これまでの積み上げてきたものが一瞬にしてゼロになる。その無情さを突き付けられて動揺しない者はいない。
現に匙は振り切ったと思われたヘラクレスとジャンヌ、更にはゲオルクも参戦してより悪化してしまった状況に足元がぐらつきそうになる。
匙の膝が勝手に力を抜いていく。ぐらつく地面──否、揺れているのは匙自身。
体に力が入らなくてなっていく。視界も狭くなっていく。
(折れるな、折れるな、折れるな)
心の中でそう強く念じて耐えようとする。だが、無意識の部分がそれを拒むように匙の体を負けの方向へと流していく。
両腕も脱力しそうになる。そのまま腕が垂れ下がって──
「つぅ!」
胸を抓られる痛み。念仏のように連呼していた『折れるな』という言葉は中断され、痛みの原因に目を向ける。
「あっ……」
抱き締めていた悪魔の子供。匙の腕から落ちそうになり、匙の制服を小さな手で必死に掴んでいる。抓られたと思った痛みは、唯一の希望にしがみつこうとする小さな子供の精一杯出来ること。
(折れるな……怒れっ!)
小さく無力な子供にこんな事をさせる相手に。この子と両親が住んでいるこの都市を滅茶苦茶にした相手に。英雄を名乗っている癖に誰かを哀しませる奴らに。そして、一瞬でもそんな奴らに挫けそうになった自分に。
脱力していた体が逆に漲る。狭まっていた視界は広がり、倒すべき相手が見える。折れそうだった心は今や怒りで熱くなっている。
そうこなくてはな
頭の中でヴリトラが誇らしげに笑う。
敢えて言葉は掛けずにいた。我が分身であるのならば容易く折れんと信じていたからだ。まあ、そもそもここで折れる程度ならば我も目覚めることはなかっただろう。
厳しく、重く、だが嬉しい信頼だった。胸の中で怒りとは違う熱が沸き立つ。
「無様を晒せるかよ、皆が見ている前で」
相棒が、後輩が、子供が、敵が見ている前で情けない姿など死んでも見せられない。
「かかって来いよ!」
敵は強大。三人とも神器を所持し、その内の一人は神滅具。しかし、匙の中でそれが戦わない理由にはならなかった。
このような状況でも威勢を崩さない匙に、ヘラクレスは好戦的に笑い、ジャンヌは不思議そうに目を丸くし、ゲオルクは最初から知っていたように無表情のまま眼鏡の位置を直す。
「──ああ、そう言うだろうな。君のようなタイプは」
ゲオルクは想定内の反応とし、それを受け止める。
三人の中でゲオルクだけは匙もギャスパーも侮っていない。逆に言えばこの二人を潰す為に徹底的に仕掛けて来ることを意味する。
「ヘラクレス、ジャンヌ。油断はするな。追い詰められた時ほど手強い相手も存在する──何せ取り逃がす寸前だったからな」
有利な状況でも決して気を緩めるな、と警告する。
「わーってるよ。一々言ってくんな。……弱い奴が一度でも俺たちから逃げられるかよ」
「そういうこと。結構プライドが傷付いたんだよねー、お姉さん」
ゲオルクの言葉で二人は無意識に気を引き締めると同時に逃走を許してしまった事実を突き付けられ、プライドが刺激される。これにより匙たちに対するヘラクレスとジャンヌの認識がゲオルクレベルまで引き上げられた。
「それなら──」
「うおりゃああああっ!」
ゲオルクが言い切る前に匙が最大出力の黒炎を放出する。当たれば力も魔力も一気に削り取れる。
すると、迎え撃つようにゲオルクは大量の霧を発生させる。こうなることを予め予測し、密かに準備を進めていた。
黒い炎と白い霧。対照的な色が衝突し合う。次に起こることは一人を除いて予想外のことであった。
黒い炎が白い霧に触れると相殺し合い、完全に消滅する。触れあった箇所から黒い炎が白い霧に道連れにされるように消されていく。
ヴリトラの黒炎が、呪いの炎が何も効果を発揮出来ないまま無力化されている。
「予想よりもヴリトラの黒い炎が濃い。成長とこの状況で力が増しているな。まさか、解呪を組み込んだ『絶霧』でも相殺するのが限界とは」
窮地に追い込まれて逆に出力を上げてきた匙にゲオルクも眉間に皺が寄る。
一方で匙の方は汗をダラダラと流しながら黒炎を出し続けていた。
(押し切れねぇ……!)
霧が近寄るのを防いでいるが、黒炎もゲオルクたちに届かない。呪いの力が無効化されているのが感覚で分かる。ゲオルクが放っている対ヴリトラ用の霧はじわじわと匙を追い詰めていた。
このまま行けばいずれガス欠になる。だが、敵も味方もそれを黙って見ている筈がない。
「匙先輩!」
ギャスパーは邪眼でゲオルクを停止させようとした。しかし、すぐさま聖剣が飛んで来てそれを妨害する。
「うわぁ!」
ギャスパーは自分の影に沈むことでそれを紙一重で回避。
「あら? 意外と良い反応」
ギャスパーが聖剣を躱したことに少し驚きながらも地面に残るギャスパーの影目掛けて聖剣を連射。影ごと地面に縫い付けようとする。
すると、ギャスパーの影は無数のコウモリの影となり、飛ぶように地面を滑って分散していく。
「吸血鬼の能力? 神器並に厄介じゃない?」
空中を飛び回らずに平面な影になって動くことで本来なら入り込めない瓦礫などの隙間に滑り込み、聖剣に狙われないようにする。
「ちまちまやってんじゃねぇよ」
ギャスパーに攻撃を命中させられないジャンヌをヘラクレスは鼻で笑う。
「そう言うんだったら、そっちがやればー?」
「言われなくとも──やってやるよっ!」
ヘラクレスの全身の筋肉が隆起し、膨張。体格が一回り大きくなったように見える。
「禁手化!」
その叫びに匙はギョっとする。薄々出来ることは察していたが、遂にここで切ってきた。
ヘラクレスの体から生えてくる筒状の物体。それらが手足や胴体など体の各部から何本も生えてくる。
「これが俺の禁手『超人による悪意の波動』だっ! 覚えて逝きなっ!」
筒状の物体から撃ち出される火を噴きながら飛ぶ楕円形の物体。それがミサイルに酷似していると思った時、ヘラクレスの体から生えた筒全てが砲身であることを理解した。
匙たちを狙って無差別にばら撒かれるミサイル。
「う、うおおおおっ!?」
ゲオルクの相手としていた匙もそちらの方へ対処せざるを得なくなり、焦りの声を出しながら黒炎を撃ち出し、迎撃を試みる。
放った黒炎の一つがミサイルに命中。力を削り取って無力化するかと思われたが、そうなる前に凄まじい閃光と爆発を起こし、その衝撃波で匙は吹き飛ばされそうになった。
一発の火力の凄まじさに戦慄し、それがまだ大量に迫っている事実に背筋が冷たくなる。
「クソッ! ギャスパー! 出来るだけここから離れろ!」
身を隠しているギャスパーに危険を伝えると、匙は悪魔の子供を抱き締めながら四方から黒炎を噴射させ、その中に自らを閉じ込める。『龍の牢獄』は本来敵を捕らえる為の神器だが、それを自分に発動。更に『邪龍の黒炎』を追加することで牢獄の強度を上げ、周囲を『漆黒の領域』で囲うことにより可能な限り相手の力を削げるようにする。
『黒い龍脈』以外の神器を使用し、それらを防御へ転用して即席の結界を作り出した。
「ほう?」
結界術に関して豊富な知識と技術を持つゲオルクは、ヴリトラの神器を応用して防御結界を作った匙に感心した声を思わず洩らす。色々と粗削りで精緻が欠けるが、及第点は与えられる。
そのヴリトラの防御結界を蹂躙するように爆撃が降り注ぐ。地面は吹き飛び、爆風は吹き荒れ、熱と衝撃が広がる。
「ぐぅぅぅぅぅ!」
匙はヴリトラの結界内でそれに耐える。結界の維持は想像以上に苦しい。息継ぎせずに息を吹き続けるように、絶え間なく黒炎を噴射し続けなければならず、匙の体力を凄まじい勢いで消耗させていく。
命懸け──そもそも命が掛かっている場面なので出し惜しみなど出来る筈もなく、兎に角防御に集中する。
その甲斐あってヘラクレスのミサイルはヴリトラの結界を破壊することはなかった。結界だけは。
「──え? うおおおおっ!?」
突如として起こる浮遊感。その直後に三半規管がおかしくなりそうな勢いで吹き飛ばされ、恐らくは建物の壁に衝突。結界の中で激しく揺さぶられ、洗濯機の中に放り込まれたかのように視界が回る。何が起こっているのか分からない子供は悲鳴を上げ、泣き続ける。
ヴリトラの結界は確かに匙の身を守っているが、それ以外のものは当然守れない。匙の足元周りの地面がミサイルによって爆破され、浮き上がった所に追い打ちのミサイルにより吹っ飛ばされる。建物に衝突した後にミサイルを降らされ、匙は何も出来ないまま爆発の暴力により一方的に吹っ飛ばされ続ける。
防御にヴリトラの全能力を集中させたせいで文字通り手も足も出ない。匙にやれることはこのミサイルの嵐を耐えることだけ。
どれだけ攻撃されたのか。時間を数える余裕のない匙には分からない。しかし、あれだけ五月蠅かったミサイルの音が消えた。同時に子供の泣き声も止んだ。
匙の全身から一気に冷や汗が噴き出す。もしもの恐怖に怯えながら匙は子供の口に耳を寄せた。
子供は──息をしていた。恐怖が限度を超え、気絶してしまったらしい。
「──うっ」
胃の内容物が喉までせり上がってきた。あれだけ激しく揺さぶられたなら乗り物酔いよりも気分が悪くなる。
それを気合いで耐えながら匙は慎重に結界を解き、絶句した。
辺り一面が瓦礫の山とクレーターだらけになっている。ヘラクレスのミサイルによる容赦の無い攻撃はあらゆる建造物を一掃してしまった。
嘗ては人々で賑わっていた場所が死んだような形にされ、匙の中で哀しみと怒りが同時に湧いてくる。
「──ギャスパー!」
目の前の光景に呆然とさせられてしまったが、爆撃前に影となって隠れていたギャスパーを心配する。これだけ広範囲を爆撃されたのならギャスパーの身に何があってもおかしくない。
その時、匙はあるものを目撃して驚く。
空中に静止している複数のミサイル。その周りで飛び交う蝙蝠たち。蝙蝠の目から光が放たれていた。匙はすぐに理解した。あの蝙蝠はギャスパーの一部だと。爆撃が終わったかと思っていたが違っていた。ギャスパーがミサイルを『停止世界の邪眼』で止めていたのだ。
「この野郎……!」
自慢の禁手を止められたことにヘラクレスは腹を立て、更なるミサイルを追加する。
蝙蝠よりも多いミサイル群。どうするかと思えば、滞空している蝙蝠たちが分裂し、数を増やして『停止世界の邪眼』を発動。再び空中でミサイルを静止させた。
「こ、こいつ……!」
「頭に血が昇り過ぎ」
発射体勢に入ったヘラクレスをジャンヌが窘める。
「同じ事しても同じやり方で返されるだけでしょ? もう少し変化を加えないと」
ジャンヌは地面から聖剣を生やし、自分の頭上にも同じように聖剣を出現させる。それらを組み合わせてワイバーンの形にすると、聖剣のワイバーンを蝙蝠の群れへ飛び立たせた。
ヘラクレスのミサイルとは異なり、高速且つ複雑な軌道で飛ぶワイバーン。『停止世界の邪眼』の視界に入らないようにしている。
蝙蝠らも必死に頭を動かして視界に捉えようとするが、それを先読みした動きで翻弄する。ヘラクレスのミサイルは停止しているが無力化している訳ではないので、時間が来れば再び動き出す。時間停止を継続させる為にミサイルから目を離すことが出来ず、蝙蝠たちは自由に動けないのでジャンヌのワイバーンを目で追い切れない。
しかし、ジャンヌはワイバーンを飛ばすだけで攻撃を仕掛ける気配が無い。匙にはそれが不気味に感じられた。知らない間に事態が嫌な方向へと進んでいる、そんな気がしてならない。
相変わらず蝙蝠を翻弄するワイバーン。すると──
「そろそろオッケー? ゲオルク?」
「ああ。準備完了だ」
今まで沈黙していたゲオルクが口を開く。匙が感じていた予感がいよいよ現実味を帯びてきた。
ゲオルクは両手にそれぞれ魔法陣を展開。異なる幾何学模様が浮かぶ二つの魔法陣。ゲオルクは広げていた両手を胸前で合わせると魔法陣も重なり合う。打ち合わせた手を再び開く。そこには一つとなった新たな魔法陣があった。
「君たちの特性に重なる部分があって時間を短縮出来た」
ゲオルクが作り出した魔法陣が溶けるように消えていく。
「この霧の中では幻も理想も虚構ではなくなる」
ゲオルクから発せられる白い霧。白い霧は段々と薄まり、やがて肉眼では見えなくなる。霧が薄まったのはこの一帯に急速に広まっているからだ。
「俺の理想に殺されてくれ。
ゲオルクの神滅具による禁手が発動。一誠やヴァーリのような派手な変化はなく、発動後も光景は変わらない。だが、確実に何が起こっている。匙は肌に感じる悪寒がそう訴えていた。
「じゃ、そろそろ反撃」
ジャンヌが蝙蝠たちに向けてワイバーンを飛ばす。当然、蝙蝠はワイバーンの動きを止める為に邪眼を使用するのだが──
「ああっ!」
匙は思わず声を上げる。蝙蝠が邪眼を使用した瞬間、バチンという火花のような音が鳴り、それだけでなくその蝙蝠は眼前で生じた激しい光により弾き飛ばしてしまった。
邪眼は発動されず、ワイバーンは聖剣で出来た翼で蝙蝠を斬ってしまう。他の蝙蝠たちも邪眼の使用を試みるが、同じように眼前に光が起き、弾き飛ばされたり、落下していったりする。
「何が起こったんだよ……?」
ギャスパーの分身である蝙蝠が次々と落とされていく光景に、匙は呆然としたまま呟く。そして、ある考えに思い至る。
その考えが正しいのか間違っているのか証明する為に匙は黒炎を生み出そうとした。その瞬間、蝙蝠たちのように激しい光が発生。衝撃と痛みが匙の体内を駆け巡る。
「ぐあっ!?」
今すぐ止めろ! 呪いの力が逆流を起こしている!
匙が出した苦鳴とヴリトラの声が匙の考えが当たっていたことを示す。ゲオルクの展開した『霧の中の理想郷』による結界。それは『停止世界の邪眼』とヴリトラの力を無効化するだけでなく本体に力を逆流させ、ダメージを与える。
蝙蝠たちは悶え、やがて一箇所に集まる。集合した蝙蝠の群れは一つとなってギャスパーの姿に戻るが、ギャスパーは両目を押さえて苦しんでいる。
「うぅ……目が……」
失明までは至っていないが、強烈な光を目に浴びせられたような感覚であり、涙が止まらなくなる。吸血鬼の能力も維持出来なくなってしまったが、あのまま放っておいたらジャンヌのワイバーンによって分身の蝙蝠が斬り刻まれていたかもしれないので、判断ミスとは言い難い。
「『呪詛返し』という陰陽道の術がある」
能力を封じられたことに気付いた匙たちにゲオルクが結界の性質を語る。
「自分に向けられた呪いや悪意をそれを放った相手に返すというシンプルな術だ。君たちが放つ呪いや縛りは全て君たち自身へ『反射』する」
『霧の中の理想郷』は霧の中から自身の思い描いた結界装置を取り出すという能力。これによりゲオルクはあらゆる性質を持った結界を生み出せる。今回の場合、最初に展開した魔法陣が結界装置であり、それは霧の中に溶け込ませて不可視状態にしてある。尤も、結界装置を破壊するには魔王クラスか神クラスの力が必要となるが。
「……クソッ」
「そんな……!」
匙はゲオルクの言っていることを理解した上で短く吐き捨てることしか出来ず、ギャスパーはあまりに理不尽なアンチ能力に信じられないといった様子。
「おうおう。そんな手っ取り早い手段があるならさっさと使えよ」
「──ヴリトラと『停止世界の邪眼』の両方を抑える結界を組むのがどれだけ大変かお前の脳髄に直接叩き込んで教えてやりたいな。性質が被っている部分があるからこそ時間を省略することが出来たが、『絶霧』が無ければこの数十倍の時間は掛かるんだぞ?」
ヘラクレスは軽口を言ったつもりだったが、ゲオルクの方はこの結界を構築するのがどれだけ難易度が高かったのか早口で言う。表情は変わらないが眼鏡の奥の目が鋭くなっており、若干殺意すらある。
「お、おう。流石は神滅具所持者だな」
「ヘラクレス。後でちゃんと謝りなよ? ゲオルク、本当にイラっと来ているから」
ゲオルクの剣幕にヘラクレスは慌てて称賛の言葉を送る。眼光の鋭さは消えたが、全身から立ち昇る怒気はそのままであった。
「──さて」
その言葉で怒気は霧散する。ゲオルクは既に思考を切り替えていた。
「一方的になるが、悪く思わないでくれ」
その言葉を合図にヘラクレスのミサイルが発射。匙とギャスパーは範囲から逃れる為に全力疾走するが、それを嘲笑うかのようにミサイルは追尾し、彼らの近くに着弾。
「おおおおっ!」
匙は気絶している子供を守る為に着弾地点に背を向ける。
ミサイルが炸裂し、爆発が起こった。地をめくり上げる衝撃波が匙とギャスパーを襲う。
体重の軽いギャスパーは爆風により吹き飛ばされ、瓦礫の山に衝突。匙もまた爆風によって飛ばされる。
匙は何度も地面を転がっていき、全身が砂埃塗れになってようやく止まった。匙は腕の中の子供の様子を確認する。顔や髪に汚れがついていたが、匙が体を張ったお陰で目立った外傷は無い。
それを知りホッとする匙であったが──
先ずは自分を心配しろ! 愚か者め!
──ヴリトラの怒号が匙の頭の中に響いた。子供を抱き締めたまま仰向けになっている匙。背を付けた地面にじわじわと血が広がっていく。
匙が浴びたのは爆発だけではない。爆風によって飛ばされた石や瓦礫の破片などが凶器となって匙の背中を深く傷付けていた。
「匙……先輩……!」
匙が出血していることに気付き、ギャスパーも頭部から血を流しているにも関わらず匙を助けに向かおうとする。しかし、飛来してきた聖剣がギャスパーの制服のみを正確に突き刺し、瓦礫の山に磔にする。
瓦礫に縫い止める聖剣は僅かにギャスパーの肌を掠め、腕や脚から血が滲み出る。焼けるような痛みが起こるが、ギャスパーはそれを無視して蝙蝠になって脱出を試みるが──
「変身、出来ない……!」
蝙蝠に分裂することも影を操ることも出来なくなっていることに焦る。理由はすぐに察した。周りに突き立てられた聖剣、それが吸血鬼の能力を封じているのだと。
ギャスパーは聖剣から抜け出そうとするが、残酷なことにギャスパーの非力さではそれが難しい。制服を引き裂こうにもレーティングゲーム仕様の制服なので布のように破けず、これもまたギャスパーの力では無理だった。
ヘラクレスとジャンヌが近付いてくる。ゲオルクは二人から少し離れており、慎重であった。
「……話がある」
匙は苦渋に満ちた表情で言う。
「何だぁ? 命乞いかぁ?」
「ごめんねぇ。そういう聞かないことにしてるの」
匙の言葉に耳を貸すつもりはないと告げる二人。
「俺は好きにしろ……でも、この子供は逃がしてくれ。ただ巻き込まれただけの子だ」
非戦闘員の子供だけは見逃してもらうよう頼む。
「ダメだ」
その頼みをあっさりと蹴ったのはゲオルクであった。
「何でだよ……! まだ子供だ! 脅威になる訳じゃない!」
「確かにまだ子供だ。だが、成長する。いずれは立派な悪魔になるな」
感情を昂ぶらせる匙とは反対にゲオルクの声は冷めている。
「君は人間と悪魔が対等だと思っているのか?」
「それは……」
「人間は弱い。悪魔に比べたら遥かに。人語を理解しながらもその気になればこちらを簡単に殺せるような存在と良き隣人になれると本気で思ってはいないだろう?」
英雄派が特別なだけで人間と悪魔の格差は大きい。
「人間と悪魔、その差を埋めるのが神器だ。神から人に与えられた爪と牙……だった」
神器。そして、神を滅ぼす力を秘めた神滅具。それは人間の特権だったと過去形で語る。
「悪魔への転生。それが可能となった時からそのアドバンテージは無いに等しい。気付けば悪魔だけでなく天使も堕天使も神滅具所持者を囲っている。君も五大龍王の力を使っているな、人間の為ではなく悪魔の為に」
匙は口を挟めない。ゲオルクの指摘は事実だった。
「悪魔への転生を真似して天使も人間を転生させ天使にし出した。恐るべきことだ。人間は最早上位者に奪われるだけの宝箱のようなものだ」
選ばれた者は幸福かもしれない。だが、人間の殆どは選ばれなかった者たち。人は永遠に上位者たちに怯えて生きていくことになる。
「人間が他勢力から身を守る為の牙や爪は今や悪魔や天使たちへの献上品と化した。いずれは搾取されるだけの存在になる、どう足掻いても。そうなる前に思い知らせないといけないんだ、我々は」
その立場を良しとする者、甘んじる者も居るだろう。恐らくは人類の大半はそういう答えになる。だが、それを認めない者たちも存在する。
「人間が如何に恐ろしい存在か。その恐怖を刻み込む。二度と人間に関わろうと思えなくなるぐらいに。冥界はその第一歩だ」
悪魔を全滅させられれば完璧だが、冥界から二度と出て来なくなるのも良い。結果として他の勢力が人間から手を引けばいいのだ。
「ふざけ、やがって……!」
「まあ、何を言っても君なら悪魔側の肩を持つだろうな。君はもう人間を捨てたからな」
匙の怒りも予想通りといった態度で軽く流す。
「お前たちは、ただのテロリストだ……!」
「そう思うのなら君の中ではそうなんだろうな。正直、今の段階で正しいか間違っているのか言い争っても意味はない。百年後ぐらいに答えらしい答えが出されるかもしれないな──その時には我々はもういないが」
言葉に少し熱が入ってしまったゲオルクはそれを冷ますように溜息を吐く。
「だが、これだけは覚えておくんだ──最初にバランスを崩したのはそちらだ」
全ては自分たちが招いたこと。言外にそう告げるとゲオルクはもう言う事は無い、と口を閉ざす。
「やたら饒舌だったな。まあ、話が長い割には面白かったぜ」
ヘラクレスは片腕を匙へ向ける。腕全体を覆うミサイルが非情にも匙たち目掛けて発射された。
「匙先輩っ!」
ギャスパーは叫ぶがミサイルが止まる事は無い。
「……すみません、会長」
ソーナの許へ帰ることが出来なかったことを詫び、匙は爆発に呑まれた。
「はっ! これで一人!」
「まあまあ手古摺ったわねー」
匙を葬り、意気揚々するヘラクレスとジャンヌ。残りはギャスパーは一人だけなのだが──
「あん?」
「あら?」
ギャスパーを見てヘラクレスとジャンヌは訝し気な声を出す。
「っ……うぅ……」
ギャスパーの両眼から流れる涙。しかし、涙の色は透明ではなく赤。血の涙を流している。匙を救えなかった無念を表しているのかと思ったが、ゲオルクは何かを察する。
「まさか……!」
急いで爆撃があった場所を見る。爆風と粉塵が消えるとそこには子供を抱きかかえたまま無傷の状態の匙がいた。匙たちを中心に半径二メートル程の地面が残り、それ以外は破壊し尽くされドーナッツ状になっている。
「無駄なことを……」
ゲオルクはギャスパーの行いに呆れを表す。
ヘラクレスのミサイルに耐えたのはギャスパーが『停止世界の邪眼』で匙たちの時間を止めた。時間を止めるということは変化が起こらないということ。無敵に等しい防御力を得られるに等しい。だが、実戦で役立つことは少ないだろう。時間停止させられている側は当然動けず、また自分の意思では解除出来ない。停止前と停止解除後の状況の変化で混乱する恐れもある。絶体絶命の状況だからこそ効果を発揮出来た。
しかし、その代償をギャスパーは払うことになる。ゲオルクの結界の影響で邪眼発動による反動を大きく受けてしまった。無理矢理力を使った為に両目へのダメージは深刻であり、失明しなかったのは奇跡のようなもの。もう少し力を使っていたら失明では済まずに眼球が爆ぜていた。
だが、ギャスパーがここまでの己を犠牲にしても状況は何も変わらない。時間が経てば匙たちの時間停止は解除される。そうなる前にゲオルクたちがギャスパーを始末してもいい。ギャスパーも最大の武器である『停止世界の邪眼』が限界寸前になっており、これ以上は使えない。
「ほんの少し先延ばしにしたところで何の意味がある?」
理解出来ない、という態度でゲオルクはギャスパーに問う。
「……黙って見過ごせないからです」
ポツリと呟やかれる声。その声は怯えで震えていなかった。
「僕は……グレモリー眷属男子ですから……諦めが悪いんです……」
両目から流血しながらもギャスパーはゲオルクたちを睨む。
「イッセー先輩や間薙先輩の後輩として、諦めるなんてカッコ悪いこと出来ません……!」
ギャスパーの声量に一瞬驚くゲオルクたちであったが、すぐに真剣な表情になる。ギャスパーを確実にここで葬るべきだと改めて認識した。
「言っていることに同意は出来ないが……君が危険なことは分かった」
ジャンヌは無言で聖剣の切っ先をギャスパーへ向ける。
「君が尊敬する者たちと同じ所へ送ろう」
「……え?」
ギャスパーがその言葉の意味を問い返す前に聖剣が放たれた。
聖剣はギャスパーの心臓目掛けて一直線に飛び、彼の心臓を貫く──
ガキンッ!
──未来を阻むように空から落ちて来た獅子の意匠が施された金色の巨大斧が聖剣を弾く。
「『獅子王の戦斧』!? 不味い……!」
「不味い? 寧ろ、待っていたぜぇ!」
動揺するゲオルクとは逆にヘラクレスは闘志を燃やす。
「来いよ! サイラオーグ・バアル!」
戦場に響く一つの足音。それが近付く度に空気が重くなっていく。
「ソーナの手伝いに来たのは正解だったな」
サイラオーグが言葉を一つ吐くだけで空気がひりつく。
「英雄派は異形との戦いを望む英雄の集まりと聞いたが……人伝の話はあまりあてにならないな」
サイラオーグは上着を脱ぎ捨てる。鍛錬により磨かれた分厚い筋肉が露わになると同時に闘気が迸る。
「そこに並べ。お前たちのような外道は俺が全員殴る」
英雄派の全身を貫くような怒気がサイラオーグから発せられる。
「──はっ!」
すると、ヘラクレスが前に出た。ゲオルクとジャンヌは止まるよう声を掛けたが、ヘラクレスは聞く耳を持たない。
「俺も人伝でお前の話を聞いているぜ。バアル家の次期当主だっていうのにバアル家の特色である滅びを受け継げなかったどころか碌な魔力を持たないってな。悪魔のくせに肉弾戦しか出来ないわけのわからない悪魔って話だ」
ヘラクレスは正面からサイラオーグを煽る。しかし、サイラオーグは表情を変えない。
「英雄ヘラクレスの魂を引き継ぐ者らしいが──」
「ああ、それが──」
サイラオーグが消え、ヘラクレスもまた消える。
「どうやらその話もあてにならんらしい」
消えたサイラオーグは数メートルを移動し、片足を真っ直ぐ伸ばした体勢で立っている。
少し経って何かが地面を跳ねる音が聞こえた。恐らくはサイラオーグの前蹴りにより飛ばされたヘラクレスだと思われる。推測なのはその瞬間を誰も見えなかったからだ。
『速い!?』
噂に聞くサイラオーグの実力。それを目の当たりにし、噂以上だったことを思い知らされる。
サイラオーグの眼光がゆっくりとゲオルクとジャンヌに向けられた。
ジャンヌは視線を向けられると同時に聖剣のワイバーンを複数飛ばす。本能的に恐怖を感じ、反射的攻撃をしてしまった。
ワイバーンらは聖剣と同様の効果を持つ翼や鉤爪で襲い掛かる。聖剣は悪魔に対して絶大な威力を発揮する。掠り傷でも負えばサイラオーグであろうとも効果はあると考えていた。
サイラオーグは無言で腕を振る。裏拳が空を切ると纏わせていた闘気が広範囲に飛ばされ、ワイバーンたちを粉砕して一掃してしまう。
「嘘っ!?」
あまりにあっさりと処理されたことにショックを受けるジャンヌ。
「下がれ!」
ゲオルクは『絶霧』による霧を触手のように伸ばし、サイラオーグの捕獲を試みる。少しでも霧が触れればその箇所から転移させるつもりであった。
サイラオーグは迫る霧に対して構え、直後に拳を突き出していた。放つまでの過程を置き去りにする神速の突き。空気が爆ぜる音が響き渡り、霧が逆風でも受けたように吹き飛ばされた。
「──ッ!? 拳だけで『絶霧』を散らすか……!」
『絶霧』は霧の神滅具なので重さが存在しない。その弱点のせいで風などを起こす相手との戦いが不利になる。普段はそれをゲオルク自身の魔法で補うのだが、まさか相手が拳で突風を起こすような規格外なのは予想外であった。
「凄い……」
ギャスパーは呆然としながら自然とその言葉が口から出てきた。サイラオーグの実力は知っているつもりだった。だが、自分たちを追い詰めた英雄派の三人を一人で互角以上に渡り合う姿を見ると、自分が知っているサイラオーグの実力などほんの一端に過ぎないことを理解させられる。
『ギャスパー・ヴラディ』
「は、はいぃぃ!?」
急に名を呼ばれて驚くが、声を掛けてきた人物は見当たらない。
『目の前にいる』
「え? あっ!」
自分を守ってくれている『獅子王の戦斧』から声が発せられていることに気付き、そこからサイラオーグの眷属に転生した神滅具がいたことを思い出す。
『すぐに時間停止を解除してくれ。あの二人は私が責任を持って安全圏へ連れて行く』
「……合図をお願いします」
ギャスパーはすぐにタイミングを合わせることを頼む。混乱も動揺も無い。不思議な事に今、最善なのは何かが理解出来ていた。
『話が早い……今だ!』
最低限の問答の後、合図と共に『獅子王の戦斧』から巨獅子──レグルスの姿に変わる。
同時に匙たちの時間停止は解除され、意識が戻った匙はミサイルの爆撃を受けても無事だった自分たちに混乱していた。
そこへいきなりレグルスが現れる。匙の混乱は更に加速──
「この子を優先してくれっ!」
せずに真っ先に気絶している悪魔の子供の救助を最優先とした。
時間停止前と後で時間差による状況変化について行けなくともおかしくはないのに、匙が最初にサイラオーグを目撃したことから事態が好転したことを直感で察し、自分にとって最適な行動に移れた。
『──任せろ』
レグルスは子供を傷付けないように咥え、疾風の速さでこの戦場から離脱する。
「見事な判断だな」
「え? あ、ありがとうございます……サイラオーグ、さん」
「休んでいろ。後は──」
「気遣ってくれるのは有り難いですけど……」
匙はサイラオーグの言葉を遮り、立ち上がる。背中からは今も刺さった破片により血が流れているが、痛みなど匙の中で燃え上がる感情により掻き消される。
「やられっ放しじゃいられないんですよ……!」
匙の目を見てすぐに説得は無駄だと悟ると、サイラオーグは小さく溜息を吐く。
「……無理はするな」
「はい……!」
「この、野郎……!」
重い足音が聞こえ、音の方からヘラクレスがやって来る。腹には痛々しい痣が残っており、顔色も少し悪かった。
「やってくれたなぁ……!」
「成程。思ったよりも頑丈だな──手加減をし過ぎたのかもしれん」
サイラオーグのその言葉にヘラクレスは青筋を浮かべる。
「手加減だぁ……?」
「捕まえて情報を吐かせようと思ったのだが、加減が難しいな。今まで全力でしか戦ったことがなかったせいで経験が足りん」
「ふざけ、やがって……! 生きるか死ぬかの戦いする気があんのか!?」
「それは対等な相手だけだ。兵藤一誠や間薙シンぐらいの実力を付けてこい。俺は──弱い者を虐げる趣味はない」
ヘラクレスは激怒し、両腕のミサイルを発射しようとするが、眼前には既にサイラオーグが立っていた。
ヘラクレスの腹にサイラオーグの拳が刺さり、突き抜けた衝撃が背中から抜けていく。
「──ッ! ──ッ!」
ヘラクレスは声すら上げることが出来ず、その場で四つん這いになり悶え苦しむ。
サイラオーグはそんな彼を冷たく見下ろす。
「お前が弱者でないなら、英雄の魂を引き継ぐ者なら立て。そして、抗ってみせろ」
そろそろクロスオーバー要素を盛らないと……
このままではただのHDSSの二次創作になってしまう……