ハイスクールD³   作:K/K

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求友、離脱

 シンは目元の裂けた傷から流れる血を拭う。既に出血は止まっており、また目元の傷なので血が目に入る心配もない。それを知っているのならシンは無意味な行為をしている。しかし、シンが戦いの中で無意味な行動をすることはまず無い。

 血を拭うというごく自然な行動。相手は警戒しない。一誠もシンに殴られたことで脱臼した肘を填める為に変形してしまった鎧を直すことで外れた間接部分を無理矢理填める。ガコンと鎧が元の形になると歪になっていた肘の部分も治った。ただ、かなりの痛みが発生しているようで一誠はずっと低い声で唸り続けている。

 脱臼を治した後に残る痛みに苦しむ一誠を気遣う──つもりは皆無であり、寧ろ攻める好機と判断し、拭った血で真っ赤に染まった手でシンは一誠に近付く。

 シンの接近に一誠は身構えようとするが、脱臼していた腕を庇うような構えになっており至る所に隙が出来ている。

 シンは容赦なく庇っている腕の方から攻めようとする。一誠も負傷している腕を守る為に不自然な防御態勢をとった。

 シンの動きを見逃さないように拳の動きを注視している一誠。その瞬間、シンは拳を突き出すのではなく手首のスナップを効かせ、高速で手首を振った。

 空を切るシンの手。相手の行動に疑問を持つ前に一誠の視界が赤一色に塗り潰される。

 急な視界の変化に驚く一誠。兜の両眼が血で覆われている。

 シンが手首を振った時に飛ばした血の飛沫が一誠の視界を奪う。

 視界を戻す為に血の付いた部分を拭う。視界を奪えていたのはほんの一瞬だったが、十分な時間であった。

 赤くなった視界の隙間から構えるシンの姿が見えた。攻撃が来ると判断した一誠は両腕を盾にして防御を固めた。

 しかし、来ると思ったタイミングでシンの攻撃は来ない。次の瞬間、ヴァーリの蹴りが両腕の防御を突き破る勢いで命中した。

 シンに気を取られていたせいでヴァーリの存在が頭の隅に追いやられていた。

 両腕に伝わる重い衝撃。攻撃を身構えていたタイミングがずらされたことで本来ならば耐え切れる筈のヴァーリの蹴りに耐え切れなくなる。

 腕部の装甲に砕け、ヴァーリに蹴り飛ばされる寸前、最初から狙っていたかのようなタイミングでシンの拳が一誠の眉間に入る。

 兜を貫いていく衝撃が脳を揺さぶる。痛みと衝撃で膝に力が抜け、同時に腕からも力が抜ける。その結果、ヴァーリの蹴りは両腕のガードをこじ開けて胸部を打つ。

 シンとヴァーリの攻撃を同時に受けた一誠は地面に叩き付けられた後に十数メートルも跳ね上がった。

 高く跳ねた一誠に影が差す。頂点に既にいるヴァーリ。瞬間移動のような動きで一誠を待ち構えていた。

 跳ね上がった一誠を再び地面へ叩き付ける為に拳を振り下ろすが、一誠の重ねられた両手がその拳をしっかりと受け止める。

 

「やるじゃないか、兵藤一誠! だが──」

 

 渾身の一撃を掴んだ一誠を褒めたヴァーリの視線が一瞬だけ一誠の背中の翅に向けられた。

 

「そんな外付けがなかったらもっと褒めていたんだけどね!」

 

 シャルバが生やしていたのと同じ翅を嫌悪しながら光翼からオーラを噴射させ、自分ごと一誠を落下させる。

 

「ドラゴンにそんな翅は似合わない!」

 

 見た目だけでなく得体の知れない力をも否定し、ヴァーリは更に空中で加速。一誠も翅で速度を殺そうとするが、ヴァーリの光翼の出力は翅の羽ばたきを上回る。

 二人は地面へ落下。二人分の体重と空中での加速した勢いが合わさって地面が粉砕される。

 一誠は受け身もとれない状態で背中から地面へ叩き付けられたが、それでもヴァーリの拳を掴む手から力を抜かない。

 

「そのしつこさは全然変わらないなぁ!」

 

 ヴァーリは一誠を賞賛しながらもう一方の拳で一誠の顔を殴る。一誠の胸の上から押さえ付ける馬乗りという有利なポジションで繰り出される振り下ろしの打撃。しかも、握った拳の小指側という最も分厚い部分で殴る。指先まで『白龍皇の鎧』で覆われており、その状態から出される打撃は鉄槌をも超える。

 甲高い音が鳴り、一誠の兜にヴァーリの拳がめり込む。拳を上げると兜にその形に沿った凹みが出来ていた。

 ヴァーリはもう一度鉄槌を打ち込む。傍から見ればあまり見栄えの良い攻撃ではない。ヴァーリも客観的に見てそう思っている。しかし、普通に殴るだけでは破壊力が足りない。少しでも威力を高める為に今の形を選択した。

 格好の良し悪しなどこの際どうでもいい。一誠を倒せず、救えないことが最悪である。

 尤も、第三者が見ればその姿が格好悪いとは思わないだろう。拳が打ち付けられる度に揺れる地面。衝撃が伝わって跳ね上がる一誠の両足。徐々に地面へめり込んでいく一誠の頭部。ヴァーリの暴力に戦慄し、震え上がるだろう。

 一誠も不利な状態から脱しようと足掻く。翅を動かしてヴァーリを押し退けようとするが、光翼の噴射で上から押し返される。

 両手で掴んでいた拳を放し、自由になった両腕で防御に徹しようとする。

 

「甘いなぁ」

 

 一誠の両腕が自由になることはヴァーリの両手も自由になることを意味する。必死のあまり最悪の選択をしてしまった一誠に厳しい言葉を掛けた後、ぴったりとくっつけられている両腕の隙間に指を強引に捻じ込み、横へ引っ張る。しっかりと閉じてあると思われていた防御に拳一つ分の隙間が開き、その隙間を通ってヴァーリの拳が振り下ろされた。

 冷静にして的確、そして冷徹な暴力。見た目の派手さはないが、派手さなどただの余剰にして無駄。余剰と無駄を余すことなく注ぎ込んだ暴力で一誠を着実に追い詰めていく。

 何度目かの拳が一誠の兜を叩く。既に兜は元の形をしていない。変形した兜の隙間からは鮮血が流れ出ているが、関係ないと言わんばかりに更に叩く。打ち付けた拳が相手の血で赤くなる。白い装甲に赤は良く映えた。

 最初は激しかった抵抗も徐々に弱まっていく。ヴァーリは相手の意識と反撃の気力を確実に奪っていた。

 ヴァーリは完璧に一誠を抑え込みながら二つの矛盾した考えを抱いている。

 

(このまま正気に戻ってくれたら……)

 

 ライバルである一誠が早く元に戻って欲しいという願い。

 

(これで終わるのかい? 兵藤一誠?)

 

 そして、ライバルである一誠がこのまま終わらず、思いもよらない反撃をして欲しいという期待。

 宿命のライバルだからこそ相反する感情を持ってしまう。

 終わるのか、足掻くのか。それを問うようにヴァーリは拳を振り下ろすそうとするが、その時一誠が動いた。

 腕を振り上げ、ヴァーリの脇腹を殴りつけようとする。上半身がヴァーリに押さえられているので腰の入っていない腕だけの力で出されるパンチ。威力もスピードも無く、避けるに値しない苦し紛れの反撃であった。

 それにガッカリしながらヴァーリは拳に力を入れる。すると、脇腹を突く感触が伝わってきた。

 気にも留めていない一誠からの反撃なのは分かっている。しかし、脇腹を突いたのは明らかに拳によるものではなかった。

 それが気になり、ヴァーリは視線をそちらに向ける。その瞬間、ヴァーリは息を呑んだ。

 脇腹に突き刺さるアスカロンの刃。ヴァーリは刺されたことに全く気付かなかった。

 アスカロンは当然ヴァーリも警戒していた。龍殺しの力を感じたら即座に対応していた筈なのだが、どういう訳か今刺してあるアスカロンからは龍殺しの力が感じられない。どういう原理でそれを隠したというのか。

 アスカロンに刺されているのを見て、ヴァーリの記憶が反射的とアスカロンに刺された時の記憶を掘り起こす。ヴァーリですら一瞬死ぬかもしれないと思った龍殺しの力。ヴァーリの胸にその時の記憶が幻痛として蘇る。

 この時、ヴァーリは無意識に体を硬直させてしまう。同時に注意が一誠から離れてしまった。

 翅が勢い良く地面を叩き、一誠の上半身が持ち上がる。抑え込むのにワンテンポ遅れてしまったヴァーリはすぐに光翼を噴射させようとするが間に合わない。

 体の何処でもいいから当たればいいという勢いの一誠の頭突きがヴァーリの胸にぶつけられる。

 翅と上半身のバネのみで繰り出される頭突きの威力はそこまで高くないが、ヴァーリを上から下ろすのには十分であった。

 頭突きで突き飛ばされるヴァーリ。一誠は立ち上がろうとした時、その体が真横へ飛んで行く。

 一誠がさっきまで居た場所にはシンが立っており、振り抜いた足を下ろしている最中であった。

 ヴァーリと一誠が一箇所に固まっていたので手を出せなかったが、シンはいつでも動ける状態でいた。それもあってヴァーリが反撃の危機に陥りそうになったらすぐに動け、一誠の頭をサッカーボールのように蹴り飛ばした。

 

「あー……」

 

 ヴァーリは仰向けになったまま刺されたと思っていた箇所を確認する。そこには傷一つ無かった。続けて一誠の方を見た。ヴァーリを刺したアスカロンは刀身が半ばから折れており、龍殺しの聖剣としての力を失った状態になっている。

 ヴァーリは知らなかった。アスカロンがサマエルとの戦いで折られていたことを。龍殺しの力を感じなかったのは、アスカロンが既に壊れていたから。折れた剣が刺さったように見えたのも、痛みを感じたようになったのも全ては錯覚。一誠の苦し紛れのブラフに引っ掛かってしまった。

 

「カッコ悪いなぁ……」

 

 自分の失態に気付き、己を恥じる。尤も、ヴァーリが悪かったというよりも一誠の方が賭けに勝った形である。

 戦いという極限状態の中では感覚や反応が鋭敏になる。過去にアスカロンで深い傷を負った経験があるヴァーリだからこそ折れたアスカロンが効果を発揮した。

 

「浸っている場合か」

 

 そんなヴァーリに掛けられる冷めた声。気遣いなど一切排した無感情なものであったが、同情や侮蔑よりも雑念を追い払ってくれる心地良い冷たさがある。

 

「場合じゃないな」

 

 気を取り直す為にヴァーリは立ち上がる。失態云々で悶えるのは後回しにしする。

 

「それにしても……生きているか? 随分と容赦なく蹴飛ばしたが……一応確認するが、助ける気はあるな?」

「あれだけ殴り続けていた奴の台詞じゃないな」

 

 頭を千切り飛ばす勢いで蹴ったシンを揶揄するが、シンの方もその前のヴァーリのマウントポジションからの連打を持ち出し、言われる筋合いはないとする。

 ヴァーリは短い間笑い、それにより気持ちを切り替えた。

 

「それにしても──」

 

 一瞬で思考を冷ませ、一誠の行動を振り返る。やはり、戦い方の所々に一誠らしさを濃く感じられるような気がした。暴走状態とは違った手応えを感じ、別ベクトルで難敵になりつつある。

 前進しているように思われるが、それに伴い別の問題も出て来た。

 頭を左右に振りながら立ち上がる一誠。その兜はヴァーリの打撃とシンの蹴りでまだ変形している。暴走状態が解けてから一誠の再生能力が著しく低下している。

 これまで一誠の高い再生能力があったからこそ激しい攻撃をすることが出来たが、それが落ちたとなると戦い方を改める必要がある。

 

「傷の治りが遅い……場合によっては元に戻す前に殺してしまうかもしれない」

 

 ヴァーリは今までのやり方を考え直さなければならいことを示唆する。

 

「その時は──その時だ」

 

 シンはそれを考慮した上で最悪の事態を覚悟して戦う意思を示した。今でも辛うじて互角の状態。手を抜けば結末はすぐに反転してしまう。

 

「──そうか」

 

 ヴァーリは異を唱えることはせず、その一言で済ませた。ヴァーリもまたそうなった時の結末を受け入れる意思を示した。

 

 

 ◇

 

 

「いてて……」

 

 意識の中、一誠は頭と首筋を擦る。

 

「もげるかと思った……」

 

 白い影にボコボコにされながら何とか脱出しようとし、騙し討ちのつもりでアスカロンを突いた時は予想以上に相手の動揺を誘え、反撃出来るかもと思った矢先に死角から思いっ切り頭を蹴飛ばされた。

 首から上が限界まで伸びた気がする。頭の方も硬いものの角が突き刺さったような痛みであった。

 

「どっちも容赦ねぇ……!」

 

 マウントポジションで好き勝手殴ってきた白い影も殺すつもりで蹴飛ばしてきた線入りの影も恐ろしいぐらいに攻撃に情が無い。敵だから当たり前なのかもしれないが、殺意しか感じられない。

 

「それに何か体の調子も悪いような気がする……」

 

 力がいまいち入らない気がする。反応も鈍いような気がした。心なしかダメージが良く通る感じもする。全力が出し切れていないような妙な体調不良を一誠は感じていた。

 

『まあ、弱くはなっているね』

 

 謎の声が一誠が感じている感覚は正しいと言ってきた。

 

「弱くなっているって……力を吸収されたりしているのか?」

『彼の仕業さ』

 

 声が指すのは線入りの影。声だけなので指差ししている訳ではないが、一誠の意識がそちらへ自然と誘導される。

 

「でも、それだったら倍加がすぐに発動しないか?」

『力を吸収や半減されている訳じゃない。君の力の基準値を下げている、と言った方が正確だね』

 

 一誠の現在の力の限界値を百とすれば、線入りの影の弱体化はその値から八分の一を奪うというもの。値そのものを弄るせいで倍加が発動しないのだと声は短く、丁寧に説明する。

 

『君のような能力だとその落差は強く感じられるだろうね』

 

 力が大きければ大きい程に下げられる数値の大きくなる。倍加能力の相手としては厄介である。

 

『弱体化は重ねられるからもっと力は弱まるだろうね』

「そんな相手、どうすんだよ!?」

 

 このまま弱体化を繰り返されたら神滅具発動前の状態まで弱まってしまう恐れを抱く。自慢ではないが神滅具抜きの一誠の実力は悪魔の中で下から数えた方が早い。

 

『そう悲観することはないよ。現状を見るに彼はまだそれを使いこなせていない』

 

 頭を抱えてしまっている一誠に助言が与えられる。

 

「使いこなせていない? 本当に?」

『ああ。どうやら君を弱らせるには直接接触しないといけないようだ。本来ならば接触する必要もない。目が届く範囲だったら発動出来るものだからね』

「そりゃあ恐ろしい……」

『後は時間制限付きだ。数分もすれば自然と解除される』

 

 力の値を外部から変えるだけにいつまでも維持出来ない。声が言うには数分で元の力を取り戻すということだが──

 

「……でも、それって解除されてもまた触られたら同じだよな?」

『生憎、病気やウィルスと違って免疫が出来る訳じゃないからね。それが嫌だと思うなら触られずにいることだね』

 

 弱体化を嫌がるが声が言っている通り、弱体化されたくなければ線入りの影と接触しなければいい。しかし、接近戦を主としている一誠には酷な条件である。

 

「それ以外に方法はない?」

 

 情けないと思いつつも声に何か良い方法を求めてしまう。訳の分からない状況の中でどんどん声を信用しつつある──本人も知らず知らずのうちに。

 返答はすぐになかった。声が何か考えているような雰囲気を感じる。

 

『──まあ、これぐらいは範疇内か。僕たちの力も混ざっているから』

 

 一人で何か納得すると、声は一誠に話し掛けてくる。

 

『少しだけ力を抜く──この場合は頭の中を空っぽにしてくれないか?』

「頭空っぽって……」

『得意じゃないのかい?』

「失礼だな!」

 

 ナチュラルに馬鹿にしてくる見えない相手に憤慨しながらも言われた通りに思考を停止させ、何も考えない空っぽの状態にする。

 次の瞬間、頭の中に急に知らない言葉と知らない能力が出てくる。初めて知った筈なのに前々から知っていた気がする。

 

「何だこれ、頭の中が気持ち悪い……」

 

 嚙み合わない記憶の齟齬に一誠の脳はざわざわとした不快な感覚になる。

 

『これでいい。もう君が彼の能力で悩むことはなくなった』

「はぁ? これでいいのか? こんなんでいいのか?」

『法則が違うものを別の法則で修正しようとすれば時間が掛かる上に成功するとは限らない。その点同じ法則なら簡単に打ち破られる』

 

 声が言っていることは理解が難しい。一誠の頭で整理すると線入りの影がやっている弱体化は特殊な魔法か魔術であり、それを解除するのなら同じ魔法、魔術を使えば良いということ。しかし、一誠の浅い知識の中でも先程記憶の中に刻まれたものと類似する魔法、魔術はなかった。余程特殊なのか、それとも誰も知らないぐらいにマイナーなのか。

 

『あれこれ考えるのはいいが、やるならさっさとやった方が良い。相手は待ってはくれない。まあ、痛い思いをするのは君だから僕たちには関係ないけど……』

「はいはい! 分かったよ!」

 

 あんまり余裕が無いことを告げられ、一誠はやけくそ気味に返事をすると、どのような結果になるのか分からないまま与えられた新しい力の名を叫ぶ。

 

「デクンダ!」

 

 

 

 ◇

 

 

 一誠の体に橙色の膜のようなものがドーム状に展開されると風船のように割れる。一誠の身に起きた変な現象をヴァーリは訝しむ。

 

「あれは……何かしたのか? それとも何かしようとして失敗したのか?」

 

 見ようによっては術を展開しようとして失敗したようにも見える。今まで見た事が無い行動をしたのでヴァーリは警戒するが、シンの方は睨むように一誠を見ていた。

 一誠の身に起こったことを過去に一度だけ見た記憶がある。

 マタドールとの戦いでシンは──今とは違って完成された──弱体化の魔法をマタドールに与えたことがあった。その時にマタドールが弱体化魔法を解除した時と同じことが起きている。恐らくは弱体化を解除させる魔法なのだろうが、一誠がそのようなものを使えるなど聞いたこともないし、そもそもマタドールと同じ魔法を使用していること事態がおかしい。

 

「──かけ直しだ」

 

 シンは一誠に向かって駆ける。様子見をしていたヴァーリは出遅れたが、すぐにシンの後を追う。

 一誠はその場から動かず二人を待ち構える。

 先制したのはシン。フックのような横振りのパンチで一誠を狙う。すると、一誠もまた全く同じ軌道のパンチを繰り出してきた。

 拳と拳がぶつかり合う──押し負けたのはシン。

 倍加が限界まで掛かった一誠の拳は強く、打ち合った瞬間にシンの腕が後方へ引っ張られるように弾かれた。拳の皮も深く抉れ、赤い肉が露出する。

 しかし、シンは転んでもただでは起きない。今の一撃で再び一誠に弱体化の魔法を掛けた。少なくとも力の方はこれで下がる。

 そう思ったのも束の間、再び爆ぜるような音が鳴り、一誠の弱体化が解除される。どうやって学んだのかは知らないが、今の一誠は弱体化解除の方法を完全にマスターしている。

 体勢が立て直されていないシンの胸部に一誠の前蹴りが突き刺さる。シンの体内で骨が折れる音が響く。シンは骨を折られる音を聞きながら蹴り飛ばされ、地面を数度バウンドしていく。

 そこへ交代するように突撃してきたヴァーリ。一誠の前で跳躍すると突撃の勢いを乗せた膝蹴りを一誠の顔面に打ち込む。

 顔面を突き上げられ仰け反りながらも一誠は両腕で打ち込んできた膝に抱き着く。

 

「あっ」

 

 っという間に一誠は全力で後ろに仰け反り、不格好なバックドロップのような形でヴァーリを顔から地面へ叩き付けた。

 

「くっ!」

 

 ヴァーリの目の中で火花が散り、頭がクラクラする。急いで立ち上がろうとするが、片脚はまだ一誠が掴んでいた。

 一誠はヴァーリの脚を捻り、強引に仰向けにさせる。そして、こちらを向いたヴァーリに一誠がやったのは全体重を掛けた踏み付け。ヴァーリの腹部に一誠の足裏が深くめり込む。

 ヴァーリは呻き、息が漏れ出るが声を上げることはしなかった──一度目は。

 そこから怒濤のストンピングがヴァーリを襲う。

 狙う箇所を一点に定めず、体に当たるなら何処でも良い乱暴な踏み付け。マウントポジションで殴られ続けたことへの意趣返しのように徹底的に、執拗に行う。

 一発一発が大地を踏み砕く程の威力であり、それを受けているヴァーリの体が地面へ埋もれていく。反撃しようとするもマウントポジションの時とは逆にヴァーリの光翼の噴射は一誠の翅の羽ばたきによって封殺される。或いは、マウントポジションで攻撃されていた時にヴァーリのやり方を覚え、真似しているのかもしれない。

 ヴァーリが一方的に攻撃されている中、蹴り飛ばされていたシンは口から血反吐を吐きながら起き上がろうとしていた。

 蹴られた箇所に手を当て、治癒の魔法を施す。胸の骨折だけでなく内臓も痛めており、思ったように傷が治らない。

 時間にすれば十数秒多く掛かる程度のことだが、この状況下ではその時間の長さは致命的である。

 もっと早く、と心の中で念じても限界はある。また傷が異常な速度で治そうとしているので折れた骨が接ぐ時、痛められた内臓が修復される際の神経への刺激で地獄のような苦痛を体験しているが、それすらも早くと念じるシンの思考を乱すノイズにならない。

 

「……遅いな」

 

 掠れた小さな声が傍で聞こえる。シンの隣にいつの間にかヘルズエンジェルが並んでいた。一誠の譲渡により再生能力を無茶苦茶にされ、精神が消耗し尽くされている状態の為か声に張りが無く死に掛けの病人のように聞き取り辛い。

 何をしに来た、とシンが思う前にヘルズエンジェルは突然自分の片手を拳で砕く。そして、砕いた拳をシンへ突き出して来た。

 ヘルズエンジェルの突拍子の無い行動。しかし、シンは考えるよりも前に同じように拳を突き出す。

 ヘルズエンジェルの拳と当たった瞬間に再生の炎が発動。業火が突き合わせていたシンの拳に燃え移る。

 再生の炎はヘルズエンジェル以外のものを焼き尽くす。シンの拳も炎に包まれた──と同時に炎が体内に吸い込まれる。

 シンの体内に炎が巡る。血流に乗って一瞬で全身へ届く。血が蒸発し、汗腺から噴き出すような灼熱感。業火のような痛みは瞬時に引いたが、その刹那でシンは豪雨に打たれたと見えるぐらいに汗で濡れていた。

 シンは立ち上がると同時に走り出す。戦える状態になったからすぐに向かう。骨折の痛みは無い。再生の炎を吸収することで完治していた。

 礼の言葉も言わず、脇目も振らずに戦いに行ったシンをヘルズエンジェルは無言で見る。意図的に再生の炎を使用したので、今のヘルズエンジェルは声を出すことも億劫な虚無に近い精神状態になっていた。

 シンに炎を吸収させ、治癒を促進させるのはほぼ直感的な行動であった。しかし、全く根拠が無かった訳ではない。ヘルズエンジェルはシンから何故か自分の炎のニオイを感じていた。そして、フェニックスの炎のニオイもまた混ざっていることにも気付いていた。どういう経緯で自分の炎を手に入れたのかヘルズエンジェルにとってはどうでもよく、興味も湧かない。しかし、その二つの炎の性質を宿しているのなら再生の炎はシンにとって起爆剤代わりになるのではないか、と実行したのだ。

 仮に失敗したとしてシンの片腕が焼け焦げて落ちるだけ。ヘルズエンジェルにとっては躊躇う理由にならない。

 そして、これ以上の手助けをする気にもならなかった。ヘルズエンジェルの中のライザーが喚いているが、これもヘルズエンジェルなりに考えた末にライザーの希望に沿った結論である。

 現在のヘルズエンジェルの精神はどん底である。しかし、どん底だからといってその心が壊れることはない。

 ヘルズエンジェルは自分自身を良く理解している。もし、一誠の譲渡の効果が切れて元の精神状態になったら自分が何をするのか。

 冷静を超えて虚無に近い精神はこれまで受けた屈辱を鮮明且つ細やかに記憶している。それは怒りの為の火種ではなく最早不発弾そのもの。ヘルズエンジェルは次に怒りが頂点に達した時、自分で自分が制御出来ない程にキレるのが分かっていた。

 一誠の生死など関係無く、敵や味方の区別など一切無視して怒りのままに暴れ狂う。それはライザーとの契約の反故を意味する。だからこそ、そうならない為にヘルズエンジェルは敢えて戦いから離れ、シンの手助けのみに留めた。

 本音を言えばシンもヴァーリも死んで早々に退場して欲しい。そして、今すぐにでも一誠を殺したい。

 前者とともかくとして後者はそろそろ叶うかもしれない。

 死に目聡い魔人は感じていた。一誠の限界が近いことを。だが、それを言葉には出さない──ヘルズエンジェルは手遅れになることを望んでいる。その瞬間から煩わしい誓約から解き放たれ、怒りのままに死を振り撒くことが出来る。

 生まれ変わろうとも、契約していようとも、共闘しようとも魔人は魔人。簡単に相容れる存在ではなかった。

 

 

 ◇

 

 

 十分な加速を得るとシンは力強く大地を蹴る。矢のように一直線に跳躍し、加速分を乗せた拳を一誠へ打ち込む。

 直前に気配を感じ取ったのか一誠は腕で拳をガード。だが、拳のダメージは腕を通して一誠の脳に痛みとなって伝わる。

 暴走している時とは違って痛みを無視することは出来ない。今の一撃により一誠の体に硬直が発生する。

 その僅かな硬直の間にヴァーリは掴まれていた脚を引き抜き、両足で一誠の両足を挟む。カニばさみの状態から体を捻り、一誠を地面へ叩き付ける。

 側頭部を地面に打ち付ける一誠。頭部の衝撃もそうだが、頸部にも凄まじい圧が掛かる。

 頭と首のダメージで咄嗟に動ける状態ではないが、シンが近くにいる状態で伏せているのは危険と判断し、立ち上がろうとするが──すぐにそれが出来ないことを思い知った。

 ヴァーリの足は未だに一誠の足首をロックしており、足首を砕く勢いで締め続けている。

 立ち上がれない一誠に追い打ちしようとした時、シンの動きが止まる。シンは見ていた。一誠の両手がオーラによって赤く輝いていることに。しかし、ドラゴンショットを撃つには溜めの時間が足りない。そうなる前にシンの拳の方が先に入る。この場に於いて正しい行動には見えない。コケ脅しにしてもそんな程度でびびるシンでもヴァーリでもない。

 すると、一誠はオーラを溜めた両手を左右に広げる。何をするのかこの時点で察したが、離れる時間は無かった。

 次の瞬間、一誠は両手を力強く打ち付け合う。両手のオーラが衝突し、周囲にオーラの衝撃波を無差別に拡散させた。

 間近でそれを浴びせられたシンとヴァーリは拡散するオーラにより吹き飛ばされる。ただ、この攻撃は一誠がシンとヴァーリを遠ざける為に苦し紛れに行った無差別攻撃であり指向性が無い。当然、一誠も自分自身のオーラをゼロ距離で浴びることになり、ダメージを負いながら吹き飛んで行く。

 シンは無音の世界で浮遊感を体験していた。閃光のような赤いオーラを間近で見たせいで視界が赤一色になっており周りが見えない。凄まじい勢いで後方へ飛んでいることは分かるが一秒、二秒と経っても足が地面へ着かない。

 五秒経過しようとした時、爪先が地面に触れたのを感じ着地に備える。間もなくして両足が地面へ着くと飛ばされる勢いを殺しながらバランスを保ち、転倒しないようにした。

 麻痺していた視覚と聴覚の感覚が戻って来る。元居た場所からかなり飛ばされていた。

 一誠の自爆攻撃により攻撃のチャンスを潰されたシン。幸い、オーラの充填が甘いのでドラゴンショット程の威力は無い。しかし、オーラの濃さもムラがあり、近距離で浴びてしまったせいか傷の浅い箇所、深い箇所がある。傷の浅い箇所は掠り傷程度で頬や首筋に擦傷が出来たぐらいで済んだが、深い箇所だとシンの腕の肉がやや深めに抉られていた。

 深さが異なる傷が全身に生じ、体を伝って血が足元へ流れ落ちていく。

 目を動かして一誠の場所を探す。

 あと一歩、あと一歩と思いながらもその一歩が遠い。もしかしたら、一歩と思っていた距離は果てしなく遠いのかもしれない。近付いたと思ったら、見えない所まで遠のいていく。それこそ今のように。

 一誠を探しながら頭の中で酷く冷めた部分がある現実を突き付けてくる。

 

『もう手遅れなのでは?』

 

 無慈悲で容赦なく、そして詰まらない言葉。ここに来る前に木場と交わした一誠と共に戻って来るという約束を嘲笑してくる。

 一誠を救け、自分も帰還する。それが最善の結末であることは分かっている。シンもそれを目指して足掻く。救えなかったという結果は最初から求めていない。

 だが、その約束を交わした時、同時にある可能性が生じる。

 一誠を救えず、シンも帰還出来ないという最悪の結末。二兎を追う者は一兎をも得ず、という言葉があるように最善と最悪は表裏一体。

 今もあと一歩及ばないという現実がシンに、妥協しろと囁いてくる。

 自分が相当疲れているのを自覚する。戦いに集中し切れずに雑念が湧いてきた。考えてみれば気の休まない戦いを立て続けに行ってきている。そこに仲間と戦うという精神的な重圧が強い戦いまでしている。限界が無い限り消耗が何かしらの形で出てくる。

 しかし、それでもここまで精神的な疲れを覚えたことはない。

 

(──ああ、そうか)

 

 こんな状況だからこそ自覚する。

 

「俺が思っている以上に俺とお前は友達だったんだな……」

 

 バカでスケベでどうしようもない奴である。自分と正反対なのは分かっている。だが、自分には無い熱は嫌いじゃなかった。気が合わなくとも築ける友情はあるらしい。

 それでも最悪の事態になったら自分は躊躇なく戦えるだろう。嘗ての友人たちのように──

 そこで自分がおかしなことを考えていることに気付く。友と呼べる存在と戦うのは初めての筈なのに、まるで経験があるかのような思考。頭の中で得体の知れない記憶が混じる。

 

(何を考えているんだ、俺は……)

 

 一誠の正気を取り戻す前に自分の中の正気が疑わしくなってきた。

 

 

 ◇

 

 

「はぁ……はぁ……し、しつけぇ……」

 

 どんなに攻めようとも反撃してくる影たち。元々あった恐れが戦っている中でどんどん大きくなってくる。恐れが大きくなると自然に勝てるかどうか分からなくなっていき、自信が萎んでいく。

 

『苦戦しているね』

「見ての通りだよ!」

 

 他人事のように言ってくるので八つ当たり気味に叫ぶ。

 

『切り札を使ってみたらどうだい?』

「切り札……?」

『神にも届きうるあの一撃さ』

 

「もしかしてロンギヌススマッシャーのことか?」

 

 出来るか、と言われたら即答は出来ない。ヴァーリは使いこなせている様子だが、一誠にはそんな自信は無かった。

 

『今の君なら出来るさ──少々代償を払うことになるけどね』

「代償って……命か?」

『そんな重いものじゃない。そもそも、君への負担は殆ど無いと言ってもいい』

 

 最上級の一撃を負担無しで放つ。そんな美味しい話は疑わしく思えてしまう。

 

「そんな都合の良い……」

『都合の良くて何が悪いのかな? 君は都合の良いことは嫌いなのかい?』

「そういう訳じゃ……だって、でも……やっぱ何かあるんじゃないかと思っちゃうし……」

 

 改めて聞かれると答えに困ってしまう。都合の良いことを疑っても嫌う者はまず存在しないだろう。

 

『都合の良いこと──幸運というものに対しては疑い深くなるのに、都合の悪いこと──不運に対しては嘆きながらも受け入れる。実に不思議だ』

 

 嫌味を言われているような気がしてならない。上手い話の裏には何かある、というのが世の常。人は何かしらのリスクが生じていた方が幸運などを納得し易いのかもしれない。

 

『君が信じられないというのなら、もうこの話は止めよう。私と君でどうにかして目の前の脅威を打ち倒そう』

 

 しかし、上手い話をいざ取り上げられてしまうと惜しい気持ちが湧いてくる。餌をちらつかせるだけちらつかせた後に取り上げ、隠してしまう。一度湧いてしまったものは簡単には消すことが出来ない。

 

「待った! 話だけ……聞かせてくれ」

 

 実質敗北宣言に等しい。声の出した悪魔の誘惑に絡め捕られたのだ。

 

『それはね──』

 

 声に感情は無い。しかし、その声を送っている者は静かにほくそ笑んでいた。

 これから起こることを愉しむかのように。

 

 

 ◇

 

 

 ゆらりと一誠は起き上がる。その様子にシンは背中に悪寒が駆け抜けていくのを感じた。

 それは大技を放つ時の前兆に似ている。充填し始めたオーラが僅かに漏れ、その漏れ出たオーラの質の悍ましさを敏感に感じ取ったからだ。

 ヘルズエンジェルによりロンギヌススマッシャーの発射口は潰されている。だが、それに匹敵する何かを一誠は放とうとしている気がした。

 準備態勢に入られる前に妨害しようとするが、シンよりも先に仕掛ける白影があった。ヴァーリである。ドラゴンショット擬きの暴発を間近で浴びた彼も鎧に大小の傷を負っていたが、シンと同じく危険を察知して一誠に飛び掛かっていた。

 刈るような飛び蹴りが一誠の首を狙う。一誠は回避せずその蹴りを首で受ける。

 この瞬間、ヴァーリは鋭い痛みを足に感じた。蹴ったヴァーリの足の方は脛部の装甲に罅が入り、中の足も負傷してしまっていた。

 恐らくは首回りの装甲を譲渡などにより強化していたと思われる。それも倍加をほぼ一点に集中させたもの。でなければヴァーリの蹴りと装甲が負ける筈がない。

 他の守る部位を捨てて敢えて急所のみに強化を集中させた。そこをヴァーリが狙うと分かっていて。

 

(狙わされたのか!?)

 

 ヴァーリが一誠の首を狙ったのは半ば本能的なものであった。隙がそこにあったから体が自動的にそこを狙った。もしも、それが誘導されたものだとしたら。

 一誠は首を倒し、首と肩でヴァーリの足を挟む。

 

(仮にそうだとしたら、とんだギャンブルだ!)

 

 一箇所だけ守りを薄くしてもそこを確実に狙うという保証はない。失敗していたら倍加が抜けて柔くなった装甲を中身ごと蹴り砕かれていただろう。しかし、一誠はそのギャンブルに勝った。咄嗟に足を抜けられない状態にしてみせた。

 本日二度目の失態。一誠の賭けにまた負けてしまう。

 

「……仕方ないか」

 

 まんまと乗せられたことをヴァーリが素直に受け入れた直後、固定されていた足に一誠の拳が打ち込まれる。

 罅があった装甲はその一撃で砕け、生身の部分まで届き、ヴァーリの脛部を叩く。ヴァーリの脛の骨は折れ、関節が無い筈なのに足首から上がくの字に変形した。

 その時、ヴァーリは光翼の角度を変えてオーラを噴射。

 

「これで──」

 

 装甲が剥がれ、骨が折れた足。これにより捻りの可動域が増す。噴射の勢いで掴まれている足がミシミシという音を立て、為ってはならない状態まで捻られる。

 

「蹴りの威力が増す」

 

 バキン、という音が鳴りヴァーリの爪先が一誠のこめかみ部分を蹴る。鳴った音が骨が更に折れた音なのか兜を蹴った音なのかは分からない。

 突き刺すような蹴りに傾けていた首が起き上がる。それにより拘束が緩まり、挟まれていた足が抜ける。足が自由になるとヴァーリは一誠の体を蹴りつけた。

 一誠は蹴られて下がり、ヴァーリは蹴った反動で後ろへ跳ぶ。両者下がることで間合いが倍の速度で離れる。

 

「よっと」

 

 跳んだヴァーリはシンの傍に降りる。その際、片足のみで着地をした。蹴りの為に捻じった方の足は向きが百八十度変わっており、踵が正面を向いている。怪我などに慣れていない者が見たら顔を蒼褪めさせていただろう。

 

「やれやれ。やられたよ」

 

 足が折れて捻じ曲がっている状態でも普通に話すヴァーリ。激痛で呂律が回らなくなっていてもおかしくないというのに。

 状況が切迫しているのでシンも治癒することも出来ない。

 

「高い代償だ」

 

 何を思ったのか捻じ曲がった足を地面に着ける。そして、体重を掛けると体を動かして捻じれていた足を元の位置に戻した。怪我などに慣れていない者が見たら卒倒していただろう。

 激痛が濁流のように神経を流れ、脳に情報として流れ込み続けている筈なのにヴァーリは冷や汗一つかいていなかった。戦いへの集中がそれらを遮断してしまっているからだ。

 今のヴァーリの中では痛みを文章の羅列として表示されているのみ。それはそれで危うい状態なのだが、戦いで邪魔と思っているものを無意識に排してしまっているのでどうしようもない。既にヴァーリの中では片足は無いものとなっており、それを条件として戦い方がシミュレートされている。

 

「今は治せないぞ?」

「何が?」

 

 歪に変形している足を見て、シンは戦況の為に治癒出来ないことを告げるが、ヴァーリはキョトンとし、足を既に無いものとして扱っているので言っていることの意味が分からないといった様子で返す。

 

「──そうか」

 

 お互いに何かズレが生じているのを察したシンはそれ以上話すことはしなかった。

 一誠は首の具合を確かめるように左右に頭を動かしている。問題無しと分かると、その場で棒立ちになった。

 攻撃体勢になった筈ではないのにシンとヴァーリは嫌なものを感じ取る。静かな圧が一誠から放たれている。

 左右に広げられた髑髏が描かれた黒い翅。それが崩れ出す。翅を分解して黒い粒子にし、それを使い魔擬きを再構築したのを思い出し、また駒の特性を持った使い魔擬きを展開するのかと身構える。

 しかし、黒い粒子が創り出したのは数えられる程度の黒い宝玉のような物体。これまでのことを考えると拍子抜け──になることはなかった。それらを見た瞬間にシンとヴァーリは瞠目する。

 

「……死ぬかもな」

 

 この戦いで初めてシンの口から弱気とも取れる言葉が吐かれた。それはどうやっても自分ではどうにも出来ないことを認めてしまったからだ。

 一誠が翅を変換して生み出した黒い宝玉。これは発射口である──ロンギヌススマッシャーを撃つ為の。ヘルズエンジェルによって破壊されてしまったものを別のもので再構築したのだ。

 ヴァーリは拳を握る。撃たれる前に撃ち落とす。それが最適解であった為に体が自然と動いた。

 しかし、そうなる前に宝玉に変化が生じる。宝玉そのものに四枚の薄翅が生え、飛び出した。

 翅の生えた宝玉は高速で動き回り、ヴァーリに狙いを定まらせない。騎士の特性を得た使い魔擬きよりも数段速く、ヴァーリですら目で追うのに限界があった。

 飛んだ宝玉らはシンとヴァーリの周囲を飛び回り始める。黒い残像を残し、耳障りな音を立てて飛ぶせいで周りに大量の蝿が飛び回っているように感じる。

 閉じ込められたシンたちはそこから脱け出すことが出来ない。無理に逃げ出そうとすればその背中にロンギヌススマッシャーの砲口を向けられる。

 だからといって何もしないと充填が終わった宝玉から全方位からロンギヌススマッシャーを浴びせられることとなる。

 

「──まさか同じ発想になるとは」

 

 ロンギヌススマッシャーに狙われていながらもヴァーリは苦笑していた。

 

「……なあ、間薙シン」

 

 ヴァーリは兜を解除し、シンを真っ直ぐ見つめる。

 

「俺を信じられるか?」

 

 刻一刻と脅威が迫る中でヴァーリの突然の質問。ふざけているようには見えない。それ程までにヴァーリの目は真摯であった。

 だからこそ、シンもヴァーリの突拍子の無い質問を真剣に受け止める。

 

「お前の強さは信じられる」

 

 性格面についてはこの際置いておく。共闘して素直に思ったこと隠さずに伝えた。

 

「そうか……そういえば兵藤一誠のことを友達って言っていたな?」

(聞こえていたのか、あれが)

 

 かなり離れており、呟くような独り言だった筈なのだが、ヴァーリは聞き逃さなかったらしい。

 

「俺とも友になってくれ」

 

 この修羅場に於いて似つかわしい爽やかな頼み事をするヴァーリ。

 

「──全部終わったらな」

 

 何かしらの意図があると察するが、快諾はせず保留とも前向きな検討とも取れる答えに留めた。

 

「ははっ。それは楽しみだ」

 

 その答えにヴァーリは短く笑った後、その感情を拭い取り真剣な表情となる。

 

『我、目覚めるは覇の理に全てを奪われし二天龍なり』

 

 ヴァーリが唱え始める詠唱。その詠唱に合わせ、ヴァーリが纏っている装甲が剥がれていく。

 

『無限を妬み、夢幻を想う。我、白き龍の覇道を極め──』

 

 本来ならば莫大な力を解放し、鎧をより上位のものへ変化させるものなのだが、ヴァーリが詠唱を進める度に装甲が減っていくという真逆の現象が起きている。

 

『汝を無垢の極限へと誘おう』

 

 最後の装甲が無くなり、禁手化前の生身の姿へ戻る。

 

『Juggernaut Drive!』

 

 ヴァーリの『覇龍』の発動の筈が、本来の『覇龍』とは異なり異様に静かな発動であった。そもそも纏う筈であった鎧はなく、膨大な量のオーラも無い。

 代わりにあるのはヴァーリの周囲に浮かぶ宝玉を咥えた八つのドラゴンの頭の浮遊体。

 嘗てマタドールやフェンリルとの戦いで見せたロンギヌススマッシャーを放つ為に再構築させた『覇龍』である。ヴァーリが苦笑したのはこれがあまりに一誠の宝玉と似通っていたからであった。

 ロンギヌススマッシャーを複数回発射する。火力にのみ特化させた極端な形態。見て分かる通り防御は一切捨てている。ヴァーリですらここまでしなければロンギヌススマッシャーを複数発射出来ないのを見ると、鎧を維持したままそれを可能する現在の一誠が如何に規格外なのかが分かってしまう。

 詠唱と同時に鎧の変化を捨て、宝玉へオーラを充填することに集中させていた。故に後手であっても一誠よりも充填の速度が速い。

 しかし、問題なのは相手の砲口が動き回っているということ。位置もタイミングもずらされたら迎撃は難しい。

 来るべき時を待ち、ヴァーリは集中する。タイミングを見逃した瞬間に跡形もなく消滅する。

 飛び回る黒い宝玉に赤い光が満ちる。尾を引く残像にも赤い光が混じり、黒と赤の旋風がシンもヴァーリを取り囲む。

 ヴァーリの頭の中で自然にカウントダウンが始まる。何となくではあったが、攻撃するタイミングが伝わって来た。カウントがゼロになった時、一斉発射されるのを幻視する。

 普通ならこの様なイメージに引っ張られないのだが、相手が一誠だからなのか、このイメージが信じられた。

 無意識なのか、本能なのか。ヴァーリが全力勝負を望んでいるように一誠もまた全身を出し切ろうとしている。赤龍帝と白龍皇、どれだけの妨げがあったとしても互いに本気で戦うことを心の底から望んでいる。

 

「気が合うな」

 

 互いの宿命を感じ取り、ヴァーリは一瞬だけ微笑んだ。そして、シンを見る。

 

「死ぬなよ」

 

 新たな友への願いの言葉。それを送ると同時にカウントはゼロを示す。

 そこから先、当事者も第三者も何が起こっているのか分からなかった。ただ赤と白の綺麗な光が閉じられたこの世界を余すことなく照らす。

 

 

 

 ◇

 

 

(ここでリタイアか……)

 

 意識が暗く沈む中、ヴァーリはぼんやりと考える。後悔はない──と言えば噓になる。全力を出し尽くしてもまだまだ心は満たされない。

 

『らしくないことをしたな、ヴァーリ』

 

 暗闇の中でアルビオンが声を掛けてくる。

 

(そう思うか?)

『ああ。赤龍帝との戦いをこのような終わり方にするとは……何よりもお前自身が一番望んでいたことではないのか?』

(望んではいるさ。でも、俺は我儘なんだ。決着をつけるにしてももっとこだわりたい。ああも混じった兵藤一誠ではなくありのままの兵藤一誠との戦いが俺にとって最高の戦いになると思っている)

『言っていることが矛盾しているぞ? その為に何故この戦いを途中退場するような真似をする?』

 

 ロンギヌススマッシャーを複数同時発動すればいくらヴァーリであろうと魔力は尽きる。そうなれば一誠を救うこの戦いを途中で投げ出すことになる。

 

(あの状況は俺にしか打破出来ない。それにアルビオン、俺は賭けたのさ。俺の未来に、そして赤龍帝と白龍皇の運命に)

『何?』

 

 賭けたと言うヴァーリ。その意図をアルビオンはまだ察せない。

 

(俺の未来、俺の運命の先に赤龍帝──兵藤一誠が待っていることを信じたんだ。俺は死なない。そして、兵藤一誠も死なない。来るべき宿命の対決のその日まで)

 

 自分自身を信じ、この先の未来に託す。その為にこの一瞬に全てを賭した。大博打という言葉では済まない。それでもそのような未来が来ると自分の運を信じているヴァーリにアルビオンは言葉を失う。

 運命すら自分の味方なるという傲慢極まる考え。歴代の白龍皇の中でもここまで傲慢な者はいなかった。

 

(何だアルビオン? お前とドライグの因縁はこの戦いで途切れるような柔なものなのか?)

 

 憎たらしい挑発をかましてくる自分の半身。生意気だとは思うが、その言葉を否定する程アルビオンは耄碌していない。

 

『あまり私を舐めるなよ、ヴァーリ。お前と赤龍帝の因縁よりも私とドライグの因縁の方が遥かに強い』

 

 挑発には挑発で返して来る。その台詞にヴァーリはニヤリと笑う。アルビオンの顔は見えないが同じ表情を浮かべている気がした。

 

『しかし、その全てをあの男に託すということか……』

 

 ヴァーリの願いが叶うかどうかはシンの肩にかかっている。

 

『そうなる前にお前と赤龍帝の撃ち合いで死んで──』

(ないさ)

 

 ヴァーリは力強く断言する。

 

(彼はあの魔人だぞ?)

 

 魔人。その言葉はどんな根拠にも勝る。

 

(それにだ……俺が友として認めた男でもある)

 

 まだ決まった訳ではないが、誇らしげに言う。

 

『……疑問に思ったのだが、何故あの時、友になってくれと言った? わざわざ言う必要があったのか?』

 

 運命を託し、未来を賭けた相手だが友になってくれと求めたのはアルビオンも不思議に感じた。

 

(……そうしないと言い訳出来ないだろ?)

 

 ヴァーリは少しだけバツが悪そうにする。

 

『言い訳? 誰にだ?』

(俺自身にだ)

『お前自身にだと?』

(友を助ける為──と言い訳しないと自分を納得させられないだろ?)

 

 色々と爽やかな事を言っていたが、内心では戦いへの未練がこれでもかとある様子。どうにかして納得させようとした結果、あの言葉だったらしい。

 

『ヴァーリ……お前という奴は……』

 

 呆れと苦笑が返ってくる。

 

(本心であることは間違いない。これでも楽しみにしているんだ──次に顔を合わせる時を)

 

 保留された答えに期待しながらヴァーリは意識を手放すのであった。

 




思い描いていた展開からややズレて来ましたが、そろそろ決着になります。
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