孤独な闇の中で外部から齎された刺激に一誠の閉ざされていた瞼が上がる。底も果ても光も色も無い空間にぼんやりとだが遠くに灯火が見える。
(何だ……? 明るい……?)
はっきりとしない意識のまま一誠は無意識に灯火に向かって手を伸ばそうとした。伸ばした手は指先から黒い粒子のようなものとなって崩れており、崩れた指であったものは周囲の闇の中へ溶けて込んでいく。
闇の中で徐々に失われていく自我。一誠の魂である今の姿に如実に現れている。しかし、一誠は自分の身に起こっていることに恐れを感じていない。それを感じられなくなる程に意識が鈍くなっている──筈であった。
「あつっ!?」
小さく火の灯りに伸ばした手を勢い良く引っ込める。遠く、届かない場所にあるように見えたのに手を近付けた途端に炙られたような熱を感じた。
怨念の闇の中で久々に発した声。熱は痛みという刺激であり、強い刺激ははっきりとしていなかった一誠の意識を呼び起こす。尤も、長時間眠っていたようなものだったので、脳を直接殴られたような強烈な起こし方であった。
「あ、ぐぅ……!」
堰き止められていたものが脳から全身に送り込まれる。刺激が強過ぎたせいで濁流のように激しい。両目が押し出されそうな、鼓膜が内側から突き破られそうな、全身に針を突き立てられたような苛烈な覚醒。
失ったものを急に取り戻したせいで一誠そのものが混乱するが、そんな中でも気になることがあった。
遠くに見える灯火。強烈な熱さを持つが同時に何か音を発している。その音に耳を傾けた瞬間、暴力を通し越して殺意に満ちた大音量が聴覚の中に強引に入り込んできた。
「う、うるせぇ……!」
滅茶苦茶な声量。しかも何か怒っている。怒鳴り声過ぎて何を言っているのか聞き取れない。
思わず両手で耳を押さえる。いつの間にか指先の崩壊が止まっている。段々と自我を取り戻してきたので自我の崩壊が収まったのだ。
「あれ……?」
意識が鮮明になっていくと自分の置かれている状況に疑問を抱く。どうしてこんなことになっているのか。
(思い出せない……?)
前後の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。激しい戦いを行い、戦いに勝ったと思ったのだが、その後に何があったのか記憶にない。
そんなことを考えていると闇の中から顔が浮かび上がってくる。
『ニクイ……ニクイゾ……! 赤龍──』
「うおっ!?」
突然現れたシャルバの怨念。ホラー映画のようなシチュエーションに一誠は堪らず拳を突き出し、シャルバの顔面を殴り飛ばす。
◇
額を打ち付け、真っ向から睨みつけていたヘルズエンジェルであったが、突然出された拳により胸を突かれる。
再生途中であったヘルズエンジェルはバイクごと後方へ飛んだ。ヘルズエンジェルは胸部には拳の形をした凹みが出来るもそれを気に留めず、空中でバイクのバランスを保ち、地面へ落下。二、三度跳ねたものの転倒することなく着地した。
「──ちっ。らしくない台詞を吐いて損をした」
ライザーの想いを代弁させられたヘルズエンジェルは、変わらない一誠の様子に舌打ちをする。
ヘルズエンジェル自身は言葉や想いでそう簡単に状況は変わると思っていなかったので殴られ損しか感じていない。
徒労はそのままヘルズエンジェルの怒りに転じ、怒りが再生を加速させる。ロンギヌススマッシャーを真っ向から受けたことによって生じた傷は、今の怒りで完全に治る。
契約とはいえ思ったように戦えないこと。救うことを目的としているがその手応えがないことにヘルズエンジェルの怒りが加速度的に募っていく。
嘗ての彼ならば躊躇うことなく一誠を殺しにかかっていたが、ライザーとの契約と彼の炎を貰ったことはヘルズエンジェルの想像以上に強いブレーキとなっており、頭にその考えが過っても体がそれに従おうとはしない。
救うという建前で、死を救いの手段として一誠を殺すという抜け道も無いことは無いが、それはヘルズエンジェルが反吐が出る程嫌う坊主の考え方なので絶対にしない。
窮屈な縛りが、晴らすことの出来ない怒りを湧き上がらせていく。吐き出し切れない怒りがヘルズエンジェルを内側から焼く。
現状は一誠が元に戻ることを期待してひたすら攻撃し、攻撃されるのを耐えるしかない。しかし、それもいつまで持つか分からない。着実に一誠は消耗、というよりも消費させられている。
現にヘルズエンジェルが破壊したロンギヌススマッシャーの発射口は未だに修復されていない。重要な器官の為に再生に時間はかかるかもしれないが、それでも今までの修復速度を考えると遅い、というよりも再生していないように見える。
これは一誠の消費の具合が露わになったものと思われる。
消費が限界に達すれば一誠は死ぬ。そうなった時点でヘルズエンジェルは一誠と戦う理由はなくなる。一誠が死んだ後、『覇龍』がどうなるかは不明。通常は死亡と同時に解除されるが、今回の場合シャルバの怨念やマザーハーロットの術が絡んでおり前例がない。下手をすれば中身が死んだままひたすら暴れ続ける可能性も考えられる。
とはいえ、そうなった所でヘルズエンジェルの干渉することではない。一誠が死亡した時点で約束は果たしたことになるので、ヘルズエンジェルはこの場から離脱するつもりである。頭の中でライザーの意思の断片が喚くが、主導権はヘルズエンジェルにあるので決定事項である。
一誠があとどれくらい持つのかと考えながらヘルズエンジェルは一誠に視線を向け、そして違和感を覚えさせた。
(ん?)
これまでの一誠は前傾姿勢で四足歩行かと思うぐらい両手を地面に近付けていた。しかし、今の一誠は姿勢を真っ直ぐに伸ばしている。獣のような体勢から人間らしい体勢に変えている。
よく見れば目も違っている。昆虫の複眼のような形状だった筈だが、宝玉のような緑の目になっている──正確に言えば戻っていた
もしや、とヘルズエンジェルは思った。今まで行って来たことは無駄ではなかったのかもしれない。やっと可能性が見えてきたかもしれない。
だが、ヘルズエンジェルは安易に期待しない。彼は世が理不尽なことを知っている。救いを求めるものに救いの手は差し伸べられず、無念の怒りを抱いた者はそれを晴らすことなく無念の怒りを抱いたまま死に、飢える者はパンの一欠けらも口にすることなく飢え死にする。奇跡を求める者に起こるべき奇跡は起きず、どうでもいいような者に奇跡が起こることなどざら。
ただのまやかしならばここで消し飛ばす。ヘルズエンジェルはそのつもりでバイクを急発進させる。
高速で接近するヘルズエンジェルにタイミングを合わせて一誠は拳を突き出そうとする。しかし、突き出そうとしていた拳は放たれる前に止まる。ヘルズエンジェルが突如見当たらなくなった。
次の瞬間、一誠が宙に舞った。
空中に飛んだ一誠の下を通過するヘルズエンジェル。バイクの車体を地面スレスレまで傾けたことで一誠の視線の下に潜り込む。これを高速で行ったので一誠はヘルズエンジェルを見失った。車体を傾けたまま地面を滑走し、スライディングの要領で両脛を撥ね飛ばした。
ヘルズエンジェルは一誠を打ち上げたすぐ後に車体を元に戻しながら急停止。前輪のみブレーキを掛けたので後輪が持ち上がる。そのタイミングで一誠が落下してきており、ヘルズエンジェルはハンドルを操作し、後輪で一誠を殴り飛ばそうとした。
すると、一誠は体の各部にある噴射孔からオーラを放出。更に翅を広げることで空気抵抗も生み出す。それにより一誠の落下が一瞬止まる。そのせいでヘルズエンジェルはタイミングをずらされ、後輪を空振りさせてしまった。
「ぬぅ!」
ヘルズエンジェルは唸る。今まで力を振り回し、また振り回されていた一誠の戦い方に知性や理性が宿りつつある。そのせいでこれまでの戦い方の齟齬が生まれ、トリッキーな動きになる。
ヘルズエンジェルは空振りした後輪の勢いを殺さず、振り回すことで一回転させ今度は前輪で落下してきた一誠を打とうとする。
すると、一誠は背中の翅を羽ばたかせ、今度は逆に落下の勢いを加速させた。地べたに顔面から突っ込むという少々無様な着地をするが、地面にうつ伏せになったことで一回転してきたヘルズエンジェルの前輪も回避する。
そして、うつ伏せ状態から地面を両手で突き、反動を利用して後方へ両足を出す。
ヘルズエンジェルはバイクの下部にミサイルのように飛んで来た一誠の両足蹴りが命中した。
「くっ!」
反撃を受けてしまったヘルズエンジェルのバイクが蹴り飛ばされる。空中を飛んで行くが、後輪が火の粉を撒き散らしながら高速回転をして空中でブレーキをかけ、本来ならば数十メートルは飛んでもおかしくない勢いを十メートル以内に収める。
一誠の蹴りの威力を殺したヘルズエンジェルは着地。鋭い眼光を一誠に向ける。
(正気に戻りつつあるのか? それとも今の力に適応でもしたのか?)
一誠の挙動にヘルズエンジェルは警戒を強めた。
すると、警戒を向けていた一誠が意外な行動をする。
ヘルズエンジェルに跳ねられた両脛。威力を物語るように脛部分の装甲は罅が入っている。一誠はその部分を擦り出す。
「……痛がっているのか?」
生物としては当たり前の行動かもしれないが、今まで痛みや損傷など関係無しに暴れ狂っていた一誠がやると話が変わってくる。
失われたものが段々と戻り始めている。それは先の見えない戦いに於いてようやく見出せた光明であった。
◇
囚われの世界の中で一誠は足掻いていた。
「この!」
纏わりつき、引きずり込もうとしてくるシャルバの怨念を振り払いつつ、何故か急に襲い掛かって来た灯火にも対処していた。
灯火──凄まじい速度で動くそれは最早火の玉だが、直線的な動きのようでこちらの動きに合わせて攻撃をしてくるので遠ざけるだけでも精一杯である。
「一体どうなってんだ、全く……!」
理解や把握する前に周りが襲ってくるので考える暇もない。尤も、一誠は自分がバカだと認識しているので考えている時間があっても多分理解出来ないだろう、と自覚もしていた。
シャルバの怨念が怨嗟の声を上げながら一誠の手足に絡まる。
「鬱陶しいなぁ!」
火の玉の相手の方が大変な一誠は、八つ当たり気味にシャルバの怨念を振り解く。この時点で一誠の暴走は徐々に解けつつあり、現実世界でもそれが反映して一誠らしい戦い方が行えつつある。しかし、『覇龍』の鎧に張り付くシャルバの血を媒体とした呪いのせいで一誠は自分の主導権を奪い返すことが出来ず、まだ敵も味方も分からない状態で戦わされている。
「いてて……」
火の玉によって傷付けられた脛を擦る。角でぶつける比ではない痛みで涙が出そうになる。かなり尾を引く痛みだが、戦いの最中なのでアドレナリンが大量に出ていることもあってこの程度で済んだのかもしれない。
脛を強打された恨みも込めて火の玉を攻撃し続ける一誠。しかし、火の玉の動きは素早く、中々攻撃が当たらない。
「くそぉ! すばしっこい!」
『無理に当てようとすると避けられるよ』
「うおっ! 誰だ!?」
耳元で囁かれる言葉に一誠は驚くが、周りを見ても誰もいない。
『静かに。僕は遠くから君に声を送っているんだ。探しても見つからないよ』
声の主は一誠を宥める。その声は耳当たりが良く、知らない相手なのに不思議と声に従ってしまう。
『本当ならただ観察するだけだったけど、君が思いもよらない抵抗を見せてくれた。それは僕たちにとって興味深い。その翅の縁で君に手を貸してあげよう』
「本当に誰だよ!?」
全く知らない人物から手を貸すと言われても恐怖でしかない。素性を明かさないせいで余計に怪しさが増す。
「知らない相手に手を貸してもらっても……」
『君が知らなくとも僕らは君のことを前から知っている』
「えっ!? ス、ストーカー……?」
一方的に知られていることに怖気を感じ、声だけの存在を怖れる。
『安心してくれ。君からはそういった魅力は全く感じない。僕たちが興味を持っているのは別の部分さ』
「そういった魅力ってどういった魅力だよ!」
男としての魅力を否定されてしまったことに抗議をするが、相手は一誠の慟哭など気にせずに話を進める。
『もう一度言うが静かに。彼女に気付かれてしまう』
「彼女って誰!?」
大事なことをぼかすせいでさっきから疑問しか生じない。
「誰か分からないけど、こいつのことは良いのかよ!?」
一誠はそう言い、周りでうろついているシャルバの怨念を追い払う。
『ああ、
シャルバに対して微塵も興味もない声。その声を聞いた瞬間、一誠は何故か分からないが全身の鳥肌が立った。際立った感情の無く、圧も無い平坦な声だった筈なのに酷く恐ろしく思えた。
『そんなことよりも君が気にすべきなのは目の前の相手じゃないのかい?』
声の相手が指しているのは火の玉。相変わらず肌を刺すような熱を放っている。
「分かっているけど……素早くて強いぞ? あいつは」
『だろうね。けど、彼は復活したばかりだ。それに新しい力をまだ制御出来ていない。戸惑いすら覚えている。狙うならそこさ』
声からの助言。弱点はあるらしいが、一誠はそこを突けるのか半信半疑である。
『疑うなら良い一撃を彼に与えよう。そうすれば変化が見える筈だ』
「変化?」
どういう意味なのか考える前に火の玉がこちらへ向かって突っ込んで来る。
『避けるよ』
「避けるって、うおっ!」
一誠は驚く。体がまるで思考と直結したかのようにスムーズに、それでいて反射と行動が引っ付いてしまったのかと思ってしまうぐらいに誤差なく動く。
『反撃だ』
結果、とても速かった筈の火の玉の突進を簡単に躱せた上に反撃で火の玉の一部を抉る。
「あちちちちっ!」
触れたのは一瞬だったが、高熱が腕に残る。急いで振って冷ますがヒリヒリとした痛みが残った。
『上出来だね』
「何か……気持ち悪いぐらいにスムーズに動いたぞ?」
『僕たちの力が今の君には混じっているから、その影響を受けたせいだ』
「混じっている? どういう──」
『さあ、あれを良く見てごらん』
質問を受け付けられず、言われるがまま火の玉の様子を見る。
「あっ」
火の玉の欠けた部分が治ると明らかに火の勢いが弱まった。これが声の言っていた弱点。
『後は君の発想力に任せるとしよう』
「ここで丸投げかよ!?」
『大丈夫。君の経験の中に必ず答えはある』
信じていると言えば聞こえが良いが、どことなく一誠を試しているような雰囲気がある。声はそれっきり沈黙してしまい、呼び掛けても返事は無いのでやるしかなかった。
(考えろー! 考えろ考えろ!)
何をすべきか思考する一誠。答えは経験の中にあるとヒントのようなことを言っていたが、今までの戦いを思い返してもヒントとなるようなものなど──
「──あっ」
──一つ閃いたことがある。投げっぱなしの声の主に文句を言うのはそれが失敗してからでも遅くはない。
◇
ヘルズエンジェルが一誠の変化に気付いたようにシンとヴァーリもまた一誠の変化に気付いていた。
「動きが良くなっている?」
獣染みた動きをし、能力を無茶苦茶に使用してきて苦戦を強いられていたが、ヘルズエンジェルの頭突きを食らって以降、少なくとも獣っぽい理性の無い動きではなくなった。
「俺も殴るより頭突きした方が良かったかな?」
「ただのタイミングだ」
頭突き一発で正気を取り戻しかけたと思うと、自分の立場が無いのか愚痴と本気を半分混ぜたことをヴァーリは言うが、シンの方はこれまでの積み重ねがヘルズエンジェルの頭突きのタイミングで実っただけだと冷静に言う。聞きようによってはヴァーリを慰めているようであった。
「赤龍帝とドライグ、揺らいでいる感じがする。でも、まだ正気じゃない」
オーフィスは一誠が徐々に正気を取り戻していることを感じ取る。
「でも……」
そこでオーフィスは口ごもった。思ったことを素直に口に出すオーフィスにしては珍しい行動である。
「でも? でも何なんだ?」
「我も分からない。でも、今の赤龍帝は少し……違う」
はっきりとしない答え。オーフィスは一誠から今までとは違う違和感を感じ取っていた。
シンたちが一誠の身を案じ、これまでとは戦い方を変えようと考えている中でヘルズエンジェルは変わらず容赦なく一誠を攻め立てている。
動きが変わったからこそ手を抜いて生半可な攻撃を仕掛けることなど出来ない。
ヘルズエンジェルはアクセルを吹かし、エキゾーストノートを発生。それによって起こされる衝撃波は強化を引き剥がす。弱体化してもすぐに倍加でやり直されるが、ヘルズエンジェルが欲しいのは弱体化と強化の間にある一瞬の間。ヘルズエンジェルの加速力なら極めて短いその間でも攻撃出来る。
エキゾーストノートの発生と共にヘルズエンジェルは走る。生じるであろうか細い隙を突く為に。
しかし、ここでヘルズエンジェルにとって予想外のことが起こる。発生したエキゾーストノートが一誠に届く前に消失する。
突然の出来事で対応する暇もなかった。ヘルズエンジェルには見えなかっただろうが、エキゾーストノートが一誠に届く間際、背中に翅が一瞬震えた。肉眼では一瞬の震えであったが、実際は細かな振動が刹那の時間で数千起こっている。それによって生み出された衝撃波がヘルズエンジェルのエキゾーストノートを相殺したのだ。
それだけではない。倍加を解除されなかった一誠は、突進してきたヘルズエンジェルを難無く回避──この時も翅が振動し、一誠の動きを後押ししていた。
避けると同時にヘルズエンジェルの顔面前に拳が置かれる。ヘルズエンジェルは自ら拳へ突っ込み、顔を半分以上砕かれる。
これまでの戦いの中で最もキレのある動きを見せた一誠。普段の一誠の動きと重なる。
「むぅ……!」
ヘルズエンジェルは急反転してバイクを止め、粉砕された顔面から炎を噴き上げて再生させながら一誠の様子を確認した。
殴った拍子に一誠の腕部にヘルズエンジェルの炎が引火していたが、一誠が腕を振るとヘルズエンジェルの炎はあっさりと消えてしまう。
直火で焼いた時から分かっていたが、嘗てのヘルズエンジェルの炎とは質が変わってしまっているがそれでも腕を振った程度で消火出来るような小火になってしまったことが癪に障る。耐性があると知っていてもヘルズエンジェルのプライドが刺激されてしまう。
シンとヴァーリは炎云々よりも一誠の動きに注目していた。まるで炎を嫌がるかのような仕草。少し前までの暴走していた一誠なら炎に構うことはなかった。
「兵藤一誠。俺の声が聞こえるか?」
一誠の正気が何処まで戻っているのか確認する為にヴァーリが名を呼ぶ。一誠は首だけ動かしてヴァーリを見た。しかし、沈黙したままですぐにヘルズエンジェルの方へ向き直ってしまう。
「聞こえているような、聞こえていないような……」
反応はしたが期待を超えるようなものではなかった。正気になりつつあるが、まだこちらを認識していないように見える。
フェニックスの炎でヘルズエンジェルの傷は修復され、あと少しで完治しようとした時、今度は一誠の方からヘルズエンジェルに接近する。しかも、先程ヘルズエンジェルが見せたような凄まじい速度での接近であった。
回避などに使っていた翅を前進の為に使用。ヘルズエンジェルのお株を奪うような高速移動を見せる。
ヘルズエンジェルも速い動きには慣れているので一誠が自分と変わらない速度で急接近しても慌てることなくバイクを動かす。
一誠が近付いた時にはヘルズエンジェルが離れる間際であったが、それでも手を伸ばしてヘルズエンジェルに触れる。
その際に──
『Transfer!』
一誠がヘルズエンジェルに何かを譲渡した。
「貴様! 何を──」
譲渡に嫌なものを感じたが、一誠は問答無用で下がったヘルズエンジェルを追う。
ヘルズエンジェルもまたアクセルを回し、一誠を迎撃しようとするが──
「くっ!」
その直前、ヘルズエンジェルの治りかけていた傷から火柱のような激しい炎が噴出する。
激しい炎の噴射はすぐに傷が治ることで収まるが、完治した後のヘルズエンジェルに異変が起こっていた。
シンとヴァーリも見て分かる程に荒ぶる気配がヘルズエンジェルから抜け落ちている。全身から出ているのは怒りではなく虚脱感。復活直後のヘルズエンジェルと似た気配を纏っている。
「これは……!」
ヘルズエンジェルは内にある怒りが限界まで収まっていること感じていた。ゼロから復活した際の無に近い感覚である。完全復活した時とは違って体の一部を再生させただけに過ぎないのに同じような状態になっている。
原因があるとすればやはり一誠から受けた譲渡。
一体何を倍加されたのかと考える前に一誠はヘルズエンジェルに拳を放っていた。
自分で自分に腹が立つ程に鈍い反応。そして遅すぎる加速。万全なら避けることが出来た拳を避けることが出来ず、ヘルズエンジェルは腕を盾にして一誠の拳を防ごうとする。この戦いが始まって初めて見るヘルズエンジェルの防御態勢だった。
一誠の拳がヘルズエンジェルの腕に当たると枯れ枝のようにヘルズエンジェルの腕は折れ、バイクごと後退させられる。
真横に折れ曲がったヘルズエンジェルの腕。その腕をどうにか真っ直ぐにしようとした時、腕部から炎が噴射する。それはついさっきヘルズエンジェルの頭部が治る際に噴き出した炎と全く同じ現象であった。
ガスバーナーのように噴き出した炎。すると、折れていた腕が一瞬にして元に戻る。本来ならば喜ばしいことなのだろうが、当人であるヘルズエンジェルの反応は真逆のものであった。
(この……虚脱感……!?)
灯り始めていた怒りがまたもや霧散する。二度同じ現象が起こり、一誠が何を倍加したのか理解した。
一誠はヘルズエンジェルの再生能力を極限まで高めたのだ。
本来ならば傷の度合いによってそれに合わせた再生する力が自動で割り振られるが、譲渡によりそれが狂わされた。それこそ生死に関わらない傷であっても完全復活した時と同等以上に消耗させられる、しかも強制的に。
ヘルズエンジェルにとって厄介極まりない。傷を負う度にヘルズエンジェルの怒りはリセットされる。ヘルズエンジェルの怒りが尽きることはなく無限に湧き続けるが、片っ端からゼロに戻されてしまえば力の源を封じられたに等しい。
ヘルズエンジェルの怒りがゼロに戻ってしまったことでバイクのエンジンも静かになり、前輪と後輪の炎の勢いも弱まる。
いつも胸の内で業火となっている怒りは今や鎮火し、空っぽになった心中に冷たい隙間風が吹き抜けていく。
「随分と……小賢しくなったな」
一誠の戦い方の変貌ぶりに皮肉を飛ばすが、ヘルズエンジェルは我が耳を疑うぐらいに発せられた声は平坦であった。本来ならば自然に込められている筈の怒りの熱が言葉から伝わらない。それぐらい怒りが失われている。
ヘルズエンジェルの皮肉に耳を貸さず、一誠は踏み込んでヘルズエンジェルの懐に飛び込む。
またも回避が遅れてしまったヘルズエンジェル。踏み込みと同時に繰り出された拳を、腕を払って弾くことしか出来なかった。
自分のスタイルとは異なる戦いを強いられたことに窮屈さと屈辱を覚えるが、それもすぐに感じられなくなる。腕で払った際に着ているライダースーツの一部が裂けた。すると、その裂け目から再生の炎が業火となって噴出する。
「おぉ……おおぉ……!」
バイクも衣服もヘルズエンジェルの力によって生み出されたもので彼の体の一部。傷を負えば当然のように再生が発動するのだが、その反応が敏感過ぎる。
命に関わらない、または戦闘継続に全く支障のないかすり傷でもヘルズエンジェル再生能力は全力全開で治しにかかる。そのせいでヘルズエンジェルの力が大きく奪われる。
一誠の譲渡のせいで本来ならヘルズエンジェルを守る為の力が、彼を蝕む猛毒に変えられてしまった。
一誠の攻撃の手を緩めない。拳、足、全てを使ってヘルズエンジェルに挑む。ヘルズエンジェルもガードしてダメージを抑えようとするが、そもそもヘルズエンジェルにとってこれは不利な戦いであった。
ダメージらしいダメージを与えなくてもいい。かすめるだけの攻撃でもただ当てるだけの攻撃でも構わない。ヘルズエンジェルに少しでも傷が入れば、それだけ良いのだ。
拳がヘルズエンジェルの胸に刺さり、胸部を凹ませる。再生が強制発動し、ヘルズエンジェルの体内で再生の炎が炎上。溢れ出た炎がヘルズエンジェルの両目から噴く。
一誠の蹴りがバイクに命中し、車体を傷付ける。すぐさま再生が発動してバイクが火達磨になった。
無視出来る傷ですら再生が発動するので消耗に消耗が重なり、ヘルズエンジェルの力が一気に削がれる。自分の力をコントロール出来なくされ、暴走させられたことで追い詰められてしまった。
ヘルズエンジェルの危惧していたことが早々に現実になってしまう。再生能力の不慣れさを完全に逆手に取られてしまった。
本来ならば激しい屈辱感に襲われ怒りが一気に噴き出すところだが、その代わりに浅い傷から炎が噴き出て怒りが溜まる前に外へ出てしまう。
不味い状況だと分かっていてもそれを変えることが出来ない。自分の置かれている状況を冷めた目で他人事のように観察してしまっていることに気付き、それが尚更焦りを加速させる。
「愉しそうだな」
白い影が二人の間に飛び込んで来る。拳を放とうとしていた一誠の胸元に飛び蹴りが打ち込まれた。
鞭のようなしなやかな軌道の後鉄柱の如き重い一撃が入り、一誠はその場で足を止めてしまう。
動きが止まった一誠の眼前が蛍光の眩い光で覆われる。次の瞬間、横から伸びて来た掌が顔面に叩き付けられ、同時に掌から密着状態で光弾が発射される。
顔面から煙を上げながら一誠は吹き飛ばされた。
それらの一連の流れは最初に飛び蹴りを打ち込んだヴァーリが着地するまでの一瞬の出来事であった。
一誠の顔に掌と光弾を叩き付けたシンは白煙が上がっている手を軽く振るう。
シンとヴァーリの横槍にヘルズエンジェルは感謝の意を示さず、暗い眼窩で二人を睨み付ける。
「助けたつもりか……?」
「あんたがあんまりにも愉しそうに殴られているから、つい混ざりたくなってね」
ヴァーリは揶揄するように言う。
「ご苦労様。ありがとう」
シンの方は労いの言葉をかけるが、状況のせいで皮肉にしか聞こえない。
「……」
ヘルズエンジェルは唸り声一つ上げることはしなかった。無駄に吠えることが却って無様だと分かっているからだ。その代わりに怨敵のようにシンとヴァーリの姿を眼窩の奥底に焼き付けている。
シンとヴァーリは別にヘルズエンジェルを貶める気も嘲る気も無い。ヘルズエンジェルの状態が良くないので代わっただけである。ただ、ヘルズエンジェルが素直にバトンタッチをするとは全く思っていなかったので、横からかっさらうような形で介入した。
ヘルズエンジェルはプライドが異常に高く、気が非常に短いのは短い時間でも良く分かった。
そんな彼が気を遣われて交代させられたと知れば憤死級の屈辱を覚えるだろう。だからこそ、シンとヴァーリは敢えてヘルズエンジェルを小馬鹿にするような振る舞いをしてその気遣いを隠した。
ヘルズエンジェルのプライドを尊重する為に偽悪を装う。どちらにせよ屈辱を覚えるだろうが、ましな方を選んだ結果である。
皮肉抜きでヘルズエンジェルの奮闘にはヴァーリもシンも──不本意だが─感謝している。彼が体を張ってくれたお陰で一誠の動きを色々と視られた。
「オーフィス。任せた」
「了解した」
ヘルズエンジェルの傍にオーフィスが守るように立っている。最初の時とは立場が逆転していた。
最大の攻撃力を持つオーフィスを護衛に回すのは愚策にも捉えられるかもしれないが、今となってはオーフィスの攻撃力の高さが問題になってくる。
一誠の動きからして大分正常になってきている。後どれだけ攻撃をすれば良いのか分からないが、細かく刻む必要が出て来るのでオーフィスの一撃は重過ぎる。下手をすればこれまでの苦労が一誠の命ごと水泡に帰すかもしれない。なので状況が変わるまでオーフィスは待機させておく。
ヘルズエンジェルは生死を繰り返して一誠の正気を取り戻す為の取っ掛かりを作ってくれた。ここから先はシンとヴァーリが体を張る番である。
ヘルズエンジェルと違って死んだらそこで終わる。尋常ではない緊張と重圧に襲われている筈なのだが、二人共至って平常であった。
片や感情の波が一切無い無表情。片や戦いを楽しもうとさえしている。まともな神経など持ち合わせていなかった。
「勝手に戦わせてもらうつもりだが、そっちはどうする?」
「勝手に動けばいい。合わせてやる」
「カッコイイ台詞だ。俺もいつか使ってみたいな」
これだけの短い会話で戦いの相談は終わる。
二人共目を合わさない。彼らの視線はずっと正面に向けられていた。
シンの光弾を顔に受けて吹っ飛ばされた一誠。百メートル近く飛んでいったが、今何事もなかったかのように立ち上がっている。
兜の一部がやや変形していたがダメージはその程度。シンは本当なら吹っ飛ぶ前に光弾を数発浴びせるつもりであったが、一発打ち込んだ際に一誠の方から後方へ飛んだので連発することが出来なかった。ダメージを負うのを嫌がり始めた分、反応と判断が迅速になっている。
立ち上がった一誠の体勢がやや前傾姿勢になる。来る、と察した瞬間には一誠の姿がその場から消えていた。同時にシンの隣に立っていた筈のヴァーリも消える。
次に二人が現れたのは丁度最初にあった距離の中間地点。共に前蹴りを放ち、どちらもそれを腕で防ぐという全く同じ格好をしていた。
両者共腕部を覆う装甲に罅が入る。互いに相手を蹴り飛ばそうとし一誠は翅を震わせ、ヴァーリは光翼から光を噴射させる。
どちらも一歩譲らない互角の力。膠着状態に陥ろうとしていたが、すぐに力比べは終わりを迎える。
ヴァーリから少し遅れて後方から走って来るシン。十分な加速を得ると跳躍してヴァーリの頭上を超え、動けない一誠の顔に蹴りを叩き付ける。頸椎を砕くぐらいの勢いで入るが、ここまでしなければダメージが入らない。
シンからの飛び蹴りをまともに受けてしまった一誠は意識が飛びかけたのか体から力が一瞬抜ける。これにより均衡が崩れ、ヴァーリによって蹴り飛ばされた。
ヴァーリの蹴りで意識を取り戻した一誠。自分が蹴飛ばされていると知ると翅を広げて空気抵抗によるブレーキをかけた。
着地した一誠を待っていたかのように追い付いたシンが喉に拳を突き刺す。一誠の呼吸が止まると更に絞り出させる為に鳩尾を殴る。
かはっ、という声と共に肺に残った空気が外に出る。酸欠寸前の一誠をとことん追い詰める為にシンは魔力剣を生成。近距離にて熱波剣を放とうとする。
シンが魔力剣を振るおうとした時、一誠は右腕を盾のようにして掲げ──
『Divide!』
──白く変色した右腕が半減を発動。『白龍皇の籠手』に熱波剣を撃とうとしていたが、形成する魔力が激減して維持が出来なくなり、シンの手の中が崩れる。
使用する筈であった技を不発にされたシン。その顔面に一誠の拳が打ち込まれるが──
「後で治してやる」
一言断りを入れた後、真っ直ぐ伸びている腕の肘部分を狙ってアッパーを繰り出し、肘を逆方向に突き上げる。
一誠の肘は脱臼し、腕が歪な形になる。しかし、一誠はそこで怯むのでなく逆に拳を押し込んだ。
殴り抜けられるシン。脱臼し威力は半分以下になっているが、それでも十分な威力はある。
シンが後退して両者の間に距離が出来る。シンの目の下は一誠の拳によって裂傷が出来ており、また殴られた際に口の中も深く傷付いていた。口内に溜まった血を吐き捨てる。地面に大きな血の痕が広がった。目の下の裂傷からも流血しており、頬を伝って顎から垂れていった
◇
火の玉を退けたかと思ったら白い影と蛍光色の線が入った影が火の玉と交代して挑んで来た。
「つ、つえぇ……!」
火の玉も強かったが、この二つの影も強い。そして何よりも二つの影が妙に怖かった。
「何だこいつらは!?」
火の玉と違って細かく攻めて来る影たちに一誠は苦戦させられる。しかし、戦っている一誠はその影らに既視感を覚えていた。
何処かで戦ったことがある。そんな気がしてならないのだ。
そう思うと影の輪郭がはっきりとしていく。
(こいつらは……)
何かを思い出せそうな気がする。大事な、とても大事なことが。
戦いの最中で封じ込められた記憶の扉が開きそうになる。
『今はそんなことは関係ない』
囁かれる声が記憶と影に霧をかける。その途端にさっきまであった考えも思い出せなくなってしまう。
『君は戦わなければならない──ここから抜け出す為に』
「あ、ああ。そうだな」
記憶は再び封じられるが一誠はその事に違和感を覚えない。そもそも姿形も無い声だけの存在を無意識に信頼している自分にも気付いていない。
声の主は一誠にとって敵ではない。同時に味方でもなかった。
〈いつかは試そうと思っていたが、随分と前倒しになってしまった〉
シンと一誠との戦い。想定外だったのは外部の介入のせいで早まったことだけ。いずれはこうなる構図を描いていた。
〈まあいいさ。どんな結果になっても〉
シンが勝とうが一誠が勝とうが、結果はどちらでも良かった。強い方が勝つ。ただそれだけのこと。
大事なのはそれで何が得られるのか。
例え共倒れになったとしても。
閣下のキャラクターは未だに分からないですね。
シリーズによって立ち位置どころか年齢、性別も変わりますから。