木場はアザゼルの許に向かっていた。本当なら忙しくて自分の相手をしている暇もない筈だが、どうしても会わなければならない。友人たちを失った哀しみを背負ったことで自暴自棄になっていた木場だが、師匠の言葉を受けて哀しみを心に残しながらもそれに振り回されることなく戦えるよう自分を戒めた。
少なくとも自分を捨てるような戦いはしない。その決意をアザゼルに告げ、いつでも戦いに赴くことが出来ることを伝えたい。
他のメンバーの精神状態がどうなっているのか分からない、それでも自分が立ち上がれば皆が再び立ち上がる切っ掛けになると信じる。
復讐ではなく未来へ進む為に木場は前進を始めていた。
「お急ぎですか?」
声を掛けられ、木場は足を止めた。
「グレイフィア様」
呼び掛けたのはグレイフィア。いつものメイド服ではなく体のラインが浮き上がるぐらいに密着した戦闘服へ着替えている。
「……グレイフィア様も戦いに出るのですか?」
木場の師である総司が前線に出ているのならグレイフィアも戦いに出るのは当然とも言える。しかし、木場は心の中では戸惑いを感じていた。グレイフィアは『女王』であると同時に魔王の伴侶、そして彼女には子──ミリキャスがいる。その子を残して戦いに出ていいのだろうか、と考えてしまう。
(それぐらい覚悟しているだろう! 僕と違って!)
木場が考えるまでもなくグレイフィアもそれを理解している筈。余計なお世話であれこれ心配するのは失礼だと思い、その疑問と戸惑いを心の中に押し込む。
グレイフィアは木場の心配を知ってか知らずか話を進める。
「ええ。『超獣鬼』、『豪獣鬼』の進行が想定していたよりも速いので私とルシファー眷属で迎撃をします。このままでは避難が完了する前に魔王領の首都に到達するかもしれません。最低でも足止めはするつもりです」
サーゼクスの『女王』のグレイフィアと他の眷属たちが集結すればグレイフィアが言う通り足止めは出来ると思える。
「セタンタも前線に出てくれます」
「セタンタ様も……それは心強い」
セタンタの武勇は冥界でも馳せている。彼が加われば魔獣の一体ぐらいは倒せる可能性が見えてくる。
「サーゼクスが出られない以上、私たちが彼の代わりに冥界を守らなければなりません」
サーゼクスはその立場から前線には出られない。また、魔人ヘルズエンジェルを監視するという別の仕事もある。仮に魔王が前線に出たとして何よりも恐ろしいのは敵の暗殺である。
並の攻撃では魔王の命を奪うことは難しい。しかし、敵勢力には聖槍がある。どんな悪魔だろうと聖槍相手となると消滅してしまう可能性が出てくる。
混沌とした状況の中で四大魔王の内の一人でも死ぬようなことがあれば、たちまち冥界は大きな混乱を迎え、敵はその混乱に乗じて容赦なく攻めて来るだろう。
それだけ冥界にとって魔王の存在は絶対なのだ。
眷属やセタンタ側からすれば最低でも一人は護衛の為にサーゼクスの傍に置いておきたかったが、サーゼクス本人がそれすら惜しみ、全員戦いに投入することとなった。
「……少し顔色が良くなりましたね」
「……いつまでも悲しみに浸っている訳にはいきません。だからといって復讐で我を忘れることもダメです。グレイフィア様たちが僕たちに落ち着き、考える時間を与えてくれたお陰です」
「違いますよ。それは貴方の心が強いから為せたことです。私たちはほんの少し手助けをしたに過ぎません」
立ち直れたのはあくまで木場自身によるものだとグレイフィアは微笑みながら告げる。リアスとは異なる慈母のような微笑み──実際に一児の母なのだが──普段はクールで無表情なだけにその落差は心に来る。照れ隠しのように木場はさり気なくグレイフィアから目を逸らした。
「あの子も立ち直って欲しいですが……」
小さく呟かれた声。あの子とはリアスのことなのは間違いない。
グレイフィアは自分の言葉ではリアスを慰められないと理解していた。グレイフィアはサーゼクスとそれこそ物語になるような大恋愛の末に結ばれた。恋人と結婚し子供まで成したグレイフィアが恋人を失ったリアスに何かを言っても上から目線の言葉にしかならない。
「何か希望のようなものが見つかれば……」
その時、音もなく飛んで来た一匹の蝙蝠。それに気付いたグレイフィアが蝙蝠へ手を伸ばす。グレイフィアの手に蝙蝠が触れるとグニャリと一瞬で蝙蝠は手紙へと変わった。変化の魔術で手紙を蝙蝠に変身させていたのだ。
グレイフィアは手紙に書かれた差出人の名前に目を見開く。
「……誰からですか?」
「現ベルゼブブ──アジュカ・ベルゼブブ様からです」
大物の名に今度は木場も目を見開いた。そして、手紙の入っている封筒を見て更に驚く。
手紙にはアジュカ・ベルゼブブの名の他に『サーゼクス・ルシファーの『女王』グレイフィア・ルキフグスとその妹リアス・グレモリーの『騎士』木場裕斗へ』と書かれている。
木場はつい周りを確認してしまう。木場とグレイフィアが出会ったのは全くの偶然。それなのにアジュカ・ベルゼブブは二人が会うことを見越して手紙を送っていた。アジュカに監視されているのでは、と周りを見てみたが少なく木場の感覚では監視の気配はない。グレイフィアも同様らしく首を横に振っていた。
「……念の為に聞きますが、グレイフィア様はここに来ることを誰かに言いましたか?」
「まさか。そういう貴方は?」
「僕も同じです」
何処で二人の接触をアジュカが気付いたのかは不明。ただ手紙を送られただけなのに喉元に刃物を突き付けられたような緊張感を覚える。例え味方であったとしても得体が知れないということは恐れに繋がる。
「──私が開けます」
問題は無い筈だが、念の為に手紙の開封はグレイフィアが行った。丁寧な手付きで封を開け、中の手紙を読む。
短い内容だったらしく一分も満たずにグレイフィアは手紙を木場へ差し出す。
木場は手紙を受け取り、内容に目を通す。
「これは……!」
思わず声が出てしまう。アジュカからの手紙の内容は至って簡潔であった。
『赤龍帝兵藤一誠について君たちに話しておきたいことがある』
『悪魔の駒』の製作者であるアジュカからの直々の招待。手紙には正確に描かれた地図も描かれていた。恐らくはアジュカの拠点と思われる。
「グレイフィア様!」
「ええ。アジュカ・ベルゼブブ様は一誠さんが次元の狭間で行方不明になって以降何かを調べていました。もしかしたら『悪魔の駒』を通じて一誠さんのことが何か分かったのかもしれません」
それは木場が最も聞きたかった情報であった。もしかしたら、というあやふやな希望にハッキリとした輪郭が見えてきた瞬間である。
「もしかしたら……!」
「わざわざリアスたちに知らせるということはかなり重要な情報と思われます。過度な期待はすべきではないでしょうが、貴方たちが前進するのに必要なものだと私は思います」
如何なる情報であろうとアジュカが齎すものはリアスたちの背中を押すものだとグレイフィアは予感する。サーゼクスの親友である彼をグレイフィアは信じる。
「私の義弟となる者がそう簡単に滅びることは許されません。早くアジュカ・ベルゼブブ様からの情報を得て、リアスたちと共に立ち上がって下さい。冥界の危機に力ある若手が何もせずにいたら私たちの世代はいつまで経っても引退出来ません。不甲斐ない姿ではなく次世代の担い手としての姿を見せて下さい。私は義妹と義弟が未来の冥界を背負える逸材だと信じていますから」
優しく、厳しく、重いグレイフィアの言葉。しかし、木場はその言葉をしっかりと受け止め、拳を強く握る。
「グレイフィア様が安心して引退出来るように頑張らせて頂きます。グレイフィア様が孫を抱ける未来にしてみますよ、僕たちは」
その重さと厳しさに応え、優しさを込めて言葉を返す。
少し前まで死人か自殺志願者のような顔をしていた木場であったが、前を進む覚悟と意思を見せてもらい、グレイフィアは木場についてはひとまず安心だと感じた。
「これで失礼します。このことについて部長に報告しないといけないので」
「ええ。リアスのことを頼みます」
木場はグレイフィアに一礼すると足早に去っていった。
「アジュカ・ベルゼブブ様が齎すものが希望に繋がるといいですね……」
そうであることを願う。
一誠の件は進展を見せたが、もう一つの問題が残っていた。
シンのことである。一誠とは違って遺体はグレモリー城に保管されている。
死体を保管していることに忌避感は無いが、胸の苦しさを覚える。若い、グレイフィアからすれば子供と変わらない年齢の死体を見ると親の立場から息苦しくなる。もし、ミリキャスがこうなってしまったら、そんなあってはならない未来を想像してしまうと尚更であった。
そうなってしまったらグレイフィアは自我を保てる自信は無く、発狂してしまうだろうと自分を分析する。クールで完璧な女性と周りから思われているが、身内のこととなるとかなり脆い。
そういう考えもあってグレイフィアはシンに対して同情的であった。出来ることならこのまま人目に付かないように隠しておくべきだと思っている。万が一、魔人の死体という情報が洩れたら、シンの肉体は尊厳と倫理観を無視した結果が待っている。
とはいえグレイフィアがシンの死体を隠すことには別の理由もある。
(彼も魔人……だとしたら……)
グレイフィアは一誠の死を信じず、シンの死を疑っていた。
殺そうとしても殺し切れない。グレイフィアの中での魔人の印象がそれである。そもそもそんな印象を持つようになったのは、サーゼクスと三度戦った挙句に穴だらけ且つバラバラにされたマタドールがしばらく経った後に何事もなかったかのように別勢力を襲撃した話を聞いたり、グレイフィアを含むルシファー眷属と戦っても目立った傷も無しに退いたマザーハーロットなど、シンからすれば不本意な前例があったからである。
生物学的には死んでいる。しかし、それで測れる範疇の存在とは思えない。
「これは希望なのでしょうか? それとも……」
後に続く言葉をグレイフィアは出さず、呑み込んで胸の奥へと仕舞い込んだ。
◇
「んん……?」
微睡から覚めたピクシーは目を擦りながら体を起こす。
「おはよー」
目覚めの挨拶をするが返事は無い。それはピクシーも分かっていた。元々そんな習慣など無かったが一緒に生活する内に気付けば無意識にやるようになっていた。
「……」
良く喋る筈のピクシーは一言発した後に再び横になる。硬く、冷たい感触が伝わって来た。
ピクシーが寝床にしているのはシンの体の上。首から下を白い布を被せられ、眠っているような表情のまま台の上に置かれている。
ピクシーは横たわったままシンの胸に耳を当てる。本来なら聞こえる筈の心臓の鼓動は聞こえない。数え切れない程繰り返してきた無意味な行為。それでも、もしかしたらまた鼓動が聞こえるかもしれないと思い、耳を寄せてしまう。
「死んじゃっているんだよねー……」
覆すことの出来ない事実。呟くピクシーは涙を流さない。シンが死亡してから一度たりともピクシーは涙を流してはいない。それはピクシーが薄情だからでも悲しみが飽和してしまったからでもない。
シンが死亡した時点でピクシーは共に逝くことを決めていた。同じ場所へ逝くのなら泣く必要もない。
シンの死と連動するようにピクシーの命も弱っていく。生きる気力が失われているので用意された食事にも手を付けず絶食状態が続いており、ピクシーの薄羽は光を反射出来る程の輝きが消え、飛ぶ力も失われていた。
人一人の遺体を置くには少し広い部屋の隅ではケルベロスが丸くなっている。起きているのか寝ているのか分からない。
ケルベロスはシンが死亡した時から一言も言葉を発しておらず、黙ったままピクシーたちと行動を共にしている。このままシンの後を追うつもりなのか、それとも死ぬつもりはなくピクシーたちの最期を見届け、シンに最後の義理を果たそうとしているのか分からない。ただ、ケルベロスもまた絶食をしており全身の体毛の艶が無くなっている。
そして、最も変化が顕著なのは台に体を預けているジャックフロスト。シンの死亡に伴い体の融解現象が始まった。生きる気力を失くしてしまったことで雪の体を維持出来なくなったのだ。
しかし、ジャックフロストにはピクシーとケルベロスと違う点が一つある。彼には王様になって絶滅したジャックフロストを復活させるという夢がある。その夢がジャックフロストをギリギリの所で支えており、融解した体を守る為に溶ける体を氷結させた。
ジャックフロストはこの融解と氷結を何度も繰り返しており、雪だるまのような体はすっかり変わり果て、氷の塊のような半透明の体になってしまっていた。また、溶けて垂れた体の一部はジャックフロストの冷気によって再び凍り、ジャックフロストを寄り掛かっている台と一体化するように張り付かせている。見方によっては氷の繭に閉じ籠っているように映る。
陽気で無邪気なジャックフロストの陰惨な姿。だが、ジャックフロストはまだ生きている。狭間を彷徨っているが戻ることが出来る。そして戻る理由がある。
ピクシーはこのまま朽ち果てても構わないと思っているが、彼の夢を知っているのでジャックフロストは帰そうと考えていた。
帰らせる方法もちゃんと考えてある。ピクシーはほぼ毎日サーゼクスがこの部屋に来ていることを知っていた。ピクシーたちに配慮して中まで入っては来ないが、部屋の前で様子を確認している。その時にサーゼクスに頼めばいい。
仮にジャック一人になったとしても大丈夫。リアスたちがまだ居る。それにジャックランタンも残っているし、意地悪だがジャアクフロストもいる。少しの間は寂しい思いをするかもしれないが、それもいつか癒える。癒えたらまた自分の夢に向かって歩けばいい。
(……また眠くなってきた)
慣れない考え事をしていたせいかさっきまで寝ていたのにまた眠気が来る。ピクシーはそれに逆らわず、再びシンの上で横たわった。
相変わらず冷たいシンの感触。そこに自分の温もりを分け与えるようにピクシーは体を寄せた。
◇
手紙を受け取った木場が向かうのはリアスの部屋。他の眷属たちが説得出来たとしてもリアスが動かなければ元も子もない。それにリアスを説得出来れば他の眷属たちにも立ち直る切っ掛けを与えることが出来るかもしれない、と木場は考えていた。
足早に、しかし心の中では早く辿り着くことに躊躇いを感じながら進む。自分にリアスの心を動かすことが出来るのかという迷いが行動と想いを矛盾させる。
頭の中でリアスを説得する言葉を何十通り考える。だが、どれもしっくりと来ない。せめて何か思い付くまで部屋に辿り着くな、と願っている内に木場は到着していた。
急いで伝えたい、だがリアスを動かす言葉はあれだけ考えても思いつかない。
「……あれこれ考え過ぎだ、僕は」
一旦深呼吸をする。心を落ち着かせ、この部屋に着く前に考えていた説得を全て白紙にする。傷付けないような言葉ばかりを選んで内容の無い説得の言葉。そんなものではリアスを動かせない。
尊敬する一誠を見習い、出たとこ勝負でストレートに言葉をぶつけることにする。
意を決して木場はドアをノックした。
「誰かしら?」
「おや?」と木場は内心思った。予想していたよりもリアスの声に力がある。少し前までは生気の無い、萎れた花を連想させる弱々しくか細く聞き取りにくい声だったが、今はちゃんと聞こえる。
「僕です」
「祐斗ね。何か用かしら?」
「話があります。……入っていいですか?」
「……ええ、いいわ」
またしても「おや?」と思った。誰かと会うことを、それこそ身内や眷属ですら拒絶していたリアスが入室を許可してくれた。何があったのかは分からないが、木場からすれば有り難い。
アジュカのことといい良い流れが来ている気がする。
「失礼します」
中に入ると薄暗い部屋の中でリアスがベッドに腰を下ろし、木場の方を見ている。
(目が違う……)
シンが死に、一誠の帰還が絶望的だと知らされた時のリアスとは違って目の奥に光が見える。その光は紛れもなく生命の光。目の周りはまだ泣いた名残で赤いが、リアスは最悪の精神状態から脱していた。
「何か……ありましたか?」
「友人とお節介な親戚が来たのよ」
友人と親戚と言われ、木場はすぐにソーナとサイラオーグの顔が浮かぶ。確かにあの二人ならばリアスが立ち直れる切っ掛けを与えてくれるかもしれない。
「良かった……」
今のリアスの姿に木場は心から安堵する。主の、リアスの哀しむ姿など痛ましくて見ていられない。それが少しでも立ち直ってくれているのなら眷属として喜ばしい。
「……心配させたみたいね」
「当たり前です」
「貴方だって辛いのに……ごめんなさい」
「そんな、部長と比べたら──」
「比べるものじゃないわ、祐斗」
喪失感を味わった者同士、相手との関係どうこうで比べるものではない。感じた哀しみも苦しみも同じ筈。
「……そうですね」
「──ふふ。こんなことを言い合っていたら話が進まないわね。一体何の用で来たのかしら?」
「これです」
木場はアジュカの手紙を渡す。リアスは手渡された手紙の差出人の名に目を見開いた後、中の内容に目を通す。
読み終えたリアスは少しの間黙っていた。
「……この部屋から出る必要があるわね」
喜ぶことも驚くこともせず、リアスは淡々と喋る。木場はそれが自制によるものだと察していた。本当は泣く程、叫ぶ程喜びたい筈なのに求めていた答えでなかった時に備えて理性で感情を押し殺しているのだ。
一時的に持ち直しているリアスだが、アジュカの情報によっては再び精神が再び地の底まで落ちる。期待の落差をなるべく減らし、心を守ろうとしていた。
「皆を連れて行くわ」
「それなら手分けして──」
「いいえ。一人一人私が声を掛ける」
リアスが直接赴くことで持ち直した姿を眷属たちに見せ、彼女たちを奮い立たせるのが目的であった。
「──分かりました。任せます」
リアスを心配に思う反面、いつもの調子が戻って来たことを嬉しく思う。今でも心の傷は癒えていない筈なのに、自分の眷属の為に動くリアスを木場は尊敬する。
「他の子たちはどういう様子なの?」
「朱乃さんとアーシアさんは部屋に籠っています。ゼノヴィアは僕が見た時はトレーニングルームでひたすら剣を振っていました。小猫ちゃんはレイヴェルさんと一緒に行動していますが、その……魔人の件でサーゼクス様と話し合っているそうです」
木場が把握している凡その情報をリアスに伝える。
「そう……そういえばイリナはどうしているのかしら?」
「イリナさんは呼び戻されて天界です。多分、『御使い』として改めて戦力として送られて来ると思います」
冥界の危機に堕天使、天使も援軍を送ってくれていた。ある程度被害を抑えられているのもその援軍のお陰である。
「……ギャスパーとロスヴァイセとはまだ連絡は?」
「はい。向こうからもこちらからも連絡が繋がらない状態でして……」
修行の為に一旦離れている二人が戻って来られたら心強いが、同時に憂鬱な気分になる。一誠とシンのことを話した時の二人の反応を考えると、それだけで気が重い。
「……兎も角皆でアジュカ様に会いましょう。聞かないことには始まらないわ」
気を取り直し、リアスは木場を連れて部屋の外に出る。薄暗い部屋から外に出たリアスは、部屋の外の眩しさに少しだけ目を細めた。
「最初は朱乃よ」
「はい」
最強の駒である『女王』の朱乃の部屋へ向かう。
朱乃はリアスと同じ位の精神的ダメージを負っていた。説得にはかなり困難と思われる。
リアスが先頭となって廊下を進む。途中、使用人たちとすれ違うことが何度かあり、歩くリアスの姿に驚いた表情をしていた。通り過ぎた後に木場が何気なく振り返る。使用人たちは目許を拭う仕草をしている。部屋に閉じ籠っていたリアスが立ち直ってくれたことを涙を流しながら心の底から安堵していた。如何にリアスがグレモリーに仕える者たちから愛されているのか伝わってくる。
暫くして朱乃が閉じ籠っているゲストルーム前に到着する。リアスは手を挙げ、一瞬躊躇した後に扉をノックした。
「……誰?」
反応はあった。返事をするだけの気力はまだ残されている様子。
「私よ、朱乃」
「リアス……?」
「話があるの。祐斗も一緒よ。入っていいわね?」
「……どうぞ」
許可が出たので中に入る。会話出来るだけ有り難かった。
ゲストルームではソファーに朱乃が俯いたまま座っている。
「朱乃……」
「リアス……貴女も来てくれたのね……」
「あなたも?」
「……父様も来てくれたの」
朱乃が会話出来るようになっていたのはバラキエルのお陰であったことを知る。リアスとしても共感出来た。苦しい思いも誰かに吐露すれば少しだけ心が軽くなる。
リアスは朱乃の傍に座り、彼女を抱き締める。リアスは朱乃の気持ちが痛い程理解出来た。少し前までの自分がそうであったから。だからこそ、その時にされたかったことを朱乃にする。
「朱乃、貴女は泣けた?」
「……ええ。父様がこうやって抱き締めてくれた。少しだけ昔を思い出したの」
「このままで聞いて。アジュカ・ベルゼブブ様から連絡があったの。一誠に関わることよ」
その報せに朱乃の目が見開かれる。
「どんな内容かは分からないわ。貴女が聞くのが怖いという気持ちも分かる。私もそうだから。でも、きっとこれ以上最悪なことにはならない筈よ。私たちが少しでも前に進む為に一緒に行きましょう」
朱乃はそれを静かに聞いていたが、ポツリと喋る。
「間薙君のことは、もういいの……?」
リアスは一瞬硬直した。朱乃は想い人である一誠が行方不明になったことが一番のショックだが、シンが死亡したことにも大きなダメージを受けていた。優秀で信頼に値する後輩であり、年下の友人と彼女もちゃんと思っていた。
「……割り切った訳じゃない……割り切れる筈もないわ。きっとそれは私たちがずっと背負っていくことよ」
悪魔の一生は長い。それを考えると重い言葉である。
リアスはサイラオーグやヴァーリのようにシンの死まで疑うことは出来なかった。それは心の強い弱いで語れるものではない。リアスはシンの死を受け入れることを選んだだけなのだ。
「……そう」
朱乃は短く答えた後、今度はリアスを抱き締める。朱乃もまたそれを選んだリアスの辛さと覚悟が分かったからだ。暫しの間、二人は互いを慰める為に抱き締め合う。
やがて自然と抱擁は終わり、二人は同時にソファーから立ち上がった。
「行きましょう」
「──ええ」
リアスの想いが伝わり、朱乃は一歩踏み出すことを決めた。
「部長」
朱乃を部屋から連れ出したのを見て、木場はある提案をする。
「ゼノヴィアには僕が話に行きます。だから、部長たちはアーシアさんをお願いします」
リアスの様子を見て、並行して説得へ向かう案を出す。
「……良いの?」
木場にも負担が掛かるのではないかと思い、遠慮しがちに木場に再確認する。
「部長ばかり働かせる訳にはいきません。『騎士』の先輩として後輩に活を入れてきます」
『騎士』であるゼノヴィアに話を付けるのは自分の役目とし、それを譲ろうとはしない木場。何を言っても無駄だと悟り、リアスは木場に任せることにした。
「ならお願いするわ。ゼノヴィアを連れて来て」
「はい」
木場は頷くとゼノヴィアが一人剣を振っているトレーニングルームへ向かう。
「祐斗君は頼もしいですね……それに比べて私は……」
「私も祐斗も周りの人たちに励まされて立っていられるだけよ。貴女も、貴女のお父様や私たちがいるからきっと大丈夫よ」
不安に呑み込まれそうになる朱乃の肩に手を置き、励ますリアス。父の時もそうであったが、触れられた温もりは悲しみと不安を和らげてくれる。
「──さあ、私たちも行きましょう」
「……はい」
リアスに促され、朱乃は力無くだが微笑みを見せた。
二人で寄り添うように廊下を進んで行くと、偶然の出会いがあった。
「……部長! 朱乃さん……!」
普段は無表情で無口な小猫がリアスたちの姿を見た途端に驚き、大きな声を出す。
「小猫」
「小猫ちゃん……」
小猫は無言のままリアスたちに近付くと、二人に抱き着いた。
「……良かった!」
部屋に閉じ籠っていた二人が外に出ていることを心の底から喜び、涙する。
小猫の静かな歓喜はリアスたちにも伝わっており、小猫を抱き締め返す。
「心配かけたわね」
「……いいんです」
一誠とシンのことは誰もが悲しんでいる。リアスや朱乃がそうなっても小猫は責めるつもりはなかった。
「小猫さん?」
少し遅れてレイヴェルがやって来た。
「一体何を──」
小猫がリアスたちに抱き着いている場面を目撃する。レイヴェルは一瞬喜んだ表情になるが、何故かすぐに両手で顔を覆い、逃げるように走り出す。
「レイヴェル!?」
「ちょっと鏡を見てきます!」
意味が分からない理由を言い、レイヴェルは凄まじい勢いで走り去ってしまった。
「どういうことなの……?」
レイヴェルの謎の行動にリアスと朱乃は困惑する。
「……多分、怖い顔をしていないか確認しに行ったんだと思います」
「怖い顔? ……何なのそれ?」
小猫は少し躊躇った後にここに来るまでの間、何があったのかをリアスたちに話した。
危険物であるヘルズエンジェルとの会合の参加。そこでのヘルズエンジェルの横暴な態度。ヘルズエンジェルによる侮辱に怒りを燃え上がらせるレイヴェル。
ヘルズエンジェルとの会合が終わるまでレイヴェルは常に怒りを剥き出しにしており、終わった後ですら残り火のように顔に怒りが張り付いていた。リアスたちを見てようやく我に返り、自分が今どんな顔をしているのか慌てて鏡を見に行ったのだ。
「そんなことが……」
悲しみに浸る間もなくそんな危険な行為をさせられていたレイヴェルに同情する。
「……でも、少しだけ成果もありました」
「成果?」
「……間薙先輩に関することで気になることを言っていました」
◇
それはヘルズエンジェルとの会合が終わった直後、レイヴェルから発せられた。
「……貴方も死ぬんですか?」
唐突な質問。ヘルズエンジェルに散々虚仮にされてきたことに対するお返しの罵倒かと思われたが、目をギラつかせているレイヴェルは至って真面目な表情をしており、感情に任せたまま吐いたものではないことが伝わる。
「何だ? 俺を殺したいのか? 小娘?」
「そんなことはしません……今は」
ヘルズエンジェルの挑発にレイヴェルもそれ相応の言葉で返す。肝が冷えるやりとりだが、ヘルズエンジェルの方は一笑で流す。強者故の余裕もあるが、媚びや怯えなど無い怒りの感情のみのレイヴェルの態度がヘルズエンジェルは嫌いではない。仮に上っ面だけであったら報いを与えることになっていたが。
急に始まった二人のやり取りにサーゼクスは止めるべきか考える。グレイフィアは既に魔獣討伐でルシファー眷属の指揮をさせる為に向かわせており、傍に居るのはセタンタのみ。戦力としては申し分ないが、ヘルズエンジェル相手となるともっと戦力が欲しい。レイヴェルと小猫は戦力に数えていない。この場に於いては彼女たちは庇護の対象である。
サーゼクスは横目でレイヴェルを見る。目を吊り上げて攻撃的な表情をしている。だが、サーゼクスの勘だがレイヴェルは感情のままに動いてはいない気がした。何か考えがあるような気がし、もう少し様子を見ることにする。
「ふん。魔人が死んだらどうなるかが聞きたいということか? あの半端者の末路がお前の知りたい結果だなっ!」
シンの死を吐き捨てるヘルズエンジェル。半端者と言い嫌悪も示す。死者への侮辱に怒りが一段階燃え上がるが、そのまま更に質問する。
「魔人の魂も……天国に行ったり、するのですか……?」
努めて平静を装うとするが、声が震えていた。ヘルズエンジェルのせいで一度点いた火は簡単に制御することは出来ず、気を抜けば淑女としてあるまじき言葉を吐き出しそうになる。
しかし、皮肉なことにその怒りの感情でヘルズエンジェルと比較的平和なコミュニケーションが取れている。本来ならばコミュニケーションの妨げになる殺意、敵意、怒りが円滑に進めるためのものになっていることを考えると、ヘルズエンジェルが如何に捻くれているのか良く分かる。
「ふはっ! そこは地獄と言わないのか?」
魔人が天国に行くなどと言うレイヴェルにヘルズエンジェルは嫌味を込めた指摘をする。
「……貴方と彼は違います」
「確かになっ! 死んだ半端者と同列に語れるのは腹が立つ!」
レイヴェルの反論にもヘルズエンジェルは皮肉で返してくる。ヘルズエンジェルと喋れば喋るだけ堪忍袋の緒が切れそうになるがぐっと堪える。
レイヴェルは直感していた。今、最も欲しい情報への取っ掛かりが見えていると。
「貴方が仰る通り間薙様は亡くなりました……ですが、私はあの方が地獄へ落ちるような所業をなさっているとは思っていません。だから、天国へ行くと言ったのです」
「お前は根本的な勘違いをしているなっ! 魔人の魂が天国や地獄に行くと思うなっ!」
来た、とレイヴェルは心の中で強く叫ぶ。気付かないように拳も強く握った。聞きたかった重要な情報がヘルズエンジェルから出された。レイヴェルだけではない、表情に出さないものの傍で聞いていたサーゼクスたちもまた新しい情報に内心驚く。
「なら……間薙様の魂は何処へ向かったのですか?」
「知るか」
「なっ!?」
さも知っているような口振りだったのに急に知らないと言い出し、レイヴェルは啞然とさせられる。
「死んでいないのに行き先など分かるか」
当たり前のことを言われ、レイヴェルは何も言えなくなる。だが、ヘルズエンジェルは「ただし」と話を続ける。
「天国も地獄も魔人の魂の終着ではないことは確かだ」
この世界の天国と地獄はこの世界の住人の魂が最期に向かう先。異物である彼らにはその資格は無い。規格が違うのだ。
ヘルズエンジェルはレイヴェルに全てを伝えてはいない。死んだ行き先が分からないと言ったが正確には違う。
写し身として操られ、オーフィスにより粉砕されたヘルズエンジェル。その際に彼は魂だけの存在となった。しかし、一時的に死んでいたヘルズエンジェルの魂は天国にも地獄にも向かわない。ただ虚空を彷徨っていた。そのお陰で復活する機会を得られたが、それが無かったらヘルズエンジェルは無力のまま誰にも気付かれずに魂だけの存在として永遠に虚空を漂っていたかもしれない。
「あの半端者は今も何処かで彷徨っているのかもしれんな」
◇
その空間に重力は無かった。風も無く、音も無く、温度も無く、命の無い真っ新な白い空間。
水の中を漂うような無重力感が全身を覆い、目を閉じていてもそこが真っ白な世界だと分かる。
そもそも瞼を閉じた感覚が無い。手足の感覚も無い。体そのものが溶けているような不思議な感覚であった。
漂う感覚に身を任せていると段々と眠気に似たものが襲ってくる。思考が停滞していき、何を考えているのか、何を考えようとしているのかあやふやになっていく。
思考があやふやになるとあるべき感覚もあやふやになっていき、白い世界に自分が同化していく。
このまま何もしなければ、何も起こらないまま自我も魂も全てが溶け、無へと還る──
「……還ってどうする」
静寂の世界に声という音が響いた。波紋のように広がっていくその声。無意識に放たれたたった一言だが、それが起こす揺れが消えかけていた自我を震わせる。
忘れかけていた自分の名を思い出す。名を思い出すとあやふやであった記憶が蘇る。記憶が蘇ると輪郭を失っていた体が形を取り戻す。体を取り戻すと五感が機能を取り戻す。
名前、記憶、体が元に戻った瞬間、無重力から解放され真っ白な地面に足が着く。
「……」
前も後ろも左右も上下も全てが染み一つ無い白一色の何もない空間。そこで一人佇むシンは自分がどうしてここにいるのか思い出そうとする。
最後に覚えているのは一誠と相討ちになった記憶。意識が暗闇に落ちていく感覚は恐らく死という感覚だと思われるが、今のシンに致命傷であった傷は無い。
そもそも上半身に衣服を着ておらず、ズボンと靴しか履いていない。そして、発現させていないのに勝手に紋様が浮かび上がっており、蛍光を発していた。
これが死後の世界だとするのならあまりに殺風景であり何も無い。天国からの使者も地獄からの使者も見当たらず、自分が何処にいるのかも皆目見当がつかない。考えようとしてもヒントが無さ過ぎた。
このままずっとこの何も無い空間に居続けるのかと思った時、静寂を打ち壊す音が響き渡る。
美しくも深みのある金管楽器──ラッパの音。
何も知らないシンに審判と言う名の最後の死が訪れようとしていた。
久しぶりに人修羅が登場しました。