ソーナはセラフォルーから聞かされた報せを受け入れるのに暫しの時間を有した。部屋の外では眷属たちを待たせている。あまり時間を掛けてしまうと不審に思われるかもしれない。
「──お姉様。私はそろそろ行きます」
「ソーナちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫です……とは言い難いですね」
流石に二人のことをその一言で片付けられる程ソーナは薄情ではなく、また姉の前だからこそ本音を零す。
「……眷属さんたちには教えるの?」
知ってしまったからこそソーナには新たな試練がやって来る。冥界を守る為に士気を高めなければならないこの状況で一誠とシンのことを報告すべきか否か。
戦い終えるまで隠蔽しておく──という選択肢は早々に消える。魔獣の侵攻とそれによる都市部の防衛はいつ終わるか分からない。その間、隠蔽しておくのは現実的ではなく、また隠していたソーナへの不信感へ繋がる。
可能性は低いが、敵側にこの情報が洩れていないとは限らない。戦いの最中に知らされ、隙を生む可能性もある。
戦いの士気について考慮していたが、喜びだけが士気の向上になる訳ではない。悲しみも怒りも士気を上げる為のものになる。
特に二人にライバル心を持ち、同時に尊敬もしている匙であったのなら──そこまで考えてソーナは友人二人を喪ったばかりなのにその悲しみすら士気向上の為の材料として計算してしまう自身の冷徹な合理性に、彼女は吐き気を伴う自己嫌悪を覚えた。
だが、それで良いと歯を食い縛る。悲しむばかりで冷徹な合理性を遠ざけては今ある命も失いかねない。
「……伝えます」
「辛かったら、お姉ちゃんから伝えてもいいんだよ?」
「いいえ。これは私から伝えるべきです」
主として眷属の手前、甘える訳にはいかない。ソーナは涙の跡を拭い、セラフォルーを真っ直ぐ見る。
「お姉様。私の顔は変ではないでしょうか?」
すると、セラフォルーはソーナの両頬に手を添える。
「大丈夫! いつもと変わらないカッコ良くて可愛い私の大好きなソーナちゃんだよ!」
セラフォルーがソーナに笑顔を向ける。その笑顔と添えられた手の温もりがソーナに前へ突き進む勇気を与えてくれる。
「ありがとうございます。──では、行ってきます」
セラフォルーの手が離れるとソーナは振り返り、ドアへ向かう。
「ソーナちゃん! 頑張れっ!」
姉の声援を背に受け、ソーナはドアを開けて部屋の外に出た。
部屋から少し離れた場所に匙たちは待機していた。室内での会話が聞こえない為の配慮である。
セラフォルーとソーナの会話に時間が掛かっていたことを少し心配していた匙たちであったが、ソーナの顔を見て訝しむ。
見た目はいつもと変わらないクールビューティーの筈だが、眷属である匙たちには言葉に出来ない違和感があった。
「あの……何かありましたか会長?」
匙が恐る恐る聞いてくる。それを聞いてソーナは矢張り隠し切れないことを悟った。
「……皆に報せておくことがあります」
ソーナは意を決し、一誠が行方不明であることシンが死亡したことを告げる。その報せを聞いた眷属たちは誰も言葉を発しなかった。
全員が目を見開き、信じられないという表情で固まる。だが、徐々に情報を呑み込み始めた時、ハッとした表情である二人を見る。
一人は由良。以前、大事なレーティングゲームでシンに代理をしてもらい、彼に恩を覚えている。それを切っ掛けにシンに好意を抱いているらしく何度かプライベートで食事したりトレーニングをしたりしたという話も聞いた。
シンの死亡という報せに由良は瞬きもせずに硬直し、顔面蒼白になって今にも倒れそうであった。
「そ、それは、た、確かな……」
やっと出された由良の声は必死に出されたものであった。呼吸が浅く、早い。由良は過呼吸を起こしており、やがて目眩で膝から崩れる。
こうなることは予想は出来ていた。近しい者が亡くなるという精神へのストレスは大きい。由良程ではないにしても他のメンバーも似たような顔色をしており、全員動揺を隠せていない。
「翼紗の介抱をお願いします。……まだ時間はあります。それまでに準備を整えておいてください」
ソーナに言われ、正気に戻った他のメンバーが慌てて由良を支える。自分から動揺させておいて何て言い草だ、と自身を罵倒するソーナ。
「会長」
匙から呼ばれ、ソーナは彼の方を見る。ショックの度合いからすれば匙は由良以上かもしれない。一誠とシンをライバルとして追い掛けてきたのに、一気に二人も失ったとなればどんな風になっているのか。
「まだ時間はあると言っていましたね? ちょっと俺は離れます」
あまりに落ち着いた声であった。
「サジ……?」
彼の顔を見た瞬間、ソーナは息を呑む。能面のように怒りも悲しみも何も無い無表情。喜怒哀楽が表情に良く出る普段の匙と比べると別人のように見える。
「会って話がしたい奴がいるんです」
聞いたことがない匙の冷めた声に彼を良く知るメンバーは身震いする。
一見すると冷静に見えるかもしれないが、匙はキレていた。怒りが一周回って反転し、激しい炎のような衝動ではなく氷のように冷たい殺意を彼に与えていた。
その証拠に匙の瞳の中では黒い炎が激しく揺れ、呼気には黒炎が火の粉となって混じる。感情が昂ぶり過ぎてヴリトラの力が洩れ出している。
「──話をするだけですね?」
「はい」
危うさがある匙に念を押すように確認すると、匙は迷うことなく頷く。感情は昂ぶっているが、決して暴走はしていない。
「──分かりました。迷惑をかけないように」
匙を信じて、彼の自由行動を許す。
「ありがとうございます」
ソーナに頭を下げると匙は行ってしまった。
「……ふぅ」
ソーナの口から小さな溜息が吐かれる。危なっかしい感じのする匙だが、今の匙はそれを通り越して危険に思えた。気を張っていないと気圧されそうになるぐらいな程に。
「会長……」
副会長兼『女王』の真羅が悲し気な声でソーナを呼ぶ。真羅の傍には『騎士』の巡と『兵士』の仁村に支えられて力無く立っている由良。
由良の痛ましい姿や匙の行動を見ていると一誠とシンのことを話した決断が揺らぐ。もっと良いタイミングがあったのではないかと自問自答してしまう。
(……やはり、私も動揺が抜けていないようですね)
気持ちが揺らぐのは、後悔がすぐに顔を出すのは心が弱っている証拠。ソーナもまた二人の身に起こったことへの動揺から回復し切れていないことを自覚する。
だが、ソーナは既に決断し実行した。実行された選択を取り消すことは出来ない。
「翼紗を休ませましょう。部屋は用意しています」
せめて自分の決断への責任は取る。
ソーナは若く、未熟な悪魔だが主としての矜持を見失うことはしなかった。
ショックを受けている由良を介抱する為、彼女を休める場所へ連れていく。由良の気持ちが落ち着くまで彼女に寄り添うつもりであった。
◇
相変わらず緊張感に満ちた悪魔と魔人の会話。とは言っても喋るのは悪魔側、それもサーゼクスだけでありヘルズエンジェルはつまらなそうに、だが話の内容はしっかりと把握した相槌を打つ。
周りではセタンタとグレイフィアが目を光らせており、そこに過剰なまでの敵意を込めたレイヴェルの視線も加わる。小猫はレイヴェルの傍で彼女の様子を見守っていたが、話し合いが始まって数十分しか経っていないのに随分とレイヴェルの目付きが悪くなったと思った。
聞き流すに近い形で適当に聴いているヘルズエンジェルであったが、その最中眼窩の炎が横へ揺れる。人で言う余所見であったが、それはヘルズエンジェルの気を惹く程のものが視線の方向にあったことを意味する。
(この気配……)
「──何か気になることでもあったかね?」
ヘルズエンジェルの行動全てに注意を払っているサーゼクスは、ヘルズエンジェルの僅かな動きを見落とさない。それは控えているセタンタとグレイフィアも同じであった。
「目聡い男だ。それだけ目聡いとさぞかし女を喜ばせられるだろうな」
誤魔化すように茶々を入れるが──
「そうでもありません」
「グレイフィア」
──何故かグレイフィアの方が答え、サーゼクスが少し焦った声を出す。セタンタはサーゼクスを半眼で見ていた。
意図せず話題が横へ滑り、少しの間サーゼクスとグレイフィアが痴話喧嘩をする。
その小さな騒ぎの中でヘルズエンジェルは先程感じた感覚をもっと深く探る。
(──ヴリトラか。しかも、完全に復活しているな)
魂をバラバラにされて複数の神器の中に封印されている筈のヴリトラが元の一つの状態に戻っていることをヘルズエンジェルは知る。
五大龍王の中では比較的に大人しく面白味が薄いドラゴンだったので、ヘルズエンジェルは特に興味を示さなかった。強いて興味があるとすれば、ヴリトラが放つ黒い炎の見た目は嫌いではなかった。尤も、ヴリトラの黒炎は焼くのではなく相手の力を吸って燃える特殊なタイプの炎なので、火力が全てのヘルズエンジェルとしては炎の好みから外れる。あくまで見た目だけであった。
ヘルズエンジェルからの印象の薄いヴリトラであったが、今のヴリトラはヘルズエンジェルの興味を惹いていた。
(随分と腹の中に激しい怒りを宿しているなぁ。良い宿主に巡り会えたようだ)
ヴリトラの宿主である匙の怒気をヘルズエンジェルは感じ取り、その怒りの激しさを愉しんでいる。
(どんな面をしているんだ?)
◇
自らがやれることを見つける為に木場がフロアを移動している時であった。
「よ、木場」
「──匙君」
グレモリー城内で匙が手を挙げながら木場を呼ぶ。
「どうしてここに?」
「ま、聞きたいことがあって来たんだよ。俺たちも都市部の一般人を守る為に参加してんだけど、準備やら何やらで時間が空いちゃってな。その時間を利用して」
匙の態度は木場の良く知るものであり普段通りの様子。
(もしかして、イッセー君や間薙君のことをまだ知らされていないのか?)
匙の変わらなさにその可能性が浮かぶ。大事な戦いの前、士気に関わることなのでソーナが敢えてその情報を伏せるのもあり得る。
そうだとしたら下手なことは言えない。
「──僕たちもなるべく早くソーナ会長たちに合流するよ」
「リアス先輩たちは戦えるのか?」
「……え?」
当たり障りの無い答えを返したつもりであったが、匙の方から核心をつくカウンターが返ってくる。
「匙、君……?」
「わりぃ。ここに来る前に全部聞かされてんだ。……兵藤のことも間薙のことも」
木場は一瞬体を硬直させる。知っていながらも匙のあの落ち着いた態度。一誠やシンと比べると交流は浅いが、どちらかと言えば一誠に近い性格をしているので知っている匙と今の匙と重なり合わない。
「一体、君は何をしに……?」
「話を聞きたかった。兵藤と間薙に何があったのか詳しく説明出来る奴から。そしたら木場、お前と最初に会った」
淡々と言う匙。どうしてこんなに落ち着いていられるのかと思いながら木場は匙と目が合う。冷たい悪寒が背筋を駆け抜けた。
瞳の中で燃える黒炎。その奥に輝く赤い光。匙の目がヴリトラと同じ光を発している。冷静に見えたのは上辺だけだと気付かされる。
「……匙君。相当きているね」
「分かるか? こんなこと言うのはアレだと思っているんだが……敵だったら誰でもいいからぶっ殺してやりたい気分なんだよ」
匙の物騒な発言に木場は苦笑いをする。
「大丈夫。僕も少し前まではそうだったから」
「そうか。気が合うな」
木場と匙は小さく笑った後、落ち着いて話せる場所へ移動する。喧騒から少し離れた別室。そこに置かれてあるソファーに木場と匙は向かい合って座る。
「僕が見た分だけの話になるけど」
「十分だ。頼む」
木場は何があったのか説明した。オーフィスを匿っていたことで『禍の団』の英雄派の襲撃を受け、サマエルとヘルズエンジェルの写し身と対峙したこと。
辛うじて切り抜けたと思われた矢先にシャルバ・ベルゼブブが現れたこと。
凶悪な力を持つシャルバ・ベルゼブブと戦い、一誠が倒したこと。
シャルバが最後の悪足搔きで一誠に呪いをかけ、暴走させたこと。
オーフィスにより暴走した一誠を異空間へ隔離し、そこでシンたちと戦ったこと。
戦いの結末はシンの死と帰って来なかった一誠ということ。
話を最後まで黙って聞いていた匙は、木場の話を聞き終えると同時にその目から大粒の涙を零す。
「そんなことって……そんなことってありかよっ!」
一誠とシンが戦い、共倒れとなった。その事実に匙は大きなショックを受ける。尊敬していたライバルが、友人同士が本気で殺し合う。そんな残酷な戦いをしてしまった一誠とシンの心情を想像するとどうしても涙が流れてしまう。
だが、同時に納得もしてしまったこともあった。
「兵藤と間薙……誰が彼奴らを殺せるんだって思ってたんだよ……俺の中じゃ最強ってイメージがあの二人だったんだぜ? でもよぉ、でもよぉ……その二人が殺し合ったんだからそうなるしかねぇじゃねぇか! くそっ……くそぉ……!」
心の中で信じ切れなかったことが、教えられた事実により認めたくないのに納得出来てしまう。一誠とシンが殺し合ったのならこのような結果になる、と。
「もしも……彼奴らを殺した奴が別の誰かだったら俺がぶっ殺してやったのに……!」
憎むべき敵がいたのなら、匙の中で渦巻く理不尽への怒りを向ける矛先になれた。しかし、そんな都合の良いものは存在しない。シンが一誠を殺し、一誠がシンを殺した。目標で尊敬するライバルを仇として憎むことなど到底出来るものではなく、行き場を失った激情が匙の心を苦しめる。
俯き、体を震わせ、嗚咽を噛み殺す。匙の足元には涙の跡が黒い点となって浮かび、やがて消えていく。
木場は匙に掛ける言葉が見つからなかった。悲しむ匙を見ている内に木場も自然と目の奥が熱くなり、涙が込み上げてくる。
全身で悲しみを表す匙が羨ましく思える。木場はどうしても悲しみに全てを委ねることが出来ず堪えてしまう。凄惨な実験の生き残りとして仲間と死別した過去のせいで、悲しみが決壊すれば何処までも沈んでいくような気がして、嘗ての自分に戻ってしまう気がして踏み止まってしまう。
(弱いなぁ……僕は……)
一度でも折れたら立ち直れないかもしれないことを恐れ、匙のように泣けない自分を卑下する。
木場は自分の弱さを噛み締めながら匙が泣き止むまで待っていた。
やがて、匙の足元に涙の点が新たに浮かぶことはなくなり、涙の跡も全て乾く。
「はぁ……」
匙は鼻を啜りながら顔を上げる。目の周りは赤いが既に涙は無い。
「情けない所、見せたな」
「いいよ、気にしなくて。僕たちだけの内緒だ」
木場がウィンクをする。普通の人間がやれば気障な行為だが、木場がやると良く似合う。
「お前、やっぱモテる奴だなぁ」
「そうかい?」
「そういうとこ嫌いだわー」
「えぇ……」
匙の言葉に木場は困惑する。だが、すぐに二人の間で笑い声が上がった。交流の浅い二人だが片方が自分を曝け出し、もう片方がそれを受け止めたせいか今まで以上に打ち解けられた。
「……ありがとうな。お前もキツイのに色々と話してくれて。お陰でごちゃごちゃしていた頭の中が少し整理出来た」
匙はソファーから立ち上がる。木場が最初に感じた悪寒はもう無い。全身に漲っていた殺気は落ち着き、代わりに威圧感を放つ。
「兵藤や間薙に代わって俺が戦う。『禍の団』だろうが何だろうが冥界を攻める奴らは俺がぶっ飛ばしてやる」
過剰にあった憎悪は削がれ、かといって完全に無くなった訳ではなく闘志と程良く混合され、匙を動かす原動力になる。
友人たちを失い、復讐心に囚われていた匙であったが、木場と会話することで心を整理することができ、強い意思と冷静さがバランス良く内在している状態となっていた。
(今の匙君は──強い!)
匙よりも高い戦闘力を持つ木場ですら、ベストコンディションとなっている匙を畏怖してしまう。どれだけ魔剣を創造しても匙に届くイメージが湧かなかった。
「俺、もう行くよ。俺に──ソーナ会長と俺たちにもやれることがあるだろうし」
「──うん」
迷いの晴れた匙は爽やかな表情で去ろうとするが、何かを思い出したように足を止めた。
「お前たちは……大丈夫だよな?」
二人を失ったダメージを最も受けているのは木場を含んだリアスたち。そんな彼らがどれだけまともに戦えるのか心配する。
「──大丈夫だよ。戦うしかないさ。冥界の危機に力ある悪魔が全て招集されている。自惚れではなく僕たちは力ある悪魔だ。──やらなきゃ駄目さ」
背負い過ぎているような木場の発言に匙は少しだけ表情を曇らせる。
「それは……絶対か?」
「……言い訳にしたくないんだよ。イッセー君や間薙君が居なくなったことで戦えなくなったなんて、そのせいで冥界の人たちを見殺しにしたなんて。そんなこと絶対にあっちゃいけない」
木場が強い決意を以って言うと匙は「そっか」と言いながら笑う。
「分かった。もう何も言わねぇ。でも、焦んなよ? 話を聞いてくれたお礼だ。心の整理をする時間ぐらい俺が稼いでやる!」
力強く言う匙。ルヴァルにも似たようなことを言われたのを思い出し、木場のその気遣いを噛み締めながら微笑む。
「ありがとう」
「気にすんな」
匙も同じく笑みで応え、木場に手を振りながら去って行く。
木場に背を向けた後、匙は笑みを消した。嘗てない程に真剣で無駄なものを一切省いた表情をしている。
「ヴリトラ」
内に宿る龍王の名を呼ぶ。
言わなくとも分かる。ここから先は弔い合戦だ。若き赤龍帝の無念を我らの黒炎で晴らすぞ
「ああ、そうだ。ダチがやれない分、俺たちがやる。死んで後悔出来ないぐらいの呪いの黒炎を見せてやる……!」
◇
サイラオーグ・バアルとその眷属たちは他の若手悪魔たちよりも一歩先に前線に出ていた。『超獣鬼』と『豪獣鬼』は巨体故に動きが緩慢だが、それらから生み出される大量の小型モンスターらは生みの親を放って先行し、小さな町などを襲っている。
本体と比べると小型モンスターたちの力は比べ物にならない。しかし、数だけはいるので生半可な実力の悪魔では数に圧倒されてしまう。
しかし、小型モンスターたちの前に立ち塞がるサイラオーグは生半可という言葉とは程遠い人物であった。
津波のように押し寄せてくる小型モンスターたちにサイラオーグの拳が真正面から衝突する。瞬間、最前列にいた小型モンスターたちは拳が命中した際に発生した衝撃波によって消し飛んだ。衝撃波は後方にいる小型モンスターたちも貫き、サイラオーグの拳一振りで押し寄せていた小型モンスターたちの侵攻が止まる。
打ち洩らした小型モンスターたちもいるが、最初の大群と比べれば大した数ではなくサイラオーグの眷属たちがそれらを狩っていく。
「今の内に避難を急げ! 手が空いている者がいたらすまないが負傷者に手を貸してくれ!」
サイラオーグは一キロ先にも届きそうな声量で指示を飛ばす。サイラオーグの声に突き動かされ、逃げ遅れている住人たちは慌てて避難。余裕のある者もまた体の不自由な者や怪我をしている者に肩を貸して逃げるのを手伝う。
非常時なら混乱が起こってもおかしくないが、サイラオーグの存在感と力強さが恐怖を緩和してくれ、住民たちの混乱を抑えてくれていた。
「サイラオーグ様!」
頭上から声が降ってくる。蹄音代わりに空を弾く音を立てながら青白い炎を纏う馬──『青ざめた馬』に跨った甲冑騎士がサイラオーグの傍に寄って来る。
「第二陣が迫ってきています」
サイラオーグの『騎士』であるフールカスは上空からの情報をサイラオーグに伝える。
「数と距離は?」
「数は先程と同数。距離は約二キロです」
「そうか。クイーシャ!」
「ここに」
サイラオーグに名を呼ばれる前に『女王』のクイーシャは傍に控えていた。
「行けるか?」
「問題ありません」
最低限の会話。それだけでお互いに通じる。
サイラオーグはその場で構える。そして、全身から闘気を発し、それらを右腕のみに集中させる。
天上を焦がすような勢いで噴き出していたサイラオーグの闘気が右腕のみに集められ、湖面のように鎮まる様子に眷属たちは息を呑む。卓越した闘気のコントロールを見てサイラオーグがまた強くなったことを実感した。
構え、拳を突き出す。動作する為に必要な筋肉、関節などが滑らかに連動した美しさを覚える程の動き。
真っ直ぐ突く拳の先にはクイーシャ・アバドンの魔力が生み出す『穴』。サイラオーグの集束された闘気が、『穴』の中に撃ち込まれる。
サイラオーグたちから離れ、二キロ先。侵攻する小型モンスターたちの大群。生物としての意思はなくプログラムのように与えられた命令を実行する為に冥界の住人たちの許へ向かっていく。
大群の側面。そこに『穴』が生じる。僅かな時間差でサイラオーグの闘気が飛び出し、射線上の小型モンスターたちを一気に消滅させる。
進軍していた小型モンスターたちは最前列を歩く小型モンスターたちが纏めて消し飛ばされたのを見て足を止める。しかし、後ろから来ている小型モンスターたちは何が起こったのか把握していないので、立ち止まった小型モンスターたちを後ろから押してしまう。
それにより止まっていた小型モンスターたちは闘気の照射の中に次々と押し込められていく、文字通り最前列の後を追う。
小型モンスターたちの足並みは乱れ、渋滞を引き起こして進軍が止まってしまう──サイラオーグたちの狙い通り。
真っ直ぐ飛ぶ闘気の先には新たな『穴』が待ち構えており、そこに闘気が入っていく。そして、渋滞している小型モンスターたちの傍に『穴』が開き、吸い込まれていた闘気が再び放たれた。
四方八方からの闘気。これが数度繰り返され、小型モンスターたちの大群を蹂躙する。サポートがあったとはいえサイラオーグの拳一つで大群は全滅した。
「敵の全滅を確認しました!」
フールカスの報告を聞き、何度も『穴』を展開して疲労していたクイーシャは、その場で膝を着く。
「大丈夫か?」
「問題、ありません……少し休めば」
「よくやった。今は休め。これで暫くの間は時間を稼げる」
クイーシャを労った後にサイラオーグは残った眷属たちに指示を出す。
「引き続き住人たちの避難だ! フールカス! 監視の目を緩めるな! 敵は魔獣たちだけではない!」
疲れた様子を見せないサイラオーグをクイーシャは密かに心配する。
ライザーの誘いで人間界へ行き、そこで『禍の団』の襲撃を受けたのはクイーシャたちも訊いている。冥界に帰還したサイラオーグは常に険しい表情を浮かべ、近寄り難い雰囲気を出していた。
人間界で何かあったのは予想が付く。自分に厳しいので何か不覚を取ったのかと思ったが然程目立った負傷は見当たらない。しかし、何かを振り払うようにサイラオーグは帰還後すぐに魔獣討伐を希望し、そこから今に至るまで不眠不休で動いている。サイラオーグの眷属らの目にはそれが自罰のように映っていた。
何かあったのかと訊きたい気持ちはあるが、眷属という立場のせいで弁えてしまい踏み込むことが出来ない。サイラオーグならそれも許してくれることは頭では理解しているが、心はサイラオーグを敬っているので一歩踏み出せずにいた。
サイラオーグは避難する住人たちを見守りながらも何処かピリピリしている。住人たちの安全を確保してもサイラオーグの心はまだ鎮まっていない。
「サイラオーグ様」
『僧侶』のコリアナがサイラオーグを呼ぶ。サイラオーグは視線だけコリアナの方へ向けた。その瞬間、コリアナは一瞬体を震わせて息を呑む。サイラオーグの眼光に気圧されてしまった。
「──すまん」
余裕の無い心情が洩れてしまっただけでサイラオーグは睨んだつもりはなかったが、眷属を無意味に威圧してしまったことを詫び、まだまだ精神修行が足りないと反省する。
「い、いえ、お気になさらず。それよりもソーナ・シトリー様から連絡が入っています」
「何? 繋げてくれ」
「はい」
コリアナが指を振るうとサイラオーグの前に通信用の魔法陣が展開され、そこにソーナの顔が映し出される。
『お忙しいところ失礼します』
「気にするな。丁度一段落ついた所だ」
『貴方にご相談があって連絡を入れました』
「聞こう」
『……リアスのことです』
リアスの名を出され、サイラオーグの表情が曇る。
「念の為に確認しておくが……既に知らされているのだな?」
『……はい』
直接言わなかったのは一誠とシンの件は伏せられているからである。サイラオーグもこのことは眷属だけでなくバアル家にも伝えていない。シンの遺体の安置の際にサーゼクスから口止めをされていた。
大王側とそれに関わる者たちが知れば、ただでさえ混乱している冥界に更なる混乱を起こすことを考慮しての判断であり、サイラオーグも同意している。
内容が内容なだけに眷属たちには聞かせられないと思っていたが、眷属たちは察して既にサイラオーグから離れている。配慮が行き届いている眷属たちにサイラオーグは苦笑した。
『貴方は兵藤君から尊敬されていましたし、間薙君とも交流があったと聞いています──それにも関わらず戦いに赴いていることに感服します』
「あまり持ち上げてくれるな。お前が思っている程俺も割り切っている訳ではない。寧ろ、何かをして気を紛らわせたかっただけだ」
謙遜ではなかった。通信魔法陣越しなのでソーナは気付かないだろうが、普段のサイラオーグを知っているのであれば今のサイラオーグは無駄に周りを威圧するオーラを発している。サイラオーグが言うように割り切れていない証であった。
「サーゼクス様たちやディハウザー殿のように最前線で戦うことを希望したが……今の俺の立場ではここが精一杯だ」
サイラオーグは魔獣たちと直接戦う最前線を希望した。当然ながらバアル家からは却下された。それは想定内であったが、それだけでは済まずサーゼクスやディハウザーからも直接却下を言い渡された。
サーゼクス曰く『若手悪魔は冥界の未来を担う者たち。危険には晒せない』。ディハウザー曰く『どれだけ力があろうとも君はまだ若い。順番を守りたまえ』と窘められてしまった。
魔王と王者に言われてしまえば最前線で戦うことを諦めざるを得ない。それでも何か出来ることはないかと食い下がり、得たのが冥界の住人たちの避難と護衛という任務。内容に不満は無いが、心の中の靄を晴らすには至らない。
『それでも私たちの中で真っ先に戦いへ赴いたのは立派です。私たちも都市部の人々を守りに向かう予定です。ですが、リアスは……』
「その事で俺に連絡を入れたのだな?」
『……はい』
サイラオーグはリアスが現在どうなっているかは知らない。リアスを最後に見たのは彼女と共にアザゼルからシンの蘇生処置の終わりを告げられた時であった。
その時の光景は鮮明に覚えている。友人にして戦友の死に誰もが泣くよりも先に呆然としていた。
懸命に蘇生しようとしていたリアスたちに諦めるように言ったアザゼルの苦悶に満ちた表情とシンの死に顔をサイラオーグは生涯忘れることはないだろう。
一誠のことについてもサイラオーグは後で知った。生存の確率はほぼゼロだと言われた時、柄にもなく物に八つ当たりをしそうになった。
恋人と友人。その両方を失ったリアスの心は既に限界を迎えてしまったことは容易く想像が出来てしまう。
『リアスは自室に引き籠って誰とも会話をしようとしません』
「……そうか」
『彼女に……失望しましたか?』
戦わずに引き籠っているリアスをサイラオーグは戦士としてどう見ているのか恐る恐る尋ねる。
「失望などするものか。友人と恋人を同時に失えばそうもなろう。当たり前のことだ。責めることも軽蔑もしない」
サイラオーグは迷いもなく言い切る。力だけでなく言葉も強いサイラオーグにソーナは背中を押される。
『私も説得するつもりですが、恐らくは殆ど反応しないでしょう……』
「そんなリアスを戦いに向かわせるつもりだな?」
『──はい。彼女とその眷属たちは放置するには力を持ち過ぎています。冥界の危機に持て余す理由はありません。何としてでも彼女には立ち直ってもらいます。たとえそれによって私とリアスの関係が終わってしまったとしても』
恨まれることも友情も終わらせることも覚悟してリアスを説得する覚悟を見せるソーナにサイラオーグは微笑を浮かべる。
「ふっ。リアスはつくづく友人に恵まれているな。安心しろ、ソーナ・シトリー。俺も共犯者だ」
ソーナの覚悟にサイラオーグもまたソーナと同じくリアスを説得することを決める。
『……よろしいのですか?』
「その為のこの会話なのだろう?」
自分ではリアスを説得し切れないと予想し、カンフル剤としてサイラオーグを連れていくつもりである。下手をすれば劇薬になりかねないが、それだけの衝撃が今のリアスには必要であった。
「やるならなるべく早い方がいい。住人たちの避難が完了したらそちらへ向かう」
『ええ。お願いします』
ソーナは真摯に頼んだ後、通信を切る。
重大な役目を受けたサイラオーグは、気合いを入れ直して引き続き避難誘導をしようとした。
逃げ遅れた住人たちはいないか探していた時、一人の子供が避難先とは逆方向に走っているのが見えた。
「待った!」
サイラオーグが子供を呼び止める。その声が大きかったせいか、子供はびくりと硬直した後に目を潤ませ始める。怒られたと勘違いさせてしまった。
サイラオーグは急いで子供の許へ駆け寄り、なるべく威圧感を与えないようしゃがんで目線を合わせる。
「大声を出して済まない。だが、ここは危ないぞ」
「あのね、大事なものを家に置いてきちゃった」
子供は半泣きになりながらそう告げる。一刻も早く避難をさせたいのが本音だが、子供の様子を見ていると無理に避難させるとまた単独行動をしかねない。
「家は近いのか?」
「あそこ」
子供が指を差す。思ったよりも近くにある。
「──分かった。俺が付いて行こう。大事なものを持ったらすぐに避難をするんだ」
「うん」
子供と共に行けば最悪は免れると考え、子供を背負うと家まで一気に駆ける。一瞬で辿り着くと子供はあまりの速さに目を丸くしていた。
「大丈夫か?」
「お兄ちゃん……ヒーローみたいに速かった!」
風を切って走る初めての経験を無邪気で楽しそうに言う子供。緊張感が無いが、この様な状況でもサイラオーグは子供が子供らしく在れることに心安らぐ。
サイラオーグは子供を下ろすと、子供はすぐに家の中に入っていった。サイラオーグもすぐに後を追う。
子供は迷うことなく部屋の中へ飛び込み、棚の上に置いてあったある物を取った。
「あった!」
子供は喜びながらそれを大事そうに抱き締める。
「見つかったのか?」
「うん!」
誇らしげに掲げるそれを見てサイラオーグは言葉を失った。
「僕のヒーロー! おっぱいドラゴン!」
禁手化した一誠を模した人形。冥界の子供たちにとって今ではヒーローの代名詞と言うべき存在。
「それが……お前の大事なものなのだな」
「うん! おっぱいドラゴンが居ればあんなモンスターやっつけてくれる!」
大人が聞けばそれは現実と非現実が混同した子供の戯言にしか思えなかっただろう。ましてやサイラオーグは元となった一誠が行方不明なのは知っている。
「……」
サイラオーグは無言で人形を見つめ、その後に子供の前でしゃがむ。
「……実は言わなければならないことがある」
「なあに?」
「おっぱいドラゴンは……俺の友人だ」
自然とそんな言葉が出て来た。
「本当!?」
「ああ。嘘じゃない」
驚き、はしゃぐ子供。
「じゃあ! おっぱいドラゴンはいつ来るの!?」
何も知らない故に残酷な質問。だが、サイラオーグは迷いなく答える。
「奴は今も戦っている。だから、少し遅れるかもしれない。だが、安心しろ。必ず来る」
すらすらと口から言葉が出て来る。自分はこんなにも噓が達者だったのかと内心で驚いた。
(──違う)
サイラオーグは自分の言葉を嘘だと思わない。この子供と同じなのだ。子供がおっぱいドラゴンを信じているようにサイラオーグは一誠の無事を信じ、諦めていない。
(俺はまだ諦めていないのだな、お前を……いや、お前たちを)
次元の狭間に消えた一誠を、目の前で死亡を確認したシンをサイラオーグは受け入れていない。現実逃避とは異なる、一度拳を交え本気で戦ったからこそ感じる直感。一誠は次元の狭間で消えるような存在ではなく、またシンは死んで終わるような存在には思えなかった。
(我ながら諦めが悪い。だが、それが俺だ)
諦めなかったからこそ今のサイラオーグが在る。サイラオーグの諦めの悪さは筋金入りと自分で認める。
「そうだよね! 来るよね、おっぱいドラゴン!」
「ああ。奴が来るそれまでの間は──」
突き出されている人形の拳にサイラオーグは自分の拳を当てる。
「俺が代わりだ」
そろそろ戦闘メインの話を書きたいですね。