『稀に見る光景よ。赤龍帝が二体も並ぶとは──壮観なり』
真面目に己の使命を全うするトランペッターですら、目の前の光景に感動を禁じ得ない。
ベルザードとエルシャの禁手化。現実ではあり得ない二体の『赤龍帝の鎧』が並ぶのは、トランペッターは言ったようにまさに壮観の一言。
不思議なことに同じ『赤龍帝の鎧』を纏っているのにどちらがベルザードかエルシャなのが見て分かる。姿形に寸分の狂いは無くとも放っているオーラの雰囲気が見た目以上の差異を教えてくれた。
『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』
『赤龍帝の鎧』の能力により最大値まで倍加が行われる。一誠の『赤龍帝の鎧』と比べると倍加の感覚が短く、回数が多い。それだけでベルザードとエルシャの素質の高さが伝わってくる。
(あいつ、ドライグとの相性は歴代最高なんだろうが、赤龍帝としての素質は本当に最低なんだな)
本人が聞いたら半泣きで『うるせぇ! 自覚してるわっ!』と言いそうな感想を内心で思うシン。だが、考え方を変えればベルザードやエルシャたちなどの歴代赤龍帝は『赤龍帝の鎧』で十分だった、それで赤龍帝として完成してしまった。一誠はそれだけでは足りずに未完成であった。何の因果か転生悪魔になり『兵士』の駒という可能性を秘めた力を偶然手にしたことで、その未完成の部分を埋める為に『赤龍帝の鎧』の新たな可能性を引き出せたのかもしれない。
尤も、その未完成部分を埋める為に主に胸、胸、胸が関わっているせいでドライグの威厳とプライドと精神が崩壊しそうになっているが。
迸る二人の赤龍帝のオーラ。改めて考えると倍加の能力は不思議な能力である。1の力を2にし、2の力を4にするなど時間さえあれば延々と倍に増えていく。倍にした時の力は何処から来るのか、常識や理屈には合わない能力。
ベルザードとエルシャの燃え盛るような赤いオーラ。それを見て燃焼という言葉が浮かんだ。自分たちが元々持つ力を効率良く燃焼させることで強いエネルギーを生み出す。エネルギーは更なるエネルギーを生み出す。『赤龍帝の籠手』という神滅具は、この世で最も効率的で無駄のないエネルギー変換器なのかもしれない。
「反撃開始ー」
軽い言葉とそれを掻き消すような噴射音を発し、禁手状態のエルシャは正面からトランペッターへ突っ込んで行く。
トランペッターは当然ながらラッパの衝撃によりエルシャを迎え撃つ。音の壁となるラッパの音。それに真っ向から突撃したエルシャ。
次の瞬間、音の壁がエルシャの体当たりによって弾き返され、跳ね返ってきた衝撃によりラッパを吹いていたトランペッターが仰け反るという事態が起こる。
体勢を立て直したトランペッターが次に見たのは、真正面にいるエルシャ。エルシャは次に何をするのか教えるように左腕を大きく後ろに下げている。
予備動作の大きい素人のような大振りの構え。弧を描くような軌道ならば到達するまでの僅かな間でもトランペッターは回避することが出来る。
エルシャが力を溜めた左拳を放つ。トランペッターが動く。気付いた時にはトランペッターの顔はエルシャの左拳に打たれていた。
過程を置き去りにして結果だけを残すような攻撃のスピード。トランペッターが回避することも間に合わない。
エルシャの左拳が殴り抜け、トランペッターは左へ飛んで行く。直後、右から同等の衝撃が襲ってくる。エルシャの右拳がトランペッターの脇腹に深く刺さっていた。
殴り飛ばされる筈だったトランペッターは、衝撃を相殺されたことでその場に強制的に留まらされる。そこから先は瞬きをすることも許されないエルシャのラッシュであった。
僅かでも守りが緩い箇所があればそこに捻じ込むように入れられる拳。音速を超える鞭もしくは捕食する蛇のように狙った箇所を的確に打つ。
防御を固めたとしてもその上から強打を叩き込み、無理矢理防御を突破。防御すらもエルシャの前では意味を為さない。
鞭のようにしなる腕。だが、打撃が命中する直前に鋼の硬さとなる。柔剛を混ぜ合わせた打撃の極み。それを打ち込み続けトランペッターに何一つ行動を許さない。
トランペッターの顎をエルシャの裏拳が打つ。顎部が粉砕され、下顎の半分が粉微塵になる。それでもラッパを手放すことはせず、寧ろ開いた顎の穴に吹き口を突っ込んで吹こうとしてくる。
ベル部分が向けられようとするとエルシャはトランペッターの視界から消えた。トランペッターの下に潜り込み、無防備な腹部を蹴り上げる。
直後、エルシャは兜の下で舌打ちをする。
感触が軽い。打たされた。
エルシャの行動を読んでいたトランペッターは、敢えて隙になる箇所を作り、そこをエルシャに攻撃させた。直感的に攻撃箇所を選んでいたエルシャは、その直感を利用された。
蹴りの直前にトランペッターは脱力。無抵抗のまま蹴りを受ける。それによりエルシャの想定を上回った速度でトランペッターを蹴り上げてしまい、次に攻撃を与えるまでの間を作ってしまう。
これはエルシャの失態というよりもトランペッターの精神力の勝利と言える。駆け引きもあるだろうが、あれだけの打撃を浴びせられたというのにそれを無抵抗のまま受け入れるのは生半可な覚悟ではない。
そもそも様々な攻撃を受けながらトランペッターは平然と反撃をしてくるので勘違いをされるが別に痛覚が無い訳ではない。トランペッターの中の信仰と使命、それが齎す精神が痛みを凌駕しているだけである。
蹴りをまともに受けながらも狙うべき相手から吹き口を外さないトランペッター。
その執念は間違いなくエルシャに致命的な一撃を与えるであろう──エルシャ一人だったのなら。
『ッ!?』
鳴らされる筈のラッパから聞こえたのは、強制的に空気を吐き出される声。
エルシャによって蹴り上げられた腹部を突き破る勢いでめり込む両足。ドロップキックなどという大技を喰らわせているのは、地面に立っていると思われていたシン。
トランペッターがエルシャを相手にしていた頃、シンはベルザードに視線を送っていた。
気付かなければ仕方なく声を掛けるつもりであったが、ベルザードはシンが目線を向けた瞬間にシンの方を見ていた。初対面の台詞が台詞なだけあってベルザードを無口でややコミュニケーション能力に難がある人物だと思ってしまったが、想像よりも遥かに周りに敏感で良く見ている。
ベルザードは瞬間移動と見間違うような速度でシンの傍に来た。シンはすぐさま空中にいるトランペッターを指差す。ベルザードは頷くとすぐにシンの腕を掴み、タイミングを見計らってトランペッターにシンを投擲した。
そして、現在シンはトランペッターの体を通り抜ける勢いで両足を打ち込んでいる。
不意を衝く良い一撃だったが、エルシャの攻撃と比べるとダメージは少ない。大技だとしても一発限りでは効果が薄い。
そう、ただのドロップキックで終わるのなら。
トランペッターに両足を押し当てたシン。その両足には既に力が収束されていた。トランペッターも異変に気付くが、この状態では回避は不可能。
トランペッターの体内に流し込まれるシンの魔力。地上で使えば地面に大きな揺れと亀裂を生じさせる災害を引き起こす大技。
トランペッターの体に細かな罅が入り、その隙間から赤を帯びた光が洩れ出す。
それを一気に解放すると、トランペッターの体から光が噴火のように飛び出した
自らの技の衝撃で吹き飛ばされ、空から落ちていくシン。途中、腕を掴まれて落下が中断される。
「えげつないことするねー」
シンを空中で掴んだのはエルシャ。先程の大技を見て感心と畏怖を混ぜた感想を言ってくる。
体内から噴き出すエネルギーによりトランペッターの体が崩壊していく。
『我が、ラッパの音色、は──』
刻が来たのかトランペッターは滅び行く体を動かして祝福の音色を吹こうとする。もしも吹かれれば、トランペッターの体は一瞬で再生する。
しかし、その音色が奏でられることはなかった。ラッパを持つトランペッターの腕が折れ、ラッパの吹き口がトランペッターから離れる。そこでトランペッターの体は限界を迎えた。
数え切れない程の消滅という死を経験させて苦しめてきた相手の最期を、特に恨みつらみの感情の無い冷めた眼差しを向けるシン。
(……うん?)
頭の中で過ったある言葉がシンの中で引っ掛かった。
『数え切れない程の消滅』。肉体の無い魂だけの存在であり、既に死んでいるので生物学的な死は無く、在るのは心が擦り切れた果てに待つ魂の死のみ。
シンは自分が思い違いをしていたかもしれないことに気付く。この空間内では消滅しようとも心が折れず、魂が屈伏しない限りは何度でも蘇る。
それが自分だけに適用されるといつから思い込んでいたのか。
トランペッターが内から溢れ出る力により分解されるように消滅する。
「勝──」
「まだだ」
勝利の言葉をシンが遮る。それを証明するかのように何処からかラッパの音色が聞こえてきた。
『見事だ。汝らの魂の輝きを見た』
時が巻き戻されるように崩壊したトランペッターが復元されていく。
『この私を一度でも倒すとは……』
トランペッターが消滅してから復活するまでほんの十数秒。しかも、傷一つ無い完全な復活である。
やり過ぎた。その後悔だけがシンの中に残る。手加減出来る相手ではないことは分かり切っているが、一歩踏み込み過ぎた。今更気付いても遅いが、自分が無制限に復活する時点でトランペッターにもその可能性があることを察するべきであった。数え切れない程蘇っているが、表面上は平然としていても細かな可能性に気付かないぐらいには精神が疲労していた。
険しい表情をするシン。すると、急に持ち上げられ背中から手を回され、後ろから抱きしめられる格好になる。
「考え過ぎない、考え過ぎない」
エルシャは宥めるようにシンに囁く。思い詰めていることを見抜き、重荷を減らそうと気遣っている。
子供をあやすようなやり方だが、ここまでされるとシンも険しい表情を保てなくなる。
『最早、讃美の言葉しかない』
褒めてくるが嬉しさなど微塵も感じない。褒めてくれなくともいい。その代わりに消えて永遠に黙ってくれた方が遥かにましであった。
「何それずるくない? もしかして、自分だけ特別ルールでもあるの?」
復活したトランペッターに畏怖するどころかストレートな質問をぶつけるエルシャ。切り替えの早さは流石と言える。
『私に平凡な滅びは訪れない。私を消す方法はだた一つ。魔を
自分から倒す方法を教えてくれた。こちらを舐めている──という風ではなく自分の中のルールに従っているだけのように見える。
損をするタイプの生真面目さであると同時に一切揺れることのない狂信を抱く不動の精神の持ち主に思えた。
「へぇ。自分ルールに殉じる覚悟はあるんだ」
『一度でも己を曲げた時点で後は屈するのみ。妥協を知れば魂が腐敗していく』
「極端な考えだこと。ちょっと共感しそうになった私がバカみたいじゃない」
会話をして改めて反りが合わないことを再認識する。魔人は何処まで行っても魔人。死と恐怖をまき散らす災害。
『さぁ、刻を告げる針は逆巻いた。再び刻を始めようぞ!』
戦いの再開をトランペッターが告げる。トランペッターの言葉を解釈するなら祝福と滅びのラッパは最初からに戻る。トランペッターが消滅間際に祝福のラッパを吹こうとしていたが出来なかった。そうなるとまた祝福からになる。滅びから始まらなかったことを安堵する。また戦力が一人減る可能性があった。同時にトランペッターを完全に葬るタイミングが先延ばしになったとも言える。
仕切り直された戦闘。先制はトランペッター。ラッパを吹けば奏でた音色により音の速度で様々な現象を引き起こすのはやはり反則である。
トランペッターが吹けば勇ましい音が鳴る。これは業火を引き起こす音。何度も体験すれば嫌でも何が起こるか分かってしまう。
シンとエルシャの頭上に無数の火球が降ってくる。これに対しエルシャは回避行動をせず、シンも守る体勢に入らない。
回避も防御も無駄に消耗するだけ。ましてや、この状況を打破出来ると分かっているのなら尚の事動かない。
火球はシンたちに届く前に全て撃ち抜かれ、消滅した。二人を守る為にベルザードが前に立つ。
最強と謳われた男はあらゆる敵を貫く矛であると同時にあらゆる脅威から守ってくれる盾。鎧に覆われたベルザードの背中には頼もしさしか感じなかった。
ベルザードはオーラを噴射し、赤い残像を空中に描きながら最速でトランペッターに接近。
だが、到達する前にトランペッターは疾風を発生させる。一枚、二枚では容易く破られることが分かっているのでラッパを激しく鳴らし何重もの風を起こしベルザードの進路を妨害する。
まず普通の者がトランペッターの風に触れようとすれば高速で回る風に巻き込まれて体を捻じ切られる。それを超えたとしても向かい風という生温いものではなく壁そのものと化した突風により吹き飛ばされる。
ベルザードがどう来るのか期待するようにトランペッターは相手の出方を待つ。
強烈な突風を浴びせられてもベルザードの飛ぶ速度は緩まない。全身を捻じ切るような乱回転する風を物ともせずにベルザードは掌を突き出す。
ベルザードの掌に集束される赤いオーラの球。本来ならば巨大なそれは限界まで圧縮されており、球に僅かな隙間を作ることでオーラがレーザーのように発射される。
トランペッターが何重にも張り巡らしていた風の壁がベルザードのレーザーにより纏めて貫かれる。そして、すぐさま貫いた穴にベルザードは飛び込み、トランペッターの風を無傷で突破。
こうなることを想定していたトランペッターは、天に響くような音色を鳴らす。すると、空の彼方より矢のように雷が落ちてくる。
一本、二本では済まない雷撃の雨。それらは全てベルザードを討つ為だけに起こされた。
大量の矢の如く雷を降らすトランペッター。絶望的な光景にしか見えないが、ベルザードという過去の最強を倒すには足りない。
ベルザードは赤いオーラを膜のように張る。雷撃はその膜に沿うように軌道をずらされる。直撃すればその分オーラを消費するが、ベルザードのやり方ならば消費を最小限に抑えられる。しかし、ベルザードと同じことをするには精緻なオーラのコントロールが必要となる。ベルザードのオーラの膜は流動しており、それが雷の動きを変えているのだが、他の者が同様のことをすればその精密さを維持する為に脳の血管が切れる程の働きが必要となる。それを難無く行えるベルザードが異常なのだ。
トランペッターの雷撃を容易く突破していくベルザード。トランペッターも小技──十分脅威な技だが──程度ではベルザードは止められないこと再認識する。
ベルザードを葬るにはメギドラオンが必要。ただし、他の技と違って発動に少し時間が掛かる。距離が十分あれば問題無いが、現在のトランペッターとベルザードの間合いでは近過ぎる。
自分が巻き込まれることに微塵の恐怖も抱いていないが、躱されて自爆してしまうことだけは避けたかった。使命の為に殉ずる覚悟はあるが、無駄死にはトランペッターの矜持が許さない。例え復活するとしても。
雷の嵐を突き抜けて来たベルザードにトランペッターはラッパを吹く。火や風などの現象を起こすものではなく物理的な破壊を目的とした攻撃。
範囲は狭いが威力と速度は申し分ない。しかも、音を武器にしているので視認は難しい。
短く鳴らされたラッパの音色が、張ってあるオーラを破り、ベルザードを貫く。
だが、それはベルザードが生み出した残像。赤いオーラがベルザードを模っていたのでトランペッターの目を一瞬だが欺く。
すぐに避けられたことが分かったトランペッターは、攻撃を連発しようとするが目の前の光景に吹くことを躊躇わされる。
トランペッターが残像に目を奪われた僅かな隙を使い、ベルザードは空中に次々と赤いオーラによる残像を生み出す。どれもこれもベルザードの姿を完璧にコピーしており、一目でどれが本物か判別するのは難しい。
本体を含み数十を超えるベルザードがトランペッターを囲む。
トランペッターはやむを得ず急上昇し、距離を開けてからメギドラオンにて一掃しようとする。
すると、残像らが一斉にトランペッターを追う。
ベルザードのオーラによって作られた残像は、敵の目を欺くことだけが目的ではない。形は違えば性質はオーラの塊。つまり残像の一体一体がドラゴンショットのようなもの。精密なコントロールの極致とも言うべき技。
トランペッターが世界を震わせるような音色を奏でる。乱回転する複数の魔力が発生し、回転の中心で滅びの力が形成されていく。
殺到するオーラの分身とトランペッターのメギドラオンが激突。白い空間に亀裂が生じる程の激震が走った。
◇
首都にてソーナと彼女の眷属たちは住人たちの避難を誘導していた。ルシファー眷属たちが時間を稼いでくれたおかげで都民の殆どが避難出来ていたが、中には何らかのトラブルが起きて避難が遅れてしまっている都民もいた。
ソーナたちはそんな彼らを見つけ、すぐに避難出来るよう移動用のバスに案内する。
「落ち着いて、焦らないで下さい。避難用のバスは十分確保出来ています」
パニックが起こらないようにソーナは冷静な声で逃げ遅れた人たちをバスに乗せていく。
誘導を促しながらもソーナは時折自分の眷属たちの様子を確認していた。真羅はソーナと同じく逃げ遅れた人をバスに案内しており比較的顔色は良い。声を掛けて逃げ遅れた人たちを探している巡、花戒、草下、仁村も同様。彼女らも一誠とシンとの交流はあったが、悲報を聞かされても何とか踏み止まっている。
そこまではいい。ソーナが最も心配しているのは由良と匙の二人である。
シンに好意的であった由良は一度気力を失ってしまったが、今は立ち直って他の眷属たちと一緒に声掛けをしている──表面上は。その表情は貼り付けられたような微笑を浮かべており、機械のように定められた動作を繰り返している。何かをしていることで意識を集中させ、落ち込みそうになる精神を無理矢理引っ張り上げている危うい状態であった。
匙の方も表向きは平静を努めているが、時折ひりつくような殺気立った空気を出している。敏感な子供はそれを感じ取り、匙が近くにいるだけで泣きそうになっていた。ここでそれが爆発することはまず無いが、不安を覚えてしまう。
ソーナや眷属たちの尽力により避難は安全に進む──ここまでは。
「──ッ!」
ソーナは一瞬目を見開く。何かを感知した。傍にいる副会長の真羅もソーナと同じ反応をしている。だが、ソーナはすぐに冷静な表情に戻る。表情の変化で避難している人々を不安にさせない為であった。
だが、ソーナと真羅の反応に真っ先に気付いた者も居た。
「……来ているんですね、敵が」
近付き、小声で訊ねる匙。彼は直前のソーナの動揺を見逃していなかった。
「私と椿姫で仕掛けておいた魔法陣が感知しました。数は──二人。少数で攻めて来ていることを考えると実力者である可能性が高いです」
「分かりました。俺が時間を稼いでくるんで、会長たちは皆を早く避難をさせてください」
匙からの申し出にソーナは意味を理解するのに少し間を開けてしまった。
「サジ。自分が言っていることが分かっていますか?」
「分かっています。でも、俺一人なら時間を稼げます」
「だから──」
「最初から全開で行きます。そうなるとヴリトラの力に巻き込まれるかもしれません。お願いします!」
匙が急にソーナに頭を下げるのを見て他の眷属たちは何事かと彼らを見る。
ソーナは冷静に考える。五大龍王のヴリトラを完全顕現させれば大抵の者には負けはしない。匙が言うようにその分周りに被害を及ぼすので単独で動かすのが一番力を発揮し易い。
それがこの場に於いて最も合理的な判断なのは承知している。しかし、ここへ来る前に知ってしまったシンの死がノイズとなり、その判断を下すのに待ったを掛ける。
近しい者の死。協力者であるシンの死でもあれだけのショックを受けた。もし、自分の眷属が同じ結末を迎えたら、と考えると指示の声が出せなくなる。
「ここは俺を信じて下さい……!」
匙の強い意思が込められた目を向けられ、ソーナは気圧されそうになった。そこには明らかに殺意が入っている。表面上は抑えているが、瞳がヴリトラのものへ変化しており、それが如実に匙の心境を表している。
危うい。しかし、途轍もない。一つの感情に支配されそうになっている匙には二つの意味で危険性を感じた。冷静さを欠いている危険と暴走する危険性の二つ。だが、嘗てない程に昂ぶっていることも事実。今の匙ならばヴリトラの力を百パーセント、もしかしたらそれ以上引き出せるかもしれない。
匙とヴリトラの関係は良好。万が一のことがあってもヴリトラが匙を助けてくれる可能性は高い。
これらの思考を刹那で行い、ソーナが下した判断──
「……分かりました。行きなさい」
──匙を信じ、託す。魂を削るような決断であったが、この場に於いて最もリスクが少ないと考える──そう自分を納得させる。
「それじゃあ、逃げ遅れた人たちがいないか探してきます!」
匙はわざと明るく言い、敵の方へ向かって走り出していった。
「元ちゃん?」
「元士郎……?」
「匙先輩!?」
匙の急な行動に各々が声を上げるが、匙はそれに応えずに行ってしまう。直情的な性格だが自分勝手な真似はしないことを他の眷属たちは分かっている。明らかに不自然な行動であった。
ソーナの眷属たちは決して鈍くない。ソーナの様子と匙の突然の行動からすぐに正解を導き出してしまう。
死んだ目をしていた由良の目に一気に活力が宿る。『禍の団』、特に英雄派に敵愾心を持っている由良は、襲撃者から情報を得ようとしていた。もし、相手が『禍の団』ならば都合良い。
「翼紗」
匙の後を追おうとしている由良にソーナの鋭い声が飛び。その冷たい響きは由良だけでなく避難している人たちも足を止めてしまう程の迫力と威圧があった。
「サジ一人で十分です。体調が戻っていない貴女が行っても足手纏いになるだけです」
反論を許さない主としての圧力に由良は黙ってしまう。
不公平だ、という言葉を叫びたかった。匙が良くて自分は何故ダメなのかと問い詰めたかった。しかし、心の何処かでソーナの言っていることを理解している自分もいる。気を抜けば四肢が震えそうになる万全ではない体調で果たして戦えるのか、と冷静に今の自分を分析してしまう。
「今は優先すべきことがあります。サジは新たに優先すべきことが出来ただけです。貴女の優先すべきことは変わっていません」
ソーナの言葉に由良は俯き、『……はい』と小さな声で了承を伝える。罪悪感を覚えるが、これが一番なのだとソーナは自分を納得させ、匙が走っていった方角を見た。
「……無事に戻ってくるのですよ、サジ」
◇
「おお、おお。悪魔一人見当たらねぇな」
「皆尻尾巻いてさっさと逃げたって感じ? 逃げ足が早い上に足並みそろっているわねー」
閑散とした首都リリスの様子を眺めながら小馬鹿にしているのは英雄派のヘラクレスとジャンヌ。
駒王町での戦いには参戦していない二人。事前にオーフィス奪還の際にヴァーリたちと戦い、更にオーフィスの蛇を貰って暴走したジャアクフロストのせいで重傷とまではいかないが負傷してしまい、傷の治療が済むまで曹操から待機を命じられていた。
傷も完全に治った彼らは、シャルバの独断行動のせいでなし崩し的に始まってしまった冥界侵略に参戦。待機の鬱憤を晴らす為に暴れる──つもりであったが、首都リリスを守護するサーゼクスやその眷属たちは『超獣鬼』や『豪獣鬼』の相手をする為に首都から離れざるを得ない状況になっており、特に妨害も無く二人が拍子抜けするぐらいあっさりと足を踏み入れることが出来てしまった。
各地で隠れ旧魔王派や転生悪魔が暴れ、冥界を追い詰めているのは良いことだが手応えの無さに不満も覚えてしまう。
ヘラクレスもジャンヌも英雄派として戦いたい。オーフィス奪還の時の不覚をここで晴らしたい。曹操から武力方面で最も信頼を得ているジークフリートとの差を埋めたいと考えていた。
「──おっ」
「──あら?」
その願いは唐突に叶えられる。向こうの方からこちらへ来ているのが二人には分かった。殺気を隠そうとはせず威嚇するようにまき散らしている。これだけ存在感をアピールされれば嫌でも気付く。
「面白れぇ。これで退屈が終わるぜ」
「凄い殺気。それに禍々しいこの感じ……もしかして」
ヘラクレスは獰猛に笑い、ジャンヌは近付いて来る気配を京都での戦いで感じたことを思い出す。
二人が待ち構えていると、間もなくして殺気の主が現れた。
「……お前ら、『禍の団』だな?」
低く、唸るような声で匙が訊く。
「何か思ったのと違う奴が来たな。そこら辺に居そうな奴じゃねぇか」
匙を一目見てヘラクレスは失望を露わにする。
「質問に答えろよ。それとも質問の意味が理解出来ないか? 脳みそ詰まってなさそうだからなぁ」
「ああっ?」
普段の匙なら言わない揶揄にヘラクレスは唸るような声を出す。
「この子、ヴリトラの子だよ。資料で見た気がする」
「ヴリトラ、五大龍王か。見た目の割には良いもの持っているじゃねぇか」
ジャンヌの言葉にヘラクレスはようやく匙に興味を持ち出した。しかし、匙は眉間に皺を寄せ、険しい表情のまま質問を続ける。
「それが分かっているんだったら、お前ら『禍の団』だよなぁ。……お前ら英雄派か?」
「……だったらどうする?」
ヘラクレスの揶揄った言い方に匙の表情はますます険しくなる──かと思いきや、能面のように表情が消えた。
「決まってんだろ?」
今まで蓋をしていた怒りが沸々と燃え上がっていく。一度燃え出すと最早匙の制御から外れてしまい、際限なく炎上していく。
無表情だった顔に怒気が滲み出し、目が血走る。相手は友人兼ライバルを奪った憎むべき相手の一味。何もかも抑えることが出来なくなる。
ここに他の生徒会メンバーがいないことを心底良かったと思う。今の顔を敵は兎も角として味方には見せたくなかった。
そして、この台詞も聞かせたくなかった。
「殺してやる……!」
匙の瞳がヴリトラと同じものへと変わり、黒い光を放つ。文字通りの眼光を浴びせられた。
「わおっ」
ジャンヌは驚いた声を上げながらいつの間にか創造した剣を地面に突き立てる。その瞬間、ヘラクレスとジャンヌの周りから黒炎が噴き上げた。
『
「随分とお熱い視線をくれるのね。お姉さん、ちょっとトキメキそう」
「ははっ! 良いじゃねぇか! それぐらい殺す気じゃなきゃ面白くねぇ!」
ヘラクレスが指を鳴らし、戦闘態勢に入る。
初撃を無効化された匙だが何一つ動揺は無い。今のは挨拶代わり。寧ろ、これで容易く倒される連中に一誠やシンが犠牲になったなど思いたくもない。
「ヴリトラ……!」
ああ。存分に思い知らされてやれ。この呪いの炎の熱を
「おおおおおおおおっ!」
匙が吼えると同時に周囲一帯が黒い炎によって閉ざされる。
「結界? ──じゃなくて『
半径数十メートルを囲う黒い炎の領域。二つの神器を同時に発動させ、更に匙の怒りが加わることで通常では有り得ない広範囲に展開される。
ヘラクレスとジャンヌは展開された領域の中で息苦しさを覚える。何もしていないのに体力が消耗していく。ヴリトラの呪いが影響し出す。
一人だからこそヴリトラの能力を全開且つ容赦なく使える。『
匙の足元から黒い炎が広がり、その炎から大量の黒蛇が這い出す。『
地面を埋め尽くす程の黒蛇が、匙の殺意に命じられて一斉に這い、二人を喰い尽くそうとした。
「──はっ!」
ヘラクレスはその光景を鼻で笑い、腕を組んだまま片足を上げる。ヘラクレスの動きを見たジャンヌは何も言われなくとも後方へ下がる。
ヘラクレスが力強く大地を踏み締めると、地面に大きな亀裂が生じる。亀裂から零れ出る光、膨張する大地。直後に大爆発が起こり黒蛇らを吹き飛ばした。
「いいぜぇ。お前を敵と見做してやるよぉ!」
「上からものを言ってんじゃねぇぞ! 似非英雄!」
人修羅たちの戦いがまだ続きそうなので、ここらで別の戦いを。