ハイスクールD³   作:K/K

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統合、歪愛

 夕日も完全に落ち、夜というべき時間帯。星の光が見え始めても一誠の自宅のある一室、正確に言えば一誠の部屋からは絶えず会話が続いていた。

 一誠の部屋の中には、一誠を始めとしてリアス、朱乃、小猫、アーシア、ピクシー、ジャックフロスト、ソーナ、椿姫、匙と合計十名も集まっており部屋を圧迫していた。幸い体の小さなピクシーとジャックフロストはスペースを取らない様にピクシーはジャックフロストの頭の上、そのジャックフロストは小猫の膝の上で抱えられていた。

 公園での戦いが終わった一行はそのまま一誠の自宅で、今後の方針について話し合いをしていた。このとき大人数で帰宅してきた一誠に、一誠の父と母も最初は目を丸くしていたが、すぐに快く招き入れ、夕飯までごちそうするという懐の大きさまで見せていた。ちなみに招いた理由として学園で今度行われる行事について生徒会と共同して行うこととなったが、完了していたと思っていた打ち合わせに漏れがあることが発覚し、急遽それを埋める為に集まったのだという即興のでっち上げであった。

 その際、偶然一誠が聞いてしまった会話であるが――

 

「まさか、あのイッセーがリアスさんやアーシアちゃん以外でこんなにもたくさんの女の子を連れてくるなんて……! 母さん! 今夜は赤飯だ!」

「ええ! 当然よね! ――いやだ私ったら何だか目頭が熱くなってきちゃった……」

「ふふ、その気持ち分かるよ。俺も正直泣きそうだ」

 

 ――という、息子として女子を家に招き入れたことで、親をこれほど感激させたことに、喜ぶべきか哀しむべきか何とも言えない気持ちとなっていた。その晩、テーブルの中心に置かれた大量の赤飯を見て、一誠以外は疑問符を浮かべていた。

 そして一同は夕飯を終え、話し合うこととなったが、内容が内容であった為に一般人である一誠の両親に話を聞かせる訳にもいかず、居間では無く一誠の部屋で話し合うこととなった。

 主に話し合った内容は、椿姫が感知した術式の場所の確認とそれを破壊する為のメンバーの割り振り。リアス、朱乃、ソーナがアダムから断片的に得た情報を、他の皆との共有。万が一敵の妨害があったときの為に、緊急脱出用の簡易転送魔法陣を刻んでおくなどをしていた。

 今後についての方針や対策が粗方決まったとき、一誠の自宅にチャイムの音が響く。日も落ちてそれなりの時間が経過している為、来客の訪問を皆が珍しく思いつつも、話し合いの方へと意識を傾ける。

 一階では廊下をスリッパで走る足音と一誠の母のハーイという返事が聞こえてきた。そのままインターホンに出てチャイムを鳴らした人物と一言二言交わした後、二階に居る一誠に向かって階段下から呼びかける。

 

「イッセー! あなたにお客さんよぉー! アダムっていう人からぁー!」

 

 思わぬ人物の来訪に、全員驚いた様に一誠の母がいる方向に目を向けてしまう。

 

「わ、分かった! 今すぐ行く!」

 

 慌てて一階へと下りて行く一誠の後を何人か付いてくる。玄関のドア前まで移動し、軽く息を吐いて深呼吸をするとドアを開けた。

 しかし、予想に反してそこには誰も立っていない。思わず拍子抜けしてしまうも近くにまだ居ないかと視線を動かしたとき、玄関のすぐ側で、壁に背を預けて座り込んでいる状態のイリナの姿を発見した。纏っていた白のローブは無く、戦闘用の衣装には汚れが目立つ。

 

「イリナ!」

 

 一誠は目を閉じているイリナの肩を揺する。するとイリナは目を開けなかったものの、それに反応して声を洩らす。少なくともまだ命があることが分かり、一誠はとりあえず安堵の息を吐くと、座り込んでいるイリナの体を持ち上げて家の中に入った。

 このとき一誠は気付くことが出来なかったが数軒離れた家の屋根にそれを見ていた人物がいた。

 

(それじゃあ、その娘のことは頼んだぜ『赤龍帝』。直接渡したらまた正体がバレそうなんでね、流石に三度目は御免だ)

 

 胡坐をかき頬杖を突いていたアダムは立ち上がる。

 

「会うときはこんな面じゃなくてきちんとした面で会おうぜ、ドライグ」

 

 そう言い残しアダムは屋根の上から姿を消すのであった。

 

「イリナさん! 一体どうして!」

「シッ! アーシア! シッ!」

 

 一誠がイリナを抱えて戻ってきたことに驚き、付いてきたアーシアが声を上げてしまった。すぐに静かにするように促すが僅かに遅く、居間に居る両親が何事かと尋ねてきた。

 

「んー? 何かあったのかぁ?」

「イッセー? お客さんと何かあったの?」

 

 居間の方から近付いて来る足音。一誠たちの背中に冷たい汗が流れる。今この状況を両親に見せる訳にはいかない。

 何かいい方法はないかと考えたとき、真っ先に動いたのは同じく付いてきたリアスであった。リアスは居間から出て来る前に自分から一誠の両親の方へと向かう。

 

「お父様、お母様、ちょっとよろしいでしょうか?」

「あら? どうしたのリアスさん?」

「やっぱり何かあったのかい?」

「いえ、それとは関係無いことなんですが、まだ少し話しの方が長引きそうなので何か軽い料理を作って差し入れしたいと思いまして、そこで何かいい料理はないかお母様に相談したくて」

「あらあら、それじゃあ何品か教えてあげるわ。うふふ、やっぱりこういうのっていいわね」

「料理が出来たらお父様に味見をしてもらいたいのですが、構いませんか?」

「おおぉ!寧ろこっちの方からお願いしたいぐらいだよ。いやーこんな日が来るなんて幸せだなぁ!一日の疲れが吹き飛ぶどころか明日の活力まで湧いてくるよ」

 

 両親の興味が一誠たちの方からリアスの方へと傾く。この瞬間を逃さず一誠は、イリナを抱えたまま居間の前を走り抜けて一気に階段を駆け上がり、両親の目が届かない範囲まで逃れた。

 部屋に入ると、イリナを抱えた一誠の姿に部屋に残っていた面々が目を剥く。だが一階であったように声を出すことは無く、一誠が通るのに邪魔にならない様に部屋の隅に素早く移動し道を作る。

 一誠は意識を失ったイリナを自分のベッドの上に置く。すぐにアーシアもベッドの側に移動し自らの神器『聖母の微笑〈トワイライト・ヒーリング〉』を発動させ、治癒を始めるが開始してほんの十数秒程で神器から放たれる光は収まってしまった。

 

「どうした、アーシア?」

「イリナさんに怪我は無いみたいです。ただ意識を失っているだけみたいです。良かったぁ……」

 

 緊張した面持ちが一気に解放され、安堵の表情となる。それにつられて一誠も安堵の溜息を吐いた。

 

「イッセーくん、彼女はどうしてここに?」

「それが俺にも分からないんです。例のアダムって神父が来たっていうから見に行ったのに居たのはその神父じゃなくてイリナだったんです」

「ならアダムという人がここに運んできたということかしら」

「多分、そうなりますね」

 

 朱乃の質問に若干困惑した様子で答える一誠。

 

「ちょっと失礼しますわね」

 

 一誠の言葉を聞いた後に朱乃が眠っているイリナに一言断ってから、その身体を触り始める。その弄る手付きにどことなく官能的な印象を覚えながらも、触っている朱乃本人は至って真剣な表情であった。やがて粗方触り終わった朱乃は険しい表情を一誠たちに向ける。

 

「彼女、エクスカリバーを所持していないみたいですわ」

「ってことはイリナが気絶している理由って――!」

「コカビエルたちと一戦交えた可能性が高いと考えていいと思います。そして敗れた彼女をアダム神父が救い出してイッセーくんの自宅まで運んだ、と考えられますわ」

「なら何で姿を見せずにイリナだけを置いていくんでしょうか?」

「私にも分かりません。数日程行動しましたが、いつも読めない態度で笑みを浮かべているだけで、こちらに一切内心を見せようとはしていませんでしたから」

「私も同じ意見です。今回の件に関して深い事情を知っている様子でしたが、いくらこちらが聞いても答えを曖昧にしてはぐらかすだけでしたから……底が見えない人でした」

 

 朱乃、ソーナが苦い顔をしながらアダムに関しての印象を語る。その表情には相手を探りきれなかった自分に対しての不甲斐なさが込められているようであった。

 

「まあ、でもここにイリナを連れてきたってことは取り敢えず俺たちの敵じゃないってことでいいんじゃないですかね?」

「そうですよ、会長。ただでさえコカビエルたちに手を焼いているっていうのに、これ以上敵が増えるかもって考えると気が滅入るだけですよ! それにそのアダムって奴、この街に仕掛けられた爆弾、というか術式について態々教えに来たぐらいだし、こっち側の味方じゃないですか?」

「――あまり楽観的に考えるのはどうかと思いますが、逆に悲観的に考えるのもどうかということですね。とりあえず彼については後回しにしましょう」

「それがいいわね」

 

 ソーナの言葉を継ぐリアスの言葉。扉の方を見ると、大皿に山になったおにぎりを持って立っている。

 

「ひとまずこれでも食べて一息つきましょう。明日からはコカビエルたちが造った術式を破壊するのに忙しくなるから」

 

 部屋の中央にある話し合い様の運んできたテーブルの上に大皿を置く。

 

「……随分な量ですね」

「こういったときにはこういったシンプルな料理が良いってお母様がおっしゃっていたわ。冷めないうちにどうぞ」

 

 このとき一誠、匙の脳裏にほぼ同じ言葉が浮かび上がる。

 

『女性が、それもとびっきりの美女が作ったおにぎり』

 

 要らぬところで二人の観察眼がいつも以上の力を発揮する。

 三角形であるが均等な形で作られていないおにぎり、つまりそれは茶碗などという無粋な道具を使わず、手で作っていることを示している。美女が素手で握ったおにぎり、それだけのことで金銭が発生しそうになる程の価値が付く。だがしかし直接素手で作ったとは考えにくい。まだ湯気が立つのが見えるおにぎり、つまり熱々のごはんの状態で握ったこととなるが、この際に少しでも熱を抑える為に包装用ラップを使用したかもしれない。

 そう考えたとき一誠、匙はあることに気付き衝撃を受ける。皿を置いたリアスの手、袖を捲ったその腕に付着している水滴の数々。つまりそれが指し示すことは、リアスは熱いごはんを握る為に何度も手を水で冷やし、その度にごはんをおにぎりにしていたという事実。

 その光景を思い描き、二人の目の端に熱いものが込み上げて来る。

 

「部長……! 有り難く、有り難く頂きます!」

「ええ、どうぞ。……どうしたのそんな泣きそうな顔をして?」

「俺も……頂きます!」

「匙もどうしたんですか? 兵藤君と同じような顔をして?」

 

 真心込められたおにぎりにいざ手を伸ばそうとしたとき、窓ガラスを叩く音がした。皆が一斉に音の方を見ると、窓の向こう側には肩で息をする険しい表情のゼノヴィアが張り付いていた。

 一誠は手を伸ばすのを止め、急いで窓を開ける。

 

「お前、どうして窓から!」

「それについては後だ。済まないが中に入れさせてもらうぞ」

 

 驚く一誠の質問に答えるよりも先にゼノヴィアは一誠の部屋へと入る。そこでベッドの上で眠っているイリナの姿を発見し、安堵したように息を吐いた。

 

「どうやら……奴の言っていたことは本当だったらしいな……」

「奴ってアダムのことか?」

「ああ。……半信半疑だったが、とりあえずイリナが無事で安心した」

「なあ、バルパーたちを追っていたときに何があったんだ? 木場は一緒じゃないのか?」

「安心してくれ、そのことについても今から話すつもりだ。イリナの安否と、私たちがアダムから今回の件について新たに聞かされたことを話す為に私は戻ってきたんだ」

 

 アダムが齎した新しい情報。その言葉に一誠たちの表情は真剣味を帯びる。周りの表情を見渡しゼノヴィアも語ろうとしたとき、彼女の視線がある一点で止まる。目線の先にあったのは大皿に盛られた大量のおにぎり。ゼノヴィアの喉がごくりと鳴るのを全員が見逃さなかった。

 

「……あの、食べます?」

 

 気を利かせたアーシアが大皿をゼノヴィアの前に持ってくる。

 

「いや……それよりも……私が知ったことを……報告するのが……」

 

 気丈な態度でそう言いつつも、視線は何度もおにぎりの方に向けられていた。明らかに意識している。一誠たちは知らないことであるが、ゼノヴィアもイリナもコカビエル探索の為に今日一日殆ど食べ物を口にしていない。戦闘や追跡による緊張状態の継続によって今の今まで忘れ去られていたが、目の前にある食べ物を見てしまったせいで沈まっていた飢餓感が一気に目覚め、本能を容赦なく刺激し始めていた。

 

「行儀が悪いけど、食べながらでいいから話してくれる?」

 

 作った本人であるリアスがやや呆れながら言った瞬間、おにぎりの山の一角は目にも止まらぬ早さで崩れる。

 

「そういう――ことならば――私は――そうしよう――」

 

 両手にいつの間にかおにぎりが持たれており、ゼノヴィアは頬をリスの様に目一杯膨らまし、咀嚼しながら離れて行動していた間どのようなことがあったのかを話し始めた。

 

 

 

 

 イリナを運び終えたアダムはその足で、この街で拠点としているマンションへと戻って来た。このマンションは今回の件について依頼してきた人物の所有物であり、アダムはそれを一時的に借りている。尤も所有者本人はこのマンションを借りてから一度も足を踏み入れてはおらず、実質アダムの為に買ったと言っても過言では無かった。

 ドアノブに手を掛けたとき、一瞬であるがアダムは目を細める。

 

「お体大丈夫ですかぁ?」

 

 そして、何事も無かったかのようにドアを開けながら、中に休ませているシンの安否を確認するよう呼びかけた。既に何人かには素の表情を見せているアダムであったが、取り敢えずは一応最後までアダムという存在を演じることに決め、不慣れな言葉遣いを使い続けている。

 アダムの呼び掛けに返事は無かった。

 そのまま寝室の方へと移動するとそこに寝かせていた筈のシンの姿は無く、近くにある机に置いてあった大量の弁当などは何処かに消えていた。

 シンが居ないことにアダムは特に焦る様子は無く、部屋の中を隈なく探すということもしなかった。ドアを開ける前からシンがこの部屋に居ないことは大体察しがついていた為であった。それは出掛ける前に締めておいた鍵が開かれていたこともあったが、短い関わりの中でおおよそ把握したシンの性格から、いつまでもこの場所に留まってはいないだろうという考えもあったからだ。

 

「若いっていうか、危なっかしいというか」

 

 やれやれといった表情でベッドの上に腰掛けると、懐からシガーレットケースを取り出し、そこから煙草を一本口に咥える。そして煙草の先端に一指し指を押し付けると紫煙が立ち昇り始める。煙草に火が点くと指を離し、しばらく吸わずに口の端にぶら下げていた。

 コカビエルとの一戦で死の瀬戸際まで追い込まれたシンを、事前に仕込んでいた『アレ』が救いだし、アダムがここまで運んで治療を施したが、正直シンが助かったのは、偶然に等しいと言っても良かった。監視目的で仕込んだ『アレ』については殆ど気まぐれであり、深い考えなど特にあった訳では無い。まさに偶々であった。

 結果として命は救えたものの片目を失うという、中々でかい代償を払わせてしまうという事態になったが、これはコカビエルの行動を読み切れなかった自分の失態という自責の念がアダムの中にはあった。

 そのときアダムは机の上に置かれている二枚の紙に気付く。一枚は自分が書いた置き手紙、もう一枚の折られた紙には記憶が無い。

 それを手に取り開いてみる。開かれた紙には文章が書かれており、それに目を通したアダムはしばらく言葉を失っていたが、やがて喉の奥で笑い始めた。

 紙に書かれていた文章はシンからアダムに宛てて書かれたものであり、そこには助けられたことに対する礼と食べた食料の代金についてのことが書かれていた。相手の几帳面さというべきか真面目過ぎるというべきか、相手の思わぬ書き置きに堪らず笑いが零れてしまう。

 

「くくくく。あー、あの木場って奴といいこいつといい真面目過ぎだろぉ。やっぱ若い奴って面白れぇなあ」

 

 愉しげに笑うアダムは口の端に乗せていた煙草を一気に吸い込む。瞬時に巻紙部分が灰となり今にも下に落ちそうになるが、そうなるよりも先にアダムは舌を伸ばすと、まだ火が完全に消え終わっていない煙草を舌の上に乗せ、そのまま口の中に運ぶと躊躇いも無く嚥下してしまった。

 

「目ん玉一個無くしてるけどコカビエルたち相手にどこまでやれるかねぇ……まあ、『魔人』なら一個無くてもどうにかなるか」

 

 脳裏に浮かぶのはかつて戦ったことのある魔人の姿。戦いの最中に腕一本を失っても構う事無く戦い続けていたのを鮮明に覚えている。

 

「色々と拝見させてもらうとするかぁ」

 

 

 

 

 夜も大分更けこんできた中、一誠は自室で制服を纏い壁に背を持たれて座り、ひたすら時が過ぎるのを待っていた。一誠の両端には同じく制服を着たリアス、そしてシスター服を着たアーシアが緊張した面持ちで静かに座っている。そこから少し離れた場所にあるベッドの上ではイリナが寝息を立てて眠っており、それを見守る様に側にはゼノヴィアが座っていた。

 戻ってきたゼノヴィアが一誠たちにもたらした情報。今夜中に行動を起こすということに一誠たちは眠る訳にもいかず、いつでも臨戦態勢が取れるように準備をしていた。

 話し合いをしていたメンバーは一誠の両親への迷惑を考慮し、全員一誠の自宅で泊まる訳にもいかず、今はこの場に居ない朱乃、小猫、ピクシー、ジャックフロストも朱乃の家で一誠たちの様にして待機し、ソーナたちもまた同様に、ソーナ宅で眷属全員を集合させ待機しているのであった。

 

「……部長、少しいいですか?」

「何かしら?」

 

 一誠の呼び掛けに応えるリアス。その声はいつもよりも上擦った様に聞こえた。だが無理もないと一誠は内心思う。今回の件が想像以上に陰謀渦巻くものだと聞かされてから、一誠は胸の裡に留まる錘のような緊張感を味わっていた。ましてやこの街を縄張りとしている立場、間接的とは言え堕天使を引き寄せた魔王の妹という立場、一誠が感じているものとは比べものにならない程の重圧を感じているに違いなかった。

 

「本当にサーゼクス様を呼ばなくていいんですか?」

「……貴方も反対なのかしら? 私もアダムから念を押されていたけど、私たちがお兄――魔王を呼んだ時点で相手の思う壺なのよ?」

 

 今回のコカビエルの討伐に、リアスはサーゼクスの力を借りないことを皆に言っている。冷静に考えれば、たかが若手悪魔が何人か集まったところでコカビエルとの実力差は埋められるものではない。相手は怪物級の実力の持ち主である、しかしそれでもリアスはサーゼクスを呼ぶことを拒んだ。

 この決定にソーナは渋面を作り、朱乃は珍しく怒りの表情を見せてリアスの決定に反対をしていた。だが二人ともリアスの内心を理解していての反対であった。

 前回のライザーとの揉め事で、少なからずともサーゼクスの行動に不満を持つ者たちが出ていた。そしてそれに重なるようにして起きた今回の騒動。もしリアスが頼めば、サーゼクスは立場を顧みずリアスに手助けするのは、リアス自身容易に想像出来ていた。しかし、仮にそれが結果として多くの住民の命を救うということとなったとしても、魔王が独断で動き、ましてや戦争の火種となりかねない幹部級の堕天使と一戦交えることとなれば、それは致命的な弱みを作るということとなる。

 魔王としても兄としても敬愛するサーゼクスの未来を自分が閉ざしてしまうかもしれない、エゴだと理解していてもそれだけは避けたかった。そしてシンのこともある。悪魔の力を持っているという特殊な立場にあるが、シン自体は人間である。それが自分たちのいざこざで生死不明の状況になってしまったことに強い責任を感じていた。

 ソーナや朱乃たちとの言い合いは半ば強引に打ち切るようにして終わらせたが、二人とも完全には納得した様子は無く難しい表情のまま帰宅をしていった。

 長年連れ添ってきた親友たちに失望されたかもしれないと怯えのような感情を覚えつつも、リアスの決心は頑なであった。それは自らの命を犠牲にしてでも今回の件を終わらせるという、悲壮なものであったが。

 

「いや、俺は部長の決めたことを全力でやるだけです――でも」

「……でも?」

「部長は絶対に何があっても俺が守ります! 必ず!」

 

 リアスの手を握り、自らの決意を伝える一誠。リアスの決めた決意を見透しての発言ではなく、正直な気持ちから出てきたものであった。その言葉にリアスは頬を赤く染め、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「……ありがとう、私のかわいいイッセー」

 

 リアスが一誠の頬に触れる。

 

「じゃあ、もし私と貴方が生きてここに戻れてきたらご褒美にいろいろと私がしてあげようかしら」

「い、いろいろ……!」

「そう、いろいろと」

「そ、それはどこまで可能なんでしょうか……!」

「いろいろはいろいろよ、貴方が望むこといろいろ」

「マ、マジですかぁ!」

 

 頭どころか全身の血液が沸騰するような感覚を覚える。もしリアスが言っていることが本当ならば以前匙に涙ながらに語った夢に手が届くということである。

 

「つ、つまり! そ、それは! いいんですね! 吸っても!」

「え? 吸うってなにを?」

「そそそれは……! それは……!」

『おい、落ち着け相棒! どうなってるんだ! これ以上興奮すると力が暴発するぞ!』

 

 慌てた様子のドライグの言葉が一誠の脳内に響き渡る。想いを力に変えるのが『神器』であるが、際限なく煩悩を昂らせる一誠に、使用する本人が許容できない程の力が発生していた。それをドライグが必死になって制御しているが、これ以上昂るとドライグが言った様に暴発する危険があった。

 そんなことは露知らず一人昂り続ける一誠。そんなとき服の袖が引っ張られているのに気付き、視線をリアスから反対にいる人物に向ける。

 そこには目を潤ませ、頬を膨らませるアーシアが居た。

 

「ア、 アーシア。どうした?」

「わ、私も生きて帰ったらイッセーさんにいろいろしてあげます!」

「え?」

「部長さんに言った様に私も吸ってもいいです!」

 

 それが何を意味しているのか知らずにアーシアは言うが、一誠は金槌で頭を殴られた様な衝撃を受けていた。

 

(吸うって……アーシアのを……吸う……)

 

 一瞬脳裏に浮かび上がるビジョン。それを思い浮かべたとき、どこかに頭を叩きつけて記憶を消し去りたいような衝動に駆られた。一誠にとってアーシアは純粋、純潔の象徴のような存在であり、自分の欲望で穢してはいけない聖域、守るべき少女であった。それを脳内であれ辱めてしまうと、相対的に自分が酷く汚れた人間に思えてしまう。自分自身清らかではないと自覚はある――夢はハーレム王である為――しかし、そんな自分に優しくしてくれたアーシアに欲望を向けてしまうとなると、凄まじい自己嫌悪を感じてしまう。

 そしてこのときある姿が頭の中を過ぎる。その姿は――

 

「アーシア……大丈夫だ……いろいろしてくれなくても大丈夫。部長もさっき言ったことは忘れてください……」

「イッセー、大丈夫? 表情が虚ろよ?」

「本当にいいんですか?」

「俺は大丈夫ですよ、へへへ……」

『おい、相棒! どうなっている! これ以上力が低下したら神器も発動出来なくなるぞ!』

 

 

 

 

 何十段もある石段の上に造られた朱色の鳥居。その向こう側には年月を重ねたことによって風格を纏った神社の本殿があった。そして拝殿の前に座る四つの影、それは朱乃、小猫、ジャックフロスト、ピクシーの姿であった。

 この神社、先代神主が死去した為に無人になっていたのをリアスが目を付け、現在は朱乃の住居として使用していた。その際、悪魔でも入れるように特別な仕掛けを施しており、今の様に朱乃と小猫は表情一つ変えることなく居座ることが出来ていた。

 

「少し席を外しますね」

 

 そう言って立ち上がる朱乃。小猫とは違い制服ではなく、紅白の巫女装束を纏っていた。

 

「……はい」

 

 頷く小猫の膝の上ではジャックフロストとその頭の上にピクシーが座っており、コカビエルたちとの戦いが始まるかもしれないというのに寝息を立てて眠っていた。二人の太い神経を微笑ましく思いながら、神社の奥に茂る林の中へと消えて行った。

 林の中に入った朱乃はある場所を目指して歩き続ける。しばらくすると林の中に拓けた空間が現れた。

 朱乃はその拓けた場所の中心に立ち何かを呟く。すると地面の土が削れ始め、地面に紋様を刻み込んでいった。数分も掛からず朱乃を中心にして魔法陣が出来上がる。朱乃はそこで再び呟き始める。

 

「なにしてるのー?」

「してるホー?」

 

 重なる無邪気な声に思わず詠唱を中断してしまう朱乃。声の方角にはピクシーとジャックフロスト、そして少し遅れて小猫が現れた。

 

「……すみません。ピクシーさんとジャックくんが朱乃先輩を探しに――」

 

 小猫は途中で言葉を止める。それは地面に描かれた魔法陣を見つけ、そして朱乃が何をしようとしていたのか気付いたからであった。

 

「……サーゼクス様に連絡するつもりなんですね」

「――ええ、そうよ」

「……部長は呼ばないで欲しいと言っていました」

「これは私の独断。この件はリアスや私たちの手に負える範疇じゃなくなっている。魔王の力を借りなければ無理よ」

 

 互いに真剣な表情で視線を交わす朱乃と小猫。その様子を微妙な表情で交互に見ているピクシーとジャックフロスト、居るのはいいが特に何を言っていいのか分からず困惑していた。

 

「……リアスの気持ちは理解出来るわ。前回の事と今回の事で、サーゼクス様の立場を危うくしているのをどうしても避けたいのを……それに間薙くんのこともあるわ。リアスのことだから、全部自分のせいにして責任を全て背負うつもりよ」

 

 家族同然の付き合いをしていたからこそ分かるリアスの心情。それは同じく一緒に暮らしていた小猫も深く理解していた。

 

「……分かりました」

「止めないのね」

「……部長のことも大切ですが朱乃先輩も大事な人です。……怒られるなら一緒に怒られましょう」

「うふふ、ありがとう」

 

 二人が笑みを交わす中、蚊帳の外になっているピクシーたちは地面に描かれた魔法陣の方へと興味を移し、手でぺたぺたと触っている。

 

「ふーん、これでサーゼクスと話せるんだ」

「オイラもサーゼクスと話したいホー! あれから王様についていくつも聞きたいことが出来たんだホ!」

 

 魔王を呼び捨てにする妖精二人に思わず朱乃、小猫は驚いてしまう。いくら悪魔では無いとはいえ、軽々しく名を呼べるような存在では無い。

 

「あの、御二人につかぬことを聞きますが、サーゼクス様と一緒に観戦していたとき何て呼んでいました?」

「え? サーゼクスだけど」

「オイラもそう呼んでたホ!」

「……そうですか」

 

 改めて妖精二人の神経の太さを知り、朱乃は冷や汗を描いた笑みを浮かべる。だからこそ、彼女らにとって最も近しい存在であるシンが行方不明になってしまっても取り乱すことはないのではないかと納得もした。

 故に朱乃はこんな質問をした。

 

「御二人は気丈ですね。だからこそ間薙くんが生きて戻ってくることをずっと信じていられるんですね?」

「――うーん、全く根拠が無くて信じているわけじゃないんだよねー」

「そうなのですか?」

 

 思わぬ言葉に聞き返してしまう。

 

「何となく、ほんとすっごく微かな感じだけど、まだシンと繋がっている気がするんだよね。どういう風にとか詳しく言えないんだけど、まだアタシとシンを繋ぐ何かが途切れていない感じ。キミも分かるんじゃない?」

「ヒーホー……そう言われてみると繋がっているなような繋がっていないようなやっぱり繋がっているようなホー」

 

 腕を組み、首を左右に傾げながら曖昧な感じで答えるジャックフロスト。明確なものではないが言われてみれば微かに分かる、極微小の感覚なのかもしれない。

 

「……それでも間薙先輩が生きている可能性が高まった感じがして私は嬉しいです」

「ええ、そうですわね」

 

 いつもの無表情な小猫ではあるが、このときは彼女を良く知る人物以外でも分かるぐらい安堵で和らいだ表情をしていた。

 

「早くこの戦いを終えて、間薙くんを迎えに行かないといけませんわね」

「そうだね。いっつも隣にいる人が居ないと……少し寂しいかな」

 

 朱乃の言葉にピクシーは少しだけ眉を下げた笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 日が変わる直前、大気が揺れ動いているかのような重圧によって、一誠たちは跳び上がる様にして立ち上がった。

 

「来た!」

 

 実際には揺れていない筈であるが、そう錯覚してしまう程の激しい魔力が大気中に蠢いている。

 

「部長!」

「ええ、分かっているわ……相手はこちらを誘っているわ」

 

 明らかな相手側の挑発。不必要なまでに魔力を拡散して自分の位置を相手に教えているのが分かる。

 一誠は窓を開き、そこから一気に屋根へと飛翔する。そこで一誠が見たのは空へと昇っていく四本の光の柱。そしてその方向には心当たりがあった。

 

「コカビエルの奴、俺達の学園で!」

「イッセー! 朱乃たちやソーナたちと連絡をとったわ! これから彼女たちと落ち合う、ついてきなさい!」

 

 言うと同時にリアスは窓から翼を広げて飛び立つ。その後ろから慌てた様子のアーシアが追ってきたが、一誠と同様に光の柱を見て言葉を失っていた。

 

「エクスカリバー……」

 

 奥歯を噛み締める音と静かに怒る声が混じって一誠の耳に届く。気付けばすぐ側にゼノヴィアが立っており、静かに怒りを燃やしていた。

 

「エクスカリバーってあの光がか?」

「そうだ。私には分かる。あれは間違いなくエクスカリバーの光だ。くっ! バルパーめ、どこまでエクスカリバーを弄ぶつもりだ!」

 

 冷徹な一面しか見ていなかった一誠が初めて見るゼノヴィアの激情。その烈火の如き怒りに思わず声を掛けるのも躊躇ってしまう。

 

「イッセー! 早くしなさい!」

 

 リアスの急かす声に一誠はすぐに後を追う準備をするが、このときゼノヴィアをどうするか、ということに気付く。

 

「ゼノヴィアはどうやってついてくるつもりなんだ?」

「――ああ、そうだな。流石に足では君達を見失ってしまう可能性がある。済まないが運んでくれないか?」

「俺が?」

「この場に君以外が居るのかい?」

 

 さあ、と言って自分を運ぶように促すゼノヴィア。どう運ぶのか瞬時に考えた末、取り敢えず背中と太腿を後ろから持ち上げる、いわゆるお姫様抱っこという形でゼノヴィアを抱え上げた。

 

「ふむ」

「なんだよ?」

「いや、今まで女性として扱われてきたことが片手で数える程しかなかったからね。中々新鮮な体験だ」

 

 そんな台詞を真顔で言われてしまうと、意識しないよう頑張っていた一誠の五感がゼノヴィアの方へと向けられてしまう。思ったよりも軽い体重、手の平全体に伝わってくる女性の柔らかな肌の感触、鼻孔をくすぐる香り、正直これから命懸けの戦いをするにも関わらず再燃してくる煩悩に内心呆れつつもこのままではいけないと思い、あることをゼノヴィアに頼む。

 

「ちょっと頼みがある」

「何だい?」

「俺を殴ってくれないか?」

「……いきなり何を言っているんだ」

「気持ちを切り替える為だ! 頼む!」

「……よく分からないが了解した」

 

 突拍子もない一誠の頼みにゼノヴィアも理解出来ないといった表情をしていたが、とりあえず了承する。

「いくぞ?」

「来っお!」

 

 下顎を撃ち抜く衝撃に一誠の目の前が反転する。予想外に重かったゼノヴィアの一撃、平手ではなく容赦の無い握り締めた拳、的確に急所を穿つ冷静な判断、抱え上げた体勢で無かったら膝でも付いていたかもしれない。

 

「――あ、ありがとう。取り敢えず目が覚めた」

「殴った相手に礼を言うのか……世の中は私が思っているよりも広いな」

 

 要らぬ誤解を招くこととなったが、一応気持ちを切り替えることが出来た一誠は、左右にふらつきながらもリアスたちの後を追うのであった。

 それから数分後、リアスたちは学園から少し離れた場所にある公園に到着していた。既に朱乃、小猫、ピクシー、ジャックフロストの姿、そしてソーナを含む生徒会全員が揃っていた。

 

「リアス先輩! とりあえず学園の外に影響が無いように結界を張り巡らせておきました! これで中でどんなに派手に暴れても外には洩れない筈です!」

 

 降り立ってくるリアスたちの姿を見て匙が現状について報告する。

 

「分かったわ、ありがとう。ソーナ、コカビエルたちに動く気配は無いの?」

「学園内で特殊な術式と聖剣を使用して何らかの儀式しているのは分かっているけど、詳細は不明だわ。こちらが結界を施している最中も相手はこちらのことを一切気にしていなかった。……本気を出せばこの学園ごと結界を破壊するなんて造作もない筈だけれど」

 

 冷静に語るソーナの眼は鋭く、声もいつもよりも低い。コカビエルたちが学園内で好き勝手していることに相当怒りを覚えている様子であった。

 

「リアス、ちょっといいかしら」

 

 朱乃がリアスの名を呼ぶ。

 

「何か用? 朱乃」

「貴女の気持ちは理解しているわ。だけど今回の件、サーゼクス様に報告しました」

 

 その言葉に、一瞬リアスは眼つきを鋭くし何かを言いたげな様子で口を開いたが、真っ直ぐに見詰めてくる朱乃の顔を見て口を閉じる。言葉を交わすことはなくても表情で相手の心情を汲み取ることが出来る程の付き合いから、朱乃が自分のことを思って独断したということを悟った為であった。

 自分が考えている以上に意地を張り過ぎたのかもしれない。自分の行動を振り返り、そう反省したリアスの表情は静かなものとなる。

 

「……手間を掛けたわね」

「いえ、理解していただいてありがとうございます。部長、ソーナ様、サーゼクス様の援軍が到着するのにまだ時間が掛かるとのことでしたが」

「ここにお兄様が来るのね……出来れば相手の思惑に乗らない様にしたかったけど、やはり無理そうね」

 

 自分の力量の不足を恥じる様に呟くがそんなリアスに対し朱乃は首を横に振る。

 

「来るのはサーゼクス様ではなくセタンタ様です」

 

 予想外の名前だったのかリアスが弾かれたように朱乃を見る。

 

「セタンタが?」

「今回の件についての詳細を報告したら、自分が出た方がサーゼクス様への害を抑えられると言って名乗り出てくれました。出来る限り早く駆けつけるとのことです」

「そう、セタンタが……彼の実力ならコカビエルに引けを取らない筈だけど……」

 

 喜ぶ反面、腑に落ちないこともあるのかリアスの表情は険しい。

 

「なあ、小猫ちゃん。セタンタって誰?」

 

 突然出てきた人物の名。リアスの口振りからかなり信頼を寄せている人物であることが分かる。それが気になって一誠は近くにいた小猫に小声で尋ねた。

 

「……昔から部長の家を護っている人です。……祐斗先輩のもう一人の師匠で私にも戦い方を教えてくれました。……イッセー先輩も会ったことが有る筈です」

「え、何処で?」

「……婚約式の会場で」

 

 そう言われ記憶を振り返ってみると、思い至ったのがすれ違い様にリアスを頼むと言っていた、マフラーを巻いた青年の姿。

 

「あの人か……」

 

 一人納得している間にリアスやソーナたちの方針は決まったらしく、この場にいる全員に呼びかける。ソーナたち生徒会メンバーは学園に施した結界をセタンタが来るまで維持する。リアスたちオカルト研究部メンバーは結界内にいるコカビエルたちを学園内で足止めし続けるというものであった。

 

「内容は以上よ! この戦いは命を懸けたものになるわ! でも死ぬことは許されない! コカビエルたちを打倒し私たち全員が生還することが本当の勝利よ! 皆、また学園で会いましょう!」

『はい!』

 

 全員の意志を高めるような覇気を込めた声で全員がそれに返事をする。

 

「負けるなよ、そんで帰って来い! 兵藤!」

「わーってるよ! これが終わったらカラオケでも行こうぜ! 木場や間薙も呼んでさ!」

「いいな、それ!」

「アーシアとかも呼んでさ」

「あー……うちの生徒会は異性交遊禁止なんだよなぁ……」

「そんときゃあれだ、悪魔間での交流とか親睦会とか言って誤魔化そう」

「ははは! まっ、楽しみにしてるぜ」

 

 別れ際に軽口を言い合いながら一誠たちは学園の中、匙たちは結界の維持に向かって走り出した。

 

 

 

 

「――来たか」

 

 宙に浮きあがった状態で足を組み、見えない何かに腰掛けているコカビエルが閉じていた目を開く。

 

「バルパー、あとどれぐらいで余興を始められそうだ」

「もう間もなくだ」

 

 学園の校庭ではバルパーが描いた魔法陣の上で四本のエクスカリバーが浮き上がり、激しい光を放っている。それは常人でさえ目に痛みを覚える程の輝きであった。

 

「こりゃ凄いことになっておりますなぁ! ワタクシ今からこれを使うことになるという名誉で感動と震えが止まりませんよぉ! ささ、じいさんハリーハリー!」

「急かすな、フリード」

 

 落ち着きなく囃し立てるようなフリードの態度。しかし、バルパーは構う事無く作業を続ける。

 

「これは……!」

 

 学園内に入ってきた一誠たちは目の前に描かれた魔法陣とその中に浮かぶエクスカリバーに言葉を失う。

 

「やれやれ、また気が散る要因が増えたか」

 

 リアスたちの登場にバルパーは眉を顰め、露骨に不快感を見せる。

 

「バルパー、エクスカリバーをどうするつもりだ!」

「不完全なこれをより完全に近づけるだけだ。コカビエル、これ以上の雑音は叶わん。貢ぎ物のアレがもう一頭いた筈だ。それで奴らを黙らせてくれ」

「残念だがよくよく考えてみて俺にはペットを飼う趣味は無かったのでな、学園の外に放ってきた」

「――ならお前が時間を稼げ」

「まあ、主催者として余興の進行を手助けするのも務めか」

 

 コカビエルは座ったままの体勢で見下すような視線を一誠たちに送る。その眼は寒気がする程に冷たく、虫けらでも見るかのようであった。

 

「よく来た、グレモリー家の娘よ。グレモリーの紅髪、いつ見ても美麗だな。君の兄君を思い出して殺意が湧いてくる」

「初めまして、堕ちた天使の幹部――コカビエル。リアス・グレモリーと申すわ。……どうやら貴方には私の友人が世話になったらしいけど」

「友人? ああ、あの小僧のことか」

「彼は無事なの?」

「知らん。四肢を貫き片目を抉り取ってやったが、最早どうでもいいことだ」

 

 誰もが声を失った。興味が無さそうに言ったコカビエルの言葉はあまりに残酷なものであった。

 

「お前たちが来たということはサーゼクスたちは来ないということか? それともお前たちが相手をするということか?」

「貴方は……!」

 

 仲間にした仕打ちに怒りに震えるリアスであったが、そんなことに構うことなく会話を進めていく。

 

「どうなんだ? 答えろリアス・グレモリー」

「答える義理は無いわ!」

「そうか、なら消えろ」

 

 コカビエルが指を鳴らすと、周囲に鏃の形をした光が十以上現れる。そしてそれらはリアスたちに向かって一斉に発射された。唐突とも言えるコカビエルの攻撃に反応が一瞬遅れてしまう。

 しかし、そんなリアスたちを守る様に背後から飛び出してきた無数の影が、真正面から光の鏃たちとぶつかり合う。影と光は相殺し合い、光は霧散し影は砕けて散っていく。砕けていく影を注意深く見ると剣の形をしており、それはリアスたちの良く知るものであった。

 

「『光喰剣〈ホーリー・イレイザー〉』ってことは……」

「少し、遅れたみたいだね」

 

 背後から現れたのは、リアスの『騎士』である木場であった。皆の視線が集まる中、少し困った様な笑みを浮かべている。

 

「――おせぇよ。全く登場の仕方までかっこつけやがって!」

「はは、狙ったわけじゃないんだけどね」

 

 頬を掻きながら笑う木場。そこにリアスの声が掛かる。

 

「祐斗……」

「……部長、遅れてすみません」

「色々と言いたいことがあるけど後回しにするわ。今はコカビエルたちを止めることが最優先よ!」

「……はい!」

 

 そのとき乾いた拍手が校庭に響く。拍手を送っているのはコカビエルであった。

 

「加減はしたとはいえ、俺の力を真っ向から防いだのは大したものだ。その齢で随分と神器の扱いに長けているな。くくく、中々良い人材を揃えているな」

「――賞賛として素直に受け取っておくよ」

 

 コカビエルは木場の魔剣について褒めてはいるが、木場としては内心冷や汗をかいていた。エクスカリバーといった対魔に優れたものではなく、純粋に力を変換して生み出される堕天使の光。その光に対して最も相性の良い魔剣『光喰剣』を使用しても、手加減をした光を相殺するだけで精一杯であることに戦慄を覚えていた。否が応にも相手との実力差を感じさせられてしまう。

 

「さて十分な時間を稼いで貰った。――見よ、より完全に近づいたエクスカリバーを」

 

 バルパーがどこか高揚した声で完了の声を上げる。誰の眼もそこに注視された。バルパーの目の前には、眩い輝きを放つ一本の聖剣が浮かんでいた。バルパーは新しい玩具を前にした子供の様な眼差しでそれを見つめた後、その柄を両手で握り締める。その途端、統合されたエクスカリバーの輝きは鈍る。

 

「――分かっていたことだがな」

 

 このとき、エクスカリバーを握るバルパーの表情に、先程の喜色は無かった。ただ失望の色を一瞬だけ覗かせたがすぐにそれは消え、元の研究者としての顔に戻っていた。

 

「受け取れ、フリード」

「あいあい。いやこれまた素敵仕様になったエクスカリバーでございますねぇ! これでこれから悪魔たんたちをぶった切るって考えると……うーん! エクスタスィー! ということで僕ちゃんエクスカリバー入手記念としてちょっと殺されてみない?」

 

 嫌悪感しか覚えない、狂気を含む笑みをリアスたちに向けながらはしゃぐフリード。それを見てリアスたちの中から因縁のある二人が前に出る。

 

「前は向かい合って戦ったが今回は肩を並べて共闘するか……先のことはよく分からないものだな」

「同感だね。あのエクスカリバーは破壊する。それで構わないね?」

「アレが所持している時点で最早聖剣では無い。これ以上穢れる前に破壊してでも奪い取る」

 

 木場、ゼノヴィアが言葉を交わす中、それに好奇の視線を送る者がいた。

 

「かつての研究の名残とその成果が共に私の前に立つか……運命というものを感じるな。そう思わないか? 『―――』」

「……その名で僕を呼ばないで貰おうか……!」

 

 飛び掛かることはしなかったが怒りに染まった目で木場がバルパーを睨みつける。しかし密度の濃い殺気を浴びてもバルパーは顔色一つ変えない。

 

「勘違いしては困るな。寧ろ私は君たちのことを敬愛しているのだよ? いや、君達だけじゃない。聖剣を扱う可能性を持つ者全てを私は尊敬している」

「どういう意味だ」

「私はね、心の底から聖剣という存在を愛しているんだよ。幼い頃からずっとその気持ちを曲げることなく一途に想ってきた。特にエクスカリバーをこの手で振るうことが、私にとっての唯一無二の夢だった。――だが現実というのは残酷だ。私はこの世の誰よりも聖剣を望んでいたが、聖剣使いとしての素質は皆無であった。……だからこそ聖剣を扱える者には尊敬の念を禁じ得なかった」

 

 自らの思いを語るバルパーの口調は次第に熱を帯びていく。だが尊敬しているという言葉とは裏腹に、木場たちを見る目にあるのは、深く暗い嫉妬の情であった。

 

「少しでも聖剣と関わりを持つ為に私は研究の道へと進んだ。そしてその過程で私は見つけたのだよ。持たざる者を持つ者へと変える手段を! その研究の完成の結果が『聖剣計画』だ」

「完成? 『聖剣計画』が?」

 

 バルパーの言葉に戸惑う。木場は失敗という結果から当時の仲間ともども処分されたと思っている為無理のない反応であった。

 

「聖剣を扱うにはある一定の数値を満たした因子が必要だった。私が注目したのがそれだ。個々の数値では聖剣には届かない。なら個々ではなく一緒くたに纏めることが出来たのなら? その答えがこれだ」

 

 バルパーが懐から取り出したもの、それは聖剣の輝きに良く似た光を放つ球体であった。それを目にした木場の眼が見開く。

 

「まさか……それが皆の……」

「フリードに使用して最早エクスカリバーを扱う程の因子は残っていない残り滓のようなものだがな。一番効率の良い取り方をするには因子を持つ人間に生きていられると面倒だった。何せ本人が抵抗すればするほど因子は本体にしがみつき取れにくくなり、無駄に残ってしまう。死者として黙らせれば完全に抜き取ることが出来る」

 

 聞いてもいないのにベラベラと因子の抜き方について喋り続けるバルパーにゼノヴィアは侮蔑の視線を送る。

 

「外道が……!」

「くくくく、その外道の技術で今日まで聖剣使いを量産してきたことを忘れるな。ミカエルは私の研究を認めなかったが、それでも捨て去るには惜しかったようだな。尤も、私のように効率の良い因子の抜き方はしていないみたいだ。人道的な方法を重視するあまり、手緩いと不満を持つ天使たちも居るようだがな」

 

 嘲笑をこの場にいない人物に向ける。自分を否定した存在が否定されることに優越感を覚えている様子であった。

 

「バルパー・ガリレイ……! その欲望を満たす為にどれほどの命を犠牲にした!」

「数が重要かね? 私が研究で奪った命などたかだか一日で埋まるほどのものだ。寧ろ恥すら覚えるよ、数字にしてみたら『たったそれだけか』と実感してしまってね」

 

 罪悪など微塵に感じさせない言葉。怒りよりも吐き気を覚えてしまうほどの自己のみの考え。バルパーは既に人としての善悪が破綻していた。

 

「まあ、良くここまで生き延びたということで、これを貴様にくれてやる。さっきも言ったが既に因子は欠片しか残っていないものだ。無価値に等しいからな」

 

 木場の足下に因子の結晶を放る。木場はしゃがみ込み両の手でそれを掬い上げる。

 

「皆……」

 

 呟く木場の頬に涙が伝わる。そのとき、結晶が先程とは異なる光を放ち、結晶から零れる様に光が落ちていく。

 誰もがその光景に驚く中、バルパーのみが予想外の反応に喜色を浮かべていた。

 

「ほう! 因子にも生前の記憶が宿るのか。中々に面白い反応だ。この反応を応用し研究内に組み込めば――」

 

 死者の魂すら一研究の対象としか見ない下衆の思考。木場と魂たちの邂逅にその汚れた眼差しを向けることが我慢出来ない人物が居た――否、現れる。

 

「フリード」

 

 最初に反応したのはコカビエル、その言葉に気付いたフリードが眺めているバルパーの頭を掴み、地面に押し付けるようにして無理矢理引き倒す。

 その瞬間、バルパーが立っていた場所を通過する高速の物体。それはそのまま地面へと盛大な音を立てて刺さり、数メートル程抉りながら進んだところで止まった。

 投げられたのは校門に設置してあるはずの鉄の戸。大人一人で持ち運べるような重量では無く、ましてや投擲することなど不可能に近い。

 

「これ以上視るなら、それなりの代価を払ってもらおうか」

 

 闇に浮かぶ二つの光。一つは紋様の形をして浮き上がり、もう一つは白色の光が宙に浮いている。

 その光を見てコカビエルは嬉しそうに嗤いながら闇へと尋ねる。

 

「ほう、なら何を払えばいい?」

 

 闇の中から姿を見せた人物。その右手は妖しく輝き、その左目は文字通り爛々と輝いている。

 

「お前らの首、と言うつもりだったが止めだ――安すぎる」

 

 間薙シン、決戦の地に馳せ参じる。

 




ようやく三巻最後の戦いの舞台まで書けました。

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