、他の者たちもまた釣られるように視線を同じ方向へ向ける。
次の瞬間、業火の柱が視線の先で起こった。しかも、そこはライザーを治療していた場所。アーシアたちもその火柱に巻き込まれているかもしれないと思い、リアスたちは絶句する。
しかし、火柱は突然消えた。火柱を裂くようにして左右に広げられる翼のような炎。
一体何が起こっているのか理解する前にソレはいきなり出現した。
風も音も置き去りにし、過程すらもすっ飛ばし、突然としか表現出来ない。
気付いた時にはウィリー走行していたバイクが、前輪を一誠の顔面に叩き付け、地面に押し倒していたのだ。
「随分と無様な姿だな! ドライグよぉ!」
最初の言葉は怒声であった。
黒いライダースーツ。たなびく赤いスカーフ。レザーのグローブにブーツを付けており、唯一露出しているのは頭部のみ。その頭部は白く磨き上げられた頭蓋骨。
白骨のバイカーは前輪と後輪が炎で出来たアメリカンバイクに跨り、前輪で圧し潰している一誠を恫喝している。
そのバイカーの名を全員知っていた。炎の輪郭しかなく知性も意識も無い力だけの存在の筈であったが、今はそのどちらも感じられる。
しかし、どうして完全復活を果たしたのか誰にも理解出来ない。そもそも今の状況にも理解は追い付いてない。
「だが見えるぞ! お前たちの中で燻る怒りが!」
白骨のバイカーはアクセルを回す。エキゾーストノートが鳴ると同時にその背中から炎が翼のように広がった。
「おい! 待──」
アザゼルが止めようとするが止まらない。止めることも出来ない。怒れる魔人ヘルズエンジェルの怒りとスピードを何人も止めることは不可能。
一誠を地面に押し付けたままヘルズエンジェルはバイクを発進。一瞬にして遥か彼方まで走る。
ガガガガ、と一誠の体が地面を抉っていくが、ヘルズエンジェルのバイクのスピードは一切変わらない。
「俺が! お前たちの怒りを! 抉り出してやる!」
ヘルズエンジェルの前方に黒い穴が出現。その中に一誠を押し込んでヘルズエンジェルもまた穴の中に入っていく。二人が入ると穴は消えてしまった。
誰もが一誠を救う為に力を振り絞っていた。想いを押し殺していたり、我が身を顧みずに戦ったり、練習中の技を使って本来なら敵である相手をサポートしながら。
そんな想いや積み重ねを全て置き去りにし、こちらの事情など知ったことかと、遅いのが悪いと言わんばかりに誰よりも速く行ってしまった。
『……』
あまりに急な展開に暫くの間、誰も口を開くことは出来なかった。
今回の話で完全復活となります。